三十年後の東京 海野十三 Guide 扉 本文 目 次 三十年後の東京    万年雪とける  昭和五十二年の夏は、たいへん暑かった。  ことに七月二十四日から一週間の暑さときたら、まったく話にならないほどの暑さだった。  涼しいはずの信州や上越の山国地方においてさえ、夜は雨戸をあけていないと、ねむられないほどの暑くるしさだった。東京なんかでは、とても暑くて地上に出ていられなくて、都民はほとんどみんな地下街に下りて、その一週間をくらしたほどだった。  ものすごい暑さは日本アルプスの深い山の中を別あつかいにはしなかった。アルプス山中の万年雪までがどんどんとけ出した。雪渓の上を、しぶきをあげて流れ下る滝とも川ともつかないものが出来、積雪はどんどんやせていった。  うばガ谷の万年雪のことは、むかしから一番面積のひろいものとして、よく人に知られていた。それはまるで氷河のようにこちこちに固まった古い雪であったが、それさえこんどの暑さで両側からとけだし、日に日にやせていった。登山者たちがおどろいたのもむりではない。 「こんなところに流れがあったかね」 「いや、知らないね。地図でみると、どうしてもここは、うばガ谷のはずなんだが?」 「でも、へんよ。地図からはかって、ここはどうしてもうばガ谷よ。この地図をごらんなさい。ほら、この岩」 「なるほどなあ、あれはたしかに三角岩だ。これはおどろいた。おい君、有名な万年雪が今年はすっかりとけてしまったんだぜ」  その人は、とつぜんことばを切って、目を皿のように大きく見ひらいた。 「──何だろう、あれは。……あそこを見たまえ、何だかしらないが、大きなまるい球がある。あの沢の曲ったところだ。見えないかい、君たちには……」  彼はおどろきをこめて、前へのりだしながら下手を指さした。 「なるほど。見えるよ。大きな球だ。ぴかぴか光っているね。金属球だ」 「ふしぎだ。とにかくそばへ行ってみよう」 「おいおい、待ちたまえ。あれは危険なものじゃないか」 「そういえば、昔の写真に出ている機雷みたいな形をしていますわね」 「ふん、機雷に似たところもあるけれど、機雷は海の中にあるもので、こんな山の中にあるはずがない」  四人の登山者は、それから谷間をつたわって、下手へおりていった。みんな何となくおそろしいが、しかし自分たちで発見したものだから、ぜひその正体をたしかめたかった。  ようやくそばへ近よることが出来た。  沢のまん中に、直径三メートルもあると思われる金属球が、でんと腰をすえていた。表面はぴかぴかに光沢を放っている。十字にバンドがしてある。アイ・ボルトが何本かうちこんである。一同はそのまわりをまわってみた。 「や、字が書いてある」  たしかに字が書いてある。書いてあるというより、字を酸水素焔かなんかで焼きつけてあるといった方が正しいであろう。  ×取扱注意。扉Aを開け×  それだけのことが書いてある。  はて、この球は一たい何であろう。    冷凍人間  四人の登山者の好奇心は、いやがうえにももえあがった。  もう登山どころではない。このふしぎな金属球の中をのぞいてみないと、承知ができなかった。 「とにかくこの球は、万年雪がとけて、その下から出て来たものだよ。もっと上にあったのが、ころがりだして、ここまで来て停ったんだと思う」 「火星からなげてよこしたものじゃないか。開けると、中から火星人の手紙かなんか入っているんじゃない?」 「火星からじゃないよ。だってこのとおり×取扱注意、扉Aを開け×と、日本文字で書いてあるんだから、これは日本でこしらえたものにちがいない」 「早く、その扉Aというのをあけてみた方がよかないでしょうか」 「そうだ。それがいい。そうしよう」  扉Aというのはどこかと、球の表面をさがしまわった結果、後ろの方に半ば土にうずもれて×扉A×と書いてあるものが見つかった。土を掘ってみると、扉Aはまるいふたのようなものであった。それにはハンドルがついていて、左へ二十回ねじるように示してあったので、そのとおりにした。  するとそのふたみたいなものが開いた。金属板の上には、やはり薄彫りになった文字がつらなっていた。それを読むと、おどろくべきことが書いてあった。      *  この中には小杉正吉という勇敢な少年が冷凍されている。彼は本年十三歳である。彼は二十年間この中で冷凍生活を続けた後、ふたたび世の中へ出たい希望である。この球を発見せられたる人は、この球が封印したるときより二十年以上たっていることをたしかめた後、この少年を冷凍球の中からとりだしていただきたい。それはむずかしいことではない。この底のBとしるした金属板を焼ききると、その中には電気のプラグがある。そのプラグへ五十サイクル交流電気を百ボルトの電圧で供給すれば、四十八時間後には、自動的に球がひらいて、小杉正吉少年が出て来るであろう。それまでの四十八時間は、静かにこの球をおく以外に何も手を加えてはならない。 昭和二十二年八月十三日      *  たいへんな拾い物だ。この球の中には、少年が冷凍されているのだ。二十年たったら、ふたたび世の中へ出て来たいのだという。  二十年どころか、もう三十年もたっている、早く出してやらなくてはならない。しかし人間を冷凍する技術が、今から三十年も前にすでに考えられていたとは、大した発見である。と、登山者の一人であるカンノ博士はおどろいた。  相談の結果、この大きな拾い物は、東京へ持ちかえることとなった。  博士は、携帯無電機を使って、東京へ電話をかけた。五トンぐらいのものがらくにもちあがるヘリコプター(竹とんぼ式飛行機)を一台至急ここまでまわしてくれるように、航空商会の千代田支店に頼んだ。  二十分ほどすると、空から一台のヘリコプターがゆうゆうと下りて来た。頼んだのりものであった。カンノ博士たちは、ハンカチーフをふった。  着陸したヘリコプターの貨物庫の中に、金属球を入れた。それから博士たちは客席へ入った。ヘリコプターは間もなく離陸して、東京へ向った。  とちゅう相談の結果、拾った金属球はヤク大学の生理学部の大講堂へ持込み、そこで開くことにきめた。カンノ博士は、その学部の教授だった。  他の三人は博士の友人だったが、婦人は通信技術者、男の一人は音楽家、もう一人は小説家だった。  いよいよ金属球を開く日が来た。  大講堂は大入満員だった。  ここは階段式になっていて、まわりの座席は高く、演壇はまん中にあって、どこよりも低く、そこへあがるには地下道からしなければならなかった。問題の金属球は、この演壇の上におかれてあった。そして周囲には偏光ガラスのついたてがとりまいていた。これは、中からは外が見えないが、反対に外から中はよく見えるものだった。こんなついたてを用いたわけは、金属球の中から出て来るはずの小杉正吉少年を、あまりたくさんの見物人のためにびっくりさせないための心づかいだった。  カンノ博士とあと五人の人だけがついたての中に入った。そして金属球の扉Aの中にあった注意書のとおり、その底をやぶって電気のプラグを出し、それに指定どおりの交流電気を送りこんだ。それはちょうど午前十時だった。  その翌々日の午前十時に、みんなが手にあせにぎっているうちに、その球は花がひらくように、しずかに四つにわれた。そして中からかわいい少年があらわれた。小杉正吉君だった。七百名の見学者は、思わず手をたたいてしまった。三十年前に冷凍された少年が、今りっぱに生きかえって、あらわれたからだ。この少年は三十年間、氷のようになっていて、年をとることをしなかったのだ。 「待っていましたよ、小杉君。われわれは君を歓迎します」  と、カンノ博士がいった。 「わたしたちがお世話しますから、安心していらっしゃいね」  スミレ女史がいった。    かわりはてた銀座 「二十年たったら、世の中がどんなに変っているか、それを見たかったから、こんな冒険をしたんです」  と、小杉少年は、まわりの人たちに話した。 「ああ、お話中しつれいですが、じつは二十年じゃなく、あなたが冷凍されてから三十年たっているのですよ。ことしは昭和五十二年なんですからね」 「おやおや、三十年もぼくは睡っていたのですか」  少年の伯父のモーリ博士が、この冷凍金属球の設計者だったそうな。日本アルプスの万年雪を掘ってその中へおとしこんだのも、モーリ博士の考えだった。その博士は二十年後になってこの冷凍球を雪の中から掘りだしてくれる約束になっていたのに、博士はその約束をはたさなかった。いったいどうしたわけであろう。博士は何をしていたのであろうか。  正吉のそんな話を、みんなはおもしろく聞いた。そしてモーリ博士の安否はいずれしらべてあげましょう。それはそれとして、まず久しぶりにかるい食事をなさいといって、正吉を食堂へ案内して流動食をごちそうした。  少年は思いのほか元気であった。例の四人組の外に、東京区長のカニザワ氏と大学病院長のサクラ女史が少年をとりまいていたが、少年は三十年前の話をいろいろとした。そして三十年後の東京がどんなに変っているか、あまりに変っているのでそれを見物しているうちに気がへんにならないであろうかと心配したりした。 「大丈夫です。あたしがついていますもの。すぐ手あてをしてあげます」  と、女医サクラ博士は、すぐこたえた。 「ねえ、小杉君。君はまず、はじめにどこを見物したいですか」  と、カンノ博士はきいた。 「そうですね。まず第一に見たいのは、三十年前に、ぼくの住んでいた東京の銀座をみたいですね。同じところを歩いてみたいです」  少年は、なつかしげに銀座の名をいった。 「よろしい。ではすぐ出かけましょう。しかし、あなたは少々おどろくことでしょう」  一同は正吉を連れて食堂を出た。 「ここは見なれないところですが、銀座の近くでしょうか」 「さよう。銀座までは三キロばかりはなれています。しかしすぐですよ、動く道路にのっていけば……」 「なんですって。何にのるのですか」 「動く道路です。そうそう、あなたの住んでいた三十年前には、動く道路はなかったんでしょうね。そのころは電車や自動車ばかりだったんでしょう。今はそんなものは、ほとんどなくなりました。その代りは動く道路がしています。道が動くのです。五本の動く道路が並んでいるのです。昔あったでしょう。ベルトというものがね。あれみたいに動くのです。歩道に平行に五本並んでいて、歩道に一番近いのが時速十キロで動いているもの。次が二十キロ、それから三十キロ、四十キロ、五十キロという風にだんだん早くなります。そしてその動く道路は、どこへ行くか方向がかいてあるのです。……ほらごらんなさい。これが銀座行きの動く道路ですから」  ようやく外に出た。日光がかがやいていた。それまでは地下にいたことが分った。なつかしい日光、うまい空気! しかし変だ。 「ここはどこですか。みたことがない野原ですね」 「ここが銀座です。あなたの立っているところが、昔の銀座四丁目の辻のあったところです」 「うそでしょう。……おやおや、妙な塔がある。それから土まんじゅうみたいなものが、あちこちにありますね。あれは何ですか」  林と草原の間に、妙にねじれた塔や、低い緑色の鍋をふせたようなものが見える。 「あのまるいものは、住宅の屋上になっています。塔は、原子弾が近づくのを監視している警戒塔です。すべて原子弾を警戒して、こんな銀座風景になったのです。みんな地下に住んでいます。ときどきものずきな者が、こうして地上に出て散歩するくらいです。おどろきましたか」  正吉はたしかにおどろいた。あのにぎやかな銀座風景は、今は全く地上から姿をけしてしまったのだ。    近づく星人 「まだ、戦争をする国があるんですか」  正吉少年は、ふしぎでたまらないという顔つきで、案内人のカニザワ区長にきいた。 「やあ、そのことですがね、まず戦争はもうしないことに決めたようです」 「戦争をするもしないも日本は戦争放棄をしているんだから、日本から戦争をしかけるはずはないんでしょう。もっともこれは今から三十何年もむかしの話でしたがね」  正吉はあのころ新憲法ができて、それには戦争放棄がきめられたことをよくおぼえていた。 「正吉君のいうことは正しいです。しかしですね。その後また大きな戦争がおこりかけましてね──もちろん日本は関係がないのですがね──そのために、おびただしい原子爆弾が用意されました。そのとき世界の学者が集って組織している連合科学協会というのがあって、そこから大警告を出したのです。それは二つの重大なことがらでした」 「どういうんですか、その重大警告というのは……」 「その一つはですね、いま戦争をはじめようとする両国が用意したおびただしい原子爆弾が、もしほんとうに使用されたときには、その破壊力はとてもすごいものであって、そのためにわれらの住んでいる地球にひびが入って、やがていくつかに割れてしまうであろう。そんなことがあっては、われわれ人間はもちろん地球上の生物はまもなく死に絶えるだろう。だから、そういう危険な戦争は中止すべきである──というのです」  カニザワ東京区長は、そう語りながら、ハンカチーフを出して、顔の汗をぬぐった。おそらく氏は、その戦争勃発一歩前の息づまるような恐怖を、今またおもいだしたからであろう。 「で、戦争は起ったのですか、それとも……」 「もう一つの重大なことがらは」  と区長は正吉の質問にはこたえず、さっきの続きを話した。 「連合科学協会員は最近天空においておどろくべき観測をした。それはどういうことであるかというと、わが地球をねらってこちらへ進んでくるふしぎな星があるということだ。それは彗星ではない。その星の動きぐあいから考えると、その星は自由航路をとっている。つまり、その星は飛行機やロケットなどと同じように、大宇宙を計画的に航空しているのだ」 「へえーッ。するとその星には、やっぱり人間が住んでいて、その人間が星を運転しているんですね」 「ま、そうでしょうね──だからわれわれは、もう一刻もゆだんがならないというのです。その星はわが太陽系のものではなく、あきらかにもっと遠いところからこっちへ侵入して来たものだ。そしてその星に住んでいるいきものは、わが地球人類よりもずっとかしこいと思われる。さあ、そういう星に来られては、われわれはちえも力もよわくて、その星人に降参しなければならないかもしれない。そのような強敵を前にひかえて、同じ地球に住んでいる人間同士が戦いをおこすなどということは、ばかな話ではないか。そのために、われわれ地球人類の力は弱くなり、いざ星人がやってきたときには防衛力が弱くて、かんたんに彼らの前に手をつき、頭をさげなければならないだろう。──それをおもえば、今われわれ人類の国と国とが戦争するのはよくないことである。つまり、『今おこりかかっている戦争はおよしなさい』と警告したのです」 「ああ、なるほど、なるほど、そのとおりですね」 「それが両国によく分ったと見えましてね、爆発寸前というところで戦争のおこるのは、くいとめられたんです。お分りですかな」 「それはよかったですね。しかし、そんならなぜ、あのようにたくさんの原子弾の警戒塔や警報所や待避壕なんかが、今もならんでいるのですか」  正吉には、そのわけが分らなかった。 「いやあれは、あたらしく襲来するかもしれない宇宙の外からの敵が、原子弾をこっちへなげつけたときに、役に立つようにと建設せられてあるんです」 「ああ、そうか。あの星人とかいう連中も、原子弾を使うことが分っているのですね」 「多分、それを使うだろうと学者たちはいっていますよ──それに、もう一つああいう防弾設備がぜひ必要なわけがあるんです」 「それはどういうわけですか」 「それは、ですね。わが地球人類の中の悪いやつが、ひそかに原子弾をかくして持っていましてね、それを飛行機につんで持って来て、空からおとすのです」 「どうしてでしょうか」 「どうしてでしょうかと、おっしゃいますか。つまり昔からありました、強盗だのギャングだのが。今の強盗やギャングの中には、原子弾を使う奴がいるのです。どーンとおとしておいて、その地区が大混乱におちいると、とびこんでいって略奪をはじめるのです。ですから、そういう連中を警戒するためにも、あれが必要なのです」  そういってカニザワ区長は、警戒塔を指さした。 「いやあ、三十年後の強盗団はさすがにすごいことをやりますね」  と、正吉少年はおどろいてしまった。    すばらしい地下生活  区長さんの話によると、人々は地下に家を持って、安全に暮しているが、事件や戦争のないときにはこうして、大昔の武蔵野平原にかえった大自然の風景の中に自分もとけこんで、たのしい散歩やピクニックをする人が少なくないとのことであった。 「じゃあ、前のような地上の大都市というものは、どこにもないのですね」 「そうですとも。昔は六大都市といったり、そのほか中小都市がたくさんありましたが、いまは地上にはそんなものは残っていません。しかし、地の中のにぎわいは大したものですよ。これからそっちへご案内いたしましょう」  正吉は、区長たちの案内で、ふたたび地下へ下りた。  地下といえば、正吉の地下鉄の中のかびくさいにおいを思い出す。鉄道線路の下に掘られてある横断用の地下道の、あのくらい陰気な、そしてじめじめしたいやな気持を思い出す。また炭坑の中のむしあつさを思い出す。  だが、区長たちに案内されていった地下街は、まったく違っていた。陰気でもなく、じめじめなんかしておらず、すこしもかびくさくない。またむしあついことなんか、すこしもなかった。それからまた、いきがつまるようなこともなかった。  だから、まるで気もちのいい山の上の別荘の部屋にいるような気がし、また気もちのいい春か秋かのころ、街道を散歩しているようでもあった。 「それは、ですね。この地下街を建設するためには、あらゆる衛生上の注意がはらってあって私たちが気もちよく暮せるように、いろいろな施設が備わっているのです。たとえば空気は念入りに浄化され、有害なバイキンはすっかり殺されてから、この地下へ送りこまれます。また方々に浄化塔があって、中でもって空気をきれいにしています。ごらんなさい、むこうに美しい広告塔が見えましょう。あれなんか、空気浄化器の一つなんですよ」 「ああ、あれがそうなのですか。広告塔と空気浄化器と二役をやっているのですか」  十メートルくらいの高さの美しい広告塔だった。赤、青、紫、橙、黄などのあざやかな色でぬられ、そして、ぐるぐると回転している、目をうばうほどの美しい塔だった。 「それから湿度は四十パーセント程度に保たれています。ですから、これまでの地下のようなじめじめした感じや、むしあつくて苦しいなどということもありません。また温度はいつも摂氏二十度になっていますから、暑からず寒からずです。年がら年中そうなんですから、服も地下生活をしているかぎり、年がら年中同じ服でいいわけです」 「それはいいですね。衣料費がかからなくていいですね。昔は夏服、合服、冬服なんどと、いく組も持っていなければならなかったですからね。ちょうど布ぎれのないときでしたからぼくのお母さんは、それを揃えるのにずいぶん苦労しましたよ。──ああ、そういえば、ぼくのお母さんは……」  と、正吉は声をくもらせて、はなをすすった。 「どうしました、正吉さん」  と、大学病院長のサクラ女史が、うしろからやさしく正吉の顔をのぞきこんだ。 「ぼく……ぼく」  と正吉はいいよどんでいたが、やがて思い切っていった。 「ぼく、急にぼくのお母さんに会いたくなりました。ぼくがあの冷凍球の中にはいるとき、ぼくのお母さんは五十歳でした。ああ、それから三十年たってしまったのです。するとお母さんは今年八十歳になったはず。お母さんは日頃から弱かったんです。お母さんは、とても、今まで長生きしているはずはない。ぼく……ぼく……もうお母さんに会えないだろうな」  正吉少年のこのなげきは、たいへん気の毒であった。カニザワ氏とサクラ女史とカンノ博士の三人は、ひたいをあつめて何か相談していたが、やがてカニザワ区長が正吉にいった。 「もしもし、正吉君。われわれに、すこし心あたりがあるんです。うまくいくと、君のお母さんに会えるかもしれませんよ」 「えっ、ほんとですか。しかし母は、もう死んでいますよ」 「いや、そのことはやがて分りましょう。これから町を見物しながら、そちらへご案内してみましょう」    人工心臓  正吉は、区長たちからなぐさめられて、すこし元気をとりもどした。  町を案内してもらったが、なるほどじつににぎやかであり、また清潔であった。昔は、にぎやかな町ほど、砂ほこりが立ち、紙くずがとびまわり、路上にはきたないものがおちていたものだ。  しかし、この町はほこりは立たず、紙くずはなく、路面ははだしで歩いても足の裏がよごれないように見えた。  町は、天井が高く、路面から三十メートルはあったろう。そして、その天井は青く澄んで、明るかった。まるで本ものの秋晴れの空が頭上にあるように思われた。 「あの天井には、太陽光線と同じ光を出す放電管がとりつけてあるのです。その下に紺青色の硝子板がはってあります。ですから、ここを歩いていると昔の銀ブラのときと同じ気分がするでしょう」 「ああ、あれはほんとうの空じゃなかったのですか──うん、そうだ。地面の中にもぐっていて、青空が見えるはずがない」  正吉は、うっかり思いまちがいしていたことに気がついて、顔があかくなった。しかし、それほどほんものの秋空に見えるのだった。  区長は、正吉を、りっぱな本屋につれこんだ。奥は住宅になっていた。いわゆるアパートメント式の住宅であった。そのうちの一軒の前に立った区長は、扉をこつこつと叩いた。すると中から返事があった。女の声だった。 「あっ、あの声は……」  扉が内にひらいた。家の中から顔を出した白髪頭の老女があった。 「まあ、これは区長さん。それにサクラ先生に……」 「今日はめずらしい客人をお連れしました。ここにおられる少年に見おぼえがありますか」  区長にいわれて、老女は正吉を見た。 「まあ、正吉ではありませんか。うちの正吉だ。まあまあ、正吉、お前はどうして……」  老女は、正吉の母親であったのだ。 「お母さん」  正吉と母親とは抱きあってうれしなみだにくれました。 「お母さん、よく長生きをしていてくれましたね」 「正吉や。お母さんは一度心臓病で死にかけたんだけれど、人工心臓をつけていただいてこのとおり丈夫になったんですよ」 「人工心臓ですって」 「見えるでしょう。お母さんは背中に背嚢のようなものを背おっているでしょう。それが人工心臓なのよ」  正吉は見た。なるほど母親は、背中に妙な四角い箱を背おっている。  それが人工心臓なのか。正吉は目をぱちくり。    口ひげのある弟  人工心臓は、ほんとの心臓と違って、人間のつくった機械だから、ずっと大きい。だから胸の中にはいらず背中にそれをくくりつけてある。  胸の中から二本の管が出て、この人工心臓につながっている。一方は赤くぬってあり、もう一つは青くぬってある。赤い方は、きれいな血がとおる動脈、青い方は静脈だ。そして人工心臓は、その血を体内に送ったり吸いこんだりするポンプなのである。  昔あったジェラルミンよりもっと軽い金属材料と、すぐれた有機質の人造肉とでこしらえてあるのだと、専門のサクラ女史が説明してくれた。 「こんなものをぶら下げていると、かっこうが悪くてね。正吉や、お前が見ても、へんでしょう」  と、母親は笑った。  なつかしい母親の笑顔だった。 「かっこうなんか、どうでもいいのですよ。その人工心臓の力によって、もっともっと長生きをして下さい」 「お医者さまは、あたしの悪い心臓を人工心臓にとりかえたので、これだけでも百歳までは生きられますとおっしゃったよ」 「百歳とは長生きですね」 「いいえ。お医者さまのお話では、もっと長生きができるんだよ。百歳になる前に、もう一度人工心臓を新しいのにとりかえ、それからその外の弱ってきた内臓をやはり人工のものにとりかえると、また寿命がのびるそうだよ」 「じゃあ、お母さん、そういう工合にすると二百歳までも、三百歳までも、長生きができることになるじゃありませんか。うれしいことですね。お父さんなんか昭和二十年に死んじまって、たいへん損をしたことになりますね」 「ほんとうにおしいことをしました。お父さまももう十五、六年生きておいでになったら、わたしと同じように、ずいぶん長生きの出来る組へはいれるのにねぇ。そうすれば、お母さんは、今よりももっと幸福なんだけれど……」  正吉の母は、早く亡くなった正吉の父親のことをしのんで、そっと涙をふいた。  そのときだった。りっぱなひげをはやした三十あまりになる紳士と、それよりすこし下かと思われる婦人とが、かけこんで来た。 「あ、お母さん。ここへ、兄さんが訪ねて来てくれたんですって」 「あたしの兄さんは、どこにいらっしゃるの」  正吉はその話を聞いて、目をぱちくり。 「おお、お前たちの兄さんはそこにいますよ。ほら、そのかわいい坊やがそうですよ」  母親は正吉を指した。 「えっ。この少年が、僕の兄さんですか。ちょっとへんな工合だなあ」 「まあ、ほんとうだわ。写真そっくりですわ。でも、わたしの兄さんがこんなにかわいい坊やでは、兄さんとおよびするのもへんですわね」 「正吉や。こっちはお前の弟の仁吉です。またそのとなりはお前の妹のマリ子ですよ」 「やあ、兄さん」 「兄さん、お目にかかれてうれしいですわ」 「ああ、弟に妹か──」  といったが、正吉も全くへんな工合であった。弟妹に会ったようではなく、おじさんおばさんに会ったような気がした。    びっくり農場  思いがけない母親とのめぐりあいに、正吉少年はたいへん元気づいた。見しらぬ世界のまっただ中へとびこんだひとりぼっちの心細さ──というようなものが、とたんに消えてしまった。 「これからどこへつれていって下さるのですか」  と、正吉はカニザワ区長やサクラ院長などをふりかえって、たずねた。 「君がびっくりするところへ案内します。ちょっぴり、教えましょうか。日本の新しい領土なんです。ハハハ、おどろいたでしょう」 「日本の新しい領土ですって。それはへんですね。日本は戦争にも負けたし、また今後は戦争をしないことになったわけだから、領土がふえるはずがないですがね」 「そう思うでしょう。しかしそうじゃないんです。君がじっさいそこへ行ってみれば分りますよ」 「近くなんですか」 「いや、近くではないです。かなり遠いです。しかし高速の乗物で行くからわけはありません」  正吉は区長さんのいうことが理解できなかった。土地がせまくなったところへ、海外から大ぜいの同胞がもどって来たので、たいへん暮しにくくなり、来る年も来る年も苦しんだことを思い出した。中でも一番苦しかったのは、食糧だった。 「ああ、そうそう」と正吉はいった。 「ねえ区長さん。田畑や果樹園はどうなっているのですか。地上を攻撃されるおそれがあるんなら、地上でおちおち畑をつくってもいられないでしょう」 「そうですとも。もう地上では稲を植えるわけにはいかないし、お芋やきゅうりやなすをつくることもできないです。そんなものをつくっていても、いつ空から恐ろしいばい菌や毒物をまかれるかもしれんですからね。そうなると安心してたべられない」 「じゃあ農作物は、ぜんぜん作っていないのですか」 「そんなことはありません。さっきあなたがおあがりになった食事にも、ちゃんとかぼちゃが出たし、かぶも出ました。ごはんも出たし、ももも出たし、かきも出た」 「そうでしたね」 「では、まずそこへ案内しますかな。ちょうどよかった。すぐそこのアスカ農場でも作っていますから、ちょっとのぞいていきましょう」  アスカ農場だという。地上には田畑も果樹園もないと区長さんはいっている。それにもかかわらず農場と名のつくところがあるのはおかしい。まさか、地中にその農場があるわけでもあるまい。地中では、太陽の光と熱とをもたらすことができないから、農作物が育つわけがない。 「ここです。はいりましょう」  大きなビルの中に案内された。こんな会社のような建物の中に、いったいどんな農場があるのであろうか。  が、案内されて三十年後の地下農場を見せられたとき、正吉はあっとおどろいた。  かぼちゃも、きゅうりも、いねも昔の三等寝台のように、何段も重なった棚の上にうえられていた。みんなよく育っていた。 「このきゅうりを見てごらんなさい」  そこの技師からいわれて、正吉はそのきゅうりをみていた。 「おや、このきゅうりは動きますね。おやおや、どんどん大きくなる」  正吉はびっくりしたり、きみがわるくなったり、これは、おばけきゅうりだ。 「この頃の農作物は、みんなこのようなやり方で栽培しています。昔は太陽の光と能率のわるい肥料で永くかかって栽培していましたが、今はそれに代って、適当なる化学線と電気とすぐれた植物ホルモンをあたえることによって、たいへんりっぱな、そして栄養になるものを短い期間に収穫できるようになりました。こんなきゅうりなら、花が咲いてから一日乃至二日で、もぎとってもいいほどの大きさになります。りんごでもかきでも、一週間でりっぱな実となります」 「おどろきましたね」 「そんなわけですから、昔とちがい、一年中いつでもきゅうりやかぼちゃがなります。またりんごもバナナもかきも、一年中いつでもならせることができます」 「すると、遅配だの飢餓だのということは、もう起らないのですね」 「えっ、なんとかおっしゃいましたか」  技師は正吉の質問が分らなくて問いかえした。正吉は、気がついてその質問をひっこめた。まちがいなく五十倍の増産がらくに出来る今の世の中に、遅配だの飢餓だのということが分らないのはあたり前だ。    海底都市  動く道路を降りて丘になっている一段高い公園みたいなところへあがった。もちろん地中のことだから頭上には天井がある。壁もある。その広い壁のところどころに、大きな水族館の水槽ののぞき窓みたいに、横に長い硝子板のはまった窓があるのだった。  その窓から外をのぞいた。 「やあ、やっぱり水族館ですね」  うすあかるい青い光線のただよっている海水の中を、魚の群が元気よく泳ぎまわっている。こんぶやわかめなどの海草の林が見え、岩の上にはなまこがはっている。いそぎんちゃくも、手をひろげている。 「水族館だと思いますか」  区長さんが笑いかけた。 「よく見て下さい。今、燈火をつけて、遠くまで見えるようにしましょう」  そういって区長は、窓の下にあるスイッチのようなものをうごかした。すると昼間のようにあかるい光線が、さっと水の中を照らした。その光は遠くにまでとどいた。魚群がおどろいたか、たちまちこの光のまわりは幾組も幾組も、その数は何万何十万ともしれないおびただしさで、集まって来た。 「これでも水族館に見えますか」  と、区長がたずね、 「いや、ちがいました。これは本物の海の中をのぞいているのですね」  遠くまで見えた。こんな大きな水族館の水槽はないであろう。 「お分りでしたね。つまりこのように、わが国は今さかんに海底都市を建設しているのです」 「海底都市ですって」 「そうです。海底へ都市をのばして行くのです。また海底を掘って、その下にある重要資源を掘りだしています。大昔も、炭鉱で海底に出ているのもありましたね。ああいうものがもっと大仕掛になったのです。人も住んでいます。街もあります。海底トンネルというのが昔、ありましたね。あれが大きくなっていったと考えてもいいでしょう」  正吉は海底都市から出かけて、ふたたび上へあがっていった。  とちゅうに停車場があって、たくさんの小学生が旅行にでかける姿をして、わいわいさわいでいた。 「あ、小学生の遠足ですね。君たち、どこへ行くの」 「カリフォルニアからニューヨークの方へ」 「えっ、カリフォルニアからニューヨークの方へ。僕をからかっちゃいけないねえ」 「からかいやしないよ。ほんとだよ。君はへんな少年だね」  正吉は、やっつけられた。  そばにいた区長がにやにや笑いながら、正吉の耳にささやいた。 「ちかごろの小学生はアメリカやヨーロッパへ遠足にいくのです。この駅からは、太平洋横断地下鉄の特別急行列車が出ます。風洞の中を、気密列車が砲弾のように遠く走っていく、というよりも飛んでいくのですな。十八時間でサンフランシスコへつくんですよ」 「そんなものができたんですか。航空路でもいけるんでしょう」 「空中旅行は、外敵の攻撃を受ける危険がありますからね。この地下鉄の方が安全なんです。なにしろ巨大なる原子力が使えるようになったから、昔の人にはとても考えられないほどの大土木工事や大建築が、どんどん楽にやれるのです。ですから、世界中どこへでも、高速地下鉄で行けるのです」 「ふーン。すると今は地下生活時代ですね」 「まあ、そうでしょうな。しかし空へも発展していますよ。そうそう、明日は、羽田空港から月世界探検隊が十台のロケット艇に乗って出発することになっています」  正吉は大きなため息をついてひとりごとをいった。 「三十年たって、こんなに世界や生活がかわるとは思わなかったなあ。こんなにかわると知ったら、三十年前にもっと元気を出して、勉強したものをねえ」  あとで分った話によると、例のモーリ博士は月世界探検に行ったまま、遭難して帰れなくなっているということだ。こんどの探検隊が、きっと博士を救い出すであろう。 底本:「海野十三全集 第13巻 少年探偵長」三一書房    1992(平成4)年2月29日第1版第1刷発行 初出:「少年読売」    1947(昭和22)年10~12月 入力:海美 校正:土屋隆 2007年8月29日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。