闇夜の梅 三遊亭圓朝 鈴木行三校訂 Guide 扉 本文 目 次 闇夜の梅 一 二 三 一  エヽ講談の方の読物は、多く記録、其の他古書等、多少拠のあるものでござりますが、浄瑠璃や落語人情噺に至っては、作物が多いようでござります。段々種を探って見ると詰らぬもので、彼の浄瑠璃で名高いお染久松のごときも、実説では久松が十五、お染が三歳であったというから、何うしても浮気の出来よう道理がござりませぬ。久松が十五の時、主人の娘お染を桂川の辺で遊ばせて居る中に、つい過ってお染を川の中へ落したから御主人へ申訳がない、何うかして助けにゃならぬと思ったものか、久松も続いて飛込むと、游泳を知らなかったからついそれ切りとなった。これを種にしてお染久松という質店の浄瑠璃が出来ましたものでござります。又大阪の今宮という処に心中があった時に、或狂言作者が巧にこれを綴り、標題を何としたら宜かろうかと色々に考えたが、何うしても工夫が附きませぬ、そこで三好松洛の許へ行って、  「なんとこれ迄に拵えたが、外題を何とつけたらよかろう」  「いやお前のように、そんなに凝っちゃアいけませぬ、寧そ手軽く『心中話たった今宮』と仕たらようござりましょう」  「成程」  と直に右の通の外題にして演ると大層に当ったという話がある。その真似をして林家正藏という怪談師が、今戸に心中のあった時に『たった今戸心中噺』と標題を置き拵えた怪談が大して評が好かったという事でござります。この闇夜の梅と題するお話は、戯作物などとは事違い、全く私が聞きました事実談でござります。  えゝ、浅草に三筋町と申す所がある。是も縁で、三筋町があるから、其の側に三味線堀というのがあるなどは誠におかしい、それゆえ生駒というお邸があるんだなんぞは、後から拵えたものらしい。下谷があるから上野があって、側に仲町がありまして上中下と揃って居る。縁というものは何う考えても不思議なもので、腕尽にも金尽にも及ばぬものだというが、これは左様かも知れませぬ、まア呉服屋などで、不図地機の好い、お値段も恰好な反物を見附けたから買おうと思って懐中へ手を入れて見ると、金子が少々足りないから、一旦立ち帰り、金子の用意をして再び来ると、誠にお気の毒様でござりますが、貴方がお帰りになると、直に入らしったお方が見せて呉れと仰しゃいまして、到頭其の方の方へ縁附になりました。いやそれは残念な事をした、もうあゝいうのはありませぬか。へい、あれは二百反の中二反だけ別機であったのですから、もう外にはござりませぬ。それでは仕方がない、縁がなかったのだろう。と諦めてしまうと、時経ってから不意と田舎などから、自分が買いたいと思った品とそっくりな反物を貰う事などがある。又お馴染の芸者でも、生憎買おうと思った晩外にお約束でもあれば逢う事は出来ませぬ。又金子を沢山懐中に入れて芝居を観ようと思って行っても、爪も立たないほどの大入で、這入り所がなければ観る事は出来ませぬ。だから縁の無い事は金尽にも力尽にもいかぬもので、ましてや夫婦の縁などと来ては尚更重い事で、人間の了簡で自由に出来るものではござりませぬ。  えゝ浅草の三筋町──俗に桟町という所に、御維新前まで甲州屋と申す紙店がござりました。主人は先年みまかりまして、お杉という後家が家督を踏まえて居る。お嬢さんは今年十七になって、名をお梅と云って、近所では評判の別嬪でござります。番頭、手代、小僧、下女、下男等数多召使い、何暗からず立派に暮して居りました。すると子飼から居る粂之助というもの、今では立派な手代となり、誠に優しい性質で、其の上美男でござります。嬢さんも最早妙齢ゆえ、良い聟があったらば取りたいものと、お母さんは大事がって少しも側を離さないようにして置きましたが、どうも仕方がないもので、ある晩のことお母さんが不図目を覚まして見ると娘が居ない。  「はてな、何処へ行ったか知らん、手水に行ったならもう帰りそうなものだが」  と思ったが何時まで経っても戻って来ない。  母「はてな嬢ももう年頃、外に何も苦労になる事はないが、店の手代の粂之助は子飼からの馴染ゆえ大層仲が好いようだが、事によったら深い贔屓にでもしていはせぬか知ら」  とお母さんが始めて気が付いたけれども、気の付きようが遅かったから、もう間に合いませぬ。これが馬鹿のお母さんなら直に起き上って紙燭でも点し、から〳〵方々を開け散かして、「此の娘は何うしたんだよ」なんて呶鳴って騒ぐんだが、沈着いた方だから其様な蓮葉な真似はしない、いきなり長羅宇の煙管で灰吹をポン〳〵と叩いた。深夜のことゆえピーンと響いたから、お嬢さんは恟りいたし、そっと抜足をして便所へ参り、ギーイ、バタンと便所から出たような音ばかりさせて、ポチャ〳〵〳〵と水をかけて手を洗い、何喰わぬ顔をして其の晩は寝てしまった。翌朝になると、お母さんが直に鳶頭を呼びにやって、右の話をいたし、一時粂之助の暇を取って貰いたいと云う。鳶頭も承知をして立帰った後で、  主婦「粂や、粂」  粂「へい」  主婦「あのお前のう、ちょいと鳥越の鳶頭の処まで行ってくんな、用は行きさえすれば解る………私がそういったから来ましたといえば解るんだよ」  粂「へい畏りました」  何だか理由は解らぬが、粂之助は直に抱の鳶頭の処へやって来まして、  粂「へい今日は」  鳶「いや、お上んなさい、宜いからまアお上んなさい、ずうっと二階へ、梯子が危のうがすよ、おいお民、粂どんに上げるんだから好い茶を入れなよ、なに、何か茶うけがあるだろう、羊羹があった筈だ、あれを切んなよ、チョッ不精な奴だな、折の葢の上で切れるもんか、爼板を持って来なくっちゃアいかねえ、厚く切んなよ、薄っぺらに切ると旨くねえから、己が持って来いてったら直に持って来な、宜いか、話の真最中はんまな時分に持って来ちゃアいけねえぜ」  トン〳〵〳〵と梯子を上って、  鳶「へ、今日は」  粂「何んだかね鳶頭、お内儀さんが、鳶頭の処へ行きさえすれば解るから、行って来いと仰しゃいましたから参りました」  鳶「それは何うもお忙がしい処をお呼び立て申して済みませんね、粂どん実は斯ういう話だ、今朝ねお内儀さんから私へお人だ、何だろうと思って直に出掛けてってお目にかゝると、奥の六畳へ通して長々と昔噺が始まったんだ、鳶頭お前がまだ年の行かねえ時分から当家へ出入をするねと仰しゃるから、左様でござえます、長え間色々お世話になりますんで、なに其様な事は何うでも宜いが、旦那が死んで今年で四年になるし、私も段々年を取るし、お梅ももう十七になる、来年は歳廻りが良いから何様な者でも聟を取ったらよかろうと話をすると、いつでも娘が厭がる、他人様から、斯ういう良い聟がありますと申込んでも厭がるもんだから、他人が色々な事を云って困る、妙齢の娘が聟を取るのを厭がるには、何か理由があるんだろう、なにそれは店の手代に粂之助という好い男があるから事に依ったらあの好い男と仔細でもありはしないか、と云いもしまいが、ひょっとして其様なことを云われた日には、世間の口にゃア戸が閉てられねえ、ねえ鳶頭、と斯うお内儀さんがいうのだ、してみると何かお前さんとお嬢さまとあやしい情交にでもなっているように私の耳には聞えるんだ、宜うがすかい、それから、誠に何うもそれは御心配なことでというと、お内儀さんの仰しゃるには、粂之助も小さい時分から長く勤めて居たから、能く気心も知れて居るが、何分今直に何う斯うという訳にも往かず、捨て置いて失策でも出来るといけねえから、一と先ず谷中の兄さんの方へ連れて行って、時節を待ったら宜かろう、其の中にはまた出入をさせる事もあるじゃアねえか、と斯う仰しゃるのだ、うむ、それから、なんだ斯ういう事も云った、何分宅の奉公人や何かの口がうるせえから、一時そういう事にするんだが、仮令他人が何といおうと、私の為にはたった一人の娘だから、同じ取るなら娘の気に入った聟を取って、初孫の顔を見たいと云うのが親の情合じゃアねえか、娘が強って彼でなければならないといえば、私には気に入らんでも、娘の好いた聟を取って其の若夫婦に私は死水を取って貰う気だが、鳶頭何うだろう、と仰しゃるのだ、お内儀さんの思召では、一時お前さんに暇を出して、世間でぐず〳〵いわねえようにしちまって、それから良い里を拵えて、ずうっと表向きお前さんを聟にして、死水を取って貰おうてえお心持があるんだから、粂どん早まっちゃアいけねえよ、宜うがすか、お内儀さんには、色々深え思召があるんだから、私も大旦那のお若え時分、まだ糸鬢奴の時分から、甲州屋のお店へ出入りをしてえて、お前さんとも古い馴染だが、今度来やアがった番頭ね、彼奴が悪い奴なんだ、いろ〳〵胡麻を摺りやアがって仕様がねえからお内儀さんも心配をしていらっしゃるんだが、ねえ粂どん」  粂「ヘエ、承知いたしました」  鳶「でね、何にもいわず、少し兄の方に用事が出来ましたからお暇を願います、長々御厄介になりました、と斯ういって廉をいわずにお暇を取っちまう方が好い、いろ〳〵くど〳〵しく詫なんぞを仕ちゃア可けねえよ」  粂「ヘエ、畏りました、何うも誠に面目次第もござりませぬ」  とおろ〳〵泣きながら、粂之助が帰りまして、  粂「ヘエ、只今」  内儀「あい粂か、此方へお這入り、好いよ遠慮をしないでも………先刻、鳶頭が来たから四方山の話をして置いたが、何うだい能くお前の胸に落ち入ったかい、何も是れという越度の無いお前に暇を出すといったら、如何にも酷い主人のようにお思いかも知らないが、これはお前の為だよ、お前も小さい時分にいたから、何だか私も子のような心持がして誠に可愛く思うが、何分世間の口が面倒だから暇を出すのだけれども、又縁があれば一旦主従となったのだもの、出入の出来ないことは無いから、まあ〳〵気を長く、兄さんの処におとなしくしているが好い、軽はずみな心を出して、こんな淋しいお寺なんぞにいられるものかって、ふいと何処かへ姿を隠すような事でもあられると、どんなに案じられるか知れないから、ようく心を落着けて時節を待ってゝ呉れなくちゃア私が困るよ」  粂「ヘエ、有難うございます、誠に何うも面目次第もございませぬ」  内儀「さ、早く行くが好い、何時までも此処にいると面倒だから、谷中のお寺へ行ったら能く兄さんのいう事を聴いて、身体を大事にして時節の来るのを待っていなよ」  粂「ヘエ有難う存じます」  と袂から手拭を取出し、涙を拭いながら店へ出て来ると、番頭は粂之助が暇になって好い気味だと喜んで居る。  粂「えゝ、番頭さん、私は唯今お暇になりまして谷中の兄の方へ参りますから、何分お店の事をよろしく願います」  番頭「左様じゃげな、根から些とも知らんかったが、何う云う理由で粂之助がお暇になりますかと云うて、私も色々言葉を尽してお詫をしたが、なか〳〵お聴き容れがない、お前方が知った事ちゃない、此様に云われるで何うにも仕ようがないじゃて、併し何うも気の毒な事ちゃな、根から、全体商人はお前の性分に合わぬのじゃから、却て谷中のお寺へ行きなはった方が心が沈着いて宜いやろう」  粂「ヘエ有難う、何うも長々お世話さまでございました、お店の方も段々忙しくなりますから、人が殖えなければならぬ処を少なくなるんですから、何分宜しくお頼み申します、あの定吉どんは何処かへ行きましたか」  番頭「いや今其処に居ったッけ、定吉イ定吉」  定「おや粂どん、今お前さんを探しに表へ出ましたが、貴方はお暇になりましたてえから、何ういう理由だろうと聞いても解らないんですが、本当に何うもお気の毒さまで」  粂「お前と私とは別段仲が好かったから、お前に別れるのは誠に辛いけれども、拠ない事があってお暇になったのだが、私が居なくなると番頭さんに無理な小言をいわれても、誰も詫びてくれるものがないから、お前も能く気を附けて叱られないように御奉公を大事にするんだよ」  定「ヘエ有難う、お前さんが下るくらいなら私も下った方がようございます、幾ら私がいる気でも、外の者は、みんな意地が悪くって居られませぬもの、其ん中でも、新次郎どんなどは、しんねりむっつりの嫌な人で、私が寝てえると焼芋の皮なんぞを態と置いて、そうしてお内儀さんが朝暖簾の処から顔を出して、さ、皆起きなよと仰しゃる時に新どんの意地悪が、あの昨晩定吉が寝ながら焼芋を食べましたなんて嘘ばかり吐いて人を叱らせるんですもの、そうすると番頭さんが私の尻を捲って、定規板でピシャ〳〵撲るんですもの、痛くて堪りゃアしませんや、此間も宿下りの時お母さんにそういったんです、お内儀さんもお嬢さんも粂どんも皆善い方だけれども、ほかの者は残らず意地が悪くって辛抱が出来ないてえと、そんな事をいうものじゃアない、それが身の修行だから、我慢をしなくっちゃアいけないと云われますから、粂どんがおいでなさる間は辛抱が出来る、粂どんは大層私を可愛がっておくんなすって、何かおいしい物があると、お蔵の棚へ内証で取っといておくんなすって、ちょいと出し物があるから蔵まで一緒に行っておくれって連れてって、さ、お食べってカステラ巻だの何だのを食べさせて下すったり、お小遣をおくんなすったりして、本当に優しくして下さるよと然ういったら、母親が涙ぐんで、あゝ有難いことだ、そういうお方が在らっしゃるのはお前が奉公の出来る瑞相だから、何でもその方をしくじらないように為なくっちゃア可けない、その方の御機嫌を損ねるとお店にはいられないから、どんな無理なことを仰しゃってもいう事を聴くんだよといいました」  粂「早く彼方へお出で、何時までも此処にいると又叱られるから」  定「ヘエ、今行きます」  粂「清助どんは何うしたえ」  定「今物置に薪を積直して居ましたっけ」  粂「ちょいと清助どんにも暇乞をして行こう」  定「じゃア私も一緒に行きましょう」  粂「清助どん、何うも長々お世話になりました」  清「おゝ粂どんか、今ね己が聞いたんだ、おさきどんがの話に、今日急に粂どんがお暇になったてえから、己ハアほんとうに魂消ただ、何でもこれは番頭野郎の策略に違えねえ、彼奴は厭に意地が悪くって、何かお前様を追出させるように巧んだに違え無えだ、本当にあのくれえ憎らしい野郎も無えもんだ、ちょいと何一つくれるんでもお前さんと番頭とではこう違うだ、こんな物は己ア嫌えだ、お前も嫌えかも知れねえが喰うなら喰ってくんろ、勿体ねえからってお前さんは旨え物をくれるだが、番頭野郎は自分がそれ程に好かねえもんでも惜しがってくれやアがるだ、此間も他処から法事の饅頭が来た時、お店へも出ると彼奴は酒呑だから甘え物は嫌えだろう、それだのにさ、清助汝がに饅頭をくれてやる、田舎者だから此様な結構な物は食ったことは有るめえ、汝がのような奴に惜しいもんだけんど、汝がに食わすと、斯う吐しやがるだ、己も余り腹が立ったから、何うかして意趣返しをしてやろうと思って、此間鹿角菜と油揚のお菜の時に、お椀の中へそっと草鞋虫を入れて食わせてやっただ、そんな事は何うでも好いが、お前さんがお暇になるなら何んにも楽みが無えから己も下ろうか知ら、下らば直に故郷へ帰るだよ、己は信州飯山の在でごぜえますから、めったに来る事もあるめえが、善光寺へ参詣にでも来ることが有ったら是非寄って下せえまし、田舎の事たから、何も外に御馳走の仕ようが無えから、鹿でも打って御馳走しべいから、何だか馴染の人に別れるのは辛えもんだね、何うかまア成るたけ煩らわねえように気い付けて、好いかね」  粂「有難う」  娘のお梅に逢いたいは山々だが、お内儀さんのお言葉添えもあるから、その儘暇を取って、これから谷中の長安寺へ参り、いまに好い便りがあるだろうと待って居りました。此方はお梅、あれきり何の便りもないが、もしや粂之助の了簡が変りはしないかと、娘心にいろ〳〵と思い計り、耐え兼ねたものか、ある夜二歩金で五十両ほどを窃み出して懐中いたし、お高祖頭巾を被り、庭下駄を履いたなりで家を抜け出し、上野の三橋の側まで来ると、夜明しの茶飯屋が出ていたから、お梅はそれへ来て、  梅「御免なさいまし」  爺「ヘエおいでなさいまし、此方へお掛けなさいまして」  梅「はい、あの谷中の方へは何う参ったら宜しゅうございましょう」  爺「えゝ谷中は何方までお出でなさるんですい」  梅「あの長安寺と申す寺でございますがね」  爺「えゝ*仰願寺をくれろと仰しゃるんですか、えへゝ仰願寺なら蝋燭屋へお出なさらないじゃアございませぬよ」 *「小さき一種のろうそく江戸山谷の仰願寺にて用いはじめしより云う」  梅「いえあのお寺でございますがね」  爺「何ですいお螻の虫ですと」  梅「いゝえ長安寺というお寺へ参るのでございますが」  すると小暗い所にいた一人の男が口を出して、  男「えゝ、もし〳〵お嬢さん、その長安寺というのは私が能く知ってますよ」  と云いながらずっと出た男の姿を見ると、紋羽の綿頭巾を被り、裾短な筒袖を着し、白木の二重廻りの三尺を締め、盲縞の股引腹掛と云う風体。  男「まア御免なさい、私アこんな形姿をしてえますが、その長安寺の門番でげす」  梅「おや〳〵、それじゃア貴方にお聞きをしたら分りましょうが、あの粂之助はやっぱり和尚様のお側に居りますか」  男「えゝ、粂之助さんは、おいででござえます、あなたは何ぞ御用でもあるんでげすか」  梅「はい、あの、粂之助は私どもに長らく勤めて居ったものですが、少し理由がありまして先達暇を出しましたが、それきり何の沙汰もございませんで、余り案じられますから出て参りましたのでございます」  男「ヘエー左様でございますか、じゃアまア私と一緒においでなさい、どうせ彼方へ帰るんですからお連れ申しましょう、其の代りお嬢様に少しお願えがあるんでげす、毎度私は和尚様から殺生をしてはならねえぞとやかましく云われるんでげすが、嗜な道は止められず、毎晩斯うやって、*どんどんへ来ては鰻の穴釣をやってるんでげすが、どうぞお嬢さま私が此処で釣をした事は和尚様に黙ってゝおくんなさい」 *「三橋の側にあった不忍池の水の落口」  梅「御不都合の事なら決して申しは致しませぬ」  男「おい老爺さん」  爺「へい」  男「あのね、此のお嬢様は己の方へ来るお方だから、己が御案内をして行くんだ、さ、喰った代を此処へ置くぜ」  爺「あなた、これは一分銀で、お釣はござりませぬが」  男「なに釣は要らねえ、お前にやっちまわア」  爺「それは何うも有難う存じます、左様なら夜が更けて居りますから、お気を附けあそばして」  男「なに大丈夫だ、己が附いてるから」  と怪しの男がお梅を連れて、不忍弁天の池の辺までかゝって参りました。 二  えゝ引続のお梅粂之助のお話。何ういう理由か女子の名を先に云って男子の名を後で呼ぶ。お花半七とか、お染久松とか、夕霧伊左衞門とかいうような訳で、実に可笑しいものでござります。さて日本も嘉永の五年あたりは、まだ世の中が開けませぬから、神信心に凝るとか、易占に見て貰うとかいうような人が多かったものでござります。丁度嘉永の六年に亜米利加船が日本へ渡来をいたしてから、諸藩共に鎖国攘夷などという事を称え出し、そろ〳〵ごたつきはじめましたが、町家では些とも気が附かずに居ったことでござります。  彼の浅草三筋町の甲州屋の娘お梅が、粂之助の後を慕って家出をいたす。何程年が行かぬとは申しながら、実に無分別極まった訳でござります。左様な事とは毫しも知らぬ粂之助が、丁度お梅が家出をした其の翌朝のこと、兄の玄道が谷中の青雲寺まで法要があって出かけた留守、竹箒を持って頻りに庭を掃いていると、表からずっと這入って来た男は年頃三十二三ぐらいで、色の浅黒い鼻筋の通ったちょっと青髯の生えた、口許の締った、利口そうな顔附をして居ますけれども、形姿を見ると極不粋な拵えで、艾草縞の単衣に紺の一本独鈷の帯を締め、にこ〳〵笑いながら、  男「え、御免なさいまし」  粂「はい、お出でなさい」  男「えゝ、長安寺というのは此方ですか」  粂「ヘエ、左様でございます」  男「あの此方に粂之助さんというお方がおいででござりますか」  粂「ヘエ、粂之助は私でございますが…」  男「ア左様でげすか、是は何うも…左様ならちょいと表まで顔を貸してお貰い申したいもので」  粂「ヘエ………あの生憎兄が居ませぬで、何うも家を空にして出る訳には参りませぬから、若し何ぞ御用がおあんなさるなら庫裏の方へお上んなすって」  男「左様でげすか、じゃア御免なせえまし」  粂「さ、何卒此方へ」  男「へい」  紺足袋の塵埃を払って上へ昇る。粂之助は渋茶と共に有合の乾菓子か何かをそれへ出す。  男「いえ、もうお構いなせえますな、へい有難う、え、貴方にはお初にお目にかゝりますが、私は千駄木の植木屋九兵衞という者でございまして」  粂「へえへえ」  九「実ア其の、昨夜、お嬢様が突然に私ん処へおいでなすったんで」  粂「え、嬢さんと仰しゃるのは……………」  九「へえ鳥越桟町の甲州屋のお嬢さんで」  粂「へえー、何ういう理由で貴方の処へお嬢様が……」  九「いや、これは解りますめえ、斯ういう理由なんでげす、あのお嬢さんが二歳の時に、私の母親がお乳を上げたんで、まア外に誰も相談相手が無いからって、訪ねておいでなすったから、母親もびっくりして、まアお嬢さん、今時分何ういう理由で入らしったてえと、犬に吠えられたり何かして、命からがら漸うの事でお前の処へ来た理由は、誠に乳母や面目ないが、長らく宅に勤めて居た手代の粂之助というものと、人知れず懇を通じて夫婦約束をした、処がお母さんが世間の口がうるさいから一時斯うはするものゝ、後には必ず添わせてやると仰しゃって、粂之助に暇を出して了った後で、外から聟を取れと仰しゃる、それじゃアどうも粂之助に義理が済まないから、私は斯うやって駈出したんだと仰しゃるんです、そうすると私の母親は胆をつぶしてね、素ッ堅気だから、なか〳〵合点しねえ、それはお嬢様飛んでもない事で、お店の奉公人や何かと私通をするようなお嬢様なら、私の処へは置きませぬ、只った今出てお出なせえというから、私が仲裁をして、まアお母ア待ちねえ、そうお前のように頑固なことばかりいっちゃアしょうがねえ、折角頼りに思っておいでなすったお前まで、そんな邪険な事を云ったら娘心の一筋に思い詰め、此家から又駈出して途中散途で、何様な軽はずみな心を出して、間違えがねえとも限らねえ、まア〳〵己のいう通りにして居ねえといって、それからお嬢様を此方へ呼んでお母はあんな事を云いますが、お前さんは何処までも粂之助様と添いたいという了簡があるなれば、私がまア何うにでもしてお世話を致しましょう、貴方はお宅を勘当されても、粂之助様と添遂げるという程の御決心がありますかてえと、屹度遂げます、一旦粂之助も私と夫婦約束をしたのですもの、確に私を見捨てないという事もいいましたし、又そんな不実な人ではありませぬ、じゃア宜うがすが、何処か行く所がありますかと云うと、何処も目的がねえ、こう云うから私も困って、兎も角粂さんに逢ってからの事に仕ましょうといって、今日わざ〳〵お前さんの所へ訪ねて来たんですが、お前さんも矢っ張お嬢様と何処までも添い遂げるという御了簡があるんですか、ないんですか、一応貴方の胸を聴きに来たんでげす」  粂「それは何うも怪しからぬ事です、あの時お内儀様が色々と御真実に仰しゃって下すったから、私は斯うやって何処へも行かずに辛抱をして居ますのに、お嬢様に聟を取れと仰しゃるような、そんな御了簡違いのお方なら、私は何処までもお嬢様を連れて逃げまして、何様な真似をしたって屹度添い遂げます」  九「それで私も安心をしたが、お前さん何処か知ってる所がありますか」  粂「私は別に懇意な家もありませぬ」  九「そりゃア困るね、何所かありませぬか」  粂「ヘエ、何も」  九「何も無いたって困るねえ、じゃまア斯うしよう、下総の都賀崎と云う所に金藏という者がある、私とは少し親類合の者だから、これへ手紙を附けて上げるから、当人に逢って、能く相談をして世帯を持たせて貰いなさるが宜い、併し彼方へ行くだけの路銀と世帯を持つだけの用意はありやすか」  粂「金と云っては別にございませぬが、兄が此間私にしまって置けと預けた金がございます、それは本堂再建のため、世話人衆のお骨折で、八十両程集りましたのでございます」  九「イヤ八十両ありゃア結構だ、三十両一ト資本と云うが、何様な事をしても五十両なければ十分てえ訳には往かねえが、其の上に尚三十両も余計な資金があれば、立派にそれで取附けますが、其の金をお前様取れますか」  粂「へえ、用箪笥の抽斗に這入っていますから直に取れます、そうして後にお宅へ出ますが何方です」  九「あの千駄木へお出でなさると右側に下駄屋があります、それへ附いて広い横町を右へ曲ると棚村というお坊主の別荘がある、其のうしろへ往って植木屋の九兵衞といえば直に知れます」  粂「じゃア、今晩兄が帰ったら直に出ます」  九「今晩といってもなるたけ早い方が宜うがすよ」  粂「ヘエ日暮までにはどんな事をしても屹度参ります」  九「じゃア其の積で何分お頼み申します」  粂「ヘイ宜しゅうございます」  九「左様なら」  プイと表へ出て了う。其の跡で粂之助が、無分別にも不図悪心を起し、己が預りの金子八十両を窃み出し、此方へ出て見ると今の男が証拠に置いて行ったものか、予て見覚えあるお梅の金巾着が其処に抛り出してあった、取上げて見ると中に金子が三両ばかり這入っている。  粂「はてな、是はあの人が置いて行ったのか知ら、ア、そう〳〵、これを置いて行くからは此ん中へ八十両の金子を入れて来いという謎かも知れない」  と右の*女夫巾着の中へ金子を入れ、確かり懐に仕舞って、そろ〳〵出かけようかと思っている処へ兄の玄道が帰って参り、それより入替り立代り客が来るので、何分出る事が出来ませぬ。 *「せなかあわせにくッついている巾著」  お話は二つに分れまして鳥越桟町の甲州屋方では大騒ぎ、昨夜娘のお梅が家出をいたした切りかいくれ行方が解りませぬから、家内中の心配大方ならず、お鬮を取るやら、卜筮に占てもらうやら、大変な騒ぎをして居る処へ、不忍弁天の池に、十六七の娘の死体が打込んであるという噂を聞込んで来て、知らせた者があるから、母親は仰天して取るものも取あえず来て見ると、お梅に相違ないから早々人を以て御検視を願い、段々死体を調べて見ると、縊り殺して池の中へ投込んだものらしく、殊には持出した五十両の金子が懐にないから、おおかた物取であろうと、事が極って検視済の上死骸を引取り、漸く日暮方に死骸を棺桶へ収めることになった。処へ鳶頭が来まして、  鳶「ヘエ唯今、あの何でげす、八丁堀さんと、それから一番遠いのが麻布の御親類でげすが、それ〴〵皆子分を出してお知らせ申しました」  番頭「あ、それはどうも大きに御苦労〳〵」  鳶「何だなア、定さん、男の癖におい〳〵泣くのは止しねえ、お内儀様は女でこそあれ、あゝいう御気象だから、涙一滴澪さぬで我慢をしていらっしゃるのだ、それだのにお前が早桶の側へ行って、おい〳〵泣くもんだから不可えよ」  定「泣くなってそれは無理でございます、何だか此の早桶の側へ来ると哀しくなるんですもの、お嬢様は別段に可愛がって呉れましたから、私は哀しくなるのです」  鳶「まア泣いちゃア不可ねえ、えゝお内儀様唯今」  内儀「あい、鳶頭大きに色々お骨折で、何も彼もお前のお蔭で行届きました」  鳶「どう致しまして、就きまして麻布様の方へお嬢様が家出をなすった事を知らせにやりまして、金太がようやく先方へ着いたくらいの時に、又斯ういう変事が出来ましたから、追かけて人を出し、これ〳〵でおなくなりになったてえ事をお知らせ申しましたら、大層にお驚きなすったそうでげす」  内儀「そうであったろう、もう麻布のが一番彼を可愛がってくれたから、誠に有難う、万事お前のお蔭で行届きました、が斯うなるのも皆な因縁事と諦めて居ますから、私は哀しくも何ともありませぬよ」  鳶「いえ、何うも御気象な事で、まアどうもお嬢様がお小さい時分、確か七歳のお祝の時、私がお供を致しまして、鎮守様から浅草の観音様へ参りましたが、いまだに能く覚えております、往来の者が皆振返って見て、まアどうも玉子を剥いたような綺麗なお嬢様だ、可愛らしいお児だって誰でも誉めねえものは無えくれえでげしたが、幼少せい時分からのお馴染ゆえ、此の頃になってお嬢様が高慢なことを仰しゃいましても、あなた其様な事をいったッていけませぬ、わたしの膝の上で小便をした事がありますぜてえと、あら鳶頭幼少せい時分の事をいっちゃア厭だよなんて、真紅におなりでしたが、何とも申そうようはござえませぬ」  内儀「はい、お前も久しい馴染ゆえお線香でも上げてやっておくれ」  鳶「へえ、有難う………えゝ番頭さん、誠に何うも飛んでもねえ事で」  番頭「いや鳶頭大きに御苦労であった、まア此方へ来なさい、何うもお内儀さんの思召を考えて見るとお気の毒で何うもならぬ、ならぬが当家のお嬢様を殺したのは誰じゃという事は大概お前も感付いておるじゃろうな」  鳶「いゝえ、些とも知りやせぬよ、何だか物取だろうってえ評判なんで」  番「いゝや物取ではない、何でも是は粂之助の仕業に相違ないという私の考だ」  鳶「ハ、飛んでもねえ事をいいますね、其様なお前さん……ナなんぼ粂どんが憎いたって、無暗に人殺に落したりなんかして、どうしてお前さん粂どんは其様な悪い事をするような人じゃアねえ」  番「いやそれはいかぬ、お内儀はん斯ういう最中で争論をしては済みまへんが、一寸これに就いておはなしがあるんでおす、一昨夜私が一寸用場へ参りまして用を達してから、手を洗うていると、ほんのりと星光で人影が見えるで、はてナと思うて斯う透して見ておると、垣根の外へ廻って来たのが粂之助でおす、するとお嬢様がこっちゃから声を掛けて粂之助やないかというと、はい私でございますと低声でいいましたわい、まア粂之助よう来ておくれた、はい漸うの事で忍んで参りました、お前に逢いとうて逢いとうてどうもならぬであった、私も逢いとうてならぬから、漸うの思いで参りました、私もそう長う寺に辛抱しては居られまへぬ、あんたはんも私のような者でも本当に思うて下はるなら、寧そ手に手を取って此所を逃げまひょう、そうしてあんたと二人で夫婦になって、深山の奥なりと行んで暮したいが、それに就いても切て金子の五六十両も持ってお出でやというと、おゝ左様か、そんなら屹度明日の晩持って行ぬという事を確かに聞いた」  鳶「へえ、それから」  番「どうも変やと思うていると、あんたお嬢様が莫大のお金を持って逃げやはった、それ故何うも私の思うには粂之助がお嬢様を殺して金子を取って、其の死骸を池ン中へ投り込んだに違いないと斯う考えるのでおす」  鳶「おう、おう番頭さん、詰らねえ事を云っちゃアいけねえぜ、お前は全体粂どんを憎むから然う思うんだが、まアよく考えて見ねえ、粂どんが人殺をするような人だか何だか、ソヽ其様な解らねえ事をいったって仕様がねえじゃアねえか」  番「イヤ真実の事だ、証拠があるぜ」  鳶「証、な何が証拠だ」  番「定吉い、ちょっと此処へ来い、えゝめろ〳〵泣くな」  定「何です番頭さん、泣くなたってお嬢様が死んで哀しくって堪らないから、泣くんです」  番「えゝい、汝がお嬢様を殺したもおんなじ事た」  定「あゝいう無理な事ばかりいうんだもの、どういう理由で」  番「汝は一昨日の夜この店で帯を締め直す時に落した手紙は、お嬢様に頼まれて粂之助の処へ届けようとしたのじゃないか」  定「あら………仕様がないな、彼所に持っているのだもの、道理で無いと思った」  番「此様なものをお嬢様から頼まれるのが悪いのだ」  定「頼まれるのが悪いたって………仕様がないナ………その頼まれたのはなんでございます………仕様がないな………あの……それはお嬢様が、定や、ちょいとお出でてえから、はいてってお居間へ行ったんです、然うするとお前何所へ行くんだと仰しゃるから、私は谷中の方へ参るんですといったら、そんならお前これを粂どんに届けてお呉れって、お手紙を私の懐へ入れたから持って行ったんです」  番「ウム、持って行って何うした」  定「何うしたって……しようがないな」  番「汝は度々粂之助の処へ寄るから悪いのじゃ」  定「ナニ寄る気でもないんですが、近いから、あのお寺の前を通ると曲角のお寺だもんですから、よく門の所なんぞを箒いてゝ、久振だ、お寄りなてえから、ヘイてんで旧は朋輩だから寄りますね」  番「道理で毎も使が長いのや」  定「ナニ別に長い訳もないんですが、今お葬式が来てお饅頭を貰った、それをお前に上げるから、お待ちてえから待ってたんです」  番「えゝい、喰い物の事ばかり云うて居る。汝が取次をするから此の様な間違が出来たのや、サ是を御覧、此の手紙が何よりの証拠や、私はお前に逢いとうて逢いとうてならぬから、家出をしてお前の処へ行く、何卒末長く見捨てずに置いておくれと書いてあるやないか、是が何よりの証拠や」  鳶「証拠だッて、そんな事は私ア知りやアしねえ」  番「知りやせぬと云うてまアよく考えて見なはれ、当家のお内儀様はこないに諦めの宜えお方やから、涙一滴澪さぬが、鳶頭が仲へ這入って口を利き、もう甲州屋の家へは足踏をさせぬと云い切って引取ったのやないか、それじゃのに、又此処へ粂之助が忍んで来て、お嬢様を誘い出すような事になったのは、大方鳶頭も内々知って居るのではないか、粂之助と共謀になってお嬢様を誘い出し、金額を半分ぐらい取ったのではないかアと思われても是非がないやないか」  云うと怒ったの怒らないの、もと正直な人だから、額へ青筋を出して、  鳶「何を吐しやアがるんでえ、撲り付けるぞ、コレ頭を禿らかしやアがって馬鹿も休み休み云え、粂どんが人を殺して金を取る様な人か人でねえか大概解りそうなもんだ、手前の心に識別ウするから其様事を吐すんだ、己が半分取ったたア何だ、撲り付けるぞ」  番「打たいでも宜え、私は理の当然をいうのや、お嬢様を殺して金子を取ったという訳じゃないが、然う思われても是非がないと云うのや」  鳶「何が是非がないんだ、撲倒すぞ」  清「まア〳〵少し待っておくれ」  と云いながら台所より出て来たは清助というお飯炊。  清「鳶頭まア〳〵貴方は正直な方だから、こんな事を云われたら、嘸はア胆が焦れて堪るめえが、己が一と通りいわねばなんねえ事があるだアから、少し待ったが宜え──コレ番頭さん、此処へ出ろ」  番「何じゃ、汝が出る幕じゃアない、汝は飯炊だから台所に引込んで、飯の焦ぬように気を附けて居れ、此様な事に口出しをせぬでも宜いわ」  清「成程己は僅なお給金を戴いて飯炊をしてえるからッて、飯せえ焦がさねえようにしていれば宜えというもんじゃアあんめえ、当家へ泥坊が這入ってお内儀様を斬殺しても、己が飯炊だからって、何にも構わずに竈の前にぶっ坐ってゝ宜えと思わしゃるか、汝が曲った心に識別するから然ういう間違った事をいうだ、コレよく考えて見ろよ、汝は粂どんを憎むから、少しのことを廉に取って粂どんが嬢様を殺したなんてえが、何処までも汝がそんな事を頑張って殺したといわば、己ア合点しねえだ、粂どんが庭へ来てお嬢様と相談して、明日の晩連れて逃げようてえ約束をしたのを見たと云わば、何故早く其の事をお内儀様へ知らせねえだ、粂どんがコソ〳〵でお嬢様を誘い出しに来やしたから、油断をしねえが宜うがすとちょっと知らせればそれで宜えだ、然うすれば直ぐにお嬢様を他家へ預けるとか、左もなければお内儀様が気イ附けて奉公人も皆起きて居らば、何うしたって嬢様が逃げ出す気遣はねえだ、逃げなけりゃア殺されることもねえだ、それを知って居ながら黙ってゝ、嬢様が逃出してから殺されゝば、汝が殺したも同じ事だぞ、まだぐず〳〵何か云やアがると打っ殺して己も死んじまうだ」  内儀「コレ〳〵清助静かにしないか、番頭様に向ってそんな事をいっては済まないじゃないか、鳶頭、お前も嘸腹が立つだろうが、何卒我慢をしておくれ、悉皆私が呑込んでいるから、私は決して粂之助の仕業とは思わないけれども、大方粂之助も此の事を知らずに谷中に居るに違いない、お前が行って斯う〳〵と知らせたら、粂之助も定めて恟りするだろうと思うから、お願いだが、お前ちょいと此の事を粂之助へ知らせてお呉れでないか」  鳶「え、往きますとも、半分取ったろうなんて、飛んでもねえ濡衣を着せられたんですもの、直に行って来ます、少し提灯をお貸しなすって」  ずうっと腹立紛に飛びだして谷中の長安寺へやって来ました。  鳶「え、御免なせえ、御免なせえ」  粂「はい……おや〳〵鳶頭」  鳶「や、粂どん……まア宜かった、はあ…お前に怪しい事があれば何所かへ逃げちまうんだが、ちゃんと此処に居てくれたんでまア宜かった、あゝ有難え」  粂「あの兄さん、何だか鳥越の鳶頭がおいでなさいましたよ」  玄「いやア、鳶頭、まあ何卒此方へ誠に何うも御無沙汰をして済まぬ、ちょっとお礼かた〴〵お訪ね申さんければならぬのじゃが、何分にも寺用に取紛れて存じながら大きに御無沙汰を……」  鳶「そう長ったらしく云ってられちゃア困る、大騒動が出来たんだ、まア御挨拶は後にしておくんなせえ、おゝ粂どん、お嬢様が昨夜家出をした事を知ってるかい」  粂「いゝえ…………」  鳶「いゝえって震えたぜ、え、おい、お嬢様が殺されちまったんだよ」  粂「えっ、お嬢様が……」  鳶「死骸が弁天の池から今朝上がって、御検視を願うの何のって大騒ぎをしたんだ」  粂「へえー……じゃア千駄木の植木屋の九兵衞さんというのは何です、全体まア何ういう理由なんです」  鳶「何ういう理由の何のって、大変な騒ぎなんで、まア和尚様お聴になって下せえまし、お嬢様は粂どんに逢いてえ一心から、莫大の金子を持て家出をしたから、大方泥坊に躡けられて途中で遣るの遣らねえのといったもんだから、殺されたに違えねえんで、それを店の番頭野郎がこう吐すんだ、何んでも粂どんがお嬢様を誘い出して、途中で殺して金子を取ったに違えねえ、鳶頭も粂どんと共謀になって、其の金を二十五両ぐらい取ったろう、こう吐すんだ、私は腹が立って堪らねえから、余程殴りつけてやろうとは思ったけれども、お前さん何うもね、お内儀様が御愁傷の中だから、そんな乱暴狼籍の真似をしちゃア済まねえと思って、耐えていたが、粂どんが何にも知らずに斯うやっているから本当に宜かった、何卒直に行っておくんなせえ」  玄「いや、それは重々御道理な訳じゃ、此方にも不行跡がある事ちゃから然う云う御疑念が懸っても仕方がない、仕方がないが、然う云う場合になると、粂之助は頓と口の利けぬ奴じゃで、私も一緒に参りましょう」  鳶「そりゃア有難え、なるたけ大勢の方がようがす、じゃア直に行っておくんなせえ」  これから提灯を点けて寺を出かけ、三人揃って甲州屋の裏口から這入って来ました。  内儀「さア、何卒此方へ、〳〵」  鳶「え、お内儀様、谷中の長安寺の和尚様も入らっしゃいましたよ」  内儀「おや〳〵それは何うもまア何うぞ此方へ」  玄「はい、御免を……唯今鳶頭から不慮の事を承りまして、何とも御愁傷の段察し入ります」  鳶「まア、其様な長ったらしい悔は後にしておくんなせえ、さ、粂どん此方へ這入んなよ」  粂「ヘエ……えゝ、お内儀様お嬢様が飛んだ事にお成りあそばしまして、嘸御愁傷でござりましょう」  是迄は涙一滴澪さぬでいたが、今しも粂之助の顔を見ると、堪えかねて袖を顔へ押宛て、わっとばかりにそれへ泣倒れました。  内儀「粂や、何うも飛んだ事になりましたよ、私はね、くれ〴〵もそう云っていたのだよ、決して出ちゃアならない、今に私が宜いようにするから、お前心配おしでないよといって置くのに、親の言葉に背いて家出をしたものだから、忽ち親の罰があたって、あゝいう訳になったんだから、私はもう皆これまでの約束ごとと諦めていたが、お前の顔を見たら何うにも我慢が出来なくなって声を出しましたが、もと〳〵お前の為に家出をしてこんな死様をしたのだからお前何卒お線香の一本も上げて回向をしてやっておくれ」  粂「ヘエ、何とも申そう様はございませぬ、誠に何うも重々私が悪いのでございます」  内儀「いゝえ、お前ばかりが悪い訳じゃアないよ」  鳶「おゝ番頭様ちょいと此処へ来ねえ」  番「あい、何じゃ」  鳶「おゝ粂どんはちゃんと此処にいるよ、え、おう、人を殺して金を取ったような訳なら、プイと何処かへ逃げちまわア、己が寺へ知らせに行くまであっけらけんと居られるか、さ、何うだ、これでもまだ手前は己を疑ってやアがるか」  番「まアあんたは、粂之助を贔屓にしておるで、そう思いなはるのじゃ、これ粂之助ちょっと此処へ来い、汝はまだ年は十九で、虫も殺さぬような顔附をして居るが太い奴ちゃ、体よくお嬢様を誘い出して、不忍弁天の池の縁の淋しい処でお嬢様を殺して、金を取って、死骸を池の中へ投り込んだに違いあるまい、さ、どうだ、真直に云うてしまえ」  斯う云われるともと人が善いから、余り腹が立って口が利かれない、いきなり立って番頭の胸倉へ武者振りつこうとする途端に、ポンと堕ちたのは九兵衞が置忘れて帰った女夫巾著、番頭は早くも之を拾い取って高く差上げ、  番「こ、是じゃ、お内儀はん、是はお嬢様が不断持って居やはりました巾着でがしょう」  云いながら振ると、中からドサリと落ちた塊は五十両ではなくて八十両。 三  えゝ引続いてお聴きに入れまする、お梅粂之助は互に若い身そらで心得違をいたしたるより、其の身の大難を醸しました。扨彼の梅には四徳を具すというが然うかも知れませぬ、若木を好まんで老木の方を好む、又梅の成熟するを貞たり、とか申して女子の節操あるを貞女というも同じ意味で、春は花咲き、夏は実を結び、秋は木の葉が落ちて枯木のようになったかと思うと、又自然に芽が出て来るは、誠に妙なものでございまして、人も天然自然に此の物を見る、あゝ好い景色だとか、綺麗な色だとか、五色ばかりではなく木の葉の黄ばんだのも面白く、又染だらけになったのも面白い、これは唯其の人の好みによって色々になるのでございます。「心をぞわりなきものと思いぬる見る物からや恋しかるべき」で見る物も恋しく、心と云うものは別に形は無いが、善を見れば善に感じ、悪に出逢えば悪に染まる、されば己の好む所の境界が悪いと其の身を果すような事もあるのでございます。  粂之助は奉公中主人の娘お梅に想われたのが、因果の始りでござりまして、自分も済まない事と観念を致したから、兄玄道の側へ参り、小さくなって、温順しく時節到来を待って居ました、所へ千駄木の植木屋九兵衞というものが参り、  九「昨晩お嬢様がお出になりましたから、私が何処へでもお逃し申すようにするゆえ、金子の才覚をして来い」  と云うので、態とお梅の巾着の中に三両ばかり入れた儘置いて帰った。是が九兵衞の企みのある処でござります。此方はまだ年が若いから、何の気も附かず、是は全くお梅から届けたものと心得て、前後の思慮も浅く、其の巾着の内へ、本堂再建の普請金八十両というものを盗み出して押込み、これを懐へ入れて置いたのが、立上る機勢にドサリと落ちたから番頭はこゝぞと思って右の巾着を主婦の前へ突付けたり、鳶頭にも見せたりして居丈高になり、  番「さ、粂之助、此の巾着が出る上は貴様がお嬢様を殺したに相違あるまい」  と責めつけたから、座中の人々互に顔と顔を見合せ、鳶頭も甲州屋の家内も実に驚いて、「よもや粂之助がお梅を殺して五十両という金子を取りはすまい」とは思うが、金子が出た。見ると五十両ではなくして八十両の包み金、表書には「本堂再建普請金、世話人萬屋源兵衞預る」と書いてあったから、誰より驚いたのは玄道和尚で、ぶる〳〵震えながら、  玄「ま、これ粂之助、ま、此の金子は何うした」  粂「はい〳〵申し訳がございませぬ」  玄「これはまア……番頭さん、鳶頭、又御当家の御家内様まで、粂之助がお嬢様を殺して金子を取ったろうという御疑念をお掛けなさるは御道理の次第でござる、なれども、此の儀に就いては私より少々粂之助へ申聞けたい事がござれど、少しく他聞を憚りまする故、何所か離れたお居間はござりますまいか、余り人様のお出のない所を拝借いたしたいもので」  内儀「はい〳〵、あの鳶頭、奥の六畳へ連れて行ったらよかろう、離れてゝ彼所が一番静でもあり人が行かないから」  鳶「宜いかね、大丈夫かえ和尚様」  玄「いえ、決して逃しは致しませぬから、御安心なすって……さア来い」  と粂之助の手を執って引立てる。粂之助は和尚の従者で来たのだから今日は*耳こじりを差して居る、兄玄道に引立てられ、拠なく奥の離座敷へ来るといきなり肩を突かれたからパッタリ畳の処へ伏しました。玄道和尚は開き直って、 *「みじかいわきざし」  玄「これ粂、手前はまア呆れ返った奴じゃ、これ手前はな、御両親が相果てからと云うものは、私の手許に置いて丹精をしてやったのじゃないか……女子の手もない寺へ引取り、十一の歳から私が丹精をして、読書から行儀作法に至るまで一通りは仕込んでやったが、何をいうにも借財だらけの寺へ住職をしたのが過りで、なか〳〵然う何時までも手前一人に貢いでやる訳にも往かぬから、不自由を堪えて御当家へ願い、住みこませると、長の歳月御丹精を戴いた御主人様の大恩を忘れ、奉公人の身の上でありながら、御主人様の令嬢と不義いたずらをするとは、何と云う心得違の事じゃ、それで手前は武士の胤と云われるか、私も手前も、土井大炊頭の家来早川三左衞門の胤じゃないかい、私は子供の時分は清之進と云うたが、どの人相見に観せても、剣難の相があると云うたに依って九歳の折に出家を遂げ、谷中南泉寺の弟子になって玄道、剃髪をしてから、もう長い間の事じゃ、其の後嘉永の始に各藩にて種々の議論が起り、えろうやかましい世の中になった、其の折父早川三左衞門殿には正義を主張して、それはいかぬ、然ういう道理は無いと云うて殿へ御諫言を申上げたる処、重役の為に憎まれて遂には追放仰付けられた、お父様にはそれを口惜しゅう思召てか、邸を出てから切腹をして相果られた、続いて母様もお逝去になる時の御遺言に、お前の弟粂之助はまだ頑是もない小児、外に頼る者もないに依って何卒お前、丹精をして成人させて呉れとのお頼み、そこで私が寺へ引取って、十一から三ヶ年も貴様の面倒を見てやったが、今もいう通り何分不如意じゃに依って御当家へ願うたのも、然ういう柔弱な身体じゃから、商人に仕ようと思うた私の心尽も水の泡となり、それのみならず誠に愧入ったのは此の八十両の金子じゃ、知っての通りの貧乏寺じゃが幸いにも檀家の者にも用いられ、本堂が大破に及んだ、再建をせにゃなるまい、私が世話人に成ってやる奮発せいと、萬屋も心配をして呉れて、これ見ろ、まア是だけの金子を集めて、是を資本に追々と再建に取掛るつもりでわざ〳〵源兵衞さんが一昨日持って来たに依って、直手前に仕舞って置けと云うて渡した其の金子を手前が盗出して此所へ持って来るとは何ういう了簡じゃ、此金がなければ片時も己はあの寺に居られぬという事も、手前能う知って居るじゃないか、憎い奴じゃ、同じ早川の家に生れても、私は総領の身の上でありながら出家となり、又手前の兄三次郎と云う者は、何ういう因縁か、十一二歳の頃からして盗心があって、一寸重役の家へ遊びに行っても、銀の煙管じゃとか、紙入じゃとか、風呂敷とか、手拭とか云うものを盗んで袂へ入れて来るじゃ、そこでお父様も呆れてしまい、此奴が跡目相続をすべき奴じゃけれども仕方がないと云うて、十九の時に勘当をされた、丁度三人の同胞でありながら、私は出家になり、弟は泥坊根性があり、手前は又主家の娘と不義をして暇を出されるのみならず、兄の身に取っては大切の金子まで取るという奴じゃから、何う人さんから云われても一言の申訳はあるまい、憎い奴じゃ、兄の自滅をするという事を悉しく知って居ながら、斯ういう不都合をするとは云おう様ない人非人め」  と腹立紛れに粂之助の領上を取って引倒して実の弟を思うあまりの強意見、涙道に泪を浮べ、身を震わせながら粂之助を畳へこすり附ける。粂之助は身の言分が立ちませぬから、  粂「申訳を致します……もも申訳を……何卒お放しなすって下さいまし」  玄「さ、何う言分をする」  粂「へい申訳は此の通りでござります」  と自分の差して来た小短い脇差を取って抜くより早く喉へ突立てにかゝった。玄道は胆を潰して其の手を抑え、  玄「こ、これ待てッ」  粂「いゝえ、お留め下さるな、申訳が有りませぬから、私は自害をいたして申訳をいたします」  玄「自害をしたってそれで済むと思うか」  頻りに争うておる処へ、ガラリと縁側の障子を開けて這入って来た男を見ると、紋羽の綿頭巾を鼻被にして、結城の藍微塵に単衣を重ねて着まして、盲縞の腹掛という扮装、小意気な装でずっと這入って、  男「ま、ま、お待ちなせえ、おう詰らねえ事をするない、手前は死なねえでも宜いや」  粂「ヘエー」  と顔を見ると今日朝の中に来た、千駄木の植木屋の九兵衞だから恟りして、  粂「おや、貴方は千駄木の植木屋さんで……」  九「ウム、植木屋の九兵衞だ、お前はまア死なねえでも宜い……え、和尚さん私は、千駄木の植木屋の九兵衞と云って、此の粂之助を騙しに行った悪党でごぜえます」  玄「何じゃ……悪党とは」  九「ヘエ誠に面目次第もござえませぬ、お前さんの為には現在の弟でありながら、十九の時に邸を出て了いやした、それゆえ粂の顔を知らねえもんだから騙しに行ったんです、兄さん大層まア年が寄って、お顔を見忘れちまいましたよ」  玄「なに誰じゃ」  九「誰でもねえ、お前さんの弟の三次郎です」  玄「おゝ、弟の三次郎、成程然う云えば、何所か見覚えのある顔だ、それが何うして此所へ出て来た」  九「まア聞いてくだせえ、私が上野の三橋側の夜明しの茶飯屋のところで、立派な身形の新造が谷中長安寺への道を聞いてるんで、てっきり駈落ものと睨んで横合から飛び出し、私もね、お前さんが其の長安寺の和尚さんとも知らず、粂之助が私の弟ということも知らねえもんだから、旨い金蔓に有附いたと実ア其の娘を駆して引張出し、穴の稲荷の脇で娘を殺し、巾着ぐるみ有金を引浚い、死骸は弁天の池ン中へ投り込んだのは私の仕業だ、そればかりでなく、娘を殺す前に、段々様子を聞くと、宅に奉公をして居た粂之助と云う者は、暇が出て当時では谷中仲門前の長安寺と云う寺に居るんだと聞いたから、もう一仕事しようと思って粂の処へ出かけ、旨く騙して金子を持って逃げておいでなさいと云ったのは、私の入智慧、本堂再建の普請金八十両を盗ませたのも皆この三次郎の作略でごぜえます」  玄「ふむー、此奴……えらい奴じゃな」  三「でね、まア然ういう理由なんだから、鳶頭と番頭や何か残らず此所へ呼んでおくんなせえ」  玄「粂、早う呼んで来い」  粂「誰方も早く来て下さいましよ」  と呶鳴ったから、何事かと思って鳶頭も番頭も皆揃って来ました、ずらりと大勢ならべて置いて、右の一伍一什を三次郎が話した時には、鳶頭も番頭も驚いて暫くは口も利けぬくらいでありました。  三「さ、何うぞ私に縄を掛けて引く処へ引いてお呉んなせえ、決して粂之助の科じゃアねえ、私が人殺をしたんですから……其の代りどうか兄さん粂を可愛がってやってお呉んなさい、又粂も宜いか、もう四十を越してる兄さんだ、能く大事にして上げてくれ、よ、お前幾歳になる、なに十九歳だ、うむ然うか、いや鳶頭、誠に何とも云いようがごぜえませぬ、お前さんは粂を贔屓にしてお呉んなすって、やれこれ云って下すったのは、私からも厚くお礼を申します、実ア今日此処へ忍び込んで間が好かったら、此のどさくさ紛れに、もう一仕事する積で来た処が、まア斯ういう訳になりましたから何卒私へ縄を掛けて突出してお呉んなせえ……やい番頭、さ、己を縛れ」  番「なに此奴……汝が泥坊か、此のお庭へ何所から這入った」  三「何所からだって這入るが、さ縛れ、其の代り己が喰い込めば、もう娑婆ア見る事ア出来ねえから、此の番頭手前も一緒に抱いて行くから然う思え」  番「そりゃアえらい事ちゃな」  是れから捨て置けませぬから、甲州屋の家内は家から縄付を出すのも厭だと心配をして果しがない。そこで三次郎が到頭自訴いたして、何うしても斬首の刑に行わるべきであったのが、何ういう事か三宅へ遠島を仰付けられましたが、大層改悛の効が顕われ、後お赦になって、此の三次郎は兄玄道の徒弟となり、修行の功を積んで長安寺の後住を勤めました。此の者は穴釣三次と云って、其の頃下谷では名高い泥坊でござりました。又粂之助は遂に甲州屋へ貰われまして、甲州屋の跡目を相続いたし、其の後浅草仲町の富田屋という古着商から嫁を貰いましたが、此の嫁も誠に心懸けの良い婦人でござりまして、母に孝行を尽したという末お目出度いお話でござります。 底本:「定本 圓朝全集 巻の一」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫    1963(昭和38)年6月10日発行 底本の親本:「圓朝全集卷の一」春陽堂    1926(大正15)年9月3日発行 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。 ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。 また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。 底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の」に統一しました。 また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「巾著」と「巾着」の混在は、底本通りです。 ※「*」は注釈記号です。その内容は底本では上部欄外に書かれています。 ※表題は底本では、「闇夜の梅」となっています。 入力:小林 繁雄 校正:かとうかおり 2000年5月10日公開 2016年4月21日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。