雁坂越 幸田露伴 Guide 扉 本文 目 次 雁坂越 その一 その二 その三 その四    その一  ここは甲州の笛吹川の上流、東山梨の釜和原という村で、戸数もいくらも無い淋しいところである。背後は一帯の山つづきで、ちょうどその峰通りは西山梨との郡堺になっているほどであるから、もちろん樵夫や猟師でさえ踏み越さぬ位の仕方の無い勾配の急な地で、さて前はというと、北から南へと流れている笛吹川の低地を越してのその対岸もまた山々の連続である。そしてこの村から川上の方を望めば、いずれ川上の方の事だから高いには相違ないが、恐ろしい高い山々が、余り高くって天に閊えそうだからわざと首を縮めているというような恰好をして、がん張っている状態は、あっちの邦土は誰にも見せないと、意地悪く通せん坊をしているようにも見える位だ。その恐ろしい山々の一ト列りのむこうは武蔵の国で、こっちの甲斐の国とは、まるで往来さえ絶えているほどである。昔時はそれでも雁坂越と云って、たまにはその山を越して武蔵へ通った人もあるので、今でも怪しい地図に道路があるように書いてあるのもある。しかしこの釜和原から川上へ上って行くと下釜口、釜川、上釜口というところがあるが、それで行止りになってしまうのだから、それから先はもうどこへも行きようは無いので、川を渡って東岸に出たところが、やはり川下へ下るか、川浦という村から無理に東の方へ一ト山越して甲州裏街道へと出るかの外には路も無いのだから、今では実際雁坂越の道は無いと云った方がよいのである。こういうように三方は山で塞がっているが、ただ一方川下の方へと行けば、だんだんに山合が闊くなって、川が太って、村々が賑やかになって、ついに甲州街道へ出て、それから甲斐一国の都会の甲府に行きつくのだ。笛吹川の水が南へ南へと走って、ここらの村々の人が甲府甲府と思っているのも無理は無いのである。  釜和原はこういったところであるから、言うまでも無く物寂びた地だが、それでも近い村々に比べればまだしもよい方で、前に挙げた川上の二三ヶ村はいうに及ばず、此村から川下に当る数ヶ村も皆この村には勝らないので、此村にはいささかながら物を売る肆も一二軒あれば、物持だと云われている家も二三戸はあるのである。  今この村の入口へ川上の方から来かかった十三ばかりの男の児がある。山間僻地のここらにしてもちと酷過ぎる鍵裂だらけの古布子の、しかもお坊さんご成人と云いたいように裾短で裄短で汚れ腐ったのを素肌に着て、何だか正体の知れぬ丸木の、杖には長く天秤棒には短いのへ、五合樽の空虚と見えるのを、樹の皮を縄代りにして縛しつけて、それを担いで、夏の炎天ではないからよいようなものの跣足に被り髪──まるで赤く無い金太郎といったような風体で、急足で遣って来た。  すると路の傍ではあるが、川の方へ「なだれ」になっているところ一体に桑が仕付けてあるその遥に下の方の低いところで、いずれも十三四という女の児が、さすがに辺鄙でも媚き立つ年頃だけに紅いものや青いものが遠くからも見え渡る扮装をして、小籃を片手に、節こそ鄙びてはおれど清らかな高い徹る声で、桑の嫩葉を摘みながら歌を唄っていて、今しも一人が、 わたしぁ桑摘む主ぁ剉まんせ、春蚕上簇れば二人着る。 と唱い終ると、また他の一人が声張り上げて、 桑を摘め摘め、爪紅さした 花洛女郎衆も、桑を摘め。 と唱ったが、その声は実に前の声にも増して清い澄んだ声で、断えず鳴る笛吹川の川瀬の音をもしばしは人の耳から逐い払ってしまったほどであった。  これを聞くとかの急ぎ歩で遣って来た男の児はたちまち歩みを遅くしてしまって、声のした方を見ながら、ぶらりぶらりと歩くと、女の児の方では何かに打興じて笑い声を洩らしたが、見る人ありとも心付かぬのであろう、桑の葉越に紅いや青い色をちらつかせながら余念も無しに葉を摘むと見えて、しばしは静であったが、また前の二人とは違った声で、 桑は摘みたし梢は高し、 と唄い出したが、この声は前のように無邪気に美しいのでは無かった。そうするとこれを聞いたこなたの汚い衣服の少年は、その眼鼻立の悪く無い割には無愛想で薄淋しい顔に、いささか冷笑うような笑を現わした。唱の主はこんな事を知ろうようは無いから、すぐと続いて、 誰に負われて摘んで取ろ。 と唄い終ったが、末の摘んで取ろの一句だけにはこちらの少年も声を合わせて弥次馬と出掛けたので、歌の主は吃驚してこちらを透かして視たらしく、やがて笑いを帯びた大きな声で、 「源三さんだよ、憎らしい。」 と誰に云ったのだか分らない語を出しながら、いかにも蓮葉に圃から出離れて、そして振り返って手招ぎをして、 「源三さんだって云えば、お浪さん。早く出てお出でなネ。ホホわたし達が居るものだから羞しがって、はにかんでいるの。ホホホ、なおおかしいよこの人は。」 と揶揄ったのは十八九のどこと無く嫌味な女であった。  源三は一向頓着無く、 「何云ってるんだ、世話焼め。」 と口の中で云い棄てて、またさっさと行き過ぎようとする。圃の中からは一番最初の歌の声が、 「何だネお近さん、源三さんに託けて遊んでサ。わたしやお前はお浪さんの世話を焼かずと用さえすればいいのだあネ。サアこっちへ来てもっとお採りよ。」 と少し叱り気味で云うと、 「ハイ、ハイ、ご道理さまで。」 と戯れながらお近はまた桑を採りに圃へ入る。それと引違えて徐に現れたのは、紫の糸のたくさんあるごく粗い縞の銘仙の着物に紅気のかなりある唐縮緬の帯を締めた、源三と同年か一つも上であろうかという可愛らしい小娘である。  源三はすたすたと歩いていたが、ちょうどこの時虫が知らせでもしたようにふと振返って見た。途端に罪の無い笑は二人の面に溢れて、そして娘の歩は少し疾くなり、源三の歩は大に遅くなった。で、やがて娘は路──路といっても人の足の踏む分だけを残して両方からは小草が埋めている糸筋ほどの路へ出て、その狭い路を源三と一緒に仲好く肩を駢べて去った。その時やや隔たった圃の中からまた起った歌の声は、 わたしぁ桑摘む主ぁ剉まんせ、春蚕上簇れば二人着る。 という文句を追いかけるように二人の耳へ送った。それは疑いも無くお近の声で、わざと二人に聞かせるつもりで唱ったらしかった。    その二 「よっぽど此村へは来なかったネ。」 と、浅く日の射している高い椽側に身を靠せて話しているのはお浪で、此家はお浪の家なのである。お浪の家は村で指折の財産よしであるが、不幸に家族が少くって今ではお浪とその母とばかりになっているので、召使も居れば傭の男女も出入りするから朝夕などは賑かであるが、昼はそれぞれ働きに出してあるので、お浪の母が残っているばかりで至って閑寂である。特に今、母はお浪の源三を連れて帰って来たのを見て、わたしはちょいと見廻って来るからと云って、少し離れたところに建ててある養蚕所を監視に出て行ったので、この広い家に年のいかないもの二人限であるが、そこは巡査さんも月に何度かしか回って来ないほどの山間の片田舎だけに長閑なもので、二人は何の気も無く遊んでいるのである。が、上れとも云わなければ茶一つ出そうともしない代り、自分も付合って家へ上りもしないでいるのは、一つはお浪の心安立からでもあろうが、やはりまだ大人びぬ田舎娘の素樸なところからであろう。  源三の方は道を歩いて来たためにちと脚が草臥ているからか、腰を掛けるには少し高過ぎる椽の上へ無理に腰を載せて、それがために地に届かない両脚をぶらぶらと動かしながら、ちょうどその下の日当りに寐ている大な白犬の頭を、ちょっと踏んで軽く蹴るように触って見たりしている。日の光はちょうど二人の胸あたりから下の方に当っているが、日ざしに近くいるせいだか二人とも顔が薄りと紅くなって、特に源三は美しく見える。 「よっぽどって、そうさ五日六日来なかったばかりだ。」 と源三はお浪の言葉に穏やかに答えた。 「そんなものだったかネ、何だか大変長い間見えなかったように思ったよ。そして今日はまた定りのお酒買いかネ。」 「ああそうさ、厭になっちまうよ。五六日は身体が悪いって癇癪ばかり起してネ、おいらを打ったり擲いたりした代りにゃあ酒買いのお使いはせずに済んだが、もう癒ったからまた今日っからは毎日だろう。それもいいけれど、片道一里もあるところをたった二合ずつ買いに遣されて、そして気むずかしい日にあ、こんなに量りが悪いはずはねえ、大方途中で飲んだろう、道理で顔が赤いようだなんて無理を云って打撲るんだもの、ほんとに口措くってなりやしない。」 「ほんとに嫌な人だっちゃない。あら、お前の頸のところに細長い痣がついているよ。いつ打たれたのだい、痛そうだねえ。」 と云いながら傍へ寄って、源三の衣領を寛げて奇麗な指で触ってみると、源三はくすぐったいと云ったように頸を縮めて障りながら、 「お止よ。今じゃあ痛くもなんともないが、打たれた時にあ痛かったよ。だって布袋竹の釣竿のよく撓う奴でもってピューッと一ツやられたのだもの。一昨々日のことだったがね、生の魚が食べたいから釣って来いと命令けられたのだよ。風が吹いて騒ついた厭な日だったもの、釣れないだろうとは思ったがね、愚図愚図していると叱られるから、ハイと云って釣には出たけれども、どうしたって日が悪いのだもの、釣れやしないのさ。夕方まで骨を折って、足の裏が痛くなるほど川ん中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしたけれども、とうとう一尾も釣れずに家へ帰ると、サア怒られた怒られた、こん畜生こん畜生と百ばかりも怒鳴られて、香魚や山鯇は釣れないにしても雑魚位釣れない奴があるものか、大方遊んでばかりいやがったのだろう、この食い潰し野郎めッてえんでもって、釣竿を引奪られて、逃げるところを斜に打たれたんだ。切られたかと思ったほど痛かったが、それでも夢中になって逃げ出すとネ、ちょうど叔父さんが帰って来たので、それで済んでしまったよ。そうすると後で叔父さんに対って、源三はほんとに可愛い児ですよ、わたしが血の道で口が不味くってお飯が食べられないって云いましたらネ、何か魚でも釣って来てお菜にしてあげましょうって今まで掛って釣をしていましたよ、運が悪くって一尾も釣れなかったけれども、とさもさも自分がおいらによく思われていでもするように云うのだもの、憎くって憎くってなりあしなかった。それもいいけれど、何ぞというと食い潰しって云われるなあ腹が立つよ。過日長六爺に聞いたら、おいらの山を何町歩とか叔父さんが預かって持っているはずだっていうんだもの、それじゃあおいらは食潰しの事は有りあしないじゃあないか。家の用だって随分たんとしているのに、口穢く云われるのが真実に厭だよ。おまえの母さんはおいらが甲府へ逃げてしまって奉公しようというのを止めてくれたけれども、真実に余所へ出て奉公した方がいくらいいか知れやしない。ああ家に居たくない、居たくない。」 と云いながら、雲は無いがなんとなく不透明な白みを持っている柔和な青い色の天を、じーっと眺め詰めた。お浪もこの夙く父母を失った不幸の児が酷い叔母に窘められる談を前々から聞いて知っている上に、しかも今のような話を聞いたのでいささか涙ぐんで茫然として、何も無い地の上に眼を注いで身動もしないでいた。陽気な陽気な時節ではあるがちょっとの間はしーんと静になって、庭の隅の柘榴の樹の周りに大きな熊蜂がぶーんと羽音をさせているのが耳に立った。    その三  色々な考えに小な心を今さら新に紛れさせながら、眼ばかりは見るものの当も無い天をじっと見ていた源三は、ふっと何の禽だか分らない禽の、姿も見えるか見えないか位に高く高く飛んで行くのを見つけて、全くお浪に対ってでは無い語気で、 「禽は好いなア。」 と呻き出した。 「エッ。」 と言いながら眼を挙げて源三が眼の行く方を見て、同じく禽の飛ぶのを見たお浪は、たちまちにその意を悟って、耐えられなくなったか泫然として涙を堕した。そして源三が肩先を把えて、 「またおまえは甲府へ行ってしまおうと思っているね。」 とさも恨めしそうに、しかも少しそうはさせませぬという圧制の意の籠ったような語の調子で言った。  源三はいささかたじろいだ気味で、 「なあに、無暗に駈け出して甲府へ行ったっていけないということは、お前の母様の談でよく解っているから、そんな事は思ってはいないけれど、余り家に居て食い潰し食い潰しって云われるのが口惜いから、叔父さんにあ済まないけれどどこへでも出て、どんな辛い思いをしても辛棒をして、すこしでもいいから出世したいや。弱虫だ弱虫だって衆が云うけれど、おいらだって男の児だもの、窘められてばかりいたかあ無いや。」 と他の意に逆らわぬような優しい語気ではあるが、微塵も偽り気は無い調子で、しみじみと心の中を語った。  そこで互に親み合ってはいても互に意の方向の異っている二人の間に、たちまち一条の問答が始まった。 「どこへでも出て辛棒をするって、それじゃあやっぱり甲府へ出ようって云うんじゃあないか。」 とお浪は云い切って、しばし黙って源三の顔を見ていたが、源三が何とも答えないのを見て、 「そーれご覧、やっぱりそうしようと思っておいでのだろう。それあおまえも、品質が好いからって二合ばかりずつのお酒をその度々に釜川から一里もあるこの釜和原まで買いに遣すような酷い叔母様に使われて、そうして釣竿で打たれるなんて目に逢うのだから、辛いことも辛いだろうし口惜しいことも口惜しいだろうが、先日のように逃げ出そうと思ったりなんぞはしちゃあ厭だよ。ほんとに先日の夜だって吃驚したよ。いくら叔母さんが苛いったって雪の降ってる中を無暗に逃げ出して来て、わたしの家へも知らさないで、甲府へ出てしまって奉公しようと思うとって、夜にもなっているのにそっと此村を通り抜けてしまおうとしたじゃあないか。吾家の母さんが与惣次さんところへ招ばれて行った帰路のところへちょうどおまえが衝突ったので、すぐに見つけられて止められたのだが、後で母様のお話にあ、いくら下りだって甲府までは十里近くもある路を、夜にかかって食物の準備も無いのに、足ごしらえも無しで雪の中を行こうとは怜悧のようでも真実に児童だ、わたしが行き合って止めでもしなかったらどんな事になったか知れやしない、思い出しても怖しい事だと仰ゃったよ。そればかりじゃあ無い、奉公をしようと云ったって請人というものが無けりゃあ堅い良い家じゃあ置いてくれやしないし、他人ばかりの中へ出りゃあ、この児はこういう訳のものだから愍然だと思ってくれる人だって有りゃあしない。だから他郷へ出て苦労をするにしても、それそれの道順を踏まなければ、ただあっちこっちでこづき廻されて無駄に苦しい思をするばかり、そのうちにあ碌で無い智慧の方が付きがちのものだから、まあまあ無暗に広い世間へ出たって好いことは無い、源さんも辛いだろうがもう少し辛棒していてくれれば、そのうちにあどうかしてあげるつもりだと吾家の母さんがお話しだった事は、あの時の後にもわたしが話したからおまえだって知りきっているはずじゃあ無いかエ。それだのにまだおまえは隙さえありゃあ無鉄砲なことをしようとお思いのかエ。」 と年齢は同じほどでも女だけにませたことを云ったが、その言葉の端々にもこの女の怜悧で、そしてこの児を育てている母の、分別の賢い女であるということも現れた。  源三は首を垂れて聞いていたが、 「あの時は夢中になってしまったのだもの、そしてあの時おまえの母様にいろんな事を云って聞かされたから、それからは無暗の事なんかしようとは思ってやしないのだヨ。だけれどもネ、」 と云いさして云い澱んでしまった。 「だけれどもどうしたんだエ。ああやっぱり吾家の母様の云うことなんか聴かないつもりなのだネ。」 「なあに、なあにそうじゃないけれども、……」 「それ、お見、そうじゃあないけれどもってお云いでも、後の語は出ないじゃあないか。」 「…………」 「ほら、ほら、閊えてしまって云えないじゃあないか。おまえはわたし達にあ秘していても腹ん中じゃあ、いつか一度は、誰の世話にもならないで一人で立派なものになろうと思っているのだネ。イイエ頭を掉ってもそうなんだよ。」 「ほんとにそうじゃないって云うのに。」 「イイエ、何と云ってもいけないよ。わたしはチャーンと知っているよ。それじゃあおまえあんまりというものだよ、何もわたし達あおまえの叔母さんに告口でもしやしまいし、そんなに秘し立をしなくってもいいじゃあないか。先の内はこんなおまえじゃあなかったけれどだんだんに酷い人におなりだネエ、黙々で自分の思い通りを押通そうとお思いのだもの、ほんとにおまえは人が悪い、怖いような人におなりだよ。でもおあいにくさまだが吾家の母様はおまえの心持を見通していらしって、いろいろな人にそう云っておおきになってあるから、いくらお前が甲府の方へ出ようと思ったりなんぞしてもそうはいきません。おまえの居る方から甲府の方へは笛吹川の両岸のほかには路は無い、その路にはおまえに無暗なことをさせないようにと思って見ている人が一人や二人じゃあ無いから、おまえの思うようにあなりあしないヨ。これほどに吾家の母様の為さるのも、おまえのためにいいようにと思っていらっしゃるからだとお話があったわ。それだのに禽を見て独語を云ったりなんぞして、あんまりだよ。」 と捲し立ててなおお浪の言わんとするを抑えつけて、 「いいよ、そんなに云わなくったって分っているよ。おいらあ無暗に逃げ出したりなんぞしようと思ってやしないというのに。」 と遮る。 「おや、まだ強情に虚言をお吐きだよ。それほど分っているならなぜ禽はいいなあと云ったり、だけれどもネと云って後の言葉を云えなかったりするのだエ。」 と追窮する。追窮されても窘まぬ源三は、 「そりゃあただおいらあ、自由自在になっていたら嬉しいだろうと思ったからそう云ったのさ。浪ちゃんだってあの禽のように自由だったら嬉しいだろうじゃあないか。」 と云うと、お浪はまた新に涙ぐんで其言には答えず、 「それ、その通りだもの。おまえにやまだ吾家の母さんだのわたしだのが、どんなにおまえのためを思っているかが解らないのかネエ。真実におまえは自分勝手ばかり考えていて、他の親切というものは無にしても関わないというのだネ。おおかたわたし達も誰も居なかったら自由自在だっておまえはお悦びだろうが、あんまりそりゃあ気随過ぎるよ。吾家の母様もおまえのことには大層心配をしていらしって、も少しするとおまえのところの叔父さんにちゃんと談をなすって、何でもおまえのために悪くないようにしてあげようって云っていらっしゃるのだから、辛いだろうがそんな心持を出さないで、少しの間辛抱おしでなくちゃあ済まないわ。」 としみじみと云うその真情に誘い込まれて、源三もホロリとはなりながらなお、 「だって、おいらあ男の児だもの、やっぱり一人で出世したいや。」 と自分の思わくとお浪の思わくとの異っているのを悲む色を面に現しつつ、正直にしかも剛情に云った。その面貌はまるで小児らしいところの無い、大人びきった寂びきったものであった。  お浪はこの自己を恃む心のみ強い言を聞いて、驚いて目を瞠って、 「一人でって、どう一人でもって?」 と問い返したが返辞が無かったので、すぐとまた、 「じゃあ誰の世話にもならないでというんだネ。」 と質すと、源三は術無そうに、かつは憐愍と宥恕とを乞うような面をして微に点頭た。源三の腹の中は秘しきれなくなって、ここに至ってその継子根性の本相を現してしまった。しかし腹の底にはこういう僻みを持っていても、人の好意に負くことは甚く心苦しく思っているのだ。これはこの源三が優しい性質の一角と云おうか、いやこれがこの源三の本来の美しい性質で、いかなる人をも頼むまいというようなのはかえって源三が性質の中のある一角が、境遇のために激せられて他の部よりも比較的に発展したものであろうか。  お浪は今明らかに源三の本心を読んで取ったので、これほどに思っている自分親子をも胸の奥の奥では袖にしている源三のその心強さが怨めしくもあり、また自分が源三に隔てがましく思われているのが悲しくもありするところから、悲痛の色を眉目の間に浮めて、 「じゃあ吾家の母様の世話にもなるまいというつもりかエ。まあ怖しい心持におなりだネエ、そんなに強くならないでもよさそうなものを。そんなおまえじゃあ甲府の方へは出すまいとわたし達がしていても、雁坂を越えて東京へも行きかねはしない、吃驚するほどの意地っ張りにおなりだから。」 と云った。すると源三はこれを聞いて愕然として、秘せぬ不安の色をおのずから見せた。というものは、お浪が云った語は偶然であったのだが、源三は甲府へ逃げ出そうとして意を遂げなかった後、恐ろしい雁坂を越えて東京の方へ出ようと試みたことが、既に一度で無く二度までもあったからで、それをお浪が知っていようはずは無いが、雁坂を越えて云々と云い中られたので、突然に鋭い矢を胸の真正中に射込まれたような気がして驚いたのである。  源三がお浪にもお浪の母にも知らせない位であるから無論誰にも知らせないで、自分一人で懐いている秘密はこうである。一体源三は父母を失ってから、叔母が片付いている縁によって今の家に厄介になったので、もちろん厄介と云っても幾許かの財産をも預けて寄食していたのだからまるで厄介になったという訳では無いので、そこで叔母にも可愛がらるればしたがって叔父にも可愛がられていたところ、不幸にしてその叔母が病気で死んでしもうて、やがて叔父がどこからか連れて来たのが今の叔母で、叔父は相変らず源三を愛しているに関らず、この叔父の後妻はどういうものか源三を窘めること非常なので、源三はついに甲府へ逃げて奉公しようと、山奥の児童にも似合わない賢いことを考え出して、既にかつて堪えられぬ虐遇を被った時、夢中になって走り出したのである。ところが源三と小学からの仲好朋友であったお浪の母は、源三の亡くなった叔母と姉妹同様の交情であったので、我が親かったものの甥でしかも我が娘の仲好しである源三が、始終履歴の汚れ臭い女に酷い目に合わされているのを見て同情に堪えずにいた上、ちょうど無暗滅法に浮世の渦の中へ飛込もうという源三に出会ったので、取りあえずその逸り気な挙動を止めておいて、さて大に踏ん込んでもこの可憫な児を危い道を履ませずに人にしてやりたいと思い、その娘のお浪はまたただ何と無く源三を好くのと、かつはその可哀な境遇を気の毒と思うのとのために、これもまたいろいろに親切にしてやる。これらの事情の湊合のために、源三は自分の唯一の良案と信じている「甲府へ出て奉公住みする」という事をあえてしにくいので、自分が一刻も早く面白くない家を出てしまって世間へ飛び出したいという意からは、お浪親子の親切を嬉しいとは思いながら難有迷惑に思う気味もあるほどである。もちろんお浪親子がいかに一本路を見張っているにしても、その眼を潜って甲府へ出ることはそれほど難しいことでは無いが、元は優しいので弱虫弱虫と他の児童等に云われたほどの源三には、その親切なお浪親子の家の傍を通ってその二人を出し抜くことが出来ないのであった。しかし家に居たく無い、出世がしたい、奉公に出たらよかろうと思わずにはいられない自分の身の上の事情は継続しているので、小耳に挟んだ人の談話からついに雁坂を越えて東京へ出ようという心が着いた。  東京は甲府よりは無論佳いところである。雁坂を越して峠向うの水に随いてどこまでも下れば、その川は東京の中を流れている墨田川という川になる川だから自然と東京へ行ってしまうということを聞きかじっていたので、何でも彼嶺さえ越せばと思って、前の月のある朝酷く折檻されたあげくに、ただ一人思い切って上りかけたのであった。けれどもそこは小児の思慮も足らなければ意地も弱いので、食物を用意しなかったため絶頂までの半分も行かぬ中に腹は減って来る気は萎えて来る、路はもとより人跡絶えているところを大概の「勘」で歩くのであるから、忍耐に忍耐しきれなくなって怖くもなって来れば悲しくもなって来る、とうとう眼を凹ませて死にそうになって家へ帰って、物置の隅で人知れず三時間も寐てその疲労を癒したのであった。そこでその四五日は雁坂の山を望んでは、ああとてもあの山は越えられぬと肚の中で悲しみかえっていたが、一度その意を起したので日数の立つ中にはだんだんと人の談話や何かが耳に止まるため、次第次第に雁坂を越えるについての知識を拾い得た。そうするとまたそろそろと勇気が出て来て、家を出てから一里足らずは笛吹川の川添を上って、それから右手の嶺通りの腰をだんだんと「なぞえ」に上りきれば、そこが甲州武州の境で、それから東北へと走っている嶺を伝わって下って行けば、ついには一つの流に会う、その流に沿うて行けば大滝村、それまでは六里余り無人の地だが、それからは盲目でも行かれる楽な道だそうだ、何でも峠さえ越してしまえば、と朝晩雁坂の山を望んでは、そのむこうに極楽でもあるように好ましげに見ていた。  すると叔父は山挊ぎをするものの常で二三日帰らなかったある夜の事であった。叔母の肩をば揉んでいる中、夜も大分に更けて来たので、源三がつい浮りとして居睡ると、さあ恐ろしい煙管の打擲を受けさせられた。そこでまた思い切ってその翌朝、今度は団飯もたくさんに用意する、銭も少しばかりずつ何ぞの折々に叔父に貰ったのを溜めておいたのをひそかに取り出す、足ごしらえも厳重にする、すっかり仕度をしてしまって釜川を背後に、ずんずんずんずんと川上に上った。やがて小一里も来たところで、さあここらから川の流れに分れて、もう今まで昼となく夜となく眼にしたり耳にしたりしていた笛吹川もこれが見納めとしなければならぬという場所にかかった。そこで歳こそ往かないが源三もなんとなく心淋しいような感じがするので、川の側の岩の上にしばし休んで、鞺鞳と流れる水のありさまを見ながら、名づけようを知らぬ一種の想念に心を満たしていた。そうするといずくからともなく人声が聞えるようなので、もとより人も通わぬこんなところで人声を聞こうとも思いがけなかった源三は、一度は愕然として驚いたが耳を澄まして聞いていると、上の方からだんだんと近づいて来るその話声は、復び思いがけ無くもたしかに叔父の声音だった。そこで源三は川から二三間離れた大きな岩のわずかに裂け開けているその間に身を隠して、見咎められまいと潜んでいると、ちょうど前に我が休んだあたりのところへ腰を下して憩んだらしくて、そして話をしているのは全く叔父で、それに応答えをしているのは平生叔父の手下になっては挊ぐ甲助という村の者だった。川音と話声と混るので甚く聞き辛くはあるが、話の中に自分の名が聞えたので、おのずと聞き逸すまいと思って耳を立てて聞くと、「なあ甲助、どうせ養子をするほども無い財産だから、嚊が勧める嚊の甥なんぞの気心も知れねえ奴を入れるよりは、怜悧で天賦の良いあの源三におらが有ったものは不残遣るつもりだ。そうしたらあいつの事だから、まさかおらが亡くなったっておらの墓を草ん中に転げさせてしまいもすめえと思うのさ。前の嚊にこそ血筋は引け、おらには縁の何も無いが、おらあ源三が可愛くって、家へ帰るとあいつめが叔父さん叔父さんと云いやがって、草鞋を解いてくれたり足の泥を洗ってくれたり何やかやと世話を焼いてくれるのが嬉しくてならない。子という者あ持ったことも無いが、まあ子も同様に思っているのさ。そこでおらあ、今はもう挊がないでも食って行かれるだけのことは有るが、まだ仕合に足腰も達者だから、五十と声がかかっちゃあ身体は太義だが、こうして挊いで山林方を働いている、これも皆少でも延ばしておいて、源三めに与って喜ばせようと思うからさ。どれどれ今日は三四日ぶりで家へ帰って、叔父さん叔父さんてあいつめが莞爾顔を見よう、さあ、もう一服やったら出掛けようぜ」と高話して、やがて去った。これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立って力無げに悄然と岩の間から出て、流の下の方をじっと視ていたが、堰きあえぬ涙を払った手の甲を偶然見ると、ここには昨夜の煙管の痕が隠々と青く現れていた。それが眼に入るか入らぬに屹と頭を擡げた源三は、白い横長い雲がかかっている雁坂の山を睨んで、つかつかと山手の方へ上りかけた。しかしたちまちにして一ト歩は一ト歩より遅くなって、やがて立止まったかと見えるばかりに緩く緩くなったあげく、うっかりとして脱石に爪端を踏掛けたので、ずるりと滑る、よろよろッと踉蹌る、ハッと思う間も無くクルリと転ってバタリと倒れたが、すぐには起きも上り得ないでまず地に手を突いて上半身を起して、見ると我が村の方はちょうど我が眼の前に在った。すると源三は何を感じたか滝のごとくに涙を墜して、ついには啜り泣して止まなかったが、泣いて泣いて泣き尽した果に竜鍾と立上って、背中に付けていた大な団飯を抛り捨ててしまって、吾家を指して立帰った。そして自分の出来るだけ忠実に働いて、叔父が我が挙動を悦んでくれるのを見て自分も心から喜ぶ余りに、叔母の酷さをさえ忘れるほどであった。それで二度までも雁坂越をしようとした事はあったのであるが、今日まで噫にも出さずにいたのであった。  ただよく愛するものは、ただよく解するものである。源三が懐いているこういう秘密を誰から聞いて知ろうようも無いのであるが、お浪は偶然にも云い中てたのである。しかし源三は我が秘密はあくまでも秘密として保って、お浪との会話をいい程のところに遮り、余り帰宅が遅くなってはまた叱られるからという口実のもとに、酒店へと急いで酒を買い、なお村の尽頭まで連れ立って来たお浪に別れて我が村へと飛ぶがごとくに走り帰った。    その四  ちょうどその日は樽の代り目で、前の樽の口のと異った品ではあるが、同じ価の、同じ土地で出来た、しかも質は少し佳い位のものであるという酒店の挨拶を聞いて、もしや叱責の種子にはなるまいかと鬼胎を抱くこと大方ならず、かつまた塩文鰩を買って来いという命令ではあったが、それが無かったのでその代りとして勧められた塩鯖を買ったについても一ト方ならぬ鬼胎を抱いた源三は、びくびくもので家の敷居を跨いでこの経由を話すと、叔母の顔は見る見る恐ろしくなって、その塩鯖の籜包みを手にするや否やそれでもって散々に源三を打った。  何で打たれても打たれて佳いというものがあるはずは無いが、火を見ぬ塩魚の悪腥い──まして山里の日増しものの塩鯖の腐りかかったような──奴の籜包みで、力任せに眼とも云わず鼻とも云わず打たれるのだから堪えられた訳のものでは無い。まず籜は幾条にも割れ裂ける、それでもって打たれるので籜の裂目のひりひりしたところが烈しく触るから、ごくごく浅い疵ではあるが松葉でも散らしたように微疵が顔へつく。そこへ塩気がつく、腥気がつく、魚肉が迸裂て飛んで額際にへばり着いているという始末、いやはや眼も当てられない可厭な窘めようで、叔母のする事はまるで狂気だ。もちろん源三は先妻の縁引きで、しかも主人に甚く気に入っていて、それがために自分がここへ養子に入れて、生活状態の割には山林やなんぞの資産の多いのを譲り受けさせようと思っている我が甥がここへ入れないのであるから、憎いにはあくまで憎いであろうが、一つはこの女の性質が残忍なせいでもあろうか、またあるいは多くの男に接したりなんぞして自然の法則を蔑視した婦人等は、ややもすれば年老いて女の役の無くなる頃に臨むと奇妙にも心状が焦躁たり苛酷くなったりしたがるものであるから、この女もまたそれ等の時に臨んでいたせいででもあろうか、いかに源三のした事が気に入らないにせよ、随分尋常外れた責めかたである。  最初は仕方が無いと諦めて打たれた。二度目は情無いと思いながら打たれた。三度目四度目になれば、口惜しいと思いながら打たれた。それから先はもう死んだ気になってしまって打たれていたが、余りいつまでも打たれている中に障えることの出来ない怒が勃然として骨々節々の中から起って来たので、もうこれまでと源三は抵抗しようとしかけた時、自分の気息が切れたと見えて叔母は突き放って免した。そこで源三は抵抗もせずに、我を忘れて退いて平伏したが、もう死んだ気どころでは無い、ほとんど全く死んでいて、眼には涙も持たずにいた。  その夜源三は眠りかねたが、それでも少年の罪の無さには暁天方になってトロリとした。さて目盹む間も無く朝早く目が覚めると、平生の通り朝食の仕度にと掛ったが、その間々にそろりそろりと雁坂越の準備をはじめて、重たいほどに腫れた我が顔の心地悪しさをも苦にぜず、団飯から脚ごしらえの仕度まですっかりして後、叔母にも朝食をさせ、自分も十分に喫し、それから隙を見て飄然と出てしまった。  家を出て二三町歩いてから持って出た脚絆を締め、団飯の風呂敷包みをおのが手作りの穿替えの草鞋と共に頸にかけて背負い、腰の周囲を軽くして、一ト筋の手拭は頬かぶり、一ト筋の手拭は左の手首に縛しつけ、内懐にはお浪にかつてもらった木綿財布に、いろいろの交り銭の一円少し余を入れたのを確と納め、両の手は全空にしておいて、さて柴刈鎌の柄の小長い奴を右手に持ったり左手に持ったりしながら、だんだんと川上へ登り詰めた。  やがて前の日叔父の言を聞いて引返したところへかかると、源三の歩みはまた遅くなった。しかし今度は、前の日自分が腰掛けた岩としばらく隠れた大な岩とをやや久しく見ていたが、そのあげくに突然と声張り上げて、ちとおかしな調子で、「我は官軍、我が敵は」と叫び出して山手へと進んだ。山鳴り谷答えて、いずくにか潜んでいる悪魔でも唱い返したように、「我は官軍我敵は」という歌の声は、笛吹川の水音にも紛れずに聞えた。  それから源三はいよいよ分り難い山また山の中に入って行ったが、さすがは山里で人となっただけにどうやらこうやら「勘」を付けて上って、とうとう雁坂峠の絶頂へ出て、そして遥に遠く武蔵一国が我が脚下に開けているのを見ながら、蓬々と吹く天の風が頬被りした手拭に当るのを味った時は、躍り上り躍り上って悦んだ。しかしまた振り返って自分等が住んでいた甲斐の国の笛吹川に添う一帯の地を望んでは、黯然としても心も昧くなるような気持がして、しかもその薄すりと霞んだ霞の底から、 桑を摘め摘め、爪紅さした、花洛女郎衆も、桑を摘め。 と清い清い澄み徹るような声で唱い出されたのが聞えた。もとより聞えるはずが有ろう訳は無いのであるが。 (明治三十六年五月) 底本:「ちくま日本文学全集 幸田露伴」筑摩書房    1992(平成4)年3月20日第1刷発行 底本の親本:「露伴全集」岩波書店 ※底本の「小書き片仮名ト」(JIS X 0213、1-6-81)は、「ト」に置き換えました。但し「トロリ」(底本78ページ-4行)の「ト」を除きます。 ※本作品中には、今日では差別的表現として受け取れる用語が使用されています。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、あえて発表時のままとしました。(青空文庫) 入力:kompass 校正:林 幸雄 2001年10月2日公開 2003年11月25日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。