蛇の花嫁
大手拓次
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しろきもの
ゆくりなく 心のうへをただよへり
ながるるひまもなく
あはきがなかに なほあはき
かすかなる 鳥の啼音のつらなれり
ほのあをき貝をもて
わがただよへる心を をさめよ
らうたけし ほのあをき貝をもて
わがかなしみを をさめよ
こころ おもくして
うなだれてのみ あるものを
身をつつむ ひぐらし色のこゑ
ありなしの すがたなればや
きみみえず
うすきひかりの ながれきて
わがながしめを よびいづる
あめは こずゑのなかにあり
うたはざる 歌のこころの
ゆふぐれに ときめけり
秋の日は うすくして
衣に透けり
秋の日は
みえざるごとく とほくして
思ひのかげを うごかせり
汝がこゑは
月の夜にゆるる
二人静のはな
ただよひゆくもの
わが心のなかに
ただよひゆくは
ゆふぐれのひかりをあびて おとづるる
汝がこころの かげのこゑ
いづことも わかねども
そのかたち わすれがたかり
そのいろの わすれがたかり
*
あはあはと にほひのこれば
絶えせざる おもひはるけし
汝がすがた とほくして
空にうつれる葉のごとく
さびしさは わが胸に波をうがてり
病めるとき
心のなかにすぎゆきし
かげともあらぬ 影のかげ
その すぎゆきしにほひをば
ひそかに ひそかに
はぐくめり
みぞれするかや
このゆふぐれの日に
こゑもなく
ひとびとの 行き交へり
くれなゐの
花のさきけり
夜の潮 みちくるときに
しめらひの花の
ひとつさきけり
あはれ あはれ
眼はとざされて みづにかくれし
なにものも みえわかず
ひとつ ひとつ あをき影あり
むなしき おゆびもて
まさぐれば
しろき花 ゆるるがごとし
暮れなやむ ゆふぐれのとき
とほき影の つながりて
この あしたの空につたはりくる
きえがての思ひ うごきぬ
ともしびの
たわわなる ゆれのごとくに
かなしみは かなたへ去らず
日影のごとく うつろへど
はてしなき いのちのなかに たそがるる
みづのなかに うかべる花
こゑをはなてり
かぎりなく ひろごりゆく
あをき手のまぼろし
あをき手のまぼろし
げにもさみしき
あをきまぼろし
うつつなき 花をうがちて
こころむなしく しらべをおとす
ほのほは あをき水にぬれ
かたちを消して
そことなく みだれつつあり
ああ しろき小鳥のごとき溜息は
時の彼方に たたずめり
わが胸に 千鳥ぞ啼けり
このゆふぐれに
きみのけはひの ちかければ
ああ
ふたたび汝を見むことを
せちにねがへり
かの秋の日の
芙蓉に似たるすがたをば
ふたたび われにみせよかし
ながあめに ぬれてうなだるる しだり花かも
かよわなる 汝がおもだちよ
みづいろあをの かほばせよ
ふたたび汝をみむことを
あたたかき 秋の日のゆふべなり
こころは 石のうへにすわりて
とどめがたきものの すぐるをききわけつ
おもてをふせて
掌のなかに 夢をゑがきぬ
しろき夢を
こずゑのうへに
ひとつの花あり
そのいろは あはくして
ひかりのごとく
地にむかひて うなだれたり
ひらかざる 花のおもわに身をなげて
このながながし 病気の
なやみの刺をぬぎすてむ
薄氷の溶くる春のあをさに
わがおもひのいづみ
かのひとは しろき芥子の花のごとく
ひとすぢの みちのうへにうかべり
はてしなきゆふべの つながりきたる
ひとすぢの
いとほそき みちのうへに にほひつつあり
みしらざる にほひの花よ
いづこにありや
ついばみの鳥 あらざるまへに
みしらざる にほひの花よ
汝がほのかなる ことのはを
われはきく
もゆる火のごとく
かたちなき かげをもとめて
さだめなく 暮るるならむか
みちのべに 雨はあり
みちのべに みぞれあり
汝がこゑの したたる露
汝がこゑの ただよふ香
汝がこゑの ゆらめくひかり
汝がこゑの ひらく花びら
汝がこゑの ちらばふ星
汝がこゑの こぼるる蜜
汝がこゑの くれなゐのつぼみの瓊
汝がこゑの みどりの風
汝がこゑの 春の糸雨
汝がこゑの 銀色の衣ずれ
汝がこゑの いぢらしき君影草
汝がこゑの 夢をつつむ雛罌粟の花
汝がこゑの 黄色の耳飾り
汝がこゑの 宵のくちべに
汝がこゑの 水面の浮鳥
汝がこゑの 揚羽の蝶の朝の舞
汝がこゑの 水晶色の鈴のおとづれ
汝がこゑの うすあをき月草の物思ひ
汝がこゑの うまるる雛鳩
汝がこゑの
雪色の 心のこゑのうるはしさ
うまれざる花を
われは抱けり
こころ しぐれのなかに
にほひをおぼゆ
日は はれたれど
こころは くさむらの小虫のごとく
ひたに かくれぬ
小虫のごとく 小虫のごとく
なみだ ながしぬ
底本:「世界の詩 28 大手拓次詩集」彌生書房
1965(昭和40)年10月25日初版発行
1981(昭和56)年6月5日7版発行
入力:湯地光弘
校正:瀬戸さえ子
1999年9月30日公開
2017年12月21日修正
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