銀の笛と金の毛皮 豊島与志雄 Guide 扉 本文 目 次 銀の笛と金の毛皮       一  むかし、あるところに、エキモスという羊飼いの少年がいました。父も母もないみなし児で、毎日、羊のむれの番をしてくらしていました。  青々とした野原に、羊たちはたのしくあそんでいます。野の花のあいだに、うつくしい蝶がとびまわっています。木立のなかや空たかくに、いろんな鳥がさえずっています。日がうららかにてっています。  エキモスは草の上にねころんで、歌をうたいました。口笛をふきました。草の葉でいろいろな笛をこしらえました。葦の茎でも笛をこしらえました。  ──自分も、あの小鳥のようにうたいたい。けれども、いくらうたっても、笛をふいても、小鳥にはおよびませんでした。  そのうちに、ある日エキモスは、葦のしげみのなかに、まっ白な葦を一本みつけました。太くてまっすぐにのびて、白く銀のように光っています。エキモスはめずらしさに、しばらくぼんやりながめていましたが、ふと、かんがえました。  ──あれで、笛をこしらえたら……。  すぐに、ナイフで、その葦をきりとって、笛をこしらえました。そしてふいてみました。が、少しもなりません。葦笛はただ銀のようにひかっているだけでした。  エキモスはがっかりしました。けれども力をおとしませんでした。次の節でまた笛をこしらえました。がそれもなりませんでした。  三つ、四つ、五つ……いくら笛をこしらえても、どれ一つとしてなるものはありませんでした。けれど、笛がならなければならないほど、エキモスはなお一生けんめいに、笛をつくりました。今にすばらしいのができる、とそんな気がしました。  とうとうさいごの一節になりました。それでだめだったら、もうまっ白なめずらしい葦もなくなってしまうのです。 「おう、神さま!」 とエキモスはさけびました。あらんかぎりの心をこめて、さいごの笛をこしらえました。そしてこわごわ、ふいてみますと……。  エキモスはおどり上がりました。うれしさに涙ぐみました。なります、なります。なんともたとえようのない美しい音がします。  エキモスは涙をながしながら、銀色に光るその葦笛をながめました。そしてまた口にあてました。ふきならしました。なんという美しい音でしょう。小鳥のさえずりにもまけません。  エキモスは笛をうちふりながら、野原のなかをかけまわりました。それから森のはずれの木かげにねころびました。そしていろんな歌をむちゅうになってふきつづけました。  するうちに、ふと、気がつくと、羊たちがいつのまにかあつまってきていました。木の上には、多くの小鳥がじっととまっていました。エキモスはほほえみました。羊や小鳥があつまってきて、自分の笛をきいていてくれることが、とてもうれしかったのです。  ところが、羊と小鳥だけならよいが……。エキモスはびっくりしてとび上がりました。森の中に、どこから出てきたのか、猿や、狼や、狐や、野兎や、鹿や、獅子や、鷹や、鷲など、いろんな鳥や獣が、あちらこちらにうずくまっているのです。  エキモスはどうしていいかわかりませんでした。ことに狼や獅子にはびっくりしました。羊や自分も食われてしまうかもしれません。彼はもう笛のこともわすれて、あとずさりしながら、羊のむれのなかににげこみました。がそのおそろしい獣たちは、じっとうずくまったまま、おっかけてはきませんでした。やさしい眼をして見おくっているだけでした。  エキモスは鈴をならして、羊のむれをつれて小屋へかえっていきました。  翌日、エキモスはまた羊のむれをつれて、野原にでました。おそろしい鳥や獣はいませんでした。エキモスは安心して、羊たちを野原のなかにちらばして、自分は木かげにやすんで、白い葦笛をふきはじめました。とても自分がふいているのだとはおもわれないほど美しい音でした。天からひびいてくるような歌でした。  そのうちに、笛の音をききつけて、羊たちは近くにあつまってきました。小鳥たちもとんできました。みんなだまってきいています。それからなお、森のおくの方から、いろんな鳥や獣がでてきました。狼や獅子のようなおそろしいのもでてきました。がエキモスはさほどおどろきませんでした。ただ笛をききにでてきたのだということが、そのようすでよくわかりました。  獣のうちに、五六ぴきの鹿がいました。大きな角の頭をかしげて、笛にききいっています。そのまんなかに、ひときわ大きいのが一ついて、角のかわりに獅子のようなながいたてがみがはえ、全身の毛が金色に光っていて、眼が青々とすみきっていました。  その金の毛の大きな鹿には、エキモスもびっくりしました。そんな鹿は、これまでみたこともなければ、話にもきいたこともありません。エキモスが笛をやめて、うっとりみとれますと、鹿はその青くすみきった眼で、わらっているようでした。  エキモスは鹿のそばにやっていきました。金色のふさふさしたたてがみをなでてやりました。鹿はうれしそうにすりよってきます。エキモスが笛をふきだすと、鹿はそばにすわってききいっています。そうして、エキモスと金色の鹿とは、いちばんなかのよいともだちになりました。  エキモスにとっては、何もうれしいことばかりでした。白い葦笛はいくらふいてもあきません。笛をふくと多くの鳥や獣がそれをききにでてきます。みんな仲よくして、ただ笛をきいているだけです。そのなかで、金色の鹿が王さまのように光っています。エキモスはいつもその鹿とつれだってあるきます。夕方になると、獣たちは森のおくに、鳥たちは空たかく、そしてエキモスと羊たちは小屋に、それぞれかえってゆくのです。毎日うららかに日がてって、野にはいろんな花がさいています。  ところが、ある日、金色の鹿がすがたをみせませんでした。ほかの鳥や獣はでてきましたが、金色の鹿だけは、エキモスがいくら笛をふいても、夕方までまってもでてきませんでした。  その翌日も、金色の鹿はやはりでてきませんでした。エキモスは心配になりました。それからかなしくなりました。もう笛をふく気もしませんでした。──金色の鹿はどうしたろう! エキモスはそのことばかり考えました。       二  金色の鹿がでてこなくなってから三日目の朝、エキモスはもう何のたのしみもなく、ただいつもの仕事をして、羊のむれをつれて野原にでました。葦笛をふく気にもなれませんでした。  すると、エキモスがやってくるのをまちうけてでもいたかのように、多くの鹿が森からかけだしてきました。そのうちの一つが、エキモスの上衣のはしをくわえて、しきりに森の方へひっぱります。  何か用があるんだな、とエキモスは思いました。といっしょに、金色の鹿のことが胸にうかびました。もうじっとはしていられません。羊のむれをそこにのこして、鹿につれられて森のなかにはいっていきました。  森のおくふかくなると、人のとおった道もありません。それに、崖があったり坂があったりします。エキモスは一生けんめいに歩きましたが、やがてつかれてきて、足がうごかなくなりました。すると、大きな角のはえた鹿が、エキモスの前にかがんで、背なかをさしだしました。エキモスはその背にのって、しっかと角にしがみつきました。鹿は走るように早く歩きだしました。  うちひらけたところにでたり、森にはいったり、坂をのぼったり、谷川をわたったりしました。どれくらいきたのかわかりませんが、山ふかいところで、ふいに、谷川のそばの平地にでました。やわらかな草がいちめんにはえて、何ともいえぬよい香りの花がさいています。そしてたくさんの鹿がでむかえています。  その平地のおくの、崖の下のところに、エキモスは鹿の背からおろされました。  みると、すぐそこの、草の上に、あの金色の鹿がよこたわっていました。エキモスは声をたててかけよりました。  金色の鹿は、そこによこたわったまま、身うごきも出来ませんでした。とぎれとぎれに、かすかな息をして、じっとエキモスの方をみているだけでした。しらべてみますと、肩のあたりから血が流れています。鉄砲でうたれたらしいんです。もうてあてのしようもありません。死にかけているんです。  エキモスはかなしさに涙ぐんで、そのそばにすわって、膝のうえに頭をのせてやりました。鹿はうれしそうに眼をつぶりました。エキモスは、その獅子のようにながいたてがみをなでてやりました。それから白い葦笛をとりだして、さいごのわかれにふいてきかせました。  エキモスが心をこめてふく葦笛は、とてもいいあらわせない美しいひびきをたてました。谷川の水も、しばらくながれやんで、ききいりました。  エキモスが笛をふきやめると、もう、金色の鹿は死んでいました。  エキモスはそのまま、ながいあいだすわっていました。それから、金色の毛皮をすこし、かたみに切りとりました。そして死体を、そこの崖の下にうずめてやりました。  エキモスが帰りかけると、また、多くの鹿がおともをして、角の大きな鹿がエキモスを背なかにのせてくれました。そして、崖や坂や谷川や森をこして、もとの野原にもどってきました。  羊のむれは、しずかに草をたべています。蝶はとんでいます。小鳥はさえずっています。けれど、エキモスは気がはれませんでした。金色の鹿のかたみの毛皮で、だいじなものをいれる袋をつくって、腰にさげましたが、かなしさはまぎれません。笛をふく気にも、とてもなれません。  ──だれが、あの鹿を、鉄砲でうったんだろう。  そう考えると、くやしかったり、さびしかったりして、どこか旅にでもでてしまいたくなりました。羊たちもかわいいけれど、金色の鹿が死んだかなしみの方が、もっとつようございました。  エキモスはついに決心して、主人のところへいって、ひまをもらいたいと願いました。  主人はエキモスをひきとめたがりました。けれど、その話をきき、そのかなしみと決心とをみて、願いをゆるしてくれました。 「それでは、都でも見物してくるがよい」と主人はいいました。「都にはいろいろおもしろいことがあるから、気がはれるかもしれない。けれど、おもしろいのはうわべだけで、ずいぶん悪い人が多いから、気をつけなければいけないよ。そして、また戻ってきたくなったら、いつでも戻っておいで、使ってあげるから」  エキモスはお礼をいって、主人からもらったお金を毛皮の袋にいれ、白く銀色に光る葦笛をもって、ほかにはなんの荷物もなく、つれもなく、ぼんやりでかけました。  だいぶいってから、エキモスは、道ばたの木かげに休みました。そしてはじめて、どちらへいったものかと考えました。主人がいうように、都へゆくのもいいかもしれないと思いました。  ──だが、都へゆけば、お金がたくさんいるだろう。これだけでたりるかしら。  エキモスは皮袋をひらいて、主人からもらったお金をかんじょうしかけました。そしてびっくりしました。皮袋のなかのお金は、みんな金貨ばかりでした。でも、そんなはずはありません。主人からもらった時はたしかに、銀貨や銅貨もまじっていました。それが、みな金貨ばかりになっているのです。  エキモスにはわけがわかりませんでした。ふしぎそうに皮袋をながめました。  ──もしかしたら、あの金色の鹿の毛皮だから……。  ためしに、道の小石をひろって、皮袋にいれてみました。とりだしてみると、それが、黄金になっています。  エキモスはびっくりして立ち上がりました。いくつ小石をいれても、とりだすと黄金になっています。それがおもしろくて、やたらに小石を黄金にしては、四方になげちらしました。  ──ふしぎな皮袋だ。あの金色の鹿の毛皮でこしらえたのだ。  それさえあれば、都にいっても不自由はしません。エキモスは都にいくことにきめました。  ふしぎな皮袋とふしぎな葦笛……。エキモスは、にわかに元気がでてきました。そして都をさしてやっていきました。       三  まだ汽車や飛行機のないころのことです。エキモスは、いく日かのんきな旅をして、ようやく都につきました。  大きなりっぱな家が、たちならんでいました。うつくしいものが、店いっぱいにかざってありました。そしてなによりも、人間が多いのにエキモスはびっくりしました。蟻のすをつついたように、たくさんの人がいそがしそうにあるきまわっていました。  夕方になると、いちめんに灯がともって、町はいっそうきれいになり、うつくしくきかざった人が、いっそう多くなりました。  エキモスははらがすいてきましたので、あるりっぱなホテルにはいっていきました。ぴかぴかひかるガラス戸のおくに、白い服をきた男がたっていました。そしてエキモスのようすを、じろじろながめて、いいました。 「ここは、お前さんのような者がくるところではない。食事がしたいんなら、ほかをたずねてごらん」  エキモスは外に出ました。しばらくゆくと、また、うつくしくきかざった人たちが出入りしてる、りっぱなホテルがありました。そこにはいっていくと、ガラス戸のおくの白い服の男が、エキモスのようすをみながらいいました。 「ここは、お前さんのような者がくるところではない。食事がしたいんなら、ほかをたずねてごらん」  エキモスはうなだれて外にでました。  ぼんやりあるいていると、なおいくつも、りっぱなホテルが、ならんでいましたけれど、もうはいってみる気もしませんでした。  ──どうして、食事をさせてくれないんだろう。  そう思うと、なおはらがすいてきますし、かなしくなりました。  いつのまにか、大きな川のふちにでました。川には、むこうがわの灯がちらちらうつって、きれいでしたが、川のふちは、人どおりもすくなく、うすぐらくて、ひっそりしていました。  しばらくゆくと、すこしひろいところがあって、大きな木が四五本うわっていて、そのなかに、ちいさな噴水がありました。ふるいきたない服をきて、靴もはかず、帽子もかぶらないでいる、年をとった男が、噴水の水をのんでいました。  エキモスは、はらがすいていますし、のどもかわいていましたので、その男にたずねました。 「その水は、だれでものんでいいんですか」  年とった男は、ふりむいてこたえました。 「のんでいいとも。だが、うまい水じゃあないよ」  でも、エキモスはうまそうにのみました。そのようすをみて、年とった男はいいました。 「お前さんも、どうやら、はらがすいてるようだね」 「ええ」とエキモスはこたえました。「どこでも、たべさしてくれないんです」 「どこでも……」  エキモスは、りっぱなホテルから、おいだされた話をしました。年とった男はわらいました。 「そりゃあ、そうしたもんだよ。お前さんみたいな、きたないなりをした子供に、あんなところで食事をさせてくれるものかね」 「だって僕、お金はもってるんですよ」  エキモスは、皮袋から金貨を一つとりだして、みせました。 「ほう」  男はふしぎそうに、金貨とエキモスの顔をみくらべています。エキモスはいいました。 「おじさん、どこか、これでなにかをたべさせてくれるところはありませんか。おじさんもおなかがすいているんなら、いっしょにたべましょうよ」 「なるほど、それもいいが……」と男はかんがえながらいいました。「二人きりでたべるのは、すこしもったいないな」 「ほかにもまだ、おなかのすいてる人があるんですか」 「あるとも、たくさんあるよ。からだがわるかったり、靴がなかったりして、しごとをしにでかけられない者が、いくらもあるからね」 「じゃあ、そんな人とみんなで、たべましょうよ」  年とった男は、とてもうれしそうな顔をしました。きゅうにげんきになって、かけだしていきました。しばらくすると、十四五人の男たちをつれて、もどってきました。靴のない者ややせほそった者で、みんなしょんぼりしていました。年とった男は、エキモスをさしてさけびました。 「この人が、おれたちにごちそうしてくださろうという、神さまのお使いだ」  人々は、エキモスをまんなかにかこんで、うれしそうにあるいていきました。うらどおりのせまい町すじを、右にまがったり、左にまがったりして、やがて、ちいさなたべもの屋にはいりました。  天井のひくい、きたない部屋で、木のテーブルと木のこしかけとがならんでいて、ランプがくすぶっていました。でも、そこにいっぱいになった人々の顔は、どんなうつくしいあかりよりも、もっとはればれとかがやいていました。  エキモスは、部屋のおくにたっている主人のところにいって、皮袋から金貨を五つとりだして、かんじょう台のうえにならべました。 「これで、みんなの人に、うまいごちそうをしてください」  主人は、びっくりしたようすをしました。そして五つの金貨をとって、皆の方へそれをうちふりました。 「おい、みなさん、これだけのごちそうだとよ」  わーっとよろこびの声があがりました。  声がでなくて、涙ぐんでる者もありました。エキモスもうれしくて、涙がでてきました。  酒がでました。ごちそうがでました。たいへんなさわぎでした。みんな元気になりました。やせほそった病気の者も、あしたから仕事へでかけるといいだします。みんなが仕事のことをはなします。エキモスはまた金貨をとりだして、靴のない人たちのために、靴をかってきてもらいました。みんなが、あしたからは、自分たちだけで、都じゅうの仕事をするような、元気です。そしてはらいっぱいに、のんだりたべたりしました。  しまいには、「神さまのお使い」のエキモスを胴上げして、よろこびさわぎました。  夜がふけました。エキモスがねむそうな眼になりますと、たべもの屋の主人は、そまつな家ですが、そのなかのいちばんよい部屋につれていって、ねかしてやりました。       四  エキモスはたのしく眼をさましました。ゆうべのことをかんがえると、うれしくてたまりませんでした。あの人たちが、あんなによろこんで元気よく食事をしたことは、いままでにありませんでした。  エキモスはたくさんの金貨を宿の主人にあずけて、ゆうべの人たちがきたら食事をさせてくれるようにたのんで、都のなかを見物にでかけました。  いろいろな店がありました。いろいろな人がとおっていました。公園や博物館などもありました。  夕方はやく、エキモスは宿にかえって、ゆうべの人たちをまちうけました。が、その人たちは、夜になって、二三人ずつ、つれだってやってきまして、お礼をいっただけで、もどっていきました。  エキモスは宿の主人にたずねました。 「あの人たちは、なぜ早くかえってしまうんだろう」  主人はこたえました。 「それはむりもありませんよ。一日はたらいたんだから、くたびれているんです。それに、あなたにごちそうになっては、すまないと思っているんです。あの人たちはもう大丈夫です。けれど、びんぼうで、おおぜい子供があったり、病気だったりして、ひどくこまってる人が、まだまだたくさんあります。その人たちをみんなたすけてやることは、いくらあなたが神さまのお使いだって、なかなかできますまい」  主人は頭をふって、かなしそうな顔をしました。 「僕は神さまのお使いなんかじゃないんですよ」とエキモスはいいました。「けれど、こまってる人たちがそんなにあるなら、どうかして、よろこばしてあげたいもんだなあ」  エキモスはいろいろかんがえました。そして、金貨でちょっとしたものをかっては、おつりに銀貨や銅貨をもらい、それを金色の鹿の毛皮でこしらえた袋にいれて、みんな金貨にしてしまいました。たくさんの金貨ができました。それをもって、エキモスは毎晩おそく、びんぼうな人たちのすんでるところへ、でかけていきました。  びんぼうな人たちのところでは、ふしぎなことがおこりました。  病気で仕事ができなくて、お金がないので、ものもたべられず、どうしていいかわからないでいる男が、ぼんやり外にたっていますと、そまつななりをした少年が、これでうまいものをおあがりなさいといって、金貨を一つくれます。男はあっけにとられてるうちに、少年はもうどこかへいってしまいます。  靴をもたない子供が、はだしで使いにいきますと、そまつななりをした少年が、これで靴をおかいなさいといって、金貨を一つくれます。  窓のガラスがこわれたまま、それをあらたにかうことができなくて、紙をはってるところがありますと、夜おそく、おもたいものがなげつけられます。紙がやぶけて、金貨がばらばらと部屋のなかにふってきます。  それからある朝、まだくらいうちに、戸をどんどんたたく者があります。一けん一けん戸をたたいていきます。どのうちでも眼をさまします。なにごとかと思って、おもてにでてみますと、そこに、たくさんの金貨がふりまかれています。みんながとびだしてきて、その金貨をひろいます。  どのうちにも、金貨がたまっていきました。みんな元気になりました。じようになるものをたべますし、帽子や靴もかいました。男たちは、いさんではたらきにでかけますし、女たちは、家の中をきれいにします。みんなの、しょんぼりした眼はいきいきとかがやいてきます。町じゅうに元気があふれてきました。  それがみな、エキモスのしわざでした。みなの人にもそれはわかっていました。けれど、エキモスを神さまのお使いだとおもっていましたので、おもてだってお礼にいくこともおそろしいような気がして、ただかげで、ありがたがって、ひそひそとうわさするだけでした。  それでも、お菓子や果物などを、エキモスの宿に、そっととどけにくる者がたえませんでした。いくらことわっても、またそっとおいていきます。それには、宿の主人がいちばんこまりました。うちのなかはお菓子や果物でいっぱいです。しかたがありませんから、ほうぼう知りあいのうちにくばりましたが、しまいには、どこのうちでもかまわずやたらに、それをくばってあるきました。そのためにまた、どこのうちにも、お菓子や果物があるようになりました。  びんぼうな子供たちはほんとにうれしがりました。これまであおい顔をしてうちにばかりひっこんでいたのが、お菓子や果物をたくさんたべて、元気になり、公園などにあそびにでました。  エキモスは、そういう子供たちとあそぶのが、なによりたのしみでした。公園の木には、たくさんの雀がいました。エキモスは子供たちとあそびつかれると、木のかげにやすんで、銀色の葦笛をふきます。すると雀たちが、笛の音にききとれて、エキモスのまわりにおりてきます。あたりいちめん雀ばかりです。子供たちがつかまえても、すこしもにげようとはしません。それを子供たちは、頭にとまらせたり、肩にとまらせたり、手のひらにのせたりして、うれしがっています。 「もうこれでおしまい」  そういってエキモスが立ち上がって、笛をしまいますと、雀たちも木のうえにとんでいきます。  そのようにして、ある日、エキモスが公園で子供たちとあそんでいますと、まっ黒い服をきた一人の男が、しずかに近よってきました。大きなつよそうな男で眼がするどくひかっていました。  男はエキモスのようすをじろじろながめてから、ひくい声でいいました。 「じつは、あなたにぜひごそうだんしたいことがありますので、あちらまできてくださいませんか」  エキモスはニコニコしていいました。 「ここではいけませんか」 「ええ、ちょっと……ひみつのことですから……」  それでエキモスは、その男についていきました。公園のではずれに、馬車がまっていまして、黒い服をきた大きなつよそうな男が四人のっていました。エキモスはいわれるままに、その馬車にのりました。馬車はいっさんにはしりだしました。       五  エキモスをのせた馬車は、どこまでもはしっていきました。くろい服をきたつよそうな五人の男が、エキモスをかこんでいました。  ずいぶんいってから、馬車は大きな石の門をはいりました。そこでエキモスは馬車からおろされました。あかい服をきて剣をさげてる五人の男が、くろい服の男とかわって、エキモスをとりかこみました。  エキモスにはわけがわかりませんでした。でもべつにこわいともおもいませんでした。あかい服の男たちにつれられて、大きなたてもののなかにはいり、ながいひろい廊下をとおって、ちいさな中庭にでました。そしてそこで、じゃりのうえの木の腰掛にすわらせられました。  やがて、正面の幕がまきあがりました。中庭より一だんたかい部屋のなかに、大ぜいの人がひかえていました。  あかい服の男の一人が、エキモスにいいました。 「王さまと大臣だ。おじぎをしろ」  エキモスはおじぎをして、顔をあげました。みると、まんなかに、金のかんむりをかぶってむらさきの服をきている人が、王さまらしく、そのすこし前のほうに、ぴかぴかひかる服をつけているのが、大臣らしゅうございました。そのほかの人たちは、赤や金のすじのはいった服をつけて、王さまの左右にならんでいました。  大臣はおごそかな声で、エキモスにたずねました。 「お前は、なんという名前だ」 「エキモスというものです」とエキモスはへいきでこたえました。 「エキモス、お前は魔法つかいだな」 「いいえ、魔法つかいではありません。山の羊かいです」 「その羊かいが、どうして、公園の雀をよびあつめるのか」 「よびあつめるのではありません。雀があつまってくるんです」 「それでは、なんのために、びんぼう人どもの町に、金貨をまきちらすのか」 「みんなをよろこばせたいからです」 「その金貨は、どこからぬすんできたのか」  エキモスはへんじにこまりました。しかたがありませんから、金色の皮袋をとりだして、そのふしぎな力をみせてやりました。銅貨や銀貨をいれると、金貨にかわりますし、石ころをいれても、金にかわってしまいました。  大臣はあかい服の男たちにさけびました。 「その魔法の袋をとりあげて、しばってしまえ」  エキモスは皮袋をとりあげられ、うしろでにしばりあげられました。どうすることもできませんでした。  大臣はいいました。 「お前は、けしからんやつだ。魔法をつかって、むほんをたくらんでいる。しかしもう、魔法の袋をとりあげたからには、どうにもできないぞ。かくごするがよい」  エキモスはいろいろいいわけしましたが、なんのやくにもたちませんでした。びんぼう人たちのところに金貨をまきちらして、はたらくのがばかばかしいという気をおこさせ、公園で雀をよびあつめて、みんなのきげんをとり、そして神さまのお使いだなどといいふらして、むほんをたくらんでいる、というのです。 「これから、七日のあいだ、森のなかの牢にとじこめて、それから、島ながしにいたします」  大臣は王さまにそうもうしました。王さまはだまってうなずきました。  それで、おしまいでした。エキモスは森のなかの牢屋にいれられました。だいじな笛までも、牢屋でとりあげられてしまいました。  森のなかに石でこしらえられて、兵士たちだけがばんをしている、おそろしいさびしい牢屋でした。エキモスはそこにとじこめられ、七日たてば、舟にのせられ、川をくだって海にいで、海をとおくわたって、人の住んでいないちいさな島にながされるのでした。  けれど、エキモスはさほどかなしみませんでした。なんにもわるいことをしたのではありません。今にだれかたすけにきてくれるような気がしました。  牢屋には、ちいさな窓が一つついていました。その窓からのぞくと、森の木がみえます。木のしげみをとおして、むこうに野原がみえます。エキモスは、山で羊かいをしていたときのことを、なつかしくおもいだしました。  ──羊たちはどうしてるだろう。  そして毎日、その窓から、森の木やむこうの野原をながめてくらしました。だが、野原には人のかげもみえません。だれもたすけにきてくれるものはありません。  三日たちました。四日たちました。だれもきてくれません。五日……六日……七日……。だれもきてくれません。森のなかはしいんとしていますし、森のむこうの野原には人かげもありません。  八日目の朝、いつも食事をはこんでくれる番人が、エキモスをかわいそうにおもってか、こういいました。 「いよいよきょうは、島にいくんだ。なにかねがいはないかね」  エキモスはすぐにこたえました。 「なんにもありませんが、ただ、なごりに、笛をふかしてください」 「うむ、きいてきてあげよう」  しばらくたつと、番人は白葦でこしらえた銀色の笛をもってきてくれました。  エキモスはとびあがってよろこびました。そのだいじな笛を胸にだきしめて、なみだをながしました。それから一心に、笛をふきはじめました。なんともいえないうるわしい音がひびきわたりました。エキモスはもうなにもかもわすれて、むちゅうにふきつづけました。いく時間ふきつづけたか、じぶんでもしりませんでした。  そのうち、なんだかさわがしいので、エキモスは気がつきました。そして窓からのぞきみると、びっくりしました。  森のなかいっぱい、鳥や獣ばかりでした。鷲や狼やライオンのようなおそろしいものもまじっていました。エキモスの笛をききにやってきたのです。牢の番人たちはにげだしてしまって、だれもいません。ただ鳥や獣ばかりです。  エキモスは笛をふきやめて、ぼんやりそれをながめていました。ふと気がつくと、森のむこうの野原のなかに、なにかうごいています。だんだんちかよってきます……。たくさんの人が、馬をかけさしてやってくるのでした。       六  エキモスがとじこめられている牢屋へ、馬でかけつけてきたのは、王さまと王子でした。大臣もおともしていました。それからおおくの兵士がしたがっていました。  はじめ、エキモスが牢屋へおくられた時、皮袋は、魔法の袋だといって、大臣から王さまの手にわたされました。王さまはそれを、じぶんの部屋にもってかえって、ふしぎそうにながめました。みごとな金色の鹿の毛皮でした。そしてその毛をなでてみてるうちに、ふと、魔法とかいうのを、ためしてみたくなりました。  王さまはその皮袋に、銅貨を一ついれてみました。とりだすと、金貨になっています。小石を一ついれてみました。とりだすと、黄金になっています。  王さまは、うれしさに眼をひからしました。そして銅貨や小石をとりよせては、皮袋にいれて、みな黄金にしてしまいました。くたびれてくると、大臣をよびました。つぎには、ごてんじゅうの役人をよびました。小石や銅貨をはこぶもの、それを皮袋にいれて黄金にするもの、その黄金を部屋のすみにつみかさねるもの、おおさわぎでした。黄金がだんだんふえてゆくのをみて、みんなむちゅうになりました。  一日たちました。一つの部屋が黄金でいっぱいになりました。  二日たちました。二つの部屋が黄金でいっぱいになりました。  王さまに、エキモスとおなじくらいな年ごろの王子がありました。王さまはじめみんなが、黄金をこしらえて、むちゅうになってるのをみて、かなしそうにいいました。 「そんなことをして、なにになりますか」  でも、だれもへんじをしませんでした。  三日……四日……五日たちました。五つの部屋が黄金でいっぱいになりました。  王子はいいました。 「そんなことをして、なにになりますか」  だれもへんじをしませんでした。  六日たち、七日たちました。七つの部屋が黄金でいっぱいになりました。  王子はかなしそうにいいました。 「そんなことをして、なにになりますか」  だれもへんじをしませんでした。がこんどは、みんな、たがいに顔をみあわせました。そしてため息をつきました。くたびれていました。なんだかさびしくなっていました。七つの部屋にいっぱいの黄金の山をみて、どうしていいかわからなくなってきました。  王子はいいました。 「石ころをつんでるのと、おんなじではありませんか」  じっさい、黄金ばかりこしらえて、なにになるんでしょう。こうなると、石ころをつんでるのとおなじでした。これまであんなにとうといものとおもっていた黄金も、七つの部屋いっぱいほどになると、どうにもしようがありませんでした。  ──ばかなことをしたものだ。  そうかんがえて、王さまは大臣のほうをみました。大臣も王さまのほうをみました。二人ともこまってしまいました。  そして、八日めの朝になると、七つの部屋いっぱいの黄金をまえにして、王さまも大臣の役人たちも、ただため息をつくばかりでした。  そこへ、いちどに、いろんな知らせがまいりました。──人民たちは、エキモスが牢にとじこめられて、いよいよ今日は島ながしになるんだということを、いつのまにかききだして、たいへんさわぎたっています。ぜひともエキモスをうばいかえすとさわいでいます。──エキモスがむほんをたくらんでたということも、びんぼう人たちのところへ金貨がまきちらされるのを、ねたんでる者どもが、かってにこしらえた話です。──そして牢屋のほうでは、ふしぎにも、数かぎりない鳥や獣がやってきて、牢屋から森まで、すっかりせんりょうしてしまっています……。  王さまは立ち上がりました。王子も立ち上がりました。すぐに馬をひきださせて、牢屋のほうへかけさせました。それを気づかって、大臣はおおくの兵士をつれて、あとにしたがいました。  きてみると、ほんとでした。牢屋のまわりの森のなかは、鳥や獣でいっぱいでした。鷲や狼や獅子のようなおそろしいのもまじっています。馬はおどろいてはねあがりました。王さまも王子も大臣も兵士たちも、馬からとびおりました。牢屋の窓には、にこにこしてるエキモスの顔がみえます。けれども、鳥や獣のためにちかよれませんでした。  そこへ、エキモスをうばいかえそうとして、たくさんの人民たちがやってきました。王さまはすぐに、エキモスをゆるすということをふれさせました。人民たちはあんしんしました。けれど、森のなかの鳥や獣をみて、エキモスのところへはちかよれませんでした。  そのうちに、王子はなんとおもってか、一人で森のなかにはいっていきました。ふしぎにも、狼や獅子もじっとうずくまったまま、なんの害もしませんでした。王子はずんずんすすんで、牢屋のなかにはいり、かぎをさがして、エキモスの部屋をあけました。  エキモスはよろこんで王子をむかえました。  王子は金色の皮袋をエキモスにかえしていいました。 「エキモス、お前はその皮袋で、わたしたちにたいへんよいことをおしえてくれました。人間の欲というものが、どんなにばかげてるものか、おしえてくれました。ありがとう」  王子のあとについて、王さまもはいってきました。王さまはいいました。 「エキモス、わしのおもいちがいだった。お前をくるしめたのを、ゆるしてくれ」  王さまのあとから、人民たちがとびこんできました。どうするひまもありませんでした。人民たちはエキモスをかつぎあげて、牢屋からつれだし、野原のなかにはこんでいきました。  それからたいへんなさわぎでした。都じゅうの人が野原にでてきて、王さまも、王子も、大臣も、兵士も、かねもちも、びんぼう人も、みないっしょになって、エキモスをかんげいするおまつりさわぎをしました。  おまつりさわぎは、一日じゅうつづきました。  そのさわぎのなかで、エキモスはなんだかさびしくなりました。もう都には用がないような気がしました。山の羊たちのことがおもいだされました。そしてその夜おそく、エキモスは葦笛と皮袋をかかえて、そっと都をたちのきました。 底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社    1990(平成2)年11月27日第1刷発行 入力:kompass 校正:門田裕志、小林繁雄 2006年4月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。