小酒井不木氏の思い出 ─その丹念な創作態度─ 国枝史郎 Guide 扉 本文 目 次 小酒井不木氏の思い出 ─その丹念な創作態度─             ◇  小酒井不木さんが逝去された。哀悼にたえない。氏が医学界と探偵小説界に尽くされた功績の数々については、世人は大方知悉していられることと思われる。  ここでは主として氏が日常のことと執筆態度などについて書くことにする。  氏の義理堅さは有名なもので、原稿など依頼を受け、引き受けられるや、枚数期日など極めて正確で殆ど編集者に迷惑をかけたことなどはなかった。いつも編集者に安心を与えていられた。これは医者が患者に安心を与えて、その心を喜ばせるという、あの心理から来ている。  会合などのあった場合に、時間通りといいたいが、時間より早く来られるのが氏の特色であった。  学者ぶらないばかりか、学者あつかいにされることを嫌って、そういう話を持ちかけると、いつも上手に、何んとなく別の方へ話を持って行かれた。             ◇  手紙をよく書かれたのも有名で、氏へ手紙を出して、その返辞を貰わなかった人は殆どあるまい。時々返辞が遅れたり溜ったりされた時は、病体を押してわざわざ出かけて来られ「手紙を取りっぱなしにして済みません、それで参りましたよ」などと軽い調子でいわれて、愉快そうに話して行かれた。  そのように几帳面であったので、時々微笑させられるようなことがあった。此方でハガキを差し上げるとハガキで返辞をされ、こっちで封書を差し上げると封書で返辞をされ、こっちで此方の町名番地姓名を印刷ズリのもので差し上げると、氏もそうしたもので返辞をされ、こっちで、侍史と書けば氏も侍史と書いて来られ、硯北と書いて差し上げると硯北と書いてよこされた。驚くべき対等さであり、驚くべき他人感情顧慮さであった。で、つい微笑してしまう。  氏は決して人や人の作を悪口しなかった人であった。患者に対して医者が「悪いよ」というと必ず患者は不快の心持を起こす。だから「悪いよ」ということをいってはいけないという──あの医者としての心掛から来ているものと思われる。 「能率的にお書きなさいよ」と人に進められるのが氏の癖であった「創作ですよ。そう能率的にばかり書けるものですか」などと私達がいうと、「でも私は能率的に書いておりますよ。あなたも能率的にお書きなさいよ」とまた進められる。実に人にそういって飽かずに進められたそのことこそ誠に能率的であった。  実際氏は能率的に作をされた。人の十年かかってやれるかやれないか解らない程の分量の仕事を、──科学の研究方面でも創作の方面でも三年間ばかりの間に行られた。  人が能率的に仕事をしていないのを見ると、氏は自分だけが能率的に仕事をやっていることに面栄ゆさを感ずるのではないかと思われる程であった。             ◇  私は氏の書斎において、氏の書かれた原稿を見た。どの作もそうだとはいわないが第一義の作をされる時には、決してぶっつけに書かず、下書をして書かれていたことを知った。まずこういうような順序である。(一)筋立をされる。(二)それを辿って創作される。その創作を縦横に訂正される。(三)これを更に清書されるのである。探偵小説は破綻があってはならない。伏線は全部合理的に解決しなければならない。という所から、これほどの苦心をされたのである。つまり一ヶ所でも不合理のところがあったら訂正しなければならない。で、後から後からと訂正されるのである。ぶっつけに書けず──いや書かず、下書きをして清書をした理由である。こういう努力をしながらも、氏は多作家として有名である。いかに努力家であったか、精力家であったか、そうして創作力が旺盛であったか、なお、いかに多くの材料を持っていたかが想像されるではないか。  死病の床につかれた時「もう三日活きたい」といわれたそうである。三日の日を経過することが出来たら、この病気は快癒に向うものと信じたかららしかった。「しかし本当の所はもう三年活きたい」といわれたそうである。後三年間の間に、志していられた事業を完成される予定があったものと思われる。  しかし、いよいよ死を知るや、周囲の医者を見廻され、「どうかしろ! どうかする方法はないか!」といわれたということである。しかしその後は沈黙を守られたそうである。しかし、殆ど全く死に這入られた時、一人の医者が「先生!」と大声に呼ぶと、眼を大きくあけ「うん!」とハッキリいわれグッと頤をしゃくられたということである。  氏の命を取った病気は、宿痾の肺結核ではなく、その肺結核は殆ど完全に治療をしてしまったのであった。風邪を引かれ、肺炎となり、最後に心臓麻痺をもって斃れたのであった。  死後行われたことは、愛知病院整形外科医員の手によって、死面を取ったことおよび氏の創作「疑問の黒枠」に揷絵を描いた大沢鉦一郎氏がその死顔を描写したこと等々々である。  今我々は氏の通夜の席に坐っている。棺は花で埋もれている。思い出は尽きない。 底本:「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」作品社    2005(平成17)年9月15日第1刷発行 底本の親本:「サンデー毎日」    1929(昭和4)年4月14日 初出:「サンデー毎日」    1929(昭和4)年4月14日 入力:門田裕志 校正:Juki 2014年5月14日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。