編輯室より(一九一四年一一月号) 伊藤野枝 Guide 扉 本文 目 次 編輯室より(一九一四年一一月号) □永い間不如意な経済の遣繰りや方々の書店との交渉やそれからまだ外の細々した面倒な仕事と雑誌の編輯で疲れきつたらいてう氏は十月十二日に千葉県の御宿村へ行つた。後に残された私はそれ等の仕事をすつかりしなければならなかつた。二ヶ月位はどんな苦しいことでも忍ぶ義務があるとらいてう氏は十一日に私が社に行つたときに笑ひ笑ひ云つた。私も苦しむでも仕方がないと思つた。 □けれども実際やらなければならないとなつて見ると大変だ。私はすつかりまごついてしまつた。相談する人もない。加勢をたのむ人もない。こんな時に哥津ちやんでもゐてくれるとなど愚痴つぽいことも考へる。広告をとりにゆく、原稿をえらぶ、印刷所にゆく、紙屋にゆく、そうして外出しつけない私はつかれきつて帰つて来る、お腹をすかした子供が待つてゐる、机の上には食ふ為めの無味な仕事がまつてゐる。ひまひまを見ては洗濯もせねばならず食事のことも考へねばならず、校正も来ると云ふ有様、本当にまごついてしまつた。その上に印刷所の引越しがあるし雑誌はすつかり後れそうになつてしまつた。広告は一つも貰へないで嘲笑や侮蔑は沢山貰つた。私はすべてのことを投げ出したくなつてしまつた。 □そんな訳なのでこの号は本当に間がぬけて手落ちがあるけれどこの号丈けはどなたにもがまんして頂きたい。その代りに来月号はもう少し一生懸命にやります。交換広告も此度はすつかり止しました。原稿をお送り下すつた方には此処でおわびいたします。 □安田皐月さんが白山前町三八に水菓子店を開業なさいました。皐月さんの愛嬌がいゝ為めか繁昌してゐます。果物もたいへん結構です。殊に林檎や梨は本場の一粒選りださうです、少々遠くても品物を持つて売りにお出掛けになるそうですから何卒皆さまお得意になつて下さいまし。 □哥津ちやんから何か頂ける筈でしたが今月は駄目でした来月号には屹度おかき下さるさうです。私も何か長いものを書く気でゐました処前のやうなわけで忙しくて遂々書けませんでした。子供のお守りの時間を利用して書くのですからなか〳〵まとまつたものも書けません、来月号には屹度この編輯が済み次第書いて置くつもりです。 □大杉荒畑両氏の平民新聞が出るか出ないうちに発売禁止になりました。あの十頁の紙にどれ丈けの尊いものが費されてあるかを思ひますと涙せずにはゐられません、両氏の強いあの意気組みと尊い熱情に私は人しれず尊敬の念を捧げてゐた一人で御座います。ふとして私は新聞を読むことが出来ました。 □両氏の偉大なる熱情と力が全紙面に躍動してゐるのがはつきり感じられる、書かれた事は主として労働者の自覚についてゞある。私は書かれた理屈が労働者ばかりについてゞなくすべての人の上に云はるべきものであると思ふ。そしてそれが労働者についてのみ云はるゝときに限つて何故所謂その筋の忌憚にふれるのか怪しまないではゐられない。あたり前なことを云つて教へることが何故にいけないことなのだらう、私は此処に出来ることならその一部丈けでも紹介したいけれどもあの十頁すべてが忌憚に触れたのださうだ。だからまた転載した罪をもつて傍杖でも食ふやうな事になると折角私が骨折つて働いたのが無駄になるから止めて置く。けれども大杉荒畑両氏には心から同情いたします。何だか空々しく変に聞えますが今の処他に言葉が見あたりませんから。 □寄贈の書籍がありますが一々読んでゐるひまがありませんので今月号では残念ながら御紹介が出来ません、来月は私がもし駄目のやうでしたら御宿に送つて平塚氏にでも書いて頂いて是非紹介いたします。何卒あしからず御承知下さいまし─御寄贈下さつた方々に─ □本当に手落ちばかりで申訳けがありません終りにもう一度平身低頭お詫びを申して置きます。 [『青鞜』第四巻第一〇号、一九一四年一一月号] 底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1──『青鞜』の時代」學藝書林    2000(平成12)年5月31日初版発行 底本の親本:「青鞜 第四巻第一〇号」    1914(大正3)年11月号 初出:「青鞜 第四巻第一〇号」    1914(大正3)年11月号 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。 入力:酒井裕二 校正:雪森 2016年9月9日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。