日本婦道記 尾花川 山本周五郎 Guide 扉 本文 目 次 日本婦道記 尾花川 一 二 三 四 五 一 「そういう高価なものは困りますよ、そちらの鮒を貰っておきましょう」  書庫へ本を取りにいった戻りにふとそういう妻の声をきいて、太宰は廊下の端にたちどまった。相手はいつも舟で小魚を売りに来る弥五という老漁夫らしい、「そんなことを仰しゃらないで買って下さいまし、こちらの旦那さまにあがって頂こうと思って、ほかの家の前を素通りして持って来たんですから」諄々とそういうのが聞えた。 「とにかく鮒なら貰います、よかったらいつもほど置いていらっしゃい」 「さようでございますか、あてにして来たんですがな、少しでも買って頂きたいんですが、値段だってこちらさまで高いと仰しゃるほどじゃあございませんでしょう」  老人はなおぶつぶつ云っていたが、間もなく、魚籠を担いで厨口の方から出て来た。そこから庭つづきに湖へ桟橋が架け出してある。その脇の枯蘆の汀にもやっている老人の小舟がみえた。 「おい弥五」太宰は廊下から呼びかけた、「今日はなにを持って来たのだ」 「ああ旦那さま」老人はびっくりして頬冠りをとった、「……なに珍らしくひがいが獲れたものですからね、御好物だと聞いたもんで持ってあがったんですが」 「それは久しぶりだな、どのくらいある」 「ほんの四五十もございますかね」 「みんな貰っておこう」妻のほうへ聞えるようにかれはそう云った、「……それから弥五、おまえ正月の鴨を持って来なかったようだがどうしたのだ」 「へえ、それはその、なんです」  老人は困ったような顔つきで、もじもじと厨口のほうを見やった。太宰はやっぱりそうかという気持で思わず声が高くなった。 「約束したら持って来なければだめではないか、もう手にはいるあてはないのか」 「あての無いこともございませんが、なにしろもう数が少のうございますでね」 「四五日うちに客があるからなんとか心配して呉れ、骨折り賃はだすから、いいか」  そう云って太宰は自分の居間へ戻った。  この屋敷には珍らしく客の無い日だった。一人だけ鹿島金之助という宇都宮藩の青年がいるけれど、これは四十日ほどまえからの滞在でかくべつ接待の必要もない、こういうときこそゆっくり本も読もうと思い、久方ぶりに書庫から二三持ちだして来たのだが、さて机に向かってみると気持のおちつきが悪かった。……厨でことわったひがいをわざと呼び止めて買った自分の態度も、むろん不愉快であるが、このひと月あまりのうちにどことなく変ってきた妻の挙措が、あれこれと新らしく思い返されて心が重くなるのだった。  かれの本姓は戸田氏である、近江のくに膳所藩の老臣戸田五左衛門の五男に生れ、三十歳のとき園城寺家の有司池田都維那の家に養嗣子としてはいった。妻の幸子はそのとき三十二歳だった、かの女も彦根藩の医師飯島三太夫のむすめで、幼少のとき池田家の養女となり太宰を婿に迎えたのである。……幸子は肥りじしのゆったりとしたからだつきで、口数の少ない、はきはきとしたなかに温かい包容力をもった婦人だった。年齢からいっても気性からいっても、老臣の五男に育った太宰には初めから姉という感じで、幸子がどうつとめても、否つとめればつとめるほど、かれは言葉ではあらわしようのない一種の圧迫を受けるばかりだった。池田都維那は間もなく園城寺家を致仕し、大津尾花川の琵琶湖に面した土地に屋敷を建て、多くの田地山林を買って隠棲したが、いくばくもなく世を去ったので、その遺産はすべて太宰の継ぐところとなった。かれは養父の死後ほどなく姓を河瀬と更え、聖護院宮に仕えてその有司となったけれど、世上のありさまはその頃からにわかに変貌しはじめ、頻々たる異国船の渡来とともに、国の隅々からわきたつ「尊王攘夷」の声は、かれをも宮家の一有司たる位置から奮起させずにはおかなくなっていた。  太宰が国事に奔走するようになると、尾花川の家にもしたがって客の往来が繁くなった。そこは市街から離れているし、琵琶湖の水を前に如意ヶ岳を背にした閑寂なところで、「采釣亭」となづける屋敷構えも広かったから、同志の会合にもうってつけだし、幕吏の追捕をのがれる者にはいい隠れ場所だった。……幸子は良人のこころざしをよく理解した、家政をあずかっているかの女は、良人が同志へ貢ぐかなり多額な金もこころよく出したし、客があればいつでもできるだけ篤くもてなした。肥えた膚の白い、ゆったりとしたからだつきと、いかにも温かそうな微笑を湛えた面ざしと、口数の少ない、けれど心のこもった接待、と……幸子のすべてが、尾花川の家をおとずれる人々の心をとらえた。「ここへ来るとわが家へ帰ったようだ」客たちはよくそう云った、「まったく百日の労苦が一夜で癒される」 二  こうして往来する志士たちから敬愛と感謝の的になっていた幸子が、この頃どことなくようすが変ってきたのである、客があって酒宴になっても以前のように下物の品数がそろわない、豊かな琵琶湖の鮮をひかえているのに、焼き鮒とか干魚とか漬菜などという質素なものが多くなった。酒も少しまわったかと思うと黙って食事にしてしまう、「まだ飯には早い」と云えば、「あいにくもう御酒がきれまして」と答えはきまっていた。……この数年は出費の嵩む生活がつづいた、けれども亡父の遺して呉れた資産に比べればたかの知れたものだし、尊王倒幕の事のためには、その最後の一銭まで抛つ覚悟ができていた、むろん妻もそれは承知の筈だったのに、どうしてにわかにそう変ったのか。客の接待だけではない、家常茶飯すべてのことが眼立ってつましくなった、まえから幸子は召使たちといっしょに食事をする習わしだったが、近頃の菜はおもに焼き味噌と香の物だという、……つましいというよりも寧ろ吝嗇にちかい変り方である、太宰にはそういう妻の気持がまったくわからなくなっていた。  机に向かって書物を披いたまま惘然ともの思いに耽っていた太宰は、「お客来でございます」という妻の声でわれに返った、「泉さまがお二人ほど御同伴でおみえになりました」かれは「よし」と頷いたがすぐに妻を呼びとめ、「先刻のひがいで酒の支度をしてまいれ」そう云って立ちあがった。  客は泉仙介という越後のくに村松藩の志士で、かれとは最も親しく往来しているひとりだった。 「久濶のみやげに同志をひきあわせよう」仙介は日焦けのした顔をふり向け、太宰が坐るのを待ちかねたように云った、「こちらは讃岐の井上文郁、それに長谷川秀之進だ」 「長谷川というと」会釈が済んでから太宰はそう訊ねた、「長谷川宗右衛門どのとなにかご血縁にでもお当りですか」 「宗右衛門の伜です」秀之進となのる青年はふと眼を伏せるようにした、「……うちあけていうと庶子なのですが」  宗右衛門長谷川秀驥は高松藩でも指おりの勤皇家である、その秀驥の子と聞いて太宰はひじょうに興を唆られた。泉仙介はすぐ要談をはじめた、それは若狭の梅田源次郎らを中心に同志を糾合し、彦根城を奪取して倒幕の義兵をあげようというのである。高松藩でも長谷川秀驥が周旋しているし、できるなら水戸の藤田東湖を通じて斉昭侯まで動かす計画だという、……尊王攘夷の論がようやく攘夷倒幕という直論に向かってきた現在、誰かがなにごとかを事実において示さなければ道は打開しない、それは太宰にもよくわかった。けれどもいきなり彦根城奪取ということには賛同できなかった、それでながいことかなり烈しい議論が応酬されたが、やがて灯がはいり、酒肴がはこばれたので、主客はひとまず論諍をうち切ってくつろいだ。 「このまえ来たときにいたあの宇都宮の若者はどうしたかね」盃を手にしたとき泉仙介がふと思いだしたように云った、「……脱藩の罪で追われているとかいった、鹿島なにがしとかいう名だったと思うが」 「まだいるよ」太宰もそう云われて思いだした、「話にまぎれて忘れていた、呼んで諸君にもおひきあわせしよう」  すぐに離れのほうにいる鹿島金之助を呼びよせた。井上と長谷川は初対面なので互いに名乗りあい、賑やかに盃がまわりだした。……そうして半刻も経ったであろうか、長谷川秀之進がちょっと改まった調子で鹿島金之助に呼びかけた。 「あんたは宇都宮だそうだが、岡田真吾をご存じですか」 「ええ知っています」金之助は眩しそうな眼をした、「……よく議論をしました、あんな酒好きな男もないです、わたしも呑みますけれども、あの男は」 「いや酒なんかどっちでもいい」秀之進はきゅっと眉を寄せた、「それでは松本錤太郎はどうです、やっぱり知己ですか」 「知己というほどではありませんが」  なんのためにそんなことを諄く訊くのかわからなかった。太宰はそれよりもさっきから酒がきれているので、またいつものように黙って食事にするつもりかと思い、もしそうなら今夜こそ云わなければならぬと少し苛々していた。するとふいに秀之進が「ご主人」と改まった調子で呼びかけた。 「この男はいけません」秀之進は指で金之助をさし示しながら云った、「こいつは偽志士です、追っぱらっておしまいなさい」 「偽志士……」太宰にはちょっとその意味がわからなかった、「それは、しかし……」 「つまり尊攘派の志士という触れこみで食って歩くやつです、宇都宮藩士だとか、脱藩して追われているとかいうのはみんな嘘っぱちのでたらめです」 三 「こいつには去年いちど高松で会っているんです」秀之進はつづけて云った、「そのときは仙台藩士だといっていましたが、ちょうど白石の者がいあわせたものでばけの皮が剥げました、この頃こういうやつが諸方へあらわれるからご注意を要しますよ」 「それは本当か」太宰よりさきに泉仙介がにじり出た、「おい、きさまそれは事実か……」  鹿島金之助は蒼白くなった面を伏せ、ぶるぶると戦く手で袴を掴んだまま黙っていた、それは紛れもなく罪を告白する姿だった。 「事実だな」というと仙介は大剣へ手を伸ばした、「よし外へ出ろ、そんな者は生かしては置けぬ、斬ってやる、出ろ」  そうだ斬ってしまえと井上も叫んで立った、襖の向うで聞いていたのであろう、そのとき幸子が「お待ち下さいませ」といいながら足早にはいって来た。 「ようすはあらまし伺いました、女の身でさしでがましゅうはございますが、ご成敗……というのは少しいかがと存じます。恐れいりますがわたくしに任せては頂けませんでしょうか、当家にも至らぬところがあったのでございますから……」  そう云って間へ割ってはいると、すばやく金之助を立たせ、巧みにその座敷から伴れだしていった。こちらも本気で斬るつもりはなかったのだろう、「こんど会ったら首を貰うぞ」とどなりつけたが、それ以上は追いかけてゆくようすもなかった。  青年を別間へつれていった幸子は、そこで食事を出してやったが、かれは箸をとらないで、「申しかねますがこれで結飯を作って頂けませんか」と云った、「結飯はべつに作ってあげますからこれはこれで召しあがれ」幸子はそう云って、自分で厨へゆき、握り飯を作って包んだ。どのような想いに責められているのだろう、かれは震える手で箸をとったが、ほんの口を付けたというだけでやめた。幸子は黙って見ていた、かれは幸子に見られることが堪えられぬようすで、結飯の包みを受取るとすぐ、「支度して来ますから」と離れのほうへ立っていった。  幸子はあと片付けを命じておいて自分の部屋へはいり、手文庫から幾許かの金をとりだして紙に包んだ。元の室へいったが青年は戻っていないので、玄関へ出てみた、それから急ぎ足に離れへいった。灯の消えた暗い部屋の中には、一枚だけ開いている障子の隙間からひっそりと月がさしこんでいた。かの女は走るように戻って来ると、召使の者に客間へ食事を運ぶように云いおいて、自分はそのまま外へ出ていった。  結飯の支度をたのんだからには大津へ出るのではない、坂本から叡山へでもゆくつもりに違いない、幸子はそう信じてあとを追った。はたしてそうだった、もう霜がおりたとみえ、月光をそのままむすんだように、白く凍てている道を小走りにゆくと、尾花川の細い流れを渡ったところで追いついた。「お待ちなさい」幸子がそう呼びかけると青年はちょっと逃げだしそうにした、けれどすぐに立ちどまった。 「わたくしのこころざしです」幸子は持って来た金包みをかれの手に与えた、「今はなにも申上げません。もういちどお会いしましょう、……ようございますか、もういちど此処へ訪ねていらっしゃるんですよ、誰にも恥じぬ人になって、……お約束しますよ」  金包みを握ったままうなだれている青年は、いきなりよろめくように道の上へ坐った、そして腕で顔を掩って泣きだした。幸子は手を伸ばしかけて止めた、……ほど近い尾花川の瀬音が、冰るようにさむざむと夜気をふるわせている、くいしばった歯の間から、切々ともれる青年の慟哭のこえが、その瀬音に和していたましく耳にしみついた。 「云ってあげたいこともありますし、うかがいたいこともあります」幸子はやがてしずかにそう云った、「けれどそれはこんどお眼にかかるときにしましょう。あなたはきっと御国のために役だつりっぱな武士におなりなさる、わたしはそう信じていますよ、……今夜の、その涙をお忘れにならないで、ようございますね」  それだけ云うと、噎びあげている青年をあとに幸子はそっと踵を返した。  家へ帰って門をはいると、前庭のところに誰か立っていた。暗いのでぎょっとしたが、すぐに良人だということがわかった。 「どこへいった」太宰は低いこえで訊いた、「鹿島を追っていったのか」 「はい、……」 「金を持たせてやったのだな」  幸子はもういちどはいと云って俯向いた、太宰は「あとで話がある」そう云い残して、さっさと家の中へはいっていった。  その夜かなり更けて、客たちが寝所へはいってから幸子は良人に呼ばれた。小さな火桶を間にして、さし向いに坐ると、太宰はながいこと黙っていたが、やや暫くして「金はどれほどやったのか」と口を切った。 四 「勝手ではございますが十金さしあげました」「……おれにはわからない」太宰は酔の残っている顔をきゅっと歪めた、「どういうわけか、このところ来客に出す酒肴もみすぼらしいほど粗末になった、家内の食事は焼き味噌に菜漬だということも耳にする、……それほど倹しくするおまえが、あのような騙り者に十金という分に過ぎた金を呉れてやる、いったいこれはどういう意味なんだ」 「さしでた事を致しましてまことに申しわけがございません」幸子はつつましく頭を垂れた、「今後はよく気をつけますゆえ、どうぞこのたびはおゆるし下さいまし」 「あやまれというのではない、どういう意味かを訊いているんだ」太宰は苛だたしさを抑えつけるような調子で問い詰めた、「近頃の吝嗇とも思える仕方と今宵の十金とはどういう区別から出たのか、おれはそれが知りたいんだ」 「……あの若者を」と幸子は面を伏せたままようやく答えた、「あのまま放してやってはいけないと存じました、これまでは世を偽っていたかも知れませんけれど、偽るにしても攘夷倒幕を口にするほどですから、導きように依っては必ず同志のひとりになると存じます、……御国のためにはいまひとりでも多く、身命を惜しまぬもののふが必要なときでございます」  凍てた道の上に坐って、面を掩って泣いていた青年の姿がまざまざと眼にうかぶ、あの涙だけは偽りではない、幸子にはそれが痛いほどもよくわかっていた。 「そのおなじ気持を」と太宰はさらに追求した、「……おなじ気持をこの家へ来る客たちに向けることはできないか、みんな家郷を棄て親兄弟を棄てて国事に身を捧げる人々だ、名も求めず栄達も望まず、王政復古の大業のために骨身を削る人々だ。できない事なら仕方がないが、幸いこの家にはそこばくの資産がある、たち寄る人々に、せめて心を慰めるだけの接待をするのは寧ろわれわれのつとめではないか、……ここへ来ると百日の労苦を忘れる、あの人々がそう云うのを聞いた筈だ、鹿島に恵むその気持があるなら、どうしてこれまでどおりの接待ができないのか」 「わたくし、……できるだけ致しているつもりでございますけれど、ふつつか者でございますから……」 「言葉をくるんではいけない」太宰はするどく遮った、「……もうおまえもつずやはたちの若さではないんだ、云うべきことははっきり云うがいい、それに依ってはおれにも少し考えがある、今夜こそ本心を聞くぞ」 「そんなに仰せられましては、わたくしなんとお返辞を申上げてよいやらわかりませぬ、けれど、……」幸子はふかく頭を垂れ、ながいこと悲しげに自分の膝をみつめていた、しかし「おれにも考えがある」という良人の言葉はぬきさしならぬ意味をもっている。幸子はそのひと言で追い詰められるように思い、やがてしずかに語を継いだ、「……けれど達てのお言葉ゆえ申上げます。去年の極月はじめでございましたか、長州藩の広岡さまが二日ほどご滞在あそばしました」 「広岡晣は泊った、それで……」 「わたくしおそばでご接待を致しましたが、お話が禁中御式微のことに触れました」  幸子はそこで両手を畳へおろし、太宰は正坐して衿をただした。 「かずかずおそれおおい事のなかに、……さる年のはじめ、御祝賀の賜宴に臨御あらせられた主上には、御吸物の中より御箸をもって焼き豆腐をおとりはさみあそばされ、ことしの鶴はこれぞ、さよう仰せ下されましたと……」ぐっと喉へつきあげてくるものがあって幸子はしばらく言葉がつづかなかった、「……毎年、御佳例の鶴の御吸物が、大膳職においてどのようにも御調進奉ることがかなわず、申すもおそれおおき限りながら、焼き豆腐をもって鶴にかえ奉ったとのことでございました。また、……さきごろ所司代酒井若狭守(忠義)どのが参内いたし、おすべりとやら申上げまする、主上御箸つきの御膳部を賜わり、異例の光栄に恐懼して頂戴仕りましたところ、鯛の焼物が腐っていて口にいれることができず、いかにやと心易き殿上人に訊ねましたら、……儀式として鯛はきまったものながら大膳職の御経費に乏しきため鮮鯛を奉ることかなわず、主上にも御箸はつけたまわぬとのこと……」  幸子は両手をついたまま嗚咽をのんだ、太宰の膝に置いた手もぶるぶると顫えた。雁がわたるのであろう、更けた夜空を高く啼き過ぎる声が聞えた。 「一天万乗の君にして、かくばかり御艱難をしのばせたもう……広岡さまのお話を伺いながら、わたくしは身を寸断されるようにおぼえました。国事に身を捧げる志士の方々、日夜の御辛労はどれほどか、この家へおたち寄り下さるときくらいは、身にかなうだけおもてなしをして、せめて一夜なりとも心からご慰労申したい、そう考えて至らぬながら酒肴の吟味もしてまいりました、……けれども広岡さまのお話を伺いましたとき、『できるからする』という気持がゆるしがたい僭上だということに気づきました。禁中におかせられてさえかくばかりの御艱難をしのばせられるおりから、下賤のわれらが酒肴の吟味などとは……口にするだに恥じなければならぬことでございました。まして今は非常のときでございます、ひともわれも、できるだけ費えをきりつめ、あらゆるものを捧げて王政復古の大業のお役にたてなければなりません。おこがましい申しようではございましょうけれど、わたくしそう存じまして……」 五  広岡晣の話は太宰もまざまざと記憶にある、そのとき身内に燃えあがった忿怒の情も忘れない、だが今おなじことを妻の口から聞き、かれは骨を噛み砕かれるような悔恨にうたれた。  ──禁中御式微のことを申上げながら、おのれらは酒をくらい美食を貪っていた。  その事実にはいかなる抗弁もゆるされない、志士であることは特権ではないのだ、寧ろどんな人間よりも謙虚に、起居をつつしみ、困苦欠乏とたたかって、大業完遂の捨石にならなければならぬ筈だ。太宰は低く呻いた、……そして暫くは面があげられなかった。 「幸子、おれは明日ここを立つ」なにか心に期したというように、やがて太宰は妻をかえりみながら云った、「こうして湖畔に安閑としているときではなかった、明朝……泉たちといっしょに京へのぼる、これ以上はなにも云えない。さっきからの言葉は忘れて呉れ」 「わたくしこそ、おこがましいことを申し過しました、どうぞお聞きのがし下さいませ」  女の幸子でさえ、広岡の話を聞けばすぐ事実にうつして身をつつしむ、悲憤慷慨に時を費やしているときではない、……そう云っては違うかも知れない、今かれを奮起させたのはもっと本質的な情熱であろう、しかし人間が大きく飛躍する機会はいつも生活の身近なことのなかにある、高遠な理想にとりつくよりも実際にはひと皿の焼き味噌のなかに真実を噛み当てるものだ。 「……弥五が鴨を持って来るかも知れない」太宰はしずかに微笑しながら、「済まないがいいように云って断わって呉れ」 「いいえ」幸子も頬で笑った、「せっかくお申付けになったものですし、明朝お立ちあそばせば暫くはお帰りにもなれませんでしょう、久しぶりに手料理を致しますから……」 「しかし明日の朝では間にあうまい」 「もう夕刻に持ってまいりました」  それは弥五の手まわしがいいなと、太宰は呆れたように笑ったが、ふとかたちを改めて、「いやいかん」と首を振った。 「鴨はよそう、……」 底本:「山本周五郎全集第二巻 日本婦道記・柳橋物語」新潮社    1981(昭和56)年9月15日発行    1981(昭和56)年10月25日2刷 初出:「婦人倶楽部」大日本雄辯會講談社    1944(昭和19)年4月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:酒井和郎 2019年4月26日作成 青空文庫作成ファイル: 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