時計屋敷の秘密 海野十三 Guide 扉 本文 目 次 時計屋敷の秘密    気味のわるい名物 「時計屋敷はおっかねえところだから、お前たちいっちゃなんねえぞ」 「お父うのいうとおりだ。時計屋敷へはいったがさいご、生きて二度とは出てこられねえぞ。おっかねえ化け物がいて、お前たちを頭からがりがりと、とってくうぞ」 「化け物ではねえ、幽霊だ」 「いや、化け物だということだよ」  お父うとお母あが、そこで化け物だ幽霊だと、口争いをはじめてしまったが、とにかくこの「時計屋敷」のこわいことは、村の子供たちはよく知っていた。  その時計屋敷とは、いったい何であろうか。  この左内村の東はずれにあたる山腹に、昔からこの時計屋敷が見られた。がんじょうな塀にかこまれた邸で、まん中に二階づくりの西洋館があり、そして正面にはりだして古風な時計台がそびえているのだった。  その時計台も洋館も、昔からあれはてていて、例のおそろしいいいつたえと共に、だれも近づくものはなかった。  窓の戸はやぶれ、屋根には穴があき、つきだしたひさしはひどくひん曲っていた。ペンキの色もすっかりはげて、建物はミイラ色になっていた。  時計台の大時計は、二時をさしたまま、動かなくなっていた。今この村に生きている者で、誰もこの時計が動くのを見た者がなかった。  この時計屋敷が、いつ、そこに建てられたのかそれを知っている人は、あまり多くなかった。それは明治維新の前後に出来たもので、どこの国の白人かはしらないが、ヤリウスという鼻の高い赤いひげのからだの大きな人が、そこへあれを建てたということだ。  一説に、そのヤリウスは、白人と日本人の混血児だとも伝えられていて、この方が正しいのかもしれないと思われる。  とにかくそのヤリウスは、百五十人ばかりの人を連れて来て、その建築工事をはじめた。左内村の人たちは、ぜひその仕事にやとってもらいたくて、代々庄屋の家柄の左平をはじめ若者たちもその工事場へいってたのんだのであったが、ヤリウスは首を左右にふって、左内村の人間をただ一人もやといいれなかった。村人は、がっかりし、そしてヤリウスをうらみ、時計台をにらみつけては新築屋敷のことをのろった。  建築は手間どって、春から始めた工事がすっかり出来上ったのは、夏も過ぎ、秋もたけ、木枯の吹きまくったあとに、白いものがちらちらと空から落ちて来る冬の十二月はじめだった。さかんな新築祝いの宴が、時計屋敷で三日三晩にわたって行われたのち、百五十人の建築師たちは、村人にあいさつもせず、風のようにこの土地を去った。  それと入れ替えに、その翌日たくさんの荷物を積んだ馬が屋敷へはいっていった。そして、それから時計屋敷の窓々からは、あかるいともし火がかがやき、ヤリウスの豪華な生活がはじまったのである。  ヤリウスは、そこに四五年住んでいた。  そして、とつぜん彼の姿は村の人の目から消えた。窓のともし火も、急に数がへった。  人のうわさでは、ヤリウスが日本を去ったともいい、またヤリウスが、とつぜん死んだのだという者もあった。  どっちかしらないが、それから間もなく、この時計屋敷の買手を探しているそうなとの話が流れ、商人らしい服装の人が何人となく時計屋敷を入ったり出たりした。  庄屋の家柄の左東左平は、前から時計屋敷のことを心の中にきざみつけていた。ヤリウスには恨みをいだいていたこともあったが、時計屋敷ができあがったのちは、あの屋敷にたいへん心がひかれ、自分もなんとかしてあんな様式の家をつくりたいものだと思い、いろいろ考えていたところだったから、その屋敷が売物に出たとの話を耳にすると、さっそくかけつけて、せり売の場にはいっていい値をつけた。  そして結局、左平がこの屋敷を買取ることにきまった。金額はいろいろとうわさされたが、とにかくヤリウスの家扶の門田虎三郎は、左平から金を受取ると、屋敷を明けわたして出ていった。  大よろこびの左平だった。  さっそく家族をつれて、この屋敷へひっこした。妻君のお峰と一人娘の千草と、あとは雇人が十人近くいた。  左平のとくい顔が見られたのは、それから半年あまりの間だった。そのあとは、左平の顔には何だかやつれの色が見え、そして何事かについてあせっているようだ。  それを村人がしんぱいして、それとなくわけをたずねたが、左平はいつもかぶりをふって、 「何も、しんぱいなぞしていない、そんな話はもうごめんだ」  と、耳を貸すのもきらった。  その左平は、ちょうど一年ほどたって、時計台の天井にひもを下げ、自分の首をくくって死んだ。遺書があった。 「いのちがおしいものは、この屋敷に近よるな。左平」  と、かんたんな文句がしたためられてあった。  左平の自殺を見つけたのは、雇人の喜三という老人だったが、そのしらせに村人がこの屋敷へかけあつまったとき、さらにへんな話を聞いた。  それはこの一ヶ月ばかり、奥様も千草も共に雇人たちに顔を見せず、そのことを旦那さまの左平にいうと、左平のきげんがたいへんわるかったとのことだった。  そこで、みんなで手わけして、各部屋をさがしてまわった。  すると、おどろくべきものを発見した。  二階の奥の居間に、はなやかな女の蒲団が二つしいてあるのを見つけた。たしかに人がねている形だったが、蒲団をあたまからかぶっている。それがおかしいというので、みんなして蒲団をめくってみたら、中には白骨がねていた。骨がばらばらになっているが、たしかにどっちも一人分の白骨がねていたのである。  さあ、みんなびっくり仰天、にげ出す者もあれば、その場で腰をぬかす者もあった。そうして、ほうほうのていで、時計屋敷からにげだしたのであった。  古い話は、まずこれだけである。それ以来この時計屋敷は、極度にこわがられ、そして荒れるにまかされていた。村人でなくても、こんなおそろしい因縁ばなしを聞けば、だれだって時計屋敷へ近よるのはやめるだろう。    恐れる人、恐れぬ人  だが、世の中は、このところ、たいへんかわった。  そのわけは、住宅難のこと、資材難のこと、物価がたいへん高くなったことなどのために、戦災で焼けのこったありとあらゆるものが、新しい目で見直されることだった。  この左内村に対しても、県から達示があって、「家のないたくさんの戦災者のために、なんとかして住める部屋をできるだけたくさん探して報告せよ。また修理をしないとはいれない部屋があれば、どのくらいの修理を必要とするか、それも報告せよ」といって来た。そしてこの達示はたいへんきびしく、左内村に対しても、あるきまった数以上の部屋を申告するように、わりあてて来た。  村では困って、毎日のように会議をかさねた。部屋をもたない者はないわけではなかったが、気心もわからない人たちがはいって来て、同じ屋根の下に住むということを考えると、つい心がすすまなくなるのだった。  しかし「部屋なし」と報告することはできないので、みんなしぶい顔をして、ため息をつくばかりだった。 「どうだね、あの時計屋敷を手入れして、あれへ戦災者をむかえたら、どうだろう」  そういった者があった。 「いや、それはだめだ、そんなことは出来ることじゃあねえ」 「あの屋敷のことはいわないことだ、とんだ災難が、村の衆の頭の上にかかってくるだ」と、まっこうから反対の声をあげた者は、昔から代々この村に住んでいる人たちだった。その声には、あきらかに恐怖のひびきがあった。  だが、それと意見の違った者もいた。 「はははは、時計屋敷の怪談かね。三年前にも、幽霊が窓から顔を出していたのを見たという話も聞いたが、今どき、そんなばかばかしいことがあってたまるか。第一によ、県から役人がきて、あの建物はなんだ、空いているようだねと聞かれたときは、どういって返事をするね、いえ、あれは幽霊屋敷でございまして、人間が住めませんでございますなんて、そんなばかくさい返事がぶてるものか、ぶてないものか考えてみりゃ分る」 「北岸さんの意見に、僕も賛成だね。幽霊屋敷だとか、お化けのうなる声がしただのというばかげた話は、まじめになって出来ないですからね。あちらの人に聞かれても、日本人はなんという科学性の低い国民だろうと、けいべつされるばかりだ。だから、これからみんなであの屋敷へいって窓をひらき、掃除をし、そしてどこを修繕すると住めるか、それもしらべて県へ報告しようじゃないですか、そうすれば、あの屋敷一軒だけで、県からこの村へ割当てしてきた部屋の広さは十分にあると思う」  北岸に賛成したのは吉見だった。この二人に賛成する者が、外にも五六人あった。それらの人たちは、いずれも明治維新ごろからこの土地に住んでいた家の子孫ではなく、近年この村に住むようになった人たちであった。もっとも、そういう人たちの中にも、時計屋敷には手をつけるなという旧家の連中の方に賛成する人たちもあった。  この会議は、なお二日ばかりつづいたが、結局は北岸や吉見の説が採用され、それにもとづいて時計屋敷の大掃除が行われることにきまった。 「聞いたかよ、おそろしいこんだ。時計屋敷を掃除して、あそこに人が住むんだとよ」 「これは困ったことだ。今にみんな、おそろしいたたりに泣き面をして暮らすようになるだべ」 「子供たちによくいいきかしとけよ、子供は、こわいもの知らずだから、新興班について、幽霊屋敷の中へはいるかも知れんからな」 「そうじゃ、うちの音松なんか、よろこんで時計屋敷の探険に行くちゅうだろう。はて、これは又気がかりなことがふえたわい」  そのようなわけで、旧家の人たちは、自分たちの子供に、時計屋敷へ近よってはならぬぞと、子供の顔を見ればいましめるのだった。  さて時計屋敷の大掃除をするに先立って、その下検分のために、七人の有力者が、屋敷へはいってみることになった。これがいわゆる新興班の連中で、北岸が班長、吉見がその副班長だった。  それはよく晴れた初夏の朝だったが、この七人は塀に縄ばしごをかけて、時計屋敷へ乗りこんだ。人々がよく働いているのが、お昼頃、村道からながめられた。しかしその七人は、その後どうしたわけか、邸から出て来なかった。みんな行方不明になったのである。そら、いよいよ始まったと村の人たちは時計屋敷のたたりにふるえあがった。  この事件がきっかけとなって、八木音松をはじめとする少年探偵団の活躍が始まるのであった。    探偵団の結成  とうとう怪事件を、ひきおこしてしまった。いわないことじゃない。それだから、時計屋敷には手をつけるなと、昔からいいつたえられているのに、ばかなことをしたもんだ。  時計屋敷におそろしいのろいのかかっているのを信じている左内村の老人たちは、北岸の治作さんほか六人の若者たちが、われからそのような悪い運命におちこんだのを悲しみ、そしてなげいた。 「も、誰も時計屋敷に近づけるんじゃないよ」 「あの屋敷に一足ふみこめば、地獄の血の池地獄までさかおとしじゃ」  そういうことばが、合言葉のように、左内村の中を何十ぺんとなく往復した。  この行方不明事件は、警察署へも報告された。しかし二名の警察官が自転車にのって、村長のところへ様子を聞きに来ただけで、警官は時計屋敷には足を入れず、そのまま帰ってしまった。 「おまわりさんだって、いやだよなあ。あんな幽霊屋敷にはいって、二度と外へ出てこられなくなるのはなあ」  村人は、そういって警官に同情した。  だが、この村にも、こんなおそろしがりやばかりではなかった。 「ねえ、時計屋敷の中で、北岸のおじさんなんかが、幽霊につかまって、捕虜になってしまったというけれど、おかしいじゃないか。そんなことが信じられるかい」  そういったのは、村の小学校の金棒の下に集まった少年たちの中の一人だった。いや、この少年こそ、この物語のはじめに出て来た八木音松少年だった。  音松は、おばあさんから時計屋敷の昔ばなしを聞いて、あの怪物屋敷にたいへん興味をおぼえるようになった。それ以来、彼は時計屋敷についてのいろいろな話に聞き耳をたてていたのである。音松は、はじめは時計屋敷がおそろしくてたまらなかったが、だんだん話を聞いて、その一つ一つのことを冷静に自分の頭で、ほんとうかどうかと判断して行くうちに、彼は時計屋敷がそんなにおそろしくなくなった。そして時計屋敷の秘密と取組んでやろうと決心したのである。 「幽霊なんて、話に聞いただけで、見たことがないから、信じられないや」  と六条君がいった。 「ぼくも信じないよ、幽霊だのお化けだの、そんなものが今の世の中にいてたまるかい」  五井少年が、力んでいった。 「ぼくたち人間の科学知識は、まだ発達の途中にあるんだから、もっと先になって、幽霊やお化けがあるってことが証明される日が来るかもしれない」と四本君がとくいのむずかしいことをいい出した。「しかしだ、たとえ幽霊やお化けが今実在するにしてもだ、その幽霊やお化けは、かならずぼくらの習っている物象の原理にしたがうものでなくてはならない」 「四本君のいうことはむずかしくて、わからないや」  と、二宮少年が手をふった。 「いや、ぼくのいっていることはちっともむずかしくないよ。つまりここに一人の幽霊がまっすぐに立っているとなると、その幽霊は、やはり重力の作用を受けているにちがいないし、また空気の中に立っているんだから、幽霊の体積にひとしい空気の重さだけ幽霊のからだが軽くなっているはずだ。つまり浮力に関するアルキメデスの原理は、この幽霊にもあてはめられなくてはならない」 「おもしろいことをいうね、ははは」  音松は、腹をゆすって笑った。 「ちっともおもしろくないよ、幽霊の力学の話なんか、北岸のおじさんなんかの、行方不明事件のほうはどうするんだい」  と、二宮少年が、顔を赤くして叫んだ。 「二宮は、ぼくのいうことをしまいまで聞かないで怒るから困るよ、つまりね──」 「つまり──はもうたくさんだよ、四本君」 「いいや。ここはどうしてもつまりといわなくちゃね、つまりぼくのいいたいことは、幽霊でもお化けでもすこしもこわいことはない。奴らも、物象学にしたがわなくてはならないのだから、物象学をよく勉強しているぼくたちは、少しもこわいことはない。すなわち幽霊にあったら、幽霊の浮力を観察すればいいんだし、鬼火が出れば、それは空中から酸素をとって燃えているにちがいないんだし、こういう風に、おちついて幽霊をだんだん観察していくと、幽霊がどんなことをする能力があるかが分る」 「むずかしいね」  二宮少年は顔をしかめる。 「むずかしいことはないさ、そういうわけだから、ぼくたちは幽霊をおそれずに、時計屋敷の幽霊に会って、はたして幽霊が北岸のおじさんたちをかくしたかどうか、それを推理すればいいじゃないか。さあ、みんなで、時計屋敷へ行こう」 「さんせい!」 「ぼくも、行くよ」 「なあんだ、行くなら行くと、それを先にいえば、ぼくは文句なんかいやしなかったんだ」  二宮少年はむずかし屋の四本君が、自分と同じく時計屋敷探険を強く主張していることを知って、そういって笑いだした。    嵐の声  五人の少年探偵団ができあがった。  団長は、選挙の結果、八木音松がつとめることになった。  さっそく団長が、あいさつをすることになった。 「第一に、みんなのまもらなくてはならないことは、幽霊や化け物をおそれないで、四本君のいったように、おちついて観察し、その正体を見きわめることです。第二に、ぼくたちは協力し、団結しましょう。捜査にあたってばらばらになって、自分の好き勝手をすると、成績があがらないでしょう」 「そうだ、そうだ」  と、二宮少年がこうふんして叫んだ。 「それから第三に、ぼくらが探偵となって時計屋敷の捜査を始めたということを、ぜったいに他の誰にも知られないようにすること」 「あら、いやだ。すっかり聞いてしまったわよ」  ふいに、うしろで女の子の声がした。五人の少年探偵がおどろいて、声のした方をふりむくと、一人の女生徒がにやにや笑って立っていた。 「あ、吉見カズ子ちゃんか、困ったなあ、もう秘密が他へもれちゃったか」  八木団長は、大きくため息をついた。 「いいじゃないか、カズ子さんなら、秘密をまもってくれるよ、だってカズ子さんのお父さんも、あの行方不明になった一人なんだからね」  六条君がいった。カズ子は、副班長として時計屋敷の掃除にはいっていった吉見勤の娘だった。 「ええ、あたしは秘密をまもりますわ、そしてお礼を申しますわ、お父さまたちを探し出してちょうだいね。また、あたしたち女の子に手つだうことがあったら、喜んで手つだいますわ」 「うん、またたのむかもしれないけれどね、とにかくぼくたちのことは、だまっているんだよ」  八木団長は、そういって、カズ子に念をおした。  さて少年たちは、午後二時に、学校がひけると、一度家へかえったあとで、そっと家をぬけ出して、集合所の鎮守さまの境内へ急いだ。  午後二時二十分に、五人の少年探偵は、せいぞろいをすることができた。 「じゃあ、いよいよ出かけよう、今日は、時計屋敷の中へはいっても、時計の塔までのぼれば、それで今日の仕事はすんだことにして、すぐ外へ出よう、ねえ」  団長の音松は、そういった。 「それじゃ、あっけないね、せっかく探偵にはいるんだから、もっと調べようよ」  二宮は、不満を顔に出して、そういった。 「いや、そうしないで、あまり屋敷の中で、ながいことをやると、北岸のおじさんみたいに、おとし穴かなんかに落ちてしまうんだ」 「おとし穴だって、音ちゃんは、おじさんたちが、おとし穴へおちたと思っているのかい」  六条が、たずねた。 「そうかもしれないと、ぼくは思っているんだがね、とにかく、屋敷の中へはいってから出るまでに、あやしいことを見たり、あやしい音を聞いたら、よくおぼえておいて、外へ出てからあとで、よく話しあって、研究をしようや」 「そういう用心ぶかいやり方は、たいへんいいと思うね」  六条が、さんせいした。  五人の少年は、屋敷の中で、もし危険な目にあったら笛をふくことにきめ、それぞれ音色のちがった笛をポケットにもっていた。これはかねて、うしろの山登りをするときに少年たちが利用している呼び子の笛であって、どの音色が誰の笛か、それはよく知っていた。  六条は、自分がこしらえた短波の無電器械をさげていた、それはべんとう箱を四つあつめたぐらいの大きさで、大して重くなかった。  いよいよ鎮守さまの境内を出て、五人の少年がかたまって時計屋敷の塀のそとへついたのは午後二時五十分であった。  急に黒い雲が太陽をさえぎったために、日がかげった。そしてどこからともなく冷っこい風が起って、少年たちのえりくびを吹いた。少年たちは、ぞっとしてくびをちぢめた。  時計台のある怪屋敷は、崩れかけた塀を越した向こうに、何かものをいい出しそうに立っている。時計台の時計の針は、あいかわらず二時を指したままだ。  勇ましいことをいって、ここまではやって来たが、なんだか急にうす気味が悪くなった。天候がにわかに変って、嵐もようになったのも、その原因の一つにちがいない。 「さあ、元気を出して、はいろうぜ」  八木のうながすような声に「うむ」と返事をした。八木はつかつかと、崩れた塀のところへ進み、手をかけてその上にのぼった。そうしてうしろを向いておいでおいでをすると、塀を内側へとびおりた。  それを見て、残りの四名の少年探偵も、やはりこれまでと覚悟をきめ、つづいて塀によじのぼり、それから塀の内側へとびおりた。 「おや、八木君はどこへいったんだろう、先へおりた音ちゃんが見えないじゃないか」 「あれッ、へんだね、もう八木君は、時計屋敷の幽霊につかまっちゃったのかな」 「いやだねえ」  八木音松の姿は見えない。彼がひとりで先に塀をおりたあとで、いったいどんなことが起ったのであろうか。    二人の八木君 「困ったねえ、八木君がいないと、あとの探偵はできやしない」 「そんなことよりも、早く八木君を助けてやろうよ、きっと時計屋敷の幽霊につかまったんだよ、早く助けないと、八木君は殺されてしまう」 「困ったね、しかしへんだね、ぼくたちより、たった一足先へとびおりたのに、もう姿がみえないんだからね」  四人の少年は、塀の内側にからだをよせて、心配している。 「おうい」  とつぜん頭の上で呼ぶ者があった。 「あっ!」  四人が、声のした高塀の上へ目をあげると、なんというふしぎ、塀をのり越えて八木音松が下りて来た。  さっき、まっ先にこの塀をのり越えた八木だった。姿が見えなくなる。と、またもや八木が、塀をのり越えて下りて来た。さっきの八木と、今下りて来た八木と、八木が二人居る。いったいどっちの八木が、ほんとうの八木であろうか。ほんとうでない八木君は、幽霊か、化けものかであろう。ああ、気味がわるい。 「おい、君たちは、なんだって、へんな顔をして、だまりこんでいるんだい」  と、八木がたずねた。 「だって……だって、君は幽霊じゃないのかい」 「なんだって、ぼくが幽霊だって……」 「だってさ、先に一人、君と同じ姿をした少年が塀を内側へ下りたんだ。つづいてぼくたちが下りてみるとね、その少年はいないのさ、ふしぎに思っていると、今君が塀の上から声をかけて下りてきた」 「うふ、わははは」  と、八木は笑った。 「なにがおかしい」 「だって、はじめの八木少年も、あとから塀をのぼって来た少年も、どっちもぼくだもの、顔を見れば分るじゃないか」 「だってさ、はじめの八木少年は姿を消してしまったんだもの、あやしいじゃないか」 「ああ、それはこういうわけだ。ぼくは、一番先に塀を下りた。すると、そこに小さな洞穴があいていた、ほら、見えるだろう、あれだ」  と、八木は、くずれた塀の内側に小さい洞穴があって、入口を、雑草がしげってなかばかくしているのを指した。 「あの洞穴へはいって見たんだ、するとね、だんだん奥がふかくなって、道がまがってついている。その道のとおり歩いていると、ぽっかりと塀の外へ出たんだ」 「へえーッ、塀の外へね」 「そうなのさ、だからもう一度、塀をよじのぼって、こっちへ下りて来たんだ」 「なあんだ、そんなことかい、ちょっともふしぎでも怪事件でもないや」 「ぼくたちは、時計屋敷がおそろしいところだと思いこんでいたので、こわいこわいが、今みたいに、二人の八木君を考えることになったんだよ」 「そんな風に、ぼくたちの頭がへんになるということは、もう時計屋敷の怪魔のためにぼくたちがとりこになっていたしょうこだよ、いやだね」 「そうじゃないよ、ぼくらの神経がちょっとへんになっただけのことさ、こんな塀なんか普通のくずれた古塀だよ」 「いや、へんなことがあるのさ」  と八木は顔をかたくしていった。 「あの洞穴の中にはいっていくとね、井戸みたいな穴があるんだよ。垂直に掘ってある穴だ、井戸かと思って、ぼくは中へ石を落としてみた。ところが、ぽちゃんともどぶんとも音がしない。だから井戸ではなくて、水のないから井戸だと分ったが、どうしてあんなところにから井戸が掘ってあるのか、ふしぎだねえ」  この八木が語ったから井戸の話は、他の少年たちをおどろかせた。 「へえーッ、なんだろうね、そのから井戸は……。あやしい井戸だ。調べてみようじゃないか」 「その井戸の中へ下りて行けるのじゃないかしら、きっと抜け道かなんかあるんだよ」 「じゃあ、これからみんなで行って、調べてみよう」  そこで相談がきまり、五人の少年探偵は、雑草を踏みわけて、問題の洞穴へはいっていった。    から井戸の中  穴の中は、どこからともなく光線が流れこんで来て、うすぐらいが、ものの見わけはついた。 「ここにあるんだ、から井戸は……」  八木が立止って指した。なるほどそこはすこし壁がひっこんでいて、から井戸らしいものがあった。少年たちは、おそるおそる中をのぞいたり、聞き耳をたてたりした。 「中はまっくらで、何も見えない」 「何の音もしてないね。地獄の穴みたいだ」 「いや、地獄なら鬼や亡者がわいわいさわいでいるから、にぎやかなんだろ」 「そうじゃないよ、地獄といっても、いろいろ種類があるなかに、無限地獄というのは、底がない、つまりずっと深いのだ。そして一度落ちると出てこられない。あたりは、しーンとしている。このから井戸は、無限地獄によく似ているよ」 「まあ、そんな話はどうでもいい、こういうものを発見した以上は、ぼくたちはこの井戸を下りていって、中を探偵しようじゃないか」 「うん、それがいい」 「よし、やるか。やるなら、下へ綱を下ろそう。その綱の端を、どこかしっかりしたところへ結びつける必要がある。ああ、これがいい、ここに鉄の棒が出ているから」  その鉄の棒は、塀をつくるときに、骨組としていれたものであったらしい。それに少年たちが持ってきた綱を結びつけ、それから綱をおそるおそる井戸の中へたらした。 「下へついたか」 「うん、まだまだ。……あっ、今、綱の端が下についたらしい、ずいぶん深いね。十五メートルぐらいある」 「深い井戸だなあ」 「さあ、誰が先に下りるか」 「よし、ぼくが下りる」  そういったのは八木だった。彼は探偵長だったから、自分が一番はじめに下りるのがあたり前だと思った。 「大丈夫かい、入る前に、よく中を見た方がいいんだが、懐中電灯を紐にぶら下げて、中を見ようか」 「いや、そんなことをしたら、悪いやつに見つかるかもしれないよ。どうせ下りるなら、くらがり井戸をそっと下りて行く方がいいと思う」  八木はそういった。 「よし、君の好きなようにしたがいい、そのかわり、もし危険を感じたら、この綱をゆすぶるんだよ。それが信号さ、SOSの危険信号さ。するとぼくたち四人は力をあわせて、すぐこの綱を引張りあげるからね、君はしっかり綱につかまっているんだよ」 「うん、分ったよ、それじゃ頼むよ、では、ぼくは井戸の中へはいってみるよ」  八木少年は、もうかくごをきめて、綱を握り、身体をまかせた。しずかに、そろそろと綱を伝わって下りていく。  ひえびえと、しめった井戸の冷たさが、八木のくびのあたりを襲った。ますます暗い、五メートル、十メートルと下りていくにつれて心細さがわく。  しかしもう決心したことだから、途中でもって、「この綱をひき上げてくれ」などと弱音があげられたものではない。八木少年は、自分の心をはげましながら、なおもするすると、から井戸を下りていった。 「あッ」  いきなりあたりがうす明るくなった。それとほとんど同時に、八木の足は下についた。  さあ、ここはどんなところかと、八木少年は、すばやく身構えをして、ぐるっと四方八方をにらみまわした。そこは一坪ばかりの円形の穴倉になっていた。そこから一方へトンネルがつづいていた。 (どこへつづいているトンネルだろうか)  分らない、その奥のことは。    ガラス天井  八木少年は、すかしてみたけれど、奥はほの明るいだけで、はっきりしたものの形は見えない。 (あの明るさは、どこからさしこんでいる明るさだろうか、あそこまで行けば、もっとこのトンネルの中のことが分るかもしれない)  そう思った八木は、とことことトンネルを歩きだした。  行きついてみると、その明るい場所は、トンネルの曲りかどになっていた。明りは右手からさしこんでいる。その右手をのぞきこむと、扉があった。  その扉は、さびた鉄の扉だった。  ハンドルがついていたので、それをにぎって、扉をあけようと、いろいろやってみた。しかし扉はびくともしなかった。さびついているのかもしれない。 (この扉があくと、きっと、おもしろいことが分るんだろうが、ざんねん……)  そのときであった。八木の立っているところが、急に光がかげったように暗くなった。 「おや」  と、八木は上へ仰向いた、光は天井からさしていたので、それがどうして暗くなったのかと上を見たのだ。 「おお、あれは何だ……」  八木少年の頭上五メートルばかりのところに、あついガラスをはめこんだ細長い天井があった。そのガラス天井は、よごれてくもっていたが、そのガラス天井の上を、黒い楕円形のものがゆっくりと動いているのであった。 「ふしぎなものを見つけた……」  おそろしいことはおそろしいが、すばらしい発見だ。  なおもよく見ていると、その黒い楕円は二つあって、一方が動いているときは、他方はじっとしている。そしてたがいちがいに動く、その二つの楕円全体が、もっと大きい円形のかげで包まれている。 「あッ、そうか。ガラス天上の上を、人間がそっと歩いているんだ」  八木は、その謎をといた。 「しかし、あれはいったい誰だろうか」  ガラス天井を破って、上へあがって、あれが何者であるか、顔を見たいと思ったが、天井を破ることはできない。どうしたものかと考えこんでいるとき、どこからか、異様なうなり声を聞いた。それは猛獣が遠くで吠えているようであった。わわわンわわわンとトンネルへひびいた。 「なんだろう」  八木は猛獣がこのトンネルへどこからかはいりこんだのではないかと思った。それならたいへんである。彼はもと来た方へどんどん駆けだした。  やっと、から井戸の下までもどりついた。上から綱がたれている。八木はその綱をにぎると、左右へはげしくゆりうごかした。  上では、これを危険信号とさとって、すぐさま八木を綱ごと上へ引張りあげてくれるはずの約束だった。  ところが、綱はしずかに左右にゆれているだけで、引張りあげられるようすはなかった。 「どうしたんだろう」  八木の心臓はとまりそうになった。  見上げると、から井戸の上はぼうと明るい。友人たちが、そこからのぞいていれば、その顔が見えなければならないのであった。ところが、誰の顔も見えない。  八木は不安になって、下から上へ声をかけた。声はわわわンと上へ伝わっていったが、仲間の顔はいつまでたっても出ない。 「へんだなあ。上じゃ、どうかしたんだろうか。どこへいったんだろうか」  八木は、この上は一刻もこんなところに待っていられないと思った。なにがなんでも、この深さ十五メートルの綱をよじのぼって、から井戸の上へ出なくてはならないと思った。しかし十五メートルも高いところをうまくのぼれるかしらん。  八木は綱を見つめた。 「えいッ」  彼は綱にとびついた。  と彼はどすんと尻餅をついた。いやというほど椎骨をうった。それと共に大きな音がして、上から綱がどしゃどしゃと落ちて来て、彼の上にのしかかった。  せっかくの頼みに思う綱が、どうしたわけか、上の方ではずれて、落ちて来たのだ。さあたいへん。もうここから井戸を出ることができなくなった。彼は困りきって、うらめしそうに井戸を見上げた。そのときであった。井戸の上に、うす青い鬼火が二つ、何に狂うか、からみ合いつつおどっていた。八木少年は「うん」と呻って、気絶した。    怪音  井戸の外で、八木少年を待っていた四人の少年探偵は、いったいどうしたのであろうか。それを語るには、すこし以前にかえらなくてはならない。 「どうしたんだろう、八木君は、おそいじゃないか」 「もう引返してこなければならないのに、へんだねえ。呼んでみようか」 「うん、呼んでみよう」  そこで六条、五井、四本、二宮の四人が、井戸の中に頭をさしいれて、 「八木君、早くかえっておいでよ」  と、声を合わせて叫んだ。  そのあと、四名の少年は、中から八木の返事がもどって来るかと、耳をすまして聞いていた。するとその返事はなく、そのかわりに、うしろの方、つまりトンネルの入り口の方で、あっはっはっと大声に笑う者があった。それにつづいて、重い金属性の大戸が、がらがらッと引かれるような音がしたのだ。  四少年は顔を見合わせた。 「あの音は、なんだろう」 「時計屋敷の玄関の戸がひらいたんじゃないかしらん」 「笑ったようだね、誰だろう」 「村の衆かもしれない、早く行ってみよう」 「よし、みんな走れ」  どやどやと、四少年はトンネルを逆に走った。そしてやがて、すぐむこうに、トンネルの口を通して、まぶしい日光をあびた外の景色が見えるところまで来たと思ったら、 「あッ」 「うわッ」  と、四少年はめいめいに叫び声をあげて、地上から消えた。  いつの間にできたものか、トンネルの道の一部が、大きな穴になっていたのだ、四少年は重なりあって穴の中に落ちた。  がらがらがらッと、重い金属製の戸が引かれる音を再び耳にした。しかしこんどは、四少年の頭上はるかのところにおいてであった。 「おい、けがをしなかったか」 「ぼくは大丈夫、君はどうだ」 「ぼくは腰の骨をいやというほど打って、涙が出たよ、ぼくたちは、落とし穴へ落ちたんだね」 「そうらしい、やっぱり時計屋敷はすごいところだね」 「早く穴から出ようじゃないか」 「いや、だめだ。あれを見たまえ、大きな鉄の格子戸が穴の上をふさいでいるよ」  さっきは見えなかったが、くらがりにようやくなれた今の目で見上げると、なるほど四本のいうとおり、穴は鉄格子でふさがれていた。 「困ったね。どうしたらいいだろう」 「八木君が助けに来てくれるといいんだが、八木君はどうしたろう」 「さあ、どうしたかなあ、また声を合わせて、呼んでみようか」 「叫ぶのはよしたまえ、こうしてぼくたちが落とし穴に落ちたのも、さっきぼくたちが、あんまり大きな声を出したから、それで落とし穴を用意されたように思うんだ」  五井が、そういった。 「ああ、そうか、で、誰が落とし穴を用意したというの」 「ぼくらの敵だよ」 「時計屋敷の幽霊のことをいっているの」 「幽霊だか何だか知らないけど、とにかく時計屋敷に住んでいる怪しい奴が、ぼくたちの敵さ」  幽霊をはじめから信じない常識家の五井がそういった。 「しようがないね、その敵のため、ぼくたちははじめから捕虜になってしまって……おや、へんだね、足許がゆらいでいるじゃないか」 「あっ、動いている。地震らしい」 「地震じゃないだろう。ぼくたちは、なんか動くものの上に乗っているんだ」 「あ、そうか、どこかへはこばれていくんだな」  その先は、どこへ? 四少年は、たがいにしっかり抱きあって自分たちの運命を待っていた。    かびくさい室  その動くものは、たしかに大きな動力で動いているらしかった。  ごっとんごっとんと、重いひびきが地底からひびいてくる。  そのうちに、足の下が急に傾いた。ざらざらと土砂が一方へ走る。 「しっかり、気をつけろ」  と、五井が叫んだが、そのときには、足の下は急角度に傾き、四少年はずるずると滑ってからだの中心を失った。 「あッ、落ちる」  どすんと投げだされた。次々に投げだされた少年たちだった。びっくりして、呼吸がとまった。が、気がついてみると、あたりは今までのような半くらがりではなく、昼間の光がどこからか、さしこんでいた。そして、そこは板の間だったではないか。  少年たちは、次々に起きあがった、腕をさすっているのは二宮、腰をおさえて、顔をしかめているのは六条、頭をしきりに振っているのは四本、平気な顔は五井だった。 「これはどうしても、時計屋敷の中だね、表からはいらないで、へんなはいり方をしたものだ」  五井が、いった。  そのとおりだった。妙なところから、地下を経て送りこまれたのだ。これも時計屋敷の最初の主人公ヤリウスの秘密の設計なのであろうか。  あとから考えると、四少年が、こんな裏口の道から時計屋敷の中へはいりこんだことは、むしろ幸運であった。というのは、この時計屋敷の正面からはいりこむことは、たいへん困難なことであった上に、危険がいくつも待っていたのだ。  裏口の道にも危険な仕掛が用意されてあった。しかし今ではそれがもう役にたたない。仕掛が故障となっているためだった。だから四少年はまず無事のうちに、屋敷内に送り込まれたのである。もっとも、少年たちはそういう事情について全く気がついていなかった。 「奥へ行ってみよう」 「ちょっと待った」と四本がとめた。 「このまま進むことは危険だ。そこでロープでもって、ぼくたちの身体をしばっておいた方がいいと思う。つまりロック・クライミング──岩のぼりのときと同じように、もし一人が危険におちいったら、あとの者がロープをたよりに、助けあうのだ。そうすれば、とつぜん落とし穴へ落ち込むようなことはなくなるだろうと思う」  この四本の考えは、もっともだったので、他の少年たちも賛成して、たがいの身体を、ロープでしばることになった。  先頭は五井、次が六条、それから二宮、しんがりが四本だった。そしておたがいを結ぶロープの長さは三メートルとした。そして、危いと思われる場所へかかったときには、その間隔で展開することとし、別に危険がなさそうなところでは、普通に、寄りそって進むことにした。  こうして、四少年は屋敷の奥へ向かって前進をはじめた。 「たしかに、この屋敷の建て方は、一風かわっているね、間取も、奇妙だ」  四本が、あたりを見まわして、感じたことをもらした。 「気味がわるいね」  と、他の少年たちも相づちをうった。 「西洋建築は、普通は、扉で仕切られるようになった部屋の集りで、その部屋の外には、通路として廊下がついている。ところが、この時計屋敷の間取りをみると、そういう扉式の仕切がすくない。原則としてカーテンで仕切ってある。カーテンをひらけば、どの部屋も廊下も、みんな一つのものになってしまう。これはヨーロッパでも、暑い方の国が採用している古風な建築法だよ」  四本は、おもしろいことをいい出した。 「するとヤリウスという人は、ヨーロッパの暑い方の国の人の血をひいているのかい」  二宮が、感心のていで、口を出す。 「そうだ、多分ポルトガル人かイスパニア人の血を受けているのかも知れない」と四本はまじめな顔つきをした。 「ところが、あそこなんか、襖がついている。奥には障子のはいっているところもある。これはきっと、この屋敷を左東左平が買ったあとで、手入れしたものらしいね」 「なるほど、イスパニア式では、日本人は住みにくくてしかたがなかったんだろう」  五井が、うなずいて、いった。 「だから、これからの探険では、今いったことを頭において、よく注意をはらっていくのがいいと思うね。そして左東左平が手をつけたところは、まず、安全だと思っていいし、ヤリウスがやったままの部屋などに対して、十分注意したほうがいいと思うね」  四本は、さすがに目のつけどころがよかった。    時計塔への道 「それでは、今日の目標第一は、時計塔として、塔の頂上まであがってみようじゃないか」  五井は、一同の顔を見まわした。 「ああ、行こう」  少年たちは、武者ぶるいした。 「すると、塔へあがる階段を見つけるんだ。行こうぜ、いいかい」 「いいとも」  前進を開始した。  かびくさい部屋をいくつか通った。  色のさめたカーテンに手をかけると、紙のようにベリベリとさけた。そして頭上からどっと何十年の埃が落ちて来た。少年たちは、そのたびに息がつまった。  そのうちに、大きな部屋に出たと思ったら、そのむこうに階段がみえた。螺旋形に曲った広い階段で、その真中には赤いジュウタンがしいてあった。そのジュウタンのふちは黒であった。 「ああ、あれだ、時計塔へのぼる階段は──」  少年たちは階段の下へかけつけた。 「気をつけてのぼるんだぜ、ちゃんと間隔をとって登ろう」  そこで四少年は、ロープの間隔をおいて、五井から順番に階段をのぼりはじめた。  やがて五井が、階段を中二階までのぼり切った。そのとき、しんがり四本が、階段の第一段に足をかけた。  この階段は、まず異状がなかった。  次は、中二階から二階へあがる階段だ。これは今までの半分位の短い階段だった。先頭を五井がのぼる。  がたん。  大きな音がして、「あっ」と五井の叫び、五井の身体は、階段の中ほどに、とつぜん開いた穴の中へもんどりうって消えた。 「あっ、しまった」  六条が前にのめる。  二宮が、うわッといって悲鳴をあげる。 「うぬッ」と、しんがり四本が顔を真赤にして、そこへ伏せる。「みんな、その位置を動くな」  幸いにも、五井は救いだされた。他の三名が、早く身体を伏せたからよかったのだ。 「ああ、ひやっとした。いったいこの屋敷には、落とし穴がいくらあるんだろう」  五井は、落し穴からひっぱり上げられると、にこにこ笑いながらいった。彼は、ようやくこの種の冒険になれて、もう大しておどろかなくなったらしい。  他の少年にも、危険とたたかう自信ができたようだ。このようなやり方で、少年たちは階段を一つ一つ征服していった。  階段は上になるほど狭くなり、そして粗末になった。もうジュウタンなんか見られなかった。板ばりに塵埃や木の葉がたまり放しであった。だがそこにも落とし穴が二つも仕掛けてあった。 「なるべく階段の端を通った方がいいようだ、まん中を歩くと、落とし穴の仕掛が働くらしい」  四本は、早くも階段の秘密を見ぬいた。  いよいよ時計塔の中へ、先頭の五井は足をふみこんだ。階段はいよいよ狭くなり、人がひとりやっと通れるくらいだ、そして天井は高いが、室内はまっくらであった。懐中電灯の光をたよりに、あがっていくよりほかなかった。  その光の中に、複雑な機械が、照らしだされた。今はもう死んだように動かなくなったこの時計屋敷の大時計の機械らしい。少年たちは、今こそ古い秘密と向かいあったのだ。    高い天井 「みんな、心をしっかりもっているんだよ」  先頭にすすむ五井が、うしろの連中に、最後の注意をあたえた。 「うん、大丈夫だよ」 「心配するな」 「ほんとに、おちついて、しっかりしてくれよ、どんなお化けが出たって、こわがってはだめだよ」 「こわがるくらいなら、ここまで来やしないよ」 「そうだ、そうだ」  みんな、いせいのいいことをいう。しかしみんなの声は、気のせいか、すこしふるえをおびていた。  五井が合図に、綱をひいて、それからむこうを向いて、せまい階段をのぼりだした。なにが、この時計台の上に待っているだろうか。  四少年の影法師が大きく壁にゆらぐ、みんなの足音が、気味わるく反響する。  ふいに、頭の上にばたばたと音がして、こっちへとびついて来たものがある。 「あッ」 「出たぞ」  大きな鷲のような影が、壁にうつった。 「コウモリだ。心配するな」  一番下にいる四本が、声をはげましていった。 「なんだ、コウモリか」  五井が持っていた竹の杖をぴゅうぴゅうふりまわす。すると、さわぎはさらに大きくなった。コウモリは一ぴきではないらしい、四五ひきはとんでいるようだ。 「コウモリがいるくらいなら、あとは大したものがいないだろう」  四本が、そういった。 「ほんと、きっと、外に何にもいないんだね」  四本の前の二宮が、ふりしぼったような声でたずねた。 「まあ、多分そうだろう。しかし五井君の方を注意していた方がいいよ」 「ああ、そうだ」  二宮の足は重いらしく、四本のすぐ前で立ち停りそうな足どりである。 「上まで来たよ、何にも出てこないや」  五井の声が、上の方で安心したような響きをつたえる。 「えッ、何にも出てこないか、ふーん」  二宮はほっとして、階段に腰を下ろしてしまった。すると四本がそばへよって来た。 「おい二宮君、このいきおいで、早く上まであがってしまおうよ。のぼりたまえ」 「え。いいじゃないか、上には何にもないと、五井君がいっているもの」 「じゃあ、君はここにいたまえ、ぼくは上までのぼる、ロープはといてしまうからね」 「う、待った。ロープをといちゃいけないよ、ぼくも上へのぼる」  四人はついに上までのぼった。  そこは、時計の機械のまうえになっていて、二メートル平方ほどの板の間になっている。上を見上げると、煙突の内側のようになって、まだ五六メートルの空間が少年たちの頭上にあった。電灯をその方へさしつけてみたが、天井のあることと、そのまん中あたりに、鎧でもぶら下げるためにつけてあるのか、大きな鈎が一つ見える。その他ははっきり見えない。 「あそこまでのぼってみるのが本当なんだけれど、どうする」  五井が、頭の上をさしていった。 「ぜひ、みたいものだ、しかし、下から長いはしごを持って来る必要があるね」  六条が、そういった。 「ぼくは、時計台の天井は調べる必要はないと思う。だって、あの上は建物の外へ出るだけだからね。それよりも、時計の機械を調べたいね。なぜ、そして、どうして、この時計は停ってしまったのか、それを知りたいね」  四本が、こういって、反対の説をもちだした。 「時計のことよりも、この屋敷へはいって行方不明になった北岸さんなんかの安否を調べるのが第一の目的なんだから、やっぱり時計台の天井までのぼって、そのへんに何か隠れ穴でもないか、調べた方がいいよ」  五井は、六条が同意したので、あくまで天井を調べたいといいはった。 「じゃあ、手分けをしてやればいいよ。君たち二人は天井を調べ、ぼくと二宮君は時計の機械を調べる」 「さんせい、ぼくは時計の方だ」  二宮が叫んだ。  そこで四人は、二手に分れることになったが、まだロープをとくところまでいかない前に、とつぜん意外なことが起こった。 「あ、地震らしいぞ」 「うん、これは大きな地震だ」 「あ、こんなところにいては、あぶないね」  がたがたと、四少年のいる板の間は大きくゆれだした。天井からは、土のようなものがばらばら落ちて来た。時計の金具が、ぎしぎしきしむ。四少年は、たがいに抱きあって、ゆれがおさまるのを待とうとしたが、そのとき板の間がめりめりと音をたてて、ぐらりと傾いた。  あっという間に、四少年は、傾いた板の間からすべり落ちて、下へ墜落していった。さっきはちゃんとしていた階段が方々ではずれていたので、少年たちはどこまでも下へ落ちていった。    地震が奇縁  そのままでは、少年たちは下で頭をぶっつけて死ぬか重傷を負うか、どっちかであったろう。  だが、幸運というのか何というか、途中で、階段が裏がえしになって、斜めに空間にひっかかっていたのにぶつかった。そしてそれにぶつかったはずみに、すぐ前の壁の穴の中へずるずると滑りこんだ。 「あッ」  身体の平衡をとりもどすひまもない。一同は、はずみのついたボールのように、もんどりうってくらがりの闇の中へ叩きつけられたが、幸いにもそこは身体にやわらかくあたった。 (畳がしいてあるな)  と気がついた。そしてぷーんと、かびくさい匂いが鼻をうった。  やっと気が落ちついて、口がきけるようになってみると、懐中電灯は四本のものの外、全部がなくなっていた。さっき落ちるとき手から放したのであろう。  そのただ一つの電灯で、四本はみんなの顔をてらした。  五井も六条も、顔にすり傷をこしらえ、土にまみれたまっくろな顔をしていたが、まず無事だった。二宮だけは、目をまわして、のびていた。  だが、ちょっと介抱すると、二宮も気がついた。大したことではなかったらしい。 「どうしたんだろう。ここはどこかな」 「居間の一つらしい、暗くてよく分らないが、あそこからあかりがもれる。雨戸か窓か、とにかくあれをあけてみよう」  五井が立ちあがったが、すぐぶったおれた、ロープが彼をひきとめたのだ。 「もうロープの用はない、とこうや」 「よし」  少年たちは、ロープをときにかかった。 「おや、なにか、あやしい音がしているよ、五井君、四本君、六条君、あれは何だろう」  二宮のおびえた声だ。 「あやしい音がするって」 「あれは時計の音だよ、さっきからしているんだ」  かった、かった、かった。  ゆっくりと同じ周期で同じ音がくりかえされている。たしかに時計らしい。 「時計は停っていたはずなのに……」 「さっきの地震のせいで、久しぶりに、動きだしたんだろう」 「ああ、そうか」  ロープをといた、それから五井は、さっき見かけたあかりのさしこむところまで、行ってみた。四本の電灯で、それをよく見ると、となりの部屋との間のすき間らしい。  だが、となりの部屋へは、かんたんに行けそうもなかった。それは、壁がしっかりしているばかりか、ひきあけるにも、何の穴もなかった。つまりここはこの部屋にいる者が、勝手にあけたてするところではなかったのだ。  五井たちはがっかりしたが、なおも希望を捨てずに、この部屋を探しまわった。この部屋は、がらんとしていて、何一つおいていない部屋だった。戸もなければ、襖もない、あるのは厚い壁ばかり、天井は太い木で組合わした格子天井いったいこの部屋はどこから出入りするのか分らない。 「あ、窓があるよ、あそこにある、空気ぬきかもしれない」  六条の目が、天井に近い隅っこに、鉄格子の小さい窓らしいものを見つけた。しかしこの窓からは、あかりがはいってこなかった。鉄格子の外に、窓をふたしているものがあるのだ。 「あれを、叩きやぶろうじゃないか、するとあかりがはいって来るかもしれないよ」 「よろしい。それでは、元の場所まで行って、階段のこわれたところから、材木でも見つけてこよう」  そのときだった。  とつぜん大きな音をたてて、鉦が鳴った。かーン。 「あ、なんだろう」  ぎりぎりと音がして、また、かーンとひびいた鉦の音。  四少年は思わず一つところにかけ集った。    久しぶりの報時 「なあんだ、あれは、時計が鳴りだしたんだ」 「えッ、時計か、ほんとか」 「時計だよ、時計はさっきから動いていた、だからちょうどいいところへ来れば、音をたてて鳴りひびくはずだ」 「三つうったね、三時だ」 「そうだ、三時だ、ほんとうの時間は、今何時ごろだろうか」 「やっぱり三時ごろじゃないかな」 「気味のわるい音だね、この時計台の時計のひびきは……」  そういっているとき、つづいて思いがけないことが起った。  それは、さっき見つけた空気穴らしい小窓のふたが、ひとりでに、ぱっとあいた。そしてそこから、さっとあかるい光線がさして来た。 「あ、あの窓があいたよ」 「だれが、あけたんだろうか」 「みんな警戒するんだ、きっと、このあと、なにか起るぞ」  五井が叫んだ。 「ほら、もうなにか起っているよ、そこの壁が動いている」  四本の声だ。 「え、壁が動いているって」 「そうだ、窓の左手の壁だ、壁全体が上へあがって行く」 「あ、そうだ。みんな、うしろへ下れ、危険だぞ」  五井は、みんなを壁と反対のうしろへ下げた。その間にも壁は音もなく上にあがってゆく、そのむこうに何があるのか、あいにく、その奥はまっくらで、何の形もみとめることができなかった。  壁はだんだんあがっていった。天井の中にはいってしまうのであろうか。  やがて、壁はあがり切った。  ことんと音がしたと思ったら、今あがった、壁のむこうの部屋が、急にあかるくなったのだ。どこかに、あかり窓があって、それがあいたものらしかった。  さて四人の少年は、次の部屋に何を見たろうか。 「あッ」 「なんだ、あれは……」  少年たちは、めいめいの心の中に、かねて聞いていた左東左平の妻お峰と娘千草らしい二体の白骨が、寝床によこたわっているという例のものすごい光景を見るのではないかと思っていた。  ところが、その予想ははずれた。  少年たちが見たものは、古ぼけた洋風の実験室らしいものだった。  いくつかの台があり、その上にいろいろの形をしたレトルトやビーカーや蛇管が、それぞれの架台の上にのっている。たくさんの壜がある。  古い型の摩擦電気を起す発電機らしいものもある。炉らしいものもある。ふいごが三つもころがっている。  棚には、本や薬品の壜らしいものも並んでいる。椅子が一つ横たおしになっている。他の腰掛は、ちゃんとしている。  壁に、額縁が一つ、ひんまがって掛っているが、その中には、かんじんの絵がはいっていなかった。いや、はいっていないわけではない。そこにはいっていた油絵らしいものが、切りとってあった。それは肖像画らしかった。    八木君目ざめる  話は、八木のことにもどる。  八木君は、空井戸の中にひとりぽっちとなり、心細くなっていた。空井戸の底から上を見上げたとき、井戸の上あたりで、鬼火が二つおどっているのを見て、びっくりした。そこまでの話は、前にしておいた。  八木君は、肝玉のすわっている方であった。けれども、青白い鬼火がふわふわと宙におどっているのをこんな場所でしかも心細いひとりぽっちで見物したんでは、あまりいい気持ではない。 「あああァ……」  と、八木君は声をあげて、地下道をまた奥の方へ逃げこんだ。  そこで彼は小さくなって、土の壁にもたれてかがんでいた。恐ろしさに気がつかれ、その上に、ここへはいってからの活動のつかれも一時に出て来て、八木君はいつとも知らず睡りこんでしまった。  それからどのくらい時間がたったか、八木君は知らなかった。  夢の中に、カーン、カーン、と天主教会の鐘がなるひびきを聞いた。大司教さまが、盛装をしてしずしずとあらわれた。と、下から清水がこんこんわき出して……。 「あッ、水が出てきた」  八木君は目をさました。  気がついてみると、あたりは水だらけになっている。お尻も足も、水づかりだ。  なぜ急に、こんなに水が出てきたのか。  八木君は、立ち上った。そして足もとに注意し、耳をすました。水は、だんだんふえて来る様子だ。すこしはなれたところで、どうどうと音がしている。それから水がわいて来るものらしい。 「このままでは、溺れてしまう、なんとかして、水の出るのをとめることはできないかしらん」  八木君は、この期におよんでも、あわてることなく、冷静を保っていた。  ざぶざぶと水をわたって、八木君は、水のわいてくると思われるところへいってみた。  あいにく、まっくらで分らない。  彼が持っていた懐中電灯は、いつの間にか水づかりとなって、ボタンをおしてもあかりがつかなかった。  そのくらやみの中で、八木君は足でさぐりながら、出水口の様子をしらべた。 「うむ、すごいいきおいで、水が下からわいてくる。これはきっと、上にタンクがあって、タンクの水がながれこんでくるんだな」  あとで分ったことであるが、これはタンクにたまった水と同じような種類であるが、じつはそれとはくらべものにならないほど多量の水をたくわえているところから、こっちへ流れこんで来たのである。それは泉水の大きな池であった。  そうでもあろう、水のいきおいはもうれつであった。とても水の出口をふさぐことはできないことが分った。たとえ八木君が、自分のお尻をそこへ持っていって、出口を力いっぱいふさいだにしても、一分間ももちきれないであろう。  さすがの八木君も、すこしあわてないわけにはいかなかった。  また、ざぶざぶと水をわたって、空井戸の下へ行ってみた。そして上へ向けて「おーイ、おーイ」とよんでみた。  だが、それを聞きつけて、井戸の上に姿を見せた者はひとりもなかった。 (おいてけぼりになって、こんなくらいところで土左衛門になるのか、いやだなあ、うん、もっと、頭をはたらかせて、逃げ出す道を探そう)  絶望におちいりやすくなった自分の心を一所けんめい激励して、八木君は、はじめいた奥のところへもどってきた。  そこには、上からわずかながらも、あかりが照らしている。開きそうもないが、扉がある。また人だか鬼だか分らないが、頭の上の厚いガラスの板の上を、何者かが歩いているのを見たことがある。八木君は、そこからなんとかして死地を脱する道を発見したいものだと考えた。  はたして、それはうまくいくであろうか。    水地獄  八木君は、もう一度、一番奥の重い鉄扉のところへいってみた。  いろいろやってみたが、扉はびくともしない。たたけば、こっちの手が痛くなるだけであった。八木君は、あきらめた。  ただこのとき、彼は一つの発見をした。扉の上に、うき彫りになって、牡牛がねそべり、そしてその牡牛はこっちを向いて、長い舌を出しているのが、とりついていることだった。八木君は、むりをして、扉の一角に足をかけて、扉の上までのぼってみたのである。  この牡牛のうき彫りが、単なる装飾であるのか、それとも何か外に意味があるのか、そのとき八木君には答を出している余裕がなかった。  次の手は、ガラス天井を破ることであった。ガラスはそうとう厚いようであるから、ジャック・ナイフしか持っていない彼に、はたして破れるかどうか、見込みはうすかった。  このとき水かさはまして、八木君の乳のあたりから下をひたしていた。いやな思いである。もう五十センチも水かさが増せば、いやでも土左衛門だ。働くのは今のうちだ。  八木君は、ガラス天井の下で、かたわらの土壁へジャック・ナイフをたてて、土を掘りだし、足場を作りはじめた。つまり土壁に、段をつけるのである。そしてその段をのぼって、ガラス天井へ近づこうという考えであった。これはうまい考えであるように見えて、じつはなかなか困難なことであった。せっかく一段を掘り、次にその上の第二段目を掘っていると、水かさがましてきて、はじめの第一段をひたしてしまう。  これは残念と、八木君はそれへ足をかけようとしたが、水がはねて段はずるずるにぬれ、八木君がそれへ上ろうとして力をいれると、とたんに足がすべって、どぶんとその身は濁水の中に落ちてしまった。そして彼は、いやというほど泥水をのまされた。  時間は迫る。 「だんだん苦しくなるぞ、それよりか、泥水の中にすっぽりつかって、早く溺死してしまった方がどんなに楽かしれないよ。君、早く死んだがいいよ」  死神の声であろう。そのことばは、早く楽になるから溺死しなさいと誘惑している。 「いやだ、死ぬまでに、まだまだやってみることがあるんだ。お気の毒さまねえ、死神君」  八木君は元気をふるい起して、もう一度あらためて、土の壁に段をきりこんでいった。  やがてそれはできた、彼は、こんどは失敗しないで、段の上へよじのぼることができた。そしてガラス天井に、はじめて手をつけた。それはひやりとして、思ったよりは、ずっと厚かった。  失望するのは、死のちょっと手前のことにして、八木君はさっそくジャック・ナイフでガラス天井をつきあげた。  きいーッと、いやな音がして、ナイフはガラスの表面をつるりとすべった。ガラスの方がナイフより硬いのだ。  ナイフの柄の方をかえし、それを金づちがわりにして、下から、がんがんとたたいてみた。ガラス天井は、そのままだった。ナイフの柄についていた角材がかけた。これもだめだ。 「まだもう一つ、やってみることがある。ガラス天井の端まで掘ることだ。そこまで掘れば、上にあがる穴ができるかもしれない」  八木君は、最後の望みをこのことにかけていた。  ガラス天井が土壁にささえられている。そこを横に掘っていくのだ。彼は、刻々にましてくる水面をにらみながら、ジャック・ナイフの刃を水平にして、ガラス天井の下を横に深くえぐっていった。ナイフの刃とガラスがいきおいよくぶつかって、赤い火花が見えることもあった。そしてガラス天井の下は、だんだん奥深く掘れ、八木君のからだが横にはいれるほどになった。  八木君はそれをよろこんだ。  が、すぐ次に絶望が待っていた。  というのは、土の壁の奥が、はっしと音がして、そこにあらわれたのは巨大なる岩であった。その岩を掘ることはできない。最後の希望をかけて、彼はガラス天井の端を上へおしあげてみた。だが重いガラス天井は、びくともしなかった。 「ああ、もうだめか」  八木君ががっかりして頭をさげると、頭は濁水の中にざぶりとつかり、彼はあわてて頭をあげた。するとごていねいに、頭をガラス天井にいやというほどぶつけてしまった。  水は、あと十センチばかりで天井につくんだ。彼の生命もついにきわまった。  それまではりつめていた気持が、絶望と共にいっぺんにゆるんだ。八木君は意識をうしない、からだはぐにゃりとなって水の中に沈んだ。  もう、おしまいだ。    覆面の囚人  だが、もし他の人がいて、この場の光景をもうすこし眺めていたとしたら、その人は、意外なる出来事にぶつかって、大きなおどろきにうたれたことであろう。  八木君は、もはや死体のようになってガラス天井のすぐ下に水づかりになっている。八木君がそうなるすこし前から、ガラス天井の上では、ひとりの人物が活躍していた。  その人物は、両足を重いくさりでつながれていた。そしてそのくさりの一端から、また別のくさりがのびて、太い鉄の柱をがっちりとつかんでいた。  その人物は、昔西洋の僧侶が着ていたようなだぶだぶの服を着ていたが、すそは破れて、膝のすぐ下までしかなかった。そしてやせこけて骨と皮ばかりになった足首を、鉄のくさりがじゃけんに巻いていた。その人物は、顔にお面をかぶっていた。頭の上から口のところまで、まっくろになった重そうなお面をかぶっていた。あごから下はお面はなかったが、そのかわりに、とうもろこしのようなひげがもじゃもじゃと、のび放題になっていた。  そういう怪人物が、ガラス天井の上で、さっきから活躍していたのだ。  彼は見かけにあわない力を、そのかまきりのようにやせさらばえた身体からひねり出し、鉄の棒をてこにつかって、大きな土台石を動かそうとして、一所けんめいやった。  その土台石の奥には、すでに大きな穴が用意されてあった。それは多分この鉄のくさりにつながれた怪しい囚人が、ひまにまかせて、これまでに掘っておいたものであろう。土台石の一個が、ついにくるりと一回転して、奥の穴へころがりこんだ。  と、どっと濁水が侵入してきた。  怪人は鉄の棒を放りだして、ガラス天井に腹ばいになると、岩がなくなって出来た穴の中へ、細い長い腕をつっこんだ。  間もなく、怪人は、 「おおッ」  と、うなった。そして全身の力をこめて、穴から何か引っぱりだした。もちろんそれは八木少年の身体であった。  少年のずぶぬれになった上半身が、穴から出て来た。  怪人は、ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、両手をつかって少年の身体を、なおも引っぱり出した。  それは成功した。  八木少年は、意識をうしなったままではあるが、濁水から完全に救いだされ、ガラス天井の上にびしょぬれの身体を横たえた。  怪人は、よほどつかれたと見え、八木少年のそばにどんと尻餅をつき、はっはっと大きく呼吸をはずませた。そのとき、怪人は苦しい呼吸をつくために、顔をあげた。すると彼が顔につけているお面がはじめてはっきり見えた。それは見るからにおそろしい死神のお面であった。まわりを黒い布でつつみ、その奥に、半ば骸骨になった死神の顔がのぞいている──というマスクであった。  何人であろうか、こんなおそろしいお面をつけて、こんなところに鉄のくさりでつながれているのは。  かなり永い間、怪人は呼吸をはずませ、肩を波のように上下し、指でのどをかきむしり、苦しみつづけていた。そのうちに、ようやくおさまったものと見え、ふらふらと立ち上った。そして鉄の棒をとって、土台石を動しはじめた。元のように土台石を直そうというのであろう。  八木君は、溺死したのではなかろうか。土台石を元へもどすよりも、早く八木君をかいほうしてもらいたいと、この際、誰でも思うであろう。ところが怪人は、そんなことは捨ておいて、土台石を元のとおりに直すことに夢中になっているように見えた。そして、その間にも、ときどきうしろをふりかえって、このガラス廊下の入り口の方を気にしていた。    語る怪囚人  怪囚人は、一息いれると、八木少年のそばににじりより、気を失っている少年をよびさまそうとつとめた。  少年は、やっと気がついた。そしてきょろきょろと、あたりを見まわした。 「あ、あなたは?」  怪囚人は、しっかりと少年を抱えていて、はなさなかった。そして仮面をかぶった自分の顔を見られまいと、顔をそっぽに向けていた。 「もう心配ありません。きみの生命、助かりました」  怪囚人は聞きにくいことばで、少年をなぐさめた。 「ああ、そうだった、ぼくが地下道の中で溺死するとき、あなたはぼくを助けてくだすったのですね。ありがとう、ありがとう」 「そうです。私、君を助けました。君はかわいそうでありました。私は自分のためにこしらえてあった、脱走の穴を利用して、きみを救いました」 「えっ、脱走ですって、あなたは誰です」  八木少年は相手の腕をおしのけて、相手をよく見ようとした。怪囚人は、もはや自分の姿を見られることをさけようとはしなかった。 「おお、あなたは……」  八木少年はびっくりして、うしろへとびのいた。おそろしい顔だ、太い鉄鎖でつながれている囚人だ。極悪の人間なのであろう。なんというおそろしいことだ。  だが、次の瞬間、八木少年は前へとび出すと、死神の面をかぶった囚人の膝に、がばとすがりついた。そして涙と共に、おわびをいった。 「すみません、あなたは、ぼくの生命の恩人です。その恩人に対し、ちょっとの間でも、ぼくがおそろしそうに、後へ身をひいたことはおわびします」 「その心配、いりません。私、おそろしい仮面をつけています。私の姿、おそろしいです。君がにげようとしたこと、むりではありません。しかし、私、悪者ではありません。不幸にして、悪人のためにとらわれ、ここに永い間つながれているのです」 「ああ、そうでしたか、いったい、どうしてそんなことになったのですか、あなたは、どこの何という方ですか」 「くわしい話、あとでいたします」 「今、話して下さい」 「今、話すこと、よろしくありません。そのわけは、たいへん急ぐ仕事があります。そしてその仕事は、きみの力でないと、できないのです」  怪囚人は、そういった。しかし八木少年にはのみこみかねた。急ぐ仕事というのは、いったい何のことであろうか。これをたずねると、怪囚人は、こういった。 「おどろいてはいけません。この屋敷は、このままでは、あと一時間とたたないうちに、大爆発をして、あとかたもなくなってしまいます」 「えっ、この時計屋敷が、あと一時間とたたないうちに大爆発をするんですって、それはたいへんだ。この屋敷には、たくさんの人たちがまよいこんでいるのです。ぼくの友だちも四人、この屋敷にはいっています。そういう人たちを助けてやらねばなりません。ああ、そうだ、その前に、ぼくはあなたを助けます」 「お待ちなさい、その人たちを助けること、なかなか困難と思います。それよりも、君に急いでしてもらいたいことは、その大爆発が起らないようにすることです」 「なんですって、この屋敷の爆発が起らないようにすることも、まだ出来るんですか。それはどうすればいいのですか」 「それは、今動いている大時計をとめることです」 「えッ、あの大時計をとめるって……あ、大時計は動いているんですね。いつ、あんなに動きだしたんだろう」  八木少年は、どこからともなくひびいて来る大時計の時をきざむ音に、はじめて気がついて、おどろいた。 「大時計は、すこし前に鉦を三つうちました。このままでは、あと一時間ばかりして、四つうつでしょう。四つうてば、この屋敷は、こなみじんになるのです」 「それはどうしたわけですか」 「わけを説明しているひまはありません。君は早く大時計をとめて来るのです」 「いったい、どうすれば、あの大時計をとめることが出来るのですか」 「子供の力では、出来ないかもしれぬ。いや今、君に行ってもらう外に、方法はないのだ。もっとこっちへよりなさい。大時計の仕掛はこうなっている……」  と、怪囚人は、鉄の壁へ、釘の折れで、大時計の図をかきだした。    大発見  話は、四人の少年たちの方へうつる。  地震のあとで、放りこまれた部屋の一方の壁がするすると上にあがって、そのむこうにあらわれたのは、ほこりの積った古風な実験室みたいな部屋であり、そこに一つ額縁が曲ってかかっていたが、その中の油絵はまん中が切りとられていて、なかったこと、そしてそれはどうやら人物画らしいことなど、すでに諸君の知っているところである。 「おどろいたね。どこへいっても、からくり仕掛ばかりの屋敷だ」  あまり物事におどろかない五井少年も、こんどはおどろいた様子。 「なんだろう、この部屋は。錬金術師の部屋みたいだが、おい、四本君。これは君のお得意の科目だぜ」  六条が、四本の背中をつっつく。 「ふん。たいへん興味がわいてくるね。でも、ぼくには、これがなにをする部屋だか、さっぱり分らないよ。どこから調べたらいいのかなあ」  四本は、部屋の中を歩きまわる。  もう一人の二宮少年は、あいつづいて起るおどろきの事件に、すっかり心臓を疲らせたと見え、ふだんのお喋りがすっかり無口になって、青ざめた顔で、みんなのそばを離れまいとして、ふうふういいながらついてくる。 「ははあ、こんなものがあったぞ」  四本が、とつぜん頓狂な声をあげたので、のこりの少年たちは、彼の方へ寄っていった。 「これは何だか分るかい」  と、四本が、棚に並んでいたガラス壜の一つをとりあげて、みんなに見せた。中には、黄いろ味をおびた、やや光沢のある結晶している石がはいっていた。 「知らないね。いったい、それは何だ」 「これは、昔から日本にもあるといわれてたが、そのありかはなかなか知れていない水鉛鉛鉱だよ」 「すいえんえんこう、だって。それは何だ」  こうなると四本の話をだまって聞くより手がない。 「これは昔たいへん貴重なものとして扱われた鉱石なんだ。つまりこの中には、モリプデン──水鉛ともいったことがあるね──そのモリプデンが含有されているんだ。ここまでいえばもう分ったろう。モリプデンの微量を鋼にまぜると、普通の鋼よりもずっと硬いものが出来るんだ」 「ああ、モリプデン鋼のことか」 「大昔は、刀鍛冶たちが、行先を知らせず、ひとりで山の中へはいりこみ、一ヶ月も二ヶ月も家へかえらないことがあった。それは刀鍛冶が、この水鉛の鉱石を探すために山の中へ深くはいりこむのだ。そしてその場所を見つけても誰にも知らせないで、自分だけの用に使っていた。しかしその刀鍛冶が年をとって死にそうになると、ひそかに自分のあとつぎの者におしえたこともあったそうだ。とにかく、この水鉛鉛鉱が、この部屋には、あっちにもこっちにもおいてあるんだ。この謎を君たちはどう解くかね」  問う少年の瞳も、聞かれる少年たちの瞳も、共に輝いて、水鉛鉛鉱の上に集まる。 「ふん、分った。この屋敷を建てた混血児のヤリウスは、水鉛鉛鉱を売って儲けたんだろう。貿易もしたのだろう」 「そうだろうねえ」と四本も相づちをうち「なにしろ水鉛鉛鉱というものは、世界においてもめずらしい鉱石なんだから。……それからもっと謎を解けないかしら」 「そのヤリウスが、うまい商売を捨てて、なぜどこかへ行ってしまったんだろう」 「そのことなんだ。ぼくの想像では、ヤリウスは、水鉛鉛鉱がかなりたくさん出る場所を知っていたんだと思う。その証拠には、この部屋だけにでも、あっちにもこっちにも、たくさん標本や見本の鉱石が、無造作においてあるからね。ほら、そこの隅には、樽にいっぱいはいっている」  なるほど、小さい酒樽であったが、その中にいっぱいはいっていた。  少年たちが、感心して樽の中をのぞきこんでいるとき、大時計の音が、ゆっくり、かちかち聞えてきた。  ところが、あと五分足らずで、この屋敷は大爆発を起すことになっていた。四少年の中には、それに気がついている者は一人もない。あと、たった五分だ。  大危険は迫っている。  それなのに、その大危険の時刻を知っている八木少年はどうしたのであろう。    牡牛の扉  八木少年は、ふと吾れにかえった。  彼は、小暗い階段の下に倒れていた。  気がつくが早いか、さっと頭をかすめたことは、怪囚人から教えられたことだ。ことに、この屋敷が、もう一時間とたたないうちに大爆発をするというおそろしい危険のことであった。  大時計を、すぐにとめなくてはならない。  そのために、自分は怪囚人に別れて、急いでガラス張りの道路を、怪囚人に教えられたとおり、走りだしたはずだった。それにもかかわらず、なぜ自分はこんなところに倒れているのであるか、訳が分らなかった。  足もとを見ると、そこにはやはり厚いガラスがはってあった。すると怪囚人のいたところから、ここまでずっと同じガラス張りの通路がつづいているのにちがいない。  彼はうしろをふりかえった。怪囚人の姿が見えるかもしれないと思ったからである。怪囚人は自分がこんなところで滑るかなんかして倒れたままでいるのを、遠くから見ながら、やきもきしているのではなかろうか。  そう思って、奥をすかして見たのであるが、奥はいよいよ暗く、それに通路が曲っているので、怪囚人の姿を見ることができなかった。  そこで八木少年は、前進することにきめ、階段をかけあがった。  階段をのぼり切ったところに、頑丈な扉がしまっている。錠がおりていると見え、押せど叩けどびくとも動かない。 「困った!」  が、そのとき彼は救われた。扉の上に、牡牛の像が、うき彫りにつけてあったからだ。  彼はのびをして牡牛の舌を指先でつきあげた。  すると、奇妙なことに彫刻の中の舌がひっこんだ。と同時に、ぎーッと音がして重い扉は向こうへ開いた。 「あッ、ありがたい」  牡牛の舌を下からつきあげると扉があく。このことは、怪囚人が教えてくれたことの一つであったのだ。  そこを急いで越えて前方を見ると、すこし通路を行ったところに、またもや上へのびる石の階段があった。  八木少年は、どんどんと階段をあがった。階段の上には、頑丈な扉があった。前と同じようであった。その扉の上には、やはり牡牛のうき彫がとりつけてあった。前に見た二つの牡牛の像もそうだったが、どれもすこしずつ牛の姿勢がかわっていた。  だが、どの牛も舌をだらりと出していた。それを上へおしあげると扉が開くことは、このたびも同じことであった。  同じようなことを五六回くりかえすうちに、さすがの八木少年も、息がきれ、頭がふらふらになって、ぶっ倒れそうになった。しかもまだ、教えられたとおり、大時計の歯車と振子のあるところまでつかないのであった。  このとき八木少年は知るよしもなかったけれど、大時計は四つの鉦をうつ五分前のところをさしているのであった。  そして八木君が、大時計の振子と歯車のあるところに出るには、まだ四つの扉を開いて急階段をかけあがらなくてはならなかったのである。はたして今はふらふらの八木少年は、間にあうだろうか。  時計屋敷の崩壊を前にして、大時計はますますおちついた調子で、こッつ、こッつと、時をきざんでいく。  もしこの時計屋敷が、あと五分足らずの間に爆発すれば、少年たちも、その前にいった村人たちも、また八木君を救った怪囚人もみんな死んでしまうことになる。また時計屋敷の秘密も、すっかりうしなわれてしまうのだ。  あます時間は、あと四分ばかり。  さて、どうなることであろうか。    無我夢中  無我夢中とは、このときの八木少年のことだった。  迫るこの時計屋敷の爆発時刻、間にあわなければ自分ももろともに屋敷の瓦礫の下におしつぶされてしまうのだ。しかしもしも間にあって、あの大時計をとめることができればたくさんの人の生命を救い、そしてこの大きな古い由緒ある建物をまもることができるのだ。八木少年は、爆発を今とめることのできるのは自分だけであると思い、一所けんめいに階段をかけあがり、扉の錠をはずして又階段をあがり、又新しい扉にぶつかっていった。  大時計の下に出ることができたときは、うれしく涙が出た。  その涙をはらいおとして、八木少年は、大時計のゆらりゆらりと動いている大きな振子に抱きついて、両足をつっぱった。  大時計は、ぎいッと音をたて、歯車はごとんと停った。  その時、大時計の針は、鉦を四つ鳴らすちょうどその一分前のところを指していた。 「やあ、八木君だ」 「ほんとだ、八木君が時計の振子にぶら下っている」  さっき八木君が階段をがたがたと踏みならしてかけあがっていったそのあらあらしい音を、実験室にいた四少年は聞きつけて、とび出して来たのだった。 「ああ、うまく会えたね。よかった。ちょっと手をかしてくれたまえ」  八木君は、みんなの手を借りて、振子からはなれることができた。  彼は、この時計がもうすこし動いていたら、この屋敷は大爆発したことだろうと、怪囚人から聞いたことを話した。四少年は、それを聞いておどろいた。そしてその怪囚人のところへ行ってみることになった。  ところが、どうしたわけか、さっき八木君が開いて通って来た扉が、彼が閉めもしないのに、ぴったり閉っていた。それを開こうとしたが、なかなかあかない。秘密錠になっている牡牛の彫刻があるかと探したが、そんなものはなかった。もちろん鍵穴もない。いろいろとやってみたが、扉はついにあかなかった。 「これはめんどうだ、時間がかかる、あとのことにしよう」  と、四本がいい出し、ほかの者もそれにさんせいしたので、あとまわしになった。そして五少年は、実験室をしらべる仕事をつづけることになって、そっちへ動き出した。 「あ、あの振子を、あのままにしておくのは、心配だ。振子が動きださないように、縄なんかでしばっておきたいが、縄はないかしらん」  縄はなかったが、細い紐が実験室にあったのを思いだした者があって、それをとって来た。そして五少年みんなで力をあわせて、重い大きな振子を紐でむすんで、その紐の他の端を階段の手すりにゆわきつけた。こうしておけば、振子は動かないから安心していられると、みんなはそう思った。  みんなは、元の実験室へもどった。  はじめてその部屋を見る八木君は、四本君の話を聞いて、目をかがやかせた。そしてしげしげとこの部屋を見まわした。 「へんだね、その額は……」  と、八木君がいった。 「ああ、へんだね。絵が切ってあるところが、へんだというのだろう」  六条君がいった。 「いや、そのことではなくて、切ったカンパスの裏に板がはりつけてあることだよ。板がはりつけてあるなんて、めずらしいことだ」  そういいながら八木君は、腰かけの上にのって、傾いているその額縁を両手でつかんで裏を見た。 「む、この額のうしろの壁には穴があいているよ。穴の向こうに、部屋があるらしい。やあ、たしかに部屋だ、うす暗いけれど見えるよ」  四少年はびっくりして、腰かけにあがっている八木君の足もとにかけ集った。    意外な人  いったい、それはどんな部屋であろうか。額のうしろの秘密の穴から出入りできる部屋であるから、ただの部屋ではあるまい。 「かまうことはない。どんどん、はいってみようよ」  少年たちは元気であった。  そこで額を横へひっぱって、うしろの穴から、少年たちは中へはいっていった。  うす暗い部屋、ぷーンとかびくさい。畳がしいてあるが、すっかりくさって、ぶよぶよである。  目が暗さになれてくると、少年たちはその部屋のひろいのに気がつき、それと同時に、その部屋のまん中に、鉄格子があるのを発見した。  鉄格子というよりも鉄の檻といった方がいいであろう。その鉄格子は、床と天井とをつらぬいていた。 「あっ、檻の中に人がいる!」  二宮君が悲鳴をあげて叫んだ。 「なに、人だって」  みんなこわごわ檻の方へ寄って、中をのぞきこんだ。なるほど人が倒れている。洋服を着ている男らしい。何者か。  四本君がこのとき懐中電灯の光を、檻の中の人の顔にさしつけた。 「おや、骸骨だよ。骸骨が洋服を着ている」 「手も、白骨になっている」  檻の中で死んでいる人物は、やはり囚人でもあろう。しかも年代がずいぶんたっているらしい。洋服を着ているところから見ると、外国人であろうか、それとも当時の新しがり屋であろうか。 「まさかヤリウスの白骨死体じゃなかろうね」  六条君がいう。 「ヤリウスはこの屋敷から出ていったのだ。だからヤリウスではないよ」  五井君の推理だ。 「しかし、この屋敷から出ていったヤリウスから、その後たよりが来たという話もないじゃないか。だからヤリウスがここで白骨になっていても、つじつまはあうわけだ」  四本君は、とっぴな説をたてる。  そのとき八木君が檻の中を指した。 「見てごらん、白骨の右手のそばに、手帳みたいなものが落ちているじゃないか。あれをこっちへひっぱり出して、中を読んでみたら、なにか秘密が分るかもしれないよ」  八木君の発見はすばらしかった。棒を檻の中へさしこんで、その手帳をかきよせた。そしてその中を開いてみると、えらいことが書いてあった。それは今日まで外部には全く知られていない、この時計屋敷の秘密であった。  要点だけを書きぬいてみると、次のようになるのであった。 「わが犯せる罪のため、ついに私の上に天罰が下った。今や私はこの檻の中で餓死するばかりだ。  ざんげのために、わがおそろしき罪を記しておく。私は主人ヤリウス様がどこからか持ち出してくる貴重な水鉛の鉱石に目がくれたのだ、私はそれを横領しようとした。その水鉛のありかも分ったように思ったので、或る夜私はヤリウス様の寝所を襲ってこれを縛りあげ、地下牢の中へほうりこみ、鉄の鎖でつなぎ、顔にはおそろしい死神の仮面をかぶせた。  世間に対しては、とつぜんヤリウス様がこの土地を去られたことを告げ、雇人も全部解雇し一人のこらずこの土地にとどまることを許さなかった。そのために私は相当な金を使った。  私はひとりとなって後、いよいよ巨万の富をひとり占めするつもりで屋敷を後にして水鉛の埋蔵されている場所へ入ったが、それは私の思いちがいで、本当の埋蔵場所ではなかった。私は屋敷へ帰ると、地下牢の囚人ヤリウス様を責めて、その場所を語らせようとしたが、ヤリウス様はなんとしても語らなかった。  私は金に困ってきたので、やむなくこの屋敷を左東左平に売った。私は金を受取ってこの屋敷を立ちのいたと見せたけれど、実はすぐ秘密の地下道からこの屋敷の中へもどった。  この屋敷には、ヤリウス様のお好みによって作られた秘密の部屋や通路や仕掛るいがたくさんある。そのことは左平には話してなかったので、私はその秘密の部屋にかくれて暮すことができる。そしてそれからもヤリウス様を責め、あるいは自分でいろいろ書類などを調べ、水鉛の埋蔵場所を知ろうとしたが、だめだった。ところが、左平はいつどうして気がついたのか知らないが、この屋敷に自分たち家族以外の者がいることをかんづいた。そこで秘密の部屋を探すのに熱心になった。  探し出されては困るから、私はあべこべに左平をおどかすことにした。いろいろな怪異を見せて彼と彼の家族をおどかした揚句、先に左平の妻と娘を殺し次に左平を殺した。そして左平の妻と娘は奥の座敷に寝ているようにつくろい、左平は時計の器械のそばで首つりをしているようにつくろったが、すべて私がやったことだ。  それは、この屋敷に怪談をつくるのが目的であったが、私の計画は図にあたって、村の人々はこの屋敷へはいって来て、左平一家のむざんな最後を見、おどろいてしまった。そして時計屋敷の怪談がひろくひろがったのだ。  ところが、私にも天罰の下るときが来た。それは私がヤリウス様が絶対秘密にしていた実験室を発見し、それにつづいてその隣りの一室よりこの部屋へ額のうしろからはいれることを知った直後、この部屋の秘密を調べるため、畳をあげようとしたとき、とつぜん大きな音がして天井からこの鉄格子の檻が下りて来て私を中へ閉じこめてしまったのだ。それが私の悪運のつきだった。  それでも私は、この檻から出て生きのびるためいろいろなことをやってみたが、すべてだめであった。屋敷の中にいるのは、地下につないであるヤリウス様と、檻の中の私とだけである。村人はこわがって、誰一人として近づかない。左平をぶら下げた以来とまったままの大時計が、うまく動き出して鳴ってくれ、村人を呼びあつめてくれたらと祈ったが、それもかなわぬことだった。  私は天罰の下ったのを知った。そして今や死にのぞみ、わが罪をざんげして、おゆるしを乞う。最後ののぞみは、誰かが地下から、ヤリウス様をすくい出してくれることだが、これもはかない望みだ。私はヤリウス様をも同様に餓死させて、最後に主人殺しの罪を加えることになるのだ。そう思うと私は、自分の罪のおそろしさに気が変になりそうになる。  神よ、あわれなるわがたましいを救いたまえ。   明治四年十二月 門田虎三郎」    大団円  門田虎三郎の遺書だった。  白骨になって檻の中に倒れているのは、門田虎三郎だったのである。  それは何者であろうか。  記憶のよい読者は、この門田虎三郎が、ヤリウスの家扶であったことをおぼえていられることと思う。 「おそろしいことだねえ」  五人の少年は、目と目を見合わせた。 「しかし、これで時計屋敷の秘密は、ついにとけたわけだ」  時計屋敷の秘密はとけた。  そうであろうか。いやいや、悪人門田家扶の遺書によってとけたのは、この屋敷の秘密の一部にすぎない。門田が知らない秘密が、まだこの屋敷に関してまだまだ残っているではないか。  水鉛鉛鉱の埋蔵場所はどこだ。  ヤリウスの最期はどうであったか。  それと八木君が地下道の奥であった死神の仮面をかぶった怪囚人との間には、なにか関係があるのか。  その二人は同一人ではあり得ない。ヤリウスが今もし生きていたら百歳をはるかに越すわけで、そんなことはあり得ないと思う。  北岸さんたちは、今どこにどうしているのだろうか。あの大時計が四時をうてば大爆発するというが本当だろうか。もし本当ならそれは誰が仕掛けたのか、ヤリウスが仕掛けたものなら、それはなぜであったか。  こうして拾ってみると、この時計屋敷には、まだまだ大きな秘密が残っている。それが全部とける日は、いつのことであろうか。  その一つは、間もなくとけた。  というのは、少年の中で耳のはやい二宮君が、この部屋のどこかで、とんとんとんという音が、かすかではあるがするのを聞きつけたのがはじまりだった。  それと知って五少年は、部屋中を探しまわったあげく、天井の隅のところが震動して、かすかに壁土が落ちてくるのを発見した。 「あッ、天井の上に、誰かいるんだ」  方々探しまわった末、天井の上にあたる部屋から救いだされたのは、永らく行方をたずねられていた北岸をはじめ七人の村人だった。その人たちは、あやうく餓死の一歩手前で救われたのだった。  腹ぺこのかすれ切った声で、彼らが語ったところによると、七人の村人はこの屋敷の中へはりいこんで、その奇々怪々なる部屋部屋を見て歩いているうちに、とつぜん床が落ち、あッという間に一同はこの部屋へ落ちこんだのだ。出るには壁が高くて出られず、そこで一同は今までそこに閉じこめられていたのだという。  北岸たちは、この屋敷を一刻も早く出たがった。日の光を見、いい空気をすいたい。それから、うまい水ものみたい、と少年たちに訴えた。  そこで少年たちは、北岸たちを両わきから抱えて、時計屋敷の外へつれだした。それがために、少年たちはいくども往復しなくてはならなかった。  その仕事の最後は、北岸を、八木君と四本君が抱きかかえて出ることだった。その三人が、屋敷の窓から外へ出たとき、とつぜん地震が襲来した。  かなり強い地震であったが、前に起った地震の余震であるにちがいなかった。  その話をしながら、三人が庭の方へすこし歩いたとき、八木君が、 「ちょっと、しずかに」  と、おどろいたような声を出し、それから、北岸さんの身体から手を放すと、その両手を耳のうしろへひろげ、くるっと頭をあげて大時計を見上げた。  かち、かち、かち、かち……。  かすかながら、聞えてくる音があった。 「たいへんだ。大時計が動いている。早くにげなくては……」  大時計が動き出したのは、今の余震で、振子をしばっていた古い紐がぶっつりと切れ、それで振子は大きくゆれだしたのだ。 「たいへんだ。時計屋敷が爆発するぞ、溝の中へかくれろ」  大時計が動きだせば、わずか一分ばかりの後に大爆発が起ることが予想された。たった一分間だ。みんなのあわてたのも道理であった。  まちがいなく一分後に、時計屋敷は大爆発し、天にふきあがり、崩壊し去った。砂塵のようになった破片がおさまると、さっきまで見えていた大時計台が、どこへけし飛んだか姿を消していて、屋敷跡へ目を向けた者の背筋を冷くした。  五少年と七人の村人は、あやういところを助かった。  このへんでこの物語の筆をおかなくてはならないが、まだ二つばかりお話しすることが残っている。  その一つは、水鉛鉛鉱の埋蔵場所というのは時計屋敷の真下だったことである。爆発の跡を探しているうちに、大地が掘れて、その鉱脈のあるのが発見された。  もう一つは、八木君を救ってこの屋敷の秘密を教えた怪囚人のことであるが、八木君は、あの硝子の床のある地下道がそっくり残っているのを見つけて、そこへはいっていった。しかしふしぎなことに、見おぼえのある鉄の鎖と死神の仮面は見つかったが、かんじんの怪囚人の姿はなかった。  怪囚人は、どうなったか。その謎だけは、今もなお解けない。 「あれはヤリウスさんの幽霊だったかもしれないよ」  と、八木君は結論をこしらえた。 「いや、もう溺死しそうになってから、君は恐怖のために、しばらく気がへんになっていたんじゃないか、だから会いもしない怪囚人に会ったように思っているのじゃないか」  四本君がそういった。 「どうも分らないね」 「とにかくふしぎなことだ」 「世の中のことは、なんでもみんな答が出るというわけにはいかないよ」 「水鉛鉛鉱の鉱脈が見つかったのは、思いがけない大手柄だったね」  そこで、少年たちは晴れやかにほほえんだ。 底本:「海野十三全集 第11巻 四次元漂流」三一書房    1988(昭和63)年12月15日第1版第1刷発行 初出:「東北小国民」    1948(昭和23)年5月~10月    「AOBA」(「東北小国民」改題)    1948(昭和23)年11月~12月 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:tatsuki 校正:kazuishi 2005年12月3日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。