人間腸詰 夢の久作(夢野久作) Guide 扉 本文 目 次 人間腸詰  あっしの洋行の土産話ですか。  イヤハヤどうも……あんまり古い事なんで忘れちゃいましたよ。何なら御勘弁願いたいもんで……ただもうビックリして面喰って、生命からがら逃げて帰って来たダケのお話でゲスから……。  ……ヘエ……あの話。あの話と申しますと? ヘエ。世界が丸いお蔭で、あっしが腸詰になり損なった話……。  うわあ。こいつあ驚いた。誰からお聞きになったんで。ヘエ。あの植木屋の六から……弱ったなあドウも。飛んでもねえ秘密をバラしやがって……アイツのお饒舌と来た日にゃ手が附けらんねえ。死んだ親父から聞きやがったんだナ畜生……誰にも話したこたあねえのに……。  ヘエヘエ。これあドウモ御馳走様でゲス。こうやって自分の手にかけたお座敷で、兄弟分がこしれえたお庭を眺めながら、旦那様のお相伴をして一杯頂戴出来るなんて職人冥利の行止まりでげしょう。ヤッ、これあドウモ奥様のお酌で……どうぞお構い遊ばしませんで……手酌で頂戴いたしやす。チイット世界が丸過ぎるようで。ヘヘヘ。オットット……こぼれますこぼれます。  それじゃそのガリガリの一件から世界のマン丸いわけが、わかったてえお話を冒頭からやって見やすかね……ガリガリてなあ人間を豚や犬とゴッチャにして腸詰めにする器械の音なんで……ヘエ。亜米利加に今でも在る。旦那様も御存じ……ヘエヘエ……そのガリガリの中へあっしが這入り損ねたお話なんでゲスからアンマリ気持のいいお話じゃ御座んせん。亜米利加では人を殺すとアトがわからねえように腸詰めにしちまうんだそうですからね。今思い出してもゾッとしますよ。お酒のお肴になるようなお話じゃねえんで……何なら御免を蒙りてえんで……。  ヘエッ。奥様はソンナお話が大のお好きと仰言る……恐れ入りやしたなあドウモ。そんな話を聞いてる中に眼尻が釣上って来て自然と別嬪になる……新手の美容術……ウワア。エライ事になりましたなあドウモ。あっしの嬶なんぞはモウ以前に水天宮で轆轤首の見世物を見て帰って来ると、その晩、夜通し魘されやがったもんで……ほかじゃあ御座んせん。手前の首が抜けそうで心配になっちゃったんだそうです。……ヒヤア、抜ける抜けるとか何とか詰らねえ声を真夜中出しやがるんで……篦棒めえ、抜ける程の別嬪と思ってやがるのか……ってんで、背中を一つドヤシ付けてやりましたらヤット正気付きましたがね。あれがドウモいけなかったようで……とうとう一生涯、別嬪にならず仕舞いで、惜しい事をしましたよ。まったく。ヘヘヘ。世の中は変れば変るもんでげす。  あっしが二十七の年でゲスから三十年ばかり前のことでしょう……明治三十何年かのお正月の話でゲス。その時分は台湾の総督府で仕事さして頂いておりましたが、その春から夏へかけて亜米利加の聖路易てえ処で世界一の博覧会がオッ初まるてんで、日本の台湾からも烏龍茶の店を出して宣伝してはドウかてえお話が持上りました。その時分までは何でもカンでも舶来舶来ってんで紅茶でも何でもメード・イン・毛唐でねえと幅が利かねえのが癪だってんで……。印度産の極上品よりもズット芳香の高い、味の美い烏龍茶を一つ毛唐に宣伝してみろってえ、その時の民政長官の男爵様で、後藤新平てえ方が……ヘエ。その蛮爵様が号令をおかけになったんだそうで……あっしも一つ台湾風の大きなカフェエを、この博覧会の中へ建てに行かねえかってえ蛮爵様からのお言葉でしたがね、ビックリしやしたよマッタク。  自慢じゃ御座んせんが小学校を出たばかりのタタキ大工なんで……雀がチューチュー鴉がカアカア。チイチイパアパアが幼稚園の先生ぐれえの事しか知らねえ江戸ッ子一流の世間見ずでゲス。箱根の向うへ行ったら日本語でせえ通じなくなるんですから、洋行なんて事あ考えてみた事も御座んせん。  総督府の官舎を建てに台湾へ渡る時にも、乗っている船が陸地の見えない海の上を平気でドンドン走って行きますので、何だか妙な気持になっちゃいましてね。私たちを引率している藤村てえ工学士の方に聞いたら笑われましたよ。 「地球は丸いものだから心配しなくてもいいよ。イクラ行ったって、おしまいにはキット日本へ帰り着くんだから」 「ヘエ、誰か見た者がおりますかえ」 「見なくたってわかっている。日本男児の癖に意気地が無えんだナお前は……。天草の女を御覧……世界が丸いか四角いか、わかりもしない娘ッ子の中から世界中を股にかけて色んな人種を手玉に取って、お金を捲上げちゃあ日本の両親の処へ送るんだ。大したもんだよソレア。世界中のどこの隅々に行っても天草女の居ない処は無いんだよ」 「ヘエッ……成る程ねえ。そんなもんですかねえ」 「まったくだよ。洋行するとわかる」 「ヘエ、そんなに天草女ってものは大勢居るんもんですかねえ」 「居るか居ないか知らないが、外国では炭坑でも、金山でも護謨林でも開けると器械より先に、まず日本の天草女が行くんだ。それからその尻を嗅ぎ嗅ぎ毛唐の野郎がくっ付いて行って仕事を初める。町が出来る。鉄道がかかるという順序だ。善い事でも悪い事でも何でも、皮切りをやるのはドッチミチ日本の女だってえから豪気なもんだよ。まったく思いがけない処でヒョイヒョイ天草女にぶつかるんだからね」 「ヘエ。そんな女は、おしまいにドウなるんでしょうか」 「それアキマリ切っている。その中に世界の丸いことがホントウにわかって来ると、そこで一人前の女になって日本へ帰って来て、チャンと普通の結婚をするんだ。又……それ位の女でないと天草では嬶に招び手が無い事になっているんだから仕方がない」 「嫁入道具に地球儀を持ってくようなもんですね」 「まあソンナもんだ。だから天草には、世界の丸いことがわからないと洋行出来ないナンテ意気地の無い女は一匹も居ないんだよ」  あっしは余計な恥を掻いたんで赤くなっちゃいましたよ。それでもイクラか安心するにはしましたがね。  ですから亜米利加へ渡る時には相当、落付いておりましたよ。仲間の奴に……大工と左官とで、植木屋の六の親子も入れて十四五人ぐれえ居りましたっけが……そんな連中に基隆で買った七十銭の地球儀を見せびらかして、日本の小さい処を講釈して聞かせたりして片付いておりましたがね。その中に毎日毎日アンマリ長いこと海の上ばっかりを走って行くのに気が付くと妙なもので、理窟は呑込んでいる癖に、何となく心配になって来ました。今でも初めて洋行する人は、よくソンナような頭のヘンテコになる病気にかかるんだそうで、熱ぐらいあったかも知れません。別に何ともないのに、何だかミンナが欺されて島流しにされるんじゃねえか。佐渡が島へ金坑掘りに遣られるんじゃねえか……なんて考えているとドウモ頂くものが美味しく御座んせん。毎日毎日そのライスカレーとシチウとコロッケに飽きちゃったのかも知れませんがね。  その中に船の中で演芸会が初まりました。あっしがステテコを踊ることになったんで……船の中に派手な三桝模様の浴衣と……その頃まだ団十郎が生きておりました時分で……それから赤い褌木綿と、スリ鉦、太鼓、三味線なんぞがチャント揃ってたのには驚きましたよ。  当日になると中甲板の五六百人ぐらい這入る広間に舞台が出来て、そこへ一等の船客から吾々特別三等の連中まで一パイになって見物するんで、皮切りにヒョウキンな西洋人の船長が飛出して西洋手品を初める。ナカナカ鮮かなもんでしたが、これあ当り前でさあ。そのあとへ日本人が上ってヤッパリ西洋手品を使いましたがアンマリ冴えません。メード・イン・ジャパンが今でも幅の利かないのは手品ばっかりでしょう。その中にあっしのステテコの番が来たんで立上ろうとしているところへ今の植木屋の六の親父でゲス。その時はモウいい禿頭の赤ッ鼻でしたっけが、あっしから世界の丸い話を聞てからというもの毎日毎日甲板に出て、船の周囲をグルグルまわってゆく蓄音器のレコードみたいに平べったい海を見まわしながら首をひねっていた奴なんで……その日も、あっしと組になってステテコを踊ることになっていたんですが、そいつが派手な浴衣に赤褌のまんまボンヤリ甲板から降りて来やして、出の囃子を聞いているあっしの顔をジイッと穴のあくほど見ながら、小ッポケなドングリ眼をパチパチさせたもんです。 「おれあドウしてもわからねえ」 「何がわからねえ」 「世界が丸いてえ理窟が……」 「馬鹿だな手前は……イクラ云って聞かせたってわからねえ。台湾へ渡った時にヤットわかったって安心してたじゃねえか」 「それはお前だけだ。俺あアレからチットモ安心していねえんだ。不思議でしようがねえんだ」 「何が不思議だえ」 「だって考えても見ねえ。あの地球儀みてえなマン丸いものの上にドウしてコンナに水が溜まっているんだえ……。おまけに大きな浪が打ってるじゃねえか……ええ……」  そう聞くとあっしも頭の芯がジインとして考え込んじまいました。口では強いことを云いながら心の奥ではやっぱり心配していたんですね。そこが病気のセイだったかも知れませんが、図星を指されてハッとしたようなアンバイで変テコレンな眼のまわるような気もちになっちゃいました。そこいらがだんだん薄暗くなって気が遠くなって行くようなアンバイで……そのまんま引っくり返っちゃったらしいんです。気が弱かったんですね、あっしは……もっともその時にはモウ六の親父と一緒に揃ってソンナ病気にかかっていたんだそうですから仕方がありませんがね。妙な病気があればあったもんでゲス。癲癇なら差詰め地球癲癇だったのでしょうが、そんなオボエは毛頭なかったんで……自分でも、おかしいと思いましたよ。  ですから同じ病気にかかっていた六の親父も、あっしが引っくり返ったのを見ると直ぐに追っかけて引っくり返りやがったんだそうで……これは大変だと思ったトタンに世界中が平ベタクなったてんですからダラシのねえ野郎で……お蔭でステテコはオジャンになっちまいました。誰が云い出しものか知れませんが、モトモト平べったい処に住んでいる人間に「世界は丸い」なんて罪な御布告を出したものですよ。まったく、大本教のお筆先に引っかかったみてえで……それから亜米利加へ着くまで二週間ばかりの間、六の親父とあっしと二人で上甲板の病室に入れられてウンウン云っておりました。  アトから聞いてみると揃いも揃ったステテコが二人つながって引っくり返った。場違いのステテコだ……てんで船中の大評判になったんだそうで……おまけに二人とも……大変だ大変だ……とか何とか変な譫語を並べたもんですから、念のために血を取って調べてみると恐ろしいもんでゲス。浮気の痕跡がタップリと血の中に残っている。この白痴野郎ッ……てな毒の名前だったと思いますがね。ヘエ。そのゴノゴッケンの陽性なんで、テッキリ脳梅毒……何をするかわからねえということになって閉め込みを喰ったもんです。その又、船のお医者って奴がチャチな塩っぱい野郎だったのでしょう。その中にホントの病気の名前がわかったんだそうですが……。  ヘエ。その病気の名前でゲスか。エエト……そうそう六の親父のが「野垂れ死に」てえんで、あっしのが「鸚鵡・小便」てんだそうで……笑いごとじゃねえんで……ヘエ。ノスタレジイ……ノスタルジヤにホーム・シックでゲスかい。どうもおかしいと思った。お笑いになっちゃ困ります。二人とも熱が八度ばかり出ましたよ。日本へ帰ってから聞いてみたら舶来の神経衰弱なんだそうで……重いのがノスタレジイで軽いのがオーム・シッコてんだそうですが、ハイカラな病気があればあるもんですな。派手な浴衣の赤褌に、黄色い手拭の向う鉢巻がノスタレのオーム・シッコでウンウン云ってるんですから世話ありやせんや……。  それでも亜米利加へ上陸ると二人とも急に元気になりましてね。聖路易へ着くと直ぐに建前にかかりやした。藤村てえ工学士さんが引いてくれた図面の通りに台湾式の御殿を建てましたが大した評判でげしたよ。ソレアあっしとノスタレ爺の写真が大きく新聞に出ましたよ。ノスタレ爺の方は植木屋でゲスからその台湾館の前に作った日本式のお庭が大受けに受けちゃったんで……ノスタレ爺の野郎は雪舟の子孫だってえ事になったんですから呆れて物が云えませんや。あっしの方はモットおかしいんで……あっしはこれでも小手斧の癇持ちでげして、小手斧の木片が散らかるのが大嫌いでげす。そこで最初から手を附けた四十尺ばかりの美事な米松の棟木をコツンコツンと削して行く中に四十尺ブッ通しの継がった削屑をブッ放しちゃったんで、見ていた毛唐の技師が肝を潰したもんだそうです。その話が亜米利加中の新聞に出たってんで、あっしが船の中で退屈凌ぎに作った箱根細工のカラクリ箱が、まだ博覧会の初まらねえ中にスッカリ売約済みになる。六の親父をお雪の旦那のピイピイモルガンて奴が買いに来るってなアンバイで大した景気でしたよ。毛唐って奴はつまらねえ事を感心するんですね。ヘヘヘ。  その中に屋根の反ックリ返った、破風造のお化けみてえな台湾館が赤や青で塗り上って、聖路易の博覧会がオッ初まる事になりますと、今のノスタレとオーム・シッコが二人でフロッキコートてえ活弁のお仕着せみてえなものを着込んで入口の処へ突立って、藤村さんから教わった通りの英語を、毎日毎日大きな声で怒鳴るんです。 「じゃぱん、がばめん、ふおるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」  お笑いになっちゃ困ります。何てえ意味だかチットモ知らなかったんで……最初の中は茶目好きの藤村さんが「右や左のお旦那様」を英語で教えたんじゃねえかと思ってましたがそうでもないらしいです。お大師様の「あぼきゃあ兵衛。露西亜のう、中村だあ」式の英語で、毛唐の厄払いか、荒神祀りの文句じゃねえかとも考えてみましたがそうでもないらしんで……ズット後になって聞いてみましたら「日本専売局台湾烏龍茶一杯十銭、イラハイイラハイ」てんですから禁厭にも薬にもなれあしません。  もっともこのお祓いの文句の意味が、そんなに早くからわかってたら、あっしの生命は無かったかも知れません。舶来の腸詰になっちゃって、毛唐の糞小便に生れかわっていたかも知れねえんで……変テコなお話でゲスが人間の運てえものは、ドンナ事から廻り合わせて来るか知れたもんじゃ御座んせん。正直のところ「わんかぷ、てんせんす」と米の生る木があっしの生命の親なんで……。  とにかくソイツを訳のわからねえまんまに台湾館の前に突立って、滅法矢鱈に威勢よく怒鳴っているとドシドシ毛唐が這入って来る。台湾館の中では選抜き飛切りの台湾生れの別嬪が、英語ペラペラで烏龍茶の講釈をしながら一枚八仙の芭蕉煎餅を出してお給仕をする。その毛唐らが這入りがけや出て行きがけにあっしとノスタレに五仙か十仙ずつ呉れて行きます。たまには一弗も五弗も呉れる奴が居る。そうかと思うと何も呉れねえでソッポ向いて行く猶太人みてえな奴も居るってな訳で、いいお小遣いになりやしたよ。  その中に英語がチットずつわかって参りやした。水の事を「ワラ」ってんで……ワラワセやがるてのは、これから初まったのかも知れません。舟に乗って来るのがナベゲタ。席亭話の鍋草履てえのと間違いそうですね。女の事が「レデー」ですから男の事が「デレー」かと思ったら豈計らんや「ゼニトルマン」でげす。成る程これあ理窟でゲスが失礼したくなりますね。奥さんのことが「マム」……「女はマモノ」ってえ洒落かも知れませんがドウカと思いますよ。「お早よう」てのが「グルモン」、こいつは「グル」だけでも間に合います。江戸ッ子の「コンチワ」が「チヤア」で済むようなもんでげしょう。今晩はが「グルナイ」。「勝手にしゃアガレ」てクッ付けてやりてえくれえで……「左様なら」が「グルバイ」……どうしてこう毛唐はグルグル云いたがるんだか……獣から人間になり立てみてえで……もっとも毛唐は毛の字が付くだけに手も足も毛ムクジャラですからね。女なんかでも顔はパヤパヤとした生ぶ毛だらけで身体中は鳥の毛を挘ったようにブツブツだらけでゲス。傍へ寄ると動物園臭くって遣り切れませんがね。男でも女でも物を呉れるたんびに「タヌキ」と云ってやると喜んでいるんですからヤッパリ獣なんでげしょう。  ところが、その毛唐のタヌキ野郎に非道い目に合わされたお話なんで……獣だけに悪智恵にかけちゃ日本人は敵いませんや。  あっし等が人寄せをやっている台湾館の中には六人の台湾娘が居て、お茶の給仕をしておりました。そいつ等の名前は三十年も前の事ですから忘れちゃいましたが、何でもフン、パア、チョキ、ピン、キリ、ゲタってな八百屋の符牒みたいな苗字の女の子が、揃って台湾選り抜きの別嬪ばかりなんで、年はみんな十七か八ぐれえの水の出花ってえ奴でしたが、最初っからの固いお布告で、そんな女たちに指一本でも指したら最後の助、お給金が貰えねえばかりでなく、亜米利加でタタキ放しにするという蛮爵様からの御達しなんで、おまけに藤村さんは藤村さんで、一足でも博覧会場から踏み出すことはならねえ。亜米利加の町にはギャングとかガメンとかいう奴がどこにでも居て昼日中でも強盗や人浚いをやらかす。気の弱い奴と見たらピストルで脅威かして大盗賊や密輸入の手先にしちまうから気を附けろ。一度ソンナ奴に狙われたら生きて日本に帰れねえからそう思えってサンザ威嚇かされておりましたからね。何の事あねえ不動様の金縛りを喰った山狼みてえな恰好で、みんな指を啣えて、唾液を呑み呑みソンナ女たちを眺めているばかりでした。  可哀相に女の出来ねえ職人たら歌を忘れたカナリアみてえなもんで……ヘエ。あっしゃ今でも気が若い方なんで、その頃はまだ三十になるやならずの元気一杯の奴が、青い瞳をしたセルロイドじゃあるめえし、言葉も通じなけあ西も東もわからねえ人間の山奥みてえな亜米利加三界へ連れて来られて、毎日毎日そんな別嬪たちの色目づかいを見せ付けられながら涙声を張り上げて、 「わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」  をやらされているんですから、たまりませんや。ノスタレ爺もオームのオシッコも眼が釣上っちゃって、今にもポンポンパリパリと破裂しちまいそうな南京花火みてえな気もちになっちまいましてね。哀れとも愚かとも何とも早や、申上げようのない「ふおるもさ、ううろんち」が一対、出来上ったもんでゲス。  ところがここに一つうまい事が持上りました。その女たちの中でも一等捌けるピン嬢とチョキ嬢という二人がノスタレだかオシッコだかわかりませんが病気になっちゃったんで、とりあえずの埋め合わせに聖路易の支那料理屋に居たというチイチイっていうのとフイフイっていうのと二人の別嬪が手助けに来たんでげす。何しろ一人で卓子を六つ宛も持っているんで一人欠けても頬返しが附かないですからね。占めた。こいつは有難いことになったもんだと私は内心でゾクゾク喜んじゃいました。ねえ。そうでしょう。今まで居た女には指一本さしても不可なかったかも知れねえが、今度来た女なら差支えなかろう。しかも向うが二人前ならこっちも二人前と云いてえが、片っ方が禿頭の赤ッ鼻のノスタレじゃ問題にならねえ。若さといい、男前といい、一番鬮の本鬮はドッチミチこっちのもんだがハテ。ドッチから先に箸を取ろうかテンデ、知らん顔をして「わんかぷ、てんせんす」のおまじないを唱えながら二三日ジッと様子を見ているとドウです。このチイ嬢とフイ嬢の二人が一緒に、あっしの方へ色目を使い初めたじゃ御座んせんか。  ヘヘ……どうも恐れ入りやす。おっとっと……こぼれます、こぼれます。どうもコンナに御馳走になったり、勝手なお惚気を聞かしたりしちゃ申訳御座んせんが、ここんところが一番恐ろしい話の本筋なんで致方が御座んせん。どっちみち混線させないようにお話しとかないと、あとで筋道がわからなくなりやすからね。ヘヘ、恐れ入りやす。  二人の中でもフイフイっていうのは、まだ十七か八の初々しい聡明そうな瞳をした、スンナリとした小娘でしたが、あっしに色目を使いはじめたのはドウヤラ此娘の方が先だったらしいんです。台湾館に来る匆々から何やら物を言いたそうな眼付きをして、あっしの方を見ておったように思いますがね。そいつを一方のチイチイって娘が感付いて横槍を入れたものらしいんです。ヘエヘエ。その通りその通り。あっしの取り合いっこが始った訳なんで、ヘヘヘ。ヘエヘエ。大した色男になっちゃったんで……油をかけちゃいけません。ああ暑い暑い……イエイエ。モウ頂けやせん。ロレツが廻らなくなっちゃ困るんで……アトにモノスゴイ話がつながってるんでゲスから……ヘエ。  ……というのはこのチイチイって奴が大変なものなんでげす。あとから聞いた話では支那人と伊太利人の混血娘だったそうですが、とても素晴らしい別嬪でげしたよソレア。おまけにテエブルの六ツは愚か二十でも三十でも持って来て下さい。一人で捌いて見せるからナンテ大それた熱を吹きやがって、来る早々から仲間に憎まれておりましたがね。生やさしい女じゃ御座んせんでしたよ。  そうですねえ。年はあれでも二十二三ぐらいでしたろうか、スッカリ若返りにしておりましたので一寸見はフイ嬢よりも可愛いくれえで、フイ嬢とお揃いの前髪を垂らして両方の耳ッ朶に大きな真珠をブラ下げた娘が、翡翠色の緞子の服の間から、支那一流の焦げ付くような真紅の下着の裾をビラ付かせながらジロリと使う色眼の凄かったこと……流石のあっしも一ぺんにダアとなっちゃったんで……流石のだけ余計かも知れませんが、誰だってアイツにぶつかったらタッタ一目のアタリ一発でげしょう。ハタからフイ嬢がオロオロ気を揉んでいるようでしたが、そうなるとモウ問題じゃ御座んせん。  その場でインキを二つ三つぶっ付け合うと……ヘエ……ウインクですか……どうも相すみません。亜米利加じゃインキの方が通りがいいんで……ツイうっかり、そのインキの方にきめちゃったんで……そいつに気が付くとフイ嬢が慌てて卓子の向うからあっしに手を振って見せましたが、そうなったら夢中でゲスから気にも止めません。ただその時にフイ嬢を振り返って睨み付けたチイ嬢の眼付の怖しかった事ばっかりは今でも骨身にコタえて記憶えております。その睨みにぶつかったフイ嬢が、真青になってフラフラとブッ倒おれそうになったんですからね。あっしもズット後になって、そのチイ嬢の睨みの恐ろしい意味がわかってスッカリ震え上がっちゃったもんですがね。  その晩のことです。あっしは台湾館の地下室で一緒に寝ているノスタレ爺に感づかれないようにソーッと起き出して、首尾よく台湾館を抜け出しちゃいました。それから約束通り噴水の横でチイ嬢に会って、演芸館の裏で夜間出勤のサンドウィチマンを二人買収して、チイ嬢と二人で薄い布張りの四角い箱の中に這入って、入口の看守にテケツだけ見せて会場を抜け出しました。アトから考えるとあっしゃこの時にいい二本棒に見立てられていたんですなあ。節劇の文句じゃ御座んせんが「殺されるとは露知らず」でゲス。屠所の羊どころじゃねえ。大喜びで腸詰になりに行ったんですからね。  博覧会の会場を出るともう、カイモク西だか東だかわからねえ聖路易の町つづきでさあ。イルミネーションの海の底を続きつながって流れて行く馬車と電車の洪水でサ。その頃はまだ亜米利加にも円タクなんてものが無かったんですからね。  あっしの先に立ったチイ嬢は、一町ばかり行った処の薄暗い町角に在るポストの下で立停まりましたから、あっしもその横で立停まって巻煙草に火を点けました。すると間もなく白い馬を二頭附けた立派な馬車が来て、ポストの前に止まりましたが、それを見るとチイ嬢はイキナリ広告の服を脱いで地面に放り出して、その馬車に飛乗って手招きするんです。ですからあっしも慌てて女の真似をして馬車に飛乗るトタンに、前後左右のスクリンを卸したチイ嬢があっしの首ッ玉にカジり付いてチュウッ……ヘヘヘ……どうも相すみません。ここがヤッパリその本筋なんで……このチュッてえ奴が腸詰の材料に合格の紫スタムプみてえなチューだったんで……実際眼が眩んじまいましたよマッタク。いい芳香が臓腑のドン底まで泌み渡りましたよ。そうなると香水だか肌の香だか解かれあしません。おまけにハッキリした日本語で、 「まあ……よく来てくれたねえ、アンタ」  と来たもんです。  トタンに前後の考えなんか、笠の台と一緒にどっかへふッ飛んじゃいましたね、キチガイが焼酎を飲んで火事見舞に来たようなアンバイなんで……暫くして女がスクリンを上げてから気が付いてみると、その馬車の走り方のスゴイのにチョット驚きましたよ。ほかの馬車をグングン抜いて行くので、金ピカ服の交通巡査が何度も何度も向うから近付いて来て手を揚げて制止にかかったようでしたが、私等の馬車に乗っている黒い頬鬚を生した絹帽の馭者がチョット鞭を揚げて合図みたいな真似をすると、どの巡査もどの巡査も直ぐにクルリと向うを向いて行っちまったんです。  それが右へ曲っても左に曲っても、どこまで行ってもどこまで行ってもそうなんですから、あっしはだんだん不思議になって来ましたが、アトから聞いてみると無理もない話です。その馭者というのが旦那様……聖路易切ってのギャングの大親分で、カント・デックてえ凄い奴だったそうです。聖路易の町中の巡査はミンナこのデックの乾分みてえなものだったってえんですから豪勢なもんで……しかも一緒に乗っている支那娘のチイ嬢と、もう一人のフイ嬢とは揃いも揃ってこのカント・デックの妾だって事がそんな時のあっしにわかったら、そのまんま目を眩しちゃったかも知れませんね。地球が丸いどころの騒ぎじゃ御座んせんからね。  それでなくとも何だか少々、薄ッ気味が悪くなりかけているところへ馬車が止って、一軒の立派な明るい店の前に着きました。チイ嬢はそこであっしのキタネエ首根ッ子に今一つキッスをしますと、あっしの手を引きながらその店の中に這入って行きましたが、それは大きなレコード屋だったんですね。スバラシイ花輪や流行児の歌い手らしい男や女の写真が、四方の壁一パイに並んでいる店の広間へ、縦横十文字に並んだ長椅子に凭りかかった毛唐と女唐とが、フロック張りの番頭や手代の鳴らすレコードを知らん顔をして聞いていたようです。  その横ッチョの木煉瓦張りの通路をやはり女に手を引かれながら通り抜けて、奥の行当りのドアを抜けるとヤット肩幅ぐらいの狭い廊下に出ました。その廊下は向う下りになっていて、黒いマットが一面に敷いて在るために足音も何もしないまま地下室へ降りて行くようになっていたらしいんですが、その中に右に曲ったり左に折れたりして扉を三つか四つぐらい潜って、もうだいぶ下へ降りたナ……と思ったトタンに廊下の天井に点いていた電燈が突然に消えちゃって真暗闇になっちまいました。それがチイ嬢の顔の見納めだったんで……今度目、見た時は夕刊の新聞で手錠をかけられた笑い顔で、その次に見たのはデックと並んで死刑の宣告を受けている写真ニュースの横顔でしたがね。  もちろんソン時のあっしにゃそんな事がわかりっこありゃせん。神様だって知らなかったんですから……それと一所に女も手を放しちゃったんですから、あっしはタッタ一人真暗闇の中に取残されちゃったんで……往生しましたよ。まったく。  それでもまだ自惚れが残っていたんですから感心なもんでげしょう。さては女がイタズラをしやがったんだナ……ヨオシ……その気ならこっちでも探り出して見せるぞ……てんで鬼ゴッコみたいに手探りで向うの方へ行きますと、いつの間にか廊下の行当りの扉を通り抜けて一つの立派な部屋に出ていたんですね。不意討ちにパッとアカリが点いたのを見ると、太陽が二十も三十も一時に出て来たようで今度こそホントウに腰を抜かすところでしたよ。何しろそこいら中反射鏡ダラケの部屋に、天井一パイの花電燈が点いたんですからね。  世の中には立派な部屋が在れば在るもんだと思いましたねえ。この節なら銀座へ行けあアレ位の部屋がザラに在るんですから格別驚かなかったかも知れませんがね。何の事はない、竜宮みてえな金ピカずくめの戸棚や、椅子、テーブル、花束や花輪で埋まった部屋なんで、ムンムンする香水の匂いで息が詰りそうな中にタッタ一人突立っている見窄らしいあっしの姿が、向うの壁一パイに篏め込んで在る大鏡に映ったのを見た時にゃ、思わずポケットへ手を当てましたよ。コンナ立派な部屋でチイ嬢を抱いて寝た日にゃ、イクラ取られるかわからないと思いましてね。そこまで来てもまだ瘡毒気が残っていたんですから大したもんでゲス。 「アハハハ。お金のこと心配してはイケマセン……ミスタ・ハルキチ……アハハハハ……」  だしぬけに大きな笑い声がしたのでビックリして振向きますと、あっしの背後の大きな蘭の葉陰から四十年輩の夜会服の紳士が、歩み出して来ました。その柔和な笑顔を見ると、たしかにどこかで会ったことの在る顔だとは思いましたが、どうしても思い出せません。真逆にツイ今サッキ乗って来た馬車の馭者が黒い頬髯を取ったものだとは気付きませんでしたので、多分台湾館に居る時にチップを余計に呉れたお客の一人じゃないかと思いながらホッとタメ息しておりますと、その紳士は右手を差出して、あっしと心安そうに握手しながら一層、眼を細くして申しました。しかも、それが片言まじりの日本語なんです。 「……アナタ……この家がドンナ家ですか、よく御存知でしょう。それですからメンド臭いお話やめましょうね。用事だけお話しましょうねえ。コチラへお出で下さい」  と私を手招きしながら部屋の隅の巨大な銀色の花瓶の処へ来ました。それは人間ぐらいの大きさの花瓶に蝦夷菊の花を山盛りに挿したもので、四五人がかりでもドウかと思われるのをその紳士は何の雑作もなく一人で抱え除けますと、その花瓶の向うの寄木細工の板壁の隅に小さな虫喰いみたいな穴が二つ三つ出来ております。その穴の一つに紳士が、時計の鎖に附いている鍵を突込みますとパタリと音がして二尺に二尺五寸ぐらいの壁板が開いて、奥の浅い十段ばかりに仕切った棚があらわれました。それがその毛唐の紳士が片言まじりの日本語と手真似で話すのを聞いてみるとこうなんです。  ──この秘密の棚を錠前を使わないで開けられるようにしてもらいたい。材料と道具は入用なだけ直ぐに取寄せてやる。お前は台湾館の横で売っている不思議な箱根細工のマジック箱を作った大工さんだろう。だからアノ箱根細工の通りにここへ秘密のカラクリを取付けてもらいたいのだ。そうしてその開き方を自分にだけ教えて、直ぐに日本へ帰ってもらいたいのだ。お金はイクラでも遣る──  と云うのです。毛唐人の大工なんてものは無器用でゲスからあの箱根細工のような細かい仕事が、お手本を見せられても真似られないらしいですね。  しかしあっしはこの時に虫が知らしたんでげしょう、何となく……これあイヤナ処へ来たナ……と思いましたよ。ちいっと虫の知らせ方が遅う御座んしたがね。とにかく…… 「これあ何に使う棚だい。その目的がわからなくちゃ作る事あ出来ねえ」  て云ってやりますとね。その毛唐がホンノちょっとの間でしたっけが青い眼を剥き出して恐しい顔になりましたよ。けれども直ぐに又モトの通りの柔和な顔に返って、前の通りの愛嬌のいい片言まじりの日本語で手真似を初めました。 「これは宝石の袋を仕舞っとく棚だ。私は昔からの宝石道楽で世界中の宝石を集めるのが楽しみなんだから、万一泥棒が這入っても心配のないようにコンナ仕事を頼むんだ。千弗でも一万弗でも欲しいだけお金を上げる。あの娘も附けてやっていいから是非どうか一つ請合って下さい」  てんで見かけに似合わずペコペコ頭を下げて頼むんです。 「私は亜米利加中に別荘を持っているのだから万一ここで貴方の仕事が気に入ったら、まだ方々で、お頼みしたいのだ。貴方に一生涯喰えるだけの賃金を上げる事が出来るのだ」  と顔を真赤にして揉み手をしいしいペコペコお辞儀をするんです。カント・デックは前からチャンと研究して、あっしを口説き落す手を考えていたらしいんですね。仕事の出来る日本人なら金を呉れて頭を下げさえすれあコロリと手に乗って来るものと思っていたらしいんですが、コイツが生憎なことに見当違いだったのです。イクラ「わんかぷ、てんせんす」だって時と場合によりけりです。支那人と違って日本人には虫の居どころって奴がありますからね。  あっしはデックの話を聞いている中にピインと来ちゃいました。さてはあのチイ嬢の色目は喰わせものだったのか、この毛唐人が俺をここまで引っぱり込むために囮に使ってやがったのか、この野郎、俺をいい二本棒に見立てやがったんだな、俺を女で釣って泥棒仕事のカラクリ細工に使おうとしやがったんだナ。して見るとコイツア飛んでもない処へマグレ込んで来ちゃったぞ。しかもここまで深入りしたからにゃトテも生きて日本にゃ帰れめえ……と気が付くと腰を抜かすドコロかあべこべに気持がシャンとなっちまいました。  ……妙な性分であっしは気が長い時にゃヤタラに長いんですが、何かの拍子にカーッとしちまうと、それから先が盲滅法に手ッ取り早いんで……篦棒めえ日本人じゃねえか。金やピストルに眼が眩んで毛唐の追剥や泥棒の手伝いが出来るかってんだ。「ふおるもさ、ううろんち」を知らねえかってんで、イキナリその毛唐に組付いて大腰をかけようとしたもんです。これでも柔道二段の腕前ですからね。  ヘエ。それあ見上げたもんでしたよ。そこんとこだけがね。アトがカラッキシ意気地が無えんで……。  今から考えてみるとあん時によく殺されなかったもんで……多分、出来ることならあっしを威かし上げて柔順しくして、彼の棚の扉の細工をさせようってえ腹だったのでしょう。……コイツは日本一の細工人に違いない。コイツを取逃がしたら二度と再びコンナ細工は出来っこねえ……ぐれえに考えていたのかも知れませんがアブネエもんでゲス。今から考えるとゾッとしますよ。  組み付いたと思った時にゃカント・デックに両腕をシッカリと掴まれておりました。しかもその指の力の強さったらありません。あっしの腕の骨が粉々になって行くような気持ちで、身体中が痺れ上っちゃいました。トテモ敵わないと思わせられましたね。手錠を引千切って逃げたっていう亜米利加でも指折りのカント・デックですから、柔道二段ぐれえじゃ歯が立ちませんや。  デック野郎はあっしの腕を掴んだまま顔の筋一つ動かさねえでニコニコしながら吐かしました。 「アナタ。憤るといけません。あたしカント・デックです。ゆっくりして下さい。面白いものを見せますから……」  と云ううちにあっしを廻転椅子みたいにクルリと向うむきにして軽々と抱え上げて、横のドアから出て行きました。 「いけねえいけねえ。俺あ明日っから又、台湾館の前に突立って怒鳴らなくちゃならねえ約束がして在るんだ。放してくれ放してくれ」  と大暴れに暴れたもんですが何の足しにもなりません。そのまんまその次の部屋だったか、その次の部屋だったか忘れましたが、小さな粗末な部屋へ抱え込まれますと、そこのコンクリートの荒壁に取付けられている一枚硝子の小窓から向うの部屋を覗かせられました。ちょうど赤ちゃんがオシッコをさせられるようなアンバイ式にね……。  あっしは暴れるのをやめてボンヤリと見惚れてしまいましたよ。向うの部屋の状態がアンマリ非道いんで、呆れ返ってしまったんです。  ヘエ。それがドウモここではお話出来難いんで……お二方お揃いの前ではねえ。ヘヘヘヘヘ……。  何の事あねえ。水溜りに湧いたお玉杓子でゲス。それがみんな丸裸体の人間ばっかりなんですから開いた口が閉がりませんや。相当に広い部屋でしたがね。大きな椰子や、橄欖や、ゴムの樹の植木鉢の間に、長椅子だのマットだの、クッションだの毛皮だのが大浪のように重なり合っている間を、甘ったるい恰好の裸虫連中が上になり下になりウジャウジャとのたくりまわっているんですからトテモ人間たあ思えませんよ。金魚鉢に鰌をブチ撒けたぐらいの騒ぎじゃ御座んせん。  不思議なものでね。そんなのを見せ付けられていながらエロ気分なんてコレンバカリも起りませんでしたよ。今考えてもあの時の気持ばっかりはわかりませんがね。多分、冥途の土産……てえな気持で見ていたんでしょう。何がなしに見っともなくて、馬鹿馬鹿しくて、胸が悪くなるようで、横ッ腹の処がゾクゾクして無性に腹が立って来ましたが、そのあっしの耳へカント・デックの野郎が口を寄せて吐かしやがったもんです。 「あそこへ行きたいなら仕事をなさい」  あっしは又、あらん限りの死物狂いにアバレ初めました。部屋の中がムンムンと暑いので、汗みどろになってしまいましたが、何しろ太刀山みたいな強力に押えられているんでゲスから子供に捕まったバッタみてえなもんで……ウッカリすると手足が挘げそうになるんです。 「そんなら今一つ面白いものを見せましょう」  と云うと今度はその小窓と反対側の低い扉を開けて、そこに掛かっている鉄の梯子伝いに奇妙な眩ぶしい広い部屋へ降りて来ました。日本へ帰って来てから早稲田大学へ仕事をしに行った時にヤットわかりましたが、あれが水銀燈というものだったのですね。部屋のズット向うの隅のアーク燈みてえな眩しい、妙な色の電燈が一つ点いているキリなんですが、その光りで見るとカント・デックの顔色から自分の手の甲の色までも、まるきり死人のような鉛色に見えるんです。それでなくともあっしはサッキから死物狂いに暴れたアトで精も気魂も尽き果てておりましたので、カント・デックの片手に吊下げられたまま死人のように手足をブラ下げながらそこいらを見まわしますと、それはどこかの工場の地下室としか思えません。コンクリートの天井と、床の間が頭の閊える位低い、ダダッ広い部屋になっているんで、ジメジメと濡れたタタキの上には机も、椅子も塵っ端一本散らかっておりません。ただ向うの隅の水銀燈の下に、大きな大理石の臼みたようなものがあって、その中で天井から突出たモートル仕掛けの鉄の棒がガリガリガリガリと廻転しているだけなんです。つまり特別誂えの大きな肉挽器械ですね。博覧会の中で見たことのあるソーセージ製造器械なんです。  しかしスッカリくたびれ切って、物を考える力も何もなくなっていたあっしにはソレが何の意味なんだかサッパリわかりませんでした。……ハテナ……蓄音機屋の地下室が、腸詰工場になっているのか知らん。コンクリの床の上をズルズルと引き摺られながら、その臼の処へ連れて行かれましたが、別に怖くも何ともありませんでした。  けどもカント・デックに首ッ玉を押えられてその臼の中を覗かせられた時には、思わずゾッとして手足を縮めちゃいましたよ。その臼は、もちろん底抜けなんで、その底の抜けた穴の上にステキに大きな肉挽き器械のギザギザの渦巻きが、狼の歯みたいに銀色に光りながらグラグラグラと廻転しているのですから落っこったら最後、何もかもおしまいでさあ。頭から尻までゴチャゴチャになってしまうんですからドンナに有難いお経を聞かされたって成仏出来っこありません。 「あなた。この中に這入ること好きですか……仕事しますかしませんか」  流石のあっしも……流石でなくたってヘタバッちまいますよ。イクラ元気を出そう……好きじゃありません……と云おうと思っても身体中がコンクリートみたいになってガタガタ震え出すんですから仕様がありません。お笑いになりますけどもその場へ行って御覧なさい。ナカナカそう平気でいられるもんじゃ御座んせん。自分が何を考えていたか、今でも記憶えていない位なんで、多分気絶する一歩手前だったのでしょう。タッタ一つ眼に残っているのはあの鉛色の水銀燈のイヤアな光りだけなんで……まったくあの陰気臭い生冷めてえ光りばっかりは骨身に泌みて怖ろしゅうがしたよ。ネオン・サインが極楽の光りなら水銀燈は地獄のアカリなんでしょう。生きた人間でも死人に見えるんですからね。今思い出してもゾオッとしちまいますよ。  そこへカント・デックが何か合図をしたのでしょう。ズット背後の方の薄暗い処の扉が開いて、青い菜ッ葉服を着た顔中髯だらけの大男が一人トロッコをノロノロと押しながら出て来たんです。その時まで気が付かなかったんですが、その入口から肉挽器械の前まで幅の狭い軌道が敷いて在ったんで……その菜ッ葉服の男が押しているトロッコが、あっし等の眼の前まで来て停まりますと、そのトロッコの上に乗っているものの上に被せた白い布片をカント・デックが取除けました。そうして思わず「ワッ」と云って逃げ出そうとするあっしをガッシリと抱きすくめてしまいました。  それは若い女の丸裸体の死体だったのです。しかもその小さな下唇を前歯で噛み破ったらしく鼻の下から乳の間へかけてベットリとコビリ付いている血が、水銀燈に照らされて妙に黝ずんだ腮鬚みたいに見えるのです。おまけにその右の手の中に何かしら大切なものを握り込んでいるらしく、シッカリと握り固めている上から左の手を蔽いかぶせてピッタリと胸の上に押え付けている姿が、たまらなくイジラシイものに見えましたが、その黒い髪毛の前の方を切り下げている恰好がドウ見ても西洋人とは思えません。支那人か日本人に相違ないんで……。  そう思っている中に菜ッ葉服の大男が、カント・デックに腮でシャクられると直ぐに一つうなずいて菜ッ葉服の袖口をマクリ上げて、あっしの太股くれえある毛ムクジャラの腕を二本、突出しました。その熊みたいな手で何の雑作もなく女の手を解かせて、シッカリ握っている右手を開かせますと、中から見覚えのある台湾館備付けの桃色の支那便箋を幾つにも折ったものが出て来ました。そのレターペーパの折り目を拡げたやつを受取ったカント・デックは、あっしの鼻の先にブラ下げて見せながら、今一度ニコニコと笑いました。赤チャンをあやすような顔で、あっしの顔を覗き込みましたがね。  それは筆と墨で書いた立派な日本文でした。多分、台湾館の事務室に在った藤村さんの硯箱を使ったものでしょう。昔の百人一首に書いて在るような立派な文字でしたがね。 「チイちゃんと一所に出かけてはいけません。チイちゃんは支那人です。亜米利加のギャングの手先です。わたくしはチイちゃんと一緒にギャングのメカケになった、かわいそうな日本の女です。あたしの事を日本の両親につたえて下さい。 天草早浦生れ   ハル吉親方様 中田フジ子より」  その死骸がフイ嬢の死骸だとわかると、あっしは何かしら叫びながら飛び付こうとしたように思います。今までに無い力が出たので、あぶなくデックを振り離すところでしたが、そのあっしの左の手首をガッシリと掴み止めたデックは面と向って立ちながら今一度ニヤニヤと笑って見せました。 「わかりましたか。仕事しますか」 「何をッ」  とか何とか怒鳴ったように思います。だしぬけに思いがけない力が出たもんで、鉄の噛締器みてえなデックの手を振放して、火の玉のようになって相手に飛びかかろうとしましたが間に合いませんでした。背後から菜ッ葉服の男に息の詰まるほどガッチリと抱きすくめられちゃったんです。そうして犬ころでも棄てるように軽々とデックの夜会服の腕の中へ投渡されちゃったんです。  あっしを受取ったデックは喰い付いたり引っ掻いたりするあっしの手と足を背後から束にしてギューと掴み締めてしまいました。それから何か英語で二言三言云ったと思うと毛ムクジャラの菜ッ葉服が、トロッコの上の女の身体を抱き上げて、何の雑作もなく傍の肉挽器械の中へ投込みました。  ……ヘエ。その時に肉挽き器械の中から聞えて来た恐ろしい声を、あっしは一生涯忘れないでしょう。フイ嬢はまだ生きてたんです。多分、日本人のあっしを救けるためにギャング仲間を裏切った廉で、デックの配下に拷問されて気絶していたものなんでしょう。  あっしもそのまんま気絶していたようです。 「じゃぱん、がばめん、ふおるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」  てお呼び声がどこからか聞えるように思ってフイッと眼を開いてみるてえと、コンクリート作りの馬小舎みてえに狭い藁束だらけの床の上へ投げ出されているのに気が付きました。  片隅の扉の前に置いて在る汚いバケツの中を這い寄って覗いてみますと、ジャガ芋と肉のゴッタ煮の上にパンの塊まりと水と、牛乳の瓶が投込んで在ります。……つまり何ですね。まだあっしを殺す気じゃなかったのでしょう。あわよくば仲間に引っぱり込んで仕事をさせる気でいたのでしょう。  しかしあっしは助かったのが嬉しくも悲しくも何ともありませんでした。今から考えてみるとあの時はヨッポド頭が変テコになっていたんですね。やっぱり地球癲癇の続きだったかも知れませんでしたがね。自分がどこに居るやら、どうなっているやらわからないまま、眼が醒めない前から続けていたらしい譫言を、そのまんま云いつづけておりました。 「じゃぱん、がばめん、ふおるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」  と繰り返し繰り返し大きな声で云ってたようですが、口癖ってものは恐ろしいものですね。  ところがこの御祈祷の文句のお蔭で、無事にこうやって日本に帰ることが出来たんですから、人間の運てえものはドコまでも不思議なもので……ヘエ……。  博覧会の方では大騒ぎだったそうです。あっしと二人の女がダシヌケに行方不明になったてんで警察に頼んだり何かして騒いだそうですが、わかる気づかいはありませんや。気の毒なのは藤村さんで、あっしの代りに礼服を着て台湾館の前に立たされて、代りが出来るまでノスタレ爺と一所に「わんかぷ、てんせんす」をやらされたもんだそうで、二三日やってる中にお尻のポケツへジャラジャラ銀貨が溜まったのはいいが、声がスッカリ嗄れちゃって電話にかかれなくなっちゃったそうで……無理もありませんや。木遣りなんか唄ったこたあねえんですからね。おまけに怒鳴りながらも、ずいぶん気も揉んだそうですからね。……多分あっしが二人の女を誘拐したんだろうテンデ、あべこべに世話あした支那料理店から台湾館が損害を取られそうになっちゃったそうで……大工の治公って奴はソンナ大それた人間じゃねえテンデ藤村さんが一生懸命、頑張ってくれたそうですがね。  そのうちに聖路易の何とか云いましたっけが、目貫の通りに在るホテルの七階の屋上に夜遅くなってから幽霊が出る。そいつがドウヤラ新聞に出た台湾館の行方不明の客呼び男らしいていう噂がホテルのお客さんたちの間に立ち初めました。馬鹿馬鹿しい怪談ですがね……治公がまだチャント生きているのに幽的が出る筈はないんですが、毛唐って奴は元来ゾッコン怪談が好きなんだそうで……つまらねえものを怪談にしちまう癖があるんだそうですが、そんな噂がどこともなく散り拡がって行く中に運よくギャング連中の耳に這入らないまに、藤村さんの耳に這入ったもんです。 「貴女……お聞きになりましたか、あのホテルのお化けの話を……」 「イイエ。まだ聞きませんわ。聞かして頂戴」 「一週間ばかり前からの事です。真夜中の二時頃……電車の絶まる頃になるとあのホテルの屋上庭園のマン中に在る旗竿の処へフロッキコートを着た日本人の幽霊が出るんです。ホラ直ぐそこに若いスマートな男と、赤っ鼻の禿頭が立っているでしょう。あの通りの姿で幽霊が出て来て、あの通りの事を云うんだそうです」 「アラ怖い……ホント……」 「ホントですとも……それがあの新聞に出た行方不明の……ホラ……ずっと前に来た時にあすこに立っていたでしょう。ミスタ・ハルコーっていうあの男の姿にソックリなんだそうです」 「まあ……ホテルじゃ困っているでしょうねえ」 「ところが反対ですよ。お蔭で屋上庭園に行く者は一人も居なくなった代りに、その声を聞きに行く者であのホテルは一パイなんだそうです。警察ではまだ知らないそうですが、あの日本人の行方不明事件はあのホテルと台湾館とが組んでやっている日本人一流の宣伝方法に違いないってミンナ云っておりますがね」 「シッ聞えるわよ。日本人に……」 「ナアニ。彼奴等は英語がわかりやしません。暗記した事だけを繰り返している忠実な奴隷なんですから……」  こんな話を入口の近くの卓でやっているのを小耳に挿んだ藤村さんが、指を折って数えてみると、ちょうどあっしが行方不明になってから八日目だったそうです。  藤村さんは西洋通ですから直ぐにピインと来たんでしょう。直ぐにその晩ホテルへ泊って、夜中の二時頃コッソリと屋上庭園へ来てみると世にも哀れっぽい微かな微かなあっしの声で、 「じゃぱアーん。がばアーンめんとオー。ふおるもっさあアー。うう……ろん……ちいイイイ。わんかぷう……ウ。てんせえんすう──ッ……」  てやっているんだそうです。そこで藤村さんは胸をドキドキさせながら抜き足、さし足その声の聞える方に近付いてみると、その声の主は屋上庭園のどこにも居ない。その向い側のメイ・フラワ・ビルデングの七階の片隅に在る真暗な小窓の中から聞えて来る事が、夜が更けて来るにつれてハッキリとわかって来た……というんです。  しかし亜米利加通の藤村さんは決して慌てませんでした。何喰わぬ顔をして翌る朝、台湾館へ帰って来ると直ぐに華盛頓の大使に頼んで、紐育のプレーグっていう腕っこきの警察官に頼んだものだそうです。  ちょうどそのプレーグっていう警察官は一生懸命になってギャングの巣を探していたところだったそうで、早速紐育の警視庁へズキをまわして取っときの刑事や巡査を借りて聖路易へ乗込んで、土地の警察へも知らさないようにメイ・フラワ・ビルの様子を探ると、出入りする奴はみんな変装した前科者ばかりなんで、イヨイヨそれと目星を附けて水も洩らさねえように手配りをきめた二十人ばかりのプレーグの配下が、アッという間もないうちにメイ・フラワ・ビルの地下室から七階まで総マクリにしてしまいました。双方とも怪我人や死人が出来たりして一時は戦争みたいな騒ぎだったそうですが、あっしはチットも知りませんでした。そこから抱え出されて聖路易の市立病院の病床に寝かされても相も変らず「わんかぷ、てんせんす」をやっていたそうです。  ……ところで、まだ話があるんです。これからがホントに凄いんですね。  あっしがあらん限りの注射と滋養物のお蔭で、やっとモトの頭になって退院させられた時はもうユーカリの葉が散っちゃった秋の末で、博覧会なんかトックの昔におしまいになっておりました。退院すると直ぐに警察に呼び出されて、ほんの型ばかりの訊問を通訳附きで受けますと、領事さんからの旅費を貰って桑港から日本へ帰りましたが、その途中のことです。たしか出帆してから十日目ぐらいのお天気のいい朝でしたがね。あんまり航海が退屈なもんですから、眼が醒めても起き上る気がしません。そのまんま特別三等の寝床の中で足をツン伸ばしてアーッと一つ大きな欠伸をしたもんですが、そのトタンに桑港で知り合いの領事館の人からお土産に貰った小さな紙包みのことを思い出しました。ハテ何だったろうと思いながら、寝床の下のバスケットの中からその紙包を取り出して開けてみると、どうでげす。それが平べったいソーセージの缶なんで……。  コイツは占めたと思って飛び起きると、食堂から五十二仙の日本ビールを一本買って来て、ベットの上にアグラを掻きながら、缶の蓋を開けて、美味そうな腸詰の横ッ腹をジャクナイフで薄く切り初めたもんですが、その中に何やらナイフの刃に搦まるものがあります。……ハテ……おかしいなと思いながら、そのナイフの刃を暗い窓あかりに透かしてみるとソイツが黒い女の髪の毛なんで……あっしはドキンとしましたよ。それでもマサカと思いながら今のソーセージの切口をよく見ると、薄桃色の肉の間に何だか白い三角型のものが挟まっているようです。ハテナと思い思いホジクリ出してみると、そいつがどうです。三分角ぐらいの薄桃色の紙片の端なんで……永いこと赤い肉の間に挟まってフヤケちゃっているんですから色合いなんかアテになりませんし、紙の質だって支那出来のレターペーパだか何だか、わかったもんじゃ御座んせんが、それでもその紙が、その黒い髪の毛と一つ所に這入っていたことだけは間違いねえんで……。  それでもマサカ……とは思いましたがドウモ変な心持ちになりましたよ。あっしに惚れていたフイ嬢が、あっしの身代りにソーセージになって、ここまで跟いて来たんじゃねえか……ナンテ考えておりますと、最早、ビールの肴どころじゃ御座んせん。こっちの頭がソーセージみたいにゴチャゴチャになっちまいました。世界の丸っこい道理がズンズンとわかって来るように思いましてね……まったく……ヘエ……。  ……ヘエ。どうも奥様……いろいろと御馳走様で……これで御免を蒙りやす。 底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房    1992(平成4)年3月24日第1刷発行 ※底本の「腸詰にに」を、「腸詰に」に改めました。 入力:柴田卓治 校正:土屋隆 2004年1月5日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。