シロ・クロ物語 豊島与志雄 Guide 扉 本文 目 次 シロ・クロ物語 一 公園の占師 二 釣をする男 三 怪しい家 四 合図のメダル 五 ひみつの部屋の鍵 六 島の図と星の図 一 公園の占師  南洋のある半島の港です。太陽がてりつけて、暑い、けれどさはやかです。木がこんもりとしげり、椰子や棕櫚が、からかさのやうに葉をひろげて、いろんな花がさきほこつてゐます。  その港町の、公園の木かげに、みごとな白い髯をはやしたお爺さんが、ぢめんに毛布をひろげて、占の店をだしてゐます。まはりには、おほぜいの人があつまつてゐます。  このお爺さん、占といふのはつけたりで、じつは面白いことをしてみせるのです。十日に一度くらゐでてくるのですが、町の人たちはよく知つてゐて、薬屋の爺さんとか、白髯の爺さんとかいつてゐます。薬屋がしやうばいで白髯があだ名です。 「さあ〳〵、そんなによつてきちやいかん。」とお爺さんは人々にいひます。「これからいよ〳〵見とほしの術……うまくあたつたら、いくらでもよいから金をおいていくんだ。あたらなかつたら金はいらん。……おうこれ〳〵、シロちやんクロちやん、お前たちはひつこんでゐるんだ。」  シロちやんにクロちやん、それは猫のことです。まつ白な猫とまつ黒な猫で、いつもお爺さんがつれてゐるのです。これがあやしいのですが、たかが猫のこと、見物人たちは気がつきません。  そこでいよ〳〵見とほしの術……。お爺さんは、木の箱をとりだして、それを毛布の上にふせます。 「さあ〳〵、この箱の下に、なんでもよいからかくしなさい。わしが外から見とほして百ぱつ百ちゆう、ぴたりといひあてゝみせる。世にもふしぎな見とほしの術……。さあ〳〵誰かやつたやつた。」  お爺さんは、くるりとうしろをむいて、そのうへ両手で目をふさぎます。  一人の子供がでてきて、箱の下に物をかくします。見てるのは、見物人たちと、シロとクロの二ひきの猫だけです。 「もうよろしいか。」と爺さんはたづねます。 「よろしいよ。」と子供が答へます。  お爺さんはむきなほつて、じつと箱を見つめます。そしてちらと、シロとクロの顔を見ます。シロとクロもお爺さんの顔をちらと見ます。お爺さんはまた箱を見つめます。 「ははあ、つまらないものをかくしたな。石ころが二つ。どうだ。」  子供は頭をかいて、箱をとります。石ころが二つならんでゐます。  見物人たちは、笑つたり、よろこんだり、ふしぎがつたりします。  そんなことをなんどもやります。紳士がでてきて、時計をかくします。女がでてきて、ハンケチをかくします。学生がでてきて、ペンをかくします。それをお爺さんはみないひあてます。まつたく箱を見とほすのでせうか。一つとしてはづれつこありません。  見物人たちはかつさいします。お金をぱら〳〵なげます。 「もうよろしい。そんなにたくさんなげなくてもよろしい。」  お爺さんは、お金をひろひあつめます。 「こんどはおれがやつてみるよ。」  さういつて、一人の男がでてきました。みなりはりつぱですが、目のぎよろりとした。肩はゞのひろい、ひとくせありさうな男です。見なれない男です。  お爺さんがむかうをむくと、男は箱をふせました。  お爺さんはむきなほつて、箱をみつめ、シロとクロの顔をちらと見、また箱をみつめ、そしてちよつと考へました。 「ははあ、ごまかさうとしたね。なんにもない。箱の下には、なんにもかくしてない。」 「ほんとにないかね。」 「ないといつたらない。」  男は両手を箱にかけて、ぱつととりのけました。すると、そこには、ダイヤの指輪がきら〳〵光つてゐます。 「はゝゝゝ。」と男は笑ひました。「みごとはづれたな。」  見物人たちはあつけにとられました。そんなことははじめてなんです。お爺さんは首をかしげてゐます。 「よろしい、も一度やつてみよう。」  おなじことをくりかへしました。お爺さんはいひました。 「なるほど、こんどはなにかかくしたな。紙のやうなもので……紙幣だ。」 「紙幣……どうかな。」  男はつぶやきながら、箱に両手をかけ、はじめはそつと、そしてぱつと、箱をとりのけました。そこには、マッチが一つころがつてゐます……。 「はゝゝゝ、なか〳〵あたるよ、はゝゝゝ。」  男はあざけり笑ひました。お爺さんは考へこみました。それからふきげんさうに立ちあがりました。 「今日は頭のてうしがいけない。まあ、しくじつたとしておかう。しくじつたから、もうこれでおしまひだ。」  そして毛布をまき、シロとクロをだいて、かへつていきました。  見物人たちは、ふしぎさうにさゝやきあひました。  白髯の爺さんは、薬屋の店にかへつてきました。そしてシロとクロをあひてに……話をした……といふとをかしいでせうか。  じつをいふと、このまつ白い猫とまつ黒い猫、シロとクロは、ひとり者のお爺さんが子供のやうにかはいがつてるものです。猫の方でも、お爺さんを親のやうにおもつてゐます。そしてたがひにしたしみあつてるうちに、猫はだん〴〵お爺さんの言葉がわかるやうになり、なほ人間の言葉がわかるやうになりました。そしてお爺さんの方では、猫の目色や顔色がわかるやうになり、猫の言葉がわかるやうになりました。ほんたうに親しみあふと、人間と動物とでも、たがひに話が通じるものらしいのです。このお爺さんとシロとクロの間が、ちやうどさうなんです。見とほしの術で、お爺さんがなんでもいひあてるのは、シロとクロがついてるからです。見物人が箱の下に物をかくすところを、シロとクロはちやんと見てゐて、何をかくしたかお爺さんに知らせます。だからどんな物でもあたります。  ところが、あの男の時だけは、あたりませんでした。 「たしかに見てゐたかね。」とお爺さんはシロとクロにたづねました。  シロとクロは、たしかに見てゐたのです。あの男は、はじめの時はなんにもかくしませんでした。ところが、ダイヤの指輪がでてきました。二度めの時は紙幣をかくしました。ところが、マッチがでてきました。ふしぎです。 「きつと、ごまかしたんですよ。」とシロもクロもいひました。 「なるほど、それにちがひない。」とお爺さんはいひました。「箱をとりのける時にごまかしたんだ。手つきにあやしいところがあつた。あれは、どうも、悪い奴らしい……。」  そして、お爺さんとシロとクロが考へこんでるところへ、ポン公が、いきをきらしてかけつけてきました。  ポン公といふのは、町の広場で、夕刊新聞の立売をして、どうにか暮しながら、ひとりで勉強してるかんしんな少年です。白髯のお爺さんの友だちで、またシロとクロの友だちです。いつもやつてきては、お爺さんからいろんなこと教はつたり、シロとクロとあそんだりするのです。 「お爺さん、今日の見とほしの術の……あの男、へんな奴ですよ。」とポン公はいひました。 「あゝ、うまくやられたよ。」とお爺さんはにが笑ひをしました。 「僕ね、すこしあとをつけてみたんです。ところが、自動車にのつていつてしまつたから、だめでした。だが、あの男を僕は知つてるんです。今日はあのとほり、りつぱななりをして、ダイヤの指輪なんかもつてましたが、ふだんは、きたないなりをして、漁師みたいなふうをして、海岸でつりをしてるんです。そんな時、いつも、沖にはれいのあやしい船がついてるんです。きつと、あのあやしい船の仲間ですよ。」 「あやしい船の……うーむ、さうかなあ。」 「ひとつさぐつてみませう。」 「さうだな。それはけしからん奴だ。」  あやしい船……どこからかやつてきて、またすつとでてゆく船です。軍艦のやうな、また商船のやうな、わけのわからない船です。  その船が沖についてる時に、あの男が海岸でつりをしてる……。なにかあひづをしてるのかも知れません。 「僕がいくと、用心するかも知れないから、シロとクロをやつてみませう。」  てはずがとゝのひました。 「しつかりやれよ。」とポン公はシロとクロにいひました。  さて、シロとクロだけで、うまくいくでせうか。でも、シロもクロも喜びいさんでゐます。見とほしの術のかたきうちをするつもりなのでせう。 二 釣をする男  港近くの、海岸の散歩場です。いちめんの芝生の中に、砂利の道がほどよくうねつてゐます。いろんな木が、あちこちにうゑこんであります。花も咲いてゐます。海の方は、たかい石垣で、ひた〳〵と小さな波がうちよせてゐます。  朝はやくのことで、散歩する人も見えません。ポン公とシロとクロは、木立のかげにかくれながら、だん〳〵海の方へやつていきます。  沖の方には、あやしい船がついてゐます。七百噸ばかりのもので、古い商船のやうですが、よく見ると、いかにもがつしりできてゐて、軍艦といつてもよいやうです。どこかに大砲などがかくされてゐさうです。そのうへ、水色にぬつてあつて、海水とほとんど見わけがつきません。いつも石炭をたいてゐて、えんとつから煙がでてゐます。すぐにも動きだしさうです。でもじつととまつてゐます。  そして、はたして、海岸の石垣のところでは、あの男がつりをしてゐます。公園の時とちがつて、そまつなみなりで、シャツの上にレイン・コートをひつかけ、あらい革のバンドをしめ、ゴムの長靴をはいてゐます。  シロとクロがわざとふざけて、かみあつたり、ないたり、かけたりして、男の方に近づいていきます。ポン公は木かげにかくれてゐるのです。  男はしきりにつり竿をうごかしてゐますとき〴〵魚をつりあげます。ちやうど満潮で、まん〳〵とたゝへた海水のなかに、ぽんとおとした針を、なにか、ぐぐつと引く……そこを、ぱつと竿をあげると、糸の先には魚がをどつてゐます。  みごとな腕前です。バケツの中にはもう、つりあげた魚がいくつもおよいでゐます。  シロとクロはそばまでいつて、バケツの中をのぞきこみ、魚にたはむれるふりをします。だけど、眼はほかの方にむいてゐます。沖のあやしい船と、つりをしてる男とを、かはるがはる見くらべてゐるのです。船には、小さな白い布をいくつもつけた綱が、いつも、する〳〵とのぼつたりおりたりしてゐます。なにかの練習でせうか、それとも、なにかの合図でせうか。  つりをしてる男の方も、しきりにつり竿をうちふつてゐます。ぴゆうぴゆうと、三度ふることもあれば、五度ふることもあれば、四度ふることもあります。 「たしかに、船とこの男と、合図をしあつてるんだな。」  さうシロとクロはさゝやきました。しかしなんの合図かわかりません。そしてじれつたくてたまりません。 「こら〳〵、バケツの中をいたづらしてはいかんよ。」  男は笑ひながらさういひました。だけど、うはべだけ笑つて、なにかたくらんでるらしいやうすです。はじめから、シロとクロの方にじろ〳〵横目をそゝいでゐたのです。  シロもクロもそれに気がついてゐました。人間の言葉がよくわかり、白髯の爺さんとは話をすることもできる猫です。ふつうの猫とはちがひます。 「ははあ、魚がほしいのか。」と男はいひました。「ひとつあげよう。」  バケツの中の死にかかつてゐるのを一つ、手でつまみあげて、そこになげだしてやりました。シロとクロはそれをかいでみました。けれど用心をして、たべはしません。 「お前たち、行儀がいゝね。それとも気にいらんのかな。よし……まつておいで、いま、網をもつてきて、うまい魚をしやくつてやるよ。今日は魚のよりがばかにいいからなあ。」  ひとりごとのやうにさういつて、男はむかうへいつてしまひました。シロとクロは顔を見あはせました。  やがて、ゴムの長靴の男は、大きな四手網をもつてもどつてきました。腰にはふとい繩をぶらさげてゐます。 「さあこれで、うまい魚をすくふとするか。」  シロとクロには気もとめないふうで、海の方を見てゐます。けれど、横目でじつとやうすをうかゞつてゐるのです。  そして、四手網をもちあげて、ひといきして、ぱつと、シロとクロの上に網をかぶせました……。シロとクロはとびのいて、いつさんににげだしました。 「まて〳〵、こら、またんか。」  男はおつかけてきました。  まてばつかまるばかりです。シロとクロは、力かぎり走りました。男は腰の繩をひきぬいてうちふり、網をひきずつて、どこまでもおつかけてきます。ひどく足の早い男です。  シロとクロは木立の方へにげていきました。男はなほおひすがつてきます。もうおつつかれさうです。そこに、すゞかけの木がありました。それにとびつくと、もうむちゆうで、上の方にのぼつていきました。  男はその木につかまつて、ほつと息をついて、それから木をゆすぶりました。大きな木でびくともしません。男はさけびたてました。 「誰かきてくれー、早く誰か……。どろぼう猫だー。どろぼう猫をつかまへるんだ。誰かゐないかー。」  なんどもさけびたててるうちに、子供が三四人走つてきました。それまで、木のかげで、はら〳〵して見てゐたポン公は、もう仕方なく、子供たちといつしよに、そしらぬ顔をして、かけだしてきました。  男は子供たちの肩をたゝきました。 「おゝ、よくきてくれた。あれ見ろ、白猫と黒猫が、この木にのぼつてるだらう。どうも気にくはない猫だ。どろぼう猫だ。あれをとつつかまへたいから、てつだつてくれ。お礼はするよ。つかまへてくれ。」  ところで、木にのぼつてる猫を、どうしてつかまへたらよいでせう。さすがに男もこまりました。子供たちもこまりました。  ポン公はなにか決心して、進みでました。 「僕が、この木にのぼつてつかまへてみませう。その繩をかして下さい。だけど……強さうな猫だなあ。あぶないから、下からその網を、頭の上にひろげといて下さい。」 「おう、君がつかまへてくれるか。しつかりやつてくれ。」  ポン公は繩をもつて、木にのぼつていきました。シロとクロは、木の葉のしげみのなかにすくんでゐます。  ポン公はだん〳〵のぼつていつて、小声でさゝやきます。 「おい、僕だよ、僕だよ。心配しないでもいゝよ。だけど、あぶないげいたうをするんだよ。命がけだ……いゝかい。僕のいふとほりにするんだよ。」  そしてポン公は大きな声でいひました。 「ちきしやう。どろぼう猫……さあしばつてやるから、おりてこい。」  そして下の方にさけびました。 「強さうだよ。あぶないよ。網をしつかりたのむよ。」  ポン公は猫のそばまでのぼつていき、また何かこそ〳〵さゝやきました。  そして……シロとクロはふーつとうなりました。ポン公は繩をうちふりました。両方からいちどにわめきたてました。ポン公の方がにげごしです。だん〳〵下の方におりてきて、そこの枝をつたつてにげます。シロとクロがおひせまつてきます。そしてたうとうつかみあつて、ひとかたまりになつて……あぶないげいたうです……しなつた枝の先から、葉のしげみのなかを、けんたうをつけながら、男の頭の上の網のところに、どつところがりおちました。  わつといふさけび声がおこりました。男はしたじきになつて、網をかぶつてたふれました。子供たちはとびのきました。そのすきに、シロとクロはとびあがつて、いつさんににげていきました。ポン公はよこだふれにもがきあばれて、男をけとばしました。男のポケットからなにかまるいものがおちました。ポン公はそれをすばやくひろつてかくしました。それからわざと大声で泣きだしました。じつさい、肱や膝をすりむいて血がでてゐました。  薬屋の店のおくには、白髯の爺さんが、心配してまつてゐました。 「たしかに、あの男はあやしい船となにか合図をしてゐましたよ。」とシロとクロはかはるがはる話しました。  それに、ポン公がひろつてきたのは、円いメダルみたいなもので、表に345と三つの字がほりつけてありました。 「これはいゝものが手にはいつた。」とお爺さんはいひました。「あいつらの仲間のなにかしるしのメダルにちがひない。そこで、こんどは、あの男のすまひをつきとめて、ひみつをさぐつてみるんだね。」  ポン公もシロもクロも、あの男にはらをたててゐました。ポン公は肱や膝のけががひり〳〵いたんでゐます。シロとクロは、われ〳〵を魚あつかひにして、四手網でふせようとしたと、ふくれつつらをしてゐます。こんどであつたら、いきなりけんくわになりさうです。  ところが、あの男はもうどこにも姿をみせません。それを、ポン公とシロとクロはさがしまはつてゐます。うまくみつかりますかしら。 三 怪しい家  ポン公と猫のシロとクロは、あのあやしい男をさがしまはりましたが、どうしてもわかりません。ところが、ふいに、その男がでてきました。  白髯の爺さんが、薬屋の店のなかで、ぼんやり煙草をふかしてゐますと、りつぱな紳士らしい男がはいつてきました。  お爺さんははつとしました。たしかにあの男です。公園の広場で手品をやつてゐたとき、それをじやました男です。海岸で、シロとクロを四手網でふせようとした、あの話の男です。  男はそしらぬ顔をして、店のなかをじろ〴〵みまはしました。ポン公もシロもクロもゐず、お爺さん一人です。 「あなたのうちに、」と男はいひました。「どんなきずにもよくきくといふ、ふしぎなねり薬があるさうですが、ほんたうですか。」 「えゝ、ありますよ。」  それは、白髯の爺さんのじまんの薬でした。昔からつたはつたひみつの方法で、いろんな草や木の根を、ねりあはしてつくつたもので、それをぬりつけておけば、どんなきずでもすぐになほるのです。 「それをたくさんもらひたいのですが……できませうか。」  たくさん……からだの方々につけるとして、百人ぶんばかりほしいといふのです。おほぜい人をつれて、冒険の旅にでかけるので、用心のためにもつていきたいのだとか、あいまいな話です。  お爺さんはかんがへながら答へました。 「できるにはできますが、二三日かゝりますよ。」 「えゝ、けつこうです。」  そして男は、金をさきにはらつておくといつて、金貨をそこにならべ、自分のすんでゐる所はいはず、たゞターマンといふ名前だけをしらせました。その間にも、たえず、店のなかをじろ〳〵みまはしてゐましたが、たうとうあきらめたやうでした。 「それでは、二日たつてからまたきますから、薬をたのみます。」 「承知しました。」  男はでていきました。  それと同時に、店のおくから、シロとクロがとびだしてきました。さきほどから、かげにかくれて、このありさまを見てゐたのです。シロとクロはお爺さんの両方の腕につかまつて、ニヤーニヤーなきました。 「あの男ですよ。これからあとをつけていつて、どんな奴かつきとめてやりませう。」  さういつてるのが、お爺さんにはよくわかります。 「さうだな、あとをつけていつてごらん。」とお爺さんはいひました。「用心しなければいけないよ。」  シロとクロは元気よくとびだしていきました。お爺さんは腕をくんで、じつと考へこみました。  夕方ちかくです。町には人通りがふえてゐます。外にとびだしたシロとクロが、すかしてみますと、その時、むかうに立ちどまつてこちらをうかゞつてゐたらしいあの男が、くるりとむきなほつて、ゆつくりあるきだしました。シロとクロに気がついたのでせうか、それはわかりません。なにか考へるやうにうなだれて、ゆつくりあるいていきます。  シロとクロは、もののかげや人のかげをつたつて、できるだけ用心をして、あとをつけていきました。  やがて、男は横町にはいり、さびしい町にでました。しばらくゆくと、小さな寺がありまして、その入口のかたすみに、まるい石がおいてありました。男はその石に腰をおろし、両手で頭をかゝへて、なにか考へこんだやうです。いつまでもうごきません。  シロとクロは、ある門のかげにかくれてみてゐましたが……きがつきました。男は考へこんだふうをしながら、腕のあひだから、こちらをじつとうかゞつてゐるのです。そんなことにだまされるシロとクロではありません。たがひに顔をみあつて笑ひました。  あまりながくシロとクロがでてこないからでせうか、男はたうとう立ちあがりました。そしてゆつくりあるきだしました。もう、うしろをふりむきもしませんでした。  ながいあひだあるきました。右にまがつたり、左にまがつたりして、にぎやかな町にでました。りつぱな宝石や金銀などをうる店がありました。男はつとその店にはいつていきました。  シロとクロはすこしはなれたところにかくれてゐました。けれどもう男はでてきませんでした。買物にはいつたのでせうか、それともそこが男の家なのでせうか。  シロとクロはこまりました。さうだんしました。 「いつてみようか。」 「気づかれるかも知れないよ。」 「どうせもう気づかれてるやうだよ。」 「さうだな。……あの男の家かしら。」 「つきとめてやらうよ。」  シロとクロは、そつと店のまへまでやつてきました。ところが、店の中には宝石や金銀の細工物がならんでゐますが、人ひとりゐず、あの男はもとより、店員もみえません。もう夕方なのに、あかりもついてゐません。うすぐらくてひつそりしてゐます。 「おれが中にはいつて、見てこよう。」とクロがいひました。「うすぐらいし、おれはこのとほりまつ黒だから、だいぢやうぶだよ。」  シロをのこして、クロはそつとはいつていきました。  うまくいくかしらと、シロが表からうかゞつてゐますと、そのとたんに、ぱつと何か目をかすめて、次にがら〳〵と、戸がしまつてしまひました。  シロはとびあがつてにげだしましたが、気をおちつけて、またそつとしのびよつてみますと、戸はしめきつてあつて、びくともうごきません。耳をすましても、戸のむかうはひつそりしてゐて、なんの音もしません。  クロはとぢこめられてしまつたのです。もうたぶんつかまへられてるかもしれません。あの男がしたのです。はじめからのことをかんがへると、うまくわなにかけたのです。  しめきつてある戸の前で、シロはながいあひだまちました。それからほろりと涙をこぼしました。それからお爺さんのところへとんでかへりました。  お爺さんはシロからすつかり話をきいて、首をひねつて考へました。そこへポン公もやつてきました。ポン公はお爺さんから話をきいてびつくりしました。──ターマンといふあの男がはいつていつた家は、トム商会といふ店で、いつも主人はるすで、三四人の店員がゐるきりです。ところがこんど、主人が航海中に海賊におそはれて、多くの人たちといつしよに殺されてしまつたとかで、町のむかうの丘の上の墓地に、石碑がたちかゝつてるさうです。 「ターマンとかいふあの男は、あやしい奴ですよ。」とポン公はいひました。「それに、沖についてるあの船もあやしいんです。これはきつと、なにかたいへんな事件ですよ。」 「うむ、わしもさう思ふ。」とお爺さんはこたへました。  とにかく、ターマンをよくしらべなければなりません。クロもすくひださなければなりません。さあいそがしくなりました。  けれどお爺さんの方は、薬をつくるのにいそがしいんです。ターマンがたとひどんな男であらうと、お金をうけとつてやくそくした薬です。いろんな草や木の根をこなにひき、それをまぜてねりあはせ、たくさんこさへなければなりません。お爺さんはそれにかゝりきりです。薬さへこさへておけば、ターマンがやつてきた時、なんとでもだんぱんのしやうがあります。  ポン公はシロをつれて、トム商会のまはりをうろつきました。店には二人の店員が、雑誌をよんだりひそ〳〵話しあつたりしてるきりです。  みかげ石でできてる三階づくりのりつぱな家です。表の窓ぎはや店のなかには、うつくしい宝石や金銀の細工物がならんでゐます。けれども、いつもふしぎにひつそりしてゐます。二階や三階には、人のゐるやうすさへありません。ターマンはどこにゐるのでせうか。クロはどうしてるのでせうか。 四 合図のメダル  二日めのことです。その家のよこのせまいあきちにはいりこみますと、ふいに、シロが大きな声でなきたて、そこらをかけまはりました。気でもちがつたやうです。それから、そこにある一本のすゞかけの木によぢのぼり、枝をつたつて、ぱつと、むかうの二階の窓口にとびつきました。窓にはよろひ戸がしめきつてあります。そのすみの方にシロはいつて、ポン公の方にニヤーオと一声かけておいて、頭を窓のすみにおしつけながら、うづくまつてしまひました。  ポン公はあつけにとられました。たかい二階の窓口で、よろひ戸のしめきつてあるそのすみつこで、シロはどうするつもりでせうか。午後の日があたつてゐます。まるでひなたぼつこでもしてるやうです。いつまでもうごきません。ポン公はこまりました。シロの方を見あげながら、そのへんをぶらついてゐました。  やがて、シロはむつくりおきあがつて、ニヤーオとたかくなきました。ポン公はその下に走りよりました。シロは下におりたいやうです。だが、たかい二階で、とびおりるのはあぶないし、つたつてきたすゞかけの枝には、窓の方からとびつくわけにはいきません。  ポン公はあたりを見まはしました。なんにもありません。しかたがありません。ポン公は上着をぬいで、頭の上にかぶり、そこを手でたゝきました。  ポン公が足をふんばつてまつてゐると、どすん……と、シロはうまくポン公の頭へ、それから地面へとおりました。 「あの窓口でなにをしてたんだ。」 「ニヤー、ニヤー……。」  シロのいふことは、ポン公にはわかりません。  いそいで、お爺さんのところへかへりました。  そして、お爺さんにシロが話したのは──  二階のあの窓のなかに、クロがゐたのです。よろひ戸のはしに、すこしすきまがあつて、シロはクロと話をすることができたのです。クロはぶじです。だいじにされて、うまい食物をあたへられてゐます。たゞ、その部屋にとぢこめられてるのです。部屋の中に、かべにつくりつけの鉄の扉があつて、その扉のあけかたを、かぎわけろと、ターマンがいつてるのです。扉にはかぎ穴が九つあります。鍵はクロの首にぶらさげてあります。白髯の爺さんと話をしたり、手品つかひのたねになつたりするほどの猫だから、その鉄の扉のあけ方ぐらゐ、すぐわかるだらう。さうターマンはせめてるのです……。 「ほほう。」とお爺さんはいひました。「をかしなことになつてきたぞ。」 「するとあの男は、よその奴ですよ。トム商会の主人を殺した海賊かもしれませんよ。」 「まあ〳〵、まちなさい。」とお爺さんはポン公をなだめました。 「クロはだいじにされてるやうだし、もすこしやうすをみてからだ。」  そしてお爺さんは、またねり薬をこしらへにかゝりました。  約束の三日めの朝、ターマンはやつてきました。クロをとぢこめておきながら、それは知らん顔をしてゐます。 「約束の薬はできましたか。」 「はい。」  ねり薬のはいつてゐる大きな壺をまんなかにして、二人ともだまつて煙草をふかしてゐます。ターマンは家のなかのやうすをじろ〴〵見てゐます。お爺さんはそつぽをむいてゐます。  やがて、ターマンは薬の壺をかゝへて立ちあがりました。 「ぢやあ、もらつていきます。こんどまたなにか頼みにくるかも知れませんから、その時はよろしく。」 「えゝどうぞ。」  ターマンは出て行きました。  ポン公は、お爺さんがターマンをとつちめないのが、しやくにさはりました。ターマンが出ていくと、自分もそのあとから、とびだしていきました。  ターマンは薬の壺をかゝへて、足ばやに歩いていきます。そしてトム商会の方へは行かないで、海岸に出てしまひました。いつかターマンが釣をしてゐたところです。  海はしづかです。沖には、いくさうかの船からすこしはなれて、あのあやしい水色の船がついてゐます。  ターマンは壺をかゝへながら、海岸をぶら〳〵歩きました。そしてポケットから何かとりだして、それを右手で、宙になげあげてうけとめてゐます。それをおもちやにしてあそんでるやうです。銅貨のやうなものです。  ポン公は目をみはりました。ターマンがおもちやにしてるのはメダルです。いつかターマンがおとしたのをひろつておいた、あのメダルとおなじやうです。ポケットに手をいれてみると、あのメダルはちやんとあります。 「へんだぞ。おなじものがいくつもあるのかな。」とポン公はつぶやきました。  ポン公はなにくはぬ顔つきして、口笛をふきながら、近よつていきました。 「おや、をぢさんはへんな物をもつてるね。それ、僕に見せてくれない。」  ターマンはメダルを右手ににぎりしめて、じつとポン公の顔を見つめました。 「見てどうするんだ。」 「だつて、僕がもつてるのとおなじだもの。」 「なに、おなじだつて。」  ポン公はなかばけんくわごしでした。ターマンがおとしたのをひろつた、そのメダルを、とりだして見せました。いまターマンがもつてるのとくらべてみると、まつたくおなじで、表の数字もおなじ345です。  ターマンは、いきなりポン公の肩をつかまへました。 「君は、それをどこかでひろつたな。」 「ううん、もらつたんだよ。」とポン公は答へました。 「もらつた……誰からだ。」 「よそのをぢさんだよ。もう二三年になるかしら……。」 「どんな人だ。」 「どんなつて、ふつうの人だよ。だいじにもつてをれといつてくれたよ。そしていろんな用を僕にたのんだよ。」 「どんな用だい。」 「それは……いはれないや。誰にもいはないと、僕は約束したんだから。」  ターマンはおちついた顔つきで、ポン公をながめました。  どうやら、ポン公のでたらめな話がとほつたらしいんです。けれど、これ以上のでたらめはあぶないやうです。ポン公は口をつぐんでしまひました。何をきかれても、いゝかげんなへんじしかしませんでした。  ターマンは、こんどはやさしく、ポン公の肩に手をかけていひました。 「そのメダルは、だいじなしるしになるものだ。しまつておけよ。そして、近いうちに、トム商会──あの大きな宝石屋を知つてるだらう──あすこの主人やそのほかの人たちの石碑が、丘のうへの墓地にたつことになるから、ぜひ君もその時にはやつてこいよ。ひよつとしたら、そのメダルを君にくれた人に、あへるかも知れない。」 「いつなの、その石碑がたつのは。」 「一週間ばかりのうちだ。きつとこいよ。」  その時、ポン公は気がつきませんでしたが、石垣のしたの海に、たくましい男が四五人のつてるボートが、こぎよせてゐました。 「ぢやあ、またあはう。」  ターマンはさういつて、ポン公の肩をぽんとたゝいて、身がるにボートのなかにとびこみました。メダルをなげあげてゐたのは、そのボートをよぶあひづだつたかもしれません。  ボートはすぐにでていきました。見てゐると、水色の船の方へ、まつすぐに進んでいきます。やはりさうです。ターマンはあの船と、くわんけいがあるのです。だがあんなにたくさんのきず薬をどうするのでせうか。  ポン公はボートを見おくつてゐましたが、やがて、げんこで胸をたゝきました。目をかゞやかして、くちびるをかみしめてゐます。なにか決心したやうです。  ポン公は、トム商会の方へやつていきました。とちゆうで、チーズをすこしかひました。  店の中には、店員が二人ゐるきりでした。  ポン公はつか〳〵とはいつていきました。 「僕はね、船からきたんだが、こゝに、黒猫がゐるさうだね。」  店員はだまつて、ポン公を見てゐました。 「黒猫がゐるだらう。これを持つてきたんだ。すぐに黒猫にくはせなけりやならないんだ。いひつかつてきたんだ。案内してくれよ。」  そしてポン公は、345のメダルをとりだして見せました。  店員はびつくりしたやうに、そのメダルをとつてくはしくしらべました。 「ほんとに船からの使ですね。」 「さうだよ。またすぐ船にかへるんだ。いそいでるんだ。早く案内してくれよ。」  二人の店員はひそ〳〵さゝやきあひ、ポン公のからだぢゆうをしらべてから、一人がポン公を案内しました。ポン公は胸をどきつかせながら、店員について二階にあがりました。  二階のいちばんはじの部屋でした。その扉に大きな鍵をさしこんで、店員はいひました。 「この部屋はだいじな部屋ですから、中にはいつたら、またかぎをかけますよ。猫にそれをたべさせてしまつたら、扉をたゝきなさい。あけてあげます。」そしてきふに強い声で、「あやしいことがあつたらこれだぞ。」  腰をつゝかれたので見ると、ピストルをさしつけてるのでした。  扉がひらきました。中にはいると、うしろからまた扉がしめられて、鍵をかける音がしました。部屋の中はうすぐらく、ポン公はぼんやりつつ立つてゐました。 五 ひみつの部屋の鍵  ポン公は、店員をうまくごまかして、ひみつの部屋にはいつたものの、中がうす暗いので、ぼんやりつつ立つてゐますと、ひくく猫のなき声がして、そして、ポン公の胸にとびついてきたものがあります。クロです。そこにとぢこめられてるクロです。ポン公はクロをだきしめました。そのうちに、だん〳〵目がうす暗がりになれてきました。  部屋は、窓からすこしあかりがさしてるだけで、窓にはすつかりよろひ戸がおろされてゐます。まんなかに円テーブルと椅子が一つあつて、円テーブルには、345のメダルがのつてゐます。  ポン公は窓の方へとんでいきました。窓はしめきつてあります。にげだすことはとてもできません。  ポン公はあきらめて、持つてきたチーズをクロにやりました。クロはそれをたべようともしないで、しきりにポン公をひつぱります。見ると、そこのかべの一方に、一メートル四方ばかりの鉄の扉が、はめこんであります。ターマンがあけたがつてる扉です。  クロの首に、小さな銀の鍵がさがつてゐます。  ポン公は鍵をとりました。扉には1から9まで番号のついてるかぎ穴があります。クロはしきりに9のかぎ穴を足でかきます。 「これだな。」とポン公はさゝやきました。  ところが、鍵をさしこんで、くる〳〵やつても、扉はあきません。でもいそがなければなりません。部屋のそとには、ピストルをもつてる男が待つてゐます。ポン公はじれだして、なんども鍵をまはしてるうちに……あきました。扉があきました。だけど、中にまた鉄の扉があります。1から9までのかぎ穴がついてゐます。クロは2のかぎ穴を足でかきます。ポン公はそれに鍵をさし入れましたが、こんどはあきません。なんど鍵をくる〳〵やつてもあきません。  部屋の扉が、外からどん〳〵たゝかれました。  ポン公はあわてました。さいしよの扉をしめますと、ひとりでにびーんと、錠がおりてしまひました。  また部屋の扉がどんとたゝかれました。 「今日はだめだ、こんどまたくるよ。」とポン公はクロの首に銀の鍵をかけてやりながらいひました。「もすこし、しんばうしてゐておくれよ。」  クロはポン公の首にすがりつきました。  部屋の扉がすこしひらかれました。男がピストルをさしつけてゐます。 「早くしないか。」 「うむ、もうすんだよ。」  ポン公がおちついて出てくると、男はクロを部屋のなかにおひやつて、扉をしめてしまひました。  ポン公はまた、二人の男からくはしくからだをしらべられました。  思ひきつたあぶない冒険でしたが、そのかひがありました。ポン公は白髯の爺さんにすつかり話しました。たゞさいしよの扉をあけるのに、なんど鍵をまはしたか、あわててゐたのでそれがわかりませんでした。 「まあいゝよ。」とお爺さんはいひました。「はじめの扉が、9のかぎ穴で、なんどか鍵をまはし、次の扉が、2のかぎ穴と……それだけわかればなんとか考へのてがかりになる。それはきつと、345のメダルにもくわんけいがありさうだ。わたしがひとつそのなぞをといてみよう。」  お爺さんは、もうそのことばかり考へてゐます。  ポン公の方は、時々シロをつれていつて、窓からクロとれんらくをとらせなければなりません。沖のあやしい船のみはりもしなければなりません。  ターマンはすがたを見せませんでした。  四五日たちました。  いつもひつそりしてるトム商会の店のなかが、今日はめづらしくにぎやかです。おほぜいお客がつめかけてゐます。とくべつの売りだし日ださうです。なくなつた主人の記念に、どんな物でも半分のねだんでうるといふのです。  夜になると、いつそう多くの人がつめかけました。たゞ見物だけにきてる者もあります。店員らしくもない、へんにあら〳〵しい男たちが、宝石や金銀の細工物をたくさんならべて、ぶあいそに、あきなひをしてゐます。  二階も三階も、どの部屋にも、あか〳〵とあかりがついてゐます。なにごとがあるのでせうか。  ポン公もおほぜいのお客にまぎれて、店のなかの様子をうかゞつてゐます。もいちど二階のひみつの部屋にしのびこむつもりです。お爺さんが考へついた、あの鉄の扉をあける方法もきいてゐます。その方法はどうもたしかとはいへないやうですが、しかし、鉄の扉はあかなくても、クロを助けだしさへすればいゝんです。  ところが、なか〳〵うまくいきさうもありません。二階にあがつていくすきがないのです。たとひあがつていつても、部屋の鍵がわかりません。  ポン公はある店員のそばにいつて、そつと345のメダルを見せました。 「黒猫に食物をやらなけりやならないが、部屋の鍵はどこにあるんだい。」  店員はふしぎさうにポン公をながめました。 「黒猫、そんなものは知らないね。おれはいそがしいんだ。」  ポン公にはとりあつてくれないで、お客のあひてをはじめました。  ポン公はまた店のなかをうろつきました。外にでたりまたはいつてきたりしました。誰もあひてにしてくれる者がありません。店のなかは、宝石や金銀の細工物、金貨や銀貨、話声やさけび声……ぴか〳〵がや〳〵してゐます。  だん〳〵時間がたちます。ポン公はじれつたくなりました。  店の表の、入口の近くに、一人の若者がしやがみこんでゐました。いつまでもしやがみこんだまゝです。  ポン公は声をかけてみました。 「そんなところで、何をしてるんだい。」  若者は顔をあげました。酒によつてるやうです。泣いてるやうです。 「どうしたんだい。」とポン公はまたいひました。 「どうもかうもないんだ。おれはかなしいんだ。だから酒をのんだが、なほかなしくなつちやつて……。」 「なにがかなしいんだい。」 「おれはね、これでも、こゝの主人にいちばんかはいがられたんだよ。その主人がなくなつて、記念の売りたてだらう。かなしくなくてどうするんだ。」  ポン公は目をみはりました。 「それに第一、あのターマンが気にくはないや、かつてなまねばかりしやがつて、黒猫なんかひろつてきやがつて……おれがその黒猫のかゝりだつてさ。黒猫がなんだい、黒猫が……。」  ポン公は考へぶかさうにほゝゑみました。若者のそばにかゞみこみました。 「あゝあの黒猫か。すてちまへばいゝぢやないか。おれがすててやらうか。海にぶちこんでやるよ。おれにまかしておけよ。」  そしてポン公は、345のメダルを若者に見せました。若者はうれしさうな顔をしました。 「ほう、君は仲間だつたのか。ちやうどいゝや。どうとでもかつてにしてくれ。そら、これが部屋の鍵だ。」  ポン公は、とびあがらんばかりに喜びました。大きな鍵をうけとると、わざとそれをおほつぴらにくる〳〵うちふりながら、そして口笛をふきながら、家の者のやうなふうをして、店のなかをとほりぬけ、二階にかけあがつていきました。  見まはすと、だれも見てる者はありません。でもいそがなければなりません。ポン公はひみつの部屋の扉をあけました。中には、電燈があかるくついてゐます。そこにゐるのはクロだけです。  とびついてきたクロを、ポン公は胸にだきとりました。  さて、どうしてにげだしたものかと、クロの頭をなでながら考へてるうちに、鉄の扉が目につきました。クロの首には、小さな銀の鍵がさがつてゐます。 「ようし、しらべてやらう。」  ポン公は銀の鍵をとりました。  メダルの数は345です。第一の扉は、3の三倍の9のかぎ穴です。鍵を三べんまはすと、あきました。白髯の爺さんがいつたとほりです。第二の扉は、4の三倍の十二、その十二から十をとつた2のかぎ穴です。鍵を四へんまはすと、あきました。次にまた、お爺さんがいつたとほり、第三の扉があります。5の三倍の十五、それから十をとつた5のかぎ穴です。鍵を五へんまはすと、あきました。  ふかい鉄の箱です。くる〳〵まいた厚紙などが、いつぱいはいつてゐます。それに手をかけようとすると── 「待て!」  大きな声でした。ポン公はぞつとすくみました。ふりむくと……ターマンが、ほほゑみながら部屋の中に立つてゐます。 「はゝゝ、たうとうあけてくれたな。ありがたう。だが、わたしは今日はいそがしいんだ。明日まで待つてもらはう。話したいこともある。きのどくだが、今夜は、君をかへすわけにはいかない。鍵はこつちにわたしたまへ。」  いつものターマンとちがつて、いかめしいやうすでした。ポン公は口もきけないで、銀の鍵をわたしました。ターマンは鉄の扉をしめました。  店のおもてにゐたあの若者が、毛布をもつてはいつてきました。 「たうとうわなにかゝつたな、はゝゝゝ、まあゆつくりやすめよ。」  酒によつてはゐるやうですが、しつかりしてゐます。ポン公はくやしがりました。だますつもりで、かへつてだまされたのです。もうどうにもなりません。毛布をもらつて、クロといつしよにとぢこめられてしまつたのです。  ターマンと若者は出ていきました。部屋の扉には錠がおろされました。 六 島の図と星の図  トム商会のうちは、今日はたいへんひつそりしてゐます。いつもよりなほひつそりしてゐます。店は休みです。若者が一人ゐるきりです。みんな出かけたのです。丘のうへの墓地に行つたのです。  なくなつた主人の石碑がたつのです。主人のばかりではありません。主人といつしよに死んだ人が、おほぜいあるさうです。それをみないつしよにして、大きな石碑がたつのです。  店には黒い幕がはりまはされてゐます。  そこへ、白猫のシロをつれて、薬屋の白髯の爺さんが、やつてきました。  シロのたんていで、すつかりわかつたのでした。ひみつの部屋のなかの鉄の扉があいたこと、そしてポン公もクロといつしよにとぢこめられてること。 「そんなはずはない。」とお爺さんは考へたのでした。  お爺さんはきつとした顔つきをしてゐます。シロはぴんと尾をたててゐます。どちらもおこつてゐるやうです。 「ターマンさんにあひにきました。」とお爺さんはいひました。  若者は目をぱちくりさせました。 「おるすなら、かへられるまで待ちませう。」  若者はどうしてよいかわからない様子です。わからないから、かつてにさせておくことにきめたやうです。  お爺さんはシロをだいて、椅子にこしかけました。そして目をつぶりました。そのまゝじつとしてゐます。眠つたのでせうか、考へこんでるのでせうか。  おひるすぎになつて、ターマンがおほぜいの男をつれてかへつてきました。しほ風にふかれた、目のぎよろりとした、たくましい男たちです。中には、手足にかうやくをはつてる者もあります。お爺さんがこさへてやつたきず薬です。  お爺さんは、こしかけたまゝ、ターマンをじつと見ました。ターマンもお爺さんの顔をじつと見ました。 「あなたの薬は、たいへんよくきゝますね。」とターマンはいきなりいひました。 「なか〳〵なほらなかつたきずが、このとほり、ぢきによくなりました。」  さういつて男たちをさししめしました。  お爺さんはうなづきました。  ターマンは一人の男に、なにかさゝやきました。男たちはみんな二階にあがつていきました。 「さあ、ご案内しませう。」とターマンはいひました。  お爺さんはシロをだいたまゝ、立ちあがりました。  ばかにあつさりしたものです。おたがひに考へてることが、よくわかつてるやうなてうしです。それきり何ともいはないで、二人は二階にあがつていきました。  ターマンはひみつの部屋の扉をあけました。  ポン公とクロはびつくりしました。お爺さんが、シロをだいてはいつてきたのです。お爺さんはやさしくうなづいてゐます。ポン公は目にいつぱい涙をためました。シロとクロは、もう頭や身体をなめあつてゐます。  ターマンは椅子をとりよせました。そして、扉をしめきり、窓をあけはなしました。 「じつは、あなたを待つてゐたのです。」とターマンは、お爺さんにいひました。「ひととほりお話ししませう。」  ターマンは、方々にできるいろ〳〵の品物を、売買しながら、南洋にちらばつてる小さな島、人間のすんでる島や誰もゐない島を、探検してまはつてる男です。  ところが、ある日、ふいに海賊船におそはれました。  あひては甲鉄の船で、武器もたくさんあり、速力もまさつてゐます。けれどもターマンはおそれず、一生けんめい戦ひました。  幾人もたふれました。しまひにターマンの船は、敵の船によこづけにされました。  ターマンは船のいちばん底の部屋に、部下といつしよにかくれました。海賊たちはどつとのりこんできました。  その時です、用意しておいた火薬の樽と石油の樽に、火をつけました。さいごの方法です。ものすごい音がして、空も海もまつくろになるほどのばくはつがおこりました。そして大火事です。  海賊どもはおほかた死にました。味方もおほかた死にました。ターマンの船はしづみました。  けれども、ターマンはふしぎにぶじでした。生きのこつてる者といつしよに、もう海賊船にとびうつつてゐました。その船をぶんどりました。のこつてる海賊を降参させました。  その海賊船が、いま港の沖についてるあの水色の船です。海賊のかしらはトム商会の主人だつたのです。  生きのこつてる海賊の案内で、ターマンはこのトム商会へやつてきました。そして一同をあつめていひました。 「船の者たちはみなおれにしたがつてるから、こんどは君たちとの勝負だ。だが、きりあひをしてもつまらない。トランプで勝負をきめよう。」  トランプの札をとりだして、それをよくきつておいて、いきなり三枚ぬきだすと、それがクラブのしるしの3と4と5です。次に三枚、ダイヤのしるしの3と4と5、次に三枚、ハートのしるしの3と4と5、次に三枚、スペードのしるしの3と4と5……まるで奇術です。町の公園で、白髯の爺さんとシロとクロをごまかした腕前です。海賊たちはびつくりしました。その上、345といふ数は、海賊たちのなかまのしるしのメダルについてる数です。  そこで、345のメダルのなかまの海賊たちは、おどろきおそれて、みな、ターマンにしたがつてしまひました。  すつかり改心したのです。そして今では、海の上の戦で、きずをうけた者も、お爺さんのきず薬で、たいていなほつてしまひました。戦で死んだ者たちのためには、墓地に石碑をたてゝやつたところです。  海賊のかしらが、ひみつにしてゐた鉄の扉、誰にもあけることのできなかつたその扉も、猫とポン公とお爺さんとのおかげで、あくやうになりました。 「そこで、」とターマンはいひました、「あの鉄の扉のなかに、何がはいつてゐるかしらべてみませう。」  ターマンは銀の鍵をとりだしました。  ポン公が三つの鉄の扉をあけました。  厚紙のまいてあるのが、いくつもはいつてゐます。ひろげてみると、地図でした。 「おう……これは……。」とターマンはさけびました。  くはしい地図です。南洋の島々のくはしい地図です。ターマンは目を光らせ、顔をかゞやかせました。 「すてきなものが手にはいつた。海賊がだいじにしまつてる物だから、宝石だの金銀のかたまりだの、どうせそんなものだらうと思つてゐたら、これはたいしたものだ。すてきだ。これさへあれば……。」  ターマンはとてもよろこんでゐます。その地図をたよりに、あの丈夫な海賊船でまた方々の島を探検にでかけるつもりです。  ターマンはりつぱな男です。ちゑもあり勇気もあります。力もありさうです。  ポン公はこれまでのうらみもわすれて、ターマンを見あげました。お爺さんもにこにこしてゐます。 「僕も……探検についていきたいなあ……。」とポン公はつぶやきました。  ターマンはじつとポン公の顔を見ました。そしてにつこり笑つて、その手をにぎりしめました。  やがて相談がまとまりました。  ポン公はターマンについていくことになりました。クロもつれていくことになりました。白髯の爺さんが、シロといつしよに、トム商会をあづかることになりました。二三人の男が、店員にのこることになりました。  もう明日にも出かけられます。その晩、お爺さんとポン公とをくはへて、ターマンの部下みんなで、さかんな宴会をひらきました。  そのあひだに、お爺さんとポン公は、シロとクロをだいて、二階の外廊下にでました。月がてつてゐます。きれいな月でした。 「シロとクロは、なんといつてるの。」とポン公はお爺さんにたづねました。 「元気にいつておいで、とシロがいつてるよ。」 「クロの方は。」 「たつしやでるすをしておいで、といつてるよ。」 「わかれるのをかなしがつてやしないの。」 「かなしがるものかね。」 「さうかしら。僕は……お爺さんとわかれるのが、なんだかさびしいなあ。」  はゝゝゝ、とお爺さんは笑ひました。それからいひました。 「よいことがある。海にでると、星がたいへんきれいに見えるものだよ。そこで、星の名をかきいれた大空の図をお前にあげよう。面白いものだよ。そして、星をみて、さびしくなつたりかなしくなつたりしたら、心に勇気がなくなりかけたしようこだ。星をみて、うれしいたのしい気持になつたら、心に勇気がみち〳〵てるしようこだ。いゝかい、勇気をなくしちやいけないよ。」  ポン公はふかくうなづきました。 底本:「日本児童文学大系 第十六巻」ほるぷ出版    1977(昭和52)年11月20日初刷発行 底本の親本:「金の目・銀の目」アルス    1942(昭和17)年1月 初出:「幼年倶楽部」講談社    1937(昭和12)年1月~6月 入力:菅野朋子 校正:門田裕志 2013年2月4日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。