朴歯の下駄 小山清 Guide 扉 本文 目 次 朴歯の下駄  むかしの話だ。  私がそのみせの前を通ったとき、そこの番頭さんが、 「よう、前田山。」  と私のことを呼びかけた。その頃私は廓を歩くと、いつも「応援団長」とか「朴歯の旦那」とか呼ばれた。私は久留米絣の袷を着て、袴をはいて、そうして朴歯の下駄をガラガラ引き摺って歩いていたのである。私にはそのほかにどんなよそゆきの持ち合せもなかったのだ。「前田山」は頬をほてらせてみせの中へ入っていった。私はもう上気していて、履物を脱いでしまったような気持になっていた。番頭さんは、 「学生さんには、またそのように、遊んでいただきます。」  など殊勝なことを云った。私はすでに学生ではなくて、貧しい勤人の明け暮れを送っていたのであるが、日没頃の物悲しさをもてあますようになっていた。番頭さんは私の顔を窺って、 「若いのがいいでしょう。」 「うん。」  番頭さんは初見世と書いてあるびらを指さし、 「この妓がいいでしょう。今日でまだ三日にしかなりません。」  私はまずその妓の印象を得たいと思い、そこに並べてある写真の中を探してみたが、見つからない。私は決して気難しい男ではないが、ただあまり邪慳な感じのする女には、ぶつかりたくないと思った。 「写真ないね。」 「ええ、写真はいま作製中です。おとなしい可愛い妓ですよ。十八ですよ。」  番頭さんは私の心中の当惑を見ぬいたような口をきいた。私は少しく心許ない気もされたが、登楼した。こうして私は彼女を知った。可愛いという言葉は必ずしもいつわりではなかった。私は彼女の細い眼や低い鼻に親しみを惹きだされた。 「君の写真は作製中だそうだね。」 「ええ、まだ出来てこないの。」 「君はいつからみせに出たの?」 「今日で十二日になるわ。」 「君は十八だって?」 「ううん、十九。」  十八ではまだ身売りのできないことを彼女は説明した。番頭さんは日数のことも年齢のことも二つながらさばを読んだわけであるが、それは番頭さんとしても一生懸命のところだったのだろう。私には彼女の素直でごく当り前な感じのするのが好ましかった。廓で働く女の多くがそうであるように、彼女もまた百姓娘であった。彼女の発音には鄙びた響があって、そうしてどことなく野の匂い、土の香りのようなものがまだ消えずに残っている感じだった。私は彼女の顔を見ながらあねさん被りが似合うだろうと思い、空に雲雀の囀る畑の中にいる彼女の働く姿を容易に想い浮かべることができた。  翌朝、彼女に附き添われて洗面所へいった。私が顔を洗っている間、彼女は私の袂が水に濡れないように両掌でつかんでいた。私の脇にも客が一人いて、やはりその相方がなにかと気を配っていた。彼女たちには互いにいっそう客を大事にする風情が見られた。おそらく朝の廓の随処に見られる風景であろう。  帰るとき、下駄を履きかけている私の袂を彼女は控えて、 「また来てね。」  と囁いた。  私は彼女のもとへ通うようになった。彼女のいるK楼は、彼女の話によれば、この廓では三流のみせであるという。古いみせなので、やはりどことなくそれだけの格式と情味が感じられて、私などには遊びやすかった。保守的なもののよさとでも云うか、金をむさぼらないわりには客あしらいがよかった。働いている女の風俗もまたその呼び名もみんな古風であった。彼女の呼び名は「通夜物語」の女主人公のように下に山の字がついた。  私がいくと彼女は、私ではないかと思ったと云ったり、またあらかじめ私だということがわかったと云ったりした。どうしてわかったと云ったら、履物を置く場所に朴歯の下駄があったからと云った。朴歯など履いてくる客は私のほかには誰もいなかったのであろう。いつか帰るとき、足もとに立派な駒下駄を揃えられたことがあって、私はひどく狼狽した。すると彼女と、妓夫台にうたた寝をしていてそのとき眼をさました番頭さんが、異口同音に「朴歯、朴歯。」と大きな声で云ったので、私たちは顔を見合せて噴き出してしまった。このみせでは私の朴歯はそういう紛れもない代物であった。  遊びにいっていると、時にはほかの部屋から陽気な唄声や三味の音が聞えてくることがあった。もと芸者をしていたので三味線などの上手な妓がいるという。彼女はもとより芸なしであったが、大正琴を習いはじめていた。その頃としても大正琴はいかにも古めかしい感じがした。いちどなにか聞かせてくれと云ったら、「春の小川」の曲を弾いてくれた。おぼつかない手つきでとぎれ、とぎれに弾いているのを聞きながら、私はなんとも手持ち無沙汰な、またどうにもかなわない気持がした。 「なんだ、鼻のあたまに汗をかいているじゃないか。」 「ふふふ、むずかしい。」 「誰か教えてくれる人がいるの?」 「ううん、自習帳があるの。」  そうして彼女は「君が代」も「ひばり」も弾けると云った。  ある日行ったら彼女は病気で寝ているということだった。私が帰りかけたら、新造のおばさんがほかの妓を呼んで遊んでゆけと勧めた。勧められて私はその気になった。名代に出てきた妓はつまらない女だった。躯の弱そうな気の弱そうなしょんぼりとした女だった。私が気なしに気の毒なことを口にしたときにも、かすかに顔を曇らせただけで、すぐ弱気な笑顔をつくった。腹を立てるほどの気性もないらしかった。内気というよりは陰気な感じで、これでは朋輩にも客にも侮られるばかりではないかという気がされた。それでも翌朝帰りしなには、私に寝ている彼女を見舞ってやれと、朋輩らしい情を見せた。私は億劫な気がしたので見舞わずに帰った。名代の話によると彼女は評判がいいということだった。いい馴染客があるという。内輪の気受けも悪くないらしかった。聞いて私にもうなずけた。彼女は人好きがしたから。人柄はおだやかで、とりわけてはしゃぐという方ではないけれども、向い合った気分は明るかったから。次に行ったとき顔を合わせるとすぐ彼女は、私が名代を買うとは思わなかったと、しんから呆れた眼色を見せた。  こんな話をしたこともある。 「あたしの村の役場の書記さんに、大山さんって人がいたの。大山さんって呼ぶとね、いつも、おう、って返事するの。」 「君のいい人だったの?」 「あら、ちがうわ。法律を勉強していたわ。いちど自転車のうしろに乗せてもらったら、ひっくりかえっちゃって。」  私にはその人がなにか稀な君子人のように思えた。 「僕に似ていたのかね?」  彼女は首を横にふったが、眼は笑っていた。きっとその大山大将は私に似ていたに違いない。  彼女のもとに行くようになって四月ばかり経った頃、私は勤め先きで不首尾のことがあって、ふいに東京を離れなければならなくなった。私は慌しく身の始末をつけて東京を立ち退いた。僻遠の土地で一年を送った。その町の派出所の若い巡査の顔を見て、私はなんだか見覚えがあると思った。そのうちに思い当った。彼女に似ていたのだ。彼女を男にしたような顔だった。眼の感じなどよく似ていたし、口もとは男の顔のうえに見ては流石にやさし過ぎた。私はその巡査を見かけるたびに、可笑しくなってしかたがなかった。一日、パン屋の軒端に佇んで買物をしている姿を見かけた折には、私は不意にはげしい帰郷の思いにそそられた。  私はまた東京に舞い戻ってきた。ある日浅草公園へ行って池の端の露店でミカン水を呑んだら、そこの親爺が私の掌に金を握らせた。見ると一円に対する釣銭の額だった。私はミカン水の価しか金を支払わなかったのだが。私のポケットにはそれだけの金しかなかったのだが。私はびっくりして親爺の顔を覗いたが、親爺はむっつりした顔をしてそっぽを向いていた。私は黙ってそこを離れた。私には親爺が思い違いをしたというよりは、私を憫んで金を呉れたとしか思えなかった。六区をぶらつきながらも、その親爺の彫りの深い一癖ありげな面魂が、しばらくは目のあたりを去らなかった。私はその日暮しの朝夕に身も心も困憊しきっていたのだ。その日私は一日生きのびた。しばらくして私はある新聞店に入って配達夫になったが、そこでようやく尻を落ち着けることができた。その新聞店は彼女のいる廓の裏町にあった。  年が明けた正月の休みの日に、私はふとその気になってK楼へ行ってみた。まだいる筈だった。あの番頭さんがいた。番頭さんも朴歯のお客のことは覚えていた。念のために陳列の写真を覗いてみたら、すぐ見つかった。彼女の写真はお職から二枚目のところに並べてあった。いいおいらんになっているわけだった。私の顔を見ると彼女は、まあ、と云った。 「どうしていたの?」 「東京にいなかったんだ。」 「どこへいっていたの?」 「あちこち旅をしていた。」 「そうお。」  彼女はなにやら考え深そうな眼つきをしてうなずいた。 「この近所へきたよ。」 「近所って?」 「この裏の新聞やにいる。」 「ほんと?」 「ほんとさ。君のとこへ新聞を配達してあげよう。」  彼女はまた思案顔をした。 「なにを考えているんだ?」 「ううん。」  彼女は首を横にふった。  私は廓を配達している朋輩に頼んで彼女のもとに新聞を入れてもらった。  私はまた彼女のもとに行くようになった。ちょっと見なかった間に彼女はすっかりいいおいらんになっていた。鼻のあたまに汗をかいて大正琴を弾いていた稚いふりはもう見られなかった。私には彼女が自分より年うえのような気さえした。私は行くと彼女から娯楽雑誌などを借りて、寝床の中でそれに読み耽り、そのうち眠くなってきて眠ってしまうのがきまりだった。ふと眼をさますと、いつのまにか彼女がきていて、となりで寝息をたてていたりした。新聞やで夕刊配達まえなど、皆んなが店の間に集まって女の話に花が咲くとき、私も人後に落ちまいとして、 「俺の女はいつだって、グウグウ鼾ばかりかいて、眠ってばかりいやがる。」  と披露したら、ふだん遊女の心理には通暁していると自称する朋輩の一人から、 「その女はお前によっぽど惚れているぜ。なかなかのもんだ。おごれ。」  とひやかされ、私はめんくらった。私が首をかしげていると、自分でもおぼつかなくなったのか、 「少くとも、嫌われていないことだけは確かだ。」  と訂正した。その心理家の説によると、遊女というものはよほど好きな男の傍でなければ安眠しないというのだが、果していかがなものであろう。彼女と私の間にはどんな情緒纏綿とした場面もなかったのである。あるとき彼女はこんなことを云ったことがある。 「あたし、はじめの頃、あんたは、いい人との間がうまく行かなくて、それであたしのとこへ来るのかと思っていた。」  とんでもない話で、私にはどんないい人もありはしなかった。けれども彼女のそういう言葉は私にはうなずけた。おそらく馴染客としては、私が初心なわりに気のないのが、彼女にも物足りない気がしたのではないだろうか。  ある日、店の集金人のおばさんから、 「きょう、あんたのいい人を見たわよ。」  と云われ、なんの話かと戸惑っていると、 「なにをそらとぼけているの。K楼の、ほら、あの、なんとかいったねえ?」  と云われて、なんだ、彼女のことかと思った。  私は朋輩に頼んで彼女のもとに新聞を配達してもらっていたが、それはその後やめてしまっていた。それなのに、その月朋輩が勝手にまた新聞を入れて、そのうえ彼女の名宛で領収書を発行したのであった。それでその日なにも知らないおばさんが集金に行ってきたというわけであった。彼女はなにも云わず代金を払ってくれたという。  おばさんはまるで桜の花盛りでもほめるような仰山な口調で、 「綺麗な人だねえ。」 「よせやい。おばさんには敵わねえや。大袈裟だなあ。」 「あら、私はああいう人、好きだね。眼をカギカギといわせてね。」 「なんだい、カギカギって?」 「始終にこにこしているじゃないの。あの人はいいおかみさんになるね。気持もさくいようだし、所帯持ちだって悪くないよ。年が明けたら、あんたもらっておやりよ。」 「なに云ってんだい。」  おばさんは集金の勘定をしながらしきりに彼女のことをほめたてた。私は悪い気はしなかった。それは、云うならば、自分の身うちのいい評判を聞くような気持であった。私はおばさんから煽がれたかたちで、その晩彼女のもとへ行った。  新聞代を払わせたことを気の毒がったら、 「いいのよ。続き物を読んでいるから、続けて入れてもらいますわ。」  と云った。 「集金やのおばさんが君のことをほめていたよ。」 「あら、なんて?」 「別嬪だって。」 「あら、いやだ。」 「君の金の払いっぷりがよかったらしい。」 「なに云ってんのよ。」  私は昼間のおばさんの言葉が念頭にあったので、 「君はどういう人のおかみさんになりたい?」 「どういう人って?」 「たとえば、月給取りとか、商人とか、学校の先生だとか。」 「商人。あたし、お勤め人のとこへはいきたくないわ。」  商人といってもいろいろあるだろうが、それでも私には彼女の気持がわかるような気がした。彼女はおとなしい性質だが、しんには派手な気前が見えたから。亭主の留守をまもっているよりは、ともに働きたい方なのであろう。百姓出の持つ甲斐甲斐しさかも知れない。 「新聞やはなんだろうな。やっぱり商人のくちだろうな。」  彼女は笑ってそれには応えず、 「あんた、なにか勉強しているんでしょ?」 「なにも勉強していない。」  彼女は私の気を兼ねるふうに、 「でも、いつまでも新聞やさんをしているつもりはないんでしょ?」  私はしばらく前、酔興に手相を見てもらったことがあるが、そのときその大道易者は仔細らしい顔をして、四十までは商売換えをしない方がいいと云った。私はその後も思い出すたびに可笑しかったものだが、いま、そのことを口にのぼそうとして、ふと気が変った。私は照れくさいのをこらえ、また彼女から嗤われるかも知れないと気づかいながらも、 「僕は、あの、小説家になりたいと思っているんだ。」  自分の顔が紅葉を散らした如くになったのが、自分でもわかった。私は自分の照れくさい気持に恰好をつけたく、 「ほら、浪六ね、知っているだろう。つまりああいうものさ。」  私はいつぞや彼女から雑誌の代りに浪六の「元禄女」を借りて読んだことがあったのだ。彼女は黙ったままうなずいたが、私が懸念したような侮りの色は見えなかった。 「あたし、前からあんたはなにか勉強していると思っていたわ。」  私を買い被ってくれていた人が、思いがけないところにいたというわけなのである。  夏のこと。  私も酒を嗜む。盃に三杯が適量である。その日は少し呑み過ごした。店で朋輩たちと酒盛りをして、集金のおばさんから勧め上手にさされるままに、うかと盃の数を重ねてしまったのである。私は忽ちにして酒呑童子の如き面構えになった。そのふりで私は出かけていった。彼女は噴き出した。 「まあ、大へんな呑み手なのね。」 「それほどでもないがね。きょうは酌がよすぎたんで、少し過ぎたようだ。」 「いいとこへ連れてってあげましょう。涼しいわよ。少し風に吹かれるといいわ。」  いいとことは物干し場であった。なるほどそこはよかった。涼しい風が吹いていた。深い夜空の下に、廓の屋根屋根を越えて、遠くに浅草の灯さえ見えた。 「いいね。パラダイスじゃないか。」 「涼しいでしょ。あたし、よくここへ涼みにくるの。ちょいと、ここへ来てごらんなさい。あんたのお店が見えてよ。ほら、ね。」  背のびして眺めると、彼女の指さすさきに、わずかに店の屋根と看板が見えた。 「おや、君、指輪をはめているね。」 「ふふふ。」  私は彼女の差し出した手をとって、 「ダイヤか?」  彼女はうなずいて、そうしてぽつんと云った。 「妻の形見だって。」 「ふうん。」  私は酔っている頭で、いつぞや彼女が口にした商人という言葉にその指輪を結びつけて考えた。夜半、私はひどいていたらくになった。食べたものを、すっかり戻してしまった。彼女は私の介抱に大童であった。夏の夜は早く明けて、私はまだぐったりしていた。そのうち店から朋輩が迎えにきた。私には朝刊の配達という義務が控えているのである。私は思わず弱音を吐いた。 「ちえっ、つれえ商売だな。」 「あら、そんなこと云ったら、あたしの方がよっぽど、つらい商売じゃない。」  そうして彼女は云った。 「あんた、もう、来てくれないんじゃない?」  私は単に腹痛を堪えるために険しい表情をしていたのに過ぎないのだが、それが彼女にそうした不安を抱かせたのであろう。つらい商売と云わなければなるまい。  その朝私はどうにか配達をやり了せた。  秋になって。  そのとき寝床に腹這いになって、二人で映画雑誌に眼を晒していたら、ふいに彼女が、 「ねえ、あんた。」 「なに?」 「あたし、ねえ、あさって、ひまがもらえるんだけれど、あんた、どこかへ連れていってくれない?」 「お客と出かけてもかまわないのか?」 「ええ、かまわないの。失礼だけれど、お金のことは心配していただかなくともいいのよ。ね、連れていってくれない。」 「だしぬけだね。」 「あんた、いやなの。」  その声音に思わず顔を覗くと、ふとそむけたが、 「お店の御都合が悪い?」  振りむいた顔も声も平静なので、なにやらほっとして、 「そうだね。いってもいいが、どこへ行く?」  彼女もすぐ笑顔になって、 「あたし、ねえ、まだ日光を見たことないの。」  そう云う彼女は小学校の女生徒のように思われた。 「僕も見ていないんだ。じゃ日光へ行くか。」 「連れていってくれる。」  そうして彼女ははにかんだ口調で云った。 「日光を見ないうちは、結構って云うなって云うでしょ。」  その日私は頭から足のさきまで、店の主任の服装を借着して出かけた。彼女は上にコートを着て、頭は初めて見る洋髪に結っていた。なにかぴったりした感じだった。よく似合う、と云ったら、私の借着の背広姿をほめて、髪をのばして分けたらいいと思うと云った。日光に着いてすぐ東照宮へゆき、案内人に説明してもらいながら見て廻った。陽明門の前では、彼女は感嘆の声をもらし、満足の表情でしばらく佇んでいた。私たちは湯元へ行って一泊するつもりであったのだが、東照宮で手間どって、中禅寺湖に着いたのは、湯元行の最終バスが出発した直後であった。しかたなく湖畔の宿屋に泊った。宿帳に私は新聞販売業としるし、彼女のことは、妻すみとしるした。すみというのは彼女の戸籍名である。翌朝湖畔を散歩した。持って帰るというでもなく、花を見れば彼女は手折った。洋品やで彼女は足袋を買い履きかえた。土産物をいろいろ買った。彼女は極大のわさび漬の土産を手に取って、「これ、お店の方にどうかしら?」と私の顔を見た。理科の参考にでもなるような野生植物の栞を求めたので、そんなものをどうするのだと云ったら、「しづちゃんにあげるの。」と云った。その言葉が、一滴の水のように、私の心の中に波紋をひろげた。私はそのときそれ以上を訊ねなかったが、楼主の娘に女学生でもいたのかも知れない。帰りが急がれたので、華厳の滝は見ずにしまった。私たちはゆきは電車で行ったが、かえりは彼女が提案して汽車で帰った。浅草へ寄って蕎麦を食べて、廓の入口まできて別れた。彼女は「いろいろ有難う御座いました。」と云って丁寧に頭を下げた。  四、五日過ぎて私は廓を配達している朋輩から意外な事実を知らされた。彼女は身請されて廃業したという。朋輩が夕刊を配達してK楼にきたら、番頭さんが新聞の配達を中止してくれと云い、そのことを告げたのだという。朋輩は驚いている私を尻目にかけ、 「河岸をかえるんだな。俺がいい妓を世話してやる。」  と云った。  私はやくざな懶け者で、いまなお根っからうだつがあがらない。茨の道に行き悩んでは覚束ない命脈の行末を思い、また自分をあさましく感じることがある。そういうとき、私は思わず呻き声をあげる。その呻き声の一つにこういうのがある。「しづちゃんにあげるの。」私はそれを娑婆への告別の辞の如くに呟くのだ。 底本:「落穂拾い・犬の生活」ちくま文庫、筑摩書房    2013(平成25)年3月10日第1刷発行 底本の親本:「小山清全集」筑摩書房    1999(平成11)年11月10日発行 初出:「人間 秋季増刊号」目黒書店    1949(昭和24)年11月1日発行 入力:kompass 校正:酒井裕二 2018年12月24日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。