どんたく 絵入り小唄集 竹久夢二 Guide 扉 本文 目 次 どんたく 絵入り小唄集 TO 〔NE'MU-NO-KI NE'MU-NO-KI〕 どんたく 歌時計 ゆびきり 紡車 人買 六地蔵 越後獅子 赤い木の実 鐘 ゆく春 くすり 雀踊 わたり鳥 納戸の記憶 おしのび 断章 1 少年なりし日 人形遣 雪 かくれんぼ 郵便函 山賊 おさなき夢 草餅 嘘 どんたく 郵便脚夫 江戸見物 七つの桃 猿と蟹 加藤清正 禁制の果実 日本のむすめ 宵待草 わすれな草 夏のたそがれ うしなひしもの 芝居事 花束 たそがれ かへらぬひと よきもの 見知らぬ島へ てまり たもと かげりゆく心 雀の子 異国の春 白壁へ こはわが少年の日のいとしき小唄なり。 いまは過ぎし日のおさなきどちにこのひとまきをおくらむ。 お花よ、お蝶よ、お駒よ、小春よ。太郎よ、次郎よ、草之助よ。げに御身たちはわがつたなき草笛の最初のききてなりき。 TO 〔NE'MU-NO-KI NE'MU-NO-KI〕 〔NE'YA SYANSE'.〕 〔OKANE' GA NATTARA〕 〔OKYA SYANSE'.〕 どんたく  歌時計 ゆめとうつつのさかひめの ほのかにしろき朝の床。 かたへにははのあらぬとて 歌時計のその唄が なぜこのやうに悲しかろ。  ゆびきり 指をむすびて「マリヤさま ゆめゆめうそはいひませぬ」 おさなききみはかくいひて 涙うかべぬ。しみじみと 雨はふたりのうへにふる またスノウドロツプの花びらに。  紡車 しろくねむたき春の昼 しづかにめぐる紡車。 をうなの指をでる糸は しろくかなしきゆめのいと をうなの唄ふその歌は とほくいとしきこひのうた。 たゆまずめぐる紡車 もつれてめぐる夢と歌。  人買 秋のいり日はあかあかと 蜻蛉とびゆくかはたれに 塀のかげから青頭巾。 「やれ人買ぢや人買ぢや どこへにげようぞかくれうぞ」 赤い蜻蛉がとびまはる。  六地蔵 背合の六地蔵 としつきともにすみながら ついぞ顔みたこともない。 でもまあ苦にもならぬやら いつきてみても年とらず 赤くはげたる涎掛。  越後獅子 角兵衛獅子のかなしさは 親が太鼓うちや子がおどる。 股のしたから峠をみれば もしや越後の山かとおもひ 泣いてたもれなともどもに。 角兵衛獅子の身のつらさ。 輪廻はめぐる小車の 蜻蛉がへりの日もくれて 旅籠をとろにも銭はなし あひの土山あめがふる。  赤い木の実 雪のふる日に小兎は あかい木の実がたべたさに 親のねたまに山をいで 城の門まできはきたが あかい木の実はみえもせず 路はわからず日はくれる ながい廊下の窓のした なにやら赤いものがある そつとしのむできてみれば こは姫君のかんざしの 珊瑚のたまかはつかしや たべてよいやらわるいやら 兎はかなしくなりました。  鐘 村で名代の鐘撞男 月がよいのでうかうかと 鐘をつくのもつひわすれ 灯のつく街がこひしさに 山から港へではでたが 日がくれるのに山寺の 鐘はつんともならなんだ 村長さまはあたふたと 鐘撞堂へきてみれば 伊部徳利に月がさし ちんちろりんがないてゐた。 アトレの馬ではあるまいし 鐘がならうがなるまいが 子供のしつたことでなし うらの菜園の椎の木に ザボンのやうな月がでた。  ゆく春 くれゆく春のかなしさは 白髪頭の蒲公英の むく毛がついついとんでゆく 風がふくたびとんでゆき 若い身そらで禿頭。 くれゆく春のかなしさは 薊の花をつみとりて とんとたたけば馬がでる そつとはらへば牛がでる でてはぴよんぴよんにげてゆく。  くすり 雪はしんしんふりしきる。 炬燵にあてたよこはらが またしくしくといたむとき。 雪はしんしんふりしきる。 しろくつめたき粉ぐすり 熱ある舌にしみるとき。 雪はしんしんふりしきる。 黄な袋の石版の 異形な虫のわざはひか。 雪はしんしんふりしきる。 銀ぎらぎんのセメン円 とのもは雪のつむけはひ。  雀踊 青い眉したたをやめが 金の墨絵の扇にて そつとまねけばついとくる はらりとひらけばぱつととぶ。 雀おどりのおもしろさ   やんれやれやれやせうめ   京の町のやせうめ   うつるるものはみせうめ あれあれあれとみるほどに 奴姿の小雀は 山のあなたへとびさりぬ。  わたり鳥 日本の春のこひしさに シイオホスクの海角より はるばる波をわたり鳥。 庄屋の軒に巣をかけて 雛を六羽うんだれど 三羽の雛は死ました。 のこる三羽は柹の葉の 毛虫がすきでたべました。 やんがて柹のうれるころ 日本の島をあとにして まだみもしらぬ故郷へ 親子もろともいにました。  納戸の記憶 船は酒船父の船 三十五反の帆をまくや 玄海灘の夏の雲。 君は馬関の唄うたひ 髪にさしたる青玉 あだな南のニグレスが こころづくしの貢物。 風のたよりをまちわびて 行燈のかげのものおもひ 鬢のほつれをかきあぐる 銀のかざしのかなしさか 母の腕のさみしさか。  おしのび 昔アゼンに王ありき。 野にさく花のめでたさに ひとり田舎へゆきけるが にわかに雨のふりいでて 王は臍までうまりける。 それより王はわすれても 二度と田舎へゆかざりき。 断章    1 ドンタクがきたとてなんになろ 子供は芝居へゆくでなし 馬にのろにも馬はなし しんからこの世がつまらない。    2 おうちに屋根がなかつたら いつも月夜でうれしかろ。 あの門番が死んだなら あの柿とつてたべよもの。 世界に時計がなかつたら さみしい夜はこまいもの。    3 もしも地球が金平糖で 海がインクで山の木が 飴と香桂であつたなら なにをのんだらいいだろう。 学校の先生もしらなんだ 国王様もしらなんだ。    4 この紅茸のうつくしさ。 小供がたべて毒なもの なぜ神様はつくつたろ。 毒なものならなんでまあ こんなにきれいにつくつたろ。    5 ままごとするのもよいけれど いつでもわたしは子供役。 子供が子供になつたとて なんのおかしいことがあろ。    6 どんなにおなかがひもぢうても 日本の子供はなきませぬ。 ないてゐるのは涙です。    7 お墓のうへに雨がふる。 あめあめふるな雨ふらば 五重の塔に巣をかけた かわい小鳥がぬれよもの。 松の梢を風がふく。 かぜかぜふくな風ふかば けふ巣だちした鳶の子が 路をわすれてなかうもの。    8 ひろい空からふる雨は 森のうへにも牧場にも びつくり草にも小鳥にも みんなのうへにふるけれど 子供のうへにはふりませぬ。 それは子供の母親が シヤツポをきせてくれるから。    9 枇杷のたねをばのみこんだ。 おなかのなかへ枇杷の木が はえるときいてなきながら 枇杷のなるのをまつてたが いつまでたつてもはえなんだ。    10 めんない千鳥の日もくれて おぼろな春のうすあかり この由良鬼のいとほしさ ほどいてたもとなきいでぬ。    11 越中富山の薬売り おはぐろとんぼがついとでて 白いカウモリ傘の柄にとまり また日まわりの葉にとまり ついととんではまたもどる。    12 お遍路さんお遍路さん おやまのむかふは雨さうな 霰をおくれ豆おくれ まめがなけねばこの路法度。    13 股のしたから麓をみれば さても絵のよなよい景色。 どこの町ぞときいたらば それはわたしの村でした。    14 梭の手をやめ歌ふをきけば ──もつれた糸なら   ほどけもせうが   きれた糸ゆゑ   せんもなや。 少年なりし日  人形遣 「めでたやなめでたやな さりとはめでたやめでたや」と 紺の布簾のつまはづれ 人形遣がきたさうな。 母のかげよりそとみれば 人形遣のうら若く 「ま、どうしよぞいの」と泣きいれば 襟足しろくいぢらしく 人形の小春もむせびいる。 もののあはれかふるあめか もらひなみだの母の袖。  雪 赤いわたしの襟巻に ふわりとおちてふときえる つもらぬほどの春の雪。   これが砂糖であつたなら   乳母もでてきてたべよもの。 ロシア更紗の毛布団を そつとぬけでてつむ雪を 銀のかざしでさしてみる お染の髪の牡丹雪。 七番蔵の戸のまへで 手招きをするとうじさん 顔ににげない白い手で ひねり餅をばくれました。 納戸のおくはほのくらく 紀州蜜柑の香もあはく 指にそまりし黄表紙の 炬燵で絵本をよみました。 窓からみれば下町の 角の床屋のガラス戸に 大阪下り雁二郎の 春狂言のびらの絵が 雪にふられておりました。  かくれんぼ 豆の畑にみいさんと ふたりかくれてまつてゐた。 とほくで鬼のよぶ声が 風のまにまにするけれど ちらちらとぶは鳥の影。 まてどくらせど鬼はこず。 森のうへから月がでた。  郵便函 郵便函がどうしたら そんなにはやくあるくだろ。 わたしの神戸のおばさまへ わたしのすきなキヤラメルを おくるやうにとしたためて。 郵便函へあづけたが 三つほどねたそのあした わたしのすきなキヤラメルは ちやんとわたしについてゐた。  山賊 乳母の在所は草わけの 山また山の奥でした。 ある日のことに〓(「姉」の正字)のつくり」、80-6]として 乳母をたづねにゆきました。 わたしは土産を腰につけ 〓(「姉」の正字)のつくり」、80-9]は日傘をさしかけて 赤土色の山路を とぼとぼあゆむ午下り。 あゆみつかれて路ばたの 一本松に腰かけて 虎屋饅頭をたべながら やすむでゐると木蔭より 髯武者面の山賊が ぬつくとばかりあらはれた。 すわことなりとおもへども どうすることもなきごえに 「おつつけ伴者のくる時刻」 きこえよがしに〓(「姉」の正字)のつくり」、82-1]のいふ 「どうして伴者はくることか」 わたしは〓(「姉」の正字)のつくり」、82-3]にききました。 さうするうちに山賊は 腰の太刀おつとりて のそりのそりとやつてきた。 もう殺すかとおもふたら 殺しもせいでたちとまり 「どこへおじやる」ときくゆゑに つつみかくさずいひますと 「よいお子たち」とほめながら 峠をおりてゆきました。 乳母はきいて大笑ひ 「なんの賊などでませうぞ」 それは木樵でありました。  おさなき夢 夢のひとつは かくなりき。 青き頭巾をかぶりたる 人買の背にないじやくり 山の岬をまはるとき 広重の海ちらとみき。 旅の道者がせおいたる 天狗の面のおそろしさ にげてもにげてもおふてきぬ。 伊勢の国までおちのびて 二見ヶ浦にかくれしが ここにもこわや切髪の 淡島様の千羽鶴 一羽がとべばまた一羽 岩のうへより鳥居より 空一面のうろこ雲。 顔もえあげずなきゐたり。  草餅 ある日学校へゆく路に 黄な袋がおちてゐた ひろうてみればこはいかに それは財布でありました。 「さあ大変ぢや大変ぢや 銭をひろへば尋人 有司へよばれようおお怖や」 みながはやせばとつおいて 財布を指でさげたまゝ こりやまあどうしたものだらう。 そこへおりよく先生が おいでなされて「やれやれ」と 財布をとつてくれました。 それから家へかへつたが どうも財布が気にかかり 母の情の草餅も どうまあ咽喉をこすものぞ 食べずに泣いておりました。  嘘 なげた石 鳥居のうへにのつかれば どんな願もかなへんと 氏神様はのたまひぬ。 鳥居のしたにあつまりし 太郎に次郎に草之助 何がほしいときいたらば 太郎がいふには犬張子 次郎がいふにはぶんまはし 生きた馬をば草之助。 願をこめてなげた石 首尾よく鳥居へのつかつた。 石は鳥居へのつたれど いまだに何もくださらぬ。  どんたく どんたくぢやどんたくぢや けふは朝からどんたくぢや。 街の角では早起きの 飴屋の太鼓がなつてゐる 「あアこりやこりやきたわいな」 これは九州長崎の 丸山名物ぢやがら糖 お子様がたのお眼ざまし 甘くて辛くて酸くて きんぎよくれんのかくれんぼ おつぺけぽうのきんらいらい」 観音堂の境内は のぞきからくり犬芝居 「ものはためしぢやみてござれ 北海道で生捕つた 一本毛のないももんがあ 絵看板にはうそはない 生きてゐなけりや銭やいらぬ」 「可哀さうなはこの子でござい 因果はめぐる水車 一寸法師の綱わたり あれ千番に一番の 鐘がなろともお泣きやるな」 「やあれやれやれやれきたわいな のぞきや八文天保銭 花のお江戸は八百八町 音にきこえた八百屋の娘 年は十五で丙午 そなたは十四であらうがの いえいえ十五でござんする。 八百屋お七がおしおきの お眼がとまれば千客様」  郵便脚夫 「郵便ほい おかみの御用でゑっさっさ」 郵便脚夫のうしろから 学校がへりの子供らは ゑっさもっさとついてゆく。 「郵便ほい おかみの御用でもっさっさ」  江戸見物 「江戸をみせよう」源六は 耳をつまんでつりあげた。 いたさこらへて東をみれど どれが江戸やら山ばかり。 「なんとみえたであらうがな」 「みえはみえたが浅草も 上野もやつぱり山だらけ」  七つの桃 七人の 遊仲間のそのひとり 水におぼれてながれけむ。 お芥子の頭が水の面に うきつしづみつみえかくれ。 「よくも死人をまねたり」と 白痴の忠太は手をたたく。 水にもぐりて菱の実を とりにゆけるとおもひしが。 人は家より畑より ただごとならぬけはひにて はしりて河にあつまりぬ。 人のひとりは水にいり 人のひとりは小舟より 死骸を岸にだきあげぬ。 「死んだ死んだ」と踊りつつ 忠太は村をふれあるく。 白い衣きた葬輦が 暑い日中をしくしくと 鳥辺の山へいりしかど そは何事かしらざりき。 ひとりは墓へゆきければ 七つの指を六つおりて 一つのこしてみたれども 死んでなくなることかいな いつか墓よりかへりきて 七つの桃をわけようもの。  猿と蟹 わたしが猿で妹が あはれな蟹でありました。 猿はひとりで柹の実を 木に腰かけてたべました。 「兄さんひとつ頂戴よ」 あはれな蟹がいひました。 「これでもやろ」と渋柹を なげてはみたがかあいそで 好いのもたんとやりました。  加藤清正 紙の鎧の清正は 虎を退治の竹の槍。 屋根のうへにて眠りゐし 猫をめがけてつきければ 虎は屋根よりころげおち 縁のしたへとかくれけり。 さすがに猛き清正も 虎のゆくえの気にかかり 夜な夜なこわき夢をみき。  禁制の果実 白壁へ 戯絵をかきし科として くらき土蔵へいれられぬ。 よべどさけべど誰ひとり 小鳥をすくふものもなし。 泣きくたぶれて長持の 蓋をひらけばみもそめぬ 「未知の世界」の夢の香に ちいさき霊は身にそはず。 窓より夏の日がさせば 国貞ゑがく絵草紙の 「偐紫」の桐の花 光の君の袖にちる。 摩耶の谷間にほろほろと 頻迦の鳥の声きけば 悉多太子も泣きたまふ。 魔性の蜘蛛の糸にまかれ 白縫姫と添臥しの 風は白帆の夢をのせ いつかうとうとねたさうな。 蔵の二階の金網に 赤い夕日がかっとてり さむれば母の膝まくら。 日本のむすめ  宵待草 まてどくらせどこぬひとを 宵待草のやるせなさ こよひは月もでぬさうな。  わすれな草 袂の風を身にしめて ゆふべゆふべのものおもひ。 野ずえはるかにみわたせば わかれてきぬる窓の灯の なみだぐましき光かな。 袂をだいて木によれば やぶれておつる文がらの またつくろはむすべもがな。 わすれな草よ なれが名を なづけしひとも泣きたまひしや。  夏のたそがれ タンホオルの鐘が さはやかになりいづれば トラピストの尼は こころしづかに夕の祈祷をささげ すぎし春をとむらふ。 柳屋のムスメは はでな浴衣をきて いそいそと鈴虫をかひにゆく ──夏のたそがれ。  うしなひしもの 夏の祭のゆふべより うしなひしものもとめるとて 紅提燈に灯をつけて きみはなくなくさまよひぬ。  芝居事 雪のふる夜のつれづれに 〓(「姉」の正字)のつくり」、123-5]の小袖をそとかつぎ ‥‥‥でんちうぢやはりひじぢや しまさんこんさんなかのりさん‥‥ おどりくたびれ袖萩の 肩に小袖をうちかけて なみだながらの芝居事 「さむかろうとてきせまする」 このまあつもる雪わいの。  花束 ありのすさびに 花をつみてつがねたれど おくらむひともなければ こころいとしづかなり。 されどなほすてもかねつつ ゆふべの鐘をかぞへぬ。  たそがれ たそがれなりき。かなしさを そでにおさへてたちよれば カリンの花のほろほろと 髪にこぼれてにほひけり。 たそがれなりき。路をきく まだうら若き旅人の 眉の黒子のなつかしく 後姿のなかれけり。  かへらぬひと 花をたづねてゆきしまま かへらぬひとのこひしさに 岡にのぼりて名をよべど 幾山河は白雲の かなしや山彦かへりきぬ。  よきもの 「よきものをあたへむ」ときみのいふゆゑ ゆびきりかまきりいつはりならじと きみのいふゆゑ 門のそとにてきみまちぬ。 井戸のほとりの丁子の花よ。  見知らぬ島へ ふるさとの山をいでしより 旅にいくとせ ふりさけみれば涙わりなし。 ふるさとのははこひしきか。 いないな ふるさとのいもとこひしきか いないないな。 うしなひしむかしのわれのかなしさに われはなくなり。 うき旅の路はつきて あやめもわかぬ岬にたてり。 すべてうしなひしものは もとめむもせんなし。 よしやよしや みしらぬ島の わがすがたこそは あたらしきわがこころなれ。 いざや いざや みしらぬ島へ。  てまり ‥‥‥ひや ふや おこまさん   たばこのけむりは丈八っあん‥‥ とんとんとんとつくてまり しろい指からはなれては 蝶が菜のはをなぶるよに やるせないよにゆきもどり。 ゆらゆらゆれる伊達帯から 江戸紫の日がくれる ‥‥‥みや よや   夕霧さん‥‥‥‥  たもと そつといだけばしんなりと あまへるやうにしなだれかゝる ──わたしのたもと。 はづかしさの顔をおほへど つゝむにあまるうれしさがこぼれでる ──わたしのたもと。 わたしのかなしみも わたしのよろこびも みんなおまえはしつてゐる ──にくらしいたもとよ。  かげりゆく心 母にそむきしその夜より 白壁によるならはせに 露草の花さきにけり。 こゝろもとなき夕月の 夢の小径にきえゆけば ねもたえだえに虫なけり。  雀の子 とこどんどこぴいひやらひやあ 麦の畑を風がふく。 役者の群をはぐれたる 子供心のはかなさは ‥‥‥うちの裏のちさの木に   雀が三羽とうまつて   一羽の雀がいふことにや   ゆうべござつた花嫁御   なにがかなしゆてお泣きやるぞ   おなきやるぞ‥‥‥ ゆうべの芝居のその唄が いまのわが身につまされて ほろりほろりとないてゆく。  異国の春 につぽんムスメのなつかしさ 牡丹芍薬やま桜 金襴緞子のオビしめて ふりのたもとのキモノきて 丹塗のポクリねもかろく からこんからことゆきやるゆえ どこへゆきやるときいたらば 娘ざかりぢや花ぢやもの 後生よいよに寺まゐり。 寺まゐり。  白壁へ ふたりはかきぬ。 「しらぬこと」 ふたりはかきぬ。 「よろこび」と ふたりはかきぬ。 「さよなら」と。 底本:「どんたく」中公文庫、中央公論社    1993(平成5)年7月10日発行 底本の親本:「どんたく」実業之日本社    1913(大正2)年11月発行 入力:星夕子 校正:Juki 2000年10月12日公開 2006年1月11日修正 青空文庫作成ファイル: 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