行つて見たいところ 田山録弥 Guide 扉 本文 目 次 行つて見たいところ  四月から、何処に行つても面白い。海も好い。山も好い。あの温かい風が吹いて来ると、家の中にじつとしてゐられないやうな気がする。此処に少し行つて見たいところを書いて見る。  五月の中頃あたりに、那須の湯元に行つた時の心持は忘れられない。あそこは冬の長い間眠つてゐて、やつとその時分になつて眼を覚したといふやうな感じのするところで、伊香保などよりもぐつと荒涼としてゐる。山桜はまだ開かないし、蕨などもまだ出ない。どてらを引つかけなければ寒いやうなころがをりをりある。それに、あそこの温泉の位置は芭蕉の行つた時とは丸で違つてゐて、その時分には、あの殺生石から此方へと下りて来る渓流の岸に浴舎が並んでゐたらしいが、何でもひどい洪水があつて、それでそこにゐられなくなつて、今の位置に移つたらしい。此処から三斗小屋を通つて会津に出て行く路は、江戸へ出る間道として、昔はかなりに人通りがあつたらしい。  塩原はその頃は無論好い。あそこの谷は紅葉よりも新緑の方が好くはないかと思はれるくらゐである。蕨も沢山に出るし、渓流も美しく日に光るし、躑躅や山藤もそここゝに、チラチラしてゐるし、実際、好い感じのするところである。箱根や伊香保などよりはぐつと好い。それに、単に渓谷として見ても、あれに匹敵するやうなものは、日本にも沢山はあるまいと思はれる。塩の湯あたり、小太郎ヶ淵あたりの春色は何とも言はれない。  日光の川俣温泉、単にさう言つただけでは、誰も知つてゐるものもあるまいが、或はそんなところが日光にあるかえと反問されるかも知れないが、しかしそこにももう一度是非行つて見たいと私は思つてゐる。何でも、人の話では、此頃その温泉の近くにある噴泉塔が評判になつてゐるので、それを見に、団体客などがその山奥まで入つて行くさうであるが、あゝいふところがまたあまりにわるく俗化されずにそのまゝに残されてあるのはなつかしい。そこには何処から行くかといへば、それはあの奥の湯元からまた四里以上も奥深く入つて行かなければならないのである。とても女子供にはむづかしい、中禅寺から行けば、男体山と湯岳との間の凹所を越して、七里も入つて行かなければならないのである。  噴泉塔は大分人が見に行くらしい。それはかなりに深い山の中にある。ちよつと案内者なしに行かれないであらう。そこは日光の慈観の瀑のある谷に似てゐて、あれよりはぐつと深い。そしてその石灰質の噴泉塔が五六尺の高さに及んでゐて、そこから温泉が絶えず吹き出してゐる。ちよつと奇観である。  山路がもつと開けて、川俣温泉あたりまでは、女子供でも楽に行けるやうになれば好いと常に私は思つてゐる。  これに引かへて、鬼怒川方面は大分開けた。今市から中岩橋、藤原、あそこいらには電車がある。私が三十年も昔に『日光山の奥』の中に書いた滝温泉が今は上滝温泉と言はれて、設備もかなりに出来たらしく、をりをり新聞の勝地案内にその写真が出て来てゐるのを見るのはなつかしい。鬼怒川の谷では、あそこいらが一番好いところである。これに比べると、川治はやゝ行き詰つてゐる。それに温泉もやゝ陰気である。  湯西川の湯までは流石に誰も行かぬらしい。此間私はかうある人に云つた。『先づ川治から、あそこに行つて、それから土呂部の方へは出ずに、近路をして川俣温泉の方へ行つて見るのが面白い。しかしあそこはことに由ると、橋が落ちてゐて、徒渉しなけれはならぬかも知れない。いや、水でも出てゐると、何と言つても鬼怒川の本流だから、とても徒渉が出来なくなつて、そこから引返さなければならないかも知れないが、兎に角あそこの路は面白い。また枯木峠から会津にぬけて見るのも面白い。何と言つてもあそこいらは深い山の中だからねえ……』しかし、あそこいらまで入るのには、五月ではまだ早い。矢張り夏にならなければ駄目である。  那須駅から黒羽附近、雲岩寺、更に峠を向うに越して、久慈川の渓谷に入つて行くのも捨て難い。久慈川の谷はさう大してすぐれてゐるといふのではないが、磐城と常陸の境に、矢釜山などといふ奇勝がある。つまり水戸の先の太田まで軌道で行つて、それから磐城の棚倉の方へと出て行く途中にあるのである。帰りに、白河の古関址などを探るのもまた一つの面白い旅の行程である。甲子温泉の谷は渓谷としてはかなりにすぐれてゐるが、入つて行くのには、ちよつと億劫である。  山も好いが、海も好い。山陰道あたりを四月頃に旅をしたら何んなに愉快だらうかと思ふ。隠岐にももう一度行きたい。そして今度は大満寺山あたりまで登つて見たい。石見も三瓶に登つて、そこからすつと下りて、断魚渓に行つて見たい。話できいたのでは、長門峡の方が好いさうだが、あれとはまた違つた趣致があるらしいやうに私には思はれる。安芸の三段峡にも、余り俗化されない中に行つて見たいと思つてゐる。朝鮮の金剛山の渓谷も決してわるいとは思はないが、何うも水が少いので私達日本人には物足りない。岩石もなくてはならないが、それよりも一層渓谷に必要なのは水だと思ふ。 底本:「定本 花袋全集 第二十七巻」臨川書店    1995(平成7)年7月10日発行 底本の親本:「海をこえて」博文館    1927(昭和2)年11月25日 初出:「読売新聞」    1926(大正15)年3月29日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:きゅうり 校正:岡村和彦 2019年7月30日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。