雨ふり 泉鏡太郎 Guide 扉 本文 目 次 雨ふり  一瀬を低い瀧に颯と碎いて、爽かに落ちて流るゝ、桂川の溪流を、石疊で堰いた水の上を堰の其の半ばまで、足駄穿で渡つて出て、貸浴衣の尻からげ。梢は三階の高樓の屋根を抽き、枝は川の半ばへ差蔽うた槻の下に、片手に番傘を、トンと肩に持たせながら、片手釣で輕く岩魚を釣つて居る浴客の姿が見える。  片足は、水の落口に瀬を搦めて、蘆のそよぐが如く、片足は鷺の眠つたやうに見える。……堰の上の水は一際青く澄んで靜である。其處には山椿の花片が、此のあたり水中の岩を飛び岩を飛び、胸毛の黄色な鶺鴒の雌鳥が含みこぼした口紅のやうに浮く。  雨はしと〳〵と降るのである。上流の雨は、うつくしき雫を描き、下流は繁吹に成つて散る。しと〳〵と雨が降つて居る。  このくらゐの雨は、竹の子笠に及ぶものかと、半纏ばかりの頬被で、釣棹を、刺いて見しよ、と腰にきめた村男が、山笹に七八尾、銀色の岩魚を徹したのを、得意顏にぶら下げつゝ、若葉の陰を岸づたひに、上流の一本橋の方からすた〳〵と跣足で來た。が、折からのたそがれに、瀬は白し、氣を籠めて、くる〳〵くる、カカカと音を調ぶる、瀧の下なる河鹿の聲に、歩を留めると、其處の釣人を、じろりと見遣つて、空しい渠の腰つきと、我が獲ものとを見較べながら、かたまけると云ふ笑方の、半面大ニヤリにニヤリとして、岩魚を一振、ひらめかして、また、すた〳〵。……で、すこし岸をさがつた處で、中流へ掛渡した歩板を渡ると、其處に木小屋の柱ばかり、圍の疎い「獨鈷の湯。」がある。──屋根を葺いても、板を打つても、一雨強くかゝつて、水嵩が増すと、一堪りもなく押流すさうで、いつも然うしたあからさまな體だと云ふ。──  半纏着は、水の淺い石を起して、山笹をひつたり挾んで、細流に岩魚を預けた。溌剌と言ふのは此であらう。水は尾鰭を泳がせて岩に走る。そのまゝ、すぼりと裸體に成つた。半纏を脱いだあとで、頬かぶりを取つて、ぶらりと提げると、すぐに湯氣とともに白い肩、圓い腰の間を分けて、一個、忽ち、ぶくりと浮いた茶色の頭と成つて、そしてばちや〳〵と湯を溌ねた。  時に、其の一名、弘法の湯の露呈なことは、白膏の群像とまでは行かないが、順禮、道者、村の娘、嬰兒を抱いた乳も浮く……在の女房も入交りで、下積の西洋畫を川で洗濯する風情がある。  この共同湯の向う傍は、淵のやうにまた水が青い。對岸の湯宿の石垣に咲いた、枝も撓な山吹が、ほのかに影を淀まして、雨は細く降つて居る。湯氣が霞の凝つたやうにたなびいて、人々の裸像は時ならぬ朧月夜の影を描いた。  肝心な事を言忘れた。──木戸錢はおろか、遠方から故々汽車賃を出して、お運びに成つて、これを御覽なさらうとする道徳家、信心者があれば、遮つてお留め申す。──如何となれば、座敷の肱掛窓や、欄干から、かゝる光景の見られるのは、年に唯一兩度ださうである。時候と、時と、光線の、微妙な配合によつて、しかも、品行の方正なるものにのみあらはるゝ幻影だと、宿の風呂番の(信さん)が言つた。──案ずるに、此は修善寺の温泉に於ける、河鹿が吐く蜃氣樓であるらしい。かた〴〵、そんな事はあるまいけれども、獨鈷の湯の恁る状態をあてにして、お出かけに成つては不可い。……  ゴウーンと雨に籠つて、修禪寺の暮六つの鐘が、かしらを打つと、それ、ふツと皆消えた。……むく〳〵と湯氣ばかり。堰に釣をする、番傘の客も、槻に暗くなつて、もう見えぬ。  葉末の電燈が雫する。  女中が廊下を、ばた〳〵と膳を運んで來た。有難い、一銚子。床の櫻もしつとりと盛である。  が、取立てて春雨のこの夕景色を話さうとするのが趣意ではない。今度の修善寺ゆきには、お土産話が一つある。  何事も、しかし、其の的に打撞るまでには、弓と云へども道中がある。醉つて言ふのではないけれども、ひよろ〳〵矢の夜汽車の状から、御一覽を願ふとしよう。  先以て、修善寺へ行くのに夜汽車は可笑い。其處に仔細がある。たま〳〵の旅行だし、靜岡まで行程を伸して、都合で、あれから久能へ𢌞つて、龍華寺──一方ならず、私のつたない作を思つてくれた齋藤信策(野の人)さんの墓がある──其處へ參詣して、蘇鐵の中の富士も見よう。それから清水港を通つて、江尻へ出ると、もう大分以前に成るが、神田の叔父と一所の時、わざとハイカラの旅館を逃げて、道中繪のやうな海道筋、町屋の中に、これが昔の本陣だと叔父が言つただゞつ廣い中土間を奧へ拔けた小座敷で、お平についた長芋の厚切も、大鮪の刺身の新しさも覺えて居る。「いま通つて來た。あの土間の處に腰を掛けてな、草鞋で一飯をしたものよ。爐端で挨拶をした、面長な媼さんを見たか。……其の時分は、島田髷で惱ませたぜ。」と、手酌で引かけながら叔父が言つた──古い旅籠も可懷い。……  それとも、靜岡から、すぐに江尻へ引返して、三保の松原へ飛込んで、天人に見參し、きものを欲しがる連の女に、羽衣、瓔珞を拜ませて、小濱や金紗のだらしなさを思知らさう、ついでに萬葉の印を結んで、山邊の赤人を、桃の花の霞に顯はし、それ百人一首の三枚めだ……田子の浦に打出でて見れば白妙の──ぢやあない、……田子の浦ゆ、さ、打出でて見れば眞白にぞ、だと、ふだん亭主を彌次喜多に扱ふ女に、學問のある處を見せてやらう。たゞしどつち道資本が掛る。  湯治を幾日、往復の旅錢と、切詰めた懷中だし、あひ成りませう事ならば、其の日のうちに修善寺まで引返して、一旅籠かすりたい。名案はないかな、と字の如く案ずると……あゝ、今にして思當つた。人間朝起をしなけりや不可い。東京驛を一番で立てば、無理にも右樣の計略の行はれない事もなささうだが、籠城難儀に及んだ處で、夜討は眞似ても、朝がけの出來ない愚將である。碎いて言へば、夜逃は得手でも、朝旅の出來ない野郎である。あけ方の三時に起きて、たきたての御飯を掻込んで、四時に東京驛などとは思ひも寄らない。──名案はないかな──こゝへ、下町の姉さんで、つい此間まで、震災のために逃げて居た……元來、靜岡には親戚があつて、地の理に明かな、粹な軍師が顯はれた。 「……九時五十分かの終汽車で、東京を出るんです。……靜岡へ、丁ど、夜あけに着きますから。其だと、どつちを見ぶつしても、其の日のうちに修善寺へ參られますよ。」  妙。  奇なる哉、更に一時間いくらと言ふ……三保の天女の羽衣ならねど、身にお寶のかゝる其の姉さんが、世話になつた禮かた〴〵、親類へ用たしもしたいから、お差支へなくば御一所に、──お差支へ?……おつしやるもんだ! 至極結構。で、たゞ匁で連出す算段。あゝ、紳士、客人には、あるまじき不料簡を、うまれながらにして喜多八の性をうけたしがなさに、忝えと、安敵のやうな笑を漏らした。  處で、その、お差支のなさを裏がきするため、豫て知合ではあるし、綴蓋の喜多の家内が、折からきれめの鰹節を亻へ買出しに行くついでに、その姉さんの家へ立寄つて、同行三人の日取をきめた。  ──一寸、ふでを休めて、階子段へ起つて、したの長火鉢を呼んで曰く、 「……それ、何──あの、みやげに持つて行つた勘茂の半ぺんは幾つだつけ。」 「だしぬけに何です。……五つ。」 「五つか──私はまた二つかと思つた。」 「唯た二つ……」 「だつて彼家は二人きりだからさ。」 「見つともないことをお言ひなさいな。」 「よし、あひ分つた。」  五つださうで。……其を持參で、取極めた。たつたのは、日曜に當つたと思ふ。念のため、新聞の欄外を横に覗くと、その終列車は糸崎行としてある。──糸崎行──お恥かしいが、私に其の方角が分らない。棚の埃を拂ひながら、地名辭典の索引を繰ると、糸崎と言ふのが越前國と備前國とに二ヶ所ある。私は東西、いや西北に迷つた。──敢て子供衆に告げる。學校で地理を勉強なさい。忘れては不可ません。さて、どつち道、靜岡を通るには間違のない汽車だから、人に教を受けないで濟ましたが、米原で𢌞るのか、岡山へ眞直か、自分たちの乘つた汽車の行方を知らない、心細さと言つてはない。しかも眞夜中の道中である。箱根、足柄を越す時は、内證で道組神を拜んだのである。  處で雨だ。當日は朝のうちから降出して、出掛ける頃は横しぶきに、どつと風さへ加はつた。天の時は雨ながら、地の理は案内の美人を得たぞと、もう山葵漬を箸の尖で、鯛飯を茶漬にした勢で、つい此頃筋向の弴さんに教をうけた、市ヶ谷見附の鳩じるしと言ふ、やすくて深切なタクシイを飛ばして、硝子窓に吹つける雨模樣も、おもしろく、馬に成つたり駕籠に成つたり、松並木に成つたり、山に成つたり、嘘のないところ、溪河に流れたりで、東京驛に着いたのは、まだ三十分ばかり發車に間のある頃であつた。  水を打つたとは此の事、停車場は割に靜で、しつとりと構内一面に濡れて居る。赤帽君に荷物を頼んで、廣い處をずらりと見渡したが、約束の同伴はまだ來て居ない。──大𢌞りには成るけれど、呉服橋を越した近い處に、バラツクに住んで居る人だから、不斷の落着家さんだし、悠然として、やがて來よう。 「靜岡まで。」  と切符を三枚頼むと、つれを搜してきよろついた樣子を案じて、赤帽君は深切であつた。 「三枚?」 「つれが來ます。」 「あゝ、成程。」  突立つて居ては出入りの邪魔にもなりさうだし、とば口は吹降りの雨が吹込むから、奧へ入つて、一度覗いた待合へ憩んだが、人を待つのに、停車場で時の針の進むほど、胸のあわたゞしいものはない。「こんな時は電話があるとな。」「もう見えませう。──こゝにいらつしやい。……私が行つて見張つて居ます。」家内はまた外へ出て行つた。少々寒し、不景氣な薄外套の袖を貧乏ゆすりにゆすつて居ると、算木を四角に並べたやうに、クツシヨンに席を取つて居た客が、そちこちばら〳〵と立掛る。……「やあ」と洋杖をついて留まつて、中折帽を脱つた人がある。すぐに私と口早に震災の見舞を言交した。花月の平岡權八郎さんであつた。「どちらへ。」「私は人を一寸送りますので。」「終汽車ではありますまいね。それだと靜としては居られない。」「神戸行のです。」「私はそのあとので、靜岡まで行くんですが、糸崎と言ふのは何處でせう。」「さあ……」と言つた、洋行がへりの新橋のちやき〳〵も、同じく糸崎を知らなかつた。  此の一たてが、ぞろ〳〵と出て行くと、些と大袈裟のやうだが待合室には、あとに私一人と成つた。それにしても靜としては居られない。……行──行と、呼ぶのが、何うやら神戸行を飛越して、糸崎行──と言ふやうに寂しく聞える。急いで出ると、停車場の入口に、こゝにも唯一人、コートの裾を風に颯と吹まどはされながら、袖をしめて、しよぼ濡れたやうに立つて、雨に流るゝ燈の影も見はぐるまいと立つて居る。 「來ませんねえ。」 「來ないなあ。」  しかし、十時四十八分發には、まだ十分間ある、と見較べると、改札口には、知らん顏で、糸崎行の札が掛つて、改札のお係は、剪で二つばかり制服の胸を叩いて、閑也と濟まして居らるゝ。此を見ると、私は富札がカチンと極つて、一分で千兩とりはぐしたやうに氣拔けがした。が、ぐつたりとしては居られない。改札口の閑也は、もう皆乘込だあとらしい。「確に十分おくれましたわね、然ういへば、十時五十分とか言つて居なすつたやうでした。──時間が變つたのかも知れません。」恁う言ふ時は、七三や、耳かくしだと時間に間違ひはなからう。──わがまゝのやうだけれど、銀杏返や圓髷は不可い。「だらしはないぜ、馬鹿にして居る。」が、憤つたのでは決してない。一寸の旅でも婦人である。髮も結つたらうし衣服も着換へたらうし、何かと支度をしたらうし、手荷もつを積んで、車でこゝへ駈けつけて、のりおくれて、雨の中を歸るのを思ふとあはれである。「五分あれば間にあひませう。」其處で、別の赤帽君の手透で居るのを一人頼んで、その分の切符を託けた。こゝへ駈けつけるのに人數は恐らくなからう、「あなた氣をつけてね、脊のすらりとした容子のいゝ、人柄な方が見えたら大急ぎで渡して下さい。」畜生、驕らせてやれ──女の口で赤帽君に、恁う言つた。 「お氣の毒樣です。──おつれはもう間に合ひません。……切符はチツキを入れませんから、代價の割戻しが出來ます。」  もう動き出した汽車の窓に、する〳〵と縋りながら、 「お歸途に、二十四──と呼んで下さい。その時お渡し申しますから。」  糸崎行の此の列車は、不思議に絲のやうに細長い。いまにも遙な石壇へ、面長な、白い顏、褄の細いのが駈上らうかと且つ危み、且つ苛ち、且つ焦れて、窓から半身を乘り出して居た私たちに、慇懃に然う言つてくれた。  ──後日、東京驛へ歸つた時、居合はせた赤帽君に、その二十四──のを聞くと、丁ど非番で休みだと云ふ。用をきいて、ところを尋ねるから、麹町を知らして歸ると、すぐその翌日、二十四──の赤帽君が、わざ〳〵山の手の番町まで、「御免下さいまし。」と丁寧に門をおとづれて、切符代を返してくれた。──此の人ばかりには限らない。靜岡でも、三島でも、赤帽君のそれぞれは、皆もの優しく深切であつた。──お禮を申す。  淺葱の暗い、クツシヨンも又細長い。室は悠々とすいて居た。が、何となく落着かない。「呼んだら聞えさうですね。」「呉服橋の上あたりで、此のゴーと言ふ奴を聞いてるかも知れない。」「驛前のタクシイなら、品川で間に合ふかも知れませんよ。」「そんな事はたゞ話だよ。」唯、バスケツトの上に、小取𢌞しに買つたらしい小形の汽車案内が一册ある。此が私たちの近所にはまだなかつた。震災後は發行が後れるのださうである。  いや、張合もなく開くうち、「あゝ、品川ね。」カタリと窓を開けて、家内が拔出しさうに窓を覗いた。「駄目だよ。」その癖私も覗いた。……二人三人、乘組んだのも何處へか消えたやうに、もう寂寞する。幕を切つて扉を下ろした。風は留んだ。汽車は糠雨の中を陰々として行く。早く、さみしい事は、室内は、一人も殘らず長々と成つて、毛布に包まつて、皆寢て居る。  東枕も、西枕も、枕したまゝ何處をさして行くのであらう。汽車案内の細字を、しかめ面で恁う透すと、分つた──遙々と京大阪、神戸を通る……越前ではない、備前國糸崎である。と、發着の驛を靜岡へ戻して繰ると、「や、此奴は弱つた。」思はず聲を出して呟いた。靜岡着は午前まさに四時なのであつた。いや、串戲ではない。午前などと文化がつたり、朝がつたりしては居られない。此の頃ではまだ夜半ではないか。南洋から土人が來ても、夜中に見物が出來るものか。「此奴は弱つた。」──件の同伴でないつれの案内では、あけ方と言つたのだが、此方に遠き慮がなかつた。その人のゆききしたのは震災のぢきあとだから、成程、その頃だと夜があける。──此の時間前後の汽車は、六月、七月だと國府津でもう明くなる。八月の聲を聞くと富士驛で、まだ些と待たないと、東の空がしらまない。私は前年、身延へ參つたので知つて居る。 「あの、此の汽車が、京、大阪も通るのだとすると、夜のあけるのは何處らでせうね。」 「時間で見ると、すつかり明くなるのは、遠江國濱松だ。」  と退屈だし、一つ遠江國と念を入れた。 「横に俥が二挺たゝぬ──彼處ですか。」 「うむ。」とばかりで、一向おもしろくも何ともない。 「其處まで行きませうよ。──夜中に知らぬ土地ぢやあ心細いんですもの。」 「飴ぢやあるまいし。」  と、愚にもつかぬことをうつかり饒舌つた。靜岡まで行くものが、濱松へ線路の伸びよう道理がない。  ……しかし無理もない。こんな事を言つたのは恰も箱根の山中で、丁ど丑三と言ふ時刻であつた。あとで聞くと、此の夜汽車が、箱根の隧道を潛つて鐵橋を渡る刻限には、内に留守をした女中が、女主人のためにお題目を稱へると言ふ約束だつたのださうである。 「何の眞似だい。」 「地震で危いんですもの。」 「地震は去年だぜ、ばかな。」  然りとは雖も、その志、むしろにあらず捲くべからず、石にあらず、轉すべからず。……ありがたい。いや、禁句だ。こんな處で石が轉んで堪るものか。たとへにも山が崩るゝとか言ふ。其の山が崩れたので、當時大地震の觸頭と云つた場所の、剩へ此の四五日、琅玕の如き蘆ノ湖の水面が風もなきに浪を立てると、うはさした機であつたから。  山北、山北。──鮎の鮓は──賣切れ。……お茶も。──もうない。それも佗しかつた。  が、家を出る時から、こゝでこそと思つた。──實は其の以前に、小山内さんが一寸歸京で、同行だつた御容色よしの同夫人、とめ子さんがお心入の、大阪遠來の銘酒、白鷹の然も黒松を、四合罎に取分けて、バスケツトとも言はず外套にあたゝめたのを取出して、所帶持は苦しくつてもこゝらが重寶の、おかゝのでんぶの蓋ものを開けて、さあ、飮るぞ! トンネルの暗闇に彗星でも出て見ろと、クツシヨンに胡坐で、湯呑につぐと、ぷンとにほふ、と、かなで書けばおなじだが、其のぷンが、腥いやうな、すえたやうな、どろりと腐つた、青い、黄色い、何とも言へない惡臭さよ。──飛でもないこと、……酒ではない。  一體、散々の不首尾たら〴〵、前世の業ででもあるやうで、申すも憚つて控へたが、もう默つては居られない。たしか横濱あたりであつたらうと思ふ。……寂しいにつけ、陰氣につけ、隨所停車場の燈は、夜汽車の窓の、月でも花でもあるものを──心あての川崎、神奈川あたりさへ、一寸の間だけ、汽車も留つたやうに思ふまでで、それらしい燈影は映らぬ。汽車はたゞ、曠野の暗夜を時々けつまづくやうに慌しく過ぎた。あとで、あゝ、あれが横濱だつたのかと思ふ處も、雨に濡れしよびれた棒杭の如く夜目に映つた。確に驛の名を認めたのは最う國府津だつたのである。いつもは大船で座を直して、かなたに逗子の巖山に、湘南の海の渚におはします、岩殿の觀世音に禮し參らす習であるのに。……それも本意なさの一つであつた。が、あらためて祈念した。やうなわけで、其の何の邊であつたらう。見上げるやうな入道が、のろりと室へ入つて來た。づんぐり肥つたが、年紀は六十ばかり。ト頭から頬へ縱横に繃帶を掛けて居る。片頬が然らでも大面の面を、別に一面顏を横に附着けたやうに、だぶりと膨れて、咽喉の下まで垂下つて、はち切れさうで、ぶよ〳〵して、わづかに目と、鼻。繃帶を覗いた唇が、上下にべろんと開いて、どろりとして居る。動くと、たら〳〵と早や膿の垂れさうなのが──丁ど明いて居た──私たちの隣席へどろ〳〵と崩れ掛つた。オペラバツグを提げて、飛模樣の派手な小袖に、紫の羽織を着た、十八九の若い女が、引續いて、默つて其の傍へ腰を掛ける。  と言ふうちに、その面二つある病人の、その臭氣と言つたらない。  お察しあれ、知己の方々。──私は下駄を引ずつて横飛びに逃出した。 「あゝ、彼方があんなに空いて居る。」  と小戻りして、及腰に、引こ拔くやうにバスケツトを掴んで、慌てて辷つて、片足で、怪飛んだ下駄を搜して逃げた。氣の毒さうな顏をしたが、女もそツと立つて來る。  此の樣子を、間近に視ながら、毒のある目も見向けず、呪詛らしき咳もしないで、ずべりと窓に仰向いて、病の顏の、泥濘から上げた石臼ほどの重いのを、ぢつと支へて居る病人は奇特である。  いや特勝である。且以て、たふとくさへあつた。  面當がましく氣の毒らしい、我勝手の凡夫の淺ましさにも、人知れず、面を合はせて、私たちは恥入つた。が、藥王品を誦しつゝも、鯖くつた法師の口は臭いもの。其の臭さと云つては、昇降口の其方の端から、洗面所を盾にした、いま此方の端まで、むツと鼻を衝いて臭つて來る。番町が、又大袈裟な、と第一近所で笑ふだらうが、いや、眞個だと思つて下さい。のちに、やがて、二時を過ぎ、三時になり、彼方此方で一人起き、二人さめると、起きたのが、覺めたのが、いづれもきよとんとして四邊を見ながら、皆申合はせたやうに、ハンケチで口を押へて、げゞツと咽せる。然もありなん。大入道の眞向に寢て居た男は、たわいなく寢ながら、うゝと時々苦しさうに魘された。スチームがまだ通つて居る。しめ切つた戸の外は蒸すやうな糠雨だ。臭くないはずはない。  女房では、まるで年が違ふ。娘か、それとも因果何とか言ふ妾であらうか──何にしろ、私は、其の耳かくしであつたのを感謝する。……島田髷では遣切れない。  もう箱根から駈落だ。  二人分、二枚の戸を、一齊にスツと開くと、岩膚の雨は玉清水の滴る如く、溪河の響きに煙を洗つて、酒の薫が芬と立つた。手づから之をおくられた小山内夫人の袖の香も添ふ。  二三杯やつつけた。  阿部川と言へば、きなこ餅とばかり心得、「贊成。」とさきばしつて、大船のサンドヰツチ、國府津の鯛飯、山北の鮎の鮓と、そればつかりを當にして、皆買つて食べるつもりの、足柄に縁のありさうな山のかみは、おかゝのでんぶを詰らなさうに覗きながら、バスケツトに凭れて弱つて居る。 「なまじ所帶持だなぞと思ふから慾が出ます。かの彌次郎の詠める……可いかい──飯もまだ食はず、ぬまずを打過ぎてひもじき原の宿につきけりと、もう──追つつけ沼津だ。何事も彌次喜多と思へば濟むぜ。」  と、とのさまは今の二合で、大分御機嫌。ストンと、いや、床が柔軟いから、ストンでない、スポンと寢て、肱枕で、阪地到來の芳酒の醉だけに、地唄とやらを口誦む。 お前の袖と、わしが袖、合せて、  ──何とか、何の袖。……たゞし節なし、忘れた處はうろ拔きで、章句を口のうちで、唯引張る。…… 露地の細道、駒下駄で──  南無三寶、魔が魅した。ぶく〳〵のし〳〵と海坊主。が──あゝ、之を元來懸念した。道其の衝にあたつたり。W・Cへ通りがかりに、上から蔽かぶさるやうに來た時は、角のあるだけ、青鬼の方がましだと思つた。  アツといつて、むつくと起き、外套を頭から、硝子戸へひつたりと顏をつけた。──之だと、暗夜の野も山も、朦朧として孤家の灯も透いて見える。……一つお覺え遊ばしても、年内の御重寶。  外套の裡から小さな聲で、 「……返つたかい。」 「もう、前刻。」  私は耳まで壓へて居た。  鰌の沼津をやがて過ぎて、富士驛で、人員は、はじめて動いた。  それもたゞ五六人。病人が起つた。あとへ紫がついて下りたのである。……鰌の沼津と言つた。雨ふりだし、まだ眞暗だから遠慮をしたが、こゝで紫の富士驛と言ひたい、──その若い女が下りた。  さては身延へ參詣をするのであつたか。遙拜しつゝ、私たちは、今さらながら其の二人を、涙ぐましく見送つた。紫は一度宙で消えつゝ、橋を越えた改札口へ、ならんで入道の手を曳くやうにして、微な電燈に映つた姿は、耳かくしも、其のまゝ、さげ髮の、黒髮長く﨟たけてさへ見えた。  下山の時の面影は、富士川の清き瀬に、白蓮華の花びらにも似られよとて、切に本腹を祈つたのである。  興津の浪の調が響いた。 大正十三年七月 底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店    1942(昭和17)年10月20日第1刷発行    1988(昭和63)年11月2日第3刷発行 初出:「苦楽 第二巻第一号」プラトン社    1924(大正13)年7月1日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「燈」と「灯」の混在は、底本の通りです。 ※「繃帶」に対するルビの「ほうたい」と「はうたい」、「二人」に対するルビの「ふたり」と「ににん」の混在は、底本の通りです。 ※表題は底本では、「雨ふり」となっています。 ※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。 入力:門田裕志 校正:岡村和彦 2018年3月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。