栄蔵の死
宮本百合子



        (一)


 朝から、おぼつかない日差しがドンヨリ障子にまどろんで居る様な日である。

 何でも、彼んでも、灰色に見える様に陰気な、哀れっぽい部屋の中にお君は、たった独りぽっちで寝て居る。

 白粉と安油の臭が、プーンとする薄い夜着に、持てあますほど、けったるい体をくるんで、寒そうに出した指先に反古を巻いて、小鼻から生え際のあたりをこすったり、平手で顔中を撫で廻したりして居たけれ共一人手に涙のにじむ様な淋しい、わびしい気持をまぎらす事が出来なかった。

 切りつめた暮しを目の前に見て、自分のために起る種々な、内輪のごたくさの渦の中に逃げられない体をなげ出して、小突きあげられたり、つき落されたりする様な眼に会って居なければ、ならない事は、しみじみ辛い事であった。

 こんな、憂目を見る基を誰がつくったと云えば皆、智恵の少ない自分の両親である。

 内々の事を何一つしらべるでもなく只「血続き」と云う事ばかりをたのんで、此家へ自分をよこした二親が、つくづくうらめしい気になった。

 いくら二十にはなって居ても母親のそばで猫可愛がりにされつけて居たお君には、晦日におてっぱらいになるきっちりの金を、うまくやりくって行くだけの腕もなかったし、一体に、おぼこじみた女なので長い間、貧乏に馴れて、財布の外から中の金高を察しるほど金銭にさとくなって居るお金の目には、何かにつけて、はがゆい事ばかりがうつった。

 車で来る、八百屋からの買物を一文も価切らなかった事などで、お君は、いつもいつもいやな事ばかりきかされて居た。

「お前の国では、庭先に燃きつけはころがって居るし、裏には大根が御意なりなんだから、御知りじゃああるまいが、東京ってところはお湯を一杯飲むだって、ただじゃあないんだよ。

 何んでも、彼でも買わなけりゃあならないのに、八百屋、魚屋に、御義理だてはしてられないじゃあないかえ。

 お君位の時には、まだ田舎に居て、東京の、トの字も知らなかったくせに、今ではもうすっかり生粋の江戸っ子ぶって、口の利き様でも、物のあつかい様でもいやに、さばけた様な振りをして居る癖に、西の人特有の、勘定高い性質は、年を取る毎にはげしくなって行った。

 人の見かけを、江戸前らしく仕度てるために、内所の苦労は又、人なみではない。

 嫁には、無理じいに茶漬飯を食べさせて置いて、自分は刺身を添えさせ、外から来る人には、嫁が親切で、と云いたいたちであった。

 赤の他人にはよくして、身内の事は振り向きもしない。お君の親達は「百面相」だの「七面鳥の様な」と云って居た。

 それでも、叱られ叱られ毎日、朝から晩まで、こせこせ働いて居たうちは、いろいろな仕事に気がまぎれて、少時の間辛い事を忘れて居る様な時もあったけれ共、こう床についたっきりになって、何をするでもなくて居るのは只辛い事ばかりが思われて、お君はいかにもいやであった。

 顔の真上からお金の厭味を浴びなければならない。

 それだけでさえも、気のせまいお君には、堪えるのが一仕事である。

 始め、妙に悪寒がして、腰がびないほどうずいたけれ共、お金の思わくを察して、堪えて水仕事まで仕て居たけれ共、しまいには、眼の裏が燃える様に熱くて、手足はすくみ、頭の頂上てっぺんから、鉄棒をねじり込まれる様に痛くて、とうとう床についてしまった。頭に、濡手拭をのせて、半分夢中で居るお君の傍でお金が、

「お前もうなんなんだろう?

 一人口が殖えると、又なかなかだねえ。

 それにしても、あんまり早すぎるじゃあないかい。

と、いやあな顔をして云ったのが、今でもお君の眼先にチラツイて、それを思い出すんびに、何とも云えない気持になって涙がこぼれた。

 冷え込みだろう、と云って居たのが、三日たっても、四日立っても、よくなく益々重るばっかりなので、近所の医者に来てもらうと、思いがけなく悪い病気で、放って置けば、命にまでさわると云われた。

 お医者の云った事は、お君にわからなかったけれ共、十中の九までは、長持ちのしない、骨盤結核になって、それも、もう大分手おくれになり気味であった。

 流石さすがのお金も、びっくりして、物が入る入ると云いながら翌日病院に入れて仕舞った。

 いよいよ手術を受ける時になって、病気について、何の智識もないお君は、非常に恐れて、熱はぐんぐん昇って行きながら、頭は妙にはっきりして、今までぼんやりして居た四辺の様子や何かが、はっきりと眼にうつった。

 胸元から大きな丸いものがこみ上げて来る様な臭いの眠り薬、恐しげに光る沢山の刃物、手術のすみきらない内に、自然と眠りがめかかってうめいた太い男の声、それから又あの手を真赤にして玩具をいじる様に、人間の内実なかみをいじって居た髭むじゃな医者の顔、あれこれと、自分が無我夢中になる前五六分の間に見た事聞いた事が、それより前にあった百の事、千の事よりもはっきりと頭に残って、夜中だの、熱のある時は、よく、此の恐ろしい様子にうなされて居た。半月ほど、病院のどっちを向いても灰色の淋しい中に暮して、漸々、畳の上に寝る様になってからまだ幾日も立っては居なかった。けれ共、絶えずせせこましい気持になって居るお君には、一日の時間も、非常に長い、非常に不安心なものであった。

 お君は、思い出に一杯になった体を、溜息と一緒に寝返りを打たして、今までとは反対の壁側に顔を向けた。

「母はんは、苦労ばかりお仕やはっても、いい智恵の浮ばんお人やし、たつやかて、まだ年若やさかい、何の頼りにもならん。

 たよりにならない、母親や弟の事を思って、お君はうんざりした様な顔をした。

 誰か一人、しっかりとっいて居て安心な人を望む心が、お君の胸に湧き上って、目の前には、父親だの母、弟又は、家に居た時分仕事を一緒にならって居た友達の誰れ彼れの顔や、話し振りがズラッとならんだ。友達共は、皆相当に、幸福に暮して居るのに、自分は今どうして居るのだろうと思うと、薄い眉根にくしゃくしゃな「しわ」を寄せて、臭い様な顔付をした。

 そして、さのみ気が乗ったでもない様にして、枕元の小盆こぼんの傍に小寒く伏せてあった雑誌を取りあげた。お金が小やかましいので、日用品以外の物と云ったら、自分の銭で買う身のまわりの物まで遠慮しなければならない中を、恭二がお君のために買って来てくれたたった一冊いっさつの雑誌である。

 幾度も幾度も繰り返して、まるで、饑えた犬が、牛の骨をもらいでもした様にして見るので、銀地へ胡粉で小綺麗な兎を描き、昔の絵にある様な、樹だの鳥だのをあしらった表紙も、もう一体に薄墨をはいた様になってしまって居る。

 そのぼやけた表紙から、はじけた綴目から、裏まで細々と見てから、中についた幾枚もの写真を、はたで見るものがあったら仰天する位の丁寧さでしらべて行った。

 何々の宮殿下、何々侯爵、何子爵、何……夫人、と目にうつる写真の婦人のどれもどれもが、皆目のさめる様な着物を着て、曲らない様な帯を〆、それをとめている帯留には、お君の家中の財産を投げ出しても求め得られない様な宝石が、惜し気もなくつけられて居る。

 どの顔にも、──それは年取ったと若いとの差は有っても──満足して嬉しがって居るらしい、又金持らしい相があると、お君は思った。

 これにくらべて見ると、いつだったか、夜一寸出た時に、おじいさんの卜者に見てもらった時に、

 貴方は、苦労する相ですぞ。

 気をつけんきゃあならん、なあ、

 金と子の縁にうすいと出て居る。

と云われたのが事実らしく思われて、暗い気持になった。

 帯の結び様でも、指環の形でも、いつの間にか、見も知らなかった様なのが出て居た。お君は、一つ一つの写真について頭から爪先つまさきまで身のまわりの物の値踏をしはじめた。

 この着物も、本場なら六十円を下らないが、一寸でも臭さければ、私にだって着られる。

 この指環だって、ここに一つ新ダイヤが入って居ようものなら、八百円のものは、せいぜい六七十円がものだ。

 写真で、ほんものと、「まがい」の区別はつかないから都合がなるほどいいものだ。

 着物だの飾り物に、ひどい愛着を持って居るお君は、見も知らない人々が、隅から隅まで隆とした装で居るのを見るとたまらなくうらやましくなって、例えそれが、正銘しょうめいまがい無しの物でも、自分の手の届くところまで、引き下げたものにして考えて居なければ気がすまなかった。

 少しは読み書きも明るいけれ共、こんのないお君は、ズーッと写真だけ見てしまうと、邪険に、雑誌を畳に放り出して、胸の上に手をあげて、そそくれ立った指先を見て居た。

 こんなみじめなゆびをして居ては、若し、さっき彼の人のはめて居た様に、いい指環があったにしろ、気恥かしくて、はめられもしない事だろう。

 ああ云う着物が山ほど有っても、寝て居るんじゃあ、お話にもならない。

などと、とりとめのない事を考えて居ると、水口の油障子が、がたごと云って、お金が帰って来た。

 薄い毛を未練らしく小さい丸髷にして、鼠色のメリンスの衿を、町方の女房のする様に沢山出して、ぬいた、お金の、年にそぐわない厭味たっぷりの姿を見るとすぐお君は、無理な微笑をして、

 お帰りやす

と云った。

 一通り部屋の中をグルッと見廻して、トンと突衿をすると一緒に、お君のすぐ顔の処へパフッと座ったお金は、やきもちやきな、金離れの悪い、五十女の持って居るあらゆる欠点けってんを具えた体を、前のめりにズーッとお君の方にしまげた。

 あれも来やしなかったろうね。

 時にどうだい。お前は、

 ほんとうに、もうあきあきするほど長いっちゃあないかい。

 もうあの日っから、何日目になるだろう。

 こおっと、

 あれは──何だったろう、お前、先月の十一日頃だったろう、

 それだものもうざあっと、一月だよ。

 自分の、すぐ眼の上で、ポキポキと音の出る様に骨だらけな指を、カキッ、カキッと折りまげるお金の顔を、お君はキョトンとして小供の様に見て居た。

 けれ共、どっか、そっ方を見て居たお金が、切った様なまぶたを真正面お君の方に向けて、ホヤホヤとした髪をかぶった顔を見つめた時、何か、おなかの中に思って居る事まで、見て仕舞われそうな気持がして、夜着の袖の中で、そっかりと、何のたそくにもならない、色のあせた袖裏をつかんで居た。

 いつんなったらよくなる事だろうねえ、ほんに、困りもんだ。

 そうやってお前に寝つかれて居ると、どれだけわたしは困るか、知れやしないんだよ。

 実際のかくさない処がねえ、

 薬代、お礼、養いになるものは食べざあなるまいし。

 そうじゃあないかい。

 お父っさんと、恭二の働きが、皆お前に吸われて仕舞う。

 病気で居るのに何もわざわざこんな事を聞かせたくはないけれ共、一つ家の中に居れば、そうお人をよくしてばかりも居られないからねえ、

 ほんとうに、どうかしなけりゃあ、ならないよ。

 ホーと豆臭まめくさい吐息がお君の顔を撫て通った。

 自分の夫の良吉にかくして小銭をためたり、息子の恭二と父子が出かけたあとは食事時の外大抵は、方々と話し歩いて居るお金が、たまらなく小憎らしかった。

 みじかい袂に、袂糞と一緒くたに塩豆を入れたりして居る下等な姑から、こんな小言はききたくないと云う様な気にはなっても、気の弱い、パキパキ物の云えないお君は、只悲しそうな顔をして、頭をゆすったり夜着を引きあげたりするばかりであった。

 病気になったその日からお君は絶えず、

 どうしよう

と云う感じに迫られて居た。

 この考えは、何事をもたじたじにさせた。

 只どうしようと云うばかりに国許へは一度も知らせてやらなかったし、弟に来てくれとも云ってやらなかった。

 それが、どう云うわけと云うではなく、只、どうしていいか見当のつかない様な心から起った事である。

 塩からく、又生ぬるい涙が、眼尻りから乱れた髪の毛の中に消えて行った。

 お金は、行こうともしずにピッタリお君のわきに座って居る。

 お君は、救を求める様に、シパシパの眼をあいたりつぶったりして居ると耳元で、何かが、

「お父さんに来てもろうたがいい

と云う様に感じた。

 お君は、いかにも嬉しそうに、パッとした顔をして、一つ心に合点すると共に、喜びを押えつけた様な低い鼻声で、

「父はんに、来てもらお思うとるんやけど、どうどましょうなあ。

と云った。

 そうさねえ、それも悪かああるまいよ、

 来てどうにかなればねえ。

 けど、何んに来たんやら分らない様にして、只食べるばかりで帰られちゃあなお尚だが。

 そいで、まあ、父さんでも来たら何ぞって云うあてがあるのかい。

「別に何ぞって──

 お君は、がっかりした様な声で眼の隅から鈍くお金を見て返事をした。

「とにかくそいじゃあそうして見るがいいさ、いくら彼んな人だって男一匹だもの、どうにかして行くだろうさ。

 お君は、今先ぐにも手紙を書こうかと思ったけれ共、両眼ともが、半分めしいて居る父親が、長い間、臭い汽車の中で不自由な躰をもんで、わざわざいやな話をききに来なければならないのを思うと、ひげを物臭さに長く生やして、絶えず下目をしてボツボツ低く話す、哀れな父親の姿が目前に浮いて見えた。

 父親がきの毒で、一時は、書くのを止めようかとも思ったけれ共、さりとて、黙ったまますむ事でもないので、ロール手紙に禿びた筆で、不様な手紙を書き始めた。

 まとまりのない、日向の飴の様な字をかなり並べる間、お金は傍に座って筆の先を見ながら、自分の息子にあまり益のない嫁を取った損失を考えて居た。

 始め、恭二を養子にする時だって、もう少しいい家から取るつもりで居た目算が、ひょんな事からはずれて先の見えて居る家などからもらってしまったし、又お君でも、いくらめいだと云っても、あまり下さらない女をもらってしまって、一体自分等は、どうする気なんだろうと云う様な事を思って居た。

 嫁の実家、又は養子の実家のいいと云う事は、なかなか馬鹿に出来ないものだのに、フラフラと出来心でこんな事をして、揚句は、見越しのつかない病気になんかかかられて、食い込まれる……

 お君が半紙をバリバリと裂いた音に、お金の考えが途中で消えた様になって仕舞った。

 アア、アア

とけったるそうな、生欠伸をして、

「さあ御晩のしたくだ、

 この頃の水道の冷たさは、床の中では分らないねえ。

と云って、ボトボトと立ちあがった。

「ほんにすまん事、

 堪仁しとくれやす。

と云いながら「いやになり申候」と書き切って頭をあげると、すっかり知らない間に陰が濃くなって、部屋の隅のものは只うす黒く浮いて見えるほどになって居た。

 小窓からも、縁側からも入った奥に居る自分の近所は、気がつけばつくほど暗くて、よくまあ、これで物が書いて居られたと思うほどであった。

 狭い狭い台所で、水のはねる音を小うるさくききながら、おっとや舅の戻らないうちにと、筆の先に視力を集めて、はかの行かない筆を運ばせた。

 一枚半ほどの手紙を書き終った時、パット世界がかわるほど美くしい色に電気がついた。

 大きな字で濃く薄くのたくった見っともない手紙を、硯のわきに長く散らばしたまま、お君は偉く疲れた気持で、ストンと仰向になった。

 瞼の上には、眠気が、甘ったるく、重く、のしかかって来る。

 やがて、恭二などが帰って来る頃なので、髪をまとめるつもりで頭に手をやりはやっても、こらえきれないねむたさに、その手をどうにもうにもする事が出来なかった。

 二時間ほどして、二人が戻った頃には、お君は、黄色い光の下で、たるんだ顔をなげ出して、いびきをかきながら夢も見ない眠りに陥ちて居た。


        (二)


 何かにつけて頼りになるべきお君の実家さとは、却って自分が頼られるほど貧しい、哀れな生活をして居た。

 元は村のかなり好い位置に居て、人からも相当に立てられて居た身も、不具者になっては、どうともする事が出来ない。

 生きなければならないばかりに栄蔵(お君の実父)は、自分より幾代か前の見知らぬ人々の骨折の形見の田地を売り食いして居た。

 働き盛りの年で居ながら、何もなし得ないで、やがては、見きりのついて居る田地をたよりに、はかない生をつづけて行かなければならないと云う事を思うと栄蔵の胸はかたくなって仕舞う。

 家中のものからたよられて居る身であるのを思えば、自分の男だと云う名に対しても斯うしては居られない気になった。

 けれ共、勿論働く方法も見つからなかった。栄蔵は、一思いに、体の半分が無くなった方がどれほど楽か分らないと思うほど、刻一刻と世の中が暗くなる「そこひ」と云う因果な病にかかった事を辛がった。道を歩くにもすかしすかししなければ行かれないほどになってからは、自分でも驚くほど、甲斐性がなくなり、絶えず、眼の前に自分をおびやかす何物かが迫って居る様に感じだした。

 物におどおどし、恥しいほど決断力も、奮発心も失せてしまった。

 貧と不具にせめさいなまれて、栄蔵の神経は次第に鈍く、只悲しみばかりを多く感じる様になった。

 今度お君を自分の妹の家へやるについても、栄蔵の頭には、これぞと云った父親らしいまとまった考えは何一つなかった。

 只、母親のお節が、狭い村中の母親共に「ほこり」たいため、チンとした花嫁姿が一時も早く見たかったため殆ど独断的に定めてしまったと云ってもいいほどである。

 気心の知れない赤の他人にやるよりはと云い出したお節の話が、お節自身でさえ予気して居なかったほど都合よく運んで、別にあらたまった片苦しい式もせずに、お君は恭二の家のものになってしまった。

 田舎に居て、東京の様子に暗い夫婦は、血縁と云うものが、この世智辛い世の中で働く事を非常に買いかぶって、当座は大船にでも乗った様な気で居た。けれ共、折々よこすお君からの便り、又、東京に居る弟の達からの知らせなどによると、眉のひそまる様な事がやたらとあった。

「どこもこんなもんよ。

 栄蔵は、若いものには苦労させるのが薬だと云ってさほどにも思って居なかったし、又、今となってどう云ったところで、始まらないともあきらめて居た。

 娘があんまり利口りこうでもないしするから、片方の口は信じられないと、女の子によほど心を傾けて居ない栄蔵は、やきもきして、どうにかせずばとさわぐお節をなだめて居た。

 仕舞には、きっと、

「今になって、何や彼やわしにやかましゅう云うてんが、知らん。

 お前が、せいて、早う早う云うてやったんやないか。蒔いた種子位、自分で仕末つけいでどうするんや。勝手もいいかげんにしとけ。

と、とげとげしい言葉になって、気まずく寝て仕舞うのが定だった。


 暗いラムプの灯の下で、栄蔵はたのまれて書き物をして居る。

 落ちた処ろどころをそろわない紙で抑えた壁に、大きな、ぼやけた影坊子が、身じろぎもしないで留まって居る。赤茶色の箪笥、長火鉢、蠅入らず、部屋のあらいざらいの道具が、皆、テラテラ妙に光って、ぼろになった畳と畳との合わせ目から夜気がつめたくすべり込んで来る様だった。

 火の気のない、静かな、広い畑の中にポッツリたった一軒家には、夜のあらゆる不思議さ、恐ろしさ、又同時に美しさも、こもって居る。

 年を取って、もう、かすかな脈が指にふれるばかりのこの人でさえも、あまりの静けさ、あまりの動かない空気の圧迫に驚いて、互に顔を見合わせ、

「静だすえなあ。

と云うほどであった。

 弱い弱い視力を凝らして、堅い字を、罫紙にならべて行くうちに眉間みけんが劇しく痛んで、疲れのために、字のかくは離れ離れになり、字と字の間から、種々なまぼしい光線が出て、こちゃこちゃに入り混って、到底見分けて居られなくなった。

 紙をまとめて、机代りの箱の上にのせ、硯にかみの被をし筆を拭くと、左の手でグイと押しやって、そのまんまあかりの真下へ、ゴロンと仰向になった。

 非常に目が疲労すると、まぼしかるべきランプの光線さえ、さほどに感じない様になるのだ。

 黒い眼鏡の下に、一日一日と盲いて行く眼をつぶって気抜けのした様な、何も彼にも頭にない様な顔をして居た。

 なげ出した顔をお節の方から見ると、明らかに骸骨の形に見えた。

 非常に頬骨が高いたちの所へ大きな黒眼鏡をかけて居るのでそれが丁度「うつろ」になった眼窩の様に、歯を損じた口のあたりは、ゲッソリ、すぼけて見える。

 お節は、つぎものの手をめて、影の薄い夫の姿を見入った。

 地の見える様な頭にも、昔は、左から分けたあつい黒々とした髪があったし、顔も油が多く、柔い白さを持って居た。栄蔵の昔の姿を思い浮べると一緒に、小ざっぱりとした着物に、元結の弾け弾けした、銀杏返しにして朝化粧を欠かさなかった、若い、望のある自分も見えて来た。

 無意識に手をのばして、自分の小さい櫛巻にさわった時、とり返しのつかぬ、昔の若さをしたう涙が、とめ途もなくこぼれた。

 涙に思い出は流れて、目の前には、不具な夫の小寂しい姿ばかりが残るのである。

 ややしばらく身動きもしないで居た栄蔵は、片手をのばして、お節の針箱のわきから、さっき来た手紙を取った。

 娘の手蹟を、なつかしげに封を切って、クルクルクルクルと読んで仕舞うと、ポンと放り出して、

「あかん。

とうめく様に云った。

「何んや、

 どこからよこいたんどすえ。

「東京──お君からよ。

 病気になって、偉う困っとる云うてよこいたんや。

 腰の骨が膿んだ云うてやが、そんな事あるもんやろか、

 とんときいた事はあらへんがなあ。

「え? 腰の骨が膿んだ。

 まあまあ、どうしたのやろ、

 あかんえなあ。

 そいで何どすか、切開でもした様だっか。

「うん先月の十一日に切ったそうや。

 もう一月やな。

 そいに、何故、もっと早う云うて来んのやろ。

 何と思うて、今まで、延ばしよったんか、そいやから、いつもいつも抜けや云われるんや。

「ほんにまあ、どうしたんやろか。

 去年の『やく』は無事にすんださかい安心しとったになあ、方角でも悪いんやろか、気がつかなんだが。

「そんな、阿房な事あるもんか、

 でも、わしに来い云うてんやが、実際困って仕舞うなあ。

 第一行く金からしてあらへん。

 少しばかりの金の事で、度々辛い目にも会っては居ても、親身の娘の病気となると、余計に、ふだん、欲しくない金も欲しくなった。

 貧亡しても、コンミッションで喜ばれるよりええと云って、空元気をつける栄蔵も、お節の心が今となって、しみじみ味わわれた。嫁入りの時作った小紋の重ねだの、八二重の羽織などにかけた金が今あったらと、今手元にあったら、買って仕舞わないものでもないほど、金の光が恋しかった。

「そいでもな。

 お節は、沈んだ声で、うつむいて、ひろげた手紙を巻きながら重く口を開いた。

貴方あんた行んでおやんなはれ。

 あんなに、常々つけつけ云うお金はんやさかい、どんな事云われとるか知れんさかい。

 な、私で話が分るんなら行んでも来ようが、こう云う事は、女子ではらちが明かんさかいな。

 病気になった時、親にはなれて居るほど心細いものはあらへん。

 汽車賃位いどうでもしまっさかい。

わしが行くようんなったら汽車代だけやすまん。

 お金奴、あらいざらいの勘定をさせる魂胆なんやから、素手でも行かれんわな。

 お節は、いざ栄蔵が行くとなると、ぜひ持たしてやらなければならない金高を胸算用した。

 汽車賃、小使い、お君へかかったものの勘定、あれやこれやではなかなかさかさに立っても、出せないほどのたかになった。

 筒袖を着物の様に合わせた衿に深くあごを埋めて、金の出所をお節は思案した。

 東京の様な質屋めいた家もないではないけれども、栄蔵の元の位置を考えれば、まさかそんな事も出来ないし、今急に、少しでも田地を手ばなす気にもなれなかった。

「ほんにどうかならんかな。

 お節は意地のやけた様に、玉のないそれでも本銀のかんざしで、櫛巻にした少しの髪の間を掻きながら、淋しそうに、ランプの灯の前に散って来る細かい「ふけ」を上眼に見て居た。

 別にいい考えも浮んで呉れない。

「ま、何せ、旅費位、どうでもなるんやさかい、

 ほんにいんどくなはれな。

 今、十五六円ばかり、すっかりで、ありまっさかい。そい持ってお行きやはったら、ようおっしゃろ。

 仕事の手間や何かで、私など、どうでもして行かれまっから。

 お節は、気のすすまなそうに、行くとも行かんとも云わずに、ムッつりして居る栄蔵の顔を見た。

「そやな、

 どうでも行かずばなるまいかな。

 ほんに、わしも貧乏な懐で、金のぱっぱと出入する東京には、行きとうない。

 戻って来る時、財布は、空っぽになっとってる様やったら、随分、何だろが。

 あらいざらいの金を、お手っぱらいに出したあとをどうするのだろうと云う懸念が、栄蔵の頭からはなれなかった。

 けれ共、行かないわけには行かない。

「お君も、縁に薄い子だすえなあ。

 貧乏な親は持つし、いやな姑はんに会うし。

 そいに、何ぼ何やて、お金はんも、あんな業慾な人やないやろ思うてましたものなあ。

 まあ、まあ、

 何んも彼も、めぐり合わせや。

 私が、いくらややこしゅう云うたとて、何んもならへん……

と云うと、お節は、心配にだまり返って、仕事を片づけ始めた。

 虎の子の様にしてある二十円近い金を手離なさなければならないのを思って、寒い様な気持になったお節は、ランプの、わびしい黄色い灯かげを見ながら、

「アアアア

と生欠伸をかみころして、生ぬるい、ぼやけた涙をスルスル、スルスル畳にこぼした。


 乏しい懐のまま、栄蔵が旅立って行ってしまってから、ぽつんとたった一人になったお節は、長火鉢の下引出しに入れた五十銭の金のなくならないうちにと一生懸命に人仕事をした。

 かなり困った生活をして居るのに、士族の女房が賃仕事なんかする奴があるかと云って栄蔵は、絶対に内職と云うものをさせないので、留守の間にと、近所の者達のところから一二枚ずつ、

「一人で居るので、あんまり所在ないから。

と云って仕事をもらって来て居た。

 出来るだけの事をせんではと一心に思って居るお節は仕事をたのんだ百姓共が、

「ほんにこの頃は、よっぽどひどい様に見えますなあ。何んしろ、ああやって旦はんに何もせいで居られては、偉う大尽はんやかて、食い込むさかい無理もあらへん。

と、半分同情的な、半分は見下げ気味な噂をするのに耳もかさなかった。

 一体に百姓女は手先が利かないので、かなりまとまったものもこなせるお節は、困らないで居られた。暖い部屋で、ポツポツ、ポツポツ針を運んで居るお節を見て、村から村へ使歩きをして居る爺の松の助がちょくちょく立ちよって、親切に慰めるつもりで、伝えふるした様な、評判だの噂さだのを話す事があった。

 隣村のかなりの百姓で、甚さんと云う家がある。そこの息子に、去年嫁をもらった。

 評判の美人で、男の気には大層入って居たけれ共、病的に「やきもち」のひどい姑が、二人で一部屋に居させないほどにして居た。

 そうすると、先達ってうちから身重になったところが、それを種にして嫁を出してやろうと謀んで、自分の娘とぐるになって、息子あてに、中傷の手紙を無名で出した。

「お前の嫁は、作男ととんでもない事をしてその種を宿して居る。

 お前のほんとの子だと思うと大した間違いだ。

 おっつけられないうちに、どうとかしたらよかろう。

 姑は、それをつきつけては嫁をいびった。

 息子は、信じなかったけれ共、あんまりせめられ様がひどいので、取りのぼせて、自分で猿轡さるぐつわをはめて、姑の床のすぐ目の前で、夜中に喉をついて仕舞った。翌朝、姑が目を覚ました時、血だらけの眼をむいてにらんで居た。

 松の助は、古い講談をする様にお節に話した中には、こんな事もあった。

 気がまぎれないのでいろいろの事に思いふけって、

「お君もほんに、一気な事をせん様に云うてやらんけりゃあなあ、

 あのお金はんに、いびり殺されて仕舞う。

などと思って居た。

 十三の年から東京に出て、他人の中に揉まれて居るあととりの達の事、お君の事などが入りまじって心配になって、もう一っそ一思いに、夫婦と、子供等一っつながりになって、ボチャンとやってしまいたくなどなった。

 東京からの便たよりを待って、お節は暗い日を送って居た。


        (三)


 六年で出て見る東京の町は、まるで、世が変った様になってしまって居る。

 栄蔵は、汽車を乗りるとすぐから、うっかり傍見も出来ない様な、気ぜわしい、塵っぽい気持になった。

 ぐずぐずして居ると突飛ばされる、早い足なみの人波に押されて広場へ出ると、首をひょいとかたむけて、栄蔵の顔をのぞき込みながら、揉手をして勧める車夫の車に一銭も値切らずに乗った。

 法外な値だとは知りながら、すっかり勝手の違った東京の中央で、大きな迷子になる事も辛かったし、十銭二十銭の事に、けちけちする様に思われたくないと云う身柄にない見えもあった。

 広い通りや、狭い通りを抜けて、走る電車の前を突切る早業に、魂をひやしてお金の家へついたのは、もう日暮れに近かった。

 格子の前で、かすかに震える手から車夫にはらってから、とげとげした声で、

 御免

と云った。

 内から首を出したのは、思い通りお金であった。

 栄蔵は一寸まごついた様に、古ぼけた茶の中折れを頭からつまみ下した。

「おやまあ、これはこれは御珍らしい。

 さあ、どうぞ、お上んなすって。

と、栄蔵の手から軽い、すべっとしたカバンを受けとって、

「お前、お待ちかねの方が御出でだよ。

と奥へ怒鳴った。

 通された茶の間めいた処に座って、お金が、格子に錠をかけ、はきものの始末をつけて来るまで、周囲の様子を見廻した。

 柱でも、鴨居でも、何から何まで、骨細な建て工合で、ガッシリと、黒光りのする家々を見なれた目には、一吹きの大風にも曲って仕舞いそうに思われた。

 小道具でも、何んでもが、小綺麗になって、置床には、縁日の露店でならべて居る様な土焼の布袋ほていと、つく薯みたいな山水がかかって居た。

 お金は、すっかり片づけて来て、兄の前にぴったりと平ったく座ると、急にあらたまった口調で、無沙汰ぶさたの詫やら、お節の様子などを尋ねた。

「ほんにねえ、

 私も今度の事じゃあ、どんなに苦労したかしれやしないんですよ。

 何しろ、まだ、ここへ来ていだけもたたない人なんですしするから、手ぬかりが有っちゃあ私の落度だと思ってねえ。

 実の娘より心配するんですよ、ほんとに。

 病気の経過だの、物入りだのを、輪に輪をかけて話して、仕舞いにはきっと、自分のためになる方へと落して行った。

 栄蔵は、いやな女だと思いながら、我慢してその話をきき終るとすぐ、お君の部屋へつれて行かせた。

 すぐ、襖一重の隔たりだのに、何故、始めから此の部屋へ通さないのかと云う様な、つまらない不平まで起って来た。

 枕元に座ると、お君はもう何とも云えない気持になって、

 父はん、

 よう来とくれはったなあ。

と云うなり、この半年ほどと云うもの堪え堪えして居た涙を一時にこぼした。

「どうや、

 母はんが偉う案じとる。

 わしも、こんなやさかい、来んとよかろう云うたんやけど、行け行け云うたので出て来たんや。

 さほどでもあらへんやないか、

 やせ目も見えんやないか、なあ。

 病後の様に髭を生やして、黒目鏡をかけた貧しげな父親の前に、お君は、頬や口元に、後れ毛をまといつけながら子供の様に啜泣いて居た。

 ほんによう来とくれやはった、

 まっとんたんえ、父はん。

 口下手なお君には、これ以上云えなかった。云いたい事が胸先にグングンこみあげて来は来ても、一つながりの言葉には、どうしてもまとまらなかった。

 お金への手土産に、栄蔵は少しばかりの真綿と砂糖豆を出した。

 こんなしみったれた土産をもらって、又お金は何と云うかと、お君は顔が赤くなる様だったけれ共、何か思う事があると見えて、お金は、軽々振舞って、

 よく見て御出で、

 こんなにお君を親切にしてやったのだから。

と云う様に、頼みもしない髪をかき上げてくれたり、茶を入れてくれたりした。

 お君には、それが、いかほどか口惜しかった。

 お金が台所へ立ってしまうと、お君は父親をぴったり枕のそばに引きつけて、ボソボソと低い声であらいざらいの事を話して愚痴をこぼしたり、恨みを並べたりした。

 毎月一週間ずつ入院して、病のある骨盤に注射をしたり、膿を取ったりしなければならないので、かなりの物が入る。

 金ばなれの悪い姑から出してもらう事は、いかにも心苦しいと云った。

「そらなあ、

 お大尽はんやあらへんさかい辛うおまっしゃろとは思っとりますわな。

 けど、あんまりどっせ、

 わざと私が病んどる様に云うてなはるんやから。三度のものを一度にしても、実家うちほどええとこあらへんと、しみじみ思いまっせ。

 いろいろ下らん事で心配をかけてすまないとか、ほんとに不孝な子を持った因果とあきらめてくれ、などと涙声で云われると、却って栄蔵の方が、云い訳けをしたい様な気持になった。

 十円といくらかの銭ほかない貧乏親父をこんなにたよりにして、どうする気なんだろうとも思った。

 火ともし頃になって恭二と良吉が局から空弁当を下げて帰るまで枕元に座ったっきり栄蔵はお君のそばをはなれなかった。

 良吉は、めしの時に新らしい魚をつけろの、好い酒を燗しろのと云って居たけれ共、長火鉢の傍にそろった四つの膳は至極淋しいもので「鰤」の照焼に、盛りっきりの豆腐汁があるばかりであった。

 小盆の上に「かゆ」と「梅びしお」といり卵の乗ったお君の食事を見て栄蔵は、あの卵は今日だけなんだろうなどと思った。

 良吉は、油っ濃くでくでくに肥って、抜け上った額が熱い汁を吸うたんびに赤くなって行った。

 義太夫語りの様なゼイゼイした太い声を出して、何ぞと云っては、

「ウハハハハ

と豪傑を気取り、勿体をつけて、ゆすりあげて笑った。

 色の小白い、眼の赤味立った、細い体を膳の上にのしかけて、せっせと飯を掻込かっこんで居る恭二のピクピクする「こめかみ」や条をつけた様な頸足しを見て居るうちに、栄蔵の心には、一種の、今までに経験しなかった愛情が湧き上った。

 白い飯を少しずつかみしめながら、自分の娘のおっとの若い男の様子を静かに、満足らしくながめて居た。

 恭二の人物がいいと云うのではなし、どこがどう可愛いと云うのではないけれど、何とも云うに云われぬ、なつかしみを感じた。

 少しばかりの菜でそう長飯しの出来る筈もなく、じきにコソコソと食事が片づくと話が局の事に渡った。

 この不景気で近々人減しがあるので随分惨目なものが多いと良吉が云うと、お金は、すぐその言葉じりをとって、

「けどまあ、『うちの人』や恭二なんかは、永年お役に立ってるって云うので、そんな心配のいらない有難い身分なんですがねえ、そんな人達は、ほんとに気の毒でさあね。

 会計の方じゃあ、まあ、おとつあんが居なけりゃあと云われるし、取り締りの方では、恭二が年の割りに立てられて居るんだしするから……

 良吉は、

「広告はよせよ、

 おい、い加減にしなきゃあ、兄さんがあてられるぜ。

と云いながら、お金に油をさし、いよいよ滑らかになる女房の舌の働きに感心して居た。

 専売局に、朝から晩まで働いて家の暮しを立てて居た。

 今年二十三になる恭二にはまだ独立するだけのものは取れなかった。

 体は弱し、中学を出たきりなので、これぞと云う働きもない男に、そう十分なだけのものをくれる慈善家はこの世智辛い世の中には居ない。

 恭二は静岡の魚問屋の坊ちゃんで、倉の陰で子守相手に「塵かくし」ばかり仕て居たほど気の弱い頭の鉢の開いた様な子だったが十九の年、中学を出ると一緒に、良吉の家へ養子になった。

 良吉の妹が口を利いたので、母親がほんとでありながら、愛されて居なかったので、父親の意志で、恭二は良吉の後継者と云う事になった。

 十九にもなったものを只食わしては置けないと云うので、あらんかぎりの努力をしてようよう専売局の極く極く下の皆の取り締りにしてもらったのは、良吉のひどい骨折りであった。

 免職されない代り、目立ってもらうものが増えもしない。

 何をしても要領を得ない様な、飄箪□□なので、とげとげしたものの間を滑りまわるには却って捕えどころがなくて無事であった。

 お金が口を酸くして、勝手な熱を吹いて居る間に恭二はいつの間にか隣りの部屋に行ってしまって居た。それに気のついたお金は眉をぴりっとさせて、

「又、隣りに入ってる。

 何ぼ何だって、あんまりだらしがなさすぎる、

 ひまさえあればべたくたしてさ──

と云ってプッつり話をやめてしまった。

 良吉は只、ニヤニヤして居る。

 金にきたないくせに「やきもち」まで焼くのかと思うと栄蔵は、憎らしい気持が倍にもなって来た。

 しばらくだまり返って居たお金は、ややしばらく立ってから、真剣にお君の事についての相談をもち出してきた。

 お金は良吉でさえびっくりする様な、明細な小使町を、お君のために作って居た。

 いつなおると云うあてもない病人にかかる金の予算はもとより立たないけれ共、月に一週間の入院料、前後のこまこました物入り、薬代などのために、月二十円は余分に入るとお金は云った。

 栄蔵は、身内の事だからそうそう角だった事を云わずに、嫁だと思って、出来るだけの事をしてくれと云った。

「そうですよ、勿論。

 私は何も、一文も出さないと云うのじゃあなし、勘定書を書いて、はいおはらい下さいとも云いやしませんさ。

 けど、私だってよそに来て居るのに、先の様に用立てて居る上に又、あんまりぽんぽん血の様な金をつかっても居られないじゃあありませんかい。

 あれだって、私は一度だって、返して下さいなんて云った事はないじゃあありませんか。

 そう云われれば栄蔵の返す言葉がなかった。

 去年の中頃に、お節が長病いをした時、貸りてまだ返さずにある十円ばかりの金の事を云い出されては、口惜しいけれど、それでもとは云われなかった。

 自分が、それを返す余地がないと知って、余計に見込んで苦しめる様な事をするお金も堪らなく憎らしかった。

 話下手な栄蔵は、お金などを云いくるめる舌はとうていないので、否応なしに、お金がやめるまで、じいっとして聞いて居なければならなかった。

 話の一段落がつくと、安息所へ逃げ込む様に栄蔵はお君の傍に行った。

 若い二人は何か、笑いながら話して居た。

 苦労も何もない様にして居る二人を傍に長くなって見て居るうちに、これほど大きなものの父であると云う喜びが、腹の底から湧いたけれ共、自分の貧乏を思うと、出かかった微笑みも消えてしまった。

 恭二の顔をまじまじと見ながら、

「貴方も、この様な足らん女子に病んで居られて、さぞ辛気臭う、おまっしゃろが、

 どうぞ、たのんますさかい、優しゅうしてやって下さい。

 私が目でも見えてどしどしかせげたら、何ぞの事も出来るやろが、もう廃人なんやから、お君は、貴方ばかりをたよりにしとるんやさかいなあ。

 此女これも、親子縁が薄うおすのや。

と哀願する様にたのんだ。

 チラッとお君の顔を見て、軽い笑を口の端の辺にうかべながら、

「ええ大丈夫です、

 御心配なさらずと。

とうす赤い顔をして返事をするのを見てお君は、そうやって、たのまれてくれるのも夫なればこそ、ああやって頼んでくれるのも親だからこそと、しみじみ嬉しい気持になって居た。

 恭二と栄蔵とは、お君を中にはさんで、両側に、ねそべりながら、田舎の作物の事だの、養蚕の状況などについて話がはずんだ。

 そう云う事に暗い恭二が、熱心に、

「そうすると、どうなるんです?」

などと、深く深く問うて来るのを、説明するのが栄蔵には快よかった。

 折々、

「な父はん、私も。

などと、自分の病気についての事を云い出したい様にして居たけれ共、栄蔵は、種々な話にまぎらして、一寸の間も、いやな話からのがれて居たがった。

 お君にあれこれ云わないでも、もう心の中はその心配で、一杯になって居る。

 一升徳利に二升入らない通りに、栄蔵の心は、これ以上の心配を盛り切れない状態にあった。

 お君を迎えに田舎に行った時に会った栄蔵と今の栄蔵とは、まるで別人の様に、恭二の眼にうつった。

 急にすっかりふけてしまって居る。

 前にもまして陰気に、影がうすく、貧しげである。

 あれから、半年ばかりの間に、どれほどの苦労をしたのかしらんと、恭二は、ぼんやりと、無邪気な、子供が鳥の飛ぶのを驚く様な驚きを持って居た。

 隣の間の夫婦は、こっちに声のもれないほどの低い声で、何やら話し会って居るらしい。折々、

「フフフフフ

とか、「いやだねえ」

などと云うお金の声が押しつぶされた様に響いて来た。十二時過まで、何かと喋って居た三人は、足らぬ勝の布団を引っぱり合って寝についた。

 恭二が、じきに、フー、フーといびきをかき始めると、急に、夜の更けたのが知れる様に、妙にあたりがシインとなって仕舞った。

 部屋の工合が違うので、ゴロゴロ寝返りを打ちながらうかうかとさそわれ気味で、出て来は来ても、これからたのみに行って、金策をしてもらうべき人達を、今になって、あたふたとさがさなければならなかった。

 あの人や、この人や、栄蔵と親しくして居るほどの者は、皆が皆、大方はあまり飛び抜けた生活をして居るものもないので、勢い、同情を寄せてくれそうな人々を物色した。

 知人の中には、大門をひかえ、近所の出入りにも車にのり、いつも切れる様な仕立て下しの物ばかりを身につけて居ながら、月末には正玄関から借金取りがキッキとやって来る様な、栄蔵には判断のつきかねる様な、二重にも、三重にも裏打った生活をして居る人が沢山あった。

 書生時代の友人、同郷人、その様なものに金を借りに出かけるほど栄蔵も馬鹿ではなかった。

 散々思い惑うた末、先の内お君が半年ほど世話になって居た、森川の、川窪と云う、先代から面倒を見てもらって居る家へ出かけて見る気になった。

 けれ共、考えて見れば川窪へも行かれた義理ではない。お君が、我儘から辛棒が出来ないで、母親に嘘電報を打たせて、代りも入れないで帰って来てしまった事が、今だに先方の感情を害しては居まいかと云う懸念があった。

 物事の道理をちゃんちゃんとつけて事を定めるそこの主婦が、ふみつけにされた事に対してどう思って居るかと思うと、どうしても、厚かましく、

 どうぞ、これこれでございますから月々いくらかずつ出して下さいますまいか。

とは云えない気がした。

 あんな事さえして置かなければ、何も、こうまどわずに有り体に云ってすがられるものをと、下らない事に、さきの気を悪くする様な事をした娘が小憎らしかった。あっちこっち烏路うろついた最後は、やっぱり川窪をたのむより仕方のない事になった。

 娘に相談する気になって、

「お君起きてんか?

と云った。

「何え、父はん。

「私もな、今つくづく思うて見たんやが、金出してもらうにしろ、どいだけずつ入るんやかはっきり知れんでは、うちあかんさかいお前見つもって見てんか。さっきも、お金が云うてやが、月々二十円ずつ入るやそうやが、ほんまかい。

 若しそんなだったら、もう私の力ではどむならん。

「二十円え?

 かあはんがそう云っといしたかの。

 そんな事、あるもんどすか、

 十円も、もろうてあればようまっしゃろよ、

 何んも、偉う高えもの食べるやなし、一週間入院する『はらい』さえ出けたらええどすもの。

「そいで、入院するに、どの位入るんや。」

「そやなあ。

 下等の病気に入とるのやさかい八九円だっしゃろ、

 いろいろなものを交ぜて。

 それに、あそこの院長はんが親切なお人で、んでもやすうしとくれやはるんさかい。

「そんなら十円あれば、まあええのやな。

 そう云うわけやったらわしも、どうぞして十円ずつは出してもらうようにしよう。

「出してもらう? 誰にえ。

「月に十円ずつ出しとくれやす人はなかなかあらへんのやけど、放とくわけにも行かん故、間が悪いけど、川窪はんにいてもろうと思うとるんえ。

 外に誰ぞ、ええ人があるやろか。

「さあ。

 ほんま云えば、川窪はんへそな事云うて行かれんわなあ、父はん、

 私が、不首尾な戻り様したのやから、あの奥はんもさぞ気まずう思うといでやろから……

 でも此家こちらへ来て間もなく、挨拶かたがた詫に行たら、どこぞへ行きなはるところやったが、物を祝っとくれやして、いろいろねんごろにしとくれやはったほどやから、うちで思うとるほどでもないかもしれんが……

「な、そうきめよ、

 外にしようがあらへんやないかい。

「そうやなあ。

 恭二が、ムクムクとしたので、云いかけた言葉をお君は引こめた。

 疲れて居る栄蔵は、一寸の静けさの間にすっかり眠ってしまった。

 お君は、暗黒い中で、まざまざと彼の時分の事を思い浮べた。

 あの時は、まるで、どうも出来ないほど辛いと思って居たが、今思うと、ほんに何でもない事だったと思うと、

「姑のある家へ行ったら、なかなかこれどころではないものだよ。

と主婦がよく云って居たのに思いあたる。

 物事をよく条だてて行く、男以上に頭の明らかな主婦が、自分が今日こうやって、こんな事になやまなければならない運命を持って居ると云う事を胸の中に知って居て、

「人間は、いつどこで、どう世話になったり、なられたりするか分らないものだから、不義理はして置けないものだねえ。

と立つ朝何気なく、他の話に取り混ぜて云ったのではあるまいかとさえ気を廻した。

 自分の愚かさから、いつでも行く先へ網を張る様な事を仕出来して、お君は、淋しい、やるせない涙を、はてしない夜の黒い中に落して居た。


        (四)


 栄蔵は翌る朝早く川窪へ行くと云って、来た時の通りの装で出かけた。

 半分はもう忘れて居る道を、何としたのか沢山の工夫が鶴端をそろえて一杯に掘り返して居るので、目じるしにして来た曲り角の大きな深い溝も、御影石の橋を置いた家も見失って仕舞った。

 交番さえも見つからずに、あっちこっち危い足元でまごついて居る間に、馬子に怒鳴りつけられたり、土をモッコにのせて運ぶ十六七の若者に突飛ばされて、

「眼を明いて歩けやい。

と云われたりした。

 酒屋の御用聞に道を教わって、何年も代えない古ぼけた門の前に立った時、気のゆるみと、これからたのむ事の辛さに落つきのない、一処を見つめて居られない様な気持になった。

 大小不同の歩き工合の悪い敷石を長々と踏んで、玄関先に立つと、すぐ後の車夫部屋の様な処の障子があいて、うす赤い毛の、ハッキリした書生が、

 どなた様でいらっしゃいますか。

ときいた。

昆田こんだ」と云う誰でもが覚えにくがる栄蔵の名字を二度ききなおしてから、奥へ入って行ったがやがてすぐに客間に通された。

 あの茶色の畳の下駄を書生の手でなおされるのかと思うと、心苦しい様だし、又厚いふっくらした絹の座布団を出されても敷く気がしなかった。

 カンカン火のある火鉢にも手をかざさず、きちんとして居た栄蔵は、フット思い出した様に、大急ぎでシャツの手首のところの釦をはずして、二の腕までまくり上げ紬の袖を引き出した。

 久々で会う主婦から、うすきたないシャツの袖口を見られたくなかった。

 金を出してもらいに来ながら、下らない見栄みえをすると自分でも思ったけれ共、どんな人間でも持って居る「しゃれ」がそうさせないでは置かなかった。

 自分の前に座った此家の主婦が、あまりにいつ見ても年を喰わないのにびっくりした栄蔵は、一寸行きつまりながら、低いつぶやく様な声で、時候の挨拶、無沙汰の云い訳けをし、つけ加えてお君の詫までした。

 主婦は、気軽に、お君の身のきまったよろこびだの、総領の達も、とうとう今年は学校が仕舞いになって後だてが出来て良いなどと栄蔵を満足させる事ばかりを話した。

 大層この頃は時候が悪い様だ、お節はどうして居ると云われた時に、漸く栄蔵はお君の事を話し出した。

「同じ結核でも胸につきますよりは、腰骨についた方がよいようでございますから。

と云って、主婦を驚ろかした。

 骨盤結核だと聞いた主婦は、もう大方は限りある命になってしまったお君にひどく同情したが、肺結核より骨盤結核の方がいいそうだなどと云うほど無智な父親を又なく哀れに思った。

 お君だって、命にかかわるほどではないと、ああ云う女だから思って居るに違いないし、父親は父親で娘の病が、どう云うものかと云う事を知らずに居ると云う事が、又とない悲惨な事、惨酷な事に思えた。

 江戸っ子気の、他人のために女ながら出来るだけつくす主義の主婦は、自分に出来るだけの事は仕てやる気になって、とかく渋り勝ちな栄蔵の話に、言葉を足し足しして委細の事を云わせた。

 結局は、栄蔵の顔を見た瞬間に直覚した通り金の融通で、毎月十円ずつ出してくれと云った。

 凡そ一年も出してもらえたらと栄蔵は云ったけれ共病気の性をよくしって居る主婦は、とうていそれだけの間になおらない事を知って居たし、沢山の子供の学費、食客の扶助などで、中々入るから熟考した上での返事がいいと思って、又明日来てくれれば返事を仕様と云った。


 夕食頃に、川窪の主人が帰ると、栄蔵の話をした。

「お君だって、あんな不義理な事をした事は何と云ったって悪いには違いありませんけど、病気で難渋して居るのを助けてやるのは又別ですからね。

 親父だって、ああやって働けもしないで居るんだもの、どんなに気が気でないか知れやしませんよ、可哀そうな。

 でも月々十円は中々苦しい。

 夫婦は相談して、とにかく一月分だけは明日渡して、栄蔵の村の者へ貸してあるものがあるから、あれを戻す様に尽力してもらって、入ったものの中から出した方が相方都合がいいときめた。

「ああ云う病気は殆んど一生の病気なんですからねえ。

 それをあの男は胸につくよりはいいなどと云って居るんですもの。

 ほんとうにお君も惨めなりゃ、あの男だって可哀そうじゃあありませんか。

 田舎医者位、病気についての智識のある主婦は、いろいろ気を揉んで、どんな人にかかって居るのだろうとか、細まごました注意は姑などでとどくものではないなどと云って居た。

 お君が居た頃から今に居る女中は、

「お嫁に行ってもろくな事はございませんねえ。

 お君さんがそんななんでございますか、まあ死ぬんでございますか奥様。

と、如何にも、思いがけない事があるもんだと云う様な顔をして居た。

 終いには、

「兎に角、時候が悪いんだねえ一体に。

 お前方も、手や足を汚くして爪を生やして居るとあんな大した事になって仕舞うよ。

と、始終土間に下りて居る男の子達に注意したりして、床につく頃には、皆の頭の中にはお君の病気と云う事が僅かばかりこびりついて居るだけだった。


 又明日訪ねる約束をして栄蔵は幾分か軽い、頼り処の出来た様な気持になって、お君への草花を買うとすぐ家へ帰った。

 一番待ち兼ねて居た様な様子をしてお金は顔を見るなり飛び出した様な声で、

 どうでしたえ

と云った。

 中腰になって部屋の角へ、外套だの、ネルの襟巻だのをポンポン落してから、長火鉢の方へよって来た栄蔵はいつもよりは明るい調子で物を云った。

「まだ何ともきまらん。

 けど、奥はんが大層同情して、けっとどうぞしてやるさかいに又明日云うてやった。先の頃の事などパッキリ忘れて会うとくれやはったさかい、ほんに有難かった。

「そうだろうってねえ。

 何しろ月々十円ずつ余分に吐き出さなきゃあならないんだもの。

 いやなのは、私共みたいな貧亡人に限った事っちゃあない。

 何と云っても、金の世の中さ。

 お金は、川窪なんぞにと云う様に笑った。

「お前笑うてやが、私が川窪はんへも行かんでお前ばかりにまかいといたら困るやろが、

 ひとが、云いにくい事云うて来てんに笑うもんあらへんやないか。

 お金が口の中で、何かしきりにブツクサ云って居るのに見向きもしないで、お君の枕元へ行った。

「お帰り。

 お寒おしたろ。

 又、義母はんが、何か、やな事云うてやな、

 ほんにあかん。

 栄蔵は、娘の言葉が、胸の中にスーと暖くしみ込んで行く様に感じた。

 新聞を畳んで、栄蔵は買って来た花の鉢をのせた。

 真紅な冬咲きの小さいバラの花が二三輪香りもなく曲った幹について居る。

 お君は、それを天竺から降った花ででもある様に、ためつすがめつながめて賞めた。

 大きな声を出してお君が物を云って居るんで、お金は境の唐紙の所の柱によりかかって、親子の様子を見て居たが、二人が頭をつき合わせて一つ鉢の花を見て居て、自分は斯うやって一人で立って居るのかと思うと極く子供っぽいながら、烈しい、うらやみとねたみが湧いて来た。

 ああやって、あんなしなびた様な花さえ賞めて居るお君が、同じ口で、どれほど自分の陰口をするのか分らないと思うと、半分は自分で意識しなずに、高い声で、

 親子ほど有難いものはないねえ、

 親のくれたものだと思うと、袂糞でもおがむだろう。

と云って口の辺をヒクヒクさせた。

「姑」と云う感じが胸一杯になって居た。

 いつもなら、赤くなって、だまり返って居るお君が、力強い後楯がある様に、

「ほんにそうどっせ、

 袂糞やて父はんのおくれやはったものやと思えば有難う思うでのみますわ。

と云い返した。

「そうだろうってさ、

 お前のお父さんは袂糞位が関の山さ。

と捨白辞をのこして、パッパと隣りへ行ってしまった。

「あんまりどっせ、

 何ぼ義母はんやかて我慢ならん事云いやはる、ほんに。

 お君は、真赤になって涙をいかにも口惜しそうにボロボロこぼした。

 栄蔵は、だまって、墨色をした鉢と、火の様な花を見ながら深い思いに沈んだ。

 何故斯うやって、仲の悪い同志が不思議にはなれられない縁でむすばって居るのだろうか。

 早く、どっちかが死ねば少しはよくなるだろうのにそうもならない。

 自分からして生きたくないのに生きて居なければならないのも何故だろう。

 世の中が、平ったいものであったら、その突ぱなまで一束飛びに飛んで行って、そこから一思いに、奈落の底へ身でもなげたい様な気持になって居た。

 恭二が良吉より先に帰って来ると、お君は何か涙声でボツボツと只気休めに、養母に頭を押えられて居る力弱い夫に訴えて居た。

 気の置ける夕飯をすますとじきに疲れて居るからと云って栄蔵は床に入ってしまった。

 お君は父親を起すまいと気を配りながら折々隣の気合をうかがって、囁く様に恭二に話した。

 川窪で若し断わられたらどうしよう、東京中で川窪外こんな相談に乗ってもらう家がない。

 どうもする事が出来ずに父親が帰りでもしたら又何と云われるか分らない。

 それでなくてさえ、

「義母はんはこないだも義父はんと云うてでしたえ、

 若しお金をどむする事出けん様やったら私早う戻いて仕舞うた方がええてな。

 義母はんは、若しもの時はそうきめて御出でやはるんえきっと。

 恭二は、行末の知れて居る様な傾いた実家を思うと、金の無心も出来ず、まして、他の人達のする様にそっと母親の小遣いを曲げてもらうなどと云う事も、母の愛の薄いために此家へ来た位だから到底出来る事ではなかった。

 中に入って板挾みの目に会いながら、じいっと押しつけられて居るより仕様がなかった。

「そんな事は口の先だけなんだよ。

 何ぼ何だってそんな事が出来るわけのものじゃあないじゃないか、

 大丈夫だよ。

 義母おっかさんがよしそう云ったからって、私まで同意すると思うんかい。

「そんな事思わんけど……

 貴方やかて、血を分けた息子はんやあらへんもん、

 なあ。

「そう云えばそれまでだが……

 一っそ二人で追い出されて行くさ、

 それが一番早く『けり』がついていいじゃあないかい。

 何と云う事はなしに恭二の口から世間の味をみしめた人の様な口調でこんな言葉がすべり出た。

 別にお君をこの上なく美くしいとか、利口だとか又は可愛とかは思って居るのではないけれど、恭二の心の中には一種、他の愛情とは異った、静かな、落ついた愛情が萌えて、自分ばかりをたよりにして居る女をかばってやる事は当然自分の尽すべき事の様に考えて居た。

「自分が居る以上必してそんな事はさせない。

 恭二は、十七八の青年の様に真正直に心に思った。

 実の親子でないので余計お君の云う事ばかりが信じられて、留守の間にあれこれ厭味を云われて、わびしく啜り泣いて居るお君の姿をいじらしく想像したりした。

 けれ共、正直で気の弱い恭二は、お金の仕打があんまりだと思う様な事があっても、口に出して、

「そんな事をしてくれるな。

とは、どんなにしても云えなかった。

 何かいざこざが起ったりすると、目顔ですがるお君を見向きもしないで、めくら滅法に、床屋だの銭湯に飛び込んだ。

 そうも出来ない時には、部屋の隅にかたく座って、眼も心もつぶって、木像の様に身動きさえもしなかった。

 只、専ら怖れて居ると云う様にして居た。それだから恭二自身も、いざとなった場合、はっきり、

 私が不賛成です。

と云い切れるかどうかが疑問であったし、お君も亦、頼む夫が、ふらりふらりして居るので、余計、取越苦労や廻し気ばかりをして居た。


        (五)


 烈しい風がグーン、グーンと吼えて通る。黄色い砂が津浪の様に押寄せて来ては栄蔵の鼻と云わず口と云わずジャリジャリに汚して行く。

 ややもすれば、飛びそうに浮足立って居る、頭に合わない帽子を右手で押え片方の手に杖を持って、細い毛脛を痛いほど吹きさらされながら真直な道を栄蔵はさぐり足で歩いて行った。

 転ぶまい、車にぶつかるまい、帽子を飛ばすまい、栄蔵の体全体の注意は、四肢に分たれて、何を考える余裕もなく、只歩くと云う事ばかりを専心にして居た。

 肩や帽子に、白く砂をためて家に帰りつくと、手の切れる様な水で、パシャパシャと顔や手足を洗うと栄蔵は、行きなりお君の前に座って、懐の煮〆めた様な財布の中から、まだ新らしい十円札を出してピタッと畳に起いた。

「どうおしたのえ、それ。

 お君は、びっくりしてきいた。

「川窪はんで、今月の分にとお呉れやはったんや。

 来月は、どうなるんやか私は知らん。

「何故?

「国に貸したものがあるさかい何の彼の世話やいてもろうとる、あの役場の馬場はんと一緒になって、幾分なりと入れさせる様にすれば、それから裂いで廻してやろ云うてなはるんや。

「そいならあの新田の山岸はんの事ったっしゃろ。

 あそこの旦はんと父はんとは知合うてやもん、何でもない事ってっしゃろ。

「あの先の主人の政吉はんとは知っとるが、この頃では、東京の学校を卒った二番目の息子が何でもさばいて、あの人はもう隠居同然にしとるんやからなあ。ほらあの、父親のつけた名が下品やとか云うて自分で、何男とやら改名した人や。

 金の事になると馬鹿に耳の早いお金がいつの間にか、栄蔵の傍に座って話をきいて居た。

「川窪さんでもよくそいだけ出してくれましたねえ、

 内所がいいと見える事。

 私はきっと無駄骨だと思って居たが。

「世の中は、うまく出けたもんで捨る神あれば又拾う神ありや。鬼ばかりは居らへん。

「有難いもんですねえ。

 お金は十円札に厭味な流し眼をくれて口の先で笑った。

「けど何なんでしょう、

 それだけで一年分をすませるつもりなんでしょう。

 まさか一月分ホイホイ出す人もないだろうから……

 栄蔵は、よく丁寧に、田舎の貸金の事を話した。

 フム、フム、と鼻をならして聞いて居たお金は話が仕舞うか、仕舞わないに、

「あんた、ほんとにそれの世話を焼くつもりで居るんですか。

と短兵急に云った。

「ああ。

「お目出たいわけだ、

 返すもんですかね。返さないにきまってるから川窪さんで、返したらやろうと云ったんでさあね。

 馬鹿馬鹿しい、

 たった十円で、うまくおっぱらわれて来てさ。

「お前みたいに、何もかも疑ごうとったらきりがあらへんやないか。

 川窪はんに限って、そんな事する人は居ん。

 おっぱらわれたなんて、私は『強請ゆすり』に行ったんやあらへんよ、

 たのんで出して御呉れ云うて来たんや。

「いくら貴方ばかりそうやって力んだっておっぱらわれたに違いないんですよ、

 私なら、眠ってたってそんな鈍痴どちな真似はするもんか。

 漸う巧く見附けたと思ったらすぐポカと手放して仕舞うんだもの、

 そんなだから話のらちが明かないんですよ。

「いい加減にしよ、

 川窪はんの云いはる事なら間違いないと思うとるんやさかい、ああやって、出来にくい相談にも乗ってもろうたんやあらへんか。

 よりどこのない空世辞を並べる人とは違う、

 先代からの人を見て私にはよう分っとる。

「そいでもね、時には嘘も方便ですよ。ね、世の中を正直一方に通したら十日立たないうちに乞食になってしまう時なんですよ。貴方みたいな人の好い事ばかり云って居る人は、自分の首をちょんぎられても御礼を云うんでしょう。

 馬鹿馬鹿しい。

 ほんとに『阿呆あほらしい』ってのは、こう云う事を云うじゃありませんか。

 ああ、ああ。

 お金は、黒ずんだ歯茎をむき出して、怒鳴り散らした。

 栄蔵にも、お君にも、「今月分」として十円だけもらって来たのがどれだけ馬鹿なのか、間抜けなのか分らなかった。

 家の様子も知らないで、やたらに川窪を疑って居るお金の言葉に、栄蔵は赤面する様だった。

 ああやって心配して、気合をかけて、病気をなおす人の名や所まで教えた上、痛んだら「こんにゃく」の「パっぷ」をしてやれなどと云って呉れたあの家の主婦に対して、あまり人を踏みつけた様な言葉を吐かれる度に、裏切って居る様な感じがして居た。

「お前、そんなに川窪はんを疑うてやが、お前ならどうする積りなんえ?

「私?

 私なら、きっきと毎月出すと云う書き物でももろうて来る。

「そんな事、出来ると思うとるんか。

 人に金貸して、利息でも取り立てる様に書き物を取るなんて……

 こっちは、出してもらう身分やないか。

 一つ首を横に振られれば、二度と迫られない身やないか。

 そんな心掛やから、子も何も出来んのえ。

 早くから里子にやられて、町方の勘定高い店屋に育ったお金が、あまり金臭いので栄蔵は今更ながらびっくりした。

 一体、人なみより金銭の事にうとい栄蔵の目には、お金の実力より以上に金銭に対して発動する力の大きさ猛烈さがうつった。

 あきれて口を噤んだ兄の前でお金は云いたいだけの事を並べた。

 夜着をすっぽり被った中でお君は、妹につけつけ云われ目下に見られてされるままになって居る父親がいたわしく又歯がゆく思われた。

 いつか芝居で見た様に小判の重い包で頬をいやと云うほど打って、畳中に黄金の花を咲かせたい気がした。

 目の前に、金の事となると眼の色を変えてかかる義母の浅ましい様子を見るにつけ、田舎の、身銭を切っても孫達のためにする母方の祖母や、もう身につける事のない衣裳だの髪飾りなどをお君の着物にかえた母親が一層有難く慕わしかった。

 上気して耳朶を真赤にし「こめかみ」に蚯蚓みみずの様な静脈を表わしてお金は、自分でも制御する事の出来ない様な勢で親子を攻撃した。

「何ぼ私が酔狂だって、何時なおるか分らない様な病人の嫁さんに居てもらいたいんじゃありませんよ。若し、何と云っても自分の懐をいためるのがいやだと云うんなら誰の苦情があっても、子供のないうちにさっさと引き取らせて仕舞う。

 頭の先から尻尾しっぽの先まで厄介になりながら、いい様に掻き廻すものをどうして置くわけがあるんですい。若し、恭二がかれこれ云う様なら二人一度に出すまでの事さ。

 お君だって家にとってさほど有難い嫁さんでもないし、又恭二位の男ならどこにだってころがって居るわね。

 私は、嫁入り先をつぶす様な嫁さんは恐しくて置けないよ。

 若し始めっから潰す量見で来たんならもう少し潰しでのあるところへお輿みこしを据えたらいいだろう。

 何も二人に未練はありゃあしない。

 ああさっぱりしたもんさ、水の様にね。

 あんまり調子づいて、心にない事まで云って仕舞ったお金は、ホッとした様に溜息を吐いて体をぐんなりさせて片手を畳に突いた。

 ガリガリとかんざしで髷の根を掻いて居る様子はまるで田舎芝居の悪役の様である。

 あまり怒って言葉の出ない栄蔵は、膝の上で両手を拳にして、まばらなひげのある顔中を真青にして居る。額には、じっとりと油汗がにじんで居る。

 夜着の袖の中からお君の啜泣きの声が、外に荒れる風の音に交って淋しく部屋に満ちた。

 昨日、栄蔵の買った紅バラは、お君の枕元の黒い鉢の中で、こごえた様にしぼんでしまって居た。


 夜になっても栄蔵の怒りが鎮まらなかった。

 顔には一雫の紅味もなく、だまり返って腕組みをしたまま考えに沈んで居た。

 お君は、額際まで夜着を引きあげた黒い中で、自分が出されて国に戻った時の事を、まざまざと想って居た。

 狭い村中の評判になって、

「お君はんは病気で戻らはったてなあ、

 どうおしたのやろ。

 病気や云うても何の病気やか知れん、

 病気も、さまざまありまっさかいな。

などと、常から口の悪い、村に一人の女按摩が云うに違いない。

 そして、親達には済まない思いなどをするより今いっそ、一思いに川にでも身を投げて仕舞った方が、どれだけいいかしれない。

 お君の眼の前に、病院へ行く道の、名を知らない川が流れた。

 あの彼側の堤の木の影の方へ行って飛び込めば、橋からも遠いし、舟のつないである所からも隔って居るから見とがめられる様な事はあるまい。

 水で死んだもの特有のギーンと張り切った体が水の上にただようて居るのが見えたりした。

 義母のひどい事を長々と遺書にして、下駄の上にのせ、大きな石を袂に入れて……

 身も世もあらず歎く母親の心を思う時、お君は、胸がこわばる様になった。

 始めて目の覚めたお金奴の顔が見てやりたい。

 さっきっから渋い顔をして何事か案じて居た栄蔵は、

「私は、今夜の夜行でどうしても立って行くさかい、お前も一緒にお行き。

 こんなところに居ては気づかいで重るばかりやないか。

 な、そうしよう。

 立ちあがって、グングン上前を引っぱりながら出し抜けにそう云った。

「今夜え?

 あんまり急なのでお君はまごついた。

「ああ一刻も早い方がいいんや。

「いくら早い方がいいやかて、あんまり急やあらへんか。

 それに、まだ体が動かせんさかい。

「ほんに、

 知っとりながらついわっせてしもうた。

 自分だけは立つ積りと見えて、隅からカバンを出して、片づけ始めた。

 口を酸くしてもうせめて二日だけ居てくれなければしたい話も仕切れずにあるからと引きとめたけれ共、もう腹立たしさに燃えて居る栄蔵は、

「もう一度きめた事はやめられん。

と云い張って、どうしても聞かなかった。

 流石にあわてて居るお金夫婦を目にかけて、快い様な顔をして栄蔵は家を出た。

 出しなに、お君に、汽車賃から差し引いた一円の残り金を紙に包んで枕の下に押し込んでやって、川窪から達の事について面白くない事をきいて来た、今度来たらお前から聞いて戒めて置けと云い置いた。

 お君は別れの挨拶もろくに出来ないほど悲しがって居た。

 栄蔵の決心は幾分か鈍ったけれど自分の心に鞭打って恭二に送られて行って仕舞った。

 二人は、寒い夜道を、とぼとぼと歩きながら淋しい声で辛い話をしつづけて居た。

「哀れなお君を面倒見てやって下さい、

 私の一生の願いやさかいな。

 ほんにとっくり聞いといで下さる様にな。

 貴方さえ、しっかり後楯になっとっておくれやはれば、私は、死んだとて、安心が出ける。

 時に栄蔵の口から、お金を呪う様な言葉がとばしり出ると後には必ず、哀願的な、沈痛な声でお君をたのむと云った。

 そう云われる度びに恭二は、何とも知れず肩のあたりが寒くなって、この不具者について不吉な事ばかりが想像された。

 何故と云う事もなく、只直覚的にそう思われるのでそれだけ余計、恭二にはうす気味が悪かった。

 まさか「お死になさるな」ともむきつけに云えないので、

「どんな事があっても貴方が達者でいらっしゃらなければ……

 第一に憂き目を見るのはお君ですからね、唖でも『いざり』でも生きてさえ居れば親と云うものはたよりになるものです。

 せいぜい体を大切になさって、『達さん』の成功するのを見届ける様になさらなければつまりませんものねえ。

 いろいろな事は皆その時の運次第なんですから。

 云う方も、云われる方も、ひやっこい何となし不安が犇々と身に迫る様に感じて居た。


        (六)


 余り急に栄蔵が戻って来たのでお節は余程良い事かさもなければ此上なく悪い事があっての事だと思ってしきりに東京の模様を話せとせがんだ。

 重い口で栄蔵はお君の様態、お金の仕打、ましては昨夜急に自分が立つ動機となったあのお金の憎体な云い振り、かてて加えて達の不仕末まで聞かされて、いやな事で体中が一杯になって居ると云った。

「そらな、達も他の事で──まあ病気やなどで出されるのは仕様あらへんが、女子おなごの事務員に手紙などやって、先方の親に怒鳴り込まれて社から出された云うては顔が立たんやないか。

 今時の若い者には武士の魂が一寸も入って居らん。若し戻りよってもきっと敷居をまたがせてはならんえ。

 事によったら七生までの勘道や。

 栄蔵は、自分と同年輩の男に対する様な気持で、何事も、突発的な病的になりやすい十七八の達に対するので、何かにつけて思慮が足りないとか、無駄な事をして居るとか思う様な事が多かった。

「まあ飛んだ事呉れた。

 でも、まさか何んだっしゃろ、

 その事で、出される様な事あらへんやろなあ。

 何んしろ十三の時から手離して独りで働いて学校も出、身の囲りの事もしとるのやさかい、手塩にかけんで間違いが出ければ皆、力の足りぬ親が悪いのやさかい……

 お節は、二十二三になる頃までにはあの社で一かどの者になれる望がこの事で根からひっくり返って仕舞わないかと云う不安に、川窪でいずれそうなったら運動もしてくれるだろうが、今度の礼と一緒に念のためにたのんで置けと、まだ着物も着換えない栄蔵の前に硯箱を持ち出したりした。

 兄を兄とも思わないで、散々に罵って好い気で居るお金に対して女らしい恨み──何をどうすると云う事も出来ないで居て、只やたらに口惜しい、会う人毎にその悪い事を吹聴する様な恨みが、ムラムラと胸に湧いてお節は栄蔵を叱る様に、

「そやから、あんたもだまって云わいで置かんで、つけつけそな事云うもんやあらへん云うてやりなはればいいに。

 だまって聞いてなはるから益々図に乗ってひどい事云うのやあらへんか。

と云った。

 先の金を返さないうちは、お金はどうせああなのだと云って、栄蔵は、もう東京の話はせず、早速明日あしたから、山岸の方へ行って見なければならんと、川窪からもらって来た心覚えの書きつけだの、馬場のところへ行って相談しなければならない事などを書きとめたりし始めた。

 お節は、礼心に送るのだと云って、乏しい中から、香りの高い麦粉を包んだり、部屋の隅の自分の着物の下に置いてある、近所の仕立物を片したりして、急にいそがしくなった様に体を動かして居た。

 翌日馬場の家へ行って、いろいろの事を聞いて来た栄蔵は、その次の日からせっせと山岸の家へ足繁く往来し出した。

 役場の仕事もある事だし、複業にして居る牧牛がせわしかったりして、山岸の方へもあまりせき込んだ話はして居られないので栄蔵が仲に入った方が結局都合が好かった。

 自分の職業上、相当に位置のある家から、あまり快い感情で遇されない事は、あまり喜ばしい事ではなかった。

 始めの間は栄蔵もお節も山岸とはかねがね知り合いの間だから却って話もちゃんちゃんとまとまって行きそうに思って居たが、面と向って見ると、まるで見知らぬ者同志の話よりは、斯うした事は云い出し難かったりして思うほどの実も挙らなかった。

 それにまして栄蔵の方が幾分身分が下だと云う事も先方の心に余裕を与えた。

 山岸では二三年前に、東京の法律学校を出た息子が万事を締って、その批判的な頭で生活法を今までとは善い方にも悪い方にも改めた。

 山岸の御隠居はんと呼ばれて居る政吉は、二言目には、

「私はもう隠居なんやから、何も知らいてもらえんのえ、やや子と同じや云うてな。

 息子の大けうなるもええが、すぐ隠居はんに祭りこまれて仕舞うさかい、前方から思うとったほど善い事ばかりではあらへんなあ、ハハハハ。

戯談じょうだんにしてしまっては責任を逃れて居た。

 隠居は、川窪がそう金の事などにがみがみしない家なのを幸にして、いずれ返さずばなるまい位に思って居るので、あまり張のない栄蔵のかけ合位ではさほどいた気持にもならず、夜話しに息子と三十分ばかり相談する位の事で、これぞと云う方針などは立ててもなかった。

 若主人が家に一切の事をする様になってあまりしらなかった内幕に立ち入って見ると、父親の名で小千の金が借りてある。

 相手が悪いものではないので幾分安心はした様なものの、こんなものまで自分について居てはやりきれないと云う様に、どうしてこいだけ借りたのだと根掘り葉掘り問いただした。

 裁判官にきかれる様な気持になりながら栄蔵は、急に入用になった事業上の金と、東京に月に二度ずつ出て居るうちに出来た下らない引っ張りの女の始末をつけるために借りた事を云って仕舞った。

 そんな訳なので、息子の云い出さないうちは此方こっちからその事を云い出すのも何と云う事はなしてれ気味なので、余計ずるずるになるばかりであった。

 四五度足労をして、もう隠居に話しても仕様がないと思った栄蔵は、若主人に、細かくいろいろの事を話して、東京の川窪から智恵をつけられた通り、川窪自身が非常に差し迫った入用があって居る様に話した。

 若主人は、山岸家と書いた厚い帳簿──それもこの人が新らしく始めたのを繰りながら、

「いいや何、何ですよ、

 貴方が今御話しなすった様な事情があったにしろ又なかったにしろ、川窪さんにあれだけのものを御返しするのは義務なんですから、

 必ず何とかします。

 何しろ、義務がある以上は当然の事なんですからなあ。

 いやに老練な法律家の口振りを真似た様な、体につり合わない声や言葉で云った。

「必ずどうかする」と云った言葉を手頼りに、栄蔵はせっせと、鼻つまみにされるほど通って居た。

 もうこうなっては根の強い方が勝つんやから。

 栄蔵は、根くらべをする気になって居た。

 義理がたい栄蔵は、ちょくちょく東京へ手紙をやっては、思い通りの結果が上らなくてすまないとか、気の毒だとか云ってやった。

 栄蔵が、畢生の弁舌を振っても、山岸の方へは何の効力もなかった。

 あまり話がはかどらないので、仕舞いにはお金の云った事がほんとうであったのかもしれないと思う様になったりした。

 途方に暮れて、馬場へも、度々栄蔵は出かけて行って二人で出かけて行った事もあったけれ共、いつも、変にパキパキした山岸の若主人の口の先に丸められて居た。

「ああなまじ法律を喰いかじった人は、なみなみの手では行かれんもんでなあ。

 あの人は、なかなかうまい事考える。

 証書を反古にするつもりで年限などを忘れさせる様にしとるんや。

 東京の方へも云うてやって、委任状もろうて、証書の書き換えをさせんならん。

 なあ栄蔵はん、

 この村も、金臭くなって仕舞うた。

 はたして、もう一寸の間で、証書が口を利かなくなりかけて居た。

 馬場と栄蔵は、その書き換えにも相当骨を折った。

 証書は書き換えても、かんじんの金のしがくは何もしなかった。

 お金はお金で、時々太い、うねうねした文字で、

 あなたの御手ぎわで、さぞその方の話はうまく出来る事と存じ候。

 こちらも先だっての金は、とうに、ちっともござなく、御承知の事とは思いますが、近い内に、あとの金を御送り下され度候。

などと云う葉書をよこしたりした。

 いかにも人を馬鹿にした云い草や又、あまり見っともいい事でもないのにむき出した葉書でなぞよこすのがたまらなく気にさわった。

 一人ほか居ないこの村がかりの郵便配達が、さぞ可笑しい顔をしてあの一本道をよみよみ持って来た事だろうと思うと、他人に知られずにすむべき内輪の恥がパッと世間に拡がった様な気がして、居ても立っても居られない様になった。

 早速、その返事のかわりに、

 あんな事を葉書でよこす馬鹿が何処にあるなどと云ってやったりした。

 お君からの手紙は、事々に親を泣かせた。

 辛い事を堪え堪えして居る様子が、たどたどしい筆行きにあらわれて、親の有難味が始めて分ったなどと書いてあった。

 お君の手紙のつくたびに栄蔵は山岸の方の話をあせった。

 けれ共、小意志の悪い若主人は、栄蔵があせればあせるほど、糞落附きに落ついて口でばかり法律臭い事を云って、折々は却って栄蔵の方がおどかされて帰って来る様であった。


 栄蔵は、日暮方から山岸に出かけて、帰途についたのはもう日暮れ方であった。

 田圃道をトボトボと細い杖を突いて歩いて行った。

 あの小意志の悪い若主人が机を前にひかえて、却って栄蔵をせめる様な口調でいろいろ云う様子を思いながら、遠くの方の森の上を見ながら歩いた。

 寒い風が、浪の様にドーッと云ってかぶさって来る。道の両側の枯草が、ガサガサ気味の悪い音をたてて、電線がブーン、ブーンと綿を打つ時に出る様な音をたててうなる。

 何の曲りもない一本道だけに斯うした天気の日歩くのは非常に退屈する。

 いつもいつも下を見てテクテク神妙に歩く栄蔵も、はてしなく真直につづく土面を見あきて、遠い方ばかりを見て居た。

 五六軒ならんだ人家をよぎると又一寸の間小寂しい畑道で、漸くそこの竹籔の向うに、家の灯がかすかに光るのを見られる所まで来て、何となし少しせいた足取りで六七歩行くと、下駄の歯先に何か踏み返してあっと云う間もなく、ズシーン、いやと云うほど尻餅をついてしまった。

 只ころんだだけだと思ってフイと起き上ろうとしたがどうしても腰が切れなかった。

 二三度試みて居るうちに、頭の中央と亀の尾の辺が裂けそうに痛んで来た。

 片手に杖を握り、片手に額をささえて両足を投げ出したまま痛みの鎮まるのを待った。

 町に出るものもなし、子供も食事に引き込んで居て栄蔵の周囲には、小鳥一羽も居なかった。

 冷い風が北から吹いて来て土面について居る脚や腰を凍らす様にして行く。

 痛さは納まりそうにないので、体の全力を両足に集めて漸く立ちあがり得た栄蔵は、体を二つに折り曲げたまま、額に深い襞をよせて這う様にして間近い我家にたどりついた。

 土間に薪をそろえて居たお節は、この様子を見ると横飛びに栄蔵の傍にかけよって、

「まあどうおしたのえ。

と云うなり手をとって土間を歩かせ大急ぎで床を取ってやすませた。

「ま、ほんにどうおしたのえ、

 ころびやはったんか。

「何か踏み返してころぶ拍子に強く亀の尾を打ったらしい。

「亀の尾は、悪所やさかい。

と云って居る間にも痛みと熱は次第に高まって行った。お節は額と打ち身の所に濡れ手拭をのせて足をさすったり、手を撫でたりして居たが、手にさえ感じられる熱の高さにびっくりして医者を迎えに行ってもらうために、一番近い家まで裾をからげて走って行った。そこの若い者に用向を話すとすぐ、年を取った女と思えない早さで我家に走り帰った。

 小一時間たってから使の若者は医者を連れて来た。立居振舞が如何にも大風で、鳥なき里のこうもりの人望を一身に集めて居る医者は、ゆっくりゆっくり、亀の尾を打った拍子にひどく脳に響いて熱が出たのだからそう大した事はないと云って下熱剤を置いて行ってしまった。

 火の玉の様になった栄蔵のわきで手拭を代える事を怠らずに、お節は二夜、まんじりともしなかった。

 四日五日と熱は一分位ずつ下って、十日目には手にも熱く感じない様になってお節は厚く礼を述べて借りて居た計温器を医者に返した。

 一日一日と頭ははっきりして行ったけれ共手足の自由がきかなかった。

 お節は、筋がつれたのだと云って居るけれ共栄蔵はもっと倍も倍も重く考えて居た。

 亀の尾を打った者は、打ち様によって死んで仕舞う位だからきっと、躰を動かす働きが頭の中から悪くなってしまったのだろうと思った。

 盲人だと云ってもいい位の体の上にまたこんな事になられては、生きて居る甲斐がない。栄蔵は、絶えず激しい不安におそわれて、自分の居る部屋の隅々、床の下、夜着のかげに、額に三角をつけた亡者共が、蚊の様な声をたてて居る様に感じて居た。田舎医者は、四肢の運動神経に故障の出来たわけが分らなかった。

 今日はよかろう、明日はよかろう、夫婦ともそれを空だのみにして居たけれ共十日二十日と立つ中にそれも絶望となってしまった。

 奈落のどん底に突落された様な明暮れの中に栄蔵は激しい肉体の悩みと心の悩みにくるしめられた。

 打ったところが、何ぞと云っては痛み、そこが痛めば頭の鉢まで弾けそうになった。

 何かして、フト手の利かない事を忘れて、物を握ろうとなどすると平にのばした腕には何の感覚もなく一寸動こうともしないのに気がつくと、血の出るほど唇をかんで栄蔵は凹んだ頬へ大粒な涙をボロボロ、ボロボロとこぼした。

 家の行末を思い、二人の不幸な子の身を思い、空しい廃人となって只、微かな生を保って居る自分を想いして、あるにもあられぬ思いがした。

 運命の命ずるままに引きずられて、しかも益々苦痛な、益々暗澹たる生活をさせられる我身を、我と我手でなます切りにして大洋のあおい浪の中に投げて仕舞いたかった。

 始めの間は、家、子供、妻と他人ひとの事ばかり思って居た栄蔵は、終に、自分自身の事ばかりを考える様になった。

 出来るだけ早くこの辛い世間から抜したいと希う心、早く、無我の世界に入りたいと望む心が日一日と深くなって行った。

 めっきり気やかましくなった栄蔵に対してお節は実に忠実に親切にした。

 こう云うのも病気のため、ああ怒るのも痛みのため、お節の日々は、涙と歎息と、信心ばかりであった。

 気の荒くなった栄蔵は、要領を得ない医者に口論を吹かける事がある。

「一寸も分らん医者はんや、

 私はもう貴方の世話んならんとええ、

 どうせなおらんものに、金をすてて居られんわ。

 さ、さっさとお帰り、

 もう決して世話んならん。

 五六度医者といやな思いを仕合って栄蔵はたった一人の医者からはなれて仕舞った。

 腰と首根と手足の附け根に、富山の打ち身の薬が小汚くはりつけてあった。

 一月ほど立って手は上る様になったが指先が利かなかった。

 三度の食事の度んび、栄蔵はじれて涙をこぼしたり怒鳴ったりした。

 栄蔵の体はいつとはなし衰弱して来た。

 手足がむくんだり、時に動悸が非常にせわしい事などがあったけれ共、お節は元より栄蔵自身でさえ心臓が悪くなって居ると云う事は知らなかった。

 今はもう只一人の相談相手の達に一寸でも来てもらうより仕様がないと思って、お節は人にたのんで今度の事をこまごまと書き、

「私もたった一人にて、何とも致し様これなく候故、何卒、十日ほどの御暇をもろうて一度帰って来て御くれなされ度。

と云ってやった。


        (七)


 返事をよこさないで「達」は四日目の朝戻って来た。

 あちらに勤める様になってからまだ一度もつづけて暇をもらった事がないので快く許してもらえた事を話し肩に掛けて来たカバンの中から肉のかんづめやら西瓜糖やらを出し、果物のかなり大きい籠まで持って来た。

 お節は一言云っては涙をこぼして居た。

 隣りで、「達」の声を始めて聞いた時栄蔵は、顔に血がのぼるほど一種異様な感じに満ちた。非常な喜びが心の中をはね廻りながらその陰には、口に云われない不快な感じがあった。

 その不思議な感情を押えるために達が入って来た時栄蔵は、額をしわだらけにして目をつぶって居た。

 父親が眠って居るのかと思ってそうっとまた出て行こうとする達を、

「達か、

 戻ったんか。

と呼びとめた。

 思いがけなかったので、達は少しあわてながら又元に戻って、

「只今。

 どんななんですか、

 おっかさんに手紙をもらったのでびっくりして来ました。

と云って父のげっそりとして急に年とって見える顔をのぞいた。

「ほんにそうなんか、

 出されて戻ったんやないか。

 達は真赤になって、母親に話した通り父の納得なっとくの行くまで弁解した。

「そうか。

 そんならいいけど、

 先達っての事があるさかいな、

 気をつけんといかん。

 栄蔵は、機嫌をなおして達の持って来たリンゴのさくさく舌ざわりのいいのを喜んで、お節の止めるまで食べた。

 リンゴを食べながらも栄蔵は、どうしても達が只戻ったのではなさそうだと想った。

 いかほど考えても一週間十日の暇のもらえる筈もなく、お節が来いと云ってやる筈もない。

 彼は巧く私を胡魔化す積りと見える。

 どう考えてもそうとしか思えないので、栄蔵はわざわざお節にお前ほんとに手紙で来いと云ったのかと尋ねたりした。

 お節も保証したけれ共栄蔵には解せなかった。

 達の若々しい体をながめながら一つ事ばかりを思って居た。

「お前ほんに大丈夫なんか。

 夜になるまで四五度尋ねて、

 お父さんどうしてそうなんです、

 そんなに気になるならきいて御やりなさい。

と云われるほどだった。

 その次の日から、一つ寝返りをうつにも若い男のゆったりした腕が、栄蔵の体の下へ入れられ、部屋の掃除などと云うと、布団ごと隣の部屋へ引きずって行く位の事は楽々された。

 お節はこの力強い手代りをいかほどよろこんだか知れない。

「ほんにお前もいい若衆に御なりや。

 惚れ惚れと鴨居に届きそうに大きい息子の体を見てお節は歎息する様な口調で賞めた。

 たまに見る息子は非常に利口に、手ばしこく、物分りがよく見えた。

 ちょくちょく見舞いに来る者共に一々達の事を吹聴して、お世辞にも、

「いい息子はんを御持ちやから貴方はんも御安心どすえなあ。

 年を取っては、子のよいのが何よりどすさかい。

と云われればこの上なく満足して居た。

 悲しい中にも後楯を得たお節は、前よりも一層甲斐甲斐しく何でも彼でもきり廻した。

 栄蔵は、今まで、自分の心にこんな感情があるとは夢にも思わなかった或る感情に悩まされ始めた。

 胸の張った、手足のすらりとし高い、うす赤い達の体が自分の傍にあると非常な圧迫を感じた。

 一つ毎に、白い三日月みかづきのついた爪、うす紅の輪廓から、まぼしい光りの差す様な顔、つやつやしい歯、自分からは、幾十年の前に去ってしまった青年の輝やかしさをすべて持って居る達を見る毎に押えられないしっとが起った。

 親として子の体を「やきもちやく」と云う事は実に有得ない事である。

 けれ共衰弱しきって居る栄蔵には、前後の考えもなく只、うらやましかった。

 斯う力強いものが目の前にあると余計自分の命が危くなる様で、なるたけ、そばによせつけなかった。

 何が気に入らないか教えて呉れと達が云っても返事もせず、体を動かしてもらう時、少し下手だと云っては、物も云わず、平手で達の手や顔を打った。

 もうむずかしいと思えばこそ達はその病的な叱責にあまんじて居た。

 達は、父の不快の原因をいろいろと考えたけれどもまさか、自分の肉体が、父の感情を害して居るなどとは思いつき様もなかった。

 発作的に息子を打って、そのパシッと云ういかにも痛そうな音をきくと、始めて我に帰った様になって、口をキーッと結んで打たれるままになって居る息子を見て涙をこぼす事があった。

 お節は、疑がとけないであの様にするのだろうと思っていろいろ達のために云い解きをしたけれ共、

「そな事、よう分っとる、

 云わんとええ。

と云ったきりである。

 三人各々異った心の中に住んで、深い夜にこめられた様な明けくれがつづいた。

 達は、自分が何のためにこんな辛い日を送らなければならないか分らなかった。

 父親に喜ばれ様とこそ思え、あんなに目の仇の様にされ様とは夢にも思わなかった。

 四五日すると達は、そうと母親に、

「父さんは、僕の来たのがいやなんですねえ、きっと。

 だから僕はもう明日あたり帰りましょう、

 居ても何にもならないから。

と云った。

 けれ共、母親は、どうぞ居てくれとたのんだ。

「そら私も、お前の心は察します。

 わざわざ優しくしてお呉れのにあんなひどくおしやはる心が一寸も分らん。

 けど一寸の辛棒やさかいな、

 大きい声や云われんが、

 今度の病気が父はんの一番おしまいの病気かもしれへんさかいな。

 私を可哀そうや思うたら、父はんとけ行かずといいから居とっておくれな。

 泣きながら母親にすがられて達は、「それでも」とは云われなかった。

 栄蔵は、細い弱々しいお節ばかりを傍によんで置いて夜もろくに眠らせなかった。

 達は大抵の時、隣の間で、ぽつねんと粥の番をしたり本を読んだりして居た。


        (八)


 栄蔵が東京へ行く時に、大抵の金は持って行ってしまった後へ、思わぬ事が持ちあがったので、お節はこまこました物入りにいろいろ苦しい工面をして居た。

 けれ共、達は、自分が貯金から出して来た三四円の金を皆、お節にあずけて、帰る旅費だけあればあとは勝手にしてよいと云った。

 始めの間は、息子が自分の力で得たものを親の身として貰う事は出来ないとかたく心にきめて居たが、やはりいつとはなし心がゆるんで、ついついそれももうなくなって仕舞った。

 栄蔵に云わないわけにも行かないのでお節は辛いのを押して夫にすべてを打ちあけた。土間の入口にある桐を売ると栄蔵は云った。止めてもそれより外に策がないのでお節も渋々同意して達を木屋の政と云う男を呼びにやらせた。

 木屋の政の悪商法を知らないものはなかったけれ共その男の手を経なければ一本の木も売る事はむずかしかった。

 翌日の夕方政はやって来た。

 絹の重ね着をして、年よりずっとはでな羽織を着、籐表ての駒下駄を絹足袋の□にひっかけて居る。

 強い胡麻ごま塩の髪をぴったり刈りつけて、額が女の様に迫って頬には大きなきずがある政の様子は、田舎者に一種の恐れを抱かせるに十分であった。

 栄蔵の枕のわきに座って、始めは馬鹿丁寧に腰を低くして、自分の出来るだけは勉強しようの、病気はどんな工合だなどと云いながらそれとなく家内を見廻して、どうしても今売らなければならない羽目になって居る事を見きわめる。

 そして彼特有のずるい商法が行われるのである。

 栄蔵は、木なりを見て来た「まさ」に、年も食って居る事だし、虫もついて居ないのだから、やすく見つもっても七八十円がものはあると云った。

 仔細らしくあの枝を見、この枝を見して「政」はこの木はどう見ても、三四十円ほか値打ちがないと云い張った。

 この木の肌を見ろの、枝の差しぶりを見ろのと立派な理屈──「栄蔵は木なりを見る目が利かない男だ」をならべたてて、私が出来るだけ出して五十円だと云い切った。

「それに何ですよ貴方、

 町方なら斯う云う木もどんどん出ましょうがここいらではそう行きませんからねえ。

 何年ねかして置くかしれないものを、まあいわば、永年の御したしずくでいただくんですから。

 三四十円のものを五十円で手を打ちましょうと云うのは、非常に商売気をはなれたこってす。

 それでおいやだったら御ことわりです。

 これだけ云って政は、煙草をスパスパふかして一言も口を開かない。

 五十円などとはあまりの踏みつけ様だ、いくら自分が目利きでないからって、これ位の事は分ると栄蔵は上気のぼせた顔をして反対した。

 それなら、今売るのをやめて、どっかからそれより高く買う男の来るのを待ってらしったらよかろう。

と意志悪く、政は帰る様な気振りを見せたりした。足元を見こんで、法外な事はしないがいいと栄蔵は怒ったけれ共、冷然と笑いながら、

「人の足元を見ないでいい商売は出来ませんやね。

と云った。そしてとうとう桐は五十円で落されてしまった。

 紫の雲の様に咲く花ももう見られないと達は、その木の下で、姉と飯事をした幼い思い出にひたって居た。

 政が帰ってからも栄蔵は非常に興奮して耳元で鼓動がするのを感じて居た。

 お節を前に置いて栄蔵は、政を罵って居るうちにフトお節の懐に何か手紙の入って居るのを見つけた。

「何んやお前の懐に入っとる手紙は、

 早うお見せ。

 お節は、ハッとして懐を両手でしっかり押えた。

 そして震える声で、

「貴方お見なはらずといい手紙なんやからな、

 達によませて事柄だけきかせまっさかい。

と云ったけれ共、栄蔵はきかなかった。

 どうしても見せろと云ってきかないのでお節は仕様事なしに封を切って、始めから、栄蔵の方へ向けて繰りひろげて行った。

 お金のところから来た手紙はこれまで一つもあまさず皆、針箱の引出しの中に入れて見せなかったのにこればかりは、政が来て居たのにまぎれて懐になど入れて置いて……

 取りかえしのつかない事をして仕舞った。

 お節は、半切れの紙に、色の変って行く栄蔵の顔を見て目をあいて居られなかった。

 しまいまで読み終るといきなり破れる様な声で、

 馬鹿!

 馬鹿野郎、

 人が病気で居ればいい玩具や思うて勝手な事云うてさいなみ居る。

 出したけりゃ早う、夫婦共に出すがええ、

 人でなし。

と云った。

 お節は涙をボロボロこぼしながら、

 マアマアそう云わんで。

と云ったけれ共、そんな事は何にもならず、息を弾ませて、ハアハア云いながら、床の上にバターン、バターンと手や足を投げつけては、大声で早口に、ふだんの栄蔵にはさかさになっても出来そうにない悪口を突いた。手を押えてしずまらせ様とした達は、拳で顎をぶたれて痛さに涙を一杯ためながら、あばれるにつれて身をかわしながら手を押えて居た。

 ウウウウ

 ハアハア

 胸はひどく波打って居た。

 覚えとれ、鬼め。

 ほんにほんに憎い女子おなごやどうぞしてくれる、わしは子供の時からお主にひどい目に会わされてる。

 断片的に、上ずった声で叫んだ。

 その恐しい様子に手の出し様のないお節は顔をそむけて自分の不注意から出来たこの事を悔む涙にむせんで居た。

 ながい間、あばれた栄蔵は疲れた様に次第にしずまった。

 少しの砂糖水をのんだ後は、近頃に珍らしい大きないびきをかいて眠りに入った。

 お節は涙の中にそのいびきをきいてかすかな微笑をもらした。

 あばれた御かげで疲れやしたんやろ、

 明日はけっとようなりやすやろなあ。

 お節は涙を拭いて音をたてずにあちこちと物を片づけ土鍋に米をしかけてゆるりと足をのばした。

「ほんにまあ、珍らしい事やなあ。

 今日が楽しみや。

 達も、顎の痛さを忘れるほど軽い気持になった。

 自分は次の間に、お節は父親のそばに分れて部屋を暗くすると二人ともが安心と疲れが一時に出て五分とたたない中に快さそうな寝息をたてて居た。

 翌朝いつまでも栄蔵は起きなかった。お節があやしんで体にさわった時には氷より冷たくこわばってしまって黒い眼鏡の下には大きな目が太陽を真正面に見て居た。

底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社

   1981(昭和56)年1225日初版

   1986(昭和61)年320日第5

初出:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社

   1981(昭和56)年1225日初版

入力:柴田卓治

校正:土屋隆

2008年925日作成

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