藁草履
島崎藤村
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長野県北佐久郡岩村田町大字金の手の角にある石が旅人に教えて言うには、これより南、甲州街道。
この道について南へさして行くと、八つが岳山脈の麓へかけて南佐久の谷が眼前に披けております。千曲川はこの谷を流れる大河で、沿岸に住む人民の風俗方言も川下とは多少違うかと思われます。岸を溯るにつれまして、さすがの大河も谿流の勢に変るのですが、河心が右岸の方へ酷く傾いでおりますので、左岸は盛上がったような砂底の顕れた中に、川上から押流された大石が埋って、ところどころに白楊、蘆、などの叢が茂っております。右岸に見られるのは、楓、漆、樺、楢の類。甲州街道はその蔭にあるのです。忍耐力に富んだ越後商人は昔から爰を通行しました。直江津の塩物がこの山地に深入したのも専らこの道を千曲川に添うて溯りましたもので。
両岸には、南牧、北牧、相木、などの村々が散布して、金峯山、国師山、甲武信岳、三国山の高く聳えた容を望むことも出来、又、甲州に跨った八つが岳の連山には、赤々とした大崩壊の跡を眺めることも出来ます。この谷の突当ったところが海の口村で、野辺山が原はつい後に迫っているのです。海の口村は、もと河岸に在りましたのが、河水の氾濫りました為に、村民は高原の裾へ倚って移住したとのこと。風雪を防ぐ為に石を載せた板葺の屋根を見ると、深山の生活も思いやられます。この辺に住んでおりますのが慓悍な信州人でして、その職業には、牧馬、耕作、杣、炭焼──わけても牧馬には熱心な人民です。この手合が馬を追いながら生活を営る野辺山が原というのは、天然の大牧場──左様さ、広さは三里四方も有ましょうか、秣に適した灌木と雑草とが生茂って、ところどころの樹蔭には泉が溢れ流れているのです。ここへ集るものは、女ですら克く馬の性質を暗記している位。男が少年のうちからして乗馬の術に長けているのは、不思議でもなんでも有ません。土地の者の競馬好と来ては──そりゃあ、もうこの手合が酒好なと同じように。
こういう土地柄ですから、女がどんな労働をしているか、大凡の想像はつきましょう。男を助けて外で甲斐々々しく働く時の風俗は、股引、脚絆で、盲目縞の手甲を着めます。冠りものは編笠です。娘も美しいと言いたいが、さて強いと言った方が至当で、健な活々とした容貌のものが多い。
海の口村が産馬地という証拠には、一頭や二頭の家養をしないものは無いのでも知れましょう。
何がこの手合の財産かなら、無論、馬です。
清仏戦争の後、仏蘭西兵の用いた軍馬は吾陸軍省の手で買取られて、海を越して渡って来ました。その中の十三頭が種馬として信州へ移されたのです。気象勇健な「アルゼリイ」種の馬匹が南佐久の奥へ入りましたのは、この時のことで。今日一口に雑種と称えているのは、専にこの「アルゼリイ」種を指したものです。その後、亜米利加産の浅間号という名高い種馬も入込みました。それから次第に馬匹の改良が始まる、野辺山が原の馬市は一年増に盛大になる、その噂さがなにがしの宮殿下の御耳にまで届くようになりました。殿下は陸軍騎兵附の大佐で、かくれもない馬好でいらせられるのですから、御寵愛の「ファラリイス」という亜刺比亜産を種馬として南佐久へ御貸付になりますと、さあ、人気が立ったの立たないのじゃ有ません。「ファラリイス」の血を分けた当歳が三十四頭という呼声になりました。殿下の御喜悦は何程でございましたろう──とうとう野辺山が原へ行啓を仰出されましたのです。
壱
「爺、己もお前も此頃馬を買った覚がある。どうだい、この馬は何程の評価をする──え、背骨の具合は浅間号に彷彿だ。今日この原へ集った中で、この程良い馬は少なかろう」
と一人の馬喰が手を隠して袖口を差出す。連の男は笑いながらその内へ手を入れて、
「こうだ」
「ふふ、そうさ」
と傍に手綱を控えて立っている若者に会釈して、
「若い衆、怒っちゃいけやせん。少々私にこの馬を撫でさして御くんなんしょ」
光沢を帯びた栗毛の腰の辺を撫下し、やがて急に尻毛を掴んで、うんと持上げて見ました。
「まあ私が買えばこの馬だ」
若者は馬喰の言葉に、したたか世辞を言われたという様子で、厚い口唇に自慢らしい微笑を湛えました。
源吉というのがこの若者の名で、それを山家の習慣では頭字ばかり呼んで、源で通る。海の口村の若い農夫には、いずれも綽名があって、源のは「藁草履」というのでした。それは山家の者が手造にする不恰好な平常穿を指したもので、醜男子という意味をあらわしたものです。いかさま、日に焼けたその顔は──鼻付の醜さから、目の細さ加減、口唇の恰好、土にまみれた藁草履を思出させる。しかし、源も血気盛な年頃ですから、若々しい頬の色なぞには、万更人を引きつけるところが無いでもない。それに筋骨の逞しさ、腕力の勝れていること、まあ野獣と格闘をするにも堪えると言いたい位で、容貌は醜いと言いましても、強い健な農夫とは見えるのでした。
功名心の深い源は、その日の競馬の催に野辺山が原附近の村々から集る強敵を相手にして、晴の勝負を争う意気込でした。最後の勝利、無上の栄誉などを考えて、昨夜はおちおち眠りません。馬には、大豆、馬鈴薯、藁、麦殻の外に糯米を宛てがって、枯草の中で鳴く声がすれば、夜中に幾度か起きて馬小屋を見廻りました。しかし、この野辺山が原へ上って来て、冷々とした清しい秋の空気を吸うと、もう蘇生ったようになりましたのです。高原の朝風はどの位心地のよいものでしょう。源は直にゆうべの疲労を回復して了いました。それに、人の気を悪くするような誇張をやりたがるのが、この男の性分で、そこここと馬を引廻して、碌々観相も弁えない者が「そいッたっても、まあ良い馬だいなあ」とでも褒めようものなら、それこそ源は人を見下げた目付をして、肩を動って歩く。ところへ、馬喰の言草があれでしょう──源が微笑する訳なんです。
殿下の行啓と聞いて、四千人余の男女が野辺山が原に集りました。馬も三百頭ではききますまい。それは源が生れて始めての壮観です。御仮屋は新しい平張で、正面に紫の幕、緑の机掛、うしろは白い幕を引廻し、特別席につづいて北向に厩、南が馬場でした。川上道の尽きて原へ出るところに、松の樹蔭から白く煙の上るのは商人が巣を作ったので、そこでは山葡萄、柿などの店を出しておりました。中には玉蜀黍を焼いて出すもあり、握飯の菜には昆布に鮒の煮付を突出に載せて売りました。
源の功名を貪る情熱は群集の多くなるにつれて、胸中に燃上りましたのです。源の馬というのは「アルゼリィ」の血を享けた雑種の一つで、高く首を揚げながら眼前に人馬の群の往ったり来たりするのを眺めると、さあ、多年の間潜んでいた戦好な本性を顕して来ました。頻と耳を振って、露深い秋草を踏散して、嘶く声の男らしさ。私に勝利を願うかのよう。清仏戦争に砲烟弾雨の間を駆廻った祖の血潮は、たしかにこの馬の胸を流れておりました。その日に限っては、主人の源ですら御しきれません──ところどころの松蔭に集る娘の群、紫絹の美しい深張を翳した女連なぞは、叫んで逃げ廻りました。
急に花火の音がする。それは海の口村で殿下の御着を報せるのでした。物売る店の辺から岡つづきの谷の人は北をさして走ってまいります。川上から来た小学生徒の一隊は土塵を起てて、馳走で源の前を通過ぎました。
御仮屋の前の厩には二百四十頭の牝馬が繋いでありましたが、わけても殿下の亜剌比亜産に配せた三十四頭の牝馬と駒とは人目を引きました。この厩を四方から取囲いて、見物が人山を築く。源も馬を競馬場の溜へ繋いで置いて、御仮屋の北側へ廻って拝見すると、郡長、郡書記なども「フロック・コォト」の折目正しく、特別席へ来て腰を掛ける。双眼鏡を肩に掛け、白いしなやかな手を振って、柔かな靴音をさせる紳士は参事官でした。俄然、喇叭の音が谿底から起る。次第にその音が近く聞えて来て、終には澄み渡った秋の空に鳴り響きました。
十輌ばかりの人力車が静粛な群集の中を通って、御仮屋の前まで進みました。真先には年若な武官、次に御附の人々、大佐、知事、馬博士、殿下は騎兵大佐の礼服で、御迎の御車に召させられました。御車は無紋の黒塗、海老染模様の厚毛布を掛けて、蹴込には緋の毛皮を敷き、五人の車夫は大縫紋の半被を着まして、前後に随いました。殿下は知事の御案内で御仮屋へ召させられ、大佐の物申上る度に微笑を泄させられるのでした。群集の視線はいずれも殿下に注る。御年は若い盛におわしまし、軍帽を戴かせられる御姿は、どこやらに国のみかどの雄々しい御面影も拝まれるのでした。まのあたり皇族の権威を仰ぎましたのは、農夫の源にとって生れて始めてのことです。殿下は大佐と馬博士とから「ファラリイス」の駒の批評を聞召され、やがて長靴のまま静々と御仮屋を下りて、親馬と駒とを御覧になる。勇しい御気象にわたらせられるのですから、もう静息していらせられることの出来ないという御有様。花火は時々一団の白い煙を空に残して、やがてそれが浮び飄う雲の断片のように、風に送られて群集の頭上を通る時には、あちこちに小供の歓呼が起る。殿下もたまには青空を仰がせられて、限も無い秋の光のなかに煙の消え行く様を眺めさせられました。
背後から押される苦痛に、源は人を分けて特別席の幕外へ出ました。殿下はまた熱心に馬を見給う御様子。参事官なぞは最早飽果てて、八つが岳の裾に展がる西原の牧場を望んでおりました。源は御茶番の側を通りぬけて、秣小屋の蔭まで参りますと、そこには男女の群の中に、母親、叔母、外に身内の者も居る。源の若い妻──お隅も草を藉いて。
「よっぽど良い馬が来た」
と源は佇立みながら独語のように。叔母は振り返って、
「道理だぞよ。そいッたってもなあ」
「叔母さん、宮様を拝まッしたか」
「私はなあ、橋の傍で拝みやした」
母親は源の横顔を熟視って、
「源、お前も握飯はどうだい。たべろよ。沢山あって残っても困るに」
「ああ」と源は夢中の返事、胸の中には勝負のことが往ったり来たりするばかり。名誉心の為に駆られて、饑渇いて、唯もうそわそわとしておりました。
「これさ。たべろよ」
という母親の言葉に、お隅は握飯を取って、源の手に握らせました。源は夢中で、一口それを頬張って、ぷいと厩の方へ駆出して行って了いました。
御茶番から羽織袴で出て来た赤ら顔の農夫は源の父です。そこここと見廻して、
「源は来やせんか」と母親に皺枯声で尋ねる。
「今、爰に居たが、どこかへ駆走っちゃった」
「彼奴にも困っちまう。今日は恰で狂人みたよう。私が、宮様へ上る玉露の御相伴をさしたい、御茶菓子の麦落雁も頂かせたい、と思って先刻から探しているんだけど」
叔母は引取って、
「源さの大くなったには、私魂消た。全然、見違えるように。しかし、お前には少許も肖ていねえだに」
「私にかえ。彼奴は私に肖ねえで、亡くなった祖父に肖たと見える。私は彼奴を見ると、祖父を思出さずにはおられやせん」
と楽しそうに話しておりますと「ファラリイス」の駒も大概御覧済になりましたので、御仮屋の北側に記念の小松を植えさせられました。人々は倦んで了って、特別席にかしこまる官吏の影も見えません。宮は御休息もなく四列の厩を一々案内させて、二時問余も大佐、馬博士を御相手に、二百頭の馬匹の性質、血統、遺伝などを聞召され、すこしも御疲労の体に見えさせ給わないのです。花やかに熱い秋の日が照りつけるので、色白な文官の群は幕の蔭に隠れ、互に膝頭を揉みました。
功名を急ぐ源にとりましては、この二時間の長さが堪えられない程の苦痛でした。いよいよ競馬の催が始まるということになりましたので、四千の群集は塵を揚げて、馬場の埒際へ吾先にと馳けて参ります。源は黄色い土烟を嗅いで噎返りました。大波のように押寄る男女の雑沓、子供の叫び声──とても巡査の力で制しきれるものでは有ません。「さあ、退いた、退いた」と、源は肩と肩との擦合う中へ割込んで、漸のことで溜へ参りますと、馬は悦しそうに嘶いて、大な首を源の身へ擦付けました。
その日の競馬は五組に分れて、抽籤の結果、源は最後へ廻ることになっておりました。誰しもこの最後の勝負を予想する、贔顧々々につれて盛に賭が行われる。わけても源の呼声は非常なもので、あそこでも藁草履、ここでも藁草履、源の得意は思いやられました。最初から四番目まで、湧くような歓呼の裡に勝負が定まって、さていよいよお鉢が廻って来ると、源は栗毛に跨って馬場へ出ました。御仮屋の北にあたる埒の際に、源の家族が見物していたのですが、両親の顔も、叔母の顔も、若い妻の顔すらも、源の目には入りません。馬上から眺めると群集の視線は自己一人に注る、とばかりで、乾燥いだ高原の空気を呼吸する度に、源の胸の鼓動は波打つようになりました。烈しい秋の光は源の頬を掠めて馬の鼻面に触りましたから、馬の鼻面は燃えるように見えました。
五人の乗手の中で、源が心に懼れたのは樺を冠った男です。白、紫、赤などは、さして恐るべき敵とも見えませんのでした。源は青です。樺は一見神経質らしい、それでいやに沈着きすました若い男で、馬も敏捷な相好の、足腰の締った、雑種らしい灰色なんです。樺が場を踏んだ証拠は、馬の扱いが柔かで、ゆったりとしていて、加に捜りを入れるような目付をして、他の四人の呼吸を図っているのでも分る。それにこの男の静な、冷い態度と言ったら──それは底の知れないような用心深いところがあって、一歩でも馬に無駄を踏ませまいと、たくらんでいるらしい。源は大違です。あまり心が激り過ぎて、乗出さぬ先から手綱を持手が震えました。
相図を聞くが早いか、五人の乗手はもう出発の線を離れる。真先に乗進んだのが源の青、次が紫、白、赤でした、樺は乗後れて見えました。「青、青」の叫び声は埒の四方から起る。殿下は御仮屋の紫の幕のかげに立たせられ、熱心に眺入らせ給うのでした。大佐は幾度馬博士の肩を叩いたか知れません。知事も、郡長も、御附の人々も総立です。参事官は白いしなやかな手を振りました。五人の乗手は丁度乗出した時と同じ順で、五十間ばかりの距離を波打つように乗進んで行った。源が紫に先んじたことは、樺が赤に後れたと同じ程の距離です。ですから源が振返って後を見た時は、舞揚る黄色い土烟の中に、紫と白とがすれすれに並び進んで、乗迫って来たのを認めたばかり。懼るべき灰色の馬頭は塵埃に隠れて見えませんのでした。驚破、白は紫を後に残して、真先に進む源をも抜かんとする気勢を示して、背後に肉薄して来た。「青」、「白」の声は盛に四方から起る。源も、白も、馬に鞭って進みました。競馬好きな馬博士は、「そこだ、そこだ」とばかりで、身を悶えて、左の手に持った山高帽子の上へ頻と握拳の鞭をくれる。大佐は薄鬚を掻〓(「※」は「てへん+劣」)りました。今、源は百間ばかりも進んだのでしょう。馬は泡立つ汗をびっしょり発て、それが湯滝のように顔を伝う、流れて目にも入る。白い鼻息は荒くなるばかりで、烈しく吹出す時の呼吸に、やや気勢の尽きて来たことが知れる。さあ、源は激らずにおられません。こうなると気を苛って妄に鞭を加えたくなる。馬は怒の為に狂うばかりになって、出足が反て固くなりました。遽に「樺、樺」と呼ぶ声が起る。樺はたしかに最後の筈。しかし、その樺が今まで加え惜んでいた鞭を烈しくくれて、衰えて来た前駆の隙を狙ったから堪りません。見る見る赤を抜き、紫を抜きました。馬博士は帽子を掴潰して狂人のように振回す。樺は奮進の勢に乗って、凄じく土塵を蹴立てました。それと覚った源が満身の怒気は、一時に頭へ衝きかかる。如何せん、樺は驀地。馬に翼、翼に声とはこれでしょう。忽ち閃電のように源の側を駆抜けて了いました。
必勝を期していた源の失望も思いやられます。勝利の旗は樺の手に落ちました。それは文字を白く染抜いた紫の旗で、外に記念の賞を添えまして、殿下の御前、群集の喝采の裡で、大佐から賜ったのでした。源の目は嫉妬の為に輝いて、口唇は冷嘲ったように引歪みました。今は誰一人源を振返って見るものがないのです。殿下は御機嫌麗しく、人々に丁寧な御言葉を賜りまして、御車に召させられました。御通路の左右に集る農夫の群にすら、白の御手套を挙げて一々御挨拶が有りました。御附の人々、大佐、知事、馬博士などは車、参事官、郡長、郡書記、その他の官吏は徒歩、つづいて「ファラリイス」の駒三十四頭、牝馬二百四十頭、牡馬の群は最後に随いました。三百頭余の馬匹が列をつくって、こうして通りますのは人目を驚かす程の盛観でした。紫の旗をかざして、凱歌を揚げて帰る樺の得意は、どんなでしたろう。さもさも勿体振って、いやに反身になって、人を軽蔑したような目付をしながら、意気揚々と灰色の馬に跨った様は──いやもう小癪に触って、二目と見られたものじゃない、とまあ、源は思うのでした。拝むような娘の群の視線はこの若者の横顔に注りました。全く、源は業が沸えて、この男の通るのを見ていられません。嫉妬は一種の苦痛です。源は自分の馬の側に仆れて、恥かいた額を草の中に埋めました。
疲労と失望とで悶え苦んでいた源が、むっくと起上った頃は──もう人々も帰って了った。居残る人足は腰を曲めて御仮屋を取片付ける最中。幕は畳み、旗は下して、遽に四辺が寂しくなった。細々と白い煙の上る松蔭には、店を仕舞って帰って行く商人の群も見える。馬は主人を置去にして、そこここと手綱を引摺りながら、「かしばみ」の葉でも猟っているらしい。今は、なにもかも源を見下げたり、笑ったりしてる──小鳥ですら人を軽蔑したような声で鳴いて通る、と源には思われるのでした。忌々しいものです。源は腹愈のつもりで、路傍の石を足蹴にしてやった。尊大な源の生命は名誉です。その名誉が身を離れたとすれば、残る源は──何でしょう。自分で自分を思いやると、急に胸が込上げて来て、涙は醜い顔を流れるのでした。やがて、思いついたように馬の傍へ馳寄って、力任せに手綱を引手繰りましたんです。
「こんな目に逢ったのも汝のお蔭だ」
凡夫の悲しさ、源はその日のことを馬の過失にして、さんざんに当り散した。丁度、罪人を撻つ獄卒のように、残酷な性質を顕したのです。馬に何の罪があろう。しかし畜生ながらに賢いもので、その日の失敗を口惜しく思うものと見え、ただ悄々として、首を垂れておりました。二重〓(「※」は「めへん+匡」)の大な眼は紫色に潤んで来る。幽に泄す声は深い歎息のようにも聞える。人間の苦痛ですら知られずに済む世の中に、誰が畜生の苦痛を思いやろう。生活て、労苦いて、鞭撻たれる──それが畜生の運なんです。馬は不平な主人の後に随いて、とぼとぼと馬小屋の方へ帰って行きました。好な飼料をあてがわれても、大麦の香を嗅いで見たばかりで、口をつけようとはしませんでした。
むしゃくしゃ腹で馬小屋を出まして、源は物置伝いに裏庭へ廻って見ますと、家には誰も居りません。楢の枯枝にからみつく青々とした夕顔の蔓の下には、二尺ばかりもあろうかと思われるのがいくつか生り下って、白い花も咲き残っている。黄ばんだ秋の光が葉越しにさしこんだので、深い影は地に落ちておりました。丁度、そこへ手桶を提げて、水を汲んで帰って来たのが妻のお隅です。源は、いきなり、熱湯のような言葉を浴せかけました。
「何故、お前は己に断りもしねえで、先に帰った」
「私かえ」とお隅は手桶を夕顔棚の蔭に置いて、「だっても父さんが帰れと言いなさるから、皆と一緒に帰りやしたよ」
「人の気を知らねえにも程がある」と源は怒気を含んで、舌なめずりをして、「何が可笑しい。気の毒に思うのが至当じゃねえか」
「あれ、そんな貴方のような無理な──私は笑いもどうもしやせんよ」
とお隅は呆れて夫の顔を見つめました。源は紅く顔を泣腫らして、口唇を震わせている様子。尋常ではない、とお隅も思いましたものの、夕飯の仕度に心は急くし、それに、なまじっか原のことを言い出して慰めて見たところで、反て気を悪くさせるようなもの、当らず触らずに越したことはない、と秋の日脚を眺めまして、手桶を提げて立とうとする。源は前後の考があるじゃなし、不平と怨恨とですこし目も眩んで、有合う天秤棒を振上げたから堪りません──お隅はそこへ什れました。垣根の傍に花を啄んでいた鶏は、この物音に驚いて舞起つもあれば、鳴いて垣根の下を潜るもあり、手桶の水は葱畠の方へ流れて行きました。
「ちょッ、勿体をつけやがって」
と叱るように言って、ややしばらく源は、お隅の悶え苦しむ様を見ておりました。やがて、愚しい目付をしながら、
「どこがそんなに痛いよ。どれ……見せろ」
源の手がお隅の右の足に触るか触らないに、女は悲鳴を揚げて顔色を変えました。
「大袈裟な真似をするない──狸め」
父親の影が見えたので、源は窃と表の方へ抜出しました。何処へ行くという目的もなく、ぶらりと出掛けて、やがて二三町も歩いてまいりますと、さ、足は不思議に前へ進まなくなりました。源は恐怖を抱くようになったのです。
弐
「源さ、お入りや。なんだって障子の外からなんぞ覗くんだえ」
と声を掛けましたのは、鹿の湯の女亭主です。源は煤けた障子を開けて、ぬっと蒼ざめた顔だけ顕しながら、
「私は女衆ばかりかと思って」
「女衆ばかりかと思ったら──御生憎さま」
と、炉辺で男の笑声が起る。源も苦笑しながら入りました。
「かみさん、酒を一杯おくれや」
鹿の湯というのは海の口村の出はずれにある一軒家、樵夫の為に村醪も暖めれば、百姓の為に干魚も炙るという、山間の温泉宿です。女亭主は蓬けた髪を櫛巻で、明窓から夕日を受けた流許に、かちゃかちゃと皿を鳴して立働く。炉辺には、源より先に御輿を据えて、ちびりちびり飲んでいる客がある。二階には兵士の客もある様子。炉に懸けた泥鰌汁の大鍋からは盛に湯気が起ちまして、そこに胡座をかいた源の顔へ香いかかるのでした。筒袖の半天を着た赤ら顔の娘は、梯子段を上ったり下りたりして、酒を運んでおりましたが、やがて炉辺へやってきて、塗箸を添えた胡栗脚の膳に香の物と猪口を載せて出し、丼には汁をつけてくれる。
「さあ、御燗がつきやした」
と時代な徳利を布巾で持添えて、勧めた。源は熱燗の極というところを猪口にうけて、
「お前の御酌だと、同じ酒が余計に甘く飲めるというもんだ」
「まあ、源さの巧く言うこと」
「どうだい、私の女房になる気はねえかよ」
「戯語ばかりお言いでない」
客も黙ってはいられません。黒々と生延びた腮の鬚を撫廻しながら、
「とかく、若い方の傍へは寄りたいものと見えるね」
と、ちらちらした目付で、娘を嬲りにかかる。娘はすこし憤然として見せて、
「この御客さんも、これでなかなか学者だぞい」
「へへへへ」と客はいやに笑って、「これでとは何だよ。人間も朝から晩まで稼ぐばかりじゃ、ねっからつまりませんや。ちったあ自分の好自由になる時がなくちゃ」
「貴方、好事を教えて上る」と娘は乗出して、「明日はゆっくりお勝さんの許へ行って、一緒に小屋の内で本でも読みやれ」
「へへへへ、明日は日曜だ。日本外史でも読まずかと思って」
「先生は何方ですい」と源は尋ねて見ました。
「私かね。私は大屋の者ですが、爰の登記役場の書記に出ていやすよ。私も海の口へはまだ引越して来たばかりで。これからは何卒まあ君等にも御心易くして貰わにゃならん──さ、一杯献げやしょう」
二階ではしきりに手が鳴る。娘はいそいそと梯子段を上って行きました。急に四辺が明るくなったかと思うと──秋の日が暮れるのでした。暗い三分心の光は煤けた壁の錦絵を照して、棚の目無達磨も煙の中に朦朧として見える。
「どうです、きょうの原の騒ぎは」と書記は楢を焼べて火気を盛にしながら、「殿下が女にも子供にも御挨拶のあったには私魂消た。競馬で人の出たには──これにも魂消た。君も競馬を終局まで見物しましたかい」
源は苦笑をしました。書記はそれとも知らない様子で、
「さ、不思議なこともあればあるもので、私の同僚が今日の競馬に出た男のところへ娘を嫁けてあるという話さ。娘の名ですかい──お隅さん。あの子なら私は大屋で克く知っていやす。しかも今日、原で不意と逢いやしてね。丸髷なんかに結ってるもんだで、見違えて了いやしたのさ」
と言われて、源は手を揉んでおりますと、書記は人に話をさせない男でして、
「まあ聞いてくれ給え。こういう訳です。私が今、爰へ来る途中、同僚が蒼くなって通るから、君どうしたい、と聞くと、娘のやつが夫婦喧嘩して、足の骨を折った、医者のところへこれから行くんだ、と言って、先生からもう大弱りさ。かわいそうに──よくよく運の悪い子だ」
聞いていた源は急に顔色を変えて、すこし狼狽て、手に持った猪口の酒を零しました。書記は一向無頓着──何も知らない様子なので、源もすこしは安心したのでした。腹蔵のない話が、こうして景気を付けてはいるものの、それはほんの酒の上、心の底は苦しいので、
「先生、足の骨を折られて死んだものがごわしょうか」
と恍け顔に聞いて見る。書記は愚痴を酒の肴というような風で、初対面の者にも聞かせずにはいられない男ですから──碌々源の言うことも耳に止めないで、とんちんかんな挨拶。「私は登記役場に出てから、三年目になりやすよ。馬流の正公は私よりか前に奉職して、それで私と給料が同じだもんだで、大層口惜しがってね。此頃も、馬流へ行った時、正公のところへ寄って、正公ちったあ上げて貰いやしたかね、と聞いたら、弱ったよ、今月は五十銭も上るかと思ったに、この模様ではお流れだ、と言って嘆していやした」
「どうでごわしょう、先生、その女も足の骨を折られた位で……」
「しかし、人間は信用がなくちゃ駄目だね。私なんかのように貧乏人で、能の無い者でも、難有いことには皆さんが贔顧にしてくれてね。此頃も斎藤書記官に逢いやした時、お前は今いくら取る、と言いやすから、九円になりやしたと言うと、九円? 九円も取るか、と大層喜んでくれやして、九円取れればいいだろう、と言いやすのさ。そりゃ私独りなら楽ですけれど、家内が大勢でなかなかやりきれやせん、と言いやしたら、よしよしその中に又た乃公が骨を折って上るようにしてやる、と言ってくれやした」
「どうでごわしょう、先生、その女も……」
「噫。貧苦ほど痛いものは無いね。貧苦、貧苦、子供は七人もあるし、家内には亡くなられるし──加に子供は与太野郎(愚物)ばかりで……。なあ、君、私もこんなに貧乏していて、それで酒ばかりは止められない。この楽みがあればこそ活きてる。察してくれ給え、酒でも飲まなけりゃいられんじゃないか」
「どうでごわしょう、先生……」
「地方裁判所なんとなると、どうもさすがに違ったものだね。君、『テエブル』が一畳敷もあろうかと思われる位大きくて、その上には青い織物が掛けてもあるし、肘突なんかもあるし、腰掛には空気枕のようなやつが付いてて、所長の留守に一寸乗って見ると──ぷくぷくしていて、工合のいいことと言ったら。君、そうして廷丁が三人も居るんだよ。それで呼鈴と言うので、ちりりんと拈ると、そのまあ、ちり、ちり、ちりん、の工合で誰ということが分ると見えて、その人がやって来ますね。大したものですなあ」
すこし話が途切れました。月のさした窓の外に蟋蟀の鳴く声が聞える。蛾の大なのが家の内へ舞込んで来て、暗い洋燈の周囲を飛んでおりましたが、やがて炉辺へ落ちて羽をばたばたさせる。書記は煙管の雁首で虫を押えたかと思うと、炉の灰の中へ生埋めにしました。
「先生」と源は放心した人のように灰の動く様を熟視めて、「先刻の御話でごわすが、足の骨を折られて死んだものがごわしょうか」
「有ますとも。足の傷はあれでなかなか馬鹿にならん。現在、私の甥がそれだ──撃ち処が悪かったと見えて、直に往生って了った。人間の命は脆いものさ……見給え、この虫の通りだ」
「ははははは」と源は愚かしい目付をして、寂しそうに笑って、「万一、その女が死にでもしたら、先生、奴さんの方はどうなりやしょう」
「そりゃあ君、知れきってる話さ。無論、捕らあね。人を殺して置いて自分ばかり助かるという理屈はないからな」
「ははははは」
源は反返って笑いました。人間は時々心と正反対な動作をやる──源の笑いが丁度それです。話好な書記は乗気になって、
「あの子についちゃ実にかわいそうな話があるんでね。私はお隅さんを見ると、罅痕の入った茶椀を思出さずにいられやせんのさ。まあ聞いてくれ給え」
と前置をして、話出したのはこうでした。
お隅の父親がこの男と同じ書記仲間で大屋の登記役場に勤めている時分──お隅も大屋へ来て、唯有る家に奉公していました。根が働好な女で、子供の世話、台所の仕事、そりゃあもう何から何まで引受けて、身を粉にして勤めましたから、さあ界隈でも評判。お隅が遠い井戸から汲々と水を担いで通るところを見掛けた者は、誰一人褒めないものが無い位。主人の家というのは少許引込んだ処に在って、鉄道の踏切を通らねば、町へ買物に出ることが出来ないのでした。お隅はよく主人の子供を負って、その踏切を往たり来たりした。丁度、そこに線路番人が見張をして佇立んでいて、お隅の通る度に言葉を掛ける。終には、お隅の見えるのを楽みにして待っている、という風になりましたのです。ある日のこと、番人が休暇で自分の家の前に立っていると、そこをお隅は子供を負いながら通りました。お隅は無理やりに呼込まれて──その番人というのは、すばらしい力のある奴ですから、さんざんに嚇かされたり賺されたりして──それから気がついて見ると、いつの間にかお隅の身体は番人の腕の中に在ったとか言うことで。子供は二人が喧嘩でもするのかと思って、烈しく泣いたということです。
間もなくお隅はこの番人と夫婦になりたいということを、人を以て、父親のところへ言込みました。
お隅が迷いもし、恐れもしたことは、それから又た間もなく夫婦約束を取消したいと言って、父親の許へ泣いて来たのでも知れる。お隅は小鳥です。その小鳥が網を張って待っていた番人の家へ出掛けて行って、前の約束を断ろうとすると──獣欲で饑渇いた男のことですから堪りません、復たお隅は辱しめられました。番人は手柄顔に吹聴する、さあ停車場附近では専ら評判、工夫の群まで笑わずにはおりませんのでした。とうとうお隅は父親へ置手紙をして、ある夜の闇に紛れて、大屋を出奔して了いました。
父親がこの書記に見せた手紙の中には、無量の悲哀が籠めてあったということです。鉄釘流に書いた文字は一々涙の痕で、情が迫って、言葉のつづきも分らない程。それは主人へ対して申訳のないこと、朝夕にまといつく主人の子供もさぞ後で尋ね慕うかと思えば愍然なこと、「これも身から出た錆、父さん堪忍しておくれ、すみより」としてありましたそうです。父親は無学な娘の手紙を読んで、その上に熱い涙を落しましたとのこと。
「という訳で」と書記は冷くなった酒を飲干して、「ところが同僚は極の好人物だもんだで、君どうでしょう、泣寝入さ。私は物数寄にその番人を見に行きやした。丁度、直江津の二番が上って来た時で、その男が饅頭笠を冠って、踏切のところに緑色の旗を出していやしたよ。え──君はその番人をどんな男だと思うえ。せめて年でも若いのかと? へへへへへ、いやはや大違い。私も魂消たねえ、まあ同僚と同い年位の爺じゃないか」
源は蒼くなって、炉に燃え上る楢の焚火を見入ったまま。
「それから一月ばかり経って」と書記は思出したように震えながら、「私は一度あの子に行逢ったがね、その時のお隅さんは──へえもう、がらりと変っていやしたよ。蟀谷のところへ紫色の頭痛膏なんぞを貼って、うるんだ目付をして、物を思うような様子をして、へえ前の処女らしいところは少許もなかった。私があの子を見ると、罅痕の入った茶椀を思出すと言ったは、こういう訳でさ。君もその番人の顔が見たいと思うでしょう。なんなら大屋の停車場へ序に寄って見給え。今でも北の踏切のところに立って、緑色の旗を出して……へへへへ」
「先生、もう沢山」
と源は銀貨をそこへ投出して置いて、鹿の湯を飛出しました。
参
さすがに母親は源のことが案じられて堪りません。海の口村の出はずれまで尋ねて参りますと、丁度源が鹿の湯の方から帰って来たところで、二人は橋の頭で行逢いました。母親は月光に源の顔を透して視て、
「お前は、まあ何処へ行ってたよ。父さんも何程心配していなさるか知んねえだに。私はお前を探して歩いて、どこを尋ねても──源さは来なさりゃせんとばかり。さあ、私と一緒に帰りなされ」
それは静かな、気の遠くなるような夜でした。奥山の秋のことですから、日中とは違いましてめっきり寒い。山気は襲いかかって人の背をぞくぞくさせる。見れば樹葉を泄れる月の光が幹を伝って、流れるように地に落ちておりました。なにもかも〓(「※」は「もんがまえ+貝」)寂として、沈まり返って、休息んでいるらしい。露深い草のなかに鳴く虫の歌は眠たい音楽のように聞える。親子は、黄ばんだ光のさすところへ出たり、暗い樹の葉の蔭へ入ったりして、石ころの多い坂道を帰って行きました。
「そいッたっても、馬鹿な子だぞよ」と母親は萎れて歩きながら、「お前、お隅の父親さんも飛んで来なすって、医者様を呼ぶやら、水天宮様を頂かせるやら、まあ大騒ぎして、お隅も少許痛みが治ったもんだで、今しがた帰って行きなすった。女の身体というものは、へえ油断がならねえ。あれで血の道でも起ってからに、万一の事が有って見ろ。これが巡査さんの耳へ入ったものならお前はまあどうする気だぞい──痴児め。
忘れたかや。お前にはお梅さという許婚があったからしてに、父さんはお隅を家へ入れねえと言いなすったのを、お前がなんでもあの子でなくちゃならねえように言うもんだで、私が父さんへ泣いて頼むようにして、それで漸と夫婦になった仲じゃねえかよ。お隅を貰ってくれんけりゃ、へえもう死ぬと言ったは誰だぞい。
私はお前の根性が愍然でならねえ。私がよく言って聞かせるのは、ここだぞよ。お前は独子で我儘放題に育って、恐いというものを知らねえからしてに──自分さえよければ他はどうでもよい──それが大間違だ、とよく言うじゃねえかよ。お前の父さんも若い時はお前と同じ様に、人を人とも思わねえで、それで村にも居られねえような仕末。今すこしで野たれ死するところであったのを、漸と目が覚めて心を入替えてからは、へえ別の人のようになったと世間からも褒められている。その親の子だからしてに、源さも矢張あの通りだ、と人に後指をさされるのが、私は何程まあ口惜いか知んねえ」
と母親は仰きながら鼻を啜りました。
ややしばらく互に黙って、とぼとぼと歩いてまいりますと、やがて蕎麦畠の側を通りました。それは母親と源とお隅の三人で、しかも夏、蒔きつけたところなんです。刈取らずに置いた蕎麦の素枯に月の光の沈んだ有様を見ると、楽しい記憶が母親の胸の中を往ったり来たりせずにはおりません。母親は夢のように眺めて幾度か深い歎息を吐きました。
「源」と母親は襦袢の袖口で〓(「※」は「めへん+匡」)を拭いながら、「思っても見てくれよ。私もなあ、この通り年は寄るし、弱くはなるし、譬えて見るなら丁度干乾びた烏瓜だ──その烏瓜が細い生命の蔓をたよりにしてからに、お前という枝に懸っている。お前が折れたら、私はどうなるぞい。私の力にするのはお前、お前より外には無えのだぞよ」
老の涙はとめどもなく母親の顔を伝いました。時々立止って、仰きながら首を振る度に、猶々胸が込上げてくる。足許の蟋蟀は、ばったり歌をやめるのでした。
源は無言のまま。
「父さんの言いなさるには、あんな薮医者に見せたばかりじゃ安心ならねえ。平沢に骨つぎの名人が有るということだによって、明日はなんでも其処へお隅を遣ることだ、と言ってなさる。なあ、お前も明日の朝は暗え中に起きて、お隅を馬に乗せて、村の人の寝ている中に出掛けて行きなされ」
こういう話をして、家へ帰って見ますと、お隅も寝入った様子。母親は源を休ませて置いて、炉辺で握飯をこしらえました。父親も不幸な悴の為に明日履く草鞋を作りながら、深更まで二人で起きていたのです。度を過した疲労の為に、源もおちおち寝られません。枕許の畳を盗むように通る鼠の足音まで恐しくなって、首を持上げて見る度に、赤々と炉に燃上る楢の火炎は煤けた壁に映っておりました。源は心が疲れていながら、それで目は物を見つめているという風で、とても眠が眠じゃない──少許とろとろしたかと思うと、復た恐しい夢が掴みかかる。
夜中にすこし時雨ました。
源は暁前に起されて、馬小屋へ仕度に参りましたが、馬はさすがに昨日の残酷な目を忘れません。蚊の声のする暗い隅の方へとかく逡巡ばかりして、いつもの元気もなく出渋るやつを、無理無体に外へ引出しました。お隅の萎れた身体は鞍の上に乗せ、足は動かさないように聢と馬の胴へ括付けました。母親は油火を突付けて見せる──お隅は編笠、源は頬冠りです。坂の上り口まで父親に送られて、出ました。
夜はまだ明放れません。鶏の鳴きかわす声が遠近の霧の中に聞える。坂を越して野辺山が原まで出てまいりますと、霧の群は行先に集って、足元も仄暗い。取壊さずにある御仮屋も潜み、厩も隠れ、鼻の先の松は遠い影のように沈みました。昨日の今日でしょう、原の上の有様は、よくも目に見えないで、見えるよりかも反って思出の種です。夫婦の進んでまいりましたのは原の中の一筋道──甲州へ通う旧道でした。二人は残夢もまだ覚めきらないという風で、温い霧の中をとぼとぼと辿りました。
高原の上に寂しい生活を送る小な村落は、旧道に添いまして、一里置位に有るのです。やがて取付の板橋村近く参りますと、道路も明くなって、ところどころ灰紫色の空が見えるようになりました。
こうして馬の口を取って、歩いて行くことは、源にとりまして言うに言われぬ苦痛です。源も万更憐みを知らん男でもない。いや、大知りで、随分落魄れた友人を助けたことも有るし、難渋した旅人に恵んでやった例もある。もし、外の女が災難で怪我でもして、平沢へ遣らんけりゃ助からない、誰か馬を引いて行ってくれるものは無いか、とでも言おうものなら、それこそ源は真先に飛出して、一肌ぬいで遣りかねない。人が褒めそやすなら源は火の中へでも飛込んで見せる。それだのに悩み萎れた自分の妻を馬に乗せて出掛るとなると、さあ、重荷を負ったような苦痛ばかりしか感じません。もうもう腹立しくもなるのでした。
それ、そういう男です。高慢な心の悲しさには、「自分が悪かった」と思いたくない。死んでも後悔はしたくない。女房の前に首を垂て、罪過を謝るなぞは猶々出来ない。なんとか言訳を探出して、心の中の恐怖を取消したい。と思迷って、何故、お隅を打ったのかそれが自分にも分らなくなる。「痴め」と源は自分で自分を叱って、「成程、打ったのは己が打った、女房の命は亭主の命、女房の身体は亭主の身体だ。己のものを打ったからとて、何の不思議はねえ」弁解いて見る。思乱れてはさまざまです。源の心は明くなったり、暗くなったりしました。
馬は取付く虻を尻尾で払いながら、道を進んでまいりましたが、時々眼を潤ませては、立止りました。神経の鋭いものだけに、主人を懐しむことも恐れることも酷しいものと見え、すこし主人に残酷な様子が顕れると、もう腰骨を隆くして前へ進みかねる。
「そら牛馬め」
と源は怒気を含んで、烈しく手綱を引廻す。「意地が悪くて、遅いから、牛馬だ。そら、この牛め」
馬は片意地な性質を顕して、猶々出足が渋ってくる。
「やい戯〓(「※」は「ごんべん+虚」)じゃねえぞ。余程、この馬は与太馬(駑馬)だいなあ。こんな使いにくい畜生もありゃあしねえ」
長い手綱を手頃に引手繰って、馬の右の股を打つ。
「しッ、しッ、そら、おじいさん」
馬は渋々ながら出掛けるのでした。
晴れて行く高原の霧のながめは、どんなに美しいものでしょう。すこし裾の見えた八つが岳が次第に嶮しい山骨を顕わして来て、終に紅色の光を帯びた巓まで見られる頃は、影が山から山へ映しておりました。甲州に跨る山脈の色は幾度変ったか知れません。今、紫がかった黄。今、灰がかった黄。急に日があたって、夫婦の行く道を照し始める。見上げれば、ちぎれちぎれの綿のような雲も浮んで、いつの間にか青空になりました。
ああ朝です。
男山、金峯山、女山、甲武信岳、などの山々も残りなく顕れました。遠くその間を流れるのが千曲川の源。かすかに見えるのが川上の村落です。千曲川は朝日をうけて白く光りました。
馬上のお隅は首を垂下げておりましたが、清しい朝の空気を吸うと急に身体を延して、そこここの景色を眺め廻して、
「貴方、お願いでごわすが、爰から家へ帰って下さい」
と言われて、源は呆れながらお隅の顔を見上げました。
「折角、爰まで来て、帰ると言う馬鹿が何処にある」
「私はどうしても平沢へ行きたくないような心地がして……気が咎めてなりゃせん」
「お前はどうかしてるよ。今、爰から帰って何になるぞい。自分の身体が可愛とは思わねえかよ」
「噫、私は死んでもかまわない」
「何? 死んでもかまわない?」と源は首を縮めて、くすくす笑って、「ふふ、馬鹿も休み休み言え。こんな蕎麦も碌々出来ねえような原の上でさえ、見ろ、住んでいる人すら有るじゃねえかよ。奥山の炭焼の烟に燻って、真黒になって、それでも働く人のあるというのは──何の為だ。皆、生きたいと思やこそ。自分の命より大切なものが世の中にあるかよ」
と言って、源は板橋村の人家から青々と煙の空に上るのを眺めました。お隅は恨めしそうに、
「貴方は自分の命がそんなに大切でも、他の命は大切じゃごわせんのかい。貴方が生きたけりゃ、私だっても生きたい」
「解らねえなあ、何故女というものはそう解らねえだろう。それだによって、己が暗い中から起きて、忙しい手間を一日潰して、こうしてお前を馬に乗せて、連れて行くとこじゃねえか。命が惜くねえもんなら、誰がこんな思いをして、平沢くんだりまでも行くものかよ」と源は気を変えて、「つまらねえことを言うのは止してくれ、お前が助からんけりゃ、己も助からん」
「貴方はそう言いなさるけれど、私だっても他人じゃなし、一緒に死ぬなら好じゃごわせんかえ」
とお隅は源の姿を盗むように視下して、蒼めた口唇に笑を浮べました。源は地団太踏んで、
「真実に、お前はどうかしてる。己がこれ程言うじゃねえかよ。己を助けると思って、機嫌克くして行ってくれ。なあ、一生のお頼みだに」
お隅は口を噤んで了う。源はぶつぶつ言いながら、馬を引いてまいりました。
筒袖の半天に股引、草鞋穿で頬冠りした農夫は、幾群か夫婦の側を通る。鍬を肩に掛けて行く男もあり、肥桶を担いで腰を捻って行く男もあり、爺の煙草入を腰にぶらさげながら随いて行く児もありました。気候、雑草、荒廃、瘠土などを相手に、秋の一日の烈しい労働が今は最早始まるのでした。
既に働いている農婦も有ました。黒々とした「のっぺい」(土の名)の畠の側を進んでまいりますと、一人の荒くれ男が、汗雫になって、傍目もふらずに畠を打っておりました。大な鋤を打込んで、身を横にして仆れるばかりに土の塊を鋤起す。気の遠くなるような黒土の臭気は紛として、鼻を衝くのでした。夫婦は他の働くさまを夢のように眺め、茫然と考え沈んで、通り過ぎて行きましたのです。板橋村を離れて旅人の群に逢いました。
高原の秋は今です。見渡せば木立もところどころ。枝という枝は南向に生延びて、冬季に吹く風の勁さも思いやられる。白樺は多く落葉して、高く空に突立ち、細葉の楊樹は踞るように低く隠れている。秋の光を送る風が騒しく吹渡ると、草は黄な波を打って、動き靡いて、柏の葉もうらがえりました。
ここかしこに見える大石には秋の日があたって、寂しい思をさせるのでした。
「ありしおで」の葉を垂れ、弘法菜の花をもつのは爰です。
「かしばみ」の実の路に落ちこぼれるのも爰です。
爰には又、野の鳥も住隠れました。笹の葉蔭に巣をつくる雲雀は、老いて春先ほどの勢がない。鶉は人の通る物音に驚いて、時々草の中から飛立つ。「ヒュヒュ、ヒュヒュ」と鳴く声を聞いては、思わず源も立留りました。見れば、不恰好な短い羽をひろげて、舞揚ろうとして、やがてぱったり落ちるように草の中へ引隠れるのでした。
外の樹木の黄に枯々とした中に、まだ緑勝な蔭をとどめたところもある。それは水の流れを旅人に教えるので。そこには雑樹が生茂って、泉に添うて枝を垂れて、深く根を浸しているのです。源は馬に飲ませて通りました。
今は村々の農夫も秋の労働に追われて、この高原に馬を放すものもすくない。八つが岳山脈の南の裾に住む山梨の農夫ばかりは、冬李の秣に乏しいので、遠く爰まで馬を引いて来て、草を刈集めておりました。
日は次第に高くなる、空気は乾燥いでくる、夫婦は渇き疲れて休場処を探したのですが、さて三軒屋は農家ばかりで、旅人のため蕎麦餅を焼くところもなし、一ぜんめし、おんさけさかな、などの看板は爰から平沢までの間に見ることも出来ないのです。拠なく、夫婦は白樺の樹の下を選って、美しい葉蔭に休みました。これまで参りましても、夫婦は互に打解けません。源はお隅を見るのが苦痛で、お隅はまた源を見るのが苦痛です。きのうの事が有ましてから、源は妙に気まずくなって、お隅と長く目を見合せていられない。年若な妻が馬の上に悩萎れて、足を括付けられているところを見れば、憐みの起るは人の情でしょう。しかし、ゆうべの書記の話を思出すと、線路番人のことが眼前に活きて来て、譬えようもない嫉妬が湧上る。源は藁草履と言われる程の醜男子ですから、一通りの焼手ではないのです。編笠越しに秋の光のさし入ったお隅の横顔を見れば、見るほど嫉妬は憐みよりも強くなるばかりでした。
「お隅、お前は何をそんなに考えているんだい」
「何も考えておりゃせんよ」
「定めしお前は己を恨んでいるだろう。己に言わせると、こっちからお前を恨むことがある」
「何を私は貴方に恨まれることが有りやすえ」
と突込むように言われて、源はもう憤然とする。さすがにそれとは言淀んで、すこし口唇を震わせておりましたが、やがて石の上に腰を掛けて、草鞋の紐を結直しながら、書記から聞いた一伍一什を話し出した。こう打開けて罪人の旧悪を言立てるような調子に出られては、お隅も平気でいられません。見る見るお隅の顔色が変って来て、「線路の番人」と図星を指された時は、耳の根元から襟首までも真紅にしました。邪推深い目付で窺い澄していた源のことですから、お隅の顔の紅くなったのが読めすぎる位読めて、もう嫉しいで胸一ぱいになる。
しばらく二人は無言でした。
「貴方もあんまりだ」
とお隅は潤み声でいう。源は怒を帯びた鋭い調子で、
「何があんまりだよ」
「だって、あんまりじゃごわせんか。誰から聞きなすったか知りゃせんが、今更そんな件を持出して私を責めたって……」とお隅はさもさも儚いという目付で、深い歎息を吐いて、「それを根に持って、貴方は私をこんなに打なすったのですかい」
「あたりめえよ」
お隅は顔を外向けて、嗚咽ました。一旦愈りかかった胸の傷口が復た破れて、烈しく出血するとはこの思いです。残酷な一生の記憶は蛇のように蘇生りました。瞑った目蓋からは、熱い涙が絶間もなく流出して、頬を伝って落ちましたのです。馬は繋がれたまま、白樺の根元にある笹の葉を食っていたのですが、急に首を揚げて聞耳を立てました。向の楢林──山梨の農夫が秣を刈集めている官有地の方角から、牝馬の嘶く声が聞えて来る。やがて源の馬は胴震いして、鼻をうごめかして、勇しそうに嘶きました。一段の媚を含んだような牝馬の声が復た聞える。源の馬は夢中になって嘶きかわした。昨日から今日へかけて主人に小衝き廻されたことは一通りで無いのですもの、人間の残酷な叱〓(「※」は「口へん+它」)と、牝馬の恋の嘶きと、どちらがこの馬の耳には音楽のように聞えたか──言うまでもない。牝馬は、また、誘うような、思わせ振な声で──こういう時の役に立てねば外に役に立てる時は無いといいたい調子で、嘶きながら肥った灰色の姿を見せました。声を聞いたばかりでも、源の馬はさも恋しそうに眺め入っていたのですから、愛らしい形を拝んでは堪りません。紫色の大な眼を輝して、波のように胸の動悸を打たせて、しきりと尻尾を振りました。鼻息は荒くなって来て、白い湯気のように源の顔へかかる。
「止せ、畜生」
と源は自分の顔を拭いて、その手で馬の鼻面を打ちました。馬は最早狂気です。牝馬の恋しさに目も眩んで、お隅を乗せていることも忘れて了う。やがて一振、力任せに首を振ったかと思うと、白樺の幹に繋いであった手綱はポツリと切れる。黄ばんだ葉が落ち散りました。
あれ、という間に、牝馬の方を指して一散に駆出す。源は周章てて、追馳けて、草の上を引摺って行く長い手綱に取縋りました。
さすがに人に誇っておりました源の怪力も、恋の力には及いません。源は怒の為に血を注いだようになりまして、罵って見ても、叱って見ても、狂乱れた馬の耳には何の甲斐もない。五月雨揚句の洪水が濁りに濁って、どんどと流れて、堤を切って溢れて出たとも申しましょうか。左右に長い鬣を振乱して牝馬と一緒に踴り狂って、風に向って嘶きました時は──偽もなければ飾もない野獣の本性に返りましたのです。源はもう、仰天して了って、聢と手綱を握〆めたまま、騒がしく音のする笹の葉の中を飛んで、馬と諸馳に馳けて行きました。黄色い羽の蝶は風に吹かれて、木の葉のように前を飛び過ぎる。木蔭に草を刈集めていた農夫は物音を聞きつけて、東からも西からも出合いましたが、いずれも叫んで逃廻るばかり。馬の勢に恐て寄りつく者も有ません。終には源も草鞋を踏切って了う、股引は破れて足から血が流れる──思わず知らず声を揚げて手綱を放して了いました。
憐み、恐れ、千々の思は電光のように源の胸の中を通りました。馬は気勢の尽き果てた主人を残して置いて、牝馬と一緒に原の中を飛び狂う。使役される為に生れて来たようなこの畜生も、今は人間の手を離れて、自由自在に空気を呼吸して、鳴きたいと思う声のあらん限を鳴きました。ある時は牝馬と同じように前足を高く揚げて踴上るさまも見え、ある時は顔と顔を擦付けて互に懐しむさまも見える。時によると、牝馬はつんと憤た様子を見せて、後足で源の馬を蹴る。すると源の馬は長い尻尾を振りまして、牝馬の足を押戴くように這倒る。やがて牝馬の傍へ寄って耳語をすると、牝馬は源の馬の鬣を噛んで、それを振廻して、もうさんざんに困した揚句、さも嬉しそうな嘶きを揚げる。二匹の馬は互に踴りかかって、噛合って、砂を浴せかけました。獣の恋は戯です。
急に二匹の馬は揃って北の方へ馳出しました。見る見る遠く離れて、馬の背の上に仰けさまに仆れたお隅の顔も形も分らない程になる。不幸な女の最後はこれです。
やがて馬の姿も黄色い土塵の中に隠れて見えなくなりました。
* * *
源が馬の後を迫って、板橋村の出はずれまで参りました頃はかれこれ昼でした。そこには農夫の群が黒山のように集って、母親の腕に抱かれたお隅の死体を見ておりました。源は父親と顔を見合せたばかり、互に言葉を交すことも出来ません。海の口村の巡査が人を押分けて源の前へ進んだ時は、群集の視線がこの若い農夫に注りましたのです。源は蒼ざめた口唇へ指さしをして、物の言えないということを知らせました。
前の世に恨のあったものが馬の形に宿りまして、生れ変って讐をこの世に復したものであろう、というような臆測が群集の口から口へ伝わりました。巡査は父親から事の委細を聞取って、しきりに頷く。源に何の咎がない、ということを確めました時は、両親も巡査の後姿を拝むばかりに見送って、互に蘇生ったような大息をホッと吐きましたのです。
群集もちりぢりになって、親戚の者ばかり残りました頃、父親は石の落ちたように胸を撫で擦りながら、
「源、お隅はお前の命を助けてくれたぞよ。さあ爰へ来て沢山御礼を言いなされ」
源は妻の死骸の前に立ちまして、黙って首を垂れました。
底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
1969(昭和44)年2月15日初版発行
1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:伊藤時也
1999年12月14日公開
2000年6月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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