孫だち 正宗白鳥 Guide 扉 本文 目 次 孫だち  大至急話したいことがあるから、都合のつき次第早く來て下さいといふ母方の祖母さんの手紙を見ると、お梅はどんな大事件かと、夕餐の仕度を下女に任せて、大急ぎで俥に乘つて、牛込から芝の西久保まで驅け付けた。潛り戸を入つて敷石傳ひに玄關へ行くまで、耳を澄ましたが、家の中は何時ものやうにひつそりしてゐた。  一聲案内を乞うたが、誰れも出て來ないので、お梅は遠慮なしに上つて、客間を通つて茶の間へ入ると、其處には祖母が只一人、長火鉢に手を翳してぼんやりしてゐた。 「まあ早く來てお呉れだつたね。」と云ふが早いか、祖母は大きな目に一杯涙を浮べた。 「祖母さんどうしましたの。」お梅は訝しげに祖母の顏を見詰めた。凜としたその顏も會ふたびに萎れて來るやうに思はれて痛々しくなつた。 「雪のことでお前困ることが出來たのだよ。知つての通り、私の方では用心の上にも用心して、間違ひのないやうにしてゐたのに、私も今度といふ今度こそ自慢の角を折られたよ。」 「へえ。雪ちやんがどうしましたの。」 「この一月から勝手に家を出てゐるんでね。そんな不量見な女はどうならうと私も構はないと先日きつぱり言ひ切つて來たのだけれど、折角丹精して育てたものが、今一時といふ間際になつて、こんな不面目なことになつちや、口惜しくつて仕樣がないのさ。」  祖母は涙を零しながらも、落着いた言葉で、一伍一什を話した……孫の雪子は學校通ひの途中で出會つてゐたある若い會社員に誘惑されて、今ではその家へ寢泊りしてゐるといふことだつた。先方からは正式に嫁に貰ひたいと云つて來てゐるし、萬更見込みのない男でもなささうだから、出來たことは仕方がないとして、祖母自身が責任を負つて綺麗に片付けようとも思つてゐるのだけれど、福岡にゐる雪子の實父がどうしても承知しないので途方に暮れてゐるといふことだつた。 「何だか信じられないやうですわね。雪ちやんにそんな事があるんでせうか。」 「男の方で騙さうとしてかゝるとどんなことでもするらしいから、油斷も隙もありやしないよ。」 「本當に怖う御座んすわね。」  世間馴れぬお梅はこんな六ヶ敷事件の後仕末について、祖母から相談を掛けられるのを恐れてゐた。三人の孫を手一つで育てゝゐる祖母の日頃の苦勞を思ふと、雪子は何といふ不心得な不孝な女だらうと、一圖に憎々しくなつた。 「福岡の方では今度のことを言ひがゝりにして、だから老人に子供を任せては置けない、三人とも此方へ寄越せと酷しく云つて來るんだらう。昨日も村上の主人が來て、私にも孫と一緒に福岡へ行くか、たつて行きたくないと云ふのなら、私だけ此方で隱居して皆んなを向うへやれと、人情も義理もないことを云ふのだよ。私は忌々しくなつて、子供達を連れて行きたければ連れて行くがいゝ。子供達には私の心が通じてゐるんだから、よもや私を棄てゝ父親の所へ行きやすまいと言ひ切つたのさ。お國の臨終の時に三人の子供の養育は私が頼まれて生命にかけて引き受けたのだもの、今更繼母のところへやれるものかね。よう考へて御覽な。」 「さうですとも。」と、お梅は譯も分らずに相槌を打つた。  祖母は夫には早く別れるし、男の子はなかつたので、長女のお國に婿を取つたのだつたが、お國は二人の男の子と、一人の女の子を殘して七八年前に亡くなつたのであつた。その後祖母の孫に對する情愛は度外れに募つて、婿の清がある會社の福岡支店長として赴任することになつても、お國の遺言を盾に、頑なに言ひ張つて孫と共に東京に踏み留まつてゐた。清に後妻が出來てからは尚更で、清夫婦が偶に東京へ歸つて來た時などは、若しか子供を取られりやしないかと、目を八方へ配つてゐたのだつた。そして、婿からの月々の薄い仕送りで、三人の子供をそれ〴〵の學校へ通はせて、自分は六十を過ぎてゐながら、只の一度も物見遊山に出掛けたことはなかつた。福岡へ宛てゝの暑さ寒さの消息にも、孫の自慢はしても、自分の愚痴は決して云はなかつた。拭き掃除洗濯まで殆んど手一つでして、腰つ骨の折れるやうな苦しみを感じても、婿に訴へると、「だから、子供は私の方へお寄越しなさい。」と云はれるのがつらさに、我慢に我慢を重ねて、おくびにも出さないやうにしてゐた。 「ぢや、雪ちやんは些とも此家へは歸つて來ないんですか。」と、お梅は重ねて訊いた。 「あれも偶には、淋しいから遊びに來ましたなんてね、何の氣なしに顏出しすることがあるのだけど、弟達と前のやうに仲よくしてはゐられないのさ。どうかすると弟達が邪慳にして打つたり蹴つたりもしかねないので、私は中に立つてはら〳〵してるのだよ。」 「へえ。雪ちやんも可愛相ね。……そして、貞さんや光ちやんは今何をしてゐます? まだ學校から歸らないのですか。」 「今は西洋室にゐますよ。試驗前だから二人とも一生懸命なのさ。光は此間機械體操とかで右の足に怪我をしたのだけど、これつぱかりのことで休んでなるものかなんて、繃帶して跛足引き〳〵學校へ行つてゐるよ。」 「學校は矢張り東京でなくちやよくないのでせうね。」 「さうですとも。私の目の黒い間は、東京で教育して立派に大學まで修業させて見せるから。五年や十年はまだ〴〵大丈夫なつもりなんだよ。大隈さんのことを考へて御覽な。私ぐらゐの年齡でまだ耄碌して溜るものぢやない。」  お梅はくす〳〵笑つた。また大隈さんが出たと思つてゐた。「年齡は取つても私が川村家の總理大臣だ。」と甞て祖母が云つてゐたことがあつた。 「だけど、若し貞さんや光ちやんがお父さんに引き取られて、田舍へ行くやうになつたら祖母さんはどうします?」と、ふと訊ねると、 「さうなつたら、私は祖父が買つて下すつたこの家で自害しますよ。故郷へ歸つて清から隱居を貰つて生きてゐたり、福岡三界へ隨いて行つたりする氣には些ともなれないよ。お前ばかりは私の心を察してお呉れだらうから、私が死んだら可愛相だと思つて線香の一本も上げてお呉れよ。」と、祖母の目からはまたほろ〳〵涙が落ちた。  お梅は譯もなく悲しくなつて貰ひ泣きした。そして、祖母の意を迎へて、福岡の清夫婦の所行を非難したり、親戚の誰れもが祖母の味方になつて力を添へようとしないのを牴牾しがつたりしてゐた。  やがてお梅は、待たせてゐた俥に乘つて家へ歸つたが、大至急と云つた祖母の用事は用事ではなくつて只孫の出來事を話しては泣き言を云つたのに過ぎなかつた。で、お梅は俥の上で、自分の過去を思ひ出しては雪子の今の心持を想像して、是非雪子に會つてよく事情を訊きたくなつた。祖母の哀れな心の中を雪子に告げて意見しようとも思つてゐた。それには雪子の今の居所を知らないので、家へ着くと祖母へ宛て、「この手紙を雪子へ屆けて呉れ。」と、雪子宛の手紙を同じ封の中へ入れた。  そして、夕餐後に夫に向つて、「祖母さんは可愛相ぢやありませんか。」と、今日の訪問の次第を話すと、夫はさも豫期してゐたやうな面付をした。 「泣いても追付かないことね。どう始末をつけたらいゝんでせう。」 「始末は大抵極つてゐるさ。此間お前の親爺に會つた時にもあの家の内幕を一寸微見かしてゐたよ。四月にもなつたら、福岡から主人が一寸東京へ來るんださうだから、さうしたら、無理にも結着がつくことになるだらう。元々實の父親が子供を引き取らうといふのは當然だもの。」 「だつて、さうなれば祖母さんは生きちやゐませんよ。貴下だつて祖母さんが子供のために身を粉にして働いてるのが分つてゐるでせう。」 「しかし子供のためには老人に教育されるのがいゝか、父親に教育されるのがいゝか、考へ物だよ。今度のことだつて監督が不行屆きだと云はれゝば一言もあるまいよ。親爺の話によると、福岡では祖母さんが強いて頑張つて子供を離さんと云へば、月々の仕送りを止めるなんて云つてゐるさうだから。さうされちや敵ふまい。」 「まあ酷い。そんな不人情なことがあるもんですか。一體あの後妻に入つてる人がいけないのよ。金の腕環をしたり、年増の癖に派手な裾模樣を着たりして。祖母さんを御覽なさい、支店長の母親でありながら袖口の擦り切れた着物を着て、この寒さにも自分で雜巾掛けなんぞしてゐるぢやありませんか。」 「しかし。それも傍から見て物數奇だと云はれゝば仕方がないさ。第一あんな大きな家にゐるから無駄な費用や勞力もかゝるんだ。祖母さんは小さい家で下女でも使つて樂隱居してたらいゝだらうと、僕は何時も思つてるよ。」 「男の人は皆んなさう思つてるのね。……だけど祖母さんは子供を取られちや生きてゐませんよ。三人の中一人でも福岡の清の所へはやらないと始終さう云つてるんですもの。子供だつて祖母さん孝行だから棄てゝ行きやしますまいよ。」 「そりや分らんね。」  夫が熱心に祖母の味方になつて呉れないのがお梅には不平だつた。  前夜積つた薄雪が、きら〳〵照りつける朝日に見る〳〵融けてゐる麗らかな朝、雪子はお梅の家を訪ねて來た。去年の暮に會つた時とは氣のせゐかぐつと大人びてゐた。袴は穿けないでセルのコートを着てゐるので尚更女振が違つて見えた。しかし、極りの惡い風などしないで、以前のやうに懷しく隔てない口を利いた。 「手紙を見ると、一時も早く會ひたくなつて飛んで來たのよ。此間私の家へ入しつたんだつてね。祖母さんは貴女のことを褒めてゝよ。不斷から姉さんのことゝ云へば、祖母さんは褒めてるんだけど。」 「さう? 私何にも祖母さんに褒められるやうなことをした覺えはないのだけど。だけど、老人を喜ばせるのはいゝことね。」  お梅は相手の無邪氣な顏を見詰めてゐると、この女が最早男を知つてゐるのが不思議でならなかつた。そして、その男がどんな顏形をしてゐるのか是非一度は見たくなつた。女を騙すやうな男はどんな柔しい顏して、どんなに口前が旨いだらう? 「雪ちやんは今何處にゐるの。居所ぐらゐ私に通知してゐたつていゝでせうに。」と詰ると、雪子は只笑つてばかりゐて答へなかつた。 「祖母さんの側にゐるほどいゝことはないだらうに、もう西久保の家が厭になつたの?」 「さうぢやないわ。厭になんかなりやしないわ。」 「ぢや、何故家を出たりなんぞするの。」 「だつて私……。」と、雪子は流石に言ひ淀んだが、稍面を曇らせて、「私何も惡い氣があつて家へ歸らないのぢやなくつてよ。……一月の十五日に大雪が降つたでせう、あの日に私途中でお腹が疼くなつたから、ある人の家で休ませて貰つて、家へ使ひをやつて迎へに來て貰つたの。それが元で祖母さん初め傍の者がいろんなことを云ふんですもの。私困つちまふわ。」 「へえ。ぢやそれだけのことなの。」お梅は安心したやうに云つて、「それならば早く言ひ譯が立ちさうなものなのに。貴女は續いてその家で寢起きしてゐるの。學校も止して。」 「仕樣がないわ。私祖母さんに怒られると、居る所がないんですもの。」 「ぢや、私の家へでも來てゐればいゝのに。話の結末がつくまで當分此家へでも來て入つしやいな。さうしてゐちや惡いのか知らん。」 「えゝ。……」 「私の家へ遊びに來てゐてさへ、歸りが一時間も遲れると、祖母さんが心配して迎へを寄越したりしてゐたのに、二月も三月も家を離れてゐるんだもの。祖母さんが夜も眠れないほどに案じてゐるのは無理はないわね。貴女さう思はなくつて?」 「……私もう覺悟してゐてよ。初めは祖母さんなぞのことを思ひ出して泣いて暮してゐたけれど、今では覺悟してるの。これも運命なんですつてね。運命には敵はないから大人しく順ふものだつて。」 「まあ、そんなことを誰れに教はつたの。」 「誰れでもないわ。……私えらいでせう。これからどんな目に會つても吃驚しないで、運命に順ふつもりだから。」 「お父さんが福岡から來て無理に連れて行かうとしたら、貴女はどうして?」 「行かないわ。」雪子は平然として云つて、「私死んでも田舍へは行かないの。私が覺悟してゐるんだから、村上の叔父さんや川越の伯父さんなんかが傍で心配して呉れなくつてもいゝのよ。」 「…………。」お梅は二の句が繼げないで、相手の平氣な顏を見詰めた。大膽なのか無邪氣なのかその心を量りかねて、呆れて口を噤んでゐた。  暫らくして雪子は、柱時計を見上げて、「私十一時までには歸らなきやならないのよ。姉さんにはいろ〳〵聞いて貰ひたいことがあるのだけれど、今度ゆつくりお話しすることにしませうよ。姉さんは私のことを他の人のやうに惡く思つていらつしやらないといふことが分つたから、今日大急ぎでお訪ねした甲斐があると思つてよ。折があつたらまた祖母さんに會つて慰めて上げて下さいな。」  間もなく左樣ならを云つて、雪子は快活な足取りで出て行つた。 「あれぢや、私なぞが意見なんか出來やしない。」と、お梅は歎息した。雪子はお梅とは四つ違ひの十八であつた。  一日々々と戸外は春景色になつた。お梅は故郷の親達や弟妹が花見に來る時節の近づくのを樂みにして待つてゐた。西久保の祖母からはその後不安な手紙は寄越さないので、一寸のがれの安易を感じてゐた。會ふと痛々しくて溜らないから、祖母には成るべく會はないことにしようとさへ思つてゐた。ところがある日「葉山にて雪子」と記した繪端書が來た。 「先日は失禮いたしました。昨日から此處へ來て居ります。海といふものは美しいものね。濱邊に立つて霞んだ沖の方を眺めてゐると、夢の國へでも來てゐるやうな氣がして、思はず私は涙を流しました。姉さんも此地へお遊びに入らつしやいませんか。」  まさか一人で行つてゐるのではあるまいが、よくも臆面もなく若い男と旅行なぞされたものと、最早救ひがたい墮落女と見做すとゝもに、勝手氣儘な所行が多少妬ましく思はれないではなかつた。親の命令通りに結婚して臺所にばかり齷齪してゐる自分はあまり幸福ではなさゝうだつた。 「この男の人は餘程お金持なんでせうね。」と、お梅は夫に繪端書を見せて行つた。 「それはどうだか分らないよ。好いた女を連れて旅行するくらゐな金はどうかして工面がつくものだよ。」 「いゝえ屹度お金持ですよ。コートなんぞもその男がつくつて呉れたのよ。」 「ぢや、いゝぢやないか。お前達が傍であの女の行末を心配しなくつたつて。」 「だつて道に外れてるんですもの。」 「他人の世話にならないで、自分で金持で立派な男を見つけたのなら手柄者ぢやないか。」 「でも、道に外れてるから今に男に見棄てられます。」と、お梅は力んで云つた。  そして、この事件に關ることを避けようとしてゐた癖に、急に樣子を知りたくなつて、自ら進んで西久保の祖母の家を訪ねることにした。 「よく來てお呉れだつたね。」と、祖母はほく〳〵喜んで、あの後の事をくど〳〵話したが、この前ほどに屈託してはゐなかつた。葉山行のことをも、さも悦しい音信のやうに吹聽した。 「雪ちやんも海岸へ遊びに行つたりして結構ですわね。」と、お梅の方では皮肉のつもりで云つても、祖母の方では言葉通りに聞いて、 「あれは海を見たい〳〵と不斷云つてゐたのだから、屹度喜んでるだらうよ。私にもこんな繪端書を寄越したのだよ。」と、端書入れから出してお梅に見せた。それには、お土産には綺麗な貝殼を持つて歸りませうなどゝ呑氣なことが書いてあつた。 「月が變つたら福岡から入らつしやるんでせうのに、雪ちやんは出歩いてゐてもいゝんですかね。事を纏めるには今の間謹愼してゐた方がいゝだらうと思ひますがね。」 「さうだとも。だから、旅行のことは私とお前との間ぎりで祕密にしといてお呉れな。先日先方の男に會つてよくよく話をして見ると、物分りのいゝそれは柔しい男なのだよ。あれなら清が會つて見て不服を云ふ氣遣ひはなさゝうだ。無事に話が纏まつて、あの男が私の片腕になつて呉れるやうなら、さうやきもきするでもなかつたと、今では思つてゐるのさ。」 「さうなるとよ御座んすわね。」 「それもそれだし、來月清が出て來た時に、私が平生決して不經濟な生活をしてゐないことを十分に知らせるために、月々の生活の費用や學資を一錢五厘間違ひもないやうに書き留めてゐるのだがね。お前念のため見てお呉れな。少しでも無駄と思はれるものがあつちや私も威張れないから。」  で、お梅は突き付けられた罫紙の帖面を不承々々に手に取つて注意した。とても自分達には眞似も出來ないやうに細かに付け留めてあるのに驚かされた。無駄と思はれるものゝ見出されないばかりか、計算に間違ひもなかつた。 「よくこんな面倒なことが祖母さんに出來ましたわね。」 「私はまだ耄碌はしてゐないつもりさ。監督が不行屆だの子供を任されないのなんて誰にも云はしやしませんよ。」と、祖母は稍々興奮して云つた。  たわいのない事を云ふかと思ふと、祖母の頭にはこんなに確かりしたところもあるのだと、お梅は自分もこれに倣つて精細な計算帖をつくる氣になつて暇を告げた。  福岡の清夫婦からの土産物として博多織がお梅の家へ屆いたのは彼岸過ぎであつた。豫期したよりも出京の早かつたのは、雪子の身の上のためらしかつた。お梅は芝居の大詰めを見るやうに、祖母一家の結着に好奇心を寄せてゐたが、比方から樣子を見に行くのは面羞かつた。で、土産の禮状を出したきり一日二日と愚圖々々してゐたが、すると、間もなく、親類つゞきの村上の主人が珍しく訪ねて來て、若しや雪子が此家へは來てゐないかと訊いた。 「どうしたのです? 此家へはこの頃些とも來ませんですが。」と、お梅の夫が答へた。 「人騷がせをするので困りますよ。今では老人の方があの女を父親の目から逃げ廻らすやうにするといふ有樣ですから困りものです。無事に收めるにしても一先づ此方へ引き取つて私の家へでも預つて置いてから話を始めようと、その運びになつてゐたのですが、老人の方では娘が福岡へ連れて行かれりやしないかといふ心配が何よりも先に立つと見えて、此方の計劃も打ち壞されてしまひます。」 「そして、貞ちやんや光ちやんはどうなりました?」と、お梅が傍から口を出したが村上は差し當つての混み入つた川村家の事情を迂闊にお梅などには打ち開けないで、曖昧に言ひ濁した。  お梅はこの時は、村上の主人などを向うに並べて、自分一人祖母の味方となつて上げたいと人情に醉つてゐた。 底本:「正宗白鳥全集第六卷」福武書店    1984(昭和59)年1月30日発行 底本の親本:「婦人公論 第一年第五号」中央公論社    1916(大正5)年5月1日発行 初出:「婦人公論 第一年第五号」中央公論社    1916(大正5)年5月1日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ 校正:山村信一郎 2014年6月12日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。