星の女 鈴木三重吉 Guide 扉 本文 目 次 星の女     一  姉妹三人の星の女が、毎晩、美しい下界を見るたびに、あすこへ下りて見たいと言ひ〳〵してゐました。  三人は或晩、森のまん中に、すゐれんの一ぱいさいてゐる、きれいな泉があるのを見つけました。三人ともその水の中へつかつて見たいと思ひましたが、そこまで下りていく手だてがありません。三人は夜どほしその泉を見つめて、ためいきをついてゐました。  そのあくる晩も、三人はまたその泉ばかり見下してゐました。泉は、ゆうべよりも、なほ一そううつくしく見えました。 「あゝ下りていきたい。一どでいゝからあの泉であびて来たい。」と、一ばん上の姉が言ひました。下の二人も同じやうに下りたいと言ひました。  すると、高い山のま上を歩くのが大好きな、月の夫人がそれを聞いて、 「そんなにいきたければ、蜘蛛の王さまにそう言つて、蜘蛛の糸をつたはつて下しておもらひなさい。」と言ひました。  蜘蛛の王さまは、いつものやうに、網の中にすわつて、耳をすましてゐました。星の女たちは、その蜘蛛の王さまにたのみました。蜘蛛の王さまは、 「さあ〳〵、下りていらつしやい。私の糸は空気のやうにかるいけれど、つよいことは鋼と同じです。」と言ひました。  三人はその糸につかまつて、一人づゝ、する〳〵と泉のそばへ下りて来ました。  泉の面には、月の光が一面にさして、すゐれんの花のなつかしい香がみなぎつてゐます。三人はきらびやかな星の着物をぬいで、そつと水の中へはいりました。  すが〳〵しい、冷たい水でした。三人はしづかにすゐれんの花をかきわけていきました。三人のはだには、水のしづくが真珠のやうにきら〳〵光りました。  と、その泉のぢきそばに、或若い猟人が寝てゐました。三人はそれとは気がつかないでにこ〳〵よろこんで水を浴びてゐました。うと〳〵寝てゐた猟人は、三人の天の女が、泉のすゐれんの花をゆるがせて、水の中を歩いてゐる夢を見て、ふと目をさましました。ひぢをたてゝ泉の面を見ますと、まつ青にさしてゐる月の光の中で、三人の美しい女が、たのしさうに水を浴びてゐます。  猟人はこつそりと、泉の岸をつたはつて、三人の着ものがぬいであるところへいきました。そして、その中の一ばんきれいな着ものを手に取つて見ました。それは、金と銀との糸でおつて、いろさま〴〵の宝石を使つて縫ひかざりをした、立派な着もので、左の胸のところには、心臓の形をした大きな赤い紅宝石が光つてゐました。  猟人は、その着物をかゝへて、もとのところへかへつて、かくれてゐました。  三人の星の女はそんなことは夢にもしらないで、永い間水をあびて楽しんでゐました。そのうちに、だん〳〵と夜あけぢかくなりました。すると、蜘蛛の王さまが空の上から、 「もうおかへりなさい。お日さまがお出ましになると、お日さまのお馬が糸を足で踏み切ります。早く空へお上りなさい。」と言ひました。  星の女はそれを聞くと、いそいで岸へ上りました。二人の姉はすぐに着物を着て、目に見えぬ蜘蛛の糸の梯子を上つて、大空へかへつていきました。  三人の中で一ばん美しい下の妹は、一しよにぬいでおいた着物がないのでびつくりしました。それがなければ空へかへることが出来ないので、一しようけんめいにあたりをさがしましたが、見つかりません。  そのうちに、お日さまがお出ましになりました。お日さまのお馬は、蜘蛛の糸を足でふみ切つてしまひました。  星の女はとはうにくれて、草の上にうつぶして泣いてゐました。さうすると森の鳥がおきて来て、 「あなたのうつくしいおめしものは、わかい猟人が取つていきました。その猟人は、あすこの木の下で、寝たふりをしてゐます。」  かう、さへづつて星の女にをしへました。星の女はそれを聞くと、すゐれんの花をつなぎ合せて花の着物をこしらへて、それでからだをつゝんで、猟人のところへいきました。そして、 「どうか私の金と銀の着物をかへして下さい。そのかはりには、あなたのおのぞみになることは何でもしてあげます。」と、泣き〳〵たのみました。猟人は、 「私は何にもほしくはない。あなたが私のお嫁になつてくれゝば何にもいらない。」と言ひました。  星の女は、着物をとり上げられては、もう下界をはなれる魔力もなくなつたので、しかたなしに猟人のお嫁になりました。  猟人は、星の女をだいじにかはいがりました。星の女の姿は、すゐれんの花のやうに美しく、その声は、どんな小鳥の声よりも、もつとやさしくひゞきました。  猟人は毎日猟に出て、食べものを取つて来ました。そして星の女に、その日のいろ〳〵の楽しいお話をしました。  しかし星の女は、そういふ中でも、大空のお家を忘れることが出来ませんでした。女は、月のでる晩には、一人ですゐれんの泉のそばに出て、大空を見ては泣きました。せめて二人の姉の星が、もう一ど下りて来てくれゝばいゝのにと思つて、待ちこがれてゐましたが、二人はだまつて青い目をまばたいてゐるきりで、毎晩蜘蛛の王さまが糸を下しても、ちつとも下りて来ようとはしませんでした。     二  そのうちに、星の女には、つぎ〳〵に男の子が三人も生れました。星の女はその子たちが大きくなるのを、たゞ一つの楽しみにして暮しました。  そのつぎには、かはいらしい女の子が生れました。星の女には、その女の子がかはいくつて〳〵たまりませんでした。  或日猟人の生れた遠い町からはる〴〵使が来ました。猟人のお父さまが病気で死にかゝつてゐるといふ知らせです。猟人はびつくりして、 「私はこれからすぐにいかなければならない。」と言ひました。星の女はそれを聞いて、 「でもその長い旅の途中で、わるい獣にお殺されになつたらどうなさいます。」と言つて泣きました。猟人は星の女をなだめて、 「そんな心配はけつしてない。私の父さまには私より外には子が一人もないのだから、どうしても私がいつて、やすらかに目を閉ぢさせて上げなければかはいさうだ。おとむらひをすませたら、すぐにかへつて来る。どうぞ子どもたちと一しよにまつてゐておくれ。七日たつたらかならずかへつて来る。」と言ひました。すると一ばん上の男の子が、 「私は父さまと一しよにいつて、お祖父さまを見て来たい。」と言ひました。猟人は、 「お前はみんなと一しよに家にゐて、どろ坊の番をしておくれ。」と言ひました。男の子は、 「それでは、この森の先まで一しよにいつて、そこからかへつて来るの。そして、母さまと一しよにお家の番をするの。」と言ひました。猟人は、その子をつれて森のはづれまで来ますと、 「もうこゝからおかへり。これは家のお部屋中の鍵だから、おまへにあづけておく。」と言つて、鍵のたばをわたしました。そして、 「よく言つておくが、どんなことがあつても、二階の小さいお部屋へはいつてはいけないよ。そのお部屋の鍵穴にこの金の鍵がはまるのだが、あすこだけは、けつして開けてはいけないよ。」と、いくども言つて聞かせました。男の子は分つた〳〵と、うなづきました。猟人は、 「では、なんにもこはいことはないから、おとなしく待つてお出で。」と言つて、わかれました。  男の子はまた森をとほつて、お家へかへつて見ますと、お母さまが戸口に立つて、しく〳〵泣いてゐます。男の子は、「どうして泣いてゐるの? 私がかへつたから、どろ坊が来てもこはくはないでせう?」と言ひました。するとお母さまは、 「どろぼうなんかはちつともこはくはない。」と言ひました。 「それでは何が悲しいの?」 「だつて父さまは、もうこゝへかへつては入らつしやらないんだもの。」 「うゝん、さうぢやない。父さまはぢきかへると仰つた。」 「それから私も、もうお家へかへらなければならないのよ。かへつたら、もう二度と出ては来られない。」  お母さまはかう言つて、またさめ〴〵と泣きました。男の子は、 「そんなら私たち三人や、小さな赤ちやんをみんなおいていくの?」と聞きました。星の女は、さう言はれるとびつくりして、 「いや〳〵、私はもうどんなことがあつてもかへりはしない。安心しておいで。あの赤ん坊やおまへたちをおいて、どうしてかへつていかれよう。」  かう言ひ〳〵涙をふきました。男の子はそれで安心して、みんなと一しよにあそびました。  するとその晩、男の子は、外の月のあかりの中で、だれかゞうつくしい小鳥のやうな声で、しきりと何か言つてゐるので目がさめました。  聞いてゐると、その鳥のやうな声は、 「蜘蛛のはしごが下りてゐる、早くかへつてお出でなさい。」といふことを、かなしいふしでうたつてゐます。  そばで赤ん坊に添へ乳をしてゐたお母さまは、 「ねんねんよ〳〵。この子は私の紅宝石だものを、この子をおいてはかへれない。」といふ意味を謡でうたひながら、赤ん坊の寝顔を見つめてゐました。  すると、外からは、 「そんなら二人でおかへりなさい。紅宝石をだいて二人で。」と謡ひます。お母さまは、しばらく黙つてゐました。そのうちに、外の声は、また、 「蜘蛛の梯子が下りてゐる。 おまへが七年ゐないとて、 星の二人は泣いてゐる。」 と、また謡ひ出しました。赤ん坊はふと目をさまして泣き出しました。お母さまは、そつとそのお背中をたゝいて、 「ねん〳〵よ、ねん〳〵よ。かへれ〳〵と言つたつて、玉の飾りの着物がない。」と、悲しさうに謡ひました。  赤ん坊はまたすや〳〵と眠りました。  それからしばらく、何の声もしませんでしたが、やがてまた外の月のあかりの中から、 「鍵をおさがしなさい。お前の着物のかくしてある、小さなお部屋の金の鍵を。」と小さな美しい声で謡ひました。  男の子は、その謡を聞いてゐるうちに、一人でに、うと〳〵と眠つてしまひました。さうするとその子の夢の中へ、二人の美しい女の人が出て来て、 「いゝ子だから、二階のあのお部屋の戸をあけて下さい。さうすればおまへのお母さまはもう泣きはしないから。」と言ひました。男の子は朝、目がさめると、お母さまに向つて、 「私は昨夜、だれかゞお母さまに早くおかへり〳〵と言つていくども謡つたのを聞いた。」と言ひました。お母さまは、 「おまへは夢でも見たのでせう。」と言ひました。そして、あとで一人でさめ〴〵と泣きました。  男の子は、たしかに目をあいてゐて聞いたのですから、もしほんとうにお母さまがかへつてしまつたらどうしようと思ひ〳〵、いちんち昨夜の歌のことばかり考へてくらしました。     三  その夕方、男の子は、ゆうべ二人の女の人が、あの二階の部屋をあければお母さまはもう泣きはしないと言つたのを思ひだしました。そして、さうすればお母さまは、もう家へもかへりはしないだらうと思ひました。そのときお母さまは、下の二人の男の子と赤ん坊とに水あびをさせに、泉へいつてゐました。  男の子は、いそいで二階へ上つて、小さな金の鍵で、そこの部屋の戸をあけました。さうするとその部屋の中には、金と銀の糸でおつた、色々の宝石の飾りのついた、きれいな着物がかけてありました。  おろして見ますと、その着物の胸のところには、大きな紅宝石がついてゐました。飾りの宝石もその紅宝石も、ちようど夜の空の星のやうに、きら〳〵とまぶしく光ります。男の子はびつくりして、その着物をお母さまに見せようと思つて持つて下りました。  しばらくするとお母さまは、二人の男の子と、赤ん坊とをつれてかへつて来ました。男の子は、 「母さま〳〵、こんなきれいな着物が二階にありました。着てごらんなさい。」と言ひました。お母さまは、それを見ると、うれしさうにほゝゑんで、すぐにからだにつけました。子どもたちは、お母さまがその着物を着て、きれいなお母さまになつたものですから、よろこんで踊りまはりました。男の子は、 「父さまがかへるまで、毎晩貸して上げる。そして父さまがかへつたら、私がたのんで、もらつて上げる。」と言ひました。お母さまは、 「今晩赤ちやんを寝かせるまで貸しといておくれね。」と言ひました。男の子は、 「それまで着て入らつしやい。」と言ひました。  男の子はその晩は、いつまでも眠らないで、床の中で目をあいてゐました。さうすると、間もなくまた、外の月のあかりの中から、うつくしいこゑで、 「蜘蛛の梯子が下りてゐる。 おまへが七年ゐないとて、 二人の星は泣いてゐる。」 と、小鳥のやうなうつくしいこゑでうたふのが聞えて来ました。  それから、しばらく何の声もしませんでしたが、こんどは、赤ん坊に添へ乳をしてゐたお母さまが、 「ねん〳〵よ、ねん〳〵よ。わたしのかはい紅宝石を、どうしておいていかれよう。」と、謡ひました。男の子は聞いてゐるうちに、ひとりでにうと〳〵と眠くなつて、お母さまの声がだん〳〵に遠くの方へいつてしまふやうな気がしました。そしてそれなり、お日さまが出るまで、ぐつすり寝てしまひました。  男の子は朝、目をさまして、ゆうべの歌のことを言はうと思つて、お母さまをさがしますと、お母さまはどこにもゐません。男の子は、 「それでは、すゐれんの泉へいつたのだらう。」と思つて、そちらへさがしにいきましたが、お母さまはやつぱりそこにもゐませんでした。それでまた家へかへつて見ますと、お母さまばかりでなく、小さな赤ん坊もゐなくなつてゐました。男の子は、 「これはきつと、悪いどろぼうが、お母さまと赤ん坊をさらつていつたのにちがひない。をとゝひの晩からの美しい歌は、きつと、どろぼうが母さまをだましてつれ出さうと思つて謡つたのだ。」と思ひました。見ると、お母さまに貸して上げた、あの玉の飾りのついた、きら〳〵した着物もありません。  下の二人のこどもは、母さまがゐない、母さまがゐない、と言つて泣き出しました。男の子は二人をなだめて、森の中をさがしてまはりましたが、どこまでいつて見ても、お母さまはゐませんでした。二人の子どもは、 「母さまがゐないからこはい。母さまがゐないからこはい。」と言つて、どんなにだましても聞かないで、いちんちおん〳〵泣いてこまらせました。男の子もしまひには、 「母さま、かへつてよ。母さま、かへつてよう。」と言ひ〳〵泣きました。二人の子どもは、お腹がすいてたまらないものですから、よけいにわあ〳〵泣きました。  男の子は、そのうちにふと、お父さまからあれほどきびしくとめられてゐたことを思ひ出して、 「あゝ、しまつたことをした。父さまの言ふことを聞かないで、二階の部屋の戸をあけたので、あの美しい玉の飾りの着物までなくなつてしまつた。父さまがかへつたら、何と言はう、母さまや、赤ん坊がゐなくなつたのも、きつと私が父さまの言つたことにそむいたばちにちがひない。」  かう思ふと、なほ〳〵かなしくなりました。  間もなく日がくれて、美しい月夜になりました。男の子は二人の子どもを寝床へ寝かせようとしてゐますと、ふと入口の戸があいて、お母さまが、ゆうべの玉の飾りの着物を着てかへつて来ました。下の二人の子どもは、大よろこびで、お母さまに飛びつきました。 「母さまがゐないからこはかつた。」 「私も怖かつた。」と二人はかはる〴〵言ひました。お母さまは、 「もう私がついてゐるから、何にもこはいことはありません。それよりも、みんなさぞお腹がすいたでせう。さあこれをおあがりなさい。」と言つて、大空からもつて来た、おいしい果物を分けてやりました。二人の子供はうれしがつて、どん〳〵食べました。しかし一ばん上の男の子は、それを食べようともしないで、 「母さま、赤ん坊はどこへいつたの。母さまは私たちをおいていきはしないと言つたのに、どうしてよそへいつたの。」と聞きました。お母さまは、 「赤ん坊は私の二人のお姉さまのそばで寝てゐます。私はこれからすぐにまたお家へかへつて、遠くから見てゐて上げるから、みんなでおとなしくおねんねをするのよ。またあすの晩もおいしいものをもつて来て上げるから。」と言ひました。男の子は、 「それではその玉の着物をぬいでいつてね。父さまが、あのお部屋をあけてはいけないと言つたのに、私があけて出したのだから、父さまにしかられる。父さまがかへつたら、私がねだつて、もらつて上げる。」と言ひました。お母さまは、 「そんなことはいゝから、早くこの果物をおあがり。」と言ひました。男の子はさう言はれたので安心して、お母さまとならんで、そのおいしい果物を食べました。  さうすると、だん〳〵に金の鍵のことも玉の飾の着物のこともみんなわすれてしまひました。そしてお母さまが美しい着物を着て、美しい人になつてゐるのが、うれしくてたまりませんでした。     四  男の子は、もうお母さまはどこへも出ていかないものと思つて、安心して寝床へはいりました。すると、そのうちに、また、ふいと歌の声がするので目がさめました。ぢつと聞いてゐると、やつぱりゆうべと同じ美しい声で、 「紅宝石がしきりと泣いてゐる。 日が出ぬうちにかへらねば、 馬の蹄が糸を切る。」 と謡ひました。  お母さまは、ちやうど一ばん下の子どもが目をさましたのを寝かしつけてゐました。外の声が止むと、お母さまは、 「ねん〳〵よ、ねんねんよ。この子はこよひつれていく。この子にこゝで泣かれては、私もお空で泣くのだから。」と、言ひ〳〵涙をふきました。  一ばん上の男の子は、またひとりでに眠くなりました。そして、 「明日は母さまにさう言つて、赤ん坊をつれてかへつてもらはう。さうすれば母さまはもうじぶんのお家へかへらないですむだらう。」と、かう思ひ〳〵寝てしまひました。  あくる朝目をさまして見ますと、お母さまは、いつの間にか、一ばん下の弟と一しよに、ゐなくなつてゐました。二ばん目の弟は、母さまがゐないと言つてわあ〳〵泣きました。男の子は、 「泣かなくてもいゝよ。母さまは夜になればまた来て下さるから。」と言つて、なだめました。しかし弟は、何と言つても泣き止まないので、しまひには涙で目がまつ赤にはれました。  そのうちに、日がくれて、空には星が一ぱい出ました。すると間もなく、入口の戸があいて、お母さまがかへつて来ました。  二ばん目の男の子は、走つて来て、お母さまの手に取りついて泣きながら、 「二人きりでこゝにゐるのはいや。母さまのお家へつれてつて。」と言ひました。  お母さまは二人に頬ずりをして、またゆうべのやうな、おいしい果物を分けて食べさせました。一ばん上の男の子は、 「母さまはとう〳〵二人ともお家へつれてつてしまつたのね。父さまがかへつたら、何と言へばいいの。」と心配さうに聞きました。お母さまは、 「それはまたあとでお話するから、早くお食べなさい。」と言ひました。  男の子は、ひもじくてたまらないので、急いで果物を食べました。そして、もう悲しいことも心配ごともわすれて、お母さまと楽しくお話をして、しまひに寝床へはいりました。  男の子は明け方ぢかくに、ふと目がさめました。さうすると、また外に歌の声がしてゐました。 「日が出ぬうちにかへらねば、 馬の蹄が糸を切る。 二人は夜どほし泣いてゐる。」 と、小鳥のやうな美しい声で謡つてゐます。お母さまは、二番目の子が目をさましたのを寝かせながら、 「ねん〳〵よ、ねん〳〵よ。この子が寝たらつれていく。あとでこの子に泣かれては、私もお空で泣くのだから。」と、悲しさうに言ひました。  男の子はその歌を聞きながら、またすや〳〵と寝入つてしまひました。  朝起きて見ますと、窓にはもう日かげがまつ黄色にさしてゐました。そして、お母さまも弟もみんなゐなくなつてゐました。  男の子はいちんち一人で泣きつゞけて、涙で目がまつ赤にはれました。  やがて夜になつて、大空に星がかゞやきはじめたと思ふと、また入口の戸があいて、お母さまがかへつて来ました。男の子はお母さまの手に取りすがつて、 「母さまはどうしてみんなをつれてつてしまつたの。父さまがかへつたら、びつくりするよ。早くみんなをつれてかへつてね。ねえ、母さま。父さまがかはいさうだから。」と、たのみました。お母さまは、 「そんなことはあとにして、早くこれをお上りなさい。」と言ひながら、空からもつて来た果物をたくさんならべました。しかし男の子は、いくらすゝめても食べませんでした。お母さまは、 「それでは、これから私と一しよに、おまへの大好きな赤ん坊と、あの二人の弟たちのところへいきませう。さあお立ちなさい。」と言ひました。男の子は、 「私は一人でこゝにゐる。父さまは、かへるまでちやんとお家の番をしてお出でと言つたから、私は一人で番をするの。」と言ひました。 「それでは私はもういきますよ。父さまは明日かへつて入らつしやるはずだから、おかへりになつたらさう言つて下さい。母さまは、玉の飾りの着物を見つけましたから、もうお家へかへりましたと言つて下さい。母さまはこれまで長い間、毎日〳〵どんなにお家へかへりたかつたか知れません、もう今晩きりで二どとこゝへは来ないから、よく母さまのお顔を見ておおき。それから父さまが、なぜ二階のお部屋をあけたとお聞きになつたら、二人の女の人が、夢の中で、母さまが泣いてゐてかはいさうだからあけてお上げと言つたから、開けたのですとお言ひなさい。」  お母さまはかう言ひ〳〵さめ〴〵と泣きました。 「母さまのお家はどこにあるの? こゝからよつぽどとほいの?」と、男の子は聞きました。 「それは、あとでお父さまにお聞きなさい。」  星の女は、かう言つて、間もなく空へかへつてしまひました。     五  あくる日になりますと、男の子はお父さまがもうかへるか、もうかへるかと思ひながら、いちんち戸口に立つて待つてゐました。さうすると、やつと夕方近くなつて、向うの森の中に、お父さまのかへつて来る姿が見えました。男の子は走つて迎へにいつて、 「父さま、私はずゐぶん悪いことをしたの。女の人が二人、私が寝てゐるうちに来て、母さまがかはいさうだから、二階のお部屋をおあけと言つたから、金の鍵であけたの。さうすると玉の飾りの一ぱいついた、きれいな着物があつたから、母さまに見せたら、母さまが貸してくれと言つた。そしてその晩、外からたれかゞ謡をうたつて母さまをよぶと、母さまはその着物を着たまゝいつてしまつたの。」  かう言つて泣き〳〵話しました。お父さまはそれを聞くとびつくりして、 「ごらんよ、私のいふことを聞かないから、おまへたちはとう〳〵母さまをなくしてしまつたぢやないか。しかしもう悔んでも仕方がない。お部屋をあけたことは、ゆるして上げるから、これからはけつして父さまのいふことにそむいてはいけないよ。母さまはそのうちには、おまへたちを見たくてかへつて来るかもわからない。これからみんなで赤ん坊のおもりをして、たのしくくらすことにしよう。」  かう言つて、涙をこぼしました。 「でも赤ん坊は母さまが、あの玉の飾りの着物を貸してくれと言つた晩に、一しよにつれていつてしまつたの。」と男の子は言ひました。お父さまは、 「赤ん坊もいつたのか。」と悲しさうに言ひました。 「しかし、あの子はお乳がないとこまるから、母さまのそばにゐた方が仕合だ。それでは四人で一しよにくらしていかう。」 「でも母さまは、そのあくる晩と、またあくる晩に、二人ともつれてつてしまつたの。ゆうべは、私をつれに来たけれど、私は父さまがかはいさうだから、いかないと言つたの。」  男の子がかう言ひますと、猟人は、よろこんでだき上げて、 「よくいかないでゐてくれた。それではこれから、どんなことがあつても、おまへは父さまのそばをはなれないかい?」と頬ずりをして言ひました。 「私は、いつまでも父さまと一しよにゐるの。そして、父さまのいふことをよく聞くの。」と男の子は言ひました。二人は、そのまゝ森の家でくらしました。  猟人は毎日、その子をつれて猟に出て、夕方になるとまた一しよにかへつて来ました。しかし男の子は、毎日お母さまのことがわすれられませんでした。夜になつて、大空に星が一ぱい出ると、男の子は一人で門口へ出て、そのたくさんの星の中の、どれがじぶんのお母さまか、どれが妹か弟かと思ひながら、いつまでも空を見上げてゐました。  それから寝床へはいつて寝るときにも、いつもお母さまや妹や弟たちにあひたいとおもつて一人で泣きました。  そのうちに、お母さまたちがゐなくなつてから一年になりました。すると、或晩、夜中に、猟人は男の子を呼びおこして、 「こゝへお出で。早くお出で。父さまは急に気分が悪くなつた。」と言ひました。男の子はびつくりして、そばへいつて見ますと、お父さまはまつ青な顔をして目をつぶつてゐました。男の子は、お父さまの手をさすつて、 「今日はあんまり遠くまで歩いたからよ。あしたは猟を休んで家にゐませうね。」と言ひました。お父さまは、 「あゝ、くちびるがかわく。冷たい水を飲ましてくれ。」と言ひました。男の子は、おほいそぎですゐれんの泉へかけていきました。お父さまはその水を一と口飲むと、そのまゝすや〳〵と眠つてしまひました。男の子は夜どほし起きて、そばについてゐました。猟人は、とう〳〵夜明けまへに死んでしまひました。男の子は、大声を上げて泣きました。  夜が明けると、男の子は泣き〳〵木を切り集めて、お父さまの死骸を焼きました。男の子は、もう、たつた一人でこの森にゐるのはいやでした。でも、どこと言つていくところもありません。男の子は、森の草の上に顔を伏せて、せめてもう一どお母さまにあひたいと思ひながら、日がくれるまで泣きつゞけに泣いてゐました。  やがて、大空には星がかゞやきはじめました。すると蜘蛛の王さまは、おほいそぎで下界にとゞく梯子をつむぎ出しました。星の女はそれにつたはつて、泣いてゐる男の子のところへ下りて来ました。  男の子は泣き〳〵お父さまのなくなつたことを話しました。お母さまも、さめ〴〵と泣きました。そしてしまひに、 「もういゝから、泣かないでおくれ。私は、おまへがかはいさうだからむかへに来たのです。さあこれを食べて、一しよに母さまのところへいらつしやい。」  かう言つて、空からもつて来た果物を食べさせました。男の子はそれを食べると、一人でに悲しさをわすれて、お母さまと一しよに、空へ上りました。  そのあくる日、二人の旅人が森をとほりかゝつて、猟人の家へはいりました。すると、家の中には人が一人もゐないものですから、二人は変に思つて、 「それでは、この家の人がかへるまで、二人でこゝに住んでゐよう。」と相談しました。しかし、家の人は、いつまでたつてもかへつては来ませんでした。二人の旅人は、とう〳〵死ぬまで、長い間そこでくらしました。  二人はその間、いつも月のてる晩には、すゐれんの泉の中で、三人の女と、四人の子どもとが、楽しさうに水を浴びてゐる声を聞きました。そして明け方になると、かならず空の上から、 「おかへりなさい。お日さまがお出ましにならないうちにかへらないと、お馬が梯子をふみ切つてしまひます。」  かう言つて、みんなをよぶ声が聞えました。 底本:「日本児童文学大系 第一〇巻」ほるぷ出版    1978(昭和53)年11月30日初刷発行 底本の親本:「鈴木三重吉童話全集 第三巻」文泉堂書店    1975(昭和50)年9月 初出:「星の女 世界童話集第三編」春陽堂    1917(大正6)年8月 入力:tatsuki 校正:伊藤時也 2006年7月19日作成 青空文庫作成ファイル: 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