ちるちる・みちる
山村暮鳥



 自序


いもけるのを、ども

たのしく一しよにまちながら……


 わたしは二人ふたりどものちゝであります。(三にんでしたがその一人ひとり現實げんじつ世界せかいにでてわづかに三日光ひのひかりにもれないですぐまた永遠えいゑん郷土きやうどにかへつてきました)勿論もちろん天眞てんしんどもたちたいしてははづかしいことばかりの、それこそばかりのちゝであります。いなちゝではありません。ともであります。ほんとにともでありたいと、それをせつねがふものです。

 どもたちをおもふと、わたしは幸福かうふくかんじます。わたしは希望きばうかんじます。どもたちをとほしてのみ、まこと人間にんげん生活せいくわつは、その意味いみわかるやうに、わたしにはおもはれます。

 どもたちをおもひあいすることによつて、わたしはわたしの苦惱くるしみにみちみてる生涯しやうがいきよく、そしてうつくしい日々ひゞとしてすごすでせう。これはおほきな感謝かんしやであります。


 なつはじめのよひのことでした。築地つきぢせいルカ病院びやうゐんにK先生せんせいのおじやうさんをみまひました。おなじく、ふかひゞのはいつた肉體からだをもつてゐるわたしは、これからうみかうとしてゐたので、一つはしばらく先生せんせいにもおかゝれまいとおもつて。ああ、おじやうさんをみる、それが、しか最後さいごにならうとは!


あはれ白百合しらゆり

谿たに百合ゆり

まだつゆながら、かつくりと

しほれて

くびれました


處女をとめ

めされてゆきました

アイア

ポペイア

そして天國みくにへゆきました


 先生せんせい奥樣おくさまと、夜晝よるひる病床ベツドそばはなれませんでした。そしてくだいて看護かんごをなされました。先生せんせいは「自分じぶんにかはれるものならばよろこんでかはつてやりたい」と沁々しみ〴〵、そのとき、わたしにはれました。それをいた刹那せつなのわたしは、その神樣かみさまのやうなことをおつしや先生せんせいを、こゝろなかで、をあはせてをがんでゐました。

 をおもふたふと親心おやごゝろ おやにとつてほどのものがありませうか。どもはいのち種子たねであり、どもはぐものであり、どもはてん使つかひであり。あいそのものであり、そのどもがあるから、どんな暗黒あんこく時代じだいでも、未來みらいひかりるのです。


 ほんにあつめたものは、その二ツ三ツをのぞいて、みんなわたしの獨創どくそうによる作品さくひんであります。


 わたしはいまほんを、ちひさい兄弟姉妹けうだいしまいたちである日本にほんどもたちおくります。また。そのどもたちおやであり、先生せんせいである方々かた〴〵にも是非ぜひんでいたゞきたいのです。とふのは、たゞたんどもたちのためにとばかりではく、わたしは此等これらのはなしのなか人生じんせい社會しやくわいおよびその運命うんめい生活せいくわつくわんする諸問題しよもんだい眞摯まじめにとりあつかつてみたからであります。

 これらは大方おほかたしか今年ことし六ツになるをんなのわたしたちの玲子れいこ──千ぐさは、まだやつとだい一のお誕生たんじやうがきたばかりで、なんにわかりません──に、よひくち寐床ねどこのなかなどで、わたしがかせたものなのです。おやとしてまたともとしての善良ぜんりやうこゝろをもつて。


なんぢうみにゆきてはりれよ。

はじめにりたるうををとりて

そのくちをひらかば

金貨きんくわ一つをべし。

Math,.XVIII,27.



目次


うみはなし

まだきてゐるすゞき

さやなかまめ

はとはこたへた

口喧嘩くちげんくわ

機織虫はたをりむし

鸚鵡あふむ

土鼠もぐら

茶店ちやみせのばあさん

からすあざけるうた

石芋いしいも

おやこ

家鴨あひる

雜魚ざこいの

もり老木らうぼく

からす田螺たにし

仲善なかよ

動物園どうぶつゑん

頬白鳥ほうじろ

瓜畑うりばたけのこと

かに

かへる

かぜ

うま

のみ

せみ

みゝつたうさぎ

はこばれるぶた

あぶの一しやう

泥棒どろぼう

ほしくに

たひ

どうしてのんべえそのさけめたか

ささげの秘曲ひきよく



 海の話


 農村のうそんにびんぼうなお百姓ひやくせうがありました。びんぼうでしたが深切しんせつなかい、家族かぞくでした。そこの鴨居かもゐにことしもつばめをつくつてそして四五ひなをそだててゐました。

 そのあさからあめがふつてゐました。

 なかで、胸毛むなげにふかくくびをうづめた母燕おやつばめねむるでもなくをつぶつてじつとしてゐるとひなの一つがたづねました。

かあちやん、なにしてるの。え、どうしたの」

 と、しんぱいして。

「どうもしやしません。かあちやんはね。いまかんがごとをしてゐたの」

 すると、ほかひな

「かんがえごとつてなあに

「それはね……さあ、なんつたらいいでせう。あんたたちがはやくおほきくなると、くににさむいさむいかぜいたり、ゆきがふつたりしないうちにとほとほ故郷こきやうのおうちへかえるのよ。そしてとほとほいその故郷こきやうのおうちへかえるには、それはそれはながたびをしなければならないの。それがね、もりはやしのあるところならよいが、つかれてもはねをやすめることもできず、おなかいてもなに一つべるものもない、ひろいひろい、それはおほきな、毎日まいにち毎晩まいばんよるひるけつづけで七も十もかからなければせないおほきなうみうへをゆくのよ」

「まあ」と、それをいてひなたちはおどろきました。

「それだからね、はねよわいものやからだ壯健たつしやでないものは、みんな途中とちうで、かわいさうにうみちてんでしまふのよ」

 氣速きばやなのが

「たすけたらいい」と横鎗よこやりをいれました。

「ところがね、それが出來できないの。なぜつて、だれかれ自分じぶんひとりがやつとなのよ。みんな一生懸命いつしやうけんめいですもの。ひとをたすけやうとすれば自分じぶんもともどもんでしまはねばならない。それではなんにもならないでせう。ほんとに其處そこではたすけることもたすけられることもできない。まつたく薄情はくじやうのやうだが自分々々じぶん〴〵です。自分じぶんだけです。それほかいのさ、ね」

「でも、もしかあちやんがべなくなつたら、ぼくんでもいい、たすけてあげる」

「そうかい、ありがとう。だけどね、またその蒼々あを〳〵としたおほきなうみ無事ぶじにわたりつて、をかからふりかへつてそのうみ沁々しみ〴〵ながめる、あの氣持きもちつたら……あのときばかりは何時いつにかゐなくなつてゐる友達ともだち親族みうちもわすれて、ほつとする。ああ、あのうれしさ……」

「はやくつてたいなあ」

「わたしもよ、ね、かあちやん」

「ええ、ええ。だれもおいてはきません。ひとりのこらずくのです。でもね、いいですか、それまでにおほきくそして立派りつぱそだつことですよ。壯健たつしやからだつよはね わかつて」

「ええ」

「ええ」

「ええ」

 とちいさいくちが一せいにこたへました。母燕おやつばめはたまらなくなつて、みんな一しよにきしめながら

なんてまあ可愛かあいんだろ」



 まだ生きてゐる鱸


 朝早あさはやく、いそ投釣なげづりをしてゐるひとがありました。なかなかかゝらないので、もうやめよう、もうやめようとおもつてゐました。と一ぴきおほきなやつがかかりました。

 すゞきでした。

 そのひとのよろこびつたらありませんでした。いそいで、それをぶらさげてかへらうとちあがりました。

 するとすゞき

「にいさん、わたし何處どこへもつてくんです」

こゑをかけました。

 まだきてゐるのでした。

「えつ! おつかあにさ。おつかあは此頃このごろ、すこし病氣びやうきしてゐるんだ」とはつたものの、こゝろなかでは「すまない、すまない」とをあはせるばかりでありました。

 さかな

「どうせべられるなら、こんな孝行者かうこうものおやくちにはいるのは幸福しあはせといふもんだ」と、よろこんでその觀念くわんねんをとぢました。そして二ふたゝびひらきませんでした。



 莢の中の豆


 さやなかには豆粒まめつぶが五つありました。そしてなかかつたのです。けふもけふとて、むつまじくはなしてゐました。

「もうそとにでるちかくなつたやうだね」

「どんなにうつくしいでせう、世界せかいは」

「はやくみたいなあ」

そとにでても、此處こゝで一つのさやなかで、かうしておたがひにおほきくなつたことをわすれないで、仲善なかよくしませうね」

「ええ」

 ある午後ごゞ。ぱちツと不思議ふしぎをとがしました。さやけたのです。まめみゝをおさえたなり、べたにころげだしました。

 そしてばらばらになつてしまひました。



 鳩はこたへた


 はとはおなかいてゐました。あさでした。羽蟲はむしを一つみつけるがはやいか、すぐ屋根やねからにはびをりて、それをつかまえました。

 あはや、くちばしちかづかうとすると

 羽蟲はむし

「ちよつとつて」とひました。

なにようかえ」

「ええ」

「どんなようだえ。いてやるがらつてたらよからう」

 羽蟲はむしはくるしいつめしたで、いひしぶつてゐましたがおもつて

「あのう……世間せけんでは、あなたのことをあい天使みつかひだの、平和へいわ表徴シンボルだのつてつてゐるんです」

「そして」

「それだのにあなたはいまなんつみもないわたし生命いのちらうとしてゐる」

「それから」

「それは無法むほふといふものです」

「なるほど、あるひはそうかもれない。けれど自分じぶんえてゐる。それだからべる。これは自然しぜんだ、また權利けんりだ」

「えつ!」

なにもそんなにおどろくことはない。それが萬物ばんぶつきてゐる證據しやうこさ」



 口喧嘩


 南瓜かぼちや甜瓜まくはうりと、おなじはたけにそだちました。種子たねかれるのも一しよでした。それでゐてたいへんなかわるかつたのです。

 おたがひにに々々おほきく、いまは人間にんげんをひくほどになりました。

 、おてんばむすめ甜瓜まくはうりが、かぼちや毒舌どくぐちきました。

「よお。おむかうの菊石あばたづらわかだんな。おほゝゝゝ。なにをそんなにおふさぎなの、大抵たいていあきらめなさいよう。いくらかんがえたつて、みつともない。だい一そのおめんぢやはじまらないんだから」

 それをきいたかぼちやをこつたのをこらないのつて、いしのやうな拳固げんこをふりあげてかからうとしましたが、つるあしにひつからまつてゐてうごかれない。くやしさにをにのやうなかほがいよいよをにのやうにみにくく、まつになりました。ぶるぶると身震みぶるひしながら「うむむ、うむむ」となにはうとしてもへないでもだえてゐました。

 そしてやつ

「いまだからそんなくちもきけるんだ。あまつちよめ!……貴樣きさまはなだつた時分じぶんときたらな……どうだい、あの吝嗇けちくせえちつぽけな、えてなくなりさうなはながさ。それでもおいらはんないとも言ひやしなかつた……自分じぶんのことはたなげたなりわすれてしまつて。おめえはあれでもはづかしいともなんともおもつてはゐなかつたのか」とどもりどもり、つぎはぎだらけの仕返しかえしをして、ほつと呼吸いきをつきました。

 甜瓜まくはうりつぱのかげで、そのあひだえずくすくすわらつてゐました。

 けれども南瓜かぼちやはくやしくつて、くやしくつて、たまらず、そのばん、みんなの寢靜ねじづまるのをつて、べたにほつぺたをすりつけて、造物つくりぬし神樣かみさまをうらんで男泣をとこなきにきました。



 機織蟲


 むしなかでもばつたかしこむしでした。このごろは、がな一にちつきのよいばんなどは、そのつきほしのひかりをたよりに夜露よつゆのとつぷりをりる夜闌よふけまで、母娘おやこでせつせとはたつてゐました。

 はゝおやだけに、叮嚀ていねい

「ギーイコ、バツタリ」とつてをりますが、性急せつかちむすめは、

「ギツチヨン。ギツチヨン。ギ、ギツチヨン」とそれはそれはたいへんせわしそうなのです。

 桔梗ききやう女郎花をみなへしのさきみだれたうつくしい世界せかいです。そのくさつぱのかげで

「ギーイコ、バツタリ」

「ギツチヨン。ギツチヨン」

 あるとき、そこへもりはうから、とぼとぼと腹這はらばふばかりに一ぴきの〓(「※」は「虫へん+車」)があるいてきました。はねなどはもうぼろぼろになつてべるどころではありません。

 機織蟲ばつたをみかけると

毎日まいにち毎日まいにちよくまあ、おかせぎですこと」とひました。

「はい、仲々なか〳〵らちがあきません。もう、とほくの山々やま〳〵ゆきがふつたつていひますのに」

「まあ! めつきり朝夕あさゆうつめたくなりましてね」

「あなたは、もうふゆ準備おしたくは」

「そのふゆないうちにありどののお世話せわにならなきやなりますまい」

「え、そんなことが……」

「さあ、なければないのが不思議ふしぎなのです。おやおやお日樣ひさまやまがけへかくれた。ではおはやくおしまひになさいまし」

 陸稻をかぼばたけ畔道あぜみちを、ごほんごほんと咳入せきいりながら、〓(「※」は「虫へん+車」)はどこへゆくのでせう。金泥きんでいそらにながしていろどつた眞夏まなつのその壯麗そうれいなる夕照ゆうせふたいしてこころゆくまで、銀鈴ぎんれいこゑりしぼつてうたひつづけた獨唱ソロ名手めいしゅそらとりはねをとどめてそのみゝかたむけた、ああ、これがかの夕日ゆうひもり名高なだかく、としわか閨秀をんな樂師がくしのなれのはてであらうとは!

 母娘おやこかほをみあはせましたが、さびしさうにその何方どちらからもなんともはず、そして〓(「※」は「虫へん+車」)のうしろ姿すがたがすつかりえなくなると、またせつせと側目わきめもふらずにしました。

「ギーイコ、バツタリ」

「ギツチヨン。ギツチヨン」



 鸚鵡


 あるところにくせわる夫婦ふうふがありました。それでもどもがないので、一鸚鵡あふむどものやうに可愛かあいがつてをりました。

 鸚鵡あふむ人間にんげん口眞擬くちまねをするのは、どなたもよくしつてをります。

 だれ

「おはやう」といへば、とりもまた

「おはやう」とひます。

 それからよるになつてあかりいて「おやすみなさい」ときくと、おなじやうに

「おやすみなさい」と喋舌しゃべります。

 ほんとに鸚鵡あふむ愛嬌者あいきやうものです。

 そこのいへにお客樣きやくさまがきました。すると鸚鵡あふむ

「あんたは白瓜しろうりぽん、それつきり」といひました。お客樣きやくさま

「え」ときかへすと

わたしはそれでも反物たんものだん

 なになんだかさつぱりわかりません。そこへおちやつてでてきたおかみさんにそのことをはなすと

「ええ、昨晩ゆうべ盗賊どろぼうにとられたもののことをつてるのでせう」

 お客樣きやくさまがかへると

「おまえは、なん馬鹿ばかだらう。うつかり秘密話ないしよばなしもできやしない」と、たいへんしかられました。鸚鵡あふむしかられてどぎまぎしました。多分たぶんくちまねが拙手へたなので、だらうとおもひまして、それからとふものは滅茶苦茶めちやくちやにしやべりつゞけました。しかられればしかられるほどしやべりました。

「ええ、ゆふべ、泥棒どろぼう……なん馬鹿ばかだろ……白瓜しろうりぽん反物たんもの三だん……うつかり秘密話ないしよばなしもできやしない」

 夫婦ふうふこまつてしまひました。そして、鳥屋とりやへもつてつてりました、けれどそれがうんきでした。そのくちからの言葉ことばで、とうとう二人ふたりつかまつて、くらくら牢獄ろうごくのなかへげこまれました。



 土鼠の死


 土鼠もぐらつちなかをもくもくつてきますと、こつりと鼻頭はながしらツつけました。うまいぞ。それがなんだかよくもしないで、仲間なかまづかれないやうに、そのまま、そつとすなをかけて、らないかほをしてえしました。あとでて、ひとりでそれをべやうとおもつて。

 途中とちうともだちにひました。

「どうしたんだ」

「む、おほきなつこでかれやしない、駄目だめだ」

 よるになりました。こつそりでかけました。そしておどろきました。「なあんだ。こりやいしじやないか。ちえツ、馬鹿々々ばか〴〵〴〵しい」

 そこへ、するすると意地いぢわる蚯蚓みゝずひだしてきました。

なんなんでもいしはれませんよ。晩餉ごはんはまだなんですか。そんならおしへてげませう。此處こゝひだりまがつて、それからみぎれて、すこし、あんたと昨日きなふあつたみちのあの交叉點よつかどです。品物しなものけばわかります。だがね、そいつはきてるから、ちかづいたらびついて、すぐ噛殺かみころさないとげられますよ、よござんすか。では、さよなら」

「どうも有難ありがたう、おじやうさん。いつかおれいはいたします」

 あくるあさのこと。

 農夫のうふはたけにきてみたら、おほきな土鼠もぐらがまんまと捕鼠器ほそきかゝつてゐました。



 茶店のばあさん


 がけうへ觀音樣くわんのんさまには茶店ちやみせがありました。密柑みかんたまご駄菓子だぐわしなんどをならべて、參詣者おまへりびと咽喉のど澁茶しぶちやしめさせてゐたそのおばあさんは、苦勞くらうしぬいてひとでした。

 ある、その店前みせさきへ一はの親雀おやすゞめがきて

「いつもどもがきてはお世話せわになります」

丁寧ていねいにおれいをのべました。

 おばあさんは不審ふしんさうなかほをして

「いいえ。わたしじやないでせう」とつた。それをきいて、そばについてきてゐた子雀こすゞめが「今朝けさもおこめいたゞいてよ」

わたしに、そんなおぼえはい」

 ほそいけむりこそててゐるがとしより正直しやうじきで、それになにかをけつして無駄むだにしません。それで、パンくづ米粒こめつぶがよくすゞめらへのおあいそにもなつたのでした。

 そのばんのことです。

 こつそりとおばあさんのゆめすゞめがしのびこんでて、そしてとほくのとほくの竹藪たけやぶの、自分等じぶんらすゞめのお宿やどにつれてつておばあさんをあつくあつく饗應もてなしたといふことです。



 烏を嘲ける唄


 すゞめが四五で、すゞしい樹蔭こかげにあそんでゐると、そこへからすがどこからかんでました。

 そして「なにしてゐたんだ」

「おはなしをしてゐたのよ。おもしろいおはなしを」

「ふむむ。それでは一ついてやらうか」

「あんたがしなさいな、なにか」

おれはなしなんからない」

「そんなら……ねえ、うたつておくれよ、いいこゑで」

うたか。それも不得手ふゑてだ」

「まあなんにも出來できないの。ほんとにあんたはうぐひすのやうなこゑもないし、孔雀くじやくのやうなうつくしいはねももたないんだね」

 こわをしてからすがだまりこんだので、すゞめらはたかまつのうへへげながら

からす

からす

ひろ世界せかい

にくまれもの

けふも墓場はかばいてゐた

かあ、かあ

 それをきくとからすさずにはゐられませんでした。

「へつ、弱蟲よわむし! そんなら貴樣きさまらには、なにができる。命知いのちしらず!」そしてかたをそびやかして睨視にらめつけました。

「おれはつよいぞ」



 石芋


 百せうのおかみさんが河端かわばたいもあらつてをりました。そこをとほりかけた乞食こじきのやうなぼうさんがそのいもをみて

「それを十ばかり施興ほどこしてください」とたのみました。「わたしはおなかいてゐるのだ」

 おかみさんはちらと見上みあげました。けれどこしてませんでした。そして

駄目々々だめ〴〵〴〵、これはべられません。石芋いしいもです」と、くれるのがいやさに、そうつてうそきました。

「はあ、さうですか」

 ぼうさんはひてともはず、それなり何處どこへかすやうにゐなくなりました。いもがすつかりあらへたから、それをおかみさんはいへにもちかへり、そしておなべれてました。しばらくして、もうえたらうと一つ取出とりだしてかぢつてみました。かたい。まるでいしのやうです。もすこしたつて、また取出とりだしてみました。矢張やつぱかたい。いくらてもいしのやうでべられません。おなべからして、こんどはいてみました。不相變あいかはらずです。いよいよかたくなるばかりでした。

 遂々とう〳〵、おかみさんははらてて、それをすつかりうら竹藪たけやぶにすてました。

 するといも

「ざまあみやがれ、慾張よくばりめが。おいらがおこつてかたくなると、こんなもんだ」

 その翌日あくるひ、こんなうはさがぱつとちました。昨日きのふ乞食こじきのやうなあのぼうさんは、あれはいま生佛いきぼとけといはれてゐるお上人樣しやうにんさまだと。

 おかみさんはぶつたまげてしまひました。けれど「あんなものをあげないで、よかつた」とおもひました。そしてうら竹藪たけやぶにでてみますと、てられたそのいも青々あを〳〵と芽をふいてゐるではありませんか。



 おやこ


 うま母仔おやこ百姓男ひやくせうをとこにひかれてまちへでかけました。母馬おやうまおほきな荷物にもつをせをつてゐました。

「かあちやん、何處どこぐの」

まちへさ」

「なんにぐの」

荷物にもつをもつてよ」

まちつて、どこ」

「いまけばわかるがね。おとなしくするんですよ。え」

 やがてまちにつきました。仔馬こうまにぎやかなのにはじめはびつくりしてゐましたが、なにをみてもめづらしいものばかりなので、うれしくつてたまりませんでした。

「かあちやん、あれはなに。あのぶうぶうつてけてるのは」

「あれは自働車じどうしやつてふものよ」

「そんなら、あれは。そらそこのいへのきにぶらさがつてゐるの」

「あれかい、賣藥くすり看板かんばんさ」

「あれは。あのおやまのやうな屋根やねは」

「おてら

「あのがたがたしてゐるをとは」

米屋こめやこめいてるのさ。機械きかいをとだよ」

「そんなら、あれは……」

「もうらない。わらわれるから、はやくおで」

「あああ、あんなものがた、くれけむをふきだして……」

「よ、そらまた」

 母馬おやうまうるささにがつかりして歸路きろにつきました。まちはづれまでくると、仔馬こうまきふあるきだしました。はやくいへへかへつておちゝをねだらうとおもつて。

はやくさ、かあちやん。かあちやん、つてば。ぐずぐず道草みちくさばかりべてゐて」

けれどあはれな母馬おやうまはもうひどつかれてゐるのでした。

 つきがでました。

 ほろゑひきげんの百姓男ひやくせうをとこいまはすつかり善人ぜんにんになつて、叱言こごとを一つひません。

「あれ、あれ、おうちあかりがみへる。もうすぐだよ。かあちやん」



 木と木


 老木らうぼく

「こんなに年老としよるまで、自分じぶんこづゑで、どんなにお前のためにあめかぜをふせぎ、それとたゝかつたかれない。そしておまへ成長せいちやうしたんだ」

 わか

「それがいまではたゞ日光につくわうさえぎるばかりなんだから、やりきれない」



 家鴨の子


 家鴨あひる田圃たんぼであそんでゐると、そこをとほりかかつたがん

「おうい、おいらとがねえか」

「どこへさ」

「む、どこつて、おいらの故郷こきやうへよ。おもしろいことが澤山たんとあるぜ。それからお美味いしいものも──」

「ほんとかえ」

「ほんとだとも」

「そんならつれていつておくれ」

「いいとも、けれどべるか」

 家鴨あひる天空そらがどうしてべませう。それども一生懸命いつしやうけんめいとびあがらうとしてんでみたが、どうしても駄目だめなのできだし、きながら小舎こやにかへりました。

 がんはわらつてつてしまひました。

 小舎こやかへつてからもなほ、大聲おほごゑきながら「おつかあ、おいらはなんで、あのがんのやうにべねえだ。おいらにもあんないいはねをつけてくんろよ」

 おやあひるはそつぽをいてきこえないふりをしてゐたが、にはなみだが一ぱいでした。

──「都會と田園」より──



 雜魚の祈り


 ながらくひでりつゞいたので、ぬまみづれさうになつてきました。雜魚ざこどもは心配しんぱいしてやま神樣かみさまに、あめのふるまでの斷食だんじきをちかつて、熱心ねつしんいのりました。

 神樣かみさまはそのいのりをきかれたのか。あめがふりました。

 ぬまてしまはないうちにあめはふりましたが、そのあめのふらないうちに雜魚ざこはみんな餓死がししました。



 森の老木


 おみやもりにはたくさんの老木らうぼくがありました。大方おほかたそれはまつでした。やまうへたかみからあたりを睨望みをろして、そしていつもなんとかかとか口喧くちやかましくつてゐました。あつければ、あつい。さむければ、またさむいと。

 小賢こざかしいからすはそれをよくつてゐました。それだから、そのあたまかたうへで、ちよつとはねやすめたり。あるひは一宿やどをたのまうとでもすると、まづ

なん天氣てんきでせう。かう毎日々々まいにち〳〵〳〵打續ぶつつゞけのおりとちやなんぼなんでもたまつたもんぢやありませんやねえ」

 また、ちやうどあめでもつてゐるなら

こまつたあめじやありませんか。これじやはらわたなかまで、すつかり、びしよぐされですよ」

 老木らうぼくはそれをくと

「そうだとも、そうだとも。こりや一つなんとかせにあなるめえ」そのくせなに一つたことはないのです。たゞ喋舌しやべるばかりです。たくも出來できないんでせう。もうふかくはりすぎてゐて身動みうごきもならないやうになつてしまつてゐるのですもの。

 からすは、けれどこゝろなかではあかしたをぺろりとだして

「こいつあ、人間にんげんのあるものによくてけつかる。それもことならいいが、ろくでもねえところなんだから、たまらねえ」



 鴉と田螺


 うららかなはる日永ひながを、あなからひだした田螺たにしがたんぼで晝寢ひるねをしてゐました。それをからすがみつけてやつてました。海岸かいがんで、とび喧嘩けんくわをしてけたくやしさ、くやしまぎれにものをもゆはず、びをりてきて、いきなりつよくこつんと一つ突衝つゝきました。

「あいた!」

 こつん、こつん、こつんとつゞけざまの慘酷むごたらしさ。

「いたいよう。ごめんなさいよう」とあげる田螺たにし悲鳴ひめい。それをやぶにゐた四十からがききつけて

「まあにいさん、なにをするんです。そんなひどにあはせるなんて、われもひとも生きもんだ、つてこともあるじやありませんか」

 するとからす

「なんだと、えツ、やかましいわい。のおしやべり小僧こぞうめ!」

「でもね、われもひとも生きもんだ、つてことが……」

「ええ、うるせえ」とふよりはやくかゝりました。けれど四十からはもうどこにもえません。ちええ。そればかりか、折角せつかくごちさうはとみれば、そのあひだに、これはまんまと、あなげこんでしまつてゐるのです。そしてあなくちからあたまをだして

「おい、ここだよ」



 仲善し


 馬方うまかた馬方うまかた喧嘩けんくわをはじめました。すなツぽこりの大道だいどうべたで、うへになつたりしたになつたり、まるであんこなか團子だんごのやうに。そして双方そうほうとも、どろだらけになり、やがてまでがだらだらながしました。

 一人ひとりほううまが「またはじまりましたね」とふと

 ほかうま「ええ。いい見物みものですよ」

「あれで、これでも萬物ばんぶつ靈長れいちやうだなんて威張ゐばるんですよ、時々とき〴〵

私達わたしたちのことを、ほんとに、畜生ちくしやうもないもんだ」

「わたしや、かなかつたが一たい今日けふのはなにからですね」

「きかねえんですか。のんださけ勘定かんじやうからですよ。去年きよねんぼんに一どおまへにおごつたことがあるから、けふのははらへと、あののんだくれわしやつふんです。するとあんたのはうはうですわねえ。うむ、そんなら貴樣きさまがこないだ途中とちうで、南京米なんきんまいをぬきつたのを巡査じゆんさげるがいいかとふんです」

「へええ。なん圖々づう〴〵しいんでせうね」そうしてなか獨白ひとりごとのやうに「自分じぶんでこそ毎日まいにちのやうにやつてるくせに」

人間にんげんつて、みんなこんなんでせうか」

「さあ」

「それはさうとなかなかながいね」

「どうでせう、あのざまは」

 喧嘩けんくわはすぐにはみませんでした。

 うまうま仲善なかよく、はなをならべて路傍みちばたくさみながら、二人ふたり半死半生はんしはんしやう各自てんで荷馬車にばしやひあがり、なほ毒舌どくぐちきあつて、西にしひがしへわかれるまで、こんなはなしをしてゐました。

「さようなら」

「では、御機嫌ごきげんよう」

 それをみてゐた大空おほぞらとんび

「これがほんとに人間にんげん以上いじやううま以下いかつてふんだ。ぴいひよろ」とながいながい欠伸あくびをしました。



 動物園


 動物園どうぶつゑんには澤山たくさん動物どうぶつがゐました。

 勘察加産カムチヤツカさん白熊しろくまがあるなつのこと、みづからあがり、それでもあせをだらだらながしながら

「どうです、ぞうさん。あついぢやありませんか」とこゑをかけました。

 ぞう

「えつ、なんですつて、わしはこれでもさむいぐらゐなんだ、くまさん。いまぢあ、すこしれやしたがね、此處こゝへはじめて南洋なんやうからたときあ、まだ殘暑ざんしよころだつたがそれでも、毎日々々まいにち〳〵〳〵、ぶるぶるふるえてゐましただよ」

「へええ」

 季節とき推移うつりかわりは、やがてふゆとなり、ゆきさえちらちらりはじめました。

 あるあさ、こんどはぞう

くまさん、どうです、今日けふあたりは。ゆきうたでもうたつておくれ。わしあ、こほりかたまりにでもならなけりやいいがと心配しんぱいでなんねえだ」

折角せつかく、お大事だいじになせえよ。おいらは、これでやつと蘇生いきかへつたわけさ。まるで火炮ひあぶりにでもなつてゐるやうだつたんでね」

「ふむむ」

ぞうさんよ」

「え」

なん因果いんぐわだらうね、おたがいに」

なにがさ」

なにがつて、こんなところになにわるいことでもした人間にんげんのやうに、だれをみても、かうしててつ格子かうしか、そうでなければ金網かなあみ木柵もくさく石室いしむろ板圍いたがこいなんどのなか閉込とぢこめられてさ、そのうへあんたなんかは御丁寧ごていねいねん年中ねんぢう足首あしくびおも鐵鎖くさりまでめられてるんだ」

くまさん」

「なんだえ」

「ほんとに情無なさけねえよ。わしあ。くにには親兄弟おやけうだいもあるんだが、父親おやぢはもう年老としよりだつたから、んだかもれねえ」

「わしもさ、晝間ひるまはそれでも見物人けんぶつにんにまぎれてわすれてゐるが、よるはしみじみとかんがえるよ。かゝあどものことを……どうしてゐるかとおもつてね」

 仲善なかよしのぞうくまとは、をりふし、こんなかなしいはなしをしてはおたがひの不幸ふしあはせなげきました。

 ほか動物どうぶつも、みんなおなじやうにいてばかりゐました。に、動物園どうぶつゑん動物どうぶつ監獄かんごくでありました。

 たゞ狡猾ずるさるだけは、こうして毎日まいにちなん仕事しごともなく、ごろごろとなまけてゐても、それでおなかかさないでゆかれるので、暢氣のんきかほをして、人間にんげんの子どもらの玩弄品おもちやになつて、いつもきやツきやツとさわいでゐました。



 頬白鳥


 ものぐさ百姓ひゃくせうがあるあさ、めづらしく早起はやおきして、はたけ種蒔たねまきをしてゐました。それを頬白鳥ほゝじろがみつけて

「おぢさん、今日こんにちは」といひました。

 百姓ひゃくせうはねむそうなげてみました。

「おお、だれかとおもつたらおめえかえ。おめえさんもはやいね」

「え、おぢさん、これがはやいんですつて。わたしはもうひゃくぺんもうたひましたよ。」

 すこしむつとした百姓ひゃくせう

「それがどうしたとふんだ」

なんでもありませんよ。たゞね、わたしはおさきへ失禮しつれいして、これからおちやでもまうとしてるんです」



 瓜畑のこと


「しつ! そらた」

 いままで、ごろごろとのんきにころがつてつみのない世間話せけんばなしをしてゐたうりが、一せいにぴたりとそのはなしをやめて、いきころしました。みんな、そしてねむつた眞擬ふりをしてゐました。

 おばあさんは、今日けふもうれしさうにはたけ見廻みまはして甘味うまさうにじゆくしたおほきいやつを一つ、庖丁ほうてうでちよんり、さて、さも大事だいじさうにそれをかゝえてかえつてきました。すると、またはなしがひそひそと遠近をちこちではじまりました。

 彼方あちら

「なかなかあつくなつてたね」

 こちらで

「ええ。そろそろとおたがひ生命いのちもさきがみじかくなるばかりさ」

なにつ! けふもだれられたつて」

 どこかで、鼻唄はなうたをうたつてゐるものがあります。そうかとおもふと「だれなの、そこでしくしくいてゐるのは」

「あんまりくよくよするもんでねえだ」

「ふむ。べらぼうめ」

南無阿彌陀佛なむあみだぶつ南無阿彌陀佛なむあみだぶつ



 蟹


 子蟹こがにつてゐるのをみてゐた親蟹おやがににがかほをしてひました。

「それはまあ、なんてあるきかたなんだい。みつともない」

「どんなにあるくの」

眞直まつすぐにさ」

 從順すなほ子蟹こがにはおしへられたやうにこゝろみました。けれどどうしても駄目だめでした。で

「あるいてみせておくれよ」

「よし、よし。かうあるくもんだ」

 親蟹おやがにあるきだしました。すると、こんどは子蟹こがにはらをかかえて噴出ふきだしました。

「それじや矢張やつぱり、よこだあ」



 蛙


 おいけのきれいななかへ、女蛙をんなかへるをうみました。男蛙をとこかへるがそれをみて、おれかかあ水晶すいしやうたまをうんだとおどあがつてよろこびました。

 それがだんだんかわつててきました。おたまじやくしになつたのです。男蛙をとこかへるはそれをみると氣狂きちがひのやうになつておこりだしました。なまづをうんだとおもつたのです。

 遂々とう〳〵かわりにかわつて、あしができ、しつぽがれて、ちひさいけれど立派りつぱかへるになりました。男蛙をとこかへるはしみじみとそのながめて、なあんだ、どんなにえらやつがうまれるかとおもつたら、やつぱり普通あたりまへかへるかと、ぶつぶつ愚痴ぐちをこぼしました。

(「おとぎの世界」募集童謠より)



 風


「なんてけちかぜだらう。くならくらしくふけばいいんだ。あついのに。みてくんな、あせを。どうだいまるでながれるやうだ」

 風鈴ふうりんがねぼけたやうにちりりんと、そのときれました。

「ほんとにねえ。これぢや、いいかぜですともはれませんよ。まつたく」

 ちらとそれをきいてかぜむつとしました。「意氣地いくぢなしども! そんなら一昨年おととしの二百十のやうに、また一とあわかしてくれやうか」と怒鳴どなりつけやうとはおもつたが、なにをいふにも相手あひてたかのしれた人間にんげんだとおもひなほして、だまつて大股おほまたに、あとをもず、廣々ひろ〴〵とした野山のやまはうつてしまひました。



 馬


 こげつくやうなあつでした。

 むら酒屋さかや店前みせさきまでくると、馬方うまかたうまをとめました。いつものやうに、そしてにこにことそこにはいり、どつかりとこしをろして冷酒ひやざけおほきなこつぷ甘味うまさうにかたむけはじめました。一ぱいぱいまた一ぱい。これからはらがだぶだぶになるまでむのです。そしてねむくなると、にじでもくやうなをくびを一つして、ごろりとよこになるのです。とかみなりのやうないびきです。

 荷馬車にばしやをもい。やまのやうな荷物にもつです。

 この炎天えんてんにさらされて、くこともならず、かへりもされず、むなしく、うまのんだくれ何時いつだかれない眼覺めざめをまつて尻尾しつぽあぶはひとたわむれながら、かんがへました。かんがへるとしみじみかなしくなりました。

「なんといふ一しやうだらう。こうして荷馬車にばしゃあさからばんまでくために、わたしおやわたしをうんだのでもなからうに。自分じぶんがこんなつてゐるのをみたら、人間にんげんならなんとふだらう」

 うまはこのまんま、えるやうににたいとおもひました。んで、そして何處どこかで、びつくりして自分じぶんいてわびる無情むじやう主人しゅじんがみてやりたいとおもひました。

 けれどぐまたおもひなほしました。

「おたがひに、明日あす生命いのちもしれない、はかないものなんだ。なんでも出來できるうちにはうがいいし、また、やらせることだ」と。



 蚊


 が一ぴきあるばん蚊帳かやなかにまぐれこみました。みんな寢靜ねしづまると

「どうだい、これは、自分じぶんはまあなんといふ幸福者しあはせものだらう。こんやは、それこそおも存分ぞんぶんはらぱいうまい生血いきちにありつけるわけだ」

 そしてそとともだちにささやいた。

「うらやましからう。だが、これは天祐てんゆうといふもので、いくら自分じぶん君達きみたちをいれてあげやうとしたところで駄目だめなんだ」

 そこには可愛かあいらしい肉附にくづきの、むつちりふとつたあかんぼ母親はゝおやかれて、すやすやとねむつてゐました。そのつぺたにひつくと、あかんぼをさましてきだしました。と、ぱちツ! おほきなをとがしました。

 ぷうんとは、やつとげるにはげたが、もうせま蚊帳かやなかがおそろしくつて、おそろしくつてたまらなくなりました。

 そのとき電燈でんとうかさにとまつてゐた黄金蟲こがねむし豫言者よげんしやらしい口調くちやうで、こんなことをひました。

馬鹿ばかやつらだ。もう秋風あきかぜつたじやないか、ゑるもくも、それがどうした。運命うんめいはみんな一つだ」



 蚤


 一ぴきののみ眞蒼まつさをになつて、たゝ敷合しきあはせの、ごみのなかげこみました。そしてぱつたりとそこへたふれました。

 晝寢ひるねをしてゐたともだちはびつくりして

「おい、どうしたんだい」と、その周圍まはりあつまりました。「またか。晝稼ひるかせぎになんかにるからさ。しつかりしろ、しつかりしろ」

 そのなか年嵩としかさらしいのが

「でもまあ無事ぶじでよかつた。人間にんげんめ! もうどれほど俺達おれたち仲間なかまころしやがつたか。これを不倶戴天ふぐたいてんてきとゆはねえで、なにふんだ。はおろか、かたきは、うまれかはつてたなけりやならねえ」

 するとほかのが

「生れかはるつて、なににさ」

人間にんげんによ」

「そんなら人間にんげんは」

「きまつてるじやねえか、のみさ」

 そのときをんなこゑ

「ちえツ、いまいましいつたらありやしない。また。捕逃とりにがしてよ。あなたがぼんやりしてゐるんだもの」

 やがて呼吸いきをふきへしたそののみ

「おお、すんでのところ。ちつぽけでも、たつた一つきやねえ生命いのちだ。あぶない。あぶない」



 蝉は言ふ


 富豪ものもちいへでは蟲干むしぼしで、おほきな邸宅やしきはどの部屋へやも一ぱい、それがにはまであふれだしてみどり木木きゞあひだには色樣々いろさま〴〵高價かうかきものにほひかがやいてゐました。

 そのなかでもとりわけ立派りつぱ總縫模樣そうぬいもやう晴着はれぎがちらと、へいすきから、貧乏びんぼう隣家となりのうらにしてある洗晒あらひざらしの、ところどころあてつぎなどもある單衣ひとへものをみて

「みなさま、まあごらんあそばせ、あれを。あれでも着物きものまをすのでせうか。あれと私達わたしたちとはなん關係くわんけいいやうなものの、あれも着物きもの私達わたしたちたがひ着物きものなんとなく世間せけんたいして、わたし氣耻きはづかしいやうでなりませんのよ」

なんだと」それをかれたから、たまりません

「も一ぺんほざいてろ。そのままにやしておかねえぞ、虚榮きよえいかたまりめ! 貧乏びんぼうがどうしたつてんだ。こうみえてもまだ貴樣等きさまら臺所だいどころ土間どまにおすはりして、おあまりを頂戴ちやうだいしたこたあ、たゞの一どだつてねえんだ。あんまおほきなくちたゝきあがると、おい、くればんはきをつけろよ」

 これはまた落雷らくらいのやうなこゑでした。さつきからくのをやめて、どんなことになるかとはらはらしながらきいてゐたせみ哲學者てつがくしや附近あたりがもとの靜穩しづかさにかへると

「どうも喧嘩けんくわわからない。晴着はれぎ晴着はれぎでよいではないか。また、單衣ひとへもの單衣ひとへものでよいではないか。晴着はれぎ晴着はれぎ單衣ひとへもの單衣ひとへもの晴着はれぎがいくら立派りつぱでも單衣ひとへものやくにはたない。單衣ひとへものもそうだ。晴着はれぎ場所ばしよへはかない。これはかれさげすみ、かれはこれをいきどほる。こんなことが、一たいあつてよいものか」

 そして最後さいごにつくづく感服かんぷくしたらしくつけくはへました。

「〝Know thyself〟(なんぢ自身じしんれ)とは、まことに千金言きんげんだ」



 耳を切つた兎


 やまうさぎがふもとのむらのおまつりにでかけました。おしやれな娘兎むすめうさぎのこととて、でかけるまでには谿川たにがはりてかほをながめたり、からだぢうを一ぽんぽん綺麗きれいくさでつけたり、やゝ半日はんにちもかかりました。

なんてまあ、いいだらう」と、それをだい一につけたねこうらやましさうに、まづめました。いぬきつね野鼠のねづみも、みな

「ほんとにねえ」と同意どういしました。

 うさぎはうれしくつてたまりませんでした。するとねこがまた

「けれど、どうもみゝ長過ながすぎるね」と、つくづくみてゐて批評ひひやうしました。

 それをきくと

「ほんとに、そうはれてみると、そうだ」一どうくちそろえていひました。

 うさぎは、はつとおもひました。そしてみんなのみゝをみました。それから自分じぶんのをさはつてみました。なるほどながい!

 そこで早速さつそく理髪店とこやつてそのみゝ根元ねもとからぷつりとつてもらひました。おもてへるとゆびさして、ふものごとわらふのです。

「おや、みゝのないうさぎ

なんといふ不具かたわでせうね」

 もうおまつりどころではありません。いそいで、きながらやまかへりました。

 やまかへると、親兄弟おやきやうだい勿論もちろんともだちもおどろいてしまひました。そしてかわいさうにうさぎは一しやうわらはれものとなりました。



 運ばれる豚


 いつも物置ものおきうしろの、きたな小舎こやなかにばかりゐたぶたが、荷車くるまにのせられました。

 ぶた夢想家むさうかでした。

「なんとふことだ。天氣てんき上等じやうとうのとほりの青空あをぞらだ。かうして自分じぶん荷車にぐるまにのせられ、そのうへにこれはまたほか獸等けものら意地いぢめられないやうに、用意周到よういしうとうなこの駕籠かご。さすがは人間にんげんだ、すこし窮屈きうくつ窮屈きうくつだが、それも風流ふうりゆうでおもしろいや。や、うみがみえるぞ、や、や、ふねふねだ。なんといふことだ。どももつれてくるんだつけな。どんなによろこぶだらう、お、お、電車でんしや活動寫眞くわつどう樂隊がくたい。とうとうまちたんだな。えツ、ほんとにかゝあどもをつれてくるんだつたに。あれ、むかふにみへるのはなんだ。王樣わうさま御殿ごてんかもしれねえ、自分じぶんはあそこへくのだらう。きつと王樣わうさま自分じぶんをおしになつたんだ。おかゝつたらなにだい一にはう。そうだ。自分じぶん主人しゆじん慾張よくばりで、ろくなものを自分じぶんにも自分じぶんどもにもべさせません、よく王樣わうさま御威嚴ごゐげんをもつてしかつていたゞきたい。と、それからつぎには……」

 かたりと荷車にぐるまがとまりました。ぶたは、はつとわれにかへつてみあげました。そこには縣立けんりつ畜獸ちくじう屠殺所とさつじよといふおほきな看板かんばんかゝかつてゐました。



 虻の一生


 かんかん炎天えんてんにつツつて、うしがなにかかんがえごとをしてゐました。あぶがどこからかとんできて、ぶんぶんその周圍まはりをめぐつてさわいでゐました。

 あまりやかましいので、さすがに忍耐にんたいづようし我慢がまんがしれなくなつたと

「うるせえ、ちと彼方あつちつててくれ」とひました。あぶのやんちやん、そんなことはみゝにもいれず、ますますはひなどまで呼集よびあつめてまはつてゐました。

「うるせえツたら」

「え」

「ちつと何處どこへかつててくれよ」

なんで」

「うるせえから」

「はい、はい」

 けれど仲々なか〳〵かうとはしません。

「はやくげ」

きますよ。だがね、おぢさん、此處こゝはあんたばかりの世界せかいぢやありませんよ」

「それはさうだ」

「そんなら、そんなに、がみがみゆはないつたつていいでせう。そうじやないですか」

 うしはだまりこみました。あぶはあいかわらず。そしてひど相手あひてはらをたてました。

 も一ど、それでもうし

「おねがひだから、しづかにしてゐてくんな」とたのみました。しづかになつたやうでした。すると、こんどはあぶやつぎん手槍てやりでちくりちくりとところきらはず、肥太こえふとつたうしからだしはじめました。

 堪忍嚢かんにんぶくろれました。それでもつよつのをつかうほどでもありません。

 ぴゆツと一とふり尻尾しつぽをふると、びちやりとおほきなはらうへで、めちやめちやにつぶれてんでしまひました。

 あぶうまれてまだ幾日いくにちにもなりませんでした。

 そしてこれがそのみぢかい一しやうでした。



 泥棒


 泥棒どろぼう監獄かんごくをやぶつてげました。つきひかりをたよりにして、やまやま山奥やまおくの、やつとふか谿間たにまにかくれました。普通なみ大抵たいてい骨折ほねをりではありませんでした。そこで綿わたのやうに疲勞つかれてねむりにつきました。くさき、いしまくらにして、そしてぐつすりと。

 あさ

 神樣かみさまがそれを御覧ごらんになりました。これは、なんといふやつれた寢顏ねがほだらう。

「おお、わがよ」とおほせられて、人間にんげんどものらないきよたつといなみだをほろりとおとされました。

 それをみてゐた朝起あさおきのひたきも、おもはずもらきをいたしました。





 星の國


 やまなか古池ふるいけがありました。そこにかへるの一ぞく何不自由なにふじいうなくらして、んでをりました。

 あるとき木菟みゝずくみづをのみにきて、そのかへるの一ぴきにひました。

「やあ、しばらくだね、蛙君かへるくん

木菟みゝづくさんか、何處どこつてゐたんです」

「あんまり一つどころきたんで、あれから方々はう〴〵まはつてきたよ」

「へえ」

なにかおもしろいはなしでもないかい」

「それはわしほうからいふ言葉ことばでさあ。こうして此處こゝうまれて此處こゝでまた俺等わしらです。一つたび土産みやげはなしでもきかせてくれませんか」

「とりわけてこれとふ……何處どこもみんなおんなじですがね。……だが、あのほしくにへあそびにつて、よひのうつくしい明星樣めうじやうさまにもてなされたのだけは、おらが一しやうだい光榮くわうえいさ」

 と、かへるがそれをさへぎつて

わしがいくら世間見せけんみずだとつて、出鱈目でたらめはごめんですよ」

なに出鱈目でたらめだい」

なにがつて、あんたにや水潜みづもぐりはできめえ。ほしくにはね。いけ水底みづそこにあるんですぜ」

「え」

「それでもうそでねえとふんですか」

 すると木菟みゝづく

蛙君かへるくん、きみはまあなにをゆつてるんだ。ほしくには、こうしたうへの、そのもつとたかいたかあいところにある天空そらなんだよ」

「そんなら二つあるのかね」

「二つなもんか、その天空そらにあるツきりさ」

「そんなことがあつてたまるもんか」

馬鹿ばかだなあ」

「どつちが」

 どつちもその所信しよしんてません。そのうちに、とつぷりとがくれて、つきがでました。ほしもでました。

 かえる口惜くやしがつて

「あれ、あれがなによりの證據しやうこじやないか、みたまへ。みづそこを……」

 木菟みゝづく

「なるほどな。けれどうへをごらん、あれはなんんだい」

「おお」とかへるはおどろきました。

 なんだかきふいけなかがさわがしくなりました。魚類さかなたちがいつもの舞踏ダンスをはじめたのです。それをみると、もう飛立とびたつばかりにうれしくなり、なにもかもすつかりわすれて

 木菟みゝづく

「ほう、ほう、ほろすけほ」

 かへる

「がちがちがちがち」



 鯛の子


 あるたひ

「お父樣とうさま、しばらくおいとまいただききたうございます」とおそるおそるちゝまへにでて、おねがひしました。そしてこゝろうちでは、どうか聽容きゝいれてくれるといいが。

 父鯛おやだいはそれといて

「おお、そちいとまをもらつてなんとするのか」

「はい、たびやうとおもひまして」

「む、たびに」

「はい」

何處どこへ、そしてまた、なにしにく」

「はい。わたしはつくづく自分じぶん智慧ちゑいことをりました」

「それで」

「それで、これからひろ世界せかいをめぐつて、もつともつと樣々さま〴〵のことをたりいたりしたいのです」

「それもよからう。けれどそちいやしくも魚族ぎよぞくわうの、ちゝをさつたらばそのあとぐべき尊嚴たうと身分みぶんじや。けつして輕々かろ〴〵しいことをしてはならない。よいか」

「はい」

「それがわかつたら、すべてはそち自由じいうまかせる」

 うまれてはじめてのたひたび 從者じうしやもつれずただひとりはじめの七なにかと物珍ものめづらしくおもしろかつたが、段々だん〴〵つて澤山たくさんのくるしいことやかなしいことが、いたるところに待伏まちぶせし、とりかこみ、攻寄せめよせてくるのでした。

自分じぶん鯛王たひわうだ。失敬しつけいなことをするな」

 するとさめが「おい、みんな氣狂きちがひをてみろ」

 ふか

小僧こぞう! おめえ迷兒まいごか、どこからきたんだ。だれかたづねるものでもあるのか」

 たひはくやしくつてのやうに眞赤まつかになりました。けれどまたこわくつて、こほりのやうにこはばつてぶるぶる、ふるえてをりました。

 もうたび懲々こり〳〵でした。そうおもふと、自分じぶんいへこひしくつてこひしくつてたまりません。はやくかえらう。はやくかえらう。と、……………………

 父鯛おやたひ

「おお、がついたか」

 ぱつちりとをあいたたひ

「ここはどこです」

そちいへぢや」

「え。あなた誰方どなたです」

そちちゝじや。わからないのか」

「あツ、お父樣とうさま!」

「どうしたといふのか、どう……でもまあよかつたわ」

わたしうまれかはつたやうにかんじます」

「おお。そしてたびはどんなであつた」

「はい」是々云々これ〳〵しか〴〵でしたと、灣内わんないであつたいわしひらめ優待いうたいから、をきでうけたおほきな魚類ぎよるゐからの侮蔑ぶべつまで、こまごまとなみだもまぢ物語ものがたり

「するとそのかへるさ、わたしみちいそいでをりますと、はなさきにおほきな眞黒まつくろやまのやうなものがふいと浮上うきあがりました。がくらくらツとしてからだれました。まつたく突然だしぬけ出來事できごとです。けれど何程なにほどのことがあらうと運命うんめいてんにゆだね、夢中むちうになつてけだしました。それからのことは一さいわかりません」

無事ぶじであつてなによりじや。そのくろおほきなやまとは、くじらぢやつた。おそろしいこと、おそろしいこと、いただけでもぞつとする」

「お父樣とうさま

なに

「でもわたし經驗けいけんをいたしました」

「そんな生命いのち瀬戸際せとぎはで」

「はい。そればかりではありません。世界せかいにはわたしどものらないことが數限かずかぎりなくあります。──ちひさなところでひと威張ゐばつてゐることの」

「え」

おろかさがしみじみ、はじめてわかりました」



 どうしてのんべえは其酒を止めたか


 のんべえのんべえおそろしいのんべえがありました。そのいへでは、それがために一ねんの三百六十五にちを、三百にちぐらゐはかなら喧嘩けんくわつぶすことになつてゐました。

 けふもけふとて、ぐでんぐでんに御亭主ごていしゆ醉拂よつぱらへてかへつてると、おかみさんが山狼やまいぬのやうなつらをしててました。なんとゆつても、まるで屍骸しんだもののやうに、ひツくりかへつてはもう正體しやうたいなにもありません。はりすゝもまひだすやうないびきです。

 おかみさんもあきれて、だまつてしまふのがれいでした。

 不思議ふしぎなこともあるものです。それが今日けふは、なにをおもひだしたのか、めると、めそめそすゝきをしながら、何處どこへかつてしまひました。

 やがてのんべえ樹深こぶか裏山うらやまのおみやまへにあらはれました。そしてべたにひざまづいて

神樣かみさま、どうかおきになつてください。わたしはあなたもよく御承知ごしやうちのんべえです。わたしのんべえなためにいへ生計くらしくるまです。かゝあどものひきづツてゐるぼろをみると、もうやめよう、もうやめようとはおもふんですが、またすぐ酒屋さかや店先みせさきをとほつて、あのいいぷうんとくるにほひをぐと、まつたくもなくなるんです。そしてそこへんでしまふんです。神樣かみさま、どうしてこんなにみたいんでせう。どうかしてみたいさけをやめることは出來できないもんでせうか」

 神樣かみさまのんべえなみだ御覧ごらんになりました。

「そうか。よくわかつた。わしはおまへがかわいさうでならない。たゞ、それだけだ」

「えツ、こんな紙屑かみくづのやうな人間にんげんでも、かわいさうにおもつてくださいますか」

「おお、そうおもはなくつてどうする」

「へえゝゝゝゝ」

 よろこんだの、よろこばないのつて、のんべえころげるやうに、よろこんでそのやまからいへもどりました。てみるとかゝあどももだれもゐません。

 おかみさんはおかみさんで、どもたちきつれて御亭主ごていしゆ立去たちさつたあとへ、ちがひにやつてました。

 まるで喧嘩けんくわでもりにきたやうに

「どうしたもんでせう。神樣かみさまたくのんべえですがね。もうあきれてものへません。わたしがあなたに、あのさけむやうにつておねがひしたのは百ぺんや二百ぺんではありません。けれどむどころか、あのとほりです。けふはわたしなにはれたのがよくよく、くやしかつたとみえまして、めると、しくしくきながら、またつたんです。屹度きつと酒屋さかやへです。わたしさけにくみます。そのためにどうでせう、わたしどもねん年中ねんぢうふやはずなんです。神樣かみさま、なんとかおつしやつてくれませんか。どうしてあなたはあんなさけつくかたなんか人間にんげんにおをしえになつたんです。わたしはあなたをうらみます」と、わめきました。

 神樣かみさまは、まへとおなじやうに

「そうか。よくわかつた。わしはお前達まへたちがかわいさうでならない。たゞ、それだけだ」

「えツ。たゞ、それだけですつて。ぢあ、さけほうはどうしてくださるんです」

「それはわしつたことではない」

「まあ、神樣かみさまは」

「なんだ」

さけはうをどうして、くださるつてつてるじやありませんか」

「そんなことは惡魔あくまけ!」

 ぷりぷりおこつておかみさんはかへりました。かへりながらかんがえました。「ええ、馬鹿ばかつくせえ。なんとでもなるやうになれだ」と、途中とちうで、あらうことかあるまいことかをんなくせに、酒屋さかやへそのあしではいりました。

 底抜そこぬけにひツけた證據しやうこ千鳥ちどりあし、それをやつとみしめていへしきゐまたぎながら

「やい、宿やど六、めしをだしてくれ、めしを。はらがぺこぺこだ。え。こんなにくらくなつたに、まだランプもけやがらねえのか。え、おい」

 おどろいたのは御亭主ごていしゆでした。大變たいへんなことになつたものです。天地てんちが、ひつくりかえつたやうです。そんながそれ以來いらい幾日いくにち幾日いくにちつゞきました。あまりのおどろきに御亭主ごていしゆは、自分じぶん酒慾しゆよくなにもすつかり、どこへかわすれました。そして眞面目まじめはたらきだしました。

 するとおかみさんもかんがえました。その不品行ふひんかうはづかしくなつてたのです。

 夫婦ふうふして仲睦なかむつまじくおちやをのんでゐると、そこへきじを一つくわえてきて、おいてきました。それは裏山うらやま神樣かみさまからでした。なにいてありました。みると

「さあ、これでお前達まへたち願望ねがいはかなつた」



 ささげの秘曲


 朝露あさつゆが一めんにをりてゐました。ささげばたけでは、ささげがほそほそいあるかないかの銀線ぎんせんの、いな、むづかしくいふなら、永遠えいゑん刹那せつなきてもききたいやうなのでる樂器がくきに、そのこゑをあはせて、しきり小唄こうたをうたつてゐました。

 けさもまづしい病詩人びやうしじんがほれぼれとそれをきいてゐました。ほかのものの跫音あしをとがすると、ぴつたりむので、だれもそれをいたものはありません。

 そのうた──

どこにおちても俺等わしらへる

はなもさかせる

みもむすぶ

そしてまあ

なんてきれいな世界せかいだろ

底本:「ちるちる・みちる 山村暮鳥童話集」名著復刻 日本児童文学館、ほるぷ出版

   1974(昭和49)年5月初版発行

底本の親本:「ちるちる・みちる 山村暮鳥童話集」落陽堂

   1920(大正9)年822日初版発行

入力:橋本山吹

校正:トム猫

1999年1111日公開

青空文庫作成ファイル:

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