諜報中継局 海野十三 Guide 扉 本文 目 次 諜報中継局 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10  問題の「諜報中継局Z85号」が、いかなる国家に属しているのか、それは今のところ詳かでない。  しかしこの諜報中継局が、アメリカの政治首都ワシントンと経済首都ニューヨークを含む地域内に潜伏していることだけは確言できる。そして局の位置は、たえず移動をつづけているようである。ある日の午後は、軍需倉庫の一隅にあるかと思えば、その翌日の早朝にエンパイヤハウスの三十七階の一室にあるという具合に、始終移動をつづけている。  その局には、アメリカ各地からの諜報が、ひっきりなしに集ってくる。その諜報は、アメリカの軍関係事件だの重要会談だの大ものから始まり、巷の民衆の声までを集録している。  その頃、この地域に、うつくしくてちょっと面白い花壜が流行した。その花壜は、壁にぺたり吸いつく花壜であった。釦が二つついていて、花壜の平な側を壁におしつけ、上の釦をぽすんと押すと、花壜は壁にぴたりと附着する。そうなった限り、大の男が花壜に手をかけて、汗を流して花壜を壁からはがそうとしても、決して離れない。  それを離すためには、下の釦をぽすんと押すしかない。そうすると花壜は石のように下に落ちていく。  この魔法じみた花壜は、要するに花壜と壁との間に真空をつくり、その真空ゆえに花壜は落ちないで壁にくっついているのであった。有名な真空の実験に、「マクデブルクの半球」というのがある。二つの半球を合わして、中を真空にし、この半球に別々に馬数頭をつけ、右と左とに引張らせたが、遂に二つの半球を引放すことは出来なかった。ことほど左様に、真空の力は偉大である──というのであるが、ここでは真空応用の壁かけ花壜が主たる問題なのではなく、この流行花壜をZ85に属するスパイ達が盛んに利用しており、そして彼等の利用している流行花壜の中には、精巧なる小型録音機が隠されてあり、壁を通して隣室の話声を悉く録音するという恐るべき力を持っていることについて御注意を喚起しておきたい。  実に、以下集録するところの会話は、そういう盗聴道具を利用して録音し得た結果なのである。といって、そのすべてをここに集録できないので、日本に関係のあることだけを並べてみる(以上、元Z85局付85713記す)。 1  西暦千九百四十四年十一月○日午前二時、大統領私室に於て。大統領と〝影〟の大統領ゼルコフとの会談──。 ゼルコフ「一体どうするんだね、この始末は……」 大統領「どうするもないさ。余は余の既定方針に基き、それを強行するまでだ」 ゼルコフ「ちょっと待ってくれ。余の既定方針強行は元気があってよろしいが、しかし実際はどうなんだい。わが艦隊の損害は少くないぞ。ダイホンエイ発表なんか、かなり遠慮して発表してある。それにも拘らず国民は騒いでいる。もし本当の損害を国民が知ったら、どういうことになるだろう」 大統領「小出し発表、遅延発表でないかぎり、国民を無用に失望させてよろしくない。真珠湾で、それはもう試験ずみだからね。今度も、その方式でやっている。これが最善の方法だ」 ゼルコフ「宣伝方法を問題にしているのではない。わが艦隊の弱体化の影響について、君の反省を促しているんだ。今はまだ目に見えて戦局に影響していない。それは今回の総力比島攻撃に用意した物量が非常に大きかったから、その惰力で今は敵を押しているのだ。しかし後二週間経ち三週間経つと、この影響は深刻に戦闘力の上に加わってくる。君は、太平洋に同胞のミイラを多数製造するつもりではなかろうな」 大統領「わが物量は、日本の生産数量に比し、絶対に圧倒的である。余は物量を以て、完全に日本を屈服させ得るという信念を今もって堅持している」 ゼルコフ「困った信念だ。そういう信念は、対日戦の現段階に於て、一日も早く訂正さるべきだ。日本軍及び日本国民を物量だけで屈服せしめることは出来ないのだ。敢えて訊くが、日本軍の体当り戦法に対して、われは適確なる防禦を未だに持っていないではないか」 大統領「適確なる防禦法は、豊富なる物量を持って押すことだ。攻めるも護るも、これで押徹せばよいのだ。遅疑逡巡すれば、そこに破綻が生ずる。君がそういう国家の不利益を、この上もたらさないことを望む」 ゼルコフ「なんだって。そんなぼんくらな考えで大統領でございと納っていられてたまるものか。おれはこれを委員会へ警告しておくからな」 大統領「それは御随意に。余が大統領である以上、それを余の最善と信ずる方向へ向けるのは蓋し当然のことだ」 ゼルコフ「待て。きさまを大統領にしたのは誰だか知って居ろう。国民じゃないぞ。われわれの委員会だぞ」 大統領「余は大統領である。誰が余を大統領に選定したにしろ、余は大統領たるの職権を信ずるところに従って振うばかりである」 ゼルコフ「きさまは気が変になっているんだ。さもなければ、そんなことをいうはずはない。おれたちを怒らせて、何を得るか、分っているはずだ」  ゼルコフ退場し、扉が閉まる。ブザーが鳴る。秘書カスリン女史が入ってくる。 秘書「大統領閣下……」 大統領「おう、ミス・カスリン。医師を呼んでくれたまえ。疲れを直す注射を、すぐやってもらいたい。今日はひどく疲れた」 秘書「はい、只今」  秘書電話機を取上げ、医師を呼ぶ。すぐ来るという返事があった。これを大統領に通ずる。 秘書「御用はこれで……」 大統領「ない。またゼルコフが来るかもしれん。来たら、病気で寝ているといってくれたまえ」 秘書「はい、かしこまりました、われらの閣下。あのう、ゼルコフは、さっきぷんぷんして戻っていきました」 大統領「ふん。なんといったって、大統領となってしまえばこっちのものだ。国民はわしを支持しているのだ。国民は、わしが世界の帝王になることを望んでいるのだ」  突然ゼルコフが、この部屋へ闖入してくる。 ゼルコフ「おい大統領。言い残したことがある。君は君の政策戦略に責任を持つね」 大統領「御念に及び申さぬ」 ゼルコフ「もし失敗したらどうする。そのとき君は責任を執って辞職するか」 大統領「はい、そのときは責任を執りまする。りっぱに責任を……どうぞ委員会の紳士方へよろしく」 ゼルコフ「なにい。(傍白)大統領のやつ、少し折れて来たかな。いやいや、困った莫迦者だて」 2  エル・ピー通信社の編集長室にて。 記者パイク「編集長。これは重大事件だぜ。大統領と〝影〟の大統領との正面衝突事件。これこそ前代未聞だ。わが国はどこへ行くといいたいところだ」 編集長「いや、大統領はどこへ行くか──だよ。わが国は要するに『ユダヤ人がわれわれを支配している国家』だ。それで明白。それ以外の何物でもない。ところが大統領の場合は、そんな固定したものではない。彼は今や青雲街道を踏み出していると見るべきだ」 記者パイク「でも、あの様子じゃ、大統領は〝影〟の委員会からボイコットされますぜ。たとえ大統領の任期はあと四年間あったとしても、〝影〟の委員会の方で大統領を変えようと思えば、わけなしだからね」 編集長「大統領にしてみれば、ボイコットされてもいいと思っているよ。彼の狙っているのは、世界の帝王だからね。わが国の大統領なんか、それに較べれば微微たる存在だよ。〝影〟の委員会が大統領を抑える力を持っていたのは、少くとも千九百四十四年より以前のことだ」 記者パイク「そうかなあ。しかし僕はユダヤ人組合──〝影〟の委員会の実力をそんなに下算したくない。大統領は、此頃すこし頭がどうかしているね」 編集長「そうでもない。彼はあくまで大胆にして、あくまで細心さ。そうだ、今晩十一時から、プリストン大学でアインスタイン国防科学研究会議が開催される。君、そこへ行ってくれ」 記者パイク「その会議は、例によって記者は締め出しでしょうな」 編集長「もちろんだ。西太平洋に於ける惨敗の直後のことだから、警戒は一層厳重となろう。外科の大家ヴィニー博士を帯同して行った方がいいな」 記者パイク「今晩の会議の内容は分っているのかね」 編集長「分らない。しかし想像は出来る。日本軍の体当り戦術に対しての対策研究に在ることは明白だといっていいだろう」 記者パイク「ああ、体当り戦法。実際あれはすごいなあ。日本人の心理が分らん。ニミッツは日本兵を『猿だ』といったが、猿でもなければ、人間としてあんな真似はやれない」 編集長「猿が自殺したことは記録にない。あれは人間でないとやれないことだ。ここだけの話だが、日本人は世界中で一番崇高で一番潔癖で一番道徳の高い民族だ。あれで生産力を持っていたら、天下無敵だよ」 記者パイク「編集長は、ジャップを友人に持ったことがあるのかね」 編集長「あったとも。おれは日本人を信じている一人だよ、今もね。しかしわが国の政府役人は、ひどいことをしやがる。この間○○の動物園に、日本勇士の俘虜を檻に入れてあるというので、わいわい見物人が押し寄せていると通信があった。僕は序があったので、こっそり寄ってみた。ひどいことをしてあったぜ」 記者パイク「あの話なら聞いたがね、ニミッツがジャップは猿だといったんだから、檻につなぐのは当り前じゃないか」 編集長「まだ先を聞けよ。本当に檻に入れてあったよ。たいへんな格好をさせてあるんだ。歯は一本残らず抜いてあるし、爪をみんな剥がしてある。自殺できないようにというんだ」 記者パイク「真珠湾──いや台湾沖フィリピン沖のかたきだ」 編集長「ところがその俘虜の勇士だというのが、僕の知っている日本人だったんだ」 記者パイク「えっ、何だって」 編集長「J・Kとかいう日本人なんだよ。彼は勇士でもなんでもない。戦争前までは、カリフォルニアの農園で洗濯屋をやっていたおやじなんだ。僕は知っているんだ。その洗濯屋のおやじはもちろん敵国人の強制収容で、保護を加えてあった筈だが、それがどこをどう廻ったか、○○動物園で日本の俘虜に扮しているのさ。汚いね、わが国の役人どものやり方は……」 記者パイク「ふうん、それが本当だとすると、頭のいい役人がいやがったもんだよ」 編集長「戦争が済んだら、僕はこの件について聊かものをいいたいと考えている」 記者パイク「じゃあ行ってきますよ」 編集長「ああそうか。要慎して行きたまえ。汚い奴がうようよしているからね」 3  プリストン大学地下講堂にて。 座長ハル博士「途中ですが、只今特使が私のところへ見えました。それによると、本会議中、大統領閣下が微行をもってここへ臨席されるそうです」  拍手が起る。 座長ハル博士「この光栄に対して、会長アインスタイン博士が欠席して居らるるのは遺憾であります。衆議をもって、同博士の参加をもう一度慫慂してはどうかと思いますが、御意見は……」  満場の拍手。 座長「では、全員御賛成と認めます。それでは早速アインスタイン博士へ使者を出すことにします」  満場がやがやと雑音を発す。  座長の槌の音。 座長「では、中断されたる会議を続けます。マスネー博士どうぞ」 マスネー博士「不幸中断されましたが、余の述べんとするところは、あといくばくも残って居りません。……で、結論でありまするが、要するにわが国の最大の弱点は人的資源の減少に在り、これを補填する一つの有効なる方法として、余が述べ来りたる人体集成手術隊の編成が急がれるのであります」  マスネー博士がコップから水を呑む音。 マスネー博士「人体集成手術は、すでに試験時代を終ったと申してよろしい。余は、わが研究室部員を率いてフランス戦線に三ヶ月を送り、その間に集成手術によって取纏めたる人体は十体に達した。そしてそのうち七体は遂に生活体とならなかったが、残りの三体は呼吸をはじめ、心臓が動きだし、たしかに生きかえったのである。ところが二体は十七分乃至一時間十分にして再び死し、残りの一体は今もフランスのアルデンヌの野戦病院に生きているのである。実に本日をもって三十七日生きているのである。これがその生存を知らせて来た電報である」  マスネー博士が、電報の紙をぱりぱりいわせる。 マスネー博士「それゆえ、人体集成術は成功したと断言できる。兵士Aは頭部をやられて死し、兵士Bは胸を撃たれて死す。兵士Cに至っては脚部の出血多量で死したのである。しかし兵士Aに至っては、頭部以外は健康体である。兵士Bは胸部以外は故障がないのだ。兵士Cは、僅かな脚部の傷と血液の欠乏だけで、人体の他の部分には異常がないのだ。従来は、AもBもCも等しく戦死者として死体は勿体なくも焼却された。なんという不経済なことであろうか。特に今日の如くわが国の戦死者が百万人を単位として数えねばならなくなった折柄、あたら健全なる内臓、筋肉、神経、脳細胞をどんどん燃してしまうというのは浪費も甚だしく、戦力を害すること実に大なるものがある」  マスネー博士、また水を呑む。コップははげしい音をたてて卓を打つ。 マスネー博士「じゃによって、かかる戦死者の身体より、健全なる部分を切取り、その腐敗前に処置をなし、分類して長期保存に耐えるようになし、それから時を見てわが人体集成手術を施すのである。その結果、頭部は兵士C、肩から下腹部までは兵士A、脚と血液は兵士Bの集合体が出来るわけである。多量のリンゲル液と、電気メスと、電気培養器と、電気衝撃器と恒温室とがあれば、これが可能なのである。即刻この方法を採用あらんことを希望する。おわり」  拍手わく。つづいて雑音さかんなり。  槌の音。座長が注意したのである。 座長「では、採決に入ります。実行に移すことに御賛成の方は御起立ねがいます」  満員起立の音聞える。 座長「はい。全員賛成と認めます。では本件はすぐに上申し実行に移すよう努力いたします。委員長としてマスネー博士を指名いたします」  大拍手が起る。 座長「するとマスネー博士、さしあたり欧州の方へ行かれますか」 マスネー博士「はい。それが便利です」 座長「しかし実際のわが人的資源の損害は太平洋方面がはげしいのですが、こっちの方へも行っていただけませぬか」 マスネー博士(やや狼狽せる声)「いや、まだ太平洋の方は温度気圧湿度などの条件と手術の関係が研究できて居りませぬので、当分太平洋は……それに、欧州方面で試験すべきことが多々残って居りまして、ぜひとも欧州専門にいたしたく……」 4  同じ会場にて。 座長「テイラー博士。どうぞ」 テイラー博士「ウラニウム爆弾が使用されねばならぬと盛んに喧伝されていますが、余の意見としては、わが国にはウラニウムの手持がすくなく、到底このたびの戦争の間に合いかねると考えます」 「同感」と叫ぶ者あり。 テイラー博士「ウラニウム乃至ウラニウムよりも遥かに放射能の盛んなる重物質を適確に入手する資源地帯として、この地球はあまりに貧弱すぎます。余の結論としては、何といたしましてもこれを地球外より需めるを要するのでありまして、例えば、かの火星、或いは金星土星等より得るの方法を講究すべきでありますが、これは今次戦争には間に合いかねる。つまり宇宙艇から設計を始めなければならんわけです」  歎息が聞える。 テイラー博士「そこで余は、ウラニウム、ラジウム等の放射能金属を原料とはせず、もっと他の物質を選び、しかもわが地球──殊にわが国に多量に存在するものを使用せんことを考慮したのであります。その結果、ボロンが最も適当であると信ずるに至りました」  会衆の歎息が再び聞かれる。 テイラー博士「なおもう一つの重大なる問題は、かかる原子崩壊によるエネルギー搬出のため是非に必要とするサイクロトロンのことである。サイクロトロンがあってこそ原子崩壊が出来るのであるが、このサイクロトロンなるものは、超高圧を使用する甚だ巨大なる器械であって、到底飛行機に積みこむというわけに行かぬ。で、サイクロトロンの簡易化軽量化こそ、本件の重大問題である」  会衆は三たび唸った。 テイラー博士「しかし余はこの問題を見事解決したのである。余の研究室では、送信真空管乃至はオッシログラフ用ブラウン管ぐらいの、極めて軽便なる大きさの新サイクロトロン──名付けてテイクロトロンというものを作ることに成功した。偉力はジーイー研究所の最大なるものに比し、更に七十パーセント方強力である。僅かこればかりのテイクロトロンが……」  会衆の歎声が大きくなり、「テイクロトロン」「テイクロトロン」と声が高い。 テイラー博士「このテイクロトロン装置は、全重量が僅かに十五封度で、小脇に抱えて歩けるほどだ。従って従来のエンジンに代り飛行機に取付けると、飛行機の重量は少くとも三十パーセント軽くなる。しかもテイクロトロンを以てボロンの原子崩壊を適度に続行させ、それを以て飛行機を推進させると、航続距離は殆ど無限であり、飛行機上で年を重ねることも可能である。また速度においては、欲すれば現在の航空機速力の百数十倍にもあげることが出来るが、機体の冷却を適当にやらないと空中に於て流星の如く燃焼する虞れがある」 「ほうほう」「驚異だ」「テイクロトロンを早く見たいものだ」などの声あり。 テイラー博士「余の苦心せるところは、如何にして原子崩壊の際生ずるエネルギーを、航空機推進力に転換せしめるかということ、それから如何にして最少のエネルギーを取出すかということであった。殊に後者については、諸君は何故に最少のエネルギーを取出すことに苦心するかと思われるだろうが、抑々原子崩壊によって生ずるエネルギーはものすごく強大であって、僅か角砂糖ほどのものを崩壊することによって生ずるエネルギーで、わが国の全艦隊を天空一哩の上へまで吹き上げることが出来るのである。されば左様なエネルギーを今出しても、それを扱い得るものがない。故に、今日の飛行機なり戦車なり軍艦を動かし得る程度の微少エネルギーを放出せしめんとすれば、勢いボロンの量を微少にしなければならぬ。かかる程度の微少量のボロンを計量し、それをテイクロトロンに装填するのであるが、この計量が至極むずかしい」 「なるほど」「もっともだ」「微少のボロンを測り、微少のエネルギーを出すことに苦心するとは皮肉な現象だ」などという者あり。 テイラー博士「実は本日ここへ試作のテイクロトロンを持参して、諸君の高覧に供したいと思っていたところ、出掛けるときまでに間に合わなかった」 「それは残念だ」「形だけでも見たい」と叫ぶ者あり。 テイラー博士「しかし余のこの報告が終了する頃までには、余の助手がここへ持参出来る筈であったが、どうしたものか、未だに姿が見えぬ」 「後刻でもよい」という者。「今、どこまで出来ているのか」と尋ねる者など。 テイラー博士「実は、今日、ここへ持参する筈のテイクロトロンは、予め原子崩壊に使ってみて、よく働くことを確かめた上、持参することになっている。働きもしない不良品を、諸君の如き権威者に見せることは、礼を失するも甚だしいものと思うからである」 「いや、その心配無用」「その実験が見たい」「今日の実験では、出てくるエネルギーを何につかうのか」と叫ぶ者あり。テイラー博士のテイクロトロンの研究報告は、俄然一座を大きく刺激したようであった。 テイラー博士「わが研究室に於ける本日の実験に於ては、出力エネルギーをもって、構内の一隅にある巨大なる山毛欅を倒そうと計画している。 「それは大丈夫か」「果して倒れるか」「出力が大きすぎて山毛欅がぶうんと飛んできて大学の建築物を壊すようなことはないか」などの声あり。 テイラー博士「それは厳重に計算の結果、適量なるボロンを併用することにしてあるから、危険はないと思う」 「しかし博士がその試験に立合わないのは危険きわまると思う」「いや、大したことはあるまいよ。せいぜい山毛欅の皮が剥げれば、まず成功としなければならんのだと思う」などの声ありて、過大視する組と過小視する組と二派に分れる。 座長(木槌を叩きて)「諸君、静粛に願いまする。本件の結論をテイラー博士より聴取したいと思います。テイラー博士」 テイラー博士「はい、それではわがテイクロトロンの……」  話の途中にて、大きな振動あり、続いて天地も崩れるような音がし、会員の悲鳴らしきもの聞ゆ。それにつづいてごうごうと水音が聞えはじむ。 「洪水だ。ダムが壊れたらしい」 「上へあがらねば、溺死をするぞ」 「ばか。上へあがれば、あの爆風で吹きとばされる。今ちょっと上へあがってみたが、全市は暗闇で、大建築物がクリスマス・ケーキのように、ばらばら崩壊して行くのを見た。この世の地獄だ」 「いや、洪水の方がひどい。ノアの洪水だよ、バイブルは真実を語っている」 「なにが原因か」 「大地震か、それとも噴火か」 「いや違う。テイラー博士のテイクロトロンの実験が原因だ」 「どうして、それが……」 「原子崩壊で、あまりに大きいエネルギーが出たんだ。多分助手がボロンの分量を誤ったのに違いない」 「ああそうか。それで……それでどうした」 「ものすごい破壊が起ったんだ。おそらく実験室は瞬間に人諸共吹きとんだであろう。エネルギーはあれから一哩距ったカルバニーの大堰堤に激しい振動をあたえた結果、ダムの破壊となったんだ。そのために、この洪水だ」 「あっ、たいへんだ。どんどん水嵩が増しはじめた。耳がぴーと鳴っている。地下室の空気が強圧されているのだ。ケーソン病になる虞れがある」 「それより、机を積んで、もっと足場を高くしよう。ここで溺死するのはいやだからな」 「しかしテイラー博士の研究は実を結んだじゃないか。テイクロトロンで、あのとおりの巨大なエネルギーを出し、よって日本軍にぶっつければ、その殲滅はわけなしだ。そうだ、それに違いない。われわれは遂に勝利の女神の手を握ったぞ。万歳、テイラー博士」 「ちょっと待った。しかしだ。テイラー博士の研究室は全壊だぞ。研究数値も、肝腎のテイクロトロンの設計図も、みんななくなったんだ。だから折角研究に成功したが、テイラー博士はもう一度始めから研究をやり直さなければならないことになった。そうじゃないか」 「なるほど。そういえばそうだな。惜しいことをした」 「もしもし、惜しいといえば、テイラー博士がさっき死去されましたよ」 「ええっ。テイラー博士が死去? ど、どうしたんですか」 「溺死です。あの奔流に流され、便所の脇で水中に没しました。気の毒な博士……」 「なんだ。それじゃテイクロトロンの研究は完全に台なしじゃないか。わが国の巨大なる損害!」 「ちぇっ、折角日本軍を叩きのめすに足る新兵器が出現したのになあ……」  この後は、録音なし。水勢はげしく、遂に地下室を破壊して、汚水が花壜録音器を濡したるため、機能停止したるものと思われる。 5  ナイトクラブに於て。  官能的な、あまりに官能的なジャズの音。そのジャズの中から会話がきこえる。 秘書カスリン「ええ、大統領閣下はお若い時から実に幸運の固まりのような方ですのよ」 その愛人「そうですかねぇ。プリストン大学のときも、三十分早く自動車があの町に着いていれば、どうしたってあの洪水で溺死していたわけです」 カスリン「いや、あたくしにとっては最大の不幸ですわ。これで近く秘書を辞職することになるでしょう」 愛人「ええっ。それは何故です。婦人としてわが国最高の栄誉ある地位を……」 カスリン「あなたはご存じないのです。あたくしは、あの栄誉の地位にあるが故に、昼となく夜となく表と裏とから責め虐まれているのです。あたくしに媚びへつらう群と、あたくしを罵詈讒謗する群と……とても耐え切れませんわ」 愛人「なるほど。まことに同情にたえません」 カスリン「それに大統領閣下が、このごろ非常に神経質になられて、何でもお疑いになるのですよ」 愛人「しかしもうすこし辛抱して居られたら……閣下は、その中では何もかもよく分って居られるのでしょう」 カスリン「あたくしの身の上に、黒い影が蔽い掛ろうとしています。あたくしの全然関知しない事件について、あたくしは最も不名誉な立場に置かれそうなのです。もしそんなことになったら、どうしましょう」 愛人「それは困りましたね。あなたを陥れる黒幕の主人公がはっきり分って居れば、僕はその人物をミシンで血煙をたたせてやるのですがねえ」 カスリン「そんなことは不可能ですわ。その主人公は閣下それ自身でいらっしゃるのですもの。でも……でも、白堊館の中には、全然あたくしの仇敵ばかり居るわけでもないのです。そういう方々のお力によって、多分あたくしは平凡なる理由で辞職できるかも知れません」 愛人「平凡なる理由?」 カスリン「そうなのよ。たとえば、あたくしが肺病と神経衰弱によって、大統領秘書の激務に耐えられないといったような名目でね。前任者が、そうでしたのよ。そうなってもあなたはあたしをこれまでのように愛して下さる」 愛人「ええ、そりゃそうですが……併しあなたは閣下の傍にいるからそのように美しいのではありませんか」 カスリン「ああ、やっぱりそうでしたのね。何もかもあたくしには分っていますわ。閣下の秘書を勤めて来た程の女ですもの。もうあなたとも、これ切りでお分れいたしましょう。あたくしは、あたくしひとりで行きます。そして暗黒帝国なるわが国を永遠に呪いつづけるのです。ああ、もうおよしになってください。あたくしに触らないで……どうぞ、どうぞ」 6  リチモンド市の裏町にて。 「ようよう、これは皆さん。お洗濯にせいが出ますな」 「おや、ジム爺さん。いい御機嫌だね。ああ分った。すてきな靴をはいて来たね、今日は……。どこで手に入れたんだい」 「うへへ。これかね。実はおれが二週間かかって手縫いで作上げたのさ」 「ジム爺さんに靴が縫えるかね」 「こうなれば何でもやらあね。この皮が問題だて。実はな、古椅子に貼ってあった皮を引剥して、三日間脂を喰わせてよ、それから縫いに懸ったてえわけよ。底皮はな、古トランクよ。これは二足目だがね、どうもうまく恰好がつかない」 「なるほど、そういえばちと不恰好だね。でもいいよ、ちゃんと役に立つんだから」 「ところが、この前に作った靴は二日で駄目さ」 「なぜ」 「なぜったって、靴の皮と、古椅子古トランクの皮じゃ強さがまるっきり違うんだ。靴の裏は木にする方がいいかもしれねえな」 「ふうん。爺さん。あたしにも一足作って来ておくれなね。お礼をするよ、本当に……」 「へえ。何を礼に呉れるかね」 「すばらしいものだよ。耳をお貸し」 (間) 「へえっ。とんでもない。わしをからかう気かね」 「からかやしないよ。本当の話だよ。代用品と違って、まじり気なしのぱりぱりだよ」 「ううん……」 「頼んだよ」 「ふうん。とにかく作っては来るがね」 「しっかりおしよジム爺さん。予約の印に、コーヒーを出してやるよ。うちへ寄んな」 「コーヒーがあるのかい」 「うちの亭主が、この間戦地から帰って来たときに置いていったのよ。純正コーヒーなの。軍隊にはうんとあるんだとさ」 「砂糖があればいいんだが……」 「砂糖も、とって置きのがある。しかもサイパン島の砂糖だよ、ジム爺さん」 「お前のところには何でもあるんだな。お前心得違いをしてやしないか、ギャングの連中と取引があるのなら、おれは逃げるよ」 「ばかおいいでない。サイパン島の砂糖をギャングが持っている筈がないじゃないか。これもこの間うちの亭主が持って帰ったんだよ」 「へえ、いろんなものを持って帰るんだな」 「ニューギニヤの胡椒もあるよ。それからこの次帰ってくるときには、マニラの葉巻と布とを持ってくるとさ」 「ええっ。お前の亭主は、いつ帰ってくるんだって」 「いつのことだか分りゃしないよ。籤引きで、うまく当ると帰って来られるんだとさ」 「ふうん。籤に外れた奴は可哀想だな。町には帰省兵がぞろぞろ歩いているが、実際に町を調べてみると、出掛けたまんまのものばかりだ」 「そうなんだよ。それは帰って来られるわけがないさ」 「それはそうかもしれないが……」 「ジム爺さん。本当は、戦場でうんと死んでいるんだってよ。太平洋に於ける損害はすごいもんだそうだよ。戦死する者と病気で斃れる者とを引けば、いくらも残っていないんだって。だから本当はこの近所も遺族だらけなわけさ」 「ふうん。でも、ちゃんと手紙が来るといっていたぜ」 「それは、日附なしの手紙を死ぬ前にうんと書かして置いて、それを順番に送ってくるんだよ。インキの古さ加減を見れば、ちゃんと分るよ」 「だってお前、政府の発表によると、太平洋でこれこれの空母が沈没した。しかし艦長以下士官が百何十名、水兵が千何百名救助されたって、いつでもそういう具合に艦は沈んでも人命は殆んど救助されているんだぜ」 「うちの人がいったよ。あれはインチキなんだって。皆とくの昔に藻屑になったり煙になったり雨になったりしているってさ。つまりそういう具合に生きているとか救われたとかいって置かないと、そんな危険な商売は御免だといって後から来る兵隊がいなくなる。だから救われたの何のとごま化し連発なんだって。うちの人はちゃんと戦場を見て来ているんだから、これくらい確かなことはないわけよ」 「ふうん。するとわが国には幽霊軍隊がうんといるんだな」 「そうなんだよ。それを知らさないでいる政府は、山賊の大将みたいに惨酷だよ」 「お前の亭主も、この先どうなるか分らないなあ」 「うちの人は大丈夫だよ。死ぬなんて、そんなへまはしないといっているよ」 「出来るもんか、そんなことが」 「いや出来ないことはないんだって。これは内緒だけれどね、うちの人はユダヤ人の前線視察員附になっているんだってよ。ユダヤ人についていれば、絶対に生命のところは安全なんだってさ。おれはこれからずっとユダヤ人の腰にぶらさがっているんだといっていたよ」 「ちぇっ、それは汚ねえや、ユダヤ人附になるなんて。ユダヤ人と来たら鼻持ちならないぜ。彼等は戦争を起しておきやがって、弾丸の来るところへは出やがらない。戦死するのは非ユダヤのアメリカ兵ばかりだ。そしてユダヤ人めらは、専ら儲け商売に夢中になっていやがる。しかも物凄い儲けなんだとよ」 「物価があがったり、物が姿を消したのは、ユダヤ人と日本軍とのおかげだよ。ああ、それで思い出した。靴を作ってくれるって本当だろうね」 「おれはユダヤ人じゃないよ。生粋のアメリカ人だ。きっと作ってやる」 「本当? じゃあ、さっきいったあれをあげるよ。ちょっと家へお寄りな」 7  生産界の独裁王、生産長官邸にて。 長官「ゴムがない。ゴムがない。ゴムがないのだ。どうすることも出来ん」 委員A「吠えたって出て来るものか。一九四四年にはゴムの在庫が全部無くなるということは一年前から分っていたんだ。今更……」 長官「はははは。一年前のあのときには、君達がゴムがない、どうしてくれると騒いで、余が、吠えたって出て来るもんかいといったっけ。ははは、今はあべこべだ」 委員A「笑いごとじゃない。飛行機のタイヤをどうするんだ。超重爆の月産三千機、その他の飛行機を合わせて全部で七千五百機だ。それに使うゴムタイヤの重量は最低に見積って五千六百トン。その五千六百のゴムがどこを探しても無いのだからなあ」 長官「闇の親分のところなら有るだろう」 委員A「高くて駄目だ。公価の百倍積んだって出しやしない」 長官「しかし有るなら買うより仕方がない。タイヤなしで飛行機をとばすわけにも行かんからね」 委員K「水上飛行機と飛行士ばかり作っちゃどうかね。あれならタイヤはいらないが……」 長官「ゴムのタイヤのついた飛行機を作れという命令が来ているんだ。困ったなあ。闇の王国に依存したとしても、今後何ヶ月保証が出来るやら分らんからなあ」 委員G「長官ここに最も有効なるアイデアがある」 長官「ほう、それは大歓迎だ。そのアイデアというのは……」 委員G「遮二無二、マライ半島へ突入するんだ。そしてゴムを掻き集める」 委員A「駄目だ。マライはイギリスが担当している」 委員G「そんなことに気を使う必要はない。わが国は必要とする物を何時でも欲するときに取る権利があるんだ」 委員A「それにしても、マライ上陸はたいへんな用意を要する。このごろ敵日本軍の〝必死必中〟の攻撃機隊の活躍はすごいからなあ。途中であいつに見つかりゃ、戦艦であろうと輸送船であろうと、ストップを喰うんだ。それを冒して、安全に十分の兵力をマライ上陸させるためには、船が足らん、飛行機が足らん、更に兵員がうんと足らんぞ」 委員G「日本の方だって大損害を起している。そして日本の生産力では、とてもここ二ヶ月三ヶ月では補填出来なかろう。だから今なら強引に進めるのだ。敵日本の方ではわが国の物量がまだこんなにあったのかと愕いて、皆憂鬱な顔になるぜ。その元気のないところを衝けば、マライ上陸作戦の成功は疑いなし。そしてゴムはどんどんこっちへ輸入できる」 委員A「そうは思わんがなあ、僕は……。長官、あなたはどう考えられますな」 長官「余としては、マライ方面作戦に自信がない。というのは、サイパン、パラオあたりまでは、日本の生産力はわれに比して問題にならぬと考え、従って日本軍の将兵如何に勇猛なりと雖も、あの貧弱なる生産力では到底われの敵ではないと考えた。比島奪還作戦の如きは、われの用意した飛行機、艦船、爆砲弾の数量は、日本軍のそれに対し五十倍乃至二千倍を用意した。これなら絶対に失敗することなしとの確信を持ってやった。ところがどうだろう、あんな結果だった……」 (間) 長官「対日作戦というものを、もう一度始めから組立て直さねば駄目だ。わが作戦部には、日本軍の体当り戦術に対する応手が考えられていないではないか。この応手はたいへんなことだ。日本軍のどの飛行機も皆爆弾を背負ったまま、わが軍艦に、わが陣地にぶつかるのだ。彼等は生還を期していない。始めから体当りで死ぬと決めて攻撃してくるのだ。われわれは、こういう向う見ずの体当り攻撃機隊に対し、どんな手段をもって防げばいいのか、まだ研究が出来ていない。いや、適当な手段が見つかったとしても、巨額の対抗兵器と危険多き多数の兵員を要することだろう。果してわが国にかかる体当り戦術を完全にカバーするに足る戦力が有りや。余は悲観調ならざるを得ない」 委員連中「全く困る」「日本兵は乱暴だ」「気が変だ」 長官「たった日本の体当り一機で、わが空母や戦艦や大型輸送船を一隻ずつ轟沈撃破せられてたまるものじゃない。殊に味方の人的資源の損害は、敵に何百倍何千倍するのだから、こんな割のあわぬ不経済な戦闘はない。吾人の生産陣がいくら頑張ろうと、一週間に一隻の空母をこしらえるわけにはいかない。いや一週間に一隻の割で空母をこしらえて行っても、現在のような夥しい被害では、それを補填することが出来ないのだ」 委員A「長官に何か妙案はないのか」 長官「妙案とて有るものか。平凡なることながら、足の長い爆撃機──つまりB29や32のようなものを十万台ぐらい作って、同時に日本本土攻撃を加えるしかない」 委員A「十万台? それは一年では出来ない。少くとも五年間はかかる」 長官「やむを得ないのだ。長年月を要しても……。日本本土爆撃の外、わが国の勝つ手なしである」 委員A「しかし、わが長距離超重爆撃機が未だ日本本土上空に達しない以前に、日本軍の体当り戦闘機群に補捉されて、一機また一機と消耗していったら、どういうことになるのか」 長官「日本戦闘機の達し得られない高高度を飛んでいくのだ。成層圏から入っていくのだ」 委員A「日本の戦闘機はやはり成層圏まで邀撃してくるだろう。そのときはどうなる」 長官「ああ、もうよしてくれ。胸が詰まるだけだ」 委員N「長官に申します。本会議は生産委員会であります。生産に直接関係なき議論のために貴重な時間を浪費することをやめられたい」 長官「ああ、そのとおり。ではこれより改めて開会とします……」  長官木槌を叩く。 8  或る工場の片隅にて。 技師長ヤーソン「ゴムがない、タングステンがない。これじゃ何も作れやしない」 職工長ワイス「本当かい、それは……」 技師長「君に嘘をついても仕方がない。ゴムがなけりゃ、あらゆる車輛は製造中止だ。タングステンがなければ、すぐひん曲る大砲しか出来ない。おいワイス。これから先、ろくなことはないぞ」 職工長「なぜそれを集めねえんだ」 技師長「集めるって、ストック切れだ。それに海外からの輸入は殆ど皆無だ。君たちも来月あたりには仕事にあぶれるぞ」 職工長「しかし労働時間は五十四時間に殖えたんだよ。仕事は忙しい筈なんだが……」 技師長「重要資源がなくなれば、間に合わせの仕事で不足を補わなければならない。つまらんことで忙しくなるのさ。溶接工が、ハンマー取って金敷の上を叩いたりするようなことになるよ」 職工長「つまらねえなあ、じゃあ一つ始めるか」 技師長「何を始めるって。ああ、そうか。ストライキか」 職工長「図星だが、ストライキも前ほど魅力がなくなったね。今日ストライキで賃金を吊り上げる。すると明日は物価の方が、賃金値上高を上廻って騰っちまうんだからな、いつまで行っても鼬ごっこさ」 技師長「すこし大きくやるんだな」 職工長「うん、そうなんだ。企画委員のローリンソンもそういっていたぜ。用意は出来ているんだから、明後日から決行だ!」 技師長「おれはその間、魚釣りにでも行ってこようや」 職工長「魚釣りにねえ。しかし気をつけなよ、ビクトリー・ガールに。十二歳ぐらいのやつでも結構スピロヘーターやゴノコッケンをふんだんに持っていやがるそうだからね」 技師長「ふん。あのちんぴら娘はおれ達を相手にしやしないよ。兵隊にかぎるんだ」 職工長「ところがそうじゃないとよ。だから本職の姐御が怒っていたよ」 技師長「君は、いやにその辺の消息に詳しいんだね。いいのがいるのだろう、姐御の中に……」 職工長「ちょいとおれの財布の膨らんでいるところを見て貰おうかい」 技師長「それも結構だが、ストライキをやり損ねて、軍隊へ送り込まれるような真似をやらないように気をつけるがいい。ヨーロッパ行きならいいが、そういう場合は決って太平洋だからな。それは自分で墓穴へ旅行するようなもんだよ」 職工長「分っていら。なあおれがそんなへまをやるかよ」 9  ハワイ真珠湾のビクトリー・ホールにて。 太平洋艦隊司令長官「……最大の欠陥は、命令系統が一つでないということだ。強敵日本軍に対して同時作戦が行われないでは、勝利への途は絶対に発見されないのだ。このことは再三余の繰返したところだ」 五艦隊司令長官「ハルゼーもそのことをいっていた。本当に可哀想だ……」 南西太平洋軍総司令官「二兎を追う者は一兎をも得ずだ。余が意見に従って真一文字に比島を目指して攻撃したなら、あんなことはなかった。つまらない野心があるから、勢力の出し惜みをしたり、抜駆けの功名をたてようとしたりするから、いつも失敗だらけだ。余は切に警告したい」 九艦隊司令長官「君が横車を押していると思うがなあ。比島を日本軍に渡した不名誉を取返すと共に、次期の大統領を狙っているという評判だぜ」 南西太平洋軍総司令官「くだらん噂だ。比島を知り、東洋を知る者は、余を置いて外ない。あのスチルウエルの醜態を見なさい」 九艦隊司令長官「じゃあ君が重慶へ乗込むといいね。そうすれば余も亦、寒いところからとび出せる」 五艦隊司令長官「おいおい、余り大きなことをいうなよ。君の艦隊は、絶交した友人のように、西太平洋の海空戦を知らん顔をして見ているんだからねえ」 九艦隊司令長官「北辺の護りは、本当いえば最も大切なんだ。あそこはわが国の頸動脈に一等近いところなんだ。敗戦の将づれに変なことをいって貰いたくないね」 太平洋艦隊司令長官「いがみ合いは、もうよそうではないか。そしてここで決を取ろう。同時作戦では攻撃目標は一つだ。日本本土攻略か、それとも比島奪回か」  誰も答えず。 太平洋艦隊司令長官「意見がなければ、余は……」 南西太平洋軍総司令官「それはもちろん比島奪回の一本道だ」 七艦隊司令長官「それに反対する」 太平洋艦隊司令長官「すると日本本土攻略の方だな」 七艦隊司令長官「まあ、それだ。しかし今直ぐは困る。日本本土攻略に就いて十分なる用意を整えられんことを要求する。只今のような包帯組、低能組、変人組、尻拭組と一緒じゃ御免を蒙る」 五艦隊司令長官「臆病組というのも入れておいて貰いたいね。こっちで救援を需めているのに、知らん顔をして逃げ出したやつがいたからねえ」 太平洋艦隊司令長官「待て。大統領閣下がこっちへ見える。気をつけて呉れ。今日は誰かの首を二つ三つ転がすつもりと見えるぞ。過去を論ぜず、将来の問題のみを取上げるように……」  一同椅子から立上る音す。 太平洋艦隊司令長官「大統領閣下に対し、わが海軍首脳部一同は敬意を捧げまする」 大統領「やあ有難う。さあ、掛け給え」 南西太平洋軍総司令官「お身体の方はどうですか。痲痺はまだ参りますかな」 大統領「それはどうやら保合いだが、食欲がないので困る。さてと、対日戦だが、だんだん長期化するのは困るね。正直なところ国内に於ても国外に於ても、爆発の一歩手前にあるの観有りだよ。そうは気がついて居らんかね」 太平洋艦隊司令長官「御同感いたしまする」 大統領「近来日本という国を、わが国にとって頗る強大なる敵なりという宣伝を始めたが、国民大衆にはあまり消化されていない。あんなちっぽけな島国を四年もかかって占領出来ないのは、大統領の無力と失策とによると騒ぎ出しているぞ。それに国民大衆は、生活に大なる不満を持ち、そのために戦争を嫌悪している者が逐次増加の傾向じゃ。家族を戦場で喪ったことについても、そろそろ感づき出した。軍需生産は資源難と労務難とで、毎月下がりつつある。わが国民大衆は、あの建国当時の移民魂をどこへ置き忘れたものか。ああ……」 南西太平洋軍総司令官「勝利を得るより外に途なしです。比島奪回なる太い一本道を、総力あげて決行するのが最善の途だと思いまする」 太平洋艦隊司令長官「ちょっと待った。君は先刻の協定を……忘れていないだろうね」 大統領「なんだ、なんだ。もっと大きい声でいえ」 太平洋艦隊司令長官「はい、閣下。国内に対しても国外に対しても、有効なる宣撫手段は、われらが勝利を得るより外に途なしでありまする」 大統領「みんなそういう意見らしいね。まことに結構である。が、それは一体いつの日に達成されるのであるか。敢えて諸君に反問したい。余は諸君の要請に応えて、世界一の飛行機を、世界一の艦艇を、世界一の弾薬数量を諸君の許へ送っている。しかしこの夥しい生産量を提供することは、わが国の力を以てしても可なり苦しい現状である。而も余はこれまで常に諸君の要請に応えている。然るに、余は期待せる戦果を諸君より聴くことが出来なかったのを深く遺憾とする。これでは、夥しい生産も浪費のための生産でしかない。それとも諸君は、こういうことをいいそびれているのであろうか。日本軍に対して徹底的なる勝利をあぐるためには、今日の生産物量ではまだ不十分であると。遠慮はいらぬ。余も亦期するところがあるから、はっきり申出でられたい」 南西太平洋軍総司令官「大統領閣下よりかかる御質問にあずかって恐縮である。ありていに申せば、必勝のために要する物量は、現在供給されている量の五百倍を要する」 太平洋艦隊司令長官「いや、五百倍ではない。最低二千倍を要する。殊に急遽必要とするのは兵員である。直ちに徴募し、三ヶ月の駆足式訓練を施されたいと希望するのであります」 大統領「それは不可能である。五百倍だ二千倍だというが、目下の一千五百万人の兵員を五百倍とすれば四十五億人、二千倍とすれば百八十億人──わが国の人口は一億三千万人であることは常識である。諸君になお常識なるものありや」 (沈黙長し) 南西太平洋軍総司令官「敢えて反駁いたすようでおそれ入るが、わが国の人口はなるほど一億三千万人であるが、反枢軸国の人口総計は……」 大統領「僅か三十五億人ではないか。君の要求する四十五億人に足らざること十億人、彼の要求する百八十億人に足らざること実に百四十五億人──而もこれは嬰児まで動員すると仮定しての勘定である。しかもこれに供給する兵器弾薬の量を考えると、余はこれを賄う方法を知らぬ」 (沈黙) 大統領「要するに、余が諸君の希望をそのまま実現する途を歩いていたのでは、破綻の外ない。謀略もきかず、死を恐れず、最低生活に耐え得る敵日本国民を屈服せしむることは依然として甚だ困難だ」 (沈黙) 大統領「いや、日が経ち時が流れるに従って、その困難さはますます鮮明なり。わが心臓の上の荷重は増加する。……かくては、われに残されたる唯一の希望路は、科学発明による奇襲あるのみ。テイラー博士の死は惜しみても余りある。余もまた責任の一部を負担せねばならぬ。テイラー博士は研究に夢中になっていて、保身に欠くるところがあった。研究というと夢中になる科学技術者を保護せねばならない。しかしテイラー博士に再び生を与えることは出来ない。アインスタイン博士。この男がもっとどうか力を発揮してくれるといいんだが、この老ぼれ学者は、わが期待に反した。始めから喰わせ者だったのか。それとも彼に気に入らない事柄があるのか……」 (間) 大統領「そうだ。彼奴は怠業しているんだ。よし、決心したぞ。科学技術界を軍隊化するのだ。生産界も軍隊化だ。みんな軍隊化だ。仕事は命令だ。それに反する者、命令どおりに仕事をあげない者は銃殺だ。それがいい。デモクラシーをどうするって。デモクラシーが何だ。余は勝たなければならない。うん、言いたい奴は何とでもいえ。余は大統領だ。余は欲するままに、余に貸付けられたるわが国を動かす権利があるんだ」 10  白堊館の大統領寝室に於て。 影の大統領「いくら兵力を太平洋方面に注ぎこんでも、焼石に水ではないか」 大統領「乞う、余に時間を貸し与えよ」 影の大統領「わが国力を破産浪費させるために、きさまを大統領にしてやったのではないぞ」 大統領「乞う、余に時間を……」 影の大統領「昨日から始まっている日本軍の体当り機のワシントン爆撃、ニューヨーク爆撃はあれは何だ。わが防禦力を発揮し得ないのはどうしたわけか。世界各国に兵器弾薬をふんだんに貸与しているくせに、自分の頭の上を防禦できないとは何ということだ。おい、聞いているのか」 大統領「乞う、余に……」 影の大統領「これは約束だ。責任を執って貰おう。今直ぐに、責任を執れ」 大統領「乞う、余に時間を貸し与えよ」 影の大統領「絶対に不可だ。さあ、今すぐ責任を執れ。これに署名して辞職するか……」 大統領「辞職はしない」 影の大統領「しないでは許さぬ。わが委員会は既に武装してこの白亜館に詰めかけている。委員会は、君が責任を執って、離任することを要求している」 大統領「もっと砕けて話そう。もうあと二ヶ年を余に貸し与えよ」 影の大統領「不可だ」 大統領「無人飛行機で日本を攻めるアイデアがあるのだ。余にあと一年半を……」 影の大統領「断じて不可だ。現在只今、取引を終了したい」 大統領「いやだ」 影の大統領「いやだ。これほどいっても分らないのか、君は……。よし、委員会の決定に基き、君から貰いうけるものがある。覚悟をしたまえ」 大統領「ま、待て!」  銃声響く。 影の大統領「ずいぶん思切りの悪い奴だ。こんなしぶとい奴とは思わなかった。……まあ、これでいい。すぐ布告するかな。おい副大統領。ここへ来い」 副大統領「はあ。参りました」 影の大統領「これが、君のマイクの前で読上げる布告文だ。読んで見給え」 副大統領「はあ。──〝本日午後十時、大統領は缶詰中毒のため急逝せられたり。次期大統領の改選あるまで、臨時に大統領の職権を行使する。以上〟」 影の大統領「どうじゃな、何か文句があるか」 副大統領「いえ、どういたしまして。すこぶる結構であります」 影の大統領「そうか。では早速、命ずることがある。日本政府へ申入れをせよ」 副大統領「えっ、日本政府へ。何を……」 影の大統領「休戦の提議だ。五ヶ年間の休戦協定を申入れろ。これが今回の決算だ。現在のわが国としては、正直なところ、これ以上戦う能力はないのだ」 底本:「海野十三全集 第10巻 宇宙戦隊」三一書房    1991(平成3)年5月31日第1版第1刷発行 初出:「新青年」    1944(昭和19)年12月 ※「白堊館」と「白亜館」の混在は、底本通りです。 ※表題は底本では、「諜報中継局」となっています。 入力:矢野重藤 校正:門田裕志 2014年12月15日作成 青空文庫作成ファイル: 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