宝くじ・その後 始めてから十三年 山之口貘 Guide 扉 本文 目 次 宝くじ・その後 始めてから十三年  池袋のコーヒー店で、I氏を待っている間を、顔見知りの常連の人達が来るたびに、宝くじを買ったことがあるかどうかを一々たずねてみた。  貿易商のSさんは、時に買うことはあるが、当ったことがないというのである。ある高校の教師をしているHさんは、自分としては買ったことはないのであるが、母から頼まれて買うことがあるという。またある小学校の教師であるK君は、買ったことなんかありませんよといって、どうせあんなの当りませんよというのである。それで、K君は宝くじ屋さんの前をいつも素通りしているわけになるのであるが、お母さんから頼まれて買う時のHさんの宝くじの買い方をきいてみると「自分のではないから選ばずに買う」とのことである。自分のだったら選ぶのかと愚問をさしはさむと、「自分は買わないのだから選ぶこともない」という。  記者のI氏と連れ立って、寒い風のなかに出ると、西武デパートの前の歩道に、ネッカチーフのふたりの宝くじ屋さんが店をひろげている。台の両側に赤く縁どった張り紙がしてあって、墨書で「今日明日限り」とある。抽せんが明後日に迫っているからなのだ。  手前のおばさんの耳のそばまでI氏が近づいて身分のほどを明らかにすると、おばさんはにっこりうなずいた。一年前から宝くじの店を出しているという。天気の日なら一〇〇枚は売れるとのこと、最高七〇〇枚位のこともあるという。なんといっても一枚買いの客が圧倒的で、二枚とか三枚とか買いに来る客もあるが、なかには五〇枚ほどごっそり買って行く客もあるとのことである。「このごろは婦人の方が多いようですね」とおばさんはいってから、「ラッシュはサラリーマンが多いんです」とつけ加えた。  まるぶつデパートのマタの下が池袋駅の東口玄関。歩道に面したそこの大きな角柱を背にして、宝くじを売っている若い男がいる。臨時だとのことでこちらの話を避けたが、何枚売れたかをたずねると「一枚」と答えた。  横断歩道をわたり、三越デパートに足を運んだ。前の三角くじのころは、デパートのなかでもそれを売っていたとのことを聞いていたのだが、空しくそこを出た。  日本橋へ向っての車中、宝くじの話がでて、「ああいうのはだめだね」と、運転手さんが頭ごなしである。当ったためしがないからだそうであるが、競馬には当った経験があるのか「競馬ほどの魅力はありませんね」という。  いわれてみるとなるほど、宝くじで財産をすったという話を、耳にした覚えもないのである。  白木屋入口の左側の壁際に、一人のおじさんが立っていて、宝くじの店をひろげるところである。この場所にこのおじさんが出るようになってから三年ぐらいになるそうで、その前にはおかみさんが、すぐまん前の歩道に店を出していたとのことである。ところが屋上からおばさんの真上に投身自殺をしたものがあって、それにつぶされておばさんも死亡したのだという。「新聞にも出ましたね。二十九年の九月十三日ですよ。あれが私の女房で、その跡を引継いで私がやっているんです」とおじさんはそういったが、いまは一人暮しの身であるという。おじさんのところで買ったくじで、当った人があるかとたずねると、 「一〇万円当ったとか、五万円当ったとかいって、お礼の意味で今でも買いに来てくれます」とのことである。  いつぞや新潟方面の人から白木屋に呉服物の注文があって、ついでに、おじさんのところから宝くじを買ってくるよう頼まれたといって、番頭さんが買いに来たとの話である。かとおもうと、一ぺんに一五〇枚も買う人があるとかで一日に一〇〇〇枚くらい売れることもあるというのである。また車に乗って新橋で降りる。ここで眼についた宝くじ屋さんは七カ所ぐらい、歩きながら銀座では三、四カ所、有楽町の日劇寄りのところで二、三カ所、それから日本橋の交差点あたりは三カ所ぐらいときき、池袋東口には十カ所ぐらいはあるときいているのである。  その内男は二人、あとはおばさん級の宝くじ屋さんであった。  抽せんの日、光風会のN氏、記者のI氏と三人で、それを見るために勧銀本店へ足を向けた。  宝くじ部部長代理の井上氏の話によると、戦時中、昭和二十年七月まであった勝札というのが、インフレ防止のために発行されていたのであるが、二十年十月から宝くじになり二十九年までは政府のくじであったが、現在は地方くじだけになったとのことである。この宝くじの売上金は、たとえば六三制学校の整備ということなどに向けられるとのことである。勧銀は、くじの印刷やその販売だけを引受けているとのこと。「くじを偽造する人もありますか」ときくと、まだないが、変造するものはあるらしく、そういうのを防ぐために、紙質を選び、浸透性のインクを使い、くじの控えまでとっておくのだそうである。  東京都くじの発行は月に三回か四回で、年に三六回位、一回ごとに三〇万枚、平均九五%が売れるとのことである。売上金の始末は、四二%が賞金となり、宣伝費販売費など差引いて、三八%が都に納められることになるとのことである。  抽せん場には、おもいの外、人数は少なく、一般の人は二、三〇人というところである。緑の服を着た若々しい女性が六人、それぞれ抽せん機を前にして立っている。ころころ抽せん機の音を立てては、サイコロみたいなのを取り上げて、左から右への順に、その数字は発音も正しく読みあげられて第一六八回東京都宝くじの抽せんが終った。  一等二〇〇万円の宝くじ2組の137263をはじめ、九等までは、ほっとしたろうが、あと何十万は、この日限りくずかご入りである。 底本:「日本の名随筆 別巻56 賭事」作品社    1995(平成7)年10月25日第1刷発行 底本の親本:「山之口貘全集 第三巻」思潮社    1976(昭和51)年5月 入力:門田裕志 校正:noriko saito 2014年8月7日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。