白峰山脈縦断記 小島烏水 Guide 扉 本文 目 次 白峰山脈縦断記     緒言  前年雨のために失敗した白峰山登りを、再びするために、今年(四十一年)は七月下旬高頭式、田村政七両氏と共に鰍沢へ入った、宿屋は粉屋であった、夕飯の終るころ、向い合った室から、一人の青年が入って来た、私たちが、先刻から頻に白峰、白峰と話すのを聞いて、もしやそれかと思って、宿帳で、姓名を見てそれと知った、というので同行を申し込まれたのである、大阪高等工業学校の生徒、倉橋藤次郎氏である、一人でも同行者を増した心強さは、言うまでもない。  翌朝例の通り、人夫を僦って、西山峠を越えた、妙法寺の裏から、去年とは違った道──北海とも、柳川通りともいうそうだ──を登った、そうしてデッチョウの茶屋の前で、去年の登り道と一ツに合った。  このたびは霧がなかった、紫の花咲くクカイ草、蘭に似た黄色の花を垂れるミヤマオダマキが、肉皮脱落して白く立っている樅の木を、遠く見て、路傍にしなやかに俯向いている、熊笹が路には多い。  四方の切れた谷を隔てて、近くに古生層の源氏山を見る、去年は、どうしてこの山が、気が注かなかったろうと思う。  峠が上り下りして、森らしくなる、杜鵑がしきりに啼く、湯治の客が、運んだ飜ぼれ種子からであろうが、栂の大木の下に、菜の花が、いじけながらも、黄色に二株ばかり咲いていた、時は七月末、二千米突の峠、針葉樹林の蔭で!  苔一面の幹を見せて、森の樹の蔭には、蘭が生え、シシウド、白山女郎花、衣笠草などが見える、しかし存外、平凡な峠だ、樹も思ったより小さいし、谷は至って浅い、去年の霧の中に炙り出されたものは、梢一本さえ、どこに深く秘されたのだろう、夢から醒めたようだ、これじゃあ、森林などというほどではなかった、霧の嘘つき! と嘲った。  温泉はやはり、新湯に泊まった、去年(四十年)秋、笹子峠のトンネルを崩壊し、石和の町を白沙の巷に化して、多くの人死を生じさせた洪水は、この山奥に入ると、いかばかりひどく荒れたかということが解る。温泉附近の路が酷くくずれている、宿の前で嗽いをした筧の水などは、埋没してしまっている。  例の晃平を主として、四人の猟師を雇って出発した。  早川から黒河内、榛の河原、それから白剥山と、前年の路を辿ったときに、洪水からの荒廃は一層甚だしかった、まるで変っている、川筋はもとより、山腹の道などは、捩じり切って、棄てたように谷に落ちている、大村晃平、同富基、中村宗義などいう、土地で名うての猟師を連れたのだが、どのくらい路を損したり、無益に上下したかは解らぬ。  白剥山の入口などは、解らなくて、森の中を一行が、離れ離れに迷うばかり、滝上りまでもやった、一時は絶望に近かった、しかし山腹に辿りついてからは、去年の路が、微かに見分けが出来た、頂は存外変りがなかった。  そうして一行は東俣谷の、オリットの小舎に着いた、私が恐い、怖ろしい念いをしながらも、もう一遍後髪を引かれて見たいとおもった小舎の前の深潭は、浅瀬に変って、水の色も、いやに白っちゃけてしまった。  ここを出立点として、改めて稿を次ぐ。     川楊(大井川の上流)  前夜は、東俣の谷へ下りて、去年と同じくオリットの小舎に野宿をした。  今朝は、四時半に眼がさめる。禽の、朗かに囀ずる声は、峰から峰へと火がつくようである。寝泊りした小舎の頭の、白花の咲く、ノリウツギの間からも起る。サルオガセの垂れる針葉樹の間からも、同じように起る。この声の行くところ、水と、石と、樹と、調子を合せて、谷間の客を揺り起す。間の岳(赤石山脈)の支峰だと晃平のいう蝙蝠岳は、西の空に聳えて、朝起きの頭へ、ずしりと重石を圧えつける。  小舎の前の渓水に嗽ぐ。水は、南へと流れる。当面の小山を隔てて、向は、西俣の谷になる。私たちの、これから溯ろうという、東俣の谷と、西俣の谷とは、下流三里のところで一つになり、初めて田代川──馬子唄で名の高い、海道一の大井川の上流──となって、西南の方向へと、強い傾斜を走って行くのである。  晃平は、前の川へ釣綸を垂れて、岩魚一尾を得た。これをぼつぼつ切にして、麩と一緒に、味噌汁にして、朝飯を済す。それから、昼弁当の結飯をこしらえ、火に翳して、うす焦げにして置いて、小舎の傍から挘って来た、一柄五葉の矢車草の濶葉に一つずつ包む。何という寛濶な衣であろう、それをまた……おそらく、谷初まって以来であろう、燃えるような、紫の風呂敷に包ませて、出かける。  谷といっても、旱つづきの時は、水が涸れて、洲が露れるし、冬になれば、半分ほども水が落ちるというのに、今までの雨つづきで、水は、嵩にかかって、蜥蜴色に光りながら、迅り切って流れている。膚の細い、黄い石や、黒い石の上を辷ると、思いなしか、沈んだ、冴えた声をして、ついと通る。この谷を一回、大きい徒渉をやる、つづいて二回の小徒渉をやる。深いところは、稀に膝以上まで水が来るが、頭の平ったい、太鼓の胴のような大岩や、頭だけ、微に水面に露している石が、入り乱れて立ったり、座ったりしているから、大概は、石伝いで飛ばされる。そうして、水はこれらの石の間を潜り、上を辷って蜿ねる。細い皺が網を打ったようにひろがる。さざ波は綱の目のように、水面に織られる。その大網の尖端は、紐のように太く揺れて、アール・ヌーボー式の図案に見るような、印象の強い輪廓を作って、幾筋となく繋がっては、環を作る。やがて柔らかな大曲りをして消える。痕を残さない、濃さと淡さの碧が、谷から舞い上る霧のほむらに、ぬらりと光る。さわると、鱗でも生えていそうな水だ。いかにも足が冷たい。膝がざぶりと入った……その中に、尻まで深くなる。ここを「捩じれ窪」というそうだ。霧は、頻に、頭の上を飛ぶ。空気も、その重さに堪えないで、雨を、パラパラ落して来る。  次第に、谷が蹙って来る、水は、大石の下に渦を巻く。深いところは紫を浅いところは藍を流している。白い沫が、その上を回転して、両崖の森林を振りかえりながら、何か、禍の身に迫るのを、一刻も早く遁げたいというように、後から後から、押し合って、飛んで行く。潭石の下には、大さ針の如くなる魚が、全身、透き通るように、青く染って、ぴったりと、水底に沈んでいる。水の面には、生の動揺といった象が見えている中に、これはまた青嵐も吹かば吹け、碧瑠璃のさざれ石の間に介まって、黙んまりとした死の静粛! それでいて、眠っているのではない、どこか冴え切って、鋭く物に迫るところがある。鰭一つ動かすときは、おそらく、水紋が一つ描かれ、水楊の葉が一枚散り、谷の中には大入道のような雲がぬうっと立ち昇って、私たちを包んで、白くしてしまうときであろう。私は、この深谷の幾千本針の針葉樹よりも、はた幾万斛の水よりも、一寸の魚が、谷の感情を支配していないとは言えなかった。  潭が深くて、渉れないから、崖に攣じ上る。矢車草、車百合、ドウダンなどが、栂や白樺の、疎らな木立の下に、もやもやと茂っている。川床に突出する森の下蔭は、湿りっ気が、最も多いかして、蘇苔が、奇麗に布かれている。気紛れに、そこへ根を卸したような五葉松は、仰向けに川の方へ身を反らして、水と頷ずき合って、何か合図をしている。崖下の黯い水も、何か喚きながら、高股になって、石を跨ぎ、抜き足して駈けている。崖の端には、車百合の赤い花が、ひときわ明るく目立つ。この花を、山家の少女の衣模様に染めたらば、などと思いながら、森を出て、河原に下り、太い逞しい樹の蔭に立った。  仰向いて見ると、その樹は、川楊である。章魚の足のような根を、川砂の上に露していながらも、倒れずにいる。シバヤナギ、タチヤナギ、いろいろな名があろう、幹の皮は、皺だらけで、永年洗い落したことのない垢……青苔が、厚くこびり粘いている。夜になると、この筋の根に、一本一本神経が入って大手を振って、のさり、のさり、谷の中を歩きそうだ。川に沿いて、両側に森がある。森には、樅や樺の類が茂っている。しかし、川の中まで足を踏み入れて、人間を嗅ぎ出して、突き倒し兼ねないのは、この川楊ばかりだ。何となく、いやな樹だ。  谷のことだから、水を横に切っては、右側へ移ったり、左側へ寄ったりする、私の前には、猟師が、鍋や米袋をしょって行く。腰に括ってある紫の風呂敷が、揺れると、強烈な色彩の波動が、流水の震動と一つになって、寂しい谷が、ぱっとなる。 と、眼の前に、ふわりと、雪の粉が落ちる……七月末の炎天である……直ぐ、水に吸い込まれて消える……また、頬を掠めて、ふわりと飛ぶ。信濃の浅間山、飛騨の硫黄岳、遠くの火山から、吹きなぐれた灰でもあろうか……空は曇り切って、どんよりと、眠むそうな顔をしている。何だろう、今のはと、眼と眼を見合せる。鶺鴒が、もの忘れから気が注いたといった風に、石の上から、ついと飛ぶ。  ふと、頭の上を見ると、谷に冠さるようにのさばって、古い、大きな、先刻のと同類の楊の梢が一本ぶらりと垂れている。その梢に、一面のほうけた絮が、風もないのに、氷でも解けるように、はらり、はらりと、落ち散るのであった。  その後、春になって、街道に青く角芽ぐむ柳の糸を見るたびに、大井川上流の深谷に秘められて、黙々と、皺だらけな、深刻な顔を、水に覗かせている老楊が……ああ、今もなお、鮮やかに眼に。  前夜の小舎から半里ばかりの間は、水もかなり深くて色も鮮やかである。水成岩の峡間を流れるだけあって、どこか、赤石山下の、小渋川に似ている。小渋川よりも、川幅が狭くて、谷地が、かえって濶いだけに、徒渉の回数は少い、深山の渓流としては、先ず安楽な方で、小渋川や、槍ヶ岳の蒲田谷などとは、深さと、急と、嶮しさとにおいて、到底、比べられない。  なお半里も来て、下氷瀬というところになると、枯木と、石の欠片の沙漠地で、水は、細く、片寄せられて、流れている。川は、やがて、左に折れて、農鳥山支脈の峡間に入って、益す狭く、石が次第に多い。うしろを振りかえると、そそり立つ山──森林で埋まる山にふさがれて、川は、全く、両山迫れる間の、凹流になってしまう。蝙蝠岳から来る瀬が一筋、ここで合う。これを上氷瀬という、バロメートルを見ると、実に海抜二千三百米突、あまり高過ぎるから多分狂っているのであろう。  深潭が、また一つある。川は、底を傾けて、水を震うので、森の中まで、吹雨が迷い込んで、満山の樹梢を湿す。白樺や五葉松は、制裁もなければ、保護もなく、永えに静粛に、そして厳格に、造化の大法を、寸分容赦なく行ってゆくように、この自然の王国から、定まれる寿命を召されて、根こそぎに、谷の中にたわいなく倒れている。床几代りにまた腰をかけて、少し休む。河原の砂に、点々として、爪痕のあるのは、水を飲みに下りた、鹿の足痕であると、猟師はいう。同行の高頭君は、退屈紛れに、杖を沙上に揮って、それを模写していた。自然は欺かれず、人間の智能は、鹿の足痕一つをだに描き得なかった。  昨夜は、この旅行で、初めての野宿で、睡眠不足であったためか、私は眠くなった。風は峡間にどこからともなく漲って来て、樹々の葉は、婆娑婆娑と衣摺れのような音を立てる。峡谷の水分を含んだ冷たい吐息が、頬や腮にかかる。川の水が子守歌のように、高くなり、低くなって、私たちの足音を消して、後から追い冠せて来るときには、一行はまた、森の中の人となっていた。森の中には款冬の濶葉が傘のように高い。ドウダンツツジの葉と、背向きになって、翠い地紙に、赭っちゃけた斑が交ったようだ、何枚も、何枚も、描き捨てられた反古のような落葉が、下に腐って、半ば黒土に化けている。  また河原へ出た。もう時刻だから、紫の風呂敷を開ける。矢車草の葉包が釈かれて、昼のものが腹に入った。空は、もう泣き出しそうになって、日の眼を見ないから、手が凍える。焚火に暖まっていると、きょうは、七月の二十三日だのに、という声が、一行の中から洩れた。  それから、幾度も川の水を避けて、森に入ったり、河床へ下りたりする。森の枯木は、白く尖って、路を塞いでいるので、猟師は、先登に立って、鉈で切っ払う。太い、逞ましい喬木でも、心が朽ちているから、うっかり捉ると枝が折れて、コイワカガミや、ミヤマカタバミの草の褥へ俯ったりする。また、幹には苔が蒸して、皮は土より柔く、ぼろぼろに腐っているから、生あるものの肌のようで、ぬらりと滑り、ぐちゃりと触れて、いやな気持がする。  谷は、益す迫って来る。手を伸し合う針葉樹は、格子縞を、虚空に組み合せている。その間を潜って、霧の波が、さっと寄せると、百年の古樹は、胴から上を、蝕ばまれるように、姿を持って行かれる。樹の下は、皆石である。石の上に、根を托さぬ樹は少い。その石も、樹も、皆、水の威力に牽引されているようで、濶々とした河原に、一筋水が走っている。この水のみが、活物の緑を潜めているかと思われる。およそ、山の中の氷の下から、数珠を手繰るように落ちて来る、峡間の水ほど力の強い、自由の手も少いであろう。そうして、未だ、深秘の故郷にいるかのように、足踏して跳り狂っている。根曲り竹も、楊の根も、樅の肌も、はた長くしな垂れるサルオガセも、その柔嫩の手に、一旦は、撫でられぬものはない。華麗と歓楽とを夢みるように、この雪白く、氷堅き北方の閉鎖から解かれて、南方の奢侈を、立ち姿や、寝像にまで現して、昼となく、夜となく、おそらく、千年も万年も、不断の進みをつづけているのだ。ああ、本洲の比類のない水成岩山、その高きこと、一万尺、古生層地の峡間を流れる水! この氷の解放に伴って、いくばくの犠牲を、要求されているかは、河原の荒涼粛殺を見たまえ。性なきまでに白げられたる、木の骨──というより外に、与える名がない──と、砂に埋まれた楕円石や、稜角の鋭いヒイラギ石やは、丁度、人間の屍骸が、木乃伊となって、木偶か陶製の人物か、区別が見えないと同じように、原性を失って、唯一自然の平等相に復帰している。そのいたましい最後の均一!  私たちは、互に、言語もなく、眼と眼とを見合せて、すさまじい荒廃の姿に顫えた。  森谷沢という一筋の小川が、左から流れて、落ちるところあたりから、谷というよりも、沢の方へ近くなり、両側の山の頭が低くなって、天が俄に高くなった。これらの山を踏まえて、農鳥山の支峰、白河内岳が、頭を出す。名にし負う白峰、赤石、両大山脈が、東西に翼をひろげて、長大の壁をたてめぐらし、互に咫尺する間に、溝のように凹まった峡谷は、重々しい鉛色の空であるから、まだ一時半というのに、黄昏のように、うす暗い。前夜の小舎よりは、二里の余も来たろう。  とうとう大雨が降って来た。私たちは、森の下蔭に身を潜めて、小止みを待っている。雨嫌いな私は、鰍沢で、万一の用心にと、買って置いた饅頭笠を冠り、紐の結び方で苦心をしているうちに、意地の悪い雨は、ひとまず切り上げてしまって、下界を覗く空の瞳がいまいましいまでに冷たい。また、二回の徒渉をして、広河内へと達した。  私は、このような狭苦しい谷の中で、このような広濶な地を見られようとは思わなかった。広河内のあるところは、東俣の谷の奥の、殆んど行き止りで、白峰山脈と、赤石山脈の間が、蹙って並行する間の、小い盆地である。丁度、白峰山脈からいえば、農鳥山の支峰の下で、河原から、赤石山脈の間の岳とは、真面に向き合っている。両山脈の相対する間隔は、直径約一里もあろうか、間の岳の頂までは、この河原から一里半で達せられる。岳の裾から河原へは、灰色の沙が、幾町の長さの大崩れに押し出している。全く洪水よりも怖しい沙の汎濫である。絶頂から山越しに向へ一里半も下りると、中股というへ出られる。なお一里で、小西股の材木小舎に出て、そこから八里ばかりで、この旅行の発足点とした、湯島温泉へ下られるということであったから、もし天候が嶮悪で、白峰山脈縦断が、覚束なかったら、その路を取って、引き返すはずにして、きょうは天候も悪いし、これから農鳥山に登る間に、適当の露宿地がないというので、まだ早いが一泊することにした。猟師は楓の細木を伐り朴し、枝葉を払わないままで、柱を立て、私たちの用意して来た、二畳敷ほどな油紙二枚を、人字形に懸けて、家根を作る。それから、樅や、栂の小枝を、鉈で、さくりさくり伐り落して、鮮やかな、光沢のある、脂の香気が、鋭敏に鼻感を刺戟する、青葉の床を延べる。ふっくりと柔く、尻の落ちつきがいい。同行八人の寝室も、食堂も、ここで兼ねるのである。早速、焚火にかかって、徒渉に濡れた脚絆を乾すやら、大鍋を吊して湯を沸かしたりする。  広河内の土地のありさまは、中央日本アルプスの聖境、上高地の中、島々方面から徳本峠を下り切った地点に、よく似ている。大沢が、濶く、峡間に延びて、峡流の分岐したのが、幾筋となく蜿ねり、枯木が、踏み砕かれた、肋骨のようになって、何本も仆れている。水に漂流したまま、置いて行かれたのであろう。そうして、山榛の木、沢胡桃などが、悄然と、荒れ沢の中に散在している。栂、樅、唐檜、白樺などは、山の崕に多く、水辺には、川楊や、土俗、水ドロの木などが、疎に、翠の髪を梳っている。七月の炎天も、この谷間までは迫って来ないと見えて、白剥山を一つ超えて、東俣の谷へ来ると、未だ若葉、青葉の新緑が、生々しかったが、ここまで溯ると、濶葉、細葉は、透明を含んだ、黄の克った、明るみのある嫩い緑で、霧の雫にプラチナのように光った裏葉を翻えしている。峰には未だ、残の雪がかっきりと、白く浮き上って見えるほどである。一体に、谷は、四月の末か、五月頃の柔々しい呼吸で充ちていて、大きな声を出すのすら、いたいたしいようだ。しかし、駒鳥の錘を投げるような鋭い声は、沈滞がちな、中層の空気を引っ掻き廻している。  飯の準備をしているうちに、驟雨が一としきりあって、雷鳴が近くに聞えたが、夜に入って、星が瞬いた……かと思うと、淡い、軽い霧が、銀河のように空に懸る。焚火の烟は、油紙の屋根の継ぎ目から洩れて、白い柱が立っては崩れ、風に折れて地を這いながら、谷中を転げてゆく。火が、ぴしぴし、音を立てて、盛に燃え出すと、樺の立木の葉が、鮮やかに、油紙の屋根に印して、劃然とした印画が炙り出される。晃平が、先刻、未だ日の暮れないうち、朝飯の菜にとて、山款冬数十茎を折って来たのを、みんなして、退屈凌ぎに、繊維を抜いては、鍋へ投げ入れる。世間話がはずむ……夜半になると、焚火は、とろとろと消えかかる。寒気の強いのと、明日の天候が気になるので、眼がよく覚める。  露営地の外では、細長い爬行動物──この谷の主──東俣の川──が、蜿ねりながら太古の森林の、腐れ香に噎んで、どこまで這って行くことであろう。     白花石楠花と高根薔薇(白峰山脈の一角に立つ記)  ゆうべは、まんじりともしなかった、油紙の天井を洩れる空に、星が閃めいていれば、明日の好霽を卜されるので、仰むようにして悦ぶ、その次に覗くと、星どころではない、漆黒の空である、人の心も泣き出しそうになる、しかし暁天までには、焚火のとろとろ火に伴れて、穴へでも落ちたようにグッスリと寝込んでしまった、眼が覚めると鳥の声がする、谷間に「ひんから」「ひんから」と響きわたる、それが年久しく谷川の底に沈んでいる、透き通った、白い冷たい、磁器の魂が啼くのでもあるようだ。  起きて見ると、霧が団くなり、筋になり、樹の間から立つ、森からも、谷底からも、ふわりと昇る、例の山款冬の茎を、醤油と鰹節とで煮しめて、菜にする、苦味のない款冬である、それから昨夕の残飯に、味噌をブチ込んで「おじや」を拵えて啜る、昼飯の結飯は、焚火にあてて山牛蒡の濶葉で包む、晃平の言うところによると、西山の村では、この牛蒡の葉を、餅や団子に捏ね入れて、草餅を作るそうだ、蓬のように色が好くはないが、味は宜いと。  一夜作りの屋根──樅の青枝を解き施して、焚火に燻ゆらしてしまう、どんなに山が荒れても、この谷底まで退かない決心である、脂の臭いのする烟は、シュウシュウと呻りながら霧に交わって颺ってゆく。  川に沿いて、一、二丁も溯り、正東の沢へと入る、石の谷というよりも、不規則に、石を積み累ねた階段である、石からは水が声を立てて落ちている、石の窪みには澄んだ水が湛えている、その上に、楢の葉が一枚、引き扯って捨てた紙片のように、浮いている、自然という無尽蔵は、何物をも、こうして惜しげなく、捨てるのだ、これからの深林もそれだ。  石の谷の中途から、路を奪って針葉樹林に入る、唐檜や栂やの純林である、樹は大きくはないが、ひょろひょろ痩せて丈が高い、そうして油気の失せた老人のように、はしゃいだ膚をして、立っている、十五、六年前に、一度伐採したことがあるのだそうで、その痕跡の仆木が、縦横に算を乱している、そうして腐った木に、羊歯だの、蘇苔が生ぬるく粘びついて、唐草模様の厚い毛氈を、円く被せてある、踏む足はふっくらとして、踵が柔かく吸い込まれる、上へ上へと高くなるのであるが、段々暗い地の底へ吸い込まれるようだ。  向って蝙蝠岳の残雪が、銀光りに輝いて、その傍に三角測量標が、空を突いて立っている、間の岳(赤石山脈)は森に隠れて見えない、冷い風が、暗い穴からでも来るように、ひいやりと吹く、鳥はひんから、ひんからと、朗らかに囀ずる、登るに随って、蝙蝠岳はほぼ正西に、間の岳は北西に、いずれも残雪白く、光輝を帯ぶ。  稀に痩せた白樺が交って来た、傾斜は二十五度位であろう、幸いなことには、岩が少なくて、黒く滑らかな土ばかりだから、足の躓くおそれがない、白檜も現われて来た、痩せ細って、痛々しい、どこを見ても、しッとりした、濡れたような、温味がない、日は天に冲して、頭の直上に来ているが、深林のために強烈な光線が、梢に遮られ、反抗されて、土まで落ちて来ない、峡谷の底は見えないが、サルオガセを長く垂らした針葉樹が、梢と梢とを抱き合い、すくすく躍って、私たちに向って来る、その茂りの下から、水の声が、ザーッと、雨でも流すように、峰を伝わって追いかけて来る、間の岳と蝙蝠岳とは、いつしか峰つづきになって、蝙蝠岳の残雪は、下で仰いだような、一条や二条ではない、数斑の白が、結晶したように劃然と碧空を抜き、鮮やかに、眉に迫って来る。  今朝の小舎からは、もう一里余も来たであろう、深林の中に踏み均らした小径がある、晃平は「こりゃ鹿の路だあ」と言って、目もくれずに先へ立って登る、禿木の枯れ切った残骸が、蒼玄い針葉樹林の間に、ほの白く見える、死んでも往生が出来ないという立ち姿だ、霧がフーッと襲って来て、樹々の間を二めぐり三巡ぐりして、白檜の梢に、分れ岐れになり、ひそひそと囁き合いながら、こっちを振り返って、消えてしまう、間の岳と蝙蝠岳の峰々の繋がりは、偃松であろう、黯緑の植物で、繍ってあって、所々に白雪の団々が見える、この赤石山脈の大嶺は、始終私たちを瞰下して、方幾里の空中を、支配する怖ろしい王さまででもあるように、蜿蜒と深谷を屏風立に截ち切っている、そうして肩から雲を吐く、雲は梢に支えられて、離れ離れではあるが、私たちの頭へと、徐ろに集まって来るらしい、鳥はひんから、ひんからと啼く。  傾斜が次第に急になる、白檜も段々小さくなる、谷々の風が吹き荒んで、土をくずし、樹を吹き折り、上から押し流すので、傾斜がなお急になるのであろう、また一筋の路が深林の中を横ぎっている、何でも奈良田の人が、材木を盗伐するために、拓いたので、この道は広河内から一里半の上、池の沢というところから初まって、奈良田から四里もあるという、白河内の谷まで切ってあると、晃平は語った、唐檜の伐り痕の、比較的新しいのは、それかも知れない、彼らは盗伐して、板に挽いて、曲げ物のように組んで、里へ出すのである、林務官などが殺されたりするのも、こういう路で、不意に盗伐者に邂逅するときである、野獣のような盗伐者は、思慮分別もなく、牙を咬んで躍りかかり、惨殺して後を晦ましてしまうのである。  白檜の丈も、四、五尺になった、山の頂は直ぐ額の上にあるかして、水分を含んだ冷たい空が、俄にひろくなる、樹影に白い花が、チラリと見えた、誰が叫ぶとなく、石楠花石楠花という声が伝わった、そりゃもう登山家でなくては、想像の出来ない、世間も、人間も忘却した、心底からこみ上げて来る嬉しい声が、この一株を繞ぐって起った、白峰の雪は白い、その雪解の水を吸って育った、石楠花の白花は、天風に芳香を散じて、深林の中に孤座している、西の国のアルプスの人たちが、石楠花を高山薔薇と呼ぶのも無理はない、私は何よりも懐かしい石楠花に、そっと接吻した、足許を見ると、黄スミレも咲いている、偃松が始めて見えた、久しぶりの知音が、踵を接して、ドヤドヤと霧の扉を開けて、顔を出して、手招きをしている。  偃松は、もう白檜帯と、一線を劃った、その境目から下は灰色で、上は黯緑だ、黯縁の偃松は、山の峰へ峰へと、岩石を乗り越え、岩壁の筋目へと喰い入り、剃刀のような脊梁を這って、天の一方へと、峰のそそり立つところまで、這い上っている、偃松の中には、風で種子を飛ばされたと見える白檜が、一、二本、継子扱いをされたように、悄然とサルオガセを垂れながら、白く骨立っている、弱きものにも寄生する更に弱きものがある、顧れば白檜帯は、脚下に圧しつけられ、背丈を揃えた庭の短木のように、いじけて、それでも森厳として、太古ながらの座席を衛っている、そして片唾を飲んだように、静まり返っている。  虚空の領分へ、人間が入ったときには、霧の使者が、先ず出迎えに来る、──先刻咡き合った、それだ、小雨のそば降るように来た、一行の中には偃松を見て、引き返すような男はいない、しかし素と素と、路でないところへ割り込んで来たのである、白檜の林はともあれ、偃松の犇々と隙間のない海原へ入っては、往くことも戻ることも出来ない、晃平は、鉈で偃松を切ッ払い、切り落し、辛うじて路を作った、私は先登になった、偃松の大波に揺り上げられながら、岩のあるところを目懸けて、縋りつく、倉橋君も、それから少し後れて、高頭君と中村君とが、みんなこの蒼玄い波に、沈没したり、浮き上ったりして、つづいて泳いで来た、敢えて泳ぐという、足が土に着かないからだ。  岩の上には、浦島ツツジ、ツガサクラ、コケモモなどが、平ッたくしがみついている、私は岩角に身を倚せて、眼下遥かに低い谷底を見た、雲と霧と入り乱れて、フツ、フツと山上目がけて来る、その裂け目から谷を隔てて赤石山脈の大嶺、その間に、また谷を隔てて早川の連嶺が、幾析となく重なって、不安な光輝を放っている。  幾重の雲の中から、名の知れない山の顔が……肩から肩へと、腮を載せて、私を冷やかに見ている。  もう遁がすことではないぞよ。  耳許で嘲笑いされたり、私語かれるような気がする。  私は先んじて上った、幸いに偃松が薄くなった、それを破って、岩石が醜恠の面を擡げている、その岩石のつづく先は、霧で解らない、私は岩伝いに殆んど直線にグングン這い上った、霧はもう深林の中でのように、キュッというような、柔さしい咡き方ではない、ヒューと呻って、耳朶を掠めて行くのだ、無論荒ッぽい風に伴って来るのである、私はその風を避けて面を伏せようとして、岩の罅け目に、高根薔薇が、紅を潮して咲いているのを発見した、匂いがいかにも高い、私はこのときほど、高山植物の神秘に打たれたことはない、白花の石楠花は、潔いけれど、血の気の失せた老嬢のように、どこか冷たかった、今一と目、この花を見ると、もう堪まらなくなって、凍えても私は、この高根薔薇を胸に抱いて死にたいと思った、高山植物というものを、殆んど摘み取ったことのない私も、このときばかりは、──白峰赤石、峰々に住ませたまう荒神たちも許させたまえ──一輪を衣裏へと秘めた、そのときは霧中の彷徨で、考える余裕もなかったことだが、文芸復興期以後、伊太利唯一の天才と呼ばれた山岳画家ジョヴァンニ・セガンチーニが、夏の初めアルプス山の雪中で、莟める薔薇を発見して「薔薇の葉」という名画を描いた、それは白い床の雪の中から髪の毛の柔かい、薔薇色の頬の愛らしい乙女が、顔を出して、涼しい眼をバッチリと瞬いている、背景は未だ寂寥な眠から醒めない、暗の空に、復活の十字架が、遠くに小さく見える、象徴の匂いの饒かな作品である、あの高根薔薇は、私には永久に忘られない花の一ツである。  やっとこの山での最高点──と思う、霧で遠くの先は解らない──へ着いた、何だかこう俄に広い街道へでも出たような気がした、霧はフィューと虚空を截って、岩石に突き当って、水沫を烈しく飛ばす、この水球はどこの谷から登って、どこの谷へ落ちるのか解らない、雷鳥だか山鳩だか、赤児のような啼声が、遠くなり、近くなって、偃松の原から起る、冥府の奥の、奥の方から、呼ぶようで、気が遠くなる、未だ後の人たちが来ないので、私は岩角に尻を据えて、黙って霧の中に座っていた、霧は鋭敏なる神経を有する触角のように、尖端を三角形にして、ヒューと襲って来る、霧ではない、もう雨だ、岩も偃松も、寂寞そのものの、しわがれ声を挙げる、私は孤独だ、天もなく、地もなく、ただ幾団が幾団に、絶えず接触して、吹き荒るる風と霧があるのみだ、宇宙におよそ蕭殺の声といったら、高原の秋の風でもなければ、工場の烟突の悲鳴でもない、高山の霧の声である。  その中に倉橋君が来る、晃平を殿として、一行が揃う、こう霧がひどくては、方角も何も解らない、晃平は荷を卸して、路を捜索に出たが、無益に戻って来た、岩の間を点接して、トウヤクリンドウ、ミヤマキンバイ、ミヤマウスユキソウ、チングルマなどがあったが、風と霧と雨の中で、一々眼に止めていられない。  それでも石の河原のような小隆起を、二タ山ほど盲越えに越えた、高頭君はウラジロキンバイが多いと、指して驚いている、この高山植物は、白馬岳や八ヶ岳に産したものだが、今濫採されて、稀少になったものだそうで、今のところ、ここが最も豊饒な産地であろうと語られた。  未だ時間はあるが、もうこの天候では泊まるより外はないことになった、路側の窪んだところに、猟師でも焚火したと見え、偃松の榾が、半分焦げて捨ててあった、その近傍の窪地を選んで、偃松と偃松との間に、油紙を掛け渡し、夜営地を張り、即刻焚火をした、手でも、足でも、寒気に凍えて、殆んど血が通ってるとは思われない、晃平たち案内者は、さすがに甲斐甲斐しい、蓆に雪をどっさり包んで、担い梯子でしょって来て、それから薬鑵の中で、湯を作る、茶を煮る、汁粉を作る、雪の臭いを消してうまかった、晃平は雨の小止みを待って、雷鳥を銃殺して、羽毛を挘って、肉を料理する。  油紙の天幕の中に、私たちの金剛杖を、三本組み合せ、それへ縄を下げて、鍋を吊り、偃松の枝や根を薪材にして、煮炊をするのだ、山頂の風雨とはいいながら、焚火さえあれば、先ず生命に別条がないということを知っているから、連中懸命になって、薪材を山のように搬んで、火のそばへ盛り上げたものだ、それでも凍えてはならないと、有りったけの衣類を出して衣た、困ったことには雷鳴がいかにも強い、頭上五、六尺のところを、転がって行くようで、神経がピリピリするから、鉈でも、眼鏡でも、鉄物は、凡べて包むことにした、雨は小止みになったり、また大降りになったりする、大降りのときは、油紙の天幕の中央が、天水桶のように深くなって、U字形に雨水の重味で垂れ下る、今にも底を突き抜きそうであるから、連中底の下から手で押し上げると、雨水は四隅から迸って、寝ているところへ流れ込む、空鍋を宛てがって承けたり、茶碗で汲みこぼしたり、騒ぎが大きい。  面白そうに笑って作業をしながらも、天外の漂流者という孤独の感が胸に迫る。     鼠色の印象(暴風雨前の富士山及び白峰山脈)  汽車の中は、蒸されるように混んだ、肘と肘と触れ、背と背と合された人々が、駅ごとに二、三人ずつ減る、はてはバラバラになって、最後の停車場から、大きな、粗い圏を地平線に描いて散った、そうして思い思いの方向へと往った。  鳶のように、虚空へ分け入ったのは、私たちである、あれから五夜で、私たちは海抜八千尺ほどの、甲州アルプスへ来た、山の上には多年雪に氷に磨り減らされて、鑢のように尖った岩が、岩とつづいて稜角がプラットホームのように長い、甲府平原から仰いだ、硬い角度の、空線の、どれかの端を辿っているのだ、何万という、下で寄り集まった眼球がみんな私たちを仰向いているような気がする、その稜角の窪んだ穴の中に、頭を駢べて、横になったのが、私たち四人──人夫を合せて八人──偃松の榾火に寒さを凌いで寝た。  霧が夜徹し深かった、焚火の光を怪しんで、夜中に兎が窺い寄ったと、猟師は言ったが、私は寝ていて知らなかった、草鞋も解かないで、両足をとろとろ火に突っ込んで、寝ていたとき、小坊主がちょこちょこと歩んで来て、人の寝息を窺ったのを、微かに知っている、眼を覚ますと、スーッと白い霧の中へと飛んで、羽ばたきの影が、焚火に映ったようだ。  寒いので仲間が、入れ代りに眼をさます。猟師は、焼木杭に烟管をコツコツ叩きながら、  今がた雷鳥が何羽も出来やした。 と話す。  霧はフツ、フツと渦巻く、偃松に白く絡んで、火事場の烟でも立つように、虚空を迷っている、天幕の屋根の筋目から仰ぐと、暗灰色の虚空が壁のように狭くなって、鼻の先に突っ立っている、雨と知りながらも、手を天幕の外へ出すと、壁から浸染み出る小雨に、五本の指が冷やりとする、眼がやっと醒める。  ゆうべは月がちょっと冴えたのに……雨かなあ。 と仲間の一人が欠伸をして言う。  そのときは、富士山が、怖ろしく大きく見えたが、見ているうちに、細くなって莟んでしまった。  ……いやな、霧だなあ。 と、私は嘆息する、天地の間には、風が吹くのでなければ、霧が流れるのだ、そのたびに、天幕の中へ、ザアと小粒の雨がそそぎ入る、柱代りの金剛杖が、キュッと呻る、杭に纜われた小舟が、洪水に飜弄されるように、油紙の屋根が、ペラペラ動く。  何時だか、時計を出すのも臆劫だ、朝だか夜中だか解らない。  尻に敷いた褥は、可愛らしい高山植物で、チングルマの小さい白花、アカノツカサクラの赤い花などが、絨氈の斑紋になって、浮き上る、焚火の影に、鮮やかな織目を見せる。  早く日の目が見たい。  早く穴の中から這い出したい。  同じ思いが、仲間の顔色に読まれる、飯を炊くのに、未だ時間がある、思い切って天幕から一、二間歩き出した、岩を二ツ三ツ飛び越えて、次第に爪先が上る、無辺無限の単調の線が、どこへ繋がって、どこへ懸っているのか、解らない……やはりあの空線の一つを辿っている。  天幕が霧の中に、小さくぼんやり見える、四ツ柱に、油紙がぺらぺらとして、田舎の卵塔場のようだ、今まで、あそこに寝ていたのか知ら……この霧と雨の中を、たった紙一枚の下に……火光がパッとさす、霧の水球が、美しい紫陽花色に輝いたかとおもうと、消えた。  稜角の端まで這い出して、小さい阜──古代の動物の骨のようにゴロゴロ転がっている石の堆積──の上に立った、石はビッショリと濡れて、草鞋が辷る。  朝明りか知らん大きな水平のひろごりが、足許に延されている、白い柔毛のような雲が、波の連続するように──したが一つの波も動くとは見えない──凸凹を作って、変化のある海が、水平線の無限に入っている、しかし正面は、霧が斜に脈を引いて、切れそうにもない、その間から彎弓のような線が、幾筋となく泳いで出た、ハッキリすると土堤ほどの大きさになった、山である、関東山脈の一端と、早川連嶺の一角とだけが、おぼろに見えたのである、山と山との間は、みんな空席で、濃厚な水蒸気が、その間に屯ろしている、山という山の各自は、厳しく守られている、生物は守られていない。  雲は凍っているのか、吐息を凝らしているのか、巨大の容積がしずまり返っている。  その深さが何万尺あるか測られない、この中に何か潜力的な、巨大な物が潜んでいる、そうして生物を圧迫する──化性の蝙蝠でも舞い出そうだ。  あの底には、もしくは外には、都会がある、群集がある、燈火、音曲、寄席、芝居がある、群集と喧噪の圧迫から遁げて、天涯の一角に立ったときに、孤独と静粛の圧迫!  少し明る味がさした、明る味のさした方角を東に定めている、その東の空が、横さまに白く透いた、奥の奥の空である、渋昏く濁った雲の海の面が、動揺混乱するけはいが見える。  外套をふわりと脱いだように、眼の前の霧の大かたまりが、音もなく裂けて、谷へ落ちた。  富士山が、すッきりと立った。  名も歴史もない甲州アルプスに、対面して、零落の壮大、そのものが、この万年の墳墓を中心にして今虚空を奔る。  空々寂々の境で、山という山の気分が、富士山に向いて、集中して来る、谷から幾筋とない雲が、藍の腐ったような塊になって、立ち昇る、富士山はこの雲と重なって、心もち西へ西へと延びて来るようだ、蝕った雲の淵の深さが、何十尺かの穴となって、口が明く。  頭がようやく冴えて来た、足許の岩では、偃松が近くは緑に、遠くは黯くなって、蜿ねっている、天外絶域の、荒れはてた瘠土にまで、漂って来た、緑の垂直的終点を、私は今踏んでいるのだ。  空の気味の悪いほど、奥まで隙いて光っているだけに、富士山は繻子でも衣たように、厚ぼったくふやけている、いつもの、洗われたように浄い姿ではない、重々しい、鼠ッぽい色といったらない。  いつの間にか、仲間が一人来る、二人蹤いて来る、岩の上には、黒いピリオドが、一点、二点、三点──視線は一様に、鼠色のそれに向う。  富士かね。  富士だよ。  あの山は眠ったことがないから、醒めたこともないというような、澄した顔つきをしている、私たちとの距離は、いよいよ遠くなった、その間を煙のように、眼先を霧が立って、右へ往きそうになったり、左へ思い出して、転がったりしている。  厚味の雲の奥で、日が茜さしたのか、東の空が一面に古代紫のように燻んだ色になった……富士の鼠色は爛れた……淡赭色の光輝を帯びたが、ほんの瞬く間でもとの沈欝に返って、ひッそりと静まった。  フツ、フツと、柔くて、しかも鋭敏な音を立てて霧──雨が来た、偃松も、岩も、山も、片ッ端から白い紙になって、虚空に舞い上る。  富士も一息に吹き消された、土地という最大多数から、少量をつまんで、年代また年代と、築き上げて作製した、百万年の壁画が、落ちた。  寂しさは、人の心の空虚を占領した。  鼠色の凶兆はあった、それから間もなく、疾風豪雨になって、一行は、九死一生の惨めな目に遇わされた。     石・苔・偃松(白河内岳に登る記)  野営を撤して、濡れそうなものは油紙で包み、岩伝いに北を向いて、大籠山と後で名をつけた一峰に達した、三等三角測量標が立っている、霧が吹雨を浴びせかけて、顔向けも出来なかったが、白峰山脈で、初めての三角標に触れたのだから、ちょっと去りにくい気がした。  それから北西に向って、一つ支峰を越えると、鉢形に窪んだところがあって、白山一華の白と、信濃金梅の黄とが、多く咲いている、チングルマの小さい白花、赤紫の女宝千鳥などで、小さい御花畑を作っている、霧の切れ目に、白河内岳が眼の前に、ぼんやり現われた、足許は偃松の大蜿ねりで、雲は方々の谷から、しきりに立ち登る、太古の雲が、初めて山の肌に触れたのは、この辺からではあるまいか、そうして執念深く、今もなおあの山に、つき纏って、谷の住み家を去らずにいるのではあるまいか……前々夜泊まった広河内の谷が、乾からびたように見える、その附近の黒い森林は、一寸位ずつ這い上って来るようで、雲の揺籃のように、水球をすさまじい勢いで吐き出す。  西に向いて、また一峰を超え、やや下ってまた北に向って上る、霧の中で目標にする山もないから、手に磁石を放さない、何でも北へ向けばいいのだ、北へ、北へと歩む。  ふと東北に地蔵鳳凰二山が見えた、鳳凰山の赭っちゃけた膚に、蒼黯な偃松が、平ッたくなって、くッついている、うしろには駒ヶ岳が、蒼醒めた顔をして覗いている、前には白峰本岳から連続するらしい二枚の連壁が、低いながらも遮っている、今通過した大籠山は、駱駝形をして、三角測量標が、霧の波に冠されながらも、その底から頂へと突き抜いて、難破船の檣のように出ている、見る見るうちに霧に喰み取られて、半分位持って行かれてしまったかと思ったが、また繋ぎ合わされて立っている、西に間の岳(赤石山脈)が立ち、東に富士山が、二筋ばかりの白い雪を放射して、それが泥黒い雲を通過する光線に翳されて、何だか赤く銹びた鉄のように見える、富士山の附近は、御阪山脈や、天守山脈だけを、小島のように残して、氷に鉋をかけたような雲が、ボロボロ転がっている、山という山の背景は、灰色で一面に塗り潰されている。  北方白峰の本嶺は、一切霧で秘められている、その一切を秘められた北へ北へと、私たちは見えない手に、グイグイ引っ張られて、否でも応でも行かなければならないのだ。  北西の一峰を踰えたことを記憶している、そこに何があったかと言えば、白花の石楠花があったことだけが答えられる。  乱石で埋まった一峰を越したことも、憶い出される、雪が氷っていたことだけが、眼に泛ぶ。  それほど霧で眼界を窄められていた、それだけまた神経が鋭く尖っていた、自分たちから一間ばかり、先へ離れて、雷鳥がちょこちょこ歩いて行く、こっちで停まれば向うでも停まる、歩けば先へ立って行く、冥府から出迎いにでも来た悪鳥のように、この鳥の姿が消えるとき、自分たちの運命も終焉を告げるように。  雄大なる白河内岳が、円く眼の前にボーッと立つ、この山を中心として、雲の大暈が、幻のように圏を描いてひろがる、日輪の輪廓がひろがって黄色い葵の花のように、廻転するかと思われた。  風が錐のように痛い、白河内岳の麓で、焚火をしていると、おくれがちの人夫も、あとから追いついて来た、その中の一人は、雷鳥を捉えて来た、少しは休んだが、風と霧と冷たいのと痛いので、落ちつく空はない、とかくに気の重い人夫どもを促して、登りかける、実を言うと、どの方面へ向いて、何処を登っているのだか、もう解らない、人夫もみんな初めての途で、茫然しているばかりだ、ともかく眼の前の大山を登った、石片が縦横に抛げ出されている、しかし石と石とは、漆喰にでも粘ッつけられたようで動かない、いずれも苔がべッたり覆せてある、太古ながらの石の一片は、苔に包まれた古都の断礎でも見るように、続々と繋がって、爪先を仰ぐばかりに中天に高く斜線を引いている──もう白河内岳の上にかかっているのだ、この饅頭形の石山は、北アルプスの大天井岳にどこか似ていると思いながら、喘ぎ喘ぎ登る、霧は大風に連れ、肉を截り削ぐばかりの冷たさで、ヒューッと音をさせて、耳朶を掠めた、田村氏の帽子は、掠奪くられたように、向うの谷へ抛げ出された、製造場の烟突からでも出そうな、どす黒い綿のような雲が頭から二、三尺の上を呻って飛び交う。花が光を、川は音楽を失った、ソラッ暴雨だッ、というときには、眼も口も開けられないほどの大雨が、脳天からかけて、人間を石角に縫いつけた、そうして細引のような太いので、人間を毬のようにかがる、片足を擡げれば、擡げた弱点から、足を浚って虚空へ舞い上げそうな風が、西から吹きつける、誰だって血の気の失せない人はなかった、どこへ遁げようとか、どこが安全だとかいうような余裕が、この際誰にもなかったので、我がちに岳の下の偃松の穴へ──野営としてきわめて不適当ではあったが──一人ずつ飛びこんで、偃松の根許へ這い込んだ、この刹那は、私の頭の中も、暴風雨の荒むように不安であった、油紙の天幕を枝と枝との間に低く張って、四ツ足の人間を、この中に這わせた、寒さに手も凍えて、金剛杖さえ持つ力がなかった。  焚火焚火、人々は手足の関節から、血の循環が一秒一秒止まったように、意識された、今凍えて行くのだということも解る、早くどうかしろと神経が知らせてくれる、誰の顔を見ても、蝋のように白い、マッチ箱は燐寸一本さえ、烟を立てることなしに、空になったほど、何もかも、ビショ濡れになった。  だが晃平一人はウンと踏ん張った、  心配するなッ、犢鼻褌を焚いたッても、お前方を殺すことじゃあねえぞ。 と、その赤銅色の逞ましい顔を、一行に向けて爛とした目から、電が走ったときは、一行に大丈夫という観念を与えた、彼は鉈で杖を裂いた、杖の心まで雨は透っていないから、細い粗朶が忽ち出来る、燻してどうかこうか火が点いた、そうすると白烟が低い天幕の中を、圧されて出る途がないので、地を這いずった、高頭君は息を窒められて、ヒョロヒョロと仆れた、避けようとした私はジリッと焦げ臭く髯を焼かれた、堪まらなくなって天幕の外へ首を出すと、偃松の上は、吹雨の柱が、烟のように白く立っている、また油紙の下へ引ッ込んでしまう、倉橋君は昨夜睡られなかったので、よくよく眠かったと見え、この騒ぎの中にもグッスリ寝込んでいる、白花の石楠花が、この生体のない人の頬に匂っている。  耳を澄まして、谷間に吹き荒ぶ風の声を聞くと、その怖ろしさといったらない、初めは雷とばかり思っていた、あまり雷にしては間断なく鳴るから、不審に思って聞くと、「大井川の七日荒れ」だという、その「荒れ」が、今の風雨で初まったのだという、谷の角から谷の角へと屈折し、反響して、空気の大顫動が初まったのである、この山はいつ頃出来たのであろう、そうして何百万年もこうして寂として、いたのであろう、それが十年に一度、五年に一度、人間が入って来ると、谷間の底に潜んでいる風が、鎖を繋がれながらも、それからそれへと哮り狂って、のた打ち廻り、重い足枷を引き擦り引き擦り、大叫喚をしているのであろう、油紙の天幕の下は、朽木の体内のように脆くて、このまま人間は、生きながら屍となるのではあるまいかと、思われた。  この暴風雨がいつまでつづくか解らぬ、それよりも、差し当りこんなところに、今夜野宿が出来るか、否かが疑問である、思い切って谷へ下りようか、谷へ下りれば、この旅行の中止を意味することになる、一行は思い悩んで決し兼ねた……何だか筋骨を抜かれたように、気落がして、私も眼が重くなった。  高頭君であったか、誰であったか、不意に消魂ましく、日本晴れだぞ、痛快痛快と、触れ廻るように叫んだ声におどろかされて、刎ね起きると、雨はいつの間にやら霽れ上り、西の方の空が一点の痣をも残さず、拭いて取ったように、透明に奥深く冴えわたっている、鼻ッ先には農鳥山と間の岳(白峰山脈)が、近く立っている、こんな大きな山々が、今まではどこに秘んでいたのだろう、天から降ったのかと思うように、出たのである、間の岳は頭がちょっと出ている。農鳥山の赭ッちゃけた壁には、白雪がペンキでも塗ったように、べッたりと光って輝いている。  西の方には木曾御嶽が、緩斜の裾を引いて、腰以下を雲の波で洗わせている、乗鞍岳は、純藍色に冴えかえり、その白銀の筋は、たった今落ちたばかりの、新雪ででもあるかのように、釉薬をかけた色をして、鮮やかに光っている。  槍ヶ岳以北は、見えなかったが、木曾駒ヶ岳は、雪の荒縞を着ながらも、その膚の碧は、透き通るように柔らかだ、恵那山もその脈の南に当って、雄大に聳えている。  もう「こっちのものだ」という、征服者の思いが、人々の胸に湧く、今までのように、悄気た顔はどこにもない、油紙は人夫どもに処置させて、先刻遁げ込んだばかりの、白河内岳の頂上に立って、四方を見廻した、南の方、直ぐ傍近く間の岳(赤石山脈)と、悪沢岳が峻しく聳えて、赤石山がその背後から、顔を出している──ここから見ると、悪沢岳の方が、近いだけに、赤石山より高くはないかと思われた、甲府平原は、釜無笛吹二川の合流するところまでよく見える、直ぐ脚下には、岩壁多くの針葉樹を帯びて、山の「ツル」(脈)が、古生層岩山の特色を見せて、低く幾筋も放射している、脈と脈との間には、谷川が幾筋となく流れている、手近いのが広河内、一と山越えてその先のが荒川、最も遠いのが能呂川に当るのである、鮎差峠の頭もちょっと見えた。  峰から峰の偃松は、暴風雨のあとの海原のように凪いで、けろりと静まりかえっている、谷底の風の呻吟は、山の上が静粛になるだけ、それだけ、一層凄まじく高く響いて来る。     汽船・電燈(農鳥山に登る記)  白河内岳から西北へと向いて、小さな峰の塊を、二つばかり越えた、西の方面、木曾山脈が、手に取るように近く見える、三ツ目の峰の下の、窪んだところに、残雪が半ば氷っていた、岩高蘭や岩梅がその界隈に多い、踏む足がふっくりと、今の雨でジワジワ柔い草の床に吸い取られる、この辺から眼の前の農鳥山を仰ぐと、残雪が白い襷をかけて綾を取っている、荒川の峡谷を脚の下に瞰ながら偃松の石原を行く、人夫たちは遥に後れて、私たち四人が先鋒になって登る。  農鳥山は大約三峰に岐れているようだ、手近を私たちは──後の話だが──仮に南農鳥と名づけた、雪が二塊ばかり、胸に光っている、近づくほど、雪の幅が成長して大きくなる、雪の側はいわゆる御花畑で、四ツ葉塩釜、白山一華、小岩鏡などが多い。  この大残雪を踏んで、南農鳥の傾斜を登ること半ば頃から、大なる富士山は、裾野から沙を盛り上げたように高く、雪が粉を吹いたように細い筋を入れている、その下に山中湖、それから河口湖が半分喰い取られたようになって、山蔭の本栖湖の一部と、離れ離れに静かな水を伏せている、函根、御阪、早川連嶺などが、今の雨ですっきりと洗われて、鮮やかな緑靛色をしている、愛鷹を超えて伊豆半島の天城山が、根のない霞のように、ホンノリと浮いて、それよりも嬉しかったのは、駿河湾に黒煙をかすかに一筋二筋残して走っている汽船!  黄花石楠花が、岩角の間に小さくしがみついて咲いている、その間を踏んで、登れば、千枚沢岳と悪沢岳の間に、赤石山が吊鐘を伏せたように円く立っている、支脈伝いに背面を見た時には、壮大だと思った白河内岳も、ここから見ると、可愛そうなほど、低くなって、下に踞くまってしまった。  南農鳥の上に出た、足の下から大障壁をめぐらして、近く農鳥山の三角測量標を見たときは嬉しかった、しかし登り著くと南農鳥の最高点は、まだここではなく、五、六町も先にあることが解った、これから截っ立った、ギザギザ尖った石が、堤防のように自然に築き上げられているところを伝わるのだ、偃松と、黄花石楠花の間を抜き足をして、やっと南農鳥山の二等三角測量標の下に来た、おそらく参謀本部陸地測量部員が、野営をした跡ではあるまいかと思われる、ちょっとした平地へ出た。  ここから見ると、石の剣の大嶺が、半円形にえぐられて、蜿蜒として我が日本南アルプスの大王、北岳に肉迫している、その北岳は、大岩塊が三個ばかりくッついて、その中の二塊は、楕円形をしているが、一塊は恐ろしく尖っている、そうして四辺に山もないように、この全体が折烏帽子形に切ッ立って、壁下からは低い支脈が、東の谷の方へと走っている、能呂川があの下から出るのだと、追及して来た猟師が、そう言ったが、実際私たちは、川などはどうでもよかった。  もう山という山が、みんな顔を出して来た、地蔵岳鳳凰山を隔てて、八ヶ岳の火山彙が見える、上野下野の連山は、雲を溶かして、そのまま刷毛で塗ったのではないかとおもうような、紺青色をして、その中にも赤城山と、榛名山が、地蔵岳と駒ヶ岳の間に、小さく潜んでいた、その最右端に日光連山、左の方に越後の連山がぼんやりとしていて、先刻吹き寄せられた雲の名残か知らん、氷のようなのが、幾片となく、その辺の頭をふわりと漂っている、午を過ぎたが、濃い透明の空は、硝子で張り詰めたようだ、黄色の日光が、黄花石楠花を蒸して、甘酸ッぱいような、鼻神経をそそるような匂いとも色ともつかないのが、眼から鼻へと抜ける、頭がボーッとする、これでも踏む土の一部分だろうかと思うようだ、残雪は幾筋となく、壁間を放射して、緑の森林の中へ髪の毛を分けるように、筋目をつけて落ちている、ただ北アルプスの大山脈は、雲に閉じられてしまって、いつまで経っても出て来そうにもない。  金剛杖が石にカチリと当る、金属性の微かな短い音がしてコロコロと絶壁の下に転げ落ちる、どこを見ても絶壁! 墜石!  三角測量標の直下には、誰かが前に土を均らした痕のある、野宮地には誂え向きな、三間位な平地が出来ている、黄花石楠花、小岩鏡、チングルマ、岩梅などが、疎らに生えている、位置は東を向いて、富士山と対している、南へ向いた断崖には、数条の残雪があるから、溶かして水を獲ることが出来る、時間は猶早いが、これからまた峻しい山稜つづきで、適当な野営地が見つからぬかも知れないから、今夜はここで寝ることにした。  例の天幕作りに取りかかる、古生層地は白峰までつづき、鳳凰地蔵一脈の間で、深谷にフツリと切れているのが、よく見える、人夫たちは雷鳥三羽を捕獲した、みんなして二羽を醤油飯に、一羽を焼いて喰った。  霧がまた少し来た、夜になると、甲府市の電燈が黄いろの珠のように、混沌の底から、ボーッと見えた、先刻の汽船といい、この電燈といい、人間に遇わずに、山から山を伝わって、野獣のような生活をつづけていた人々の胸をおどらせた。  夜も深くなった、焚火がとろとろと消えかかったとき、風が吹いて天幕の油紙が巻くられた、その隙間から潜り込んだ風で、焔がパッと燃え上って光ったときは、寐込んだ油断に身体に火がついたかと思って、一同夢うつつに駭いて立ち上った、霧がいつの間にか深くなっていた、油紙は雨に遇ったように湿めっている、冷やりと手に触れたので眼が醒める。     山の肌(間の岳の雪田に到る)  朝起きて見ると、霧がまだ深い、西の方がまだしも霽れていて、うすくはあるが、明る味がさす、東天の山には、霧が立て罩めて、一行はこの方面に盲目になった、日は霧の中をいつの間にか昇っている、冷たい白い月のように、ぼんやりとして、錫色の円い輪が、空の中ほどを彷徨っている、輪の周囲は、ただ混沌として一点の光輝も放たない、霧の底には、平原がある、平原の面は皸が割れたようになって、銀白の川が、閃めいている、甲府平原は、深い水の中の藻のようにかすんで、蒼く揺めいているばかりだ。  この連日、峰から峰を伝わっているので、水がないから、顔も洗われない、焚火で髭を焼いたり、その焚火の煤煙や、偃松の脂で、手も頬も黒くなったり、誰を見ても、化かされたような顔をしている、谷へ下りたい、早く谷へ下りて、自由に奔放する水音が聞えたら、まあどんなに愉快だろう──谷川の流れる末に、巣くう人里などは、考えるさえ、まだ遠いのである。  二等三角点に添って、西へと向き、見上げるような、岩の障壁を攀じると、急に屏風が失くなったようになって、北の方から、待ち構えていた冷たい風が吹きつけて来る、強い風ではないけれど、遠くは北の方、飛騨山脈や、近くは西の方木曾山脈の山々の、雪や氷の砥石に、風の歯は砥がれて、鋭くなり、冷たさがいや増して、霧を追いまくり、かつ追いかけて、我らの頬に噛みつくのである、我らは吹き込む風の中心になったようで、その冷たさと、痛さとに慄えながらも、山稜を伝わって行く。岩は鋼鉄のように硬くなりながらも、イワベンケイ、ミヤマダイコンソウ、ムカゴトラノオなど、黄紫のやさしい花を、点々とその窪洞に填めながら、ギザギザに尖っている輪廓を、無数に空に投げ掛けている。  西へ西へと、伝わって、一山超えると、また一山が、鋭い鑿で穿りぬいたように、大曲りに蜿ねった山稜を、連鎖にして、その果に突立っている、仰ぐと、西の天は雲が三万尺も高く、堆くなって、その隙間には湖水のように澄徹した碧空が、一筋横に入っている、中農鳥とおぼしき一峰を超えると、また一峰がある、日が昇るに従って、雲や霧は、岩と空の結び目から、次第に離れて消えて行く、葉を一杯に荷った楡の樹のような積雲は、方々が頽れて、谷底へと揺落してしまう、そうしてその分身が、水陸両棲の爬行動物のように、岩を蜿ねり、谷に下って、見えなくなる。  空は高くなって、四方は壮大な円形劇場のように開展する……出た……出た……木曾御嶽は、腰から上、全容を現わした、木曾駒ヶ岳も近くに立ち上った、方々から頭を白く削った稜錐状の山々が、波のように寄せて来た。  脚下の谷へ追い落された水蒸気の団々は、反曲の度を高めて、背を山に冷やさせ、顔を日光に向けて、ふわりと立って飛ぶ、それが長く繋がって、日を截ち切ったかと思うとき、異常な光がチラリと岩角に落ちた、ふと見上げると、円い虹のようなものが、虚空の中に二輪も、三輪も結ばれた、その輪の中に、首を貫ぬいて五、六丈もあろうかと思うような、黒い巨人が、ヌーッと立っている、富士登りの道者のいう、三尊の阿弥陀の来迎はこれだ、侏儒のような人間が、天空に映像されたときに、このような巨人となったのだ、我らが手を挙げると、向うでも挙げる、金剛杖を横縦に振り廻わすと、空の中でも十字架を切る。暁を思わせるうす紅色で、雨気を含んだ虚空に、浸み透るように、暈して描かれた自分たちの印画は、この大なる空間を跨いで、谷間へと消え落ちた。  この山の上で、朝から夕立に遇っては堪まらないと、多年山登りの経験から気がついて、呆れ顔の導者を促して路を急ぐ、岩角を上ったり、下ったり、偃松や黄花石楠花の間を転がるようにして走ったが、その間に幻影は消え消えながら、三度出た、しかし心配ほどもなく、霧は奇麗に拭われて、雨にはならなかった。  間の岳は大断崖を隔てて北に聳えている、北岳はここからは見えない、峻急な山頂の岩壁を峰伝いに北に向けて直下する。間の岳はもう眼の前に立っている、山の空気が稀薄で透明になっているから、それが近いように見えていて、歩くに遠いのが解る。  雪で釉薬をかけたように光る遠くの山々は、桔梗色に冴え渡った空の下で、互いにその何百万年来の、荒んだ顔を見合せた、今朝になって始めて見た顔だ、或るものは牛乳の皮のように、凝った雪を被いている、或るものは細長い雪の紐で、腹の中を結えている、そうして尖鋭の岩を歯のように黒く露わして、ニッとうす気味悪く笑っている。  目的は間の岳にある、残んの雪は、足許の岩壁に白い斑を入れている、偃松はその間に寸青を点じている、東天の富士山を始めて分明に見ながら、岩や松を踏み越えて、下りると、誰が寝泊したのか、野営地の跡が、二カ所あった、石を畳み上げて、竈が拵えてあるので、それと知れたのだ、偃松の薪が、半分焦げて、二、三本転がっている。  尾根を伝わって、東に富士山、西に木曾の御嶽を見ながら行くと、また野営地があった、そこはちょっとした草原になっていた、雪解の水で湿っているところへ、信濃金梅の、黄色な花の大輪が、春の野に見る蒲公英のように咲いている、アルプスの高山植物を、代表しているところから、アルプスの旅客が、必ず土産に持ちかえるものにしてあるエーデルワイス(深山薄雪草)は銀白の柔毛を簇がらせて、同族の高根薄雪草や、または赤紫色の濃い芹葉塩釜、四葉塩釜などと交って、乾燥した礫だらけの窪地に美しい色彩を流している。  振り返れば、間の岳(赤石山脈)や、悪沢岳の間から、赤石山が見える、そうして千枚沢の一支脈は、兀々した石の翼をひろげて、自分たちの一行を、遥かに包もうとしている。  東へ方向を取って、また北へと折れる、右にも左にも、雪田がある、ここから近く見た間の岳は、破れた石を以て、肉としている、おそらくその石を悉く除けば、間の岳は零になるであろう、その石だ、老人の皺のように山の膚に筋を漲らせているのも、古衣の襞のように、スレスレに切れたり、ボロボロに崩れたりしているのも、この石だ、それを針線のように、偃松が幾箇処も縫っている。  急峻な登りを行く、雲は赤石山を包み隠して、西南にその連嶺の西河内岳の一角を現わした、さすがに富士山のみは、深くまつわる山を踏み踰えて、ひとり高く半天に立っている。  石の急壁を登りかけていると、雷鳥が一羽、ちょこちょこと前を歩いている、晃平が、狙いをつけて一発放したが、禽は横に逸れて、截られた羽が、動揺した空気に白く舞った、一行手取りにするつもりで、暫く追いかけて見たが、掌中の物にはならなかった。  疲労の足を引き擦って、石壁の上に登りついたとき、眼は先ず晶々粲々として、碧空に輝きわたる大雪田、海抜三千百八十九米突の高頂から放射して、細胞のような小粒の雪が、半ば結晶し、半ば融けて、大気を含んだ、透明の泡が、岩の影に紫色を翳しているのに、眩ゆくなるばかりに駭いた、南方八月の雪! 白峰をして白からしめた雪! 我ら一行の手は、初めてこの秘められたる、白い肌に触れたのである。     羚羊・長之助草(北岳の絶巓に登る記)  それから尾根伝いに、間の岳の絶頂まで這い上り、三等三角測量標の下に立った、北西に駒ヶ岳(甲斐)の白い頭が、眼前の鋭い三稜形をしている北岳に、挟みつけられて見える、霧が来て散った。  この附近は偃松の原でなければ、暗礁のような岩角が立っていて、高山植物が点じている、なお北岳を見ていると、東の谷、西の谷、北の谷から霧が吹いて来て、その裾は深谷の方に布きながら、頂上を匝ぐって、渦を巻いている。西北の仙丈岳を前衛として、駒ヶ岳、鋸岳、木曾駒山脈の切れ間に谷が多いので、このように水蒸気も多く、そうしてこの山を目がけて、吹きつけるのであろう。  大雪田の石の峰を超えて、三角点の下に来た、木曾山脈を西に控えて、その間の高原を、天竜川が白く流れ、仙丈岳は渓谷を隔てて、その頂上の、噴火口と擬いそうな欠けたところが、大屋根の破風のように聳えて、霧を吐く窓になっている。駒ヶ岳の白い頭は、白崩山の名を空しくせずに、白く禿げて光っている。  間の岳の峰から、北岳まで尾根が繋がっていることは、ここで初めて確かめられた、我が三角測量標の下には、窪地があって、そこには雪田が白く塊まっている、一丁ほども歩いたかと思うと、また雪田がある、築土の塀の蔭に、消え残った春の雪のようだが、分量は遥かに多い。  石の壁は南方から連なって、人の歩く路を窄めている、もうこの辺からは、雪田が幾筋となく谷へと繋がっている、高頭君の説明するところによると、日本北アルプス中の白馬岳の雪とは、比べものにならないが、十月頃の白馬岳なら、この位なものであろうか、ということである、一体が暖かい南アルプスに、このように雪が多いのは、未だ山上では、春であるからであろう。  間の岳から北岳までは、北へ北へと、駿河甲斐の国境を、岩石の障壁が頽れをうって、肩下りに走っている、その峰は皆剣のように尖れる岩石である、麻の草鞋が、ゴリゴリと、その切ッ先に触れて、一本一本麻の糸が引き截られるのが、眼に見るようで、静に歩くさえ、砂でも噛み当てたように、ガリガリ音がする、あまり峻しいから、迂回しようとして、足を踏み辷べらすと、石の谿が若葉を敲く谷風でも起ったように、バサバサと鳴り出して、大きい石や小さい石が、ひた押しに流れて、谷底へと墜落するのもある、中途で石と石と抱き合って、停まってしまうのもある、その石の壁の頂には、偃松が多く、高山植物の中にも、ミヤマオダマキがうす紫の花を簇して、岩角に立っているのが、色彩が鮮やかで、こんな寒い雪や氷の、磽确な土地も、深碧の空と対映して、熱帯的に見えた。  峰伝いに下って、いよいよ北岳の直下まで来ると、雪田が二ツほどある、長さは二十町もあろう、その雪田の谷底に接触する尖端から、雪が融けて水になって、流れているのもある、この雪田は白馬岳のに、やや匹敵することが出来るが、厚味がそれほどないと、高頭氏は言った、それでもこんな大残雪があって見ると、日本北アルプスのみ、雪の自慢をさせて置けないと追加した。  ふと後から荷をしょって来た人足どもの、噪ぐ声がする、東の峡間に、一頭の羚羊を見つけ出したのだ、なるほど一頭いるわいと気が注くころ、中村宗義は銃を抱えて、岩蔭を岩蔭をと身を平ッたく伝わって、谷側まで下りた、円く肥えた羚羊は、キョトンとした顔をして考えている、その短い角が碧空に動かずに、シーンと立っている、晃平の采配で、人夫一同は石を上から転がす、シッシッと叫ぶものがある、ホーイ、ホーイ、ホーイと怒鳴る声がする、羚羊は石の転がり方を冷たく見て、一、二尺ずつ退りながら、大石の側へ、寄って来る、そこには宗義が先刻から、銃を取り直して待っている、しかし火蓋の切りようが、狙った壺より少し早過ぎたために、羚羊はびっくりしながらも、驚くべき速力で、向うの山へと駈け上った、そうして偃松の傾斜の中へ入って、岩を楯にまたキョトンとして、こっちを見ている、角は木の枝のようで、体は岩のようにぴったりと静まる、宗義は銃を負って、岩から岩を殆んど四足の速さで、飛びながら追っかけたが、竟に遁がしてしまった、もっとも羚羊は跛足を引いていたから、たしかに銃丸が、足へ当ったろうとは後で言っていたが。  ここから仰いだ白峰の北岳は、峻急に聳えて、肩幅も、おもいの外広く、頂上は幾多のギザギザがありながら、大体において平ッたく切截したようになって、間の岳つづきの尾根から、抓み上げられたように、北方の天に捏ねられている、まるで麦酒の瓶を押し立てたようだと、高頭君は半ば恐怖を抱いて言った、その壮容は、殉教者や迷信者を作って、引き寄せるだけの価値があった、もう日は真ッ直ぐに照りつけるようになって、黄色の烈しい光線が、眼をチラチラさせる、未だ午前であったが、これからいよいよ北岳登りになるのだから、一行は高山植物の草原に足を投げ出して、塩のない、皮の固い結飯を喰い初めた、福神漬の菜に、茶代りの雪を噛んだが、喉がヒリつくので、米の味も何もなかった。それでも東に甲府平原と、それを隔てた富士山、西に伊那平を踏まえている木曾駒山脈、北の仙丈岳と駒ヶ岳、近くに北岳を仰いで、昼飯を済ました心持は、悪くはなかった。  雪田に沿いて、北岳に向う、先に尖った筋と見たものは、皆一丈もあろうという岩石の重畳で、五つか六つ石が堆かくなっているように見えたのは、岩石で組んだ立派な峰であった、その中でも、巨岩が垂直線に、鼻ッ先に立ちふさがっているところは、身を平ったく、岩と岩の間を潜ったり、這ったりした、およそ間の岳から北岳の峰までの、石の草原には、深山薄雪草、深山金梅、トウヤク竜胆、岩梅、姫鍬形、苔桃などが多いが、その中で、誰の目にもつくのは、長之助草である、この偃地性の小灌木は、茎の粗い皮を、岩石に擦りつけるようにしている、槲に似て、小さい、鈍い、鋸の歯のように縁を刻んだ葉を、眼醒めるように鮮やかな緑に色づけて、その裏面にはフランネルのような白い毛が、おもての緑と対照するために、密やかに布いている、恰度一枚の葉で、おもては深淵の空を映し、裏は万年雪を象ったようである、卵形の白い花が八弁、一寸位の小さい花梗の頭に、同じく八個の萼を台にして、安住している、同じ日本アルプスでも、他所の長之助草に比べて、花でも葉でも、一と際小さい方であるが、それでも殆んど草原を埋めるばかりに群って、白山一華や、チングルマなどと交って、岩穴や山稜の破れ目に、咲いている、皺のあるところに白い花がある、襞の折れたところに白い花がある、溝の穿たれたところに白い花がある、白い花が悉く長之助草だとは言わないが、白い花の中に、この花を見ないということはないほどである、大籠山の裏白金梅と、間の岳北岳間の長之助草とは、我らの一行によって確められた、この高山植物の最大産地──今まで知られているところでは──であった。  倉橋君と私と一緒になって、石の峰を絶頂まで辿りついたころは、正午を少しばかり過ぎた、高頭君以下も、やがてつづいて来た、絶頂は大別すると、三つに岐れていて、偃松が少しばかり生えている、初めのは四角張った石を畳み上げてある、中には三角測量標が立っている、高く抜き出る北岳の頂から、更に自分だけ高く抜いたこの三角点は、日本南アルプスの中で、縋り得べき土地の垂直的突端である、それから上は絶対無限の空ばかりだ、三角標の基脚には黄花石楠花、チングルマ、アオノツガサクラ、浦島ツツジ、四葉シオガマ、白山一華、偃松などが西の障壁へと、斜めに飛び飛びに漂っている。  小さい石祠がある、屋根には南無妙法蓮華経四千部と読まれた、大日如来と書いた木札が建ててある、私たちの一行より、二十日も前に登山した土地測量技師や、昨年登山した東京の人たち、山麓蘆安村でよく聞く名の森本某、名取某の名刺が散らばっている。  外にも壊れかかった石祠がある、中には神体代りの小鉄板が、鏽びて腐蝕しながらも、奉納白根大日如来寛政七年乙卯六月と読まれた、白峰赤石両山脈の頂で、山の荒神たちと離れられない関係があるらしい、鉄の槍身が、赤錆びになって仆れていた。  山頂の眺めは、こうしている間にも、絶えず変っている、仙丈岳の頂上は、雲に包まれてしまった、赤石山脈は間の岳だけを残して、千枚沢岳と悪沢岳とが、消え失せた、脚の下は天竜川だけが認められて、木曾山脈は、紺の法衣を着た坊主が行列しながら、帳の中へ一人ずつ包まれるように、見えなくなった、大樺谷の左には、大樺池が森林の底に小さく、穴のように見える、末の梢と頭の枝とが、緑に濃淡の調子をつけて、森然として沈黙している。  測量標の直ぐ下は、野宿に適当な広い平地があって、それから凄まじいほど、垂直の断崖を作している、その下が雪田で、雪解の水は大樺の谷、それから小樺の谷へと、落ちているらしいが、そこまでは解らない。  ともかく北岳というところは、北は駒ヶ岳、北西は仙丈岳、西は木曾山脈、南が間の岳、農鳥、北東が地蔵岳鳳凰山などと、高度我に下りながらも、ほぼ等しい大山岳圏に囲繞せられているから、北アルプスの高山で見るような、広々とした眺望は獲られない。  この白峰山脈縦断旅行も、これでおしまいになるのかと思うと、嬉しいような、気抜けがしたような、勝利の悲哀といったような、情ない心持が身に沁み泌みと味われて来る。     信濃金梅・木賊(大樺谷に下る記)  北岳三峰中の最北端まで来ると、石で囲った木の祠があって、甲斐が根神社と読まれた、そこから何百米突か低くなって、尾根の最北端に駱駝の瘤のような峰が、三個ほどある、これを私は仮に、三峰岳と名をつけた、この岳から谷が切れて、北に仙丈岳が聳えている、尾根伝いに北の方、甲斐駒を隔てて八ヶ岳と、その天鵞絨のような大裾野を見た、下りがけに小さな雪田が、二ツばかりあった、人々は雪を爪でガリガリ掻きながら、うまがって喰べた、ツガサクラや、黄花石楠花の間を伝わって、三峰岳の方に向いながら、途中から偃松を横切って、大樺谷へと下りた、偃松が尽きると、春の低原地に見られるような、生々しい緑の草葉が、陰湿の土を包んで、その傾斜が森林の中まで落ちている、草ばかりではない、小さい切石や、角石が隠れていて、踵でも足の指でも噛まれて、傷だらけになる、信濃金梅の花は、黄色な珠を駢べて、絶頂から裾までを埋めた急斜の、大黄原を作っている、稀に女宝千鳥や、黒百合も交っているが、このくらい信濃金梅の盛に団簇したところは、外の高山では、見たことがない。  白樺の痩せた稚い樹が出て来て、その中から山桜の花が、雪のように咲いている、四月の色は北岳の北の尾根から、信濃金梅の傾斜を伝わって、この森林にまで、流れ込んでいる。  次第に喬木の森林に入った、白く光る朽木は、悪草の臭いや、饐えたような地衣の匂いの中に立ち腐れになっている、うっかり手が触れると、海鼠の肌のような滑らかで、悚然とさせる、毒蚋が、人々の肩から上を、空気のように離れずにめぐっている、誰も螫されない人はない、大樺池を直ぐ眼の下に見て、ひた下りに下る。  森がちょっと途切れて、また草原になる、雪の塊が方々に消え残っている、大樺池は、この緑の草原の中で、針葉樹や白樺の稚樹に、三方を囲まれ、一方は原に向いている、水はうす汚なくて、飲もうという望みは引ッ込んだが、草影、樹影、花影が池に入って、長い濃い睫毛が、黒い眼の縁に蓋をしている、緑晶のような液体の上を、水虫が這っている、それが原の中の「眼」から、転ぶように動く涙のようだ。鳳凰山地蔵岳の大花崗岩山は、その峻しい荒くれた膚を、深谷の空気に、うす紫に染めている。  それからまた針葉樹林を駈け下りる、水の音がするすると、樹の間を分けて上って来るようだ、水! 水! 連日味わなかった水! 一同は狂気のように躍り上って、悦んだ、そうして小さい谷川へ下りたときには、敷石の水成岩の上に、腹這いになって、飲む、嗽ぐ、洗う、もう浸かるばかりにして、やっと満腹した。  それから大樺谷を右左に、石伝いに徒渉すると、窮渓が開けて、林道となった、材木の新しく伐り倒された痕を見つけて、もう人がいると思った、羊歯や木賊の多く生えている谷沿いの、湿地を下りてから、路も立派についている、能呂川の縁の、広河原というところへ出た、『甲斐国志』能呂川の条に「河側に木賊多し、残篇風土記に、巨摩郡西隈本木賊とあり、意ふにこの川の古名なるべし」、今も木賊が、この辺到るところに自生している。  材木小舎があって、男女七、八人、精々と労作をしている、木は唐檜が多く、飯櫃の材料に、挽き板に製している、晃平を使いに立てて、一泊を頼んで見たが、聞き入れない、一行は急流に架けた木橋を渡って、能呂川の対岸に出ると、北岳が頭を圧すように、近く空を劃って、頭抜けている、「あの山の頂を踏んだ」という誇が、人々の顔にまざまざと読まれた。  十町ばかりも足をひきずって歩いたが、ここに川縁の広い沙原──下樺という──を見つけて、今夜の野営を張ることにした、床は栂の葉で布き敷めた、屋根は例の油紙である、疲れた足を投げ出して、荷の整理にかかる、今日は殊に岩石の多い傾斜地を来たので、今までは一日一双か二双位の草鞋が、平均五双ずつを費やした、最も堅固なものにしていた麻の草鞋も、大穴が明いて、棄てるより外はなかった、繃帯、絆創膏、衣服の修繕の糸や針、そういうものが、人々の手から手に取り交わされた、谷川の清い水で、鍋や茶碗が充分に洗われた、この日の夕餉はうまかった。  夜になって空に星はあったが、電光が白い柱を、谷の中に投げては、夜営の人々をおどろかした、夜半には、秋雨が音なく注いだ、川縁に転がっている流材を焚火にして、寒さを凌いだ、針葉樹の切崖で囲んだ、瓶のように窄い谷底からは、天も谷川ほどの細さで流れている。 底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店    1992(平成4)年7月16日第1刷発行    1994(平成6)年5月16日第5刷発行 底本の親本:「小島烏水全集」大修館書店    1979(昭和54)年9月~1987(昭和62)年9月 入力:大野晋 校正:伊藤時也 2009年8月18日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。