蘆声 幸田露伴 Guide 扉 本文 目 次 蘆声  今を距ること三十余年も前の事であった。  今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではなくとも、少くも安康の生活に浸って、朝夕を心にかかる雲もなくすがすがしく送っていたのであった。  心身共に生気に充ちていたのであったから、毎日〻〻の朝を、まだ薄靄が村の田の面や畔の樹の梢を籠めているほどの夙さに起出て、そして九時か九時半かという頃までには、もう一家の生活を支えるための仕事は終えてしまって、それから後はおちついた寛やかな気分で、読書や研究に従事し、あるいは訪客に接して談論したり、午後の倦んだ時分には、そこらを散策したりしたものであった。  川添いの地にいたので、何時となく釣魚の趣味を合点した。何時でも覚えたてというものは、それに心の惹かれることの強いものである。丁度その頃一竿を手にして長流に対する味を覚えてから一年かそこらであったので、毎日のように中川べりへ出かけた。中川沿岸も今でこそ各種の工場の煙突や建物なども見え、人の往来も繁く人家も多くなっているが、その時分は隅田川沿いの寺島や隅田の村〻でさえさほどに賑やかではなくて、長閑な別荘地的の光景を存していたのだから、まして中川沿い、しかも平井橋から上の、奥戸、立石なんどというあたりは、まことに閑寂なもので、水ただ緩やかに流れ、雲ただ静かに屯しているのみで、黄茅白蘆の洲渚、時に水禽の影を看るに過ぎぬというようなことであった。釣も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に抱かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅びやかな境界に神経を消耗させながら享受する歓楽などよりも遥に嬉しいことと思っていた。そしてまた実際において、そういう中川べりに遊行したり寝転んだりして魚を釣ったり、魚の来ぬ時は拙な歌の一句半句でも釣り得てから帰って、美しい甘い軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めといきいきした力とになることを、自然不言不語に悟らされていた。  丁度秋の彼岸の少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家を出でては、中川べりの西袋というところへ遊びに出かけた。西袋も今はその辺に肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れのさまも土地の様子も大に変化したが、その頃はあたりに何があるでもない江戸がたの一曲湾なのであった。中川は四十九曲りといわれるほど蜿蜒屈曲して流れる川で、西袋は丁度西の方、即ち江戸の方面へ屈曲し込んで、それからまた東の方へ転じながら南へ行くところで、西へ入って袋の如くになっているから西袋という称も生じたのであろう。水は湾〻と曲り込んで、そして転折して流れ去る、あたかも開いた扇の左右の親骨を川の流れと見るならばその蟹目のところが即ち西袋である。そこで其処は釣綸を垂れ難い地ではあるが、魚は立廻ることの多い自然に岡釣りの好適地である。またその堤防の草原に腰を下して眸を放てば、上流からの水はわれに向って来り、下流の水はわれよりして出づるが如くに見えて、心持の好い眺めである。で、自分は其処の水際に蹲って釣ったり、其処の堤上に寝転がって、たまたま得た何かを雑記帳に一行二行記しつけたりして毎日楽んだ。特にその幾日というものは其処で好い漁をしたので、家を出る時には既に西袋の景を思浮べ、路を行く時にも早く雲影水光のわが前にあるが如き心地さえしたのであった。  その日も午前から午後へかけて少し頭の疲れる難読の書を読んだ後であった。その書を机上に閉じて終って、半盞の番茶を喫了し去ってから、  また行ってくるよ。 と家内に一言して、餌桶と網魚籠とを持って、鍔広の大麦藁帽を引冠り、腰に手拭、懐に手帳、素足に薄くなった薩摩下駄、まだ低くならぬ日の光のきらきらする中を、黄金色に輝く稲田を渡る風に吹かれながら、少し熱いとは感じつつも爽かな気分で歩き出した。  川近くなって、田舎道の辻の或腰掛茶店に立寄った。それは藤の棚の茶店といって、自然に其処にある古い藤の棚、といってさまで大きくもないが、それに店の半分は掩われているので人〻にそう呼びならされている茶店である。路行く人や農夫や行商や、野菜の荷を東京へ出した帰りの空車を挽いた男なんどのちょっと休む家で、いわゆる三文菓子が少しに、余り渋くもない茶よりほか何を提供するのでもないが、重宝になっている家なのだ。自分も釣の往復りに立寄って顔馴染になっていたので、岡釣に用いる竿の継竿とはいえ三間半もあって長いのをその度〻に携えて往復するのは好ましくないから、此家へ頼んで預けて置くことにしてあった。で、今行掛に例の如く此家へ寄って、  やあ、今日は、また来ました。 と挨拶して、裏へ廻って自ら竿を取出して攩網と共に引担いで来ると、茶店の婆さんは、  おたのしみなさいまし。好いのが出ましたら些御福分けをなすって下さいまし。 と笑って世辞をいってくれた。その言葉を背中に聴かせながら、  ああ、宜いとも。だがまだボク釣師だからね、ハハハ。 と答えてサッサと歩くと、  でもアテにして待ってますよ、ハハハ。 と背後から大きな声で、なかなか調子が好い。世故に慣れているというまででなくても善良の老人は人に好い感じを持たせる、こういわれて悪い気はしない。駄馬にも篠の鞭、という格で、少しは心に勇みを添えられる。勿論未熟者という意味のボク釣師と自ら言ったのは謙遜的で、内心に下手釣師と自ら信じている釣客はないのであるし、自分もこの二日ばかりは不結果だったが、今日は好い結果を得たいと念じていたのである。  場処へ着いた。と見ると、いつも自分の坐るところに小さな児がチャンと坐っていた。汚れた手拭で頬冠りをして、大人のような藍の細かい縞物の筒袖単衣の裙短なのの汚れかえっているのを着て、細い手脚の渋紙色なのを貧相にムキ出して、見すぼらしく蹲んでいるのであった。東京者ではない、田舎の此辺の、しかも余り宜い家でない家の児であるとは一目に思い取られた。髪の毛が伸び過ぎて領首がむさくなっているのが手拭の下から見えて、そこへ日がじりじり当っているので、細い首筋の赤黒いところに汗が沸えてでもいるように汚らしく少し光っていた。傍へ寄ったらプンと臭そうに思えたのである。  自分は自分のシカケを取出して、穂竿の蛇口に着け、釣竿を順に続いで釣るべく準備した。シカケとは竿以外の綸その他の一具を称する釣客の語である。その間にチョイチョイ少年の方を見た。十二、三歳かと思われたが、顔がヒネてマセて見えるのでそう思うのだが、実は十一か高〻十二歳位かとも思われた。黙ってその児はシンになって浮子を見詰めて釣っている。潮は今ソコリになっていてこれから引返そうというところであるから、水も動かず浮子も流れないが、見るとその浮子も売物浮子ではない、木の箸か何ぞのようなものを、明らかに少年の手わざで、釣糸に徳利むすびにしたのに過ぎなかった。竿も二間ばかりしかなくて、誰かのアガリ竿を貰いか何ぞしたのであろうか、穂先が穂先になってない、けだし頭が三、四寸折れて失せて終ったものである。  この児は釣に慣れていない。第一此処は浮子釣に適していない場である。やがて潮が動き出せば浮子は沈子が重ければ水に撓られて流れて沈んで終うし、沈子が軽ければ水と共に流れて終うであろう。また二間ばかりの竿では、此処では鉤先が好い魚の廻るべきところに達しない。岸近に廻るホソの小魚しか鉤には来らぬであろう。とは思ったが、それは小児の釣であるとすればとかくを言うにも及ばぬことであるとして看過すべきであるから宜い。ただ自分に取って困ったことはその児の居場処であった。それは自分が坐りたい処である。イヤ坐らねばならぬところである、イヤ当然坐るべきところである、ということであった。  自分が魚餌を鉤に装いつけた時であった。偶然に少年は自分の方に面を向けた。そして紅桃色をしたイトメという虫を五匹や六匹ではなく沢山に鉤に装うところを看詰めていた。その顔はただ注意したというほかに何の表情があるのではなかった。しかし思いのほかに目鼻立の整った、そして怜悧だか気象が好いか何かは分らないが、ただ阿呆げてはいない、狡いか善良かどうかは分らないが、ただ無茶ではない、ということだけは読取れた。  少し気の毒なような感じがせぬではなかったが、これが少年でなくて大人であったなら疾くに自分は言出すはずのことだったから、仕方がないと自分に決めて、  兄さん、済まないけれどもネ、お前の坐っているところを、右へでも左へでも宜いから、一間半か二間ばかり退いておくれでないか。そこは私が坐るつもりにしてあるところだから。 と、自分では出来るだけ言葉を柔しくして言ったのであった。  すると少年の面上には明らかに反抗の色が上った。言葉は何も出さなかったが、眼の中には威をあらわした。言葉が発されたなら明らかにそれは拒絶の言葉でなくて、何の言葉がその眼の中の或物に伴なおうやと感じられた。仕方がないから自分は自分の意を徹しようとするために再び言葉を費さざるを得なかった。  兄さん、失敬なことを言う勝手な奴だと怒ってくれないでおくれ。お前の竿の先の見当の真直のところを御覧。そら彼処に古い「出し杭」が列んで、乱杭になっているだろう。その中の一本の杭の横に大きな南京釘が打ってあるのが見えるだろう。あの釘はわたしが打ったのだよ。あすこへ釘を打って、それへ竿をもたせると宜いと考えたので、わたしが家から釘とげんのうとを持って来て、わざわざ舟を借りて彼処へ行って、そして考え定めたところへあの釘を打ったのだよ。それから此処へ来る度にわたしはあの釘へわたしの竿を掛けてあの乱杭の外へ鉤を出して釣るのだよ。で、また私は釣れた日でも釣れない日でも、帰る時にはきっと何時でも持って来た餌を土と一つに捏ね丸めて炭団のようにして、そして彼処を狙って二つも三つも抛り込んでは帰るのだよ。それは水の流れの上ゲ下ゲに連れて、その土が解け、餌が出る、それを魚が覚えて、そして自然に魚を其処へ廻って来させようというためなのだよ。だからこういう事をお前に知らせるのは私に取って得なことではないけれども、わたしがそれだけの事を彼処に対してしてあるのだから、それが解ったらわたしに其処を譲ってくれても宜いだろう。お前の竿では其処に坐っていても別に甲斐があるものでもないし、かえって二間ばかり左へ寄って、それ其処に小さい渦が出来ているあの渦の下端を釣った方が得がありそうに思うよ。どうだネ、兄さん、わたしはお前を欺すのでも強いるのでもないのだよ。たってお前が其処を退かないというのなら、それも仕方はないがネ、そんな意地悪にしなくても好いだろう、根が遊びだからネ。 と言って聴かせている中に、少年の眼の中は段〻に平和になって来た。しかし末に至って自分は明らかにまた新に失敗した。少年は急に不機嫌になった。  小父さんが遊びだとって、俺が遊びだとは定ってやしない。 と癇に触ったらしく投付けるようにいった。なるほどこれは悪意で言ったのではなかったが、己を以て人を律するというもので、自分が遊びでも人も遊びと定まっている理はないのであった。公平を失った情懐を有っていなかった自分は一本打込まれたと是認しない訳には行かなかった。が、この不完全な設備と不満足な知識とを以て川に臨んでいる少年の振舞が遊びでなくてそもそも何であろう。と驚くと同時に、遊びではないといっても遊びにもなっておらぬような事をしていながら、遊びではないように高飛車に出た少年のその無智無思慮を自省せぬ点を憫笑せざるを得ぬ心が起ると、殆どまた同時に引続いてこの少年をして是の如き語を突嗟に発するに至らしめたのは、この少年の鋭い性質からか、あるいはまた或事情が存在して然らしむるものあってか、と驚かされた。  この驚愕は自分をして当面の釣場の事よりは自分を自分の心裏に起った事に引付けたから、自分は少年との応酬を忘れて、少年への観察を敢てするに至った。  参った。そりゃそうだった。何もお前遊びとは定まっていなかったが…… と、ただ無意識で正直な挨拶をしながら、自分は凝然と少年を見詰めていた。その間に少年は自分が見詰められているのも何にも気が着かないのであろう、別に何らの言語も表情もなく、自分の竿を挙げ、自分の坐をわたしに譲り、そして教えてやった場処に立って、その鉤を下した。  ヤ、有難う。 と自分は挨拶して、乱杭のむこうに鉤を投じ、自分の竿を自分の打った釘に載せて、静かに竿頭を眺めた。  少年も黙っている。自分も黙っている。日の光は背に熱いが、川風は帽の下にそよ吹く。堤後の樹下に鳴いているのだろう、秋蝉の声がしおらしく聞えて来た。  潮は漸く動いて来た。魚はまさに来らんとするのであるがいまだ来ない。川向うの蘆洲からバン鴨が立って低く飛んだ。  少年はと見ると、干極と異なって来た水の調子の変化に、些細の板沈子と折箸の浮子とでは、うまく安定が取れないので、時〻竿を挙げては鉤を打返している。それは座を易えたためではないのであるが、そう思っていられると思うと不快で仕方がない。で、自分は声を掛けた。  兄さん、此処は潮の突掛けて来るところだからネ、浮子釣ではうまく行かないよ。沈子釣におしよ。  浮子釣では釣れないかい。  釣れないとは限らないが、も少し潮が利いて来たら餌がフラフラし過ぎるし、釣づらくて仕方がないだろう。  今でも釣りづらいよ。  そうだろう。沈子を持っていないなら、此処へおいで。沈子もあげようし、シカケも直してあげよう。  沈子をくれる?  ああ。  自分の気持も坦夷で、決して親切でないものではなかった。それが少年に感知されたからであろう、少年も平和で、そして感謝に充ちた安らかな顔をして、竿を挙げてこちらへやって来た。はじめてこの時少年の面貌風采の全幅を目にして見ると、先刻からこの少年に対して自分の抱いていた感想は全く誤っていて、この少年もまた他の同じ位の年齢の児童と同様に真率で温和で少年らしい愛らしい無邪気な感情の所有者であり、そしてその上に聡明さのあることが感受された。その眼は清らかに澄み、その面は明らかに晴れていた。自分は小嚢から沈子を出して与え、かつそのシカケを改めて遣ろうとした。ところが少年は、  いいよ、僕、出来るから。 といって、自らシカケを直した。一ト通りの沈子釣の装置の仕方ぐらいは知っているのであったが、沈子のなかったために浮子釣をしていたのであったことが知られた。  少年の用いていた餌はけだし自分で掘取ったらしい蚯蚓であったから、聊かその不利なことが気の毒に感じられた。で、自分の餌桶を指示して、  この餌を御使いよ、それでは魚の中りが遠いだろうから。  少年は遠慮した様子をちょっと見せたが、それでも餌の事も知っていたと見えて、嬉しそうな顔になって餌を改めた。が、僅に一匹の虫を鉤に着けたに過ぎなかったから、  もっとお着け、魚は餌で釣るのだからネ。  少年はまた二匹ばかり着け足した。  今まで何処で釣っていたのだい、此処は浮子釣りなんぞでは巧く行かない場だよ。  今までは奥戸の池で釣ってたよ、昨日も一昨日も。  釣れたかい。  ああ、鮒が七、八匹。  奥戸というのは対岸で、なるほどそこには浮子釣に適すべき池があることを自分も知っていた。しかし今時分の鮒を釣っても、それが釣という遊びのためでなくって何の意味を為そう。桜の花頃から菊の花過ぎまでの間の鮒は全く仕方のないものである。自分には合点が行かなかったから、  遊びじゃないように先刻お言いだったが、今の鮒なんか何にもなりはしない、やっぱり遊びじゃないか。 というと、少年は急に悲しそうな顔をして気色を曇らせたが、  でも僕には鮒のほかのものは釣れそうに思えなかったからネ。お相撲さんの舟に無銭で乗せてもらって往還りして彼処で釣ったのだよ。  無銭で乗せてもらっての一語は偶然にその実際を語ったのだろうが、自分の耳に立って聞えた。お相撲さんというのは、当時奥戸の渡船守をしていた相撲上りの男であったのである。少年の談の中には裏面に何か存していることが明白に知られた。  そうかい。そしてまた今日はどうして此処へ来たのだい。  だってせっかく釣って帰っても、今小父さんの言った通りにネ、昨日は、こんな鮒なんか不味くて仕様がない、も少し気の利いた魚でも釣って来いって叱られたのだもの。  誰に。  お母さんに。  じゃお母さんに吩咐られて釣に出ているのかい。  アア。下らなく遊んでいるより魚でも釣って来いッてネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけれど。  ここに至って合点が出来た。油然として同情心が現前の川の潮のように突掛けて来た。  ムムウ。ほんとのお母さんじゃないネ。  少年は吃驚して眼を見張って自分の顔を見た。が、急に無言になって、ポックリちょっと頭を下げて有難うという意を表したまま、竿を持って前の位置に帰った。その時あたかも自分の鉤に魚が中った。型の好いセイゴが上って来た。  少年は羨ましそうに予の方を見た。  続いてまた二尾、同じようなのが鉤に来た。少年は焦るような緊張した顔になって、羨しげに、また少しは自分の鉤に何も来ぬのを悲しむような心を蔽いきれずに自分の方を見た。  しばらく彼も我も無念になって竿先を見守ったが、魚の中りはちょっと途断えた。  ふと少年の方を見ると、少年はまじまじと予の方を見ていた。何か言いたいような風であったが、談話の緒を得ないというのらしい、ただ温和な親しみ寄りたいというが如き微笑を幽に湛えて予と相見た。と同時に予は少年の竿先に魚の来ったのを認めた。  ソレ、お前の竿に何か来たよ。  警告すると、少年は慌てて向直ったが早いか敏捷に巧い機に竿を上げた。かなり重い魚であったが、引上げるとそれは大きな鮒であった。小さい畚にそれを入れて、川柳の細い枝を折取って跳出さぬように押え蔽った少年は、その手を小草でふきながら予の方を見て、  小父さん、また餌をくれる? と如何にも欲しそうに言った。  アア、あげる。  少年は竿を手にして予の傍へ来た。  好い鮒だったネ。  よくっても鮒だから。せっかく此処へ来たんだけれどもネエ。 と失望した口ぶりには、よくよく鮒を得たくない意で胸が一パイになっているのを現わしていた。  どうもお前の竿では、わんどの内側しか釣れないのだから。 と慰めてやった。わんどとは水の彎曲した半円形をいうのだ。が、かえってそれは少年に慰めにはならずに決定的に失望を与えたことになったのを気づいた途端に、予の竿先は強く動いた。自分はもう少年には構っていられなくなった。竿を手にして、一心に魚のシメ込を候った。魚は式の如くにやがて喰総めた。こっちは合せた。むこうは抵抗した。竿は月の如くになった。綸は鉄線の如くになった。水面に小波は立った。次いでまた水の綾が乱れた。しかし終に魚は狂い疲れた。その白い平を見せる段になってとうとうこっちへ引寄せられた。その時予の後にあって攩網を何時か手にしていた少年は機敏に突とその魚を撈った。  魚は言うほどもないフクコであったが、秋下りのことであるし、育ちの好いのであったから、二人の膳に上すに十分足りるものであった。少年は今はもう羨みの色よりも、ただ少年らしい無邪気の喜色に溢れて、頬を染め目を輝かして、如何にも男の児らしい美しさを現わしていた。  それから続いて自分は二尾のセイゴを得たが、少年は遂に何をも得なかった。  時は経った。日は堤の陰に落ちた。自分は帰り支度にかかって、シカケを収め、竿を収めはじめた。  少年はそれを見ると、  小父さんもう帰るの? と予に力ない声を掛けたが、その顔は暗かった。  アア、もう帰るよ。まだ釣れるかも知れないが、そんなに慾張っても仕方はないし、潮も好いところを過ぎたからネ。 と自分は答えたが、まだ余っている餌を、いつもなら土に和えて投げ込むのだけれど、今日はこの児に遺そうかと思って、  餌が余っているが、あげようか。 といった。少年は黙って立ってこちらへ来た。しかし彼は餌を盛るべき何物をも持っていなかった。彼は古新聞紙の一片に自分の餌を包んで来たのであったから。差当って彼も少年らしい当惑の色を浮めたが、予にも好い思案はなかった。イトメは水を保つに足るものの中に入れて置かねば面白くないのである。  やっぱり小父さんが先刻話したようにした方が宜い。明日また小父さんに遇ったら、小父さんその時に少しおくれ。 といって残り惜しそうに餌を見た彼の素直な、そして賢い態度と分別は、少からず予を感動させた。よしんば餌入れがなくて餌を保てぬにしても、差当り使うだけ使って、そこらに捨てて終いそうなものである。それが少年らしい当然な態度でありそうなものであらねばならぬのである。  お前も今日はもう帰るのかい。  アア、夕方のいろんな用をしなくてはいけないもの。  夕方の家事雑役をするということは、先刻の遊びに釣をするのでないという言葉に反映し合って、自分の心を動かさせた。  ほんとのお母さんでないのだネ。明日の米を磨いだり、晩の掃除をしたりするのだネ。  彼はまた黙った。  今日も鮒を一尾ばかり持って帰ったら叱られやしないかネ。  彼は黯然とした顔になったが、やはり黙っていた。その黙っているところがかえって自分の胸の中に強い衝動を与えた。  お父さんはいるのかい。  ウン、いるよ。  何をしているのだい。  毎日亀有の方へ通って仕事している。  土工かあるいはそれに類した事をしているものと想像された。  お前のお母さんは亡くなったのだネ。  ここに至ってわが手は彼の痛処に触れたのである。なお黙ってはいたが、コックリと点頭して是認した彼の眼の中には露が潤んで、折から真赤に夕焼けした空の光りが華〻しく明るく落ちて、その薄汚い頬被りの手拭、その下から少し洩れている額のぼうぼう生えの髪さき、垢じみた赭い顔、それらのすべてを無残に暴露した。  お母さんは何時亡くなったのだい。  去年。 といった時には、その赭い頬に涙の玉が稲葉をすべる露のようにポロリと滾転し下っていた。  今のお母さんはお前をいじめるのだナ。  ナーニ、俺が馬鹿なんだ。  見た訳ではないが情態は推察出来る。それだのに、ナーニ、俺が馬鹿なんだ、というこの一語でもって自分の問に答えたこの児の気の動き方というものは、何という美しさであろう、我恥かしい事だと、愕然として自分は大に驚いて、大鉄鎚で打たれたような気がした。釣の座を譲れといって、自分がその訳を話した時に、その訳がすらりと呑込めて、素直に座を譲ってくれたのも、こういう児であったればこそと先刻の事を反顧せざるを得なくもなり、また今残り餌を川に投げる方が宜いといったこの児の語も思合されて、田野の間にもこういう性質の美を持って生れる者もあるものかと思うと、無限の感が涌起せずにはおられなかった。  自分はもう深入りしてこの児の家の事情を問うことを差控えるのを至当の礼儀のように思った。  では兄さん、この残り餌を土で団めておくれでないか、なるべく固く団めるのだよ、そうしておくれ。そうしておくれなら、わたしが釣った魚を悉皆でもいくらでもお前の宜いだけお前にあげる。そしてお前がお母さんに機嫌を悪くされないように。そうしたらわたしは大へん嬉しいのだから。  自分は自分の思うようにすることが出来た。少年は餌の土団子をこしらえてくれた。自分はそれを投げた。少年は自分の釣った魚の中からセイゴ二尾を取って、自分に対して言葉は少いが感謝の意は深く謝した。  二人とも土堤へ上った。少年は土堤を川上の方へ、自分は土堤の西の方へと下りる訳だ。別れの言葉が交された時には、日は既に収まって、夕風が袂凉しく吹いて来た。少年は川上へ堤上を辿って行った。暮色は漸く逼った。肩にした竿、手にした畚、筒袖の裾短かな頬冠り姿の小さな影は、長い土堤の小草の路のあなたに段〻と小さくなって行く踽〻然たるその様。自分は少時立って見送っていると、彼もまたふと振返ってこちらを見た。自分を見て、ちょっと首を低くして挨拶したが、その眉目は既に分明には見えなかった。五位鷺がギャアと夕空を鳴いて過ぎた。  その翌日も翌〻日も自分は同じ西袋へ出かけた。しかしどうした事かその少年に復び会うことはなかった。  西袋の釣はその歳限りでやめた。が、今でも時〻その日その場の情景を想い出す。そして現社会の何処かにその少年が既に立派な、社会に対しての理解ある紳士となって存在しているように想えてならぬのである。 (昭和三年十月) 底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店    1990(平成2)年11月16日第1刷発行    1994(平成6)年5月15日第6刷発行 底本の親本:「露伴全集 第四巻」岩波書店    1953(昭和28)年3月刊 ※「裙短」と「裾短」の混在は、底本通りです。 入力:土屋隆 校正:オーシャンズ3 2007年11月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。