心持について 宮本百合子 Guide 扉 本文 目 次 心持について      或瞬間(思い出)  正午のサイレンが鳴ってよほど経つ    少し空腹  工事場でのこぎりの音    せわしい技巧的ななめらかな小鳥のさえずり、いかにも籠の小鳥らしい美しさで鳴く  とつぜん ガランガランと    豆屋のベルの音がした。  そして私は思い出した。刑務所の  さむい朝と 夜とを、    主として夜を  その音が どっか遠くで順々にきこえ  いつも最後に女舎で鳴り、机をたたんで床をしいたのを。    今も宮がその音で床をしいているのを、    彼の眉としまった 少しへの字にした口許とを      Обара の気持  何だか宙で一つぐるんとぶんまわって 自分の体の上下がわからなくなったような 自分のこの社会におけるあり場所がわからなくなった感じ。  嘔気の出る感じ。      夜ふけのローソク  スエ子が、  ふっとふき消した、のにベッドのシーツのところが一部分白く、硝子もあかるく見えている。月がさしているようで、雨の音がしているのに 思わず目を上へやって見る、すると黒い幕を下からスッと急に上げたように四辺が真暗くなる、もう何も見えない。その瞬間の錯綜と或美しさ。      手紙の重み  ヒョータン形の郵便の目方はかりではかりつつ 「実際こんな手紙に 六銭はんなけゃならないなんて 癪だわ」      見て知らん振  銀座 雨もよい weekday の午後一時すぎ むこうから特長のある石川湧の鳥打帽 タバコをふかしつつ コバルト色のコート 傘の若い女と並んで歩いて来る、女私の前を通すぎるとき 傘を傾けて顔をかくしてしまう 湧 煙草をふかし こっちを見、しかし 知らぬものを見ているように見て通りすぎてしまう。  朝 ロク 洗面所で 「この頃 **人が 石川湧にフランス語を習ってるんだって」 「フーム」 「唯ケンを出てしまったんだってね 盛ニユイケンのわる口 云ってたそうだ」 「こわくなってやめたんだろう この頃狙われてるから」 「ナカナカ悧口だって云ってた」 「ふむ それがね どうも……」  あの若い女のひとと彼とのこと  その彼ときょうの女とのこと いろいろ ○彼女が身のまわりに持っている雰囲気の中には  常にある爽やかさがあった。 それが生活の或時期では健康さと芸術に対する野心から 次の時期には単純であるが確信に満ちたガンばりから そして最近それは度々の鍛練によって引しまりやきがはいり、ばねはつよく正確になって、落付きしかも一層澄みとおったような爽やかさとなって来たのを○子は感じた。 底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社    1981(昭和56)年5月30日初版発行    1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行 初出:同上 ※「*」は不明字。 入力:柴田卓治 校正:磐余彦 2004年2月15日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。