為文学者経
三文字屋金平
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棚から落ちる牡丹餅を待つ者よ、唐様に巧みなる三代目よ、浮木をさがす盲目の亀よ、人参呑んで首縊らんとする白痴漢よ、鰯の頭を信心するお怜悧連よ、雲に登るを願ふ蚯蚓の輩よ、水に影る月を奪はんとする山猿よ、無芸無能食もたれ総身に智恵の廻りかぬる男よ、木に縁て魚を求め草を打て蛇に驚く狼狽者よ、白粉に咽せて成仏せん事を願ふ艶治郎よ、鏡と睨め競をして頤をなでる唐琴屋よ、惣て世間一切の善男子、若し遊んで暮すが御執心ならば、直ちにお宗旨を変へて文学者となれ。
我が所謂文学者とはフィヒテが〝Ueber das Wesen des Gelehrten〟に述べたてし、七むづかしきものにあらず。内新好が『一目土堤』に穿りし通仕込の御作者様方一連を云ふなれば、其職分の更に重くして且つ尊きは豈に夫の扇子で前額を鍛へる野幇間の比ならんや。
夫れ文学者を目して預言者なりといふは生野暮一点張の釈義にして到底咄の出来るやつにあらず。我が通仕込の御作者様方を尊崇し其利益のいやちこなるを欽仰し、其職分をもて重く且つ大なりとなすは能く俗物を教え能く俗物に渇仰せらるゝが故なり、(渠等が通の原則を守りて俗物を斥罵するにも関らず。)然しながら縦令俗物に渇仰せらる〻といへども路傍の道祖神の如く渇仰せらる〻にあらす、又賞で喜ばるゝと雖ども親の因果が子に報ふ片輪娘の見世物の如く賞で喜ばるゝの謂にあらねば、決して〳〵心配すべきにあらす。否な、俗物の信心は文学者即ち御作者様方の生命なれば、否な、俗物の鑑賞を辱ふするは御作者様方即ち文学者が一期の栄誉なれば、之を非難するは畢竟当世の文学を知らざる者といふべし。
此故に当世の文学者は口に俗物を斥罵する事頗る甚だしけれど、人気の前に枉屈して其奴隷となるは少しも珍らしからず。大入だ評判だ四版だ五版だ傑作ぢや大作ぢや豊年ぢや万作ぢやと口上に咽喉を枯らし木戸銭を半減にして見せる縁日の見世物同様、薩摩蝋蠋てら〳〵と光る色摺表紙に誤魔化して手拭紙にもならぬ厄介者を売附けるが斯道の極意、当世文学者の心意気ぞかし。さりながら人気の奴隷となるも畢竟は俗物済度といふ殊勝らしき奥の手があれば強ち無用と呼ばゝるにあらず、却て之れ中々の大事決して等閑にしがたし。俗人を教ふる功徳の甚深広大にしてしかも其勢力の強盛宏偉なるは熊肝宝丹の販路広きをもて知らる。洞簫の声は嚠喨として蘇子の膓を断りたれど終にトテンチンツトンの上調子仇つぽきに如かず。カントの超絶哲学や余姚の良知説や大は即ち大なりと雖ども臍栗銭を牽摺り出すの術は遥かに生臭坊主が南無阿弥陀仏に及ばず。されば大恩教主は先づ阿含を説法し志道軒は隆々と木陰を揮回す、皆之れこ〻の呼吸を呑込んでの上の咄なり。流石に明治の御作者様方は通の通だけありて俗物済度を早くも無二の本願となし俗物の調子を合点して能く幇間を叩きてお髯の塵を払ふの工風を大悟し、向ふ三軒両隣りのお蝶丹次郎お染久松よりやけにひねつた「ダンス」の Miss B. A. Bae. 瓦斯糸織に綺羅を張る印刷局の貴婦人に到るまで随喜渇仰せしむる手際開闢以来の大出来なり。聞けば聖書を糧にする道徳家が二十五銭の指環を奮発しての「ヱンゲージメント」、綾羅錦繍の姫様が玄関番の筆助君にやいの〳〵を極め込んだ果の「ヱロープメント」、皆之れ小説の功徳なりといふ。よしや一斗の「モルヒ子」に死なぬ例ありとも月夜に釜を抜かれぬ工風を廻らし得べしとも、当世小説の功徳を授かり少しも其利益を蒙らぬ事曾て有るべしや。
冒険譚の行はれし十八世紀には航海の好奇心を焔し、京伝の洒落本流行せし時は勘当帳の紙数増加せしとかや。抑も辻行灯廃れて電気灯の光明赫灼として闇夜なき明治の小説が社会に於ける影響は如何。『戯作』と云へる襤褸を脱ぎ『文学』といふ冠着けしだけにても其効果の著るしく大なるは知らる。
英吉利は野暮堅き真面目一方の国なれば、人間の元来醜悪なるにお気が附かれずして、ゾオラが偶々醜悪のまゝを写せば青筋出して不道徳文書なりと罵り叫く事さりとは野暮の行き過ぎ余りに業々しき振舞なり。さりながら論語に唾を吐きて梅暦を六韜三略とする当世の若檀那気質は其れとは反対にて愈々頼もしからず。東京の或る固執派教会に属する女学校の教師が曾我物語の挿画に男女の図あるを見て猥褻文書なりと飛んだ感違ひして炉中に投込みしといふ一ツ咄も近頃笑止の限りなれど、如何考へても聖書よりは小説の方が面白いには違ひなく、教師の眼を窃んでは「よくッてよ」派小説に現を抜かすは此頃の女生徒気質なり。例へば地を打つ槌は外る〻とも青年男女にして小説読まぬ者なしといふ鑑定は恐らく外れツこななるべし。
俗界に於ける小説の勢力斯くの如く大なれば随て小説家即ち今の所謂文学者のチヤホヤせらるゝは人気役者も物の数ならず。此故に腥き血の臭失せて白粉の香鼻を突く太平の御代にては小説家即ち文学者の数次第々々に増加し、鯛は花は見ぬ里もあれど、鯡寄る北海の浜辺、薯蕷掘る九州の山奥に到るまで石版画と赤本は見ざるの地なしと鼻うごめかして文学の功徳無量広大なるを説く当世男殆んど門並なり。寄れば触れば高慢の舌爛してヤレ沙翁は造化の一人子であると胴羅魔声を振染り西鶴は九皐に鳶トロヽを舞ふと飛ンだ通を抜かし、何かにつけては美学の受売をして田舎者の緋メレンスは鮮かだから美で江戸ツ子の盲縞はジミだから美でないといふ滅法の大議論に近所合壁を騒がす事少しも珍らしからず。好奇な統計家が概算に依れば小遣帳に元禄を拈る通人迄算入して凡そ一町内に百「ダース」を下る事あるまじといふ。
夫れ台所に於ける鼠の勢力の法外なる飯焚男が升落しの計略も更に討滅しがたきを思へば、社会問題に耳傾くる人いかで此一町内百「ダース」の文学者を等閑にするを得べき。若し惣ての文学者を駆て兵役に従事せしめば常備軍は頓に三倍して強兵の実忽ち挙がるべく、惣ての文学者に支払ふ原稿料を算れば一万噸の甲鉄艦何艘かを造るに当るべく、惣ての文学者が消費する筆墨料を徴収すれば慈善病院三ツ四ツを設る事決して難きにあらず、惣ての文学者が喰潰す米と肉を蓄積すれば百度饑饉来るとも更に恐るゝに足らざるべく、若し又惣ての文学者を一時に殺戮すれば其死屍は以て日本海を埋むべく其血は以て太平洋を変色せしむべし。
文学者は一の社会問題なり、貧民が、僧侶が、娼妓が社会問題となれる如く。
熟々考ふるに天に鳶ありて油揚をさらひ地に土鼠ありて蚯蚓を喰ふ目出度き中に人間は一日あくせくと働きて喰ひかぬるが今日此頃の世智辛き生涯なり。学校の卒業証書が二枚や三枚有つたとて鼻を拭く足にもならねば高が壁の腰張か屏風の下張が関の山にて、偶々荷厄介にして箪笥に蔵へば縦令へば虫に喰はるゝとも喰ふ種には少しもならず。学士ですの何のと云ツた処で味噌摺の法を知らずお辞義の礼式に熟せざれば何処へ行ても敬して遠ざけらる〻が結局にて未だしも敬さるゝだけを得にして責めてもの大出来といふべし。ミルトンの詩を高らかに吟じた処で饑渇は中々に医しがたくカントの哲学に思を潜めたとて厳冬単衣終に凌ぎがたし。学問智識は富士の山ほど有ツても麺包屋が眼には唖銭一文の価値もなければ取ツけヱべヱは中々以ての外なり。トヾの結局が博物館に乾物の標本を残すか左なくば路頭の犬の腹を肥すが世に学者としての功名手柄なりと愚痴を覆す似而非ナツシユは勿論白痴のドン詰りなれど、さるにても笑止なるは世の是沙汰、飯粒に釣らるゝ鮒男がヤレ才子ぢや怜悧者ぢやと褒めそやされ、偶さか活きた精神を有つ者あれば却て木偶のあしらひせらるゝ事沙汰の限りなり。騙詐が世渡り上手で正直が無気力漢、無法が活溌で謹直が愚図、泥亀は天に舞ひ鳶は淵に躍る、さりとは不思議づくめの世の中ぞかし。
斯る中にも社会に大勢力を有する文学者どのは平気の平三で行詰りし世を屁とも思はず。春うら〳〵蝶と共に遊ぶや花の芳野山に玉の巵を飛ばし、秋は月てら〳〵と漂へる潮を観て絵島の松に猿なきを怨み、厳冬には炬燵を奢の高櫓と閉籠り、盛夏には蚊帳を栄耀の陣小屋として、米は俵より涌き銭は蟇口より出る結構な世の中に何が不足で行倒れの茶番狂言する事かとノンキに太平楽云ふて、自作の小説が何十遍摺とかの色表紙を付けて売出され、二号活字の広告で披露さるゝ外は何の慾もなき気楽三昧、あツたら老先の長い青年男女を堕落せしむる事は露思はずして筆費え紙費え、高が大家と云はれて見たさに無暗に原稿紙を書きちらしては屑屋に忠義を尽すを手柄とは心得るお目出たき商売なり。月雪花は魯か犬が子を産んだとては一句を作り猫が肴を窃んだとては一杯を飲み何かにつけて途方もなく嬉しがる事おかめが甘酒に酔ふと仝じ。
斯くの如く文学者は身分不相応に勢力を有し且つ身分不相応にのンきなり。世に気楽なるものは文学者なり、世に羨ましき者は文学者なり、接待の酒を飲まぬ者も文学者たらん事を欲し、落ちたるを拾はぬ者も文学者たるを願ふべし。
然るに世にすねたる阿呆は痛く文学者を斥罵すれども是れ中々に識見の狭陋を現示せし世迷言たるに過ぎず。冷静なる社会的の眼を以て見れば、等しく之れ土居して土食する一ツ穴の蚯蚓蝤蠐の徒なれば何れを高しとし何れを低しとなさん。濁醪を引掛ける者が大福を頬張る者を笑ひ売色に現を抜かす者が女房にデレる鼻垂を嘲る、之れ皆他の鼻の穴の広きを知て我が尻の穴の窄きを悟らざる烏滸の白者といふべし。窮理決して迂なるにあらず実践何ぞ浅しと云はんや。魚肴は生臭きが故に廉からず蔬菜は土臭しといへども尊とし。馬に角なく鹿に桺のつくり」、219-16]なく犬は喏と啼いてじやれず猫はワンと吠えて夜を守らず、然れども自ら馬なり鹿なり犬なり猫なるを妨けず。稼ぐものあれば遊ぶ者あり覚める者あれば酔ふ者あるが即ち世の実相なれば己れ一人が勝手な出放題をこねつけて好い子の顔をするは云はふ様なき歿分暁漢言語同断といふべし。縦令石橋を叩いて理窟を拈る頑固党が言の如く、文学者を以て放埓遊惰怠慢痴呆社会の穀潰し太平の寄生虫となすも、兎に角文学者が天下の最幸最福なる者たるに少しも差閊なし。然るを愚図々々と賢しらだちて罵るは隣家のお菜を考へる独身者の繰言と何ぞ択まん。
加之、文学者を以て怠慢遊惰の張本となすおせツかいは偶〳〵怠慢遊惰の却て神の天啓に協ふを知らざる白痴なり。謹んで慮かるに神の御恵洽かりし太古創造の時代には人間無為にして家業といふ七むづかしきものもなければ稼ぐといふ世話もなく面白おかしく喰て寝て日向ぼこりしてゐられたものゝ如し。アダムの二本棒が意地汚さの摂み喰さへ為ずば開闢以来五千年の今日まで人間は楽園の居候をしてゐられべきにとンだ飛ツ塵が働いて喰ふといふ面倒を生じ〻は扨も迷惑千万の事ならずや。神が創造の御心は人間を楽ましめんとするにありて苦ましめんとするにあらず。無為は天則なり、無精は神慮に協へり。正直の頭に神宿る──嫌な思をして稼ぐよりは真ツ正直に遊んで暮すが人間の自然にして祈らずとても神や守らん。文学者を以て大のンきなり大気楽なり大阿呆なりといふ事の当否は兎も角も眼ばかりパチクリさして心は藻脱の売となれる木乃伊文学者は豈に是れ人間の精粋にあらずや。
且つ又聖経の教ふる処に依れば天国に行かんとすれば是非とも小児の心を有たざるべからず。小児の如くタワイなく、意気地なく、湾白で、ダヾをこねて、遊び好で、無法で、歿分暁で、或時はお山の大将となりて空威張をし、或時はデレリ茫然としてお芋の煮えたも御存じなきお目出たき者は当世の文学者を置いて誰ぞや。
文学者なる哉、文学者なる哉。天変地異を笑つて済ますものは文学者なり。社会人事を茶にして仕舞ふ者は文学者なり。否な、神の特別なる贔屓を受けて自然に hypnotize さる〻ものは文学者なり。文学者なる哉、文学者なる哉。
我れ三文字屋金平夙に救世の大本願を起し、終に一切の善男善女をして悉く文学者たらしめんと欲し、百で買ツた馬の如くのたり〳〵として工風を凝し、虱を捫る事一万疋に及びし時酒屋の厮童が「キンライ」節を聞いて豁然大悟し、茲に椽大の椎実筆を揮て洽く衆生の為に為文学者経を説解せんとす。
右から見ても左から見ても文学者は最幸最福なる動物なり。我が抜苦与楽の説法を疑ふ事なく一図に有がたがツて盲信すれば此世からの極楽往生決して難きにあらず。銀価の下落を心配する苦労性、月給の減額に気を揉む神経先生、若くは身躰にもてあます食もたれの豚の子、無暗に首を掉りたがる張子の虎、来つて此説法を聴聞し而してのち文学者となれ。朝飯前の仕事にして天下を驚かす事虎列刺よりも甚だしく天下に評判さる〻事蜘蛛男よりも隆んなるは唯其れ文学者あるのみ、文学者あるのみ。
底本:「日本の名随筆60 愚」作品社
1987(昭和62)年10月25日第1刷発行
1990(平成2)年6月30日第5刷
底本の親本:「文学者となる法」右文社
1894(明治27)年4月
入力:奥村正明
校正:菅野朋子
2000年8月1日公開
2005年12月9日修正
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