病む子の祭
新美南吉
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母
長男
長女
次男
三男(病気の子)
岡のふもとの竹やぶにかこまれた小さい家。
母親が子どもたちに祭の晴着をきせている。
花火の音。笛、太鼓のゆるやかな、かすかなはやし。
母 よごすんじゃないよ。いつもの着物とちがうんだからね、土塀にもたれたり、土いじりしちゃいけないんだよ。それから、袖ではなをふいたりしないでね。ふところから鼻紙を出してはなをかむんだよ。
長男 ごわごわするなあ、この着物。
母 いい着物だからさ。ほらいいにおいがするでしょう。
長男 薄荷みたいにすうっとするね。ぼくなんだか、心が軽くなったみたいだ。わくわくするなあ、さあ早くいこうよ。
母 そんな大きな声をたてるんじゃないよ、よし坊が目をさますから。よし坊が目をさましたら、またつれてってくれってきかないから。
長女 おっかさん、よし坊がなにかいってますよ。むにゃむにゃって、目をつむったまま、いってますよ。
母 目をさましたのかしら。そうじゃないわ。なにか夢でもみたのよ。
長女 なんの夢、みたんでしょう。病気がなおって、たこをあげてる夢かしら。よし坊は、しょっちゅう、たこをあげたいっていってたから。
長男 それからね、こまもまわしたいって、いってたよ。
次男 きのうぼくに、竹馬にのりたいって、いってたよ。
長男 ぼくたちがすること、よし坊は、なんでもしたいんですよ。病気のくせしてね。かあさん。
母 よし坊は、みんなといっしょに、なんでもしたいんですよ。
長女 そうよ、かあさん。学校へもいきたいんだって。よし坊をよくいじめた酒屋の三ちゃんがいてもいいのってきいたらね、三ちゃんがいても、学校へいきたいって。もう三ちゃんは、よし坊をいじめやしないってさ。
次男 そんなことあるもんかい。三太はだれでもいじめるんだよ。ぼくたちは同級だからいじめないけど、年下のものならだれでもなかすんだ。帽子をとりあげたり、堤の根方におしつけたり、するんだよ。
長女 でもね、よし坊は栗の実をポケットにいっぱい持ってって、三ちゃんに、もういじめないでねって、あやまるんだってさ。よし坊はとても外に出たがるのね。
母 そう、外でみんなと遊びたいのさ。でも病気だからいけないのですよ。病気がこの子にとりついていて、いかせないんですよ。病気ってどうしてこんな罪もない子にとりつくのでしょう。
長女 おかあさん、よし坊はずいぶんやせたね。手なんかむぎわらみたいね。
長男 頭もあや子のゴムまりくらいだ。
次男 きのう、帽子がかぶりたいっていったからね、ぼくが柱からはずしてきてかぶせてやったら、すこすこしてたよ。目までかぶさっちゃって、とてもおかしいんだよ。
母 さあ、たあちゃんはもうこれでいいのよ。こんどは、あや子。あや子にはどの着物がいいかね。
(たんすをあける)
長女 あたしは、唐ちりめんがいいわ。ほら、つばきの花の。
母 つばきの花のって?
長女 おとうさんのお葬式んとききたのよ。あたしよくおぼえててよ、こっちの肩のとこに、つばきの花がふたつかさなってたわ。こうするとよく見えるのよ。花のにおいがかげるくらいのそばに。
母 ああ、これだね、まだきられるかしら。
(女の子きる)
母 すこし短いわね。むりもないね、あれから、もう四年になるんだから。
長女 これよ。あたし、この着物とても好き。ほらね、かあさん、この肩んところに花があるでしょう。お葬式でお墓にいったときにね、あたしが叔父さんや叔母さんたちの間で立ってたら、白いちょうちょうが舞ってきて、あたしの肩のこの花にとまったのよ。あんときあたし、おとうさんがなくなって、悲しくってないてたわ。
母 こっちいおいで。ぬいあげを下ろしてあげます。おや、なにか落ちましたよ。ねずみのふんみたいなものが。
長女 あらいやだ。それ、おしろいの実よ、おかあさん。
母 どうして、そんなものがはいってたの。
長女 おしろいの実をしまっとくとね、色が白くなるんだって、みんながいうんですよ。
母 おやおや。
長女 それから美しくなって、みんながお嫁さんにもらいにくるんだって。
母 あきれた子だね。
次男 あんなこと、うそだね、かあさん。鯉ちゃんとこのねえさんはね、まえだれにいっぱいあつめてったけど、ちっとも白くならないね。いまでもまっ黒だ。
母 どこでそんなに、おしろいの実をとるの。
長男 めくらのおじいさんの庭から、とってくるんですよ。おばあさんがいるときはね、火箸を持って追っぱらうもんだからね、ばあさんがいないときに、女の子たちは、とりにいくんです。
長女 あら、あたしはそうじゃなくってよ。あたしは、おキンちゃんのとこでいただいたのですよ。
長男 あや子のこといってやしないよ。他の子のことだよ。そうするとね、かあさん、おじいさんは目が見えないでしょう。だからみんなが、おしろいの実をとっても知らないで、犬が庭にはいったかなって、いってるんですよ。
長女 あたしは、そんなこと一ぺんもしやしないわ、かあさん。
母 そんなことしてはいけませんよ。でも女の子って、そんなに色が白くなりたいのかしら。(笑う)
(このとき、次男の着つけも終わる)
(花火の音がする)
長女 あら、びっくらした。
次男 でかいなあ、いまのは、二尺かもしれないよ。
長男 地ひびきがしたよ、表のつばきの花が落ちたよ。
長女 あたし、こわいわ、花火なんて。みぞおちのとこがどきんどきんするわ。
次男 臆病だよ。すずめみたいだよ。さっき表で見たらね、かあさん、すずめが花火のはじけるたびにとびたって、裏山の方へ逃げてったよ。もう村には、一わもいやしない。
長男 さあいこうよ。かあさん、おこづかいは。
母 さあ、たあちゃん、次郎ちゃん、あやちゃん。みんな二十銭ずつですよ。落とさないように、気をつけてね。花火やなんかつまらないものや、氷のものは、買っちゃいけませんよ。
次男 かあさん、ぼく、靴にあながあいてるから、よし坊のをはいてっていい?
母 もうあんたは、あなをあけちゃったの、まだ、こないだ買ったばかりじゃないの。
次男 だって、あながあいちゃったんだもの、ぼく知らないや。
母 うそおっしゃい。なにかわるさしたんでしょ。あなたの顔に書いてあります。うそをいう子は、顔が赤くなるからすぐわかります。さあどうしたか、いってごらんなさい。
次男 けんちゃんがわるいんだよ。
(泣きだす)
母 ないてもゆるしませんよ。さあ、男の子はなんでも正直に、男らしくいうもんです。
次男 けんちゃんがレンズを持ってきて、黒いもんならなんでも燃えるから、やってごらんっていったから、ぼくうそだと思って……。
母 それごらんなさい。あなたは、そんなことをするんです。
次男 だって、けんちゃんが……。
母 そらまたもうひとつ。あんたはわるいことをしたうえ、ひとに罪をなすりつけるのね、ふたつもよくないことをしたんですよ。そんな子はもう、おかあさんの子じゃありませんよ。
長女 ごめんなさいって、あやまりなさいよ、次郎ちゃん。
次男 かあさん、ごめんなさい。
母 もうこれから、そんなことするんじゃありませんよ。お家はお金持じゃないんですからね。まずしいお家では、みんなが、品物をだいじに使わなきゃ、いけないんですよ。
長男 おそくなるからもういこうよ。もうみんな、お宮へいってるよ。
母 よし坊ちゃんのお靴、おまえにはけるのかい?
次男 うん。
母 じゃあ、あれをはいてらっしゃい。
長女 あ、よし坊が目をさました。
(みんな病気の子の方を見る。沈黙)
三男 にいちゃんたち、どこへいくの?
(母親、目顔で祭にいく子どもたちにだまっておいでと命ずる)
母 にいちゃんたちはね、学校で式があるので、いかなきゃならないんですよ。
三男 うそいってら。
母 うそじゃありませんよ。お昼からね、校長先生のお話があるのさ。
三男 かあさん、うそいってるよ。顔見ると、ちゃんとわからあ。
母 あら、この子は。
三男 ぼく知ってら。にいちゃんたち、祭にいくんだよ。ね、そうでしょう。ぼくいま夢を見たの。去年の祭にきた猿まわしとね、ぼく、菜種畑ん中でいきあったの。去年はね、お猿が一ぴききりだったでしょう。今年はね、そのお猿と赤ん坊の猿と二ひきできてるの。ぼくが菜種の花をちぎってなげてやったら、大きな猿が、とてもじょうずにうけとってね、小さいお猿に半分ちぎってやって、パクパクたべてったよ。
母 そう、それはよかったね。にいちゃんたちはじき帰ってくるからね、よし坊ちゃんはかあさんとお家で待っていましょうね。
三男 いやだい。ぼくもいくんだ。
母 そんなこと、いうもんじゃありません。起きちゃいけませんよ。お医者さんがおっしゃったでしょう、じっとしてなきゃ、病気はなおらないって。
三男 いやだい。ぼく見たいんだ。猿まわしやお芝居が。
母 お病気がなおったら、町へつれてって映画を見せてあげるから、きょうはおとなしくかあさんと待ってましょうね。そのかわり、ねえちゃんにいいものを買ってきてもらいましょう。よし坊ちゃん、なにがほしいの。
長女 絵本買ってきてあげましょうか。
三男 いやだい、ねえさんのばか。
母 そんなにあばれちゃいけません。お腹がまたいたくなりますよ。さあ、おとなにしてましょうね。
次男 もういこうよ。
(靴をはきかかる)
三男 あ、次郎ちゃんは、ぼくの靴をはいてる。いやだい、いやだい。ばか、ばか。
母 あのね、よし坊ちゃん、あんたにはもっといいのを、買ったげるからね。
三男 いやだ、いやだ。次郎、ばか。かあさんばか。みんなばか。
母 そんなにさわいじゃいけません。ほうらごらん、こんなに汗が額に出て。顔が青くなりましたよ。次郎ちゃん、じゃあきょうは、あんたのお靴はいてらっしゃい。
次男 だって、よし坊はもうはかないんじゃないの。
三男 次郎ばか、次郎ばか。
母 あんたまで、そんなことをいうのね。みんなでかあさんをいじめるんだわ。いいよ、かあさんをそんなにいじめると、早くしわがよっておばあさんになって、死んじゃうから。
次男 ぼく、そんならじぶんのをはいてくよ。さあいこう、にいさん。
母 危いとこへいくんじゃないよ。花火やよっぱらいのそばにいっちゃ、いけませんよ。そして、暗くならないうちに帰ってくるんですよ。
長男次男 うん。
長女 じゃ、よし坊ちゃん、いいもの買ってきたげるから、待ってらっしゃいね。
三男 やだい。ねえちゃんもいくの。ねえちゃん、いっちゃいやだ。
長女、戸口のところで思案する。
長男、次男、出ていく。
母親、身ぶりでいきなさい、と長女に命ずる。
長女出ていく。すると、病気の子がまた「いやだ、ねえちゃんいっちゃいやだ」とさけぶのでいきかねている。
母は早くおいきと身ぶりで示す。ついに長女はすがたを消す。
病める子、急になきだす。
母 さあ、なかないで、よし坊。ねえさん、じき帰ってきてくれるからね。おまえは、いい子だから、かあさんのいうことをきくんですよ。さあ、おとなしくねんねしましょう。そのうちにおはやしが、この辺までやってきますからね。いいでしょう、よし坊、おまえのすきな笛や太鼓がやってきますよ。
三男 うそだい。おはやしなんかここまできやしないや。塩屋さんとこまできて、あそこからまた帰っていっちゃうんだ。ぼく去年ついてきたからよく知ってら。
母 おや、そうかい。でも塩屋さんとこまでくれば、おはやしの音がよくきこえるから、いいじゃないかい。大太鼓の音が、どうんどうんてお家の障子にひびいてくるよ。いいでしょう。
三男 かあちゃん。
母 なんだい。
三男 ぼくにも、祭の着物をきせてくれよ。
母 おまえさんは祭にいかないじゃないの。
三男 ぼくも祭の着物がきたいや。にいちゃんたちみんながきたんだもの。
母 そうかい。それじゃ、よし坊ちゃんにもきせてあげようね。
(母親、たんすから一枚の晴着をとり出す)
三男 それじゃないよ。そんなの学校にあがったとききたんだよ。
母 おや、かあさん、忘れっぽいね。ではこれだね。
三男 うん。
(母親きかえさしてやる)
三男 かあちゃん。
母 なにさ。そんなにしげしげと。
三男 子どもがおとなになるってほんと?
母 ほんとですよ。みんながどんどん大きくなって、おとなになるんですよ。
三男 おかしいなあ。
母 おかしかありませんよ。よし坊ちゃんも、にいさんやねえさんたちも、おとなになるんですよ。
三男 いつのこと?
母 まだ十五年も二十年も先のことさ。
三男 いくつねるの?
母 さあ、千も万もねるんでしょう。
三男 おかあさんは、はじめからおとな?
母 おかあさんだって、はじめは子どもだったんだよ。おねえちゃんみたいだったときもあるし、もっと小さな赤ん坊だったこともあるのさ。
三男 いつのこと?
母 ずっとむかしのことさ。
三男 ふうん。おかしいなあ。かあさんは、はじめからおとなじゃなかったの?
母 そんなことありませんよ。どこのおかあさんでも、はじめは赤ん坊で、それから子どもになって、それから娘さんになって、それからお嫁にいって、それから子どもをうんで、そして、おかあさんになるのさ。
三男 (じぶんの腕を見て)ぼく、おとなになれるかしら。ぼく、おとなにならないよ。そんな気がするんだもの。
母 なれますよ。いまに、大きくじょうぶになりますよ。
(長女だまってはいってきて戸口で立っている)
母 おや、あやちゃん、いかなかったの?
(長女うなずく)
母 なにか忘れたの?
(長女、首を横にふる)
母 どうしたのさ。びっくりしたみたいに目を見はって。
長女 あたし、鐘撞堂の下んところから、帰ってきたの。
母 こっちへ、おいで。戸口のとこになんか立っていないで。まあ、どうしたのさ、息なんかきらして。どうして鐘撞堂のところから帰ってきたの?
長女 あたし、なんだか知らないわ。なんだか知らないけど走ってきたの。鐘撞堂のところまでいったら、一ぺんで帰りたくなったの。
母 へんな子だね。じゃあ、もうお祭にいかないの。
(女の子うなずく)
母 せっかくあそこまでいって、帰ってくることなんかないじゃないの。あそこからもうじき、お宮さんじゃありませんか。あとでいけばよかったって、知りませんよ。
長女 いいのよ、おかあさん。
母 それじゃあ、そんなとこに立ってないで、こっちへいらっしゃい。(病気の子どもに)よし坊はもうお薬を飲まなきゃいけませんね、まだあったかしら。おや、もうからですね。それじゃあ、かあさんがお薬をとってきますから、よし坊ちゃんはねえさんと遊んでるね。
(長女あがってきて、よし坊の枕もとにすわる。母、用意をする)
三男 かあさん、近道していくといいよ。
母 近道って? おまえお医者さんのお家へいく近道知ってるの?
三男 井戸車のある家と、めくらのじいさんのお家の間をとおっていくとね、杉の垣根にあながあいてるからね、そこをくぐると、お医者さんちの裏だよ。垣根をくぐったときにね、頭に気をつけないと、物置からさがってる樋にぶつかるよ。
母 あきれた子だね。そんなとこをくぐって遊んだのかい。おかあさんは、そんなところはとおれませんよ。
三男 あそこからいくと、とても早いや。
長女 あそこはもうとおれないのよ。井戸車のお家とめくらのじいさんちの間に、からたちの垣根を結んじまったから。よし坊ちゃんはもう長い間見ないから、知らないんだわ。
母 ではいってきますよ。
三男 かあさん、お医者さん家のかどんとこで、去年の綿砂糖のおじいさんが売ってたら、買ってきてね。
母 綿砂糖って?
三男 綿みたいになった砂糖だよ。
母 そんなものを、おまえはたべちゃいけないんですよ。かあさんが、卵を買ってきておいしく煮てあげるからね。
(病気の子、このあたりから力が衰える)
三男 卵なんて、しょっちゅうたべてるんだもの、いやだい。
母 じゃ、お医者さまにきいてみて、たべていいっておっしゃったら、買ってきましょうね。
(母親裏口から去る)
(花火の音)
三男 いまの花火、きっと旗が出たよ。
長女 見てきましょうか。
(長女縁側に出て空をあおぐ)
長女 あら、ほんとうに旗が出たわ。雲の下を、北の方へ流れていくわ。……ああいま、学校のうしろの山の上ころよ。あら、山のてっぺんで、だれかが旗の方に手をふっててよ、……もう見えなくなっちゃった。
三男 山の上にだれがいるの?
長女 だれだかわからないわ。
三男 先生じゃないの。
長女 見えやしないわ、そんなことまで。
三男 だめだなあ、おねえさんの目なんか。
(女の子、枕もとにすわる)
三男 旗は、どこまでとんでくかなあ。
長女 やた村に、きっと落ちるわ。
三男 やた村で落ちないで、もっとどんどんとんでったらどこへいくんだろう。
長女 知らないわ、そんなこと。
三男 どっかの黒い海にいくよ。
長女 そうかしら。
三男 だめだなあ、おねえさんなんか。なんにも知らないや。
長女 知ってるわ、あたしだって。
三男 知らないや。
(沈黙。すぐ近くでひばりが鳴きはじめる)
三男 くにちゃんとこでもらった雛を持っておいでよ。
長女 どうするの? よし坊ちゃんがねてる間に、もう餌をやっといたわよ。
三男 もってこいよ。
長女 もってきてどうするのさ。にいさんたちに見つかると、とりあげられちまうわよ。
三男 にいちゃんたち、祭にいってら、ばか。
(女の子、裏口から出ていって、すぐボール箱を持ってはいってくる)
三男 箱から出して、ぼくの手にのせてくれよ。
長女 だめよ、そんなことしちゃ。まだ弱いんだから、手にとったら死んでしまうわよ。
三男 いいんだったら。
長女 いやよ。あたしがくにちゃんとこのおじさんにいただいてきたのよ。この雛は。
三男 だって、ぼくとふたりでだいじにしろっていったって、ねえさん、ぼくにいったじゃないか。
長女 …………
三男 ぼく、手にのせて見たいんだよ。
長女 あれ、うそよ。
三男 なんだい、うそなことあるもんか。くにちゃんとこのおじさん、ぼくとなかよしなんだもの。
長女 いいえ。うそよ。あたし、よし坊ちゃんを喜ばしてやろうと思って、うそいったのよ。ほんとうは、あたしだけにくれたんだわ。
三男 なんだい、ねえさんのうそつき。そんなら、そんなもの、殺しちゃうぞ。
長女 いやだわ、いやだわ。
三男 よこせ、よこせってば。
長女 よし坊ちゃん、いやよ、そんな顔しちゃ。
三男 よこせってば。ねえさんばか。あや子ばか。よこせってば。
(女の子、策つきて箱から雛をとり出して病気の子に渡す)
長女 ね、お願いだから、殺さないでね……あっ、いけないわ、そんなににぎっちゃあ……こわいもんだから、足がぶるぶるふるえてるわ……もうはなして……よし坊ちゃん……もうはなしてよ、よし坊ちゃん……。
三男 ぼくの手にふるえが伝わってくるよ。軽いなあ。
長女 かあいそうだわ。足をもがいてるわ。そんなに持ってると、びっくらして死んじまうことよ。
(病気の子そっと雛をもったまま、長く見ている)
(女の子安心する)
長女 毛、やわらかいでしょ。
病気の子、だまって雛をかえす。
女の子箱にしまって、裏口から出ていく。
はやしの音が近づいてくる。
微風の中から桜の花びらが病気の子のわきに落ちる。病気の子は動かない。
女の子入ってくる。
長女 おはやしがこっちへやってくるかね。
三男 塩屋さんとこまでくるきりだい。あそこからまた帰ってしまうんだ。
長女 あの太鼓ね、おキンちゃんとこのにいさんがたたいてるのよ。今年はじめてだって。
(はやしの音止む)
長女 あら、もう塩屋さんとこのまえまできたわ。あそこのしいの木の下で休むのよ。
三男 …………
長女 (心細くなって)かあさんもう帰ってらっしゃらないかしら。よし坊ちゃん、ねむくない? すこし風が出てきたわね。障子しめましょうか?
三男 しめなくてもいいや。
(このあたりから病気の子の声、とみに衰える)
長女 でも、あたしなんだか寒いわ。裏のやぶがさわいでるわ。
(はやしの音、再びはじまる。そしてだんだん遠ざかっていく)
長女 あら、もう帰っていくのね。
(間)
長女 よし坊ちゃん。
(間)
長女 よし坊ちゃん。
三男 まだきこえるね、ねえちゃん。
長女 ええ、まだきこえるわ。もうじき、土塀の家の角をまがると、きこえなくなるわ。ほら、もうきこえなくなったでしょう。
三男 まだきこえるよ。
長女 でももう蚊が鳴くほどだけよ。
(間)
長女 もうなんにもきこえなくなってよ。こんどは、村のあっちのはしへいくのだわね。
三男 まだきこえるよ。
長女 あんたの耳の中に笛の音が残ってるんだわ。
三男 まだきこえるよ。
(間)
長女 なにをそんなにあたしの顔見てるの。いやよ、よし坊ちゃん。
三男 もうせん、ねえちゃんと花のかくしっこしたろう。
長女 いつのこと?
三男 ぼくが病気になるまえにしたよ。貝がらでふせて土の下にかくしたじゃないか。
長女 あ、そうね。あんときよし坊ちゃんがかくしてきたの、あたしいくらさがしても見つけなかったわね。そして、よし坊ちゃんが、あの日の夕方から病気になったから、あれきりになったんだわ。どこへかくしといたの?
三男 裏のきんかんの木の下だよ。
長女 あら、よし坊ちゃんずるいわ。かけひの向こうはやぶだから、いけないってきめてあったじゃないの。ずるいわ、よし坊ちゃんたら。
三男 まだあるかなあ。
長女 あんなとこだれもほらなくてよ。あたし見てこようか。
(女の子裏口から出ていく。やがて貝のからを持って帰ってくる)
長女 あったわ。かけひで洗ってきてよ。
三男 花はあった?
長女 しなびてたわ。
三男 しなびてた?
長女 しなびるわよ、冬を越したんですもの。
三男 ぼくのかばんのお弁当入れるところにね、もうひとつ貝があるから持ってきて。
(女の子さがして持ってくる)
三男 それ合わせてごらんよ。うまく合う?
長女 うまく合うわ。ほら、ちょうどてのひらを合わせたみたい。
(それを病気の子に渡す)
三男 まだ鳴るかなあ。
(口にふくんで弱々しくふく。鳴らない)
長女 土の中にあった間に、どこかきっと欠けたのよ。
三男 鳴るよ。……じっときいてると、いっぱいになるよ。……風の音や笛の音がするよ。……たくさんの音がするよ。どこか遠くの方へ消えていくよ。
長女 うそよ。なにもきこえやしないわ。
(病気の子、貝をくわえたまま耳をすましている。間)
三男 ねえちゃん、……ぼくなんだか軽くなった。あ、ぼくもとんでくよ。風の音や笛の音の中をいっしょに……おかあちゃん……ああ、ぼくもとんでくの……。
長女 なにいってるの、よし坊ちゃん。あんた、どこ見てんの。
三男 花びらや笛の音といっしょに流れてくの。
(女の子とつぜん恐怖にとらわれて立ちあがる)
三男 かあちゃん……。
長女 (さけぶ)よし坊ちゃん! かあさん! あたし、かあさんよんでくるわ。よし坊ちゃん、待ってんのよ!
(女の子裏口からかけ去る)
三男 (弱く)かあちゃん……よし坊とね、鳥もいっしょにとんでくの。
(間)
(やぶのさわぐ音)
三男 (さらに弱く)かあちゃん……ぼく遠いの……。
いっそう、やぶのさわぐ音。
風の中から桜の花びらが落ちる。
病気の子の上に、かたわらに。
底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
1968(昭和43)年2月20日初版発行
1974(昭和49)年1月30日12版発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:渥美浩子
1999年7月4日公開
2006年1月28日修正
青空文庫作成ファイル:
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