山の手の子 水上滝太郎 Guide 扉 本文 目 次 山の手の子  お屋敷の子と生まれた悲哀を、しみじみと知り初めたのはいつからであったろう。  一日一日と限りなき喜悦に満ちた世界に近づいて行くのだと、未来を待った少年の若々しい心も、時の進行につれていつかしら、何気なく過ぎて来た帰らぬ昨日に、身も魂も投げ出して追憶の甘き愁いに耽りたいというはかない慰藉を弄ぶようになってから、私は私にいつもこう尋ねるのであった。  山の手の高台もやがて尽きようというだらだら坂をちょうど登りきった角屋敷の黒門の中に生まれた私は、幼き日の自分をその黒門と切り離して想い起すことは出来ない。私の家を終りとして丘の上は屋敷門の薄暗い底には何物か潜んでいるように、牢獄のような大きな構造の家が厳めしい塀を連ねて、どこの家でも広く取り囲んだ庭には欝蒼と茂った樹木の間に春は梅、桜、桃、李が咲き揃って、風の吹く日にはどこの家の梢から散るのか見も知らぬいろいろの花が庭に散り敷いた。そればかりではない、もう二十年も前にその丘を去った私の幼い心にも深く沁み込んで忘れられないのは、寂然した屋敷屋敷から、花のころ月の宵などには申し合わせたように単調な懶い、古びた琴の音が洩れ聞えて淋しい涙を誘うのであった。私はこうした丘の上に生まれた。静寂な重苦しい陰欝なこの丘の端れから狭いだらだら坂を下ると、カラリと四囲の空気は変ってせせこましい、軒の低い家ばかりの場末の町が帯のように繁華な下町の真中へと続いていた。  今も静かに眼を閉じて昔を描けば、坂の両側の小さな、つつましやかな商家がとびとびながらも瞭然と浮んで来る。赤々と禿げた、肥った翁が丸い鉄火鉢を膝子のように抱いて、睡たそうに店番をしていた唐物屋は、長崎屋と言った。そのころの人々にはまだ見馴れなかった西洋の帽子や、肩掛けや、リボンや、いろいろの派手な色彩を掛け連ねた店は子供の眼にはむしろ不可思議に映った。その店で私は、動物、植物あるいはまた滑稽人形の絵を切って湯に浮かせ、つぶつぶと紙面に汗をかくのを待って白紙に押し付けると、その獣や花や人の絵が奇麗に映る西洋押絵というものを買いに行った。 「坊ちゃん。今度はメリケンから上等舶来の押絵が参りましたよ」  と禿頭は玻璃棚からクルクルと巻いたのを出しては店先に拡げた。子供には想像もつかない遠い遠いメリケンから海を渡って来た奇妙な慰藉品を私はどんなに憧憬をもって見たろう。油絵で見るような天使が大きな白鳥と遊んでいるありとあらゆる美しい花鳥を集めた異国を想像してどんなに懐かしみ焦がれたろう。実際あり来たりの独楽、凧、太鼓、そんな物に飽きたお屋敷の子は珍物好きの心から烈しい異国趣味に陥って何でも上等舶来と言われなければ喜ばなかった。長崎屋の筋向うの玩具屋の、私はいい花客だった。洋刀、喇叭、鉄砲を肩に、腰にした坊ちゃんの勇ましい姿を坂下の子らはどんなに羨ましく妬ましく見送ったろう。いつだったか父母が旅中お祖母様とお留守居の御褒美に西洋木馬を買っていただいたのもその家であった。白斑の大きな木馬の鞍の上に小さい主人が、両足を蹈ん張って跨がると、白い房々した鬣を動かして馬は前後に揺れるのだった。 「マア、玩具にまで何両という品が出来るのですかねえ、今時の子供は幸福ですねえ」  とお祖母様はニコニコして見ていらっしゃった。玩具屋の側を次第に下って行くと坂の下には絵双紙屋があった。この店には千代紙を買いに行く、私の姉のお河童さんの姿もしばしば見えた。芳年の三十六怪選の勇ましくも物恐ろしい妖怪変化の絵や、三枚続きの武者絵に、乳母や女中に手を曳かれた坊ちゃんの足は幾度もその前で動かなくなった。なかにも忘れられないのは古い錦絵で、誰の筆か滝夜叉姫の一枚絵。私が誕生日の祝い物に何が欲しいと聞かれて、あれと答えたので散歩がてらに父に連れられて行った時「これは売物ではございません」とむずかしい顔の亭主が言ってから亭主を憎いと思うよりも一層姫の美しい姿絵が懐かしくなった。その他そこらには呉服屋、陶器屋、葉茶屋、なぞがあったようだが私はそれらについて懐かしい何の思い出もない。坂下もまた絵双紙屋の側の熊野神社、それと向い合った柳の木に軒燈の隠れた小さな煙草屋のほかはやはり記憶から消えてしまったけれどもその小さな煙草屋の玻璃棚が並べられて、わずかに板敷を残した店先に、私の幼かった姿が瞭然と佇むのである。  私の生まれた黒門の内は、家も庭もじめじめと暗かった。さる旗本の古屋敷で、往来から見ても塀の上に蒼黒い樹木の茂りが家を隠していた。かなり広い庭も、大木が造る影にすっかり苔蒸して日中も夜のようだった。それでもさすがに春は植込みの花の木が思いがけない庭の隅々にも咲いたけれど、やがて五月雨のころにでもなろうものなら絶え間なく降る雨はしとしと苔に沁みて一日や二日からりと晴れても乾くことではなく、だだっ広い家の踏めばぶよぶよと海のように思われる室々の畳の上に蛞蝓の落ちて匍うようなことも多かった。物心つくころから私はこの陰気な家を嫌った。そして時たま乳母の背に負われて黒門を出る機会があると坂下のカラカラに乾ききった往来で、独楽廻しやメンコをする町の子を見て、自分も乳母の手を離れて、あんなに多勢の友達と一緒に遊びたいと思う心を強くするのみであった。乳母は、 「町っ子とお遊びになってはいけません」  と痩せた蒼白い顔をことさら真面目にして誡めた。なぜということはなしに私は町っ子と遊んではいけないものだと思っているほど幼なかった。そのころ私は毎晩母の懐に抱かれて、竹取の翁が見つけた小さいお姫様や、継母にいじめられる可哀そうな落窪のお話を他人事とは思わずに身にしみて、時には涙を溢して聞きながらいつかしら寝入るのであったがある晩から私は乳母に添い寝されるようになった。 「もうじき赤さんがお生まれになると、新様はお兄いさんにおなりになるのですから、お母様に甘ったれていらっしゃってはいけません」  と言い聞かされて、私は小さい赤坊の兄になるのを嬉しくは思ったが母の懐に別れなければならないことの悲しさに涙ぐまれて冷たい乳母の胸に顔を押し当てた。  間もなく母は寝所を出ない身となった。家内の者は何かしら気忙しそうに、物言いも声を潜めるようになり相手をしてくれることもなくなった。私の乳母さえも年役に、若い女のともすれば騒ぎたがるのを叱りながらそわそわ立ち働いていて私をば顧みることが少なくなった。出産の準備に混乱した家の中で私は孤独をつくづく淋しいと思った。お祖母様のお気に入りで夜も廊下続きの隠居所に寝る姉も、そのころ習い初めた琴を弾くことさえ止められて、一人で人形を抱えては、遊び相手を欲しがって常は疳癪を恐れて避けている弟をもお祖母様の傍に呼んで飯事の旦那様にするのであったが、それもじきと私の方で飽きが来てふとしたことから腕白が出ては姉を泣かすのでお祖母様や乳母に叱られる種となった。腕白盛りの坊ちゃんは「静かにしていらっしゃい」と言われて人気の少ない、室の片隅に手遊品を並べてもしばらく経つと厭になって忙しい人々に相手を求めるので「ちっとお庭にでも出てお遊びなさい」と家の内から追い立てられる。  黒土の上に透き間もない苔は木立の間に形ばかり付いていた小道をも埋めて踏めばじとじとと音もなく水の湧き出る小暗い庭は、話に聞いたいろいろの恐ろしい物の住家のように思われ、自由に遊び廻る気にはなれないので縁近いところでつまらなくすくんでいた。けれども次第に馴れて来るとまだ見ぬ庭の木立の奥が何となく心を引くので、恐々ながらも幾年か箒目も入らずに朽敗した落葉を踏んでは、未知の国土を探究する冒険家のように、不安と好奇心で日に日に少しずつ繁った枝を潜り潜り奥深く進み入るようになった。手入れをしない古庭は植物の朽ちた匂いが充ちていた。数知れぬ羽虫は到るところに影のように飛んでいた。森閑として木下闇に枯葉を踏む自分の足音が幾度か耳を脅かした。蜘蛛の巣に顔を包まれては土蜘蛛の精を思い出して逃げかえった。しかしこうして踏み馴れた道を知らず知らずに造って私はついにわが家の庭の奥底を究めたのであった。暗緑のしめっぽい木立を抜けるとカラリと晴れた日を充分に受けて、そこはまばらに結った竹垣もいつか倒れてはいたが垣の外は打ち立てたような崖で、眼の下には坂下の町の屋根が遠くまで昼の光の中に連なっている。その果てに品川の海が真蒼に輝いていた。今まで思いもかけなかった眼新しい、広い景色を自分一人の力で見出した嬉しさに私は雨さえ降らなければ毎日一度は必ず崖の上に小さい姿を現わすようになった。そして馴れるに従って日一日と何かしら珍しい物を発見した。熊野神社の大鳥居も見えた。三吉座という小芝居の白壁に幾筋かの贔負幟が風に吹かれているのを、一様に黒い屋根の間に見出した時はことに嬉しかった。芝居好きの車夫の藤次郎が父の役所の休日には私の守りをしながら、 「乳母には秘密ですぜ」  と言っては肩車に乗せてその三吉座の立見に連れて行く。父母とともに行く歌舞伎座や新富座の緋毛氈の美しい棧敷とは打って変って薄暗い鉄格子の中から人の頭を越して覗いたケレンだくさんの小芝居の舞台は子供の目にはかえって不思議に面白かった。ことに大向うと言わず土間も棧敷も一斉に贔負贔負の名を呼び立てて、もしか敵役でも出ようものなら熱誠を籠めた怒罵の声が場内に充満になる不秩序な賑やかさが心も躍るように思わせたのに違いない。私は藤次郎の言うままに乳母には隠れてたびたび連れて行ってもらったものだった。静寂な木立を後にして崖の上に立っていると芝居の内部の鳴物の音が瞭然と耳に響くように思われてあの坂下の賑わいの中に飛んで行きたいほど一人ぼっちの自分がうら淋しく思われた。  それは確かに早春のことであった。日ごとに一人で訪ずれる崖には一夜のうちに著しく延びて緑を増す雑草の中に見る限りいたいた草の花が咲いていた。その草の中にスクスクと抜け出た虎杖を取るために崖下に打ち続く裏長屋の子供らが、嶮しい崖の草の中をがさがさあさっていた。小汚ない服装をした鼻垂らしではあったが犬のように軽快な身のこなしで、群れを作ってほしいままに遊び廻っているのが遊び相手のない私にはどんなに懐かしくも羨ましく思われたろう。足の下を覗くように崖端へ出て、自分が一人ぼっちで立っていることを子供らに知ってもらいたいと思ったがこちらから声をかけるほどの勇気もなかった。全く違った国を見るように一挙一動の掛け放れた彼らと、自分も同じように振舞いたいと思って手の届くところに生えている虎杖を力充分に抜いて、子供たちのするように青い柔かい茎を噛んでも見た。しくしくと冷めたい酸っぱい草の汁が虫歯の虚孔に沁み入った。  こうしたはかない子供心の遣瀬なさを感じながら日ごと同じ場所に立つお屋敷の子の白いエプロンを掛けた小さい姿を、やがて長屋の子らが崖下から認めたまでには、どうにかして、自分の存在を彼らに知らせようとする瓦を積んでは崩すような取り止めもない謀略が幼い胸中に幾度か徒事に廻らされたのであったがとうとう何の手段をも自分からすることなくある日崖下の子の一人が私を見つけてくれたが偶然上を見た子が意外な場所に佇む私を見るとさもびっくりしたような顔をして仲間の者にひそひそとささやく気配だった。かさかさ草の中を潜っていた子供の顔は人馴れぬ獣のように疑い深い眼つきで一様に私を仰ぎ見た。  その翌日。もう長屋の子と友達になったような気がして、いつもよりも勇んで私は崖に立って待っていた。やがてがやがや列を作ってやって来た子供たちも私の姿を見て怪しまなかった。 「坊ちゃん、お遊びな」  と軽く節をつけて昨日私を見つけた子が馴れ馴れしく呼んだ。私は何と答えていいのかわからなかった。「町っ子と遊んではいけません」と言った乳母の言葉を想い起して何か大きな悪いことをしてしまったように心を痛めた。それでも、 「坊ちゃんおいでよ」  と気軽に呼ぶ子供に誘われて、つい一言二言は口返えしをするようになったが悪戯子も、さすがに高い崖を攀じ登って来ることは出来ないので大きな声で呼び交すよりしかたがなかった。  こんな日が続いたある日、崖上の私を初めて発見した魚屋の金ちゃんは表門から町へ出て来いという知恵を私に与えた。しばらくは不安心に思い迷ったが遊びたい一心から産婆や看護婦にまじって乳母も女中たちも産所に足を運んでいる最中を私の小さな姿は黒門を忍び出たのである。かつて一度も人手を離れて家の外を歩いたことのなかった私は、烈しい車馬の往来が危なっかしくて、せっかく出た門の柱に噛り付いて不可思議な世間の活動を臆病な眼で見ているのであった。  麗らかな春の昼は、勢いよく坂を馳け下って行く俥の輪があげる軽塵にも知られた。目まぐるしい坂下の町をしばらく眺めていると天から地から満ち溢れた日光の中を影法師のような一隊が横町から現われて坂を上って来た。 「坊ちゃんお遊びな」  と遠くから声を揃えて迎いに来た町っ子を近々と見た時私は思わず門内に馳け込んでしまった。汚ならしい着物の、埃まみれの顔の、眼ばかり光る鼻垂らしはてんでに棒切れを持っていた。 「坊ちゃん、おいでな皆で遊ぶからよ」  中では一番年増の金ちゃんは尻切れ草履を引きずって門柱に手を掛けながら扉の陰にかくれて恐々覗いている私を誘った。坊ちゃんの小さい姿は町っ子の群れに取り巻かれて坂を下った。  間もなく私は兄になった。その当座の混雑は、私をして自由に町っ子となる機会を与えた。あるいは邪魔者のいない方がかかる折には結句いいと思って家の者は知っても黙っていたのかも知れない。  比較的に気の弱いお屋敷の子は荒々しい町っ子に混って負を取らないで遊ぶことは出来なかったが彼らは物珍しがって私をばちやほやする。私はまた何をしても敵いそうもない喧嘩早い子供たちを恐いとは思いつつも窮屈な陰気な家にいるよりも誰に咎められることもなく気儘に土の上を馳け廻るのが面白くて、遊びに疲れた別れ際に「明日もきっとおいで」と言われるままに日ごとにその群れに加わった。  私たちの遊び場となったのは熊野神社の境内と柳屋という煙草屋の店先とであった。柳屋の店にはいつでも若い娘が坐っていた。何という名だったか忘れてしまったけれども色白の肥った優しい女だった。私は柳屋の娘というと黄縞に黒襟で赤い帯を年が年中していたように印象されている。弟の清ちゃんは私が一番の仲よしで町ッ子の群れのうちでは小ざっぱりした服装をしていた。そして私と清ちゃんが年も背丈も誰よりも小さかった。柳屋の姉弟にはお母さんがなく病身のお父さんが、いつでも奥で咳をしていた。店先には夏と限らずに縁台が出してあったもので、私たちばかりか近所の店の息子や小僧が面白ずくの煙草をふかしながら騒いでいた。 「あいつらは清ちゃんの姉さんを張りに来てやがるんだよ」  と言う金ちゃんの言葉の意味はわからぬながらも私は娘のために心を配わした。けれどもはかない私の思い出の中心となるのはこの柳屋の娘ではなかった。  都もやがて高台の花は風もないのに散り尽すころであった。ある日私はいつもの通り黒門を出て坂を小走りに馳け下った。その日に限って私より先には誰も出て来ていないので、私はしばらく待つつもりで柳屋の縁台に腰かけた。店番の人も見えなかったがほどなく清ちゃんが奥から馳け出して来る。続いて清ちゃんの姉さんも出て来て、 「オヤ、坊ちゃん一人ッきり」  と言いながら私の傍に坐った。派手な着物を着て桜の花簪をさしていた。私の頬にすれずれの顔には白粉が濃かった。 「今日は皆遊びに来ないのかい」 「エエ、町内のお花見で皆で向島に行くの。だから坊ちゃんはまた明日遊びにおいで」  娘は諭すように私の顔を覗き込んだ。  間もなく「今日は」と仇っぽい声を先にして横町から町内の人たちだろう、若い衆や娘がまじって金ちゃんも鉄公も千吉も今日は泥の付かない着物を着て出て来た。三味線を担いだ男もいた。 「アラ、今ちょうど出かけようと思っていたとこなの。どうもわざわざ誘っていただいて済みません」  清ちゃんの姉さんはいそいそと立ち上った。私は人々に顔を見られるのが気まり悪くてもじもじしていた。 「どうも扮装に手間がとれまして困ります。サア出かけようじゃあがあせんか」  と赤い手拭を四角に畳んで禿頭に載せたじじいが剽軽な声を出したので皆一度に吹き出した。 「厭な小父さんねえ」  と柳屋の娘は袂を振り上げてちょっと睨んだ。  どやどやと歩き出す人々にまじった娘は「明日おいで」と言って私を振り向いた。 「坊ちゃんは行かないのかい、一緒においでよ」  と金ちゃんが叫んだけれども誰も何とも言ってくれる人はなかった。私は埃を上げてさんざめかして行く後姿を淋しく見送っていると、人々の一番後に残って、柳屋の娘と何かささやき合っていた、さっき「今日は」と真先に立って来た娘がしげしげと私を振りかえって見ていたが小戻りして不意に私を抱き上げて何も言わないで頬ずりした。驚いて見上げる私を蓮葉に眼で笑ってそのまま清ちゃんの姉さんと手を引き合って人々の後を追って行った。それが金ちゃんの姉のお鶴だということは後で知ったが紫と白の派手な手綱染めの着物の裾を端折ッて紅の長襦袢がすらりとした長い脛に絡んでいた。銀杏返しに大きな桜の花簪は清ちゃんの姉さんとお揃いで襟には色染めの桜の手拭を結んでいた姿は深く眼に残った。私は一人悄然と町内のお花見の連中が春の町を練って行く後姿が、町角に消えるまで立ち尽したがそれも見えなくなるとにわかに取り残された悲しさに胸が迫って来て思わず涙が浮んで来た。  多数者の中で人々とともに喜びともに狂うことも出来ない淋しい孤独の生活を送る私の一生はお屋敷の子と生まれた事実から切り離すことの出来ない運命であったのだ。小さな坊ちゃんの姿は一人花見連とは反対に坂を登って、やがて恨めしい黒門の中に吸われた。  珍しい玩具も五日十日とたつうちには投げ出されたまま顧みられなくなるように、最初のうちこそ「坊ちゃん坊ちゃん」と囃し立てた子供も、やがて煙草屋の店先の柳の葉も延びきったころには全く私に飽きてしまって坊ちゃんはもはや大将としての尊敬は失われて金ちゃんの手下の一人に過ぎなかった。 「何んでえ弱虫」  こう言って肱を張って突っかかって来る鼻垂らしに逆らうだけの力も味方もなかった。けれどもやはり毎日のように遊び仲間を求めて町へ出たのは小さい妹のために家中の愛を奪われ、乳母をさえも奪われたがために家を嫌ったよりもお鶴といった魚屋の娘に逢いたいためであった。  子供の眼には自分より年上の人、ことに女の年齢は全く測ることが出来ない。お鶴も柳屋の娘も私にはただ娘であったとばかりでその年ごろを明確と言うことは思いも及ばないことに属している。お鶴は煙草屋の柳の陰の縁台の女主人公であった。色の蒼白い背丈の割合に顔の小さい女で私は今、そのすらりとした後姿を見せて蓮葉に日和下駄を鳴らして行くお鶴と、物を言わない時でも底深く漂う水のような涼しい眼を持ったお鶴とをことさら瞭然と想い出すことが出来る。  きらきらと暑い初夏の日がだらだら坂の上から真直ぐに流れた往来は下駄の歯がよく冴えて響く。日に幾たびとなく撤水車が町角から現われては、商家の軒下までも濡らして行くが、見る間にまた乾ききって白埃になってしまう。酒屋の軒には燕の子が嘴を揃えて巣に啼いた。氷屋が砂漠の緑地のようにわずかに涼しく眺められる。一日一日と道行く人の着物が白くなって行くと柳屋の縁台はいよいよ賑やかになった。派手な浴衣のお鶴も、街に影の落ちるころきっと横町から姿を見せるのであった。「今日は」と遠くから声をかけて若い衆の中でも構わずに割り込んで腰を下した。 「坊ちゃん。ここにいらっしゃい」  とお鶴はいつも私をその膝に抱いて後から頬ずりしながら話の中心になっていた。私はもう汗みずくになって熊野神社の鳥居を廻って鬼ごっこをする金ちゃんに従って行こうとはしないで、よくはわからぬながらも縁台の話を聞いていた。もちろん話は近所の噂で符徴まじりのものだった。「お安くないね」「御馳走さま」というような言葉を小耳に挾んで帰って、乳母に叱られたこともあった。若い娘の軽い口から三吉座の評判もしばしば出た。お鶴は口癖のように、 「死んだと思ったお富たあ……お釈迦様でも気がつくめえ」  とちょっと済ましてやる声色は「ヨウヨウ梅ちゃんそっくり」という若者たちの囃す中で聞かされて私も時たま人のいない庭の中などでは小声ながらも同じ文句を繰り返した。尾上梅之助という若い役者が三吉座を覗く場末の町の娘っ子をしてどんなにか胸を躍らせたものであったろう。藤次郎の背に乗った私は、「色男」「女殺し」という若者のわめきにまじる「いいわねえ」「奇麗ねえ」と、感激に息も出来ない娘たちの吐息のような私語を聞き洩らさなかった。私もいつも奇麗な男になる梅之助が好きだったけれどあまりにお鶴がほめる時は微かに反感を懐いた。 「平生着馴れた振袖から、髷も島田に由井ヶ浜、女に化けて美人局……。ねえ坊ちゃん。梅之助が一番でしょう」  と言ってお鶴は例のように頬を付ける。私は人前の気恥かしさに、 「梅之助なんか厭だい」  と言うのだった。実際連中は、お鶴がいつも私を抱いているので面白ずくによく戯弄った。 「お鶴さんは坊ちゃんに惚れてるよ」  私は何かしら真赤になってお鶴の膝を抜け出ようとするとお鶴はわざと力を入れて抱き締める。 「そうですねえ。私の旦那様だもの。皆焼いてるんだよ」 「嘘だい嘘だい」  足をばたばたやりながら擦り付ける頬を打とうとする、その手を取ってお鶴はチュッと音をさせて唇に吸う。 「アアア、私は坊ちゃんに嫌われてしまった」  さも落胆したように言うのであった。  やがて今日も坂上にのみ残って薄明も坂下から次第に暮れ初めると誰からともなく口々に、 「夕焼け小焼け、明日天気になあれ」  と子供らは歌いながらあっちこっちの横町や露路に遊び疲れた足を物の匂いの漂う家路へと夕餉のために散って行く。 「お土産三つで気が済んだ」  と背中をどやして逃げ出す素早い奴を追いかけてお鶴も「明日またおいで」と言って、別れ際に今日の終りの頬擦りをして横町へ曲って行く。  私はいつも父母の前にキチンと坐って、食膳に着くのにさえ掟のある、堅苦しい家に帰るのが何だか心細く、遠ざかり行く子供の声をはかない別れのように聞きながら一人で坂を上って黒門をはいった。夕暮は遠い空の雲にさえ取止めもない想いを走らせてしっとりと心もうちしめりわけもなく涙ぐまれる悲しい癖を幼い時から私は持っていた。  玄関をはいると古びた家の匂いがプンと鼻を衝く。だだっ広い家の真中に掛かる燈火の光の薄らぐ隅々には壁虫が死に絶えるような低い声で啼く。家内を歩く足音が水底のように冷めたく心の中へも響いて聞える。世間では最も楽しい時と聞く晩餐時さえ厳めしい父に習って行儀よく笑い声を聞くこともなく終了になってしまう音楽のない家の侘しさはまた私の心であった。お祖母様や乳母や誰彼に聞かされたお化の話はすべてわが家にあった出来事ではないかと夜はいつでも微かな物音にさえ愕えやすかった。自然と私は朝を待った。町っ子の気儘な生活を羨んだ。  カラリと晴れた青空の下に物皆が動いている町へ出ると蘇生ったように胸が躍って全身の血が勢いよく廻る。早くも街には夏が漲って白く輝く夏帽子が坂の上、下へと汗を拭き拭き消えて行く。ことさら暑い日中を択んで菅笠を被った金魚屋が「目高、金魚」と焼けつくような人の耳に、涼しい水音を偲ばせる売り声を競う後からだらりと白く乾いた舌を垂らして犬がさも肉体を持て余したようについて行く。夏が来た夏が来た。その夏の熊野神社の祭礼も忘れられない思い出の一頁を占めねばならぬ。  町内の表通りの家の軒にはどこも揃いの提灯を出したが屋根と屋根との打ち続く坂下は奇麗に花々しく見えるのに、塀と塀とは続いても隣の家の物音さえ聞えない坂上は大きな屋敷門に提灯の配合が悪く、かえって墓場のように淋しかった。そればかりか私の家なぞは祭りと言っても別段何をするのでもないのに引き替えて商家では稼業を休んでまでも店先に金屏風を立て廻し、緋毛氈を敷き、曲りくねった遠州流の生花を飾って客を待つ。娘たちも平生とは見違えるように奇麗に着飾って何かにつけてはれがましく仰山な声を上げる。若い衆子供はそれぞれ揃いの浴衣で威勢よく馳け廻る。ワッショウワッショウワッショウと神輿を担ぐ声はたださえ汗ばんだ町中の大路小路に暑苦しく聞える。こういう時に日ごろ町内から憎まれていたり、祝儀の心附けが少なかったりした家は思わぬ返報をされるものだった。坂上の屋敷へも鉄棒でガチャンガチャンと地面を打って脅かす奴を真先にいずれも酒気を吐いてワッショイワッショイと神輿を担ぎ込む。それをば、もう来るころと待っていて若干祝儀を出すとまたワッショウワッショウと温和しく引き上げて行くがいつの祭りの時だったかお隣の大竹さんでは心付けが少ないと言うので神輿の先棒で板塀を滅茶滅茶に衝き破られたことがあったのを、わが家も同じ目に逢わされはしないかと限りなき恐怖をもって私は玄関の障子を細目にあけながら乳母の袖の下に隠れて恐々神輿が黒門の外の明るい町へと引き上げて行くのを覗いたものだった。子供連もてんでに樽神輿を担ぎ廻って喧嘩の花を咲かせる。揃いの浴衣に黄色く染めた麻糸に鈴を付けた襷をして、真新しい手拭を向う鉢巻にし、白足袋の足にまでも汗を流してヤッチョウヤッチョウと馳け出すと背中の鈴がチャラチャラ鳴った。女中に手を曳かれて人込みにおどおどしながら町の片端を平生の服装で賑わいを見物するお屋敷の子は、金ちゃんや清ちゃんの汗みずくになって飛び廻る姿をどんなに羨ましくも悲しくも見送ったろう。  やがて祭りが終っても柳屋の店先はお祭りの話ばかりだった。向う横町の樽神輿と衝突した子供たちの功名談を妬ましいほど勇ましいと思った。若い衆の間に評判される踊り屋台にお鶴が出たということは限りなく美しいものに憧るる私の心を喜ばせたとともに自分がそれを見なかった口惜しさもいかばかり深いものであったろう。けれども私はすぐさまわが羨望の的だった絵双紙屋の店先の滝夜叉姫の一枚絵をお鶴と結びつけてしまった。お鶴の膝に抱かれながら私は聞いた。 「お鶴さんは踊り屋台に出て何をしたの」 「何だったろう。当てて御覧」 「滝夜叉かい」 「エエなぜ」 「だって滝夜叉が一番いいんだもの」  お鶴は嬉しそうに笑ってまた頬擦りをするのだった。真実にお鶴が滝夜叉姫になったのかどうか。私の言うままに、良い加減にそうだと答えたものなのか私は知らないが、古い錦絵の滝夜叉姫と踊り屋台に立ったお鶴とは全く同一だったように思われて、踊り屋台を見なかったにもかかわらず二十年後の今もなお私はまざまざと美しい絵にしてそれを幻に見ることが出来る。  土用のうちは海近い南の浜辺で暮した。一時として静まらぬ海の不思議がすでに子供心を奪ってしまったので私は物欲しい心持を知らずに過ぎた。けれども海岸の防風林にもつれない風が日に日に吹きつのり別荘町も淋しくなる八月の末には都へ帰らなければならなかった。帰った当座は住み馴れたわが家も何だか物珍しく思われたが夏の緑に常よりも一層暗くなった室の中に大人のようにぐったりと昼寝する辛棒も出来ないので私はまた久しぶりで町をおとずれた。木蔭の少ない町中は瓦屋根にキラキラと残暑が光って亀裂の出来た往来は通り魔のした後のように時々一人として行人の影を止めないで森閑としてしまう。柳屋の店先に立った私を迎えたのは、店棚の陰に白い団扇を手にして坐っていた清ちゃんの姉さん一人だった。 「マアしばらくぶりねえ。どこへ行っていらしったの。そんなに日に焼けて」  娘はニコニコして私を店に腰掛けさせ団扇で搧ぎながら話しかけた。 「誰もいないのかい。清ちゃんも」 「エエ。今しがた皆で蝉を取るって崖へ行ったようですよ」 「誰も来ないのかなあ」  つまらなそうに私は繰り返して言った。 「誰もって誰さ。アアわかった。坊ちゃんの仲よしのお鶴さんでしょう。坊ちゃんはお鶴さんでなくっちゃいけないんだねえ。私ともちっと仲よしにおなりな」  娘は面白そうに笑った。  夕食の後、家内の者は団扇を手に縁端で涼んでいるうち、こっそりと私はまだ明るい町へ抜け出した。早くも燈火のついた柳屋の店先にはもう二三人若者が集まっていた。子供たちは私を珍しがっていろいろと海辺の話を聞きたがったがそれにも飽きると餓鬼大将の金ちゃんを真先に清ちゃんまでも口を揃えて、 「お尻の用心御用心」  とお互い同志で着物の裾を捲り合ってキャッキャッと悪戯けを始めたがしまいには止め度がなくなってお使いにやられる通りすがりの見も知らぬ子のお尻を捲ってピチャピチャと平手で叩いて泣かせる、若者は面白ずくに嗾しかける。私は店先に腰かけて黙って見ていたが小さな女の子までも同じ憂き目に逢ってワアッと泣いて行くのを可哀そうに思った。  間もなく町は灯になって見る間にあわただしく日が沈めばどこからともなく暮れ初めて坂の上のほんのり片明りした空に星がチロリチロリと現われて煙草屋の柳に涼しい風の渡る夏の夜となる。 「お尻の用心御用心」  と調子づいた子供の声はますます高くなってゆく。 「オイオイあすこへ来たのはお鶴ちゃんだろう」  こう言った若者の一人は清ちゃんの姉さんが止めるのも聞かずに、面白がる仲間にやれやれと言われて子供たちにいいつけた。 「誰でもいいからお鶴ちゃんの着物を捲ったら氷水をおごるぜ」  さすがに金ちゃんは姉のこととて承知しなかったが車屋の鉄公はゲラゲラ笑いながら電信柱の後に隠れる。私は息を殺してお鶴のために胸を波打たせた。夜目に際立って白い浴衣のすらりとした姿をチラチラと店灯りに浮き上らせてお鶴はいつもの通り蓮葉に日和下駄をカラコロと鳴らしてやって来る。やり過して地びたを這って後へ廻った鉄公の手がお鶴の裾にかかったかと思うと紅が翻って高く捲れた着物から真白な脛が見えた。同時に振り返ったお鶴は鉄公の頭をピシャピシャと平手でひっぱたいてクルリと踵をかえすと元来た方へカラコロとやがて横町の闇に消えてしまった。気を呑まれた若者は白けた顔を見合わせておかしくもなく笑った。私は強い味方を持てる気強さと滝夜叉のように凄いほど美しいわがお鶴をたまらなく嬉しく懐かしく思ったのであったが待ち設けた人に逢われぬ本意なさにまだ崩れない集まりを抜けて帰った。  暗闇の多い坂上の屋敷町は、私をして若い女や子供が一人で夜歩きするとどこからか出て来て生き血を吸うという野衾の話を想い起させた。その話をして聞かせた乳母の里でも村一番の美しい娘が人に逢いたいとて闇夜に家を抜け出して鎮守の森で待っているうちに野衾に血を吸われて冷めたくなっていたそうだ。氷を踏むような自分の足音が冷え初めた夜の町に冴え渡るのを心細く聞くにつけ野衾が今にも出やしないかとビクビクしながら、一人で夜歩きをしたことをつくづく悔いたのであった。覆いかかった葉柳に蒼澄んだ瓦斯燈がうすぼんやりと照しているわが家の黒門は、固くしまって扉に打った鉄鋲が魔物のように睨んでいた。私は重い潜戸をどうしてはいることが出来たのだったろう。明るい玄関の格子戸から家の内へ馳け込むと中の間から飛んで出て来た乳母はしっかりと私を抱き締めた。 「新様あなたはマアどこに今ごろまで遊んでいらっしゃったのです」  あれほど言っておくのになぜ町へ出るのかと幾度か繰り返して言い聞かせた後、 「もう二度と町っ子なんかとお遊びになるんじゃありません乳母がお母様に叱られます」  と私の涙を誘うように掻き口説くので、いつも私が言うことをきかないと「もう乳母は里へ帰ってしまいます」と言うのが真実になりはしないかと思われて知らず知らずホロリとして来たが、 「新次や新次や」  と奥で呼んでいらっしゃるお母様のお声の方に私は馳け出して行った。  お屋敷の子と生まれた悲哀はしみじみと刻まれた。 「卑しい町の子と遊ぶと、いつの間にか自分も卑しい者になってしまってお父様のような偉い人にはなれません。これからはお母様の言うことを聞いてお家でお遊びなさい。それでも町の子と遊びたいなら、町の子にしてしまいます」  と言う母の誡めを厳かに聞かされてから私はまた掟の中に囚われていなければならなかった。しばらくは宅中に玩具箱をひっくり返して、数を尽して並べても「真田三代記」や「甲越軍談」の絵本を幼い手ぶりで彩っても、陰欝な家の空気は遊びたい盛りの坊ちゃんを長く捕えてはいられない。私はまた雑草をわけ木立の中を犬のように潜って崖端へ出て見はるかす町々の賑わいにはかなく憧憬れる子となった。 「なぜお屋敷の坊ちゃんは町っ子と遊んではいけないのだろう」  こう自分に尋ねて見たがどうしてもわからなかった。後年、この時分の、解きがたい謎を抱いて青空を流れる雲の行衛を見守った遣瀬ない心持が、水のように湧き出して私は物の哀れを知り初めるという少年のころに手飼いの金糸雀の籠の戸をあけて折からの秋の底までも藍を湛えた青空に二羽の小鳥を放してやったことがある。  崖に射す日光は日に日に弱って油を焦がすようだった蝉の音も次第に消えて行くと夏もやがて暮れ初めて草土手を吹く風はいとど堪えがたく悲哀を誘う。烈しかっただけに逝く夏は肉体の疲れからもかえって身に沁みて惜しまれる。木の葉も凋落する寂寥の秋が迫るにつれて癒しがたき傷手に冷え冷えと風の沁むように何ともわからないながらも、幼心に行きて帰らぬもののうら悲しさを私はしみじみと知ったように思われる。こうして秋を迎えた私ははかなくお鶴と別れなければならなかった。  ある日私は崖下の子供たちの声に誘われて母の誡めを破って柳屋の店先の縁台に母よりも懐かしかったお鶴の膝に抱かれた。 「なぜこのごろはちっとも来なかったの。私が嫌になったんだよ憎らしいねえ」  と柔かい頬を寄せ、 「私もう坊ちゃんに嫌われてつまらないから芸者の子になってしまうんだ」  と言ったお鶴の言葉はどんなに私を驚かしたろう。遠い下町の、華やかな淫らな街に売られて行くのを出世のように思って面白そうに嬉しそうにお鶴の話すのを私はどんなに悲しく聞いたろう。しかしそれも今は忘れようとしても忘れることの出来ない懐かしい思い出となってしまった。  お鶴はすでに、明日にも、買われて行くべき家に連れて行かれる身であった。そこは鉄道馬車に乗って三時間もかかって行く隅田川の辺りで一町内すっかり芸者屋で、芸者の子になるとおいしい物が食べられて、奇麗な着物は着たいほうだい、踊りを踊ったり、三味線を弾いたりして毎日賑やかに遊んでいられるのだとお鶴は言った。 「私もいい芸者になるから坊ちゃんも早く偉い人になって遊びに来ておくれ」  お鶴は明日の日の幸福を確く信じて疑わない顔をして言った。平生よりも一層はしゃいで苦のない声でよく笑った。 「今度遊びに行っていいかい」  と私が言ったのを、 「子供の癖に芸者が買えるかい」  と囃し立てた子供連にまじってお鶴のはれた声も笑った。そしていつもよりも早く帰えると言い出して別れ際に、 「私を忘れちゃ厭だよ、きっと偉い人になって遊びに来ておくれ」  と幾たびか頬擦りをしたあげくに野衾のように私の頬を強く強く吸った。「あばよ」と言って、蓮葉にカラコロと歩いて行く姿が瞭然と私に残った。  悄然と黒門の内に帰った私は二度とお鶴に逢う時がなかった。忘れることの出来ないお鶴について私の追想はあまりにしばしば繰り返えされたので、もう幼かった当時の私の心持をそのままに記すことは出来ないであろう。私は長じた後の日に彩った記憶だと知りながら、お鶴に別れた夕暮の私を懐かしいものとして忘れない。 「お鶴は行ってしまうのだ」  と思うと眼が霞んで何にも見えなくなって、今までにお鶴がささやいた断れ断れの言葉や、まだ残っている頬擦りや接吻の温かさ柔かさもすべて涙の中に溶けて行って私に残るものは悲哀ばかりかと思われる。堪えようとしても浮ぶ涙を紛らすために庭へ出て崖端に立った。「お鶴の家はどこだろう」傾く日ざしがわずかに残る、一様に黒い長屋造りの場末の町とてどうしてそれが見分けられよう。悲哀に満ちた胸を抱いてほしいままに町へも出られない掟と誡めとに縛られるお屋敷の子は明日にもお鶴が売られて行く遠い下町に限りも知らず憧がれた。「子供には買えないという芸者になるお鶴と一日も早く大人になって遊びたい」  見る見る落日の薄明も名残りなく消えて行けば、 「蛙が鳴いたから帰えろ帰えろ」  と子供の声も黄昏れて水底のように初秋の夕霧が流れ渡る町々にチラチラと灯がともるとどこかで三味線の音が微かに聞え出した。ポツンポツンと絶え絶えに崖の上までも通う音色を私はどうしてもお鶴が弾くのだと思わないではいられなかった。そして何だかその絃に身も魂も誘われて行くようにいとせめて遣瀬ない思いが小さな胸に充分になった。「お鶴は行ってしまうのだ」「一人ぼっちになってしまうのだ」とうら悲しさに迫り来る夜の闇の中に泣き濡れて立っていた。  ふと私は木立を越した家の方で「新様新様」と呼ぶ女中の声に気がつくと始めて闇に取り巻かれうなだれて佇む自分を見出して夜の恐怖に襲われた。息も出来ないで夢中に木立を抜けた私は縁側から座敷へ馳け上ると突然端近に坐っていた母の懐にひしと縋って声も惜しまずに泣いた。涙が尽きるまで泣いた。  ああ思い出の懐かしさよ。大人になって、偉い人になって、遊びに行くと誓った私はお屋敷の子の悲哀を抱いて掟られ縛められわずかに過ぎし日を顧みて慰むのみである。お鶴はどこにいるのか知らないが過ぎし日のはかなき美しき追想に私はお鶴に別れた夕暮、母の懐に縋って涙を流した心持をば、悲しくも懐かしくも嬉しき思い出として二十歳の今日もしみじみと味わうことが出来るのである。 底本:「日本の文学 78 名作集(二)」中央公論社    1970(昭和45)年8月5日初版発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:土屋隆 校正:小林繁雄 2006年7月2日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。