ちるちる・みちる
山村暮鳥
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自序
お芋の蒸けるのを、子ども等と
樂しく一しよにまちながら……
わたしは二人の子どもの父であります。(三人でしたがその一人は此の現實の世界にでて僅に三日、日光にも觸れないですぐまた永遠の郷土にかへつて行きました)勿論、天眞な子ども達に對しては耻しいことばかりの、それこそ名ばかりの父であります。否、父ではありません。友であります。ほんとに善い友でありたいと、それを切に希ふものです。
子ども達をおもふと、わたしは幸福を感じます。わたしは希望を感じます。子ども達をとほしてのみ、眞の人間の生活は、その意味が解るやうに、わたしには想はれます。
子ども達をおもひ且つ愛することに依て、わたしはわたしの此の苦惱にみちみてる生涯を純く、そして美しい日々として過すでせう。これは大きな感謝であります。
此の夏はじめの或る宵のことでした。築地の聖ルカ病院にK先生のお孃さんをみまひました。おなじく、深い罅のはいつた肉體をもつてゐるわたしは、これから海に行かうとしてゐたので、一つはしばらく先生にもお目に懸れまいと思つて。ああ、お孃さんをみる、それが、而も最後にならうとは!
あはれ白百合
谿の百合
まだ露ながら、かつくりと
しほれて
頸を垂れました
處女は
めされてゆきました
アイア
ポペイア
そして天國へゆきました
先生は奥樣と、夜晝、病床の側を離れませんでした。そして身を碎いて看護をなされました。先生は「自分にかはれるものならば喜んで代つてやりたい」と沁々、その時、わたしに言はれました。それを聽いた刹那のわたしは、その神樣のやうなことを仰る先生を、心の中で、手をあはせて拜んでゐました。
子をおもふ此の尊い親心! 親にとつて子ほどのものがありませうか。子どもは生の種子であり、子どもは地を嗣ぐものであり、子どもは天の使であり。愛そのものであり、その子どもがあるから、どんな暗黒な時代でも、未來にひかりを見るのです。
此の本にあつめたものは、その二ツ三ツを除いて、みんなわたしの獨創による作品であります。
わたしは今、此の本を、小さい兄弟姉妹達である日本の子ども達に贈ります。また。その子ども達の親であり、先生である方々にも是非、讀んで戴きたいのです。と言ふのは、唯單に子ども達のためにとばかりでは無く、わたしは此等のはなしの中で人生、社會及びその運命や生活に關する諸問題を眞摯にとり扱つてみたからであります。
これらは大方、而も今年六ツになる女の子のわたしたちの玲子──千草は、まだやつと第一のお誕生がきたばかりで、何も解りません──に、宵の口の寐床のなかなどで、わたしが聽かせたものなのです。親としてまた友としての善良な心をもつて。
爾、海にゆきて鉤を垂れよ。
はじめに釣りたる魚をとりて
その口をひらかば
金貨一つを獲べし。
Math,.XVIII,27.
目次
海の話
まだ生きてゐる鱸
莢の中の豆
鳩はこたへた
口喧嘩
機織虫
鸚鵡
土鼠の死
茶店のばあさん
烏を嘲ける唄
石芋
おやこ
木と木
家鴨の子
雜魚の祈り
森の老木
鴉と田螺
仲善し
動物園
頬白鳥
瓜畑のこと
蟹
蛙
風
馬
蚊
蚤
蝉は言ふ
耳を切つた兎
運ばれる豚
虻の一生
泥棒
星の國
鯛の子
どうしてのんべえは其酒を止めたか
ささげの秘曲
海の話
或る農村にびんぼうなお百姓がありました。びんぼうでしたが深切で仲の善い、家族でした。そこの鴨居にことしも燕が巣をつくつてそして四五羽の雛をそだててゐました。
その日は朝から雨がふつてゐました。
巣の中で、胸毛にふかく頸をうづめた母燕が眠るでもなく目をつぶつてじつとしてゐると雛の一つがたづねました。
「母ちやん、何してるの。え、どうしたの」
と、しんぱいして。
「どうもしやしません。母ちやんはね。いま考え事をしてゐたの」
すると、他の雛が
「かんがえごとつて何」
「それはね……さあ、何と言つたらいいでせう。あんた達がはやく大きくなると、此の國にさむいさむい風が吹いたり、雪がふつたりしないうちに遠い遠い故郷のお家へかえるのよ。そして遠い遠いその故郷のお家へかえるには、それはそれは長い旅をしなければならないの。それがね、森や林のあるところならよいが、疲れても翼をやすめることもできず、お腹が空いても何一つ食べるものもない、ひろいひろい、それは大きな、毎日毎晩、夜も晝も翅けつづけで七日も十日もかからなければ越せない大きな海の上をゆくのよ」
「まあ」と、それを聽いて雛達はおどろきました。
「それだからね、翼の弱いものや體の壯健でないものは、みんな途中で、かわいさうに海に落ちて死んでしまふのよ」
氣速なのが
「たすけたらいい」と横鎗をいれました。
「ところがね、それが出來ないの。なぜつて、誰も彼も自分獨りがやつとなのよ。みんな一生懸命ですもの。ひとを助けやうとすれば自分もともども死んでしまはねばならない。それでは何にもならないでせう。ほんとに其處では助けることも助けられることもできない。まつたく薄情のやうだが自分々々です。自分だけです。それ外無いのさ、ね」
「でも、もし母ちやんが飛べなくなつたら、僕、死んでもいい、たすけてあげる」
「そうかい、ありがとう。だけどね、またその蒼々とした大きな海を無事にわたり切つて、陸からふりかへつてその海を沁々眺める、あの氣持つたら……あの時ばかりは何時の間にかゐなくなつてゐる友達や親族もわすれて、ほつとする。ああ、あの嬉しさ……」
「はやく行つて見たいなあ」
「わたしもよ、ね、母ちやん」
「ええ、ええ。誰もおいては行きません。ひとり殘らず行くのです。でもね、いいですか、それまでに大きくそして立派に育つことですよ。壯健な體と強い翼! わかつて」
「ええ」
「ええ」
「ええ」
と小さい嘴が一齊にこたへました。母燕はたまらなくなつて、みんな一しよに抱きしめながら
「何てまあ可愛んだろ」
まだ生きてゐる鱸
朝早く、磯で投釣りをしてゐる人がありました。なかなか掛らないので、もうやめよう、もうやめようとおもつてゐました。と一尾大きな奴がかかりました。
鱸でした。
その人のよろこびつたらありませんでした。急いで、それをぶらさげて歸らうと立ちあがりました。
すると鱸が
「にいさん、私を何處へもつて行くんです」
と聲をかけました。
まだ生きてゐるのでした。
「えつ! お母あにさ。お母あは此頃、すこし病氣してゐるんだ」とは言つたものの、心の中では「すまない、すまない」と手をあはせるばかりでありました。
魚は
「どうせ食べられるなら、こんな孝行者の親の口にはいるのは幸福といふもんだ」と、よろこんでその觀念の目をとぢました。そして二度と再びひらきませんでした。
莢の中の豆
莢の中には豆粒が五つありました。そして仲が善かつたのです。けふもけふとて、むつまじくはなしてゐました。
「もう外にでる日が近くなつたやうだね」
「どんなに美しいでせう、世界は」
「はやくみたいなあ」
「外にでても、此處で一つの莢の中で、かうしてお互ひに大きくなつたことをわすれないで、仲善くしませうね」
「ええ」
ある日の午後。ぱちツと不思議な音がしました。莢が裂けたのです。豆は耳をおさえたなり、地べたに轉げだしました。
そしてばらばらになつてしまひました。
鳩はこたへた
鳩はお腹が空いてゐました。朝でした。羽蟲を一つみつけるがはやいか、すぐ屋根から庭へ飛びをりて、それを捕まえました。
あはや、嘴が近かうとすると
羽蟲が
「ちよつと待つて」と言ひました。
「何か用かえ」
「ええ」
「どんな用だえ。聽いてやるがら言つて見たらよからう」
羽蟲はくるしい爪の下で、いひ澁つてゐましたが思ひ切つて
「あのう……世間では、あなたのことを愛の天使だの、平和の表徴だのつて言つてゐるんです」
「そして」
「それだのにあなたは今、何の罪もない私の生命を取らうとしてゐる」
「それから」
「それは無法といふものです」
「なるほど、或はそうかも知れない。けれど自分は飢えてゐる。それだから食べる。これは自然だ、また權利だ」
「えつ!」
「何もそんなにおどろくことはない。それが萬物の生きてゐる證據さ」
口喧嘩
南瓜と甜瓜と、おなじ畑にそだちました。種子を蒔かれるのも一しよでした。それでゐて大へん仲が惡かつたのです。
おたがひに日に々々大きく、いまは人間の眼をひくほどになりました。
或る日、おてんば娘の甜瓜が、かぼちやに毒舌を吐きました。
「よお。おむかうの菊石顏の若だんな。おほゝゝゝ。なにをそんなにお欝ぎなの、大抵で諦めなさいよう。いくらかんがえたつて、みつともない。第一そのお面ぢやはじまらないんだから」
それをきいたかぼちやの怒つたの怒らないのつて、石のやうな拳固をふりあげて飛び懸らうとしましたが、蔓が足にひつ絡まつてゐて動かれない。くやしさに鬼のやうな顏がいよいよ鬼のやうに醜く、まつ赤になりました。ぶるぶると身震ひしながら「うむむ、うむむ」と何か言はうとしても言へないで悶えてゐました。
そして漸と
「いまだからそんな口もきけるんだ。此の尼つちよめ!……貴樣が花だつた時分ときたらな……どうだい、あの吝嗇くせえ小ぽけな、消えてなくなりさうな花がさ。それでも俺らは何とも言ひやしなかつた……自分のことは棚に上げたなり忘れてしまつて。お前はあれでも耻しいとも何とも思つてはゐなかつたのか」とどもり吃り、つぎはぎだらけの仕返しをして、ほつと呼吸をつきました。
甜瓜は葉つぱのかげで、その間、絶えずくすくす笑つてゐました。
けれども南瓜はくやしくつて、くやしくつて、たまらず、その晩、みんなの寢靜まるのを待つて、地べたに頬をすりつけて、造物主の神樣をうらんで男泣きに泣きました。
機織蟲
蟲の中でもばつたは賢い蟲でした。この頃は、日がな一日月のよい晩などは、その月や星のひかりをたよりに夜露のとつぷりをりる夜闌まで、母娘でせつせと機を織つてゐました。
母は親だけに、叮嚀に
「ギーイコ、バツタリ」と織つてをりますが、性急な娘つ子は、
「ギツチヨン。ギツチヨン。ギ、ギツチヨン」とそれはそれは大へん忙しそうなのです。
野は桔梗、女郎花のさきみだれた美しい世界です。その草の葉つぱのかげで
「ギーイコ、バツタリ」
「ギツチヨン。ギツチヨン」
ある時、そこへ森の方から、とぼとぼと腹這ふばかりに一ぴきの〓(「※」は「虫へん+車」)があるいてきました。翅などはもうぼろぼろになつて飛べるどころではありません。
機織蟲をみかけると
「毎日、毎日よくまあ、お稼ぎですこと」と言ひました。
「はい、仲々埒があきません。もう、遠くの山々は雪がふつたつていひますのに」
「まあ! めつきり朝夕が冷くなりましてね」
「あなたは、もう冬の準備は」
「その冬の來ないうちに蟻どののお世話にならなきやなりますまい」
「え、そんなことが……」
「さあ、なければないのが不思議なのです。おやおやお日樣も山がけへ隠れた。ではお早くおしまひになさいまし」
陸稻畠の畔道を、ごほんごほんと咳入りながら、〓(「※」は「虫へん+車」)はどこへゆくのでせう。金泥を空にながして彩つた眞夏のその壯麗なる夕照に對してこころゆくまで、銀鈴の聲を振りしぼつて唄ひつづけた獨唱の名手、天飛ぶ鳥も翼をとどめてその耳を傾けた、ああ、これがかの夕日の森に名高く、齢若き閨秀樂師のなれの果であらうとは!
母娘は顏をみあはせましたが、寂しさうにその何方からも何とも言はず、そして〓(「※」は「虫へん+車」)のうしろ姿がすつかり見えなくなると、またせつせと側目もふらずに織り出しました。
「ギーイコ、バツタリ」
「ギツチヨン。ギツチヨン」
鸚鵡
あるところに手くせの惡い夫婦がありました。それでも子どもがないので、一羽の鸚鵡を子どものやうに可愛がつてをりました。
鸚鵡が人間の口眞擬をするのは、どなたもよくしつてをります。
誰か
「お早う」といへば、鳥もまた
「おはやう」と言ひます。
それから夜になつて灯が點いて「おやすみなさい」ときくと、おなじやうに
「おやすみなさい」と喋舌ります。
ほんとに鸚鵡は愛嬌者です。
そこの家にお客樣がきました。すると鸚鵡が
「あんたは白瓜一本、それつきり」といひました。お客樣が
「え」と聽きかへすと
「妾はそれでも反物三反」
何が何だかさつぱり解りません。そこへお茶を持つてでてきたお上さんにそのことを話すと
「ええ、昨晩、盗賊にとられた物のことを言つてるのでせう」
お客樣がかへると
「お前は、何て馬鹿だらう。うつかり秘密話もできやしない」と、大へん叱られました。鸚鵡は叱られてどぎまぎしました。多分、口まねが拙手なので、だらうとおもひまして、それからと言ふものは滅茶苦茶にしやべり續けました。叱られれば叱られるほどしやべりました。
「ええ、ゆふべ、泥棒……何て馬鹿だろ……白瓜一本、反物三だん……うつかり秘密話もできやしない」
夫婦は困つてしまひました。そして、鳥屋へもつて行つて賣りました、けれどそれが運の盡きでした。その嘴からの言葉で、とうとう二人は捕つて、暗い暗い牢獄のなかへ投げこまれました。
土鼠の死
土鼠が土の中をもくもく掘つて行きますと、こつりと鼻頭を打ツつけました。うまいぞ。それが何だかよく見もしないで、仲間に氣づかれないやうに、そのまま、そつと砂をかけて、知らない顏をして引き返えしました。あとで來て、獨りでそれを食べやうとおもつて。
途中で友だちに逢ひました。
「どうしたんだ」
「む、大きな木の根つこで行かれやしない、駄目だ」
夜になりました。こつそりでかけました。そして見て驚きました。「なあんだ。こりや石じやないか。ちえツ、馬鹿々々しい」
そこへ、するすると意地の惡い蚯蚓が匍ひだしてきました。
「何ぼ何でも石は喰はれませんよ。晩餉はまだなんですか。そんならおしへて上げませう。此處を左へ曲つて、それから右に折れて、すこし、あんたと昨日あつた路のあの交叉點です。品物は行けばわかります。だがね、そいつは生きてるから、近いたら飛びついて、すぐ噛殺さないと逃げられますよ、よござんすか。では、さよなら」
「どうも有難う、お孃さん。いつかお禮はいたします」
あくる朝のこと。
農夫が畑にきてみたら、大きな土鼠がまんまと捕鼠器に掛つてゐました。
茶店のばあさん
崖の上の觀音樣には茶店がありました。密柑やたまご、駄菓子なんどを並べて、參詣者の咽喉を澁茶で濕させてゐたそのおばあさんは、苦勞しぬいて來た人でした。
ある日、その店前へ一はの親雀がきて
「いつも子ども等がきてはお世話になります」
と丁寧にお禮をのべました。
おばあさんは不審さうな顏をして
「いいえ。私じやないでせう」と言つた。それをきいて、側についてきてゐた子雀が「今朝もお米を頂いてよ」
「私に、そんなおぼえは無い」
ほそい煙こそ立ててゐるが此のとしよりは正直で、それに何かを决して無駄にしません。それで、パン屑や米粒がよく雀らへのおあいそにもなつたのでした。
その晩のことです。
こつそりとおばあさんのゆめに雀がしのびこんで來て、そして遠くの遠くの竹藪の、自分等の雀のお宿につれて行つておばあさんをあつくあつく饗應したといふことです。
烏を嘲ける唄
雀が四五羽で、凉しい樹蔭にあそんでゐると、そこへ烏がどこからか飛んで來ました。
そして「何してゐたんだ」
「お話をしてゐたのよ。おもしろいお話を」
「ふむむ。それでは一つ聽いてやらうか」
「あんたがしなさいな、何か」
「俺は話なんか知らない」
「そんなら……ねえ、唄つておくれよ、いい聲で」
「唄か。それも不得手だ」
「まあ何にも出來ないの。ほんとにあんたは鶯のやうな聲もないし、孔雀のやうな美しい翼ももたないんだね」
怖い目をして烏がだまりこんだので、雀らは高い松の木のうへへ逃げながら
からす
からす
廣い世界の
にくまれもの
けふも墓場で啼いてゐた
かあ、かあ
それをきくと烏は噴き出さずにはゐられませんでした。
「へつ、此の弱蟲! そんなら貴樣らには、何ができる。此の命知らず奴!」そして肩をそびやかして睨視めつけました。
「おれは強いぞ」
石芋
百姓のお上さんが河端で芋を洗つてをりました。そこを通りかけた乞食のやうな坊さんがその芋をみて
「それを十ばかり施興してください」と頼みました。「私はお腹が空いてゐるのだ」
お上さんはちらと見上げました。けれど腰も立てませんでした。そして
「駄目々々、これは食べられません。石芋です」と、くれるのがいやさに、そう言つて嘘を吐きました。
「はあ、さうですか」
坊さんは強ひてとも言はず、それなり何處へか掻き消すやうにゐなくなりました。芋がすつかり洗へたから、それをお上さんは家にもち歸り、そしてお鍋に入れて煮ました。しばらくして、もう煮えたらうと一つ取出して囓つてみました。固い。まるで石のやうです。も少したつて、また取出してみました。矢張り固い。いくら煮ても石のやうで食べられません。お鍋から出して、こんどは火で燒いてみました。不相變です。いよいよ固くなるばかりでした。
遂々、お上さんは腹を立てて、それをすつかり裏の竹藪にすてました。
すると芋が
「ざまあみやがれ、慾張めが。俺らが怒つて固くなると、こんなもんだ」
その翌日、こんな噂がぱつと立ちました。昨日の乞食のやうなあの坊さんは、あれは今、生佛といはれてゐるお上人樣だと。
お上さんはぶつたまげてしまひました。けれど「あんなものをあげないで、よかつた」とおもひました。そして裏の竹藪にでてみますと、捨てられたその芋は青々と芽をふいてゐるではありませんか。
おやこ
馬の母仔が百姓男にひかれて町へでかけました。母馬は大きな荷物をせをつてゐました。
「かあちやん、何處さ行ぐの」
「町へさ」
「なんに行ぐの」
「此の荷物をもつてよ」
「町つて、どこ」
「いま行けばわかるがね。おとなしくするんですよ。え」
やがて町につきました。仔馬は賑かなのにはじめはびつくりしてゐましたが、何をみても珍しい物ばかりなので、うれしくつてたまりませんでした。
「かあちやん、あれは何。あのぶうぶうつて驅けて來るのは」
「あれは自働車つて言ふものよ」
「そんなら、あれは。そらそこの家の軒にぶら下つてゐるの」
「あれかい、賣藥の看板さ」
「あれは。あのお山のやうな屋根は」
「お寺」
「あのがたがたしてゐる音は」
「米屋で米を搗いてるのさ。機械の音だよ」
「そんなら、あれは……」
「もう知らない。笑われるから、はやくお出で」
「あああ、あんなものが來た、黒え煙をふきだして……」
「よ、そらまた」
母馬は煩さにがつかりして歸路につきました。町はづれまでくると、仔馬は急に歩きだしました。はやく家へかへつてお乳をねだらうとおもつて。
「早くさ、かあちやん。かあちやん、つてば。ぐずぐず道草ばかり食べてゐて」
けれど憐れな母馬はもう酷く疲れてゐるのでした。
月がでました。
ほろゑひきげんの百姓男、今はすつかり善人になつて、叱言を一つ言ひません。
「あれ、あれ、お家の灯がみへる。もうすぐだよ。母ちやん」
木と木
老木
「こんなに年老るまで、自分は此の梢で、どんなにお前のために雨や風をふせぎ、それと戰つたか知れない。そしてお前は成長したんだ」
若い木
「それがいまでは唯、日光を遮るばかりなんだから、やりきれない」
家鴨の子
家鴨の子が田圃であそんでゐると、そこをとほりかかつた雁が
「おうい、おいらと行がねえか」
「どこへさ」
「む、どこつて、おいらの故郷へよ。おもしろいことが澤山あるぜ。それからお美味いものも──」
「ほんとかえ」
「ほんとだとも」
「そんならつれていつておくれ」
「いいとも、けれど飛べるか」
家鴨に天空がどうして飛べませう。それども一生懸命とびあがらうとして飛んでみたが、どうしても駄目なので泣きだし、泣きながら小舎にかへりました。
雁はわらつて行つてしまひました。
小舎に歸つてからもなほ、大聲で泣きながら「おつかあ、おいらは何で、あの雁のやうに飛べねえだ。おいらにもあんないい翼をつけてくんろよ」
親あひるはそつぽを向いて聞えないふりをしてゐたが、眼には涙が一ぱいでした。
──「都會と田園」より──
雜魚の祈り
ながらく旱が續いたので、沼の水が涸れさうになつてきました。雜魚どもは心配して山の神樣に、雨のふるまでの斷食をちかつて、熱心に祈りました。
神樣はその祈りをきかれたのか。雨がふりました。
沼の干てしまはないうちに雨はふりましたが、その雨のふらないうちに雜魚はみんな餓死しました。
森の老木
お宮の森にはたくさんの老木がありました。大方それは松でした。山の上の高みからあたりを睨望して、そしていつも何とかかとか口喧しく言つてゐました。暑ければ、暑い。寒ければ、また寒いと。
小賢しい鴉はそれをよく知つてゐました。それだから、その頭や肩の上で、ちよつと翼を休めたり。或は一夜の宿をたのまうとでもすると、まづ
「何て天氣でせう。かう毎日々々、打續けのお照りと來ちやなんぼなんでもたまつたもんぢやありませんやねえ」
また、ちやうど雨でも降つてゐるなら
「困つた雨じやありませんか。これじや膓の中まで、すつかり、びしよ腐れですよ」
老木はそれを聽くと
「そうだとも、そうだとも。こりや一つ何とかせにあなるめえ」その癖、何一つ爲たことはないのです。唯、喋舌るばかりです。爲たくも出來ないんでせう。もう根が深くはりすぎてゐて身動きもならないやうになつてしまつてゐるのですもの。
鴉は、けれど心の中では赤い舌をぺろりとだして
「こいつあ、人間のある者によく似てけつかる。それも善い事ならいいが、ろくでもねえところなんだから、堪らねえ」
鴉と田螺
麗かな春の日永を、穴から這ひだした田螺がたんぼで晝寢をしてゐました。それを鴉がみつけてやつて來ました。海岸で、鳶と喧嘩をして負けたくやしさ、くやしまぎれに物をもゆはず、飛びをりてきて、いきなり強くこつんと一つ突衝きました。
「あ痛!」
こつん、こつん、こつんとつゞけざまの慘酷しさ。
「いたいよう。ごめんなさいよう」とあげる田螺の悲鳴。それを藪にゐた四十雀がききつけて
「まあ兄さん、何をするんです。そんな酷い目にあはせるなんて、われもひとも生きもんだ、つてこともあるじやありませんか」
すると鴉が
「なんだと、えツ、やかましいわい。此のおしやべり小僧め!」
「でもね、われもひとも生きもんだ、つてことが……」
「ええ、うるせえ」と云ふよりはやく飛び掛りました。けれど四十雀はもうどこにも見えません。ちええ。そればかりか、折角のごちさうはとみれば、その間に、これはまんまと、穴へ逃げこんでしまつてゐるのです。そして穴の口から頭をだして
「おい、ここだよ」
仲善し
馬方と馬方が喧嘩をはじめました。砂ツぽこりの大道の地べたで、上になつたり下になつたり、まるであんこの中の團子のやうに。そして双方とも、泥だらけになり、やがて血までがだらだら流れ出しました。
一人の方の馬が「またはじまりましたね」と言ふと
他の馬「ええ。いい見物ですよ」
「あれで、これでも萬物の靈長だなんて威張るんですよ、時々」
「私達のことを、ほんとに、畜生もないもんだ」
「わたしや、氣が附かなかつたが一體、今日のは何からですね」
「きかねえんですか。のんだ酒の勘定からですよ。去年の盆に一どお前におごつたことがあるから、けふのは拂へと、あののんだくれの俺の奴が言ふんです。するとあんたの方も方ですわねえ。うむ、そんなら貴樣がこないだ途中で、南京米をぬき盗つたのを巡査に告げるがいいかと言ふんです」
「へええ。何て圖々しいんでせうね」そうして半ば獨白のやうに「自分でこそ毎日のやうにやつてる癖に」
「人間つて、みんなこんなんでせうか」
「さあ」
「それはさうとなかなか長いね」
「どうでせう、あの態は」
喧嘩はすぐには止みませんでした。
馬と馬は仲善く、鼻をならべて路傍の草を噛みながら、二人が半死半生で各自の荷馬車に這ひあがり、なほ毒舌を吐きあつて、西と東へわかれるまで、こんな話をしてゐました。
「さようなら」
「では、御機嫌よう」
それをみてゐた大空の鳶が
「これがほんとに人間以上、馬以下つて言ふんだ。ぴいひよろ」と長いながい欠伸をしました。
動物園
動物園には澤山の動物がゐました。
勘察加産の白熊がある夏の日のこと、水から上り、それでも汗をだらだら流しながら
「どうです、象さん。暑いぢやありませんか」と聲をかけました。
象が
「えつ、何ですつて、わしはこれでも寒いぐらゐなんだ、熊さん。いまぢあ、すこし慣れやしたがね、此處へはじめて南洋から來たときあ、まだ殘暑の頃だつたがそれでも、毎日々々、ぶるぶる震えてゐましただよ」
「へええ」
季節の推移は、やがて冬となり、雪さえちらちら降りはじめました。
ある朝、こんどは象が
「熊さん、どうです、今日あたりは。雪の唄でもうたつておくれ。わしあ、氷の塊にでもならなけりやいいがと心配でなんねえだ」
「折角、お大事になせえよ。俺らは、これでやつと蘇生つた譯さ。まるで火炮りにでもなつてゐるやうだつたんでね」
「ふむむ」
「象さんよ」
「え」
「何の因果だらうね、おたがいに」
「何がさ」
「何がつて、こんなところに何か惡いことでもした人間のやうに、誰をみても、かうして鐵の格子か、そうでなければ金網や木柵、石室、板圍なんどの中に閉込められてさ、その上あんたなんかは御丁寧に年が年中、足首に重い鐵鎖まで篏められてるんだ」
「熊さん」
「なんだえ」
「ほんとに情無えよ。わしあ。國には親兄弟もあるんだが、父親はもう年老だつたから、死んだかも知れねえ」
「わしもさ、晝間はそれでも見物人にまぎれてわすれてゐるが、夜はしみじみと考えるよ。嬶や子ども等のことを……どうしてゐるかと思つてね」
仲善しの象と熊とは、折ふし、こんな悲しい話をしてはおたがひの身の不幸を嘆きました。
他の動物も、みんな同じやうに泣いてばかりゐました。實に、動物園は動物の監獄でありました。
唯、狡猾い猿だけは、こうして毎日何の仕事もなく、ごろごろと惰けてゐても、それでお腹も空かさないでゆかれるので、暢氣な顏をして、人間の子どもらの玩弄品になつて、いつもきやツきやツと騷いでゐました。
頬白鳥
ものぐさ百姓がある朝、めづらしく早起きして、畑で種蒔きをしてゐました。それを頬白鳥がみつけて
「おぢさん、今日は」といひました。
百姓はねむそうな眼を上げてみました。
「おお、誰かとおもつたらお前かえ。お前さんもはやいね」
「え、おぢさん、これが早いんですつて。わたしはもう百ぺんも歌ひましたよ。」
すこし憤とした百姓
「それがどうしたと云ふんだ」
「何でもありませんよ。たゞね、私はおさきへ失禮して、これからお茶でも嚥まうとしてるんです」
瓜畑のこと
「しつ! そら來た」
いままで、ごろごろとのんきにころがつて罪のない世間話をしてゐた瓜が、一齊にぴたりとその話をやめて、息を殺しました。みんな、そして眠つた眞擬をしてゐました。
お媼さんは、今日もうれしさうに畑を見廻して甘味さうに熟した大きい奴を一つ、庖丁でちよん切り、さて、さも大事さうにそれを抱えてかえつて行きました。すると、また話がひそひそと遠近ではじまりました。
彼方で
「なかなか暑くなつて來たね」
こちらで
「ええ。そろそろとお互の生命もさきが短くなるばかりさ」
「何つ! けふも誰か殺られたつて」
どこかで、鼻唄をうたつてゐる者があります。そうかと思ふと「誰なの、そこでしくしく泣いてゐるのは」
「あんまりくよくよするもんでねえだ」
「ふむ。べら棒め」
「南無阿彌陀佛。南無阿彌陀佛」
蟹
子蟹の這つてゐるのをみてゐた親蟹は苦い顏をして言ひました。
「それはまあ、何てあるき方なんだい。みつともない」
「どんなにあるくの」
「眞直にさ」
從順な子蟹はおしへられたやうに試みました。けれどどうしても駄目でした。で
「あるいてみせておくれよ」
「よし、よし。かうあるくもんだ」
親蟹は歩きだしました。すると、こんどは子蟹が腹をかかえて噴出しました。
「それじや矢張り、横だあ」
蛙
お池のきれいな藻の中へ、女蛙が子をうみました。男蛙がそれをみて、俺のかかあは水晶の玉をうんだと躍り上つて喜びました。
それがだんだんかわつて尾が出てきました。おたまじやくしになつたのです。男蛙はそれをみると氣狂ひのやうになつて怒りだしました。鯰の子をうんだとおもつたのです。
遂々、變りにかわつて、足ができ、しつぽが切れて、小さいけれど立派な蛙になりました。男蛙はしみじみとその子を眺めて、なあんだ、どんなに偉い奴がうまれるかと思つたら、やつぱり普通の蛙かと、ぶつぶつ愚痴をこぼしました。
(「おとぎの世界」募集童謠より)
風
「なんてけちな風だらう。吹くなら吹くらしくふけばいいんだ。此の暑いのに。みてくんな、此の汗を。どうだいまるで流れるやうだ」
風鈴がねぼけたやうにちりりんと、そのとき搖れました。
「ほんとにねえ。これぢや、いい風ですとも言はれませんよ。まつたく」
ちらとそれをきいて風は憤としました。「此の意氣地なしども! そんなら一昨年の二百十日のやうに、また一と泡吹かしてくれやうか」と怒鳴りつけやうとは思つたが、何をいふにも相手はたかのしれた人間だとおもひ直して、だまつて大股に、あとをも見ず、廣々とした野山の方へ行つてしまひました。
馬
こげつくやうな熱い日でした。
村の酒屋の店前までくると、馬方は馬をとめました。いつものやうに、そしてにこにことそこに入り、どつかりと腰を下して冷酒の大きな杯を甘味さうに傾けはじめました。一杯一杯また一杯。これから腹がだぶだぶになるまで呑むのです。そして眠くなると、虹でも吐くやうなをくびを一つして、ごろりと横になるのです。と雷のやうな鼾です。
荷馬車は重い。山のやうな荷物です。
この炎天にさらされて、行くこともならず、還りもされず、むなしく、馬はのんだくれの何時だか知れない眼覺めをまつて尻尾で虻や蠅とたわむれながら、考へました。かんがへるとしみじみ悲しくなりました。
「なんといふ一生だらう。こうして荷馬車を朝から晩まで輓くために、私の親は私をうんだのでもなからうに。自分の子がこんな目に遇つてゐるのをみたら、人間ならなんと云ふだらう」
馬はこのまんま、消えるやうに死にたいと思ひました。死んで、そして何處かで、びつくりして自分に泣いてわびる無情な主人がみてやりたいと思ひました。
けれど直ぐまた思ひなほしました。
「お互に、明日の生命もしれない、はかない生き物なんだ。何でも出來るうちに爲る方がいいし、また、やらせることだ」と。
蚊
蚊が一ぴきある晩、蚊帳の中にまぐれこみました。みんな寢靜まると
「どうだい、これは、自分はまあ何といふ幸福者だらう。こんやは、それこそ思ふ存分、腹一杯うまい生血にありつける譯だ」
そして外の友だちに囁いた。
「うらやましからう。だが、これは天祐といふもので、いくら自分が君達をいれてあげやうとしたところで駄目なんだ」
そこには可愛らしい肉附の、むつちり肥つたあかんぼが母親に抱かれて、すやすやと眠つてゐました。その頬つぺたに蚊が吸ひつくと、あかんぼは目をさまして泣きだしました。と、ぱちツ! 手で打つ大きな音がしました。
ぷうんと蚊は、やつと逃げるには逃げたが、もう此の狭い蚊帳の中がおそろしくつて、おそろしくつてたまらなくなりました。
その時、電燈の笠にとまつてゐた黄金蟲が豫言者らしい口調で、こんなことを言ひました。
「馬鹿な奴らだ。もう秋風も立つたじやないか、飢ゑるも飽くも、それがどうした。運命はみんな一つだ」
蚤
一ぴきの蚤が眞蒼になつて、疊の敷合せの、ごみの中へ逃げこみました。そしてぱつたりとそこへ倒れました。
晝寢をしてゐた友だちはびつくりして
「おい、どうしたんだい」と、その周圍に集りました。「またか。晝稼ぎになんかに出るからさ。しつかりしろ、しつかりしろ」
その中で年嵩らしいのが
「でもまあ無事でよかつた。人間め! もうどれほど俺達の仲間を殺しやがつたか。これを不倶戴天の敵とゆはねえで、何を言ふんだ。此の世はおろか、此のかたきは、生れかはつて打たなけりやならねえ」
すると他のが
「生れかはるつて、何にさ」
「人間によ」
「そんなら人間は」
「きまつてるじやねえか、蚤さ」
その時、女の聲
「ちえツ、いまいましいつたらありやしない。また。捕逃がしてよ。あなたがぼんやりしてゐるんだもの」
やがて呼吸をふき返へしたその蚤
「おお、すんでのところ。小ぽけでも、たつた一つきやねえ生命だ。危い。あぶない」
蝉は言ふ
富豪の家では蟲干で、大きな邸宅はどの部屋も一ぱい、それが庭まであふれだして緑の木木の間には色樣々の高價なきものが匂ひかがやいてゐました。
その中でもとりわけ立派な總縫模樣の晴着がちらと、塀の隙から、貧乏な隣家のうらに干してある洗晒しの、ところどころあてつぎなどもある單衣をみて
「みな樣、まあご覧遊ばせ、あれを。あれでも着物と申すのでせうか。あれと私達とは何の關係も無いやうなものの、あれも着物、私達お互も着物、何となく世間に對して、私は氣耻しいやうでなりませんのよ」
「何だと」それを聽かれたから、たまりません
「も一ぺんほざいて見ろ。そのままにやしておかねえぞ、此の虚榮の塊め! 貧乏がどうしたつてんだ。こうみえてもまだ貴樣等の臺所の土間におすはりして、おあまりを頂戴したこたあ、唯の一どだつてねえんだ。餘り大きな口を叩きあがると、おい、暗え晩はきをつけろよ」
これはまた落雷のやうな聲でした。さつきから啼くのをやめて、どんなことになるかとはらはらしながらきいてゐた蝉の哲學者、附近がもとの靜穩にかへると
「どうも此の喧嘩は解らない。晴着は晴着でよいではないか。また、單衣は單衣でよいではないか。晴着は晴着。單衣は單衣。晴着がいくら立派でも單衣の役には立たない。單衣もそうだ。晴着の場所へは向かない。これは彼を蔑み、彼はこれを憤る。こんなことが、一體あつてよいものか」
そして最後につくづく感服したらしくつけ加へました。
「〝Know thyself〟(汝自身を知れ)とは、まことに千古の金言だ」
耳を切つた兎
山の兎がふもとの村のお祭りにでかけました。おしやれな娘兎のこととて、でかけるまでには谿川へ下りて顏をながめたり、からだ中の毛を一本一本、綺麗に草で撫でつけたり、稍、半日もかかりました。
「何てまあ、いい毛だらう」と、それを第一に見つけた猫が羨ましさうに、まづ賞めました。犬も狐も野鼠も、みな
「ほんとにねえ」と同意しました。
兎はうれしくつてたまりませんでした。すると猫がまた
「けれど、どうも耳が長過ぎるね」と、つくづくみてゐて批評しました。
それをきくと
「ほんとに、そう言はれてみると、そうだ」一同は口を揃えていひました。
兎は、はつと思ひました。そしてみんなの耳をみました。それから自分のを手で觸つてみました。なるほど長い!
そこで早速、理髪店に行つてその耳を根元からぷつりと切つて貰ひました。おもてへ出ると指して、逢ふもの毎に笑ふのです。
「おや、耳のない兎」
「何といふ不具でせうね」
もうお祭りどころではありません。いそいで、泣きながら山へ歸りました。
山へ歸ると、親兄弟は勿論、友だちも驚いてしまひました。そしてかわいさうに此の兎は一生の笑はれ者となりました。
運ばれる豚
いつも物置の後の、汚い小舎の中にばかりゐた豚が、或る日、荷車にのせられました。
此の豚は夢想家でした。
「なんと言ふことだ。天氣は上等、此のとほりの青空だ。かうして自分は荷車にのせられ、その上にこれはまた他の獸等に意地められないやうに、用意周到なこの駕籠。さすがは人間だ、すこし窮屈は窮屈だが、それも風流でおもしろいや。や、海がみえるぞ、や、や、船だ船だ。なんといふことだ。子ども等もつれてくるんだつけな。どんなによろこぶだらう、お、お、電車、活動寫眞の樂隊。とうとう町へ來たんだな。えツ、ほんとに嬶や子ども等をつれてくるんだつたに。あれ、向ふにみへるのは何だ。王樣の御殿かもしれねえ、自分はあそこへ行くのだらう。きつと王樣が自分をお召しになつたんだ。お目に懸つたら何を第一に言はう。そうだ。自分の主人は慾張で、ろくなものを自分にも自分の子ども等にも食べさせません、よく王樣の御威嚴をもつて叱つて頂きたい。と、それから次には……」
かたりと荷車がとまりました。豚は、はつとわれにかへつてみあげました。そこには縣立畜獸屠殺所といふ大きな看板が掛かつてゐました。
虻の一生
かんかん日の照る炎天につツ立つて、牛がなにか考えごとをしてゐました。虻がどこからかとんできて、ぶんぶんその周圍をめぐつて騷いでゐました。
あまり喧しいので、さすがに忍耐強い牛も我慢がし切れなくなつたと見え
「うるせえ、ちと彼方へ行つててくれ」と言ひました。虻のやんちやん、そんなことは耳にもいれず、ますます蠅などまで呼集めて飛び廻つてゐました。
「うるせえツたら」
「え」
「ちつと何處へか行つててくれよ」
「何で」
「うるせえから」
「はい、はい」
けれど仲々、行かうとはしません。
「はやく行げ」
「行きますよ。だがね、おぢさん、此處はあんたばかりの世界ぢやありませんよ」
「それはさうだ」
「そんなら、そんなに、がみがみゆはないつたつていいでせう。そうじやないですか」
牛はだまりこみました。虻はあいかわらず。そして酷く相手の腹をたてました。
も一ど、それでも牛は
「お願ひだから、靜にしてゐてくんな」と頼みました。靜かになつたやうでした。すると、こんどは虻の奴、銀の手槍でちくりちくりと處嫌はず、肥太つた牛の體を刺しはじめました。
堪忍嚢の緒は切れました。それでも強い角をつかうほどでもありません。
ぴゆツと一とふり尻尾をふると、びちやりと大きな腹の上で、めちやめちやに潰れて死んでしまひました。
虻は生れてまだ幾日にもなりませんでした。
そしてこれがその短い一生でした。
泥棒
泥棒が監獄をやぶつて逃げました。月の光をたよりにして、山の山の山奥の、やつと深い谿間にかくれました。普通、大抵の骨折りではありませんでした。そこで綿のやうに疲勞れて眠りにつきました。草を敷き、石を枕にして、そしてぐつすりと。
朝。
神樣がそれを御覧になりました。これは、なんといふ瘻れた寢顏だらう。
「おお、わが子よ」と仰せられて、人間どもの知らない聖い尊いなみだをほろりと落されました。
それをみてゐた朝起きのひたきも、おもはず貰ひ泣きをいたしました。
星の國
山の中に古池がありました。そこに蛙の一族が何不自由なく暮らして、住んでをりました。
あるとき木菟が水をのみにきて、その蛙の一ぴきに逢ひました。
「やあ、しばらくだね、蛙君」
「木菟さんか、何處へ行つてゐたんです」
「あんまり一つ所も飽きたんで、あれから方々、飛び廻つてきたよ」
「へえ」
「何かおもしろい話でもないかい」
「それは俺の方からいふ言葉でさあ。こうして此處で生れて此處でまた死ぬ俺等です。一つ旅の土産はなしでもきかせてくれませんか」
「とりわけてこれと云ふ……何處もみんな同じですがね。……だが、あの星の國へあそびに行つて、宵のうつくしい明星樣にもてなされたのだけは、おらが一生一代の光榮さ」
と、蛙がそれを遮つて
「俺がいくら世間見ずだと言つて、出鱈目はごめんですよ」
「何が出鱈目だい」
「何がつて、あんたにや水潜りはできめえ。星の國はね。此の池の水底にあるんですぜ」
「え」
「それでも嘘でねえと云ふんですか」
すると木菟が
「蛙君、きみはまあ何をゆつてるんだ。星の國は、こうした樹の上の、そのもつと高いたかあいところにある天空なんだよ」
「そんなら二つあるのかね」
「二つなもんか、その天空にあるツきりさ」
「そんなことがあつてたまるもんか」
「馬鹿だなあ」
「どつちが」
どつちもその所信を棄てません。そのうちに、とつぷりと日がくれて、月がでました。星もでました。
蛙が口惜しがつて
「あれ、あれが何よりの證據じやないか、みたまへ。水の底を……」
木菟が
「なるほどな。けれど上をごらん、あれは何んだい」
「おお」と蛙はおどろきました。
なんだか急に池の中がさわがしくなりました。魚類がいつもの舞踏をはじめたのです。それをみると、もう飛立つばかりにうれしくなり、何もかもすつかり忘れて
木菟が
「ほう、ほう、ほろすけほ」
蛙も
「がちがちがちがち」
鯛の子
ある日、鯛の子が
「お父樣、しばらくお暇が戴きたうございます」とおそるおそる父の前にでて、お願ひしました。そして心の中では、どうか聽容れてくれるといいが。
父鯛はそれと聞いて
「おお、汝は暇をもらつて何とするのか」
「はい、旅に出やうと思ひまして」
「む、旅に」
「はい」
「何處へ、そしてまた、何しに行く」
「はい。私はつくづく自分に智慧の無いことを知りました」
「それで」
「それで、これから廣い世界をめぐつて、もつともつと樣々のことを見たり聞いたりしたいのです」
「それもよからう。けれど汝は卑しくも魚族の王の、此の父が世をさつたらばその後を嗣ぐべき尊嚴い身分じや。决して輕々しいことをしてはならない。よいか」
「はい」
「それが解つたら、すべては汝の自由に委せる」
生れてはじめての鯛の子の旅! 從者もつれず唯、獨りはじめの七日十日は何かと物珍らしくおもしろかつたが、段々と日を追つて澤山のくるしいことや悲しいことが、到るところに待伏し、とり圍み、且つ攻寄せてくるのでした。
「自分は鯛王の子だ。失敬なことをするな」
すると鮫が「おい、みんな此の氣狂ひを來てみろ」
鱶が
「小僧! おめえ迷兒か、どこからきたんだ。だれか尋ねる者でもあるのか」
鯛の子はくやしくつて火のやうに眞赤になりました。けれどまた怖くつて、氷のやうに硬ばつてぶるぶる、ふるえてをりました。
もう旅は懲々でした。そう思ふと、自分の家が戀しくつて戀しくつてたまりません。はやくかえらう。はやくかえらう。と、……………………
父鯛
「おお、氣がついたか」
ぱつちりと目をあいた子の鯛
「ここはどこです」
「汝の家ぢや」
「え。あなた誰方です」
「汝の父じや。わからないのか」
「あツ、お父樣!」
「どうしたといふのか、どう……でもまあよかつたわ」
「私は甦つたやうに感じます」
「おお。そして旅はどんなであつた」
「はい」是々云々でしたと、灣内であつた鰯やひらめの優待から、沖でうけた大きな魚類からの侮蔑まで、こまごまとなみだも交る物語。
「するとその歸るさ、私は路を急いでをりますと、此の鼻さきに大きな眞黒い山のやうなものがふいと浮上りました。眼がくらくらツとして體が搖れました。まつたく突然の出來事です。けれど何程のことがあらうと運命を天にゆだね、夢中になつて驅けだしました。それからのことは一切わかりません」
「無事であつて何よりじや。その黒い大きな山とは、鯨ぢやつた。おそろしいこと、おそろしいこと、聞いただけでも慄とする」
「お父樣」
「何」
「でも私は善い經驗をいたしました」
「そんな生命の瀬戸際で」
「はい。そればかりではありません。世界には私どもの知らないことが數限りなくあります。──小さなところで獨り威張つてゐることの」
「え」
「愚さがしみじみ、はじめて解りました」
どうしてのんべえは其酒を止めたか
のんべえものんべえも怖しいのんべえがありました。その家では、それがために一年の三百六十五日を、三百日ぐらゐは必ず喧嘩で潰すことになつてゐました。
けふもけふとて、ぐでんぐでんに御亭主が醉拂へてかへつて來ると、お上さんが山狼のやうな顏をして吠え立てました。なんとゆつても、まるで屍骸のやうに、ひツくりかへつてはもう正體も何もありません。梁の煤もまひだすやうな鼾です。
お上さんも呆れて、だまつてしまふのが例でした。
不思議なこともあるものです。それが今日は、何をおもひだしたのか、目が覺めると、めそめそ啜り泣きをしながら、何處へか出て行つてしまひました。
やがてのんべえは樹深い裏山のお宮の前にあらはれました。そして地べたに跪いて
「神樣、どうかお聽きになつてください。私はあなたもよく御承知ののんべえです。私がのんべえなために家の生計は火の車です。嬶や子ども等のひきづツてゐるぼろをみると、もうやめよう、もうやめようとは思ふんですが、またすぐ酒屋の店先をとほつて、あのいいぷうんとくる匂ひを嗅ぐと、まつたく理も非もなくなるんです。そしてそこへ飛び込んでしまふんです。神樣、どうしてこんなに嚥みたいんでせう。どうかして此の呑みたい酒をやめることは出來ないもんでせうか」
神樣はのんべえの涙を御覧になりました。
「そうか。よくわかつた。俺はお前がかわいさうでならない。唯、それだけだ」
「えツ、こんな紙屑のやうな人間でも、かわいさうに想つてくださいますか」
「おお、そうおもはなくつてどうする」
「へえゝゝゝゝ」
よろこんだの、よろこばないのつて、のんべえは轉るやうに、よろこんでその山から家に驅け戻りました。來てみると嬶も子どもも誰もゐません。
お上さんはお上さんで、子ども達を引きつれて御亭主の立去つたあとへ、入れ違ひにやつて來ました。
まるで喧嘩でも賣りにきたやうに
「どうしたもんでせう。神樣。宅ののんべえですがね。もうあきれて物も言へません。妾があなたに、あの酒の止むやうにつてお願ひしたのは百ぺんや二百ぺんではありません。けれど止むどころか、あの通りです。けふは妾に何か言はれたのがよくよく、くやしかつたとみえまして、目が覺めると、しくしく泣きながら、また出て行つたんです。屹度、酒屋へです。私は酒を憎みます。そのためにどうでせう、妾や子ども等は年が年中、食ふや食はずなんです。神樣、なんとか仰つてくれませんか。どうしてあなたはあんな酒の造り方なんか人間にお教えになつたんです。妾はあなたを恨みます」と、喚きました。
神樣は、前とおなじやうに
「そうか。よくわかつた。俺はお前達がかわいさうでならない。唯、それだけだ」
「えツ。唯、それだけですつて。ぢあ、酒の方はどうしてくださるんです」
「それは俺の知つたことではない」
「まあ、此の神樣は」
「なんだ」
「酒の方をどうして、くださるつて言つてるじやありませんか」
「そんなことは惡魔に聞け!」
ぷりぷり怒つてお上さんは歸りました。歸りながら考えました。「ええ、馬鹿つくせえ。何とでもなるやうになれだ」と、途中で、あらうことかあるまいことか女の癖に、酒屋へその足ではいりました。
底抜けにひツ傾けた證據の千鳥あし、それをやつと踏みしめて家の閾を跨ぎながら
「やい、宿六、飯をだしてくれ、飯を。腹がぺこぺこだ。え。こんなに暗くなつたに、まだランプも點けやがらねえのか。え、おい」
おどろいたのは御亭主でした。大變なことになつたものです。天地が、ひつくりかえつたやうです。そんな日がそれ以來、幾日も幾日も續きました。餘りのおどろきに御亭主は、自分の酒慾も何もすつかり、どこへか忘れました。そして眞面目に働きだしました。
するとお上さんも考えました。その不品行が耻しくなつて來たのです。
或る日、夫婦して仲睦じくお茶をのんでゐると、そこへ雉の子が木の葉を一つ葉、啣えてきて、おいて行きました。それは裏山の神樣からでした。何か書いてありました。みると
「さあ、これでお前達の願望はかなつた」
ささげの秘曲
朝露が一めんにをりてゐました。ささげ畑では、ささげが繊い細いあるかないかの銀線の、否、むづかしくいふなら、永遠を刹那に生きてもききたいやうな音のでる樂器に、その聲をあはせて、頻に小唄をうたつてゐました。
けさも貧しい病詩人がほれぼれとそれをきいてゐました。他のものの跫音がすると、ぴつたり止むので、誰もそれを聽いたものはありません。
そのうた──
どこにおちても俺等は生へる
はなもさかせる
みもむすぶ
そしてまあ
何てきれいな世界だろ
底本:「ちるちる・みちる 山村暮鳥童話集」名著復刻 日本児童文学館、ほるぷ出版
1974(昭和49)年5月初版発行
底本の親本:「ちるちる・みちる 山村暮鳥童話集」落陽堂
1920(大正9)年8月22日初版発行
入力:橋本山吹
校正:トム猫
1999年11月11日公開
青空文庫作成ファイル:
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