花のき村と盗人たち
新美南吉
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むかし、花のき村に、五人組の盗人がやって来ました。
それは、若竹が、あちこちの空に、かぼそく、ういういしい緑色の芽をのばしている初夏のひるで、松林では松蝉が、ジイジイジイイと鳴いていました。
盗人たちは、北から川に沿ってやって来ました。花のき村の入り口のあたりは、すかんぽやうまごやしの生えた緑の野原で、子供や牛が遊んでおりました。これだけを見ても、この村が平和な村であることが、盗人たちにはわかりました。そして、こんな村には、お金やいい着物を持った家があるに違いないと、もう喜んだのでありました。
川は藪の下を流れ、そこにかかっている一つの水車をゴトンゴトンとまわして、村の奥深くはいっていきました。
藪のところまで来ると、盗人のうちのかしらが、いいました。
「それでは、わしはこの藪のかげで待っているから、おまえらは、村のなかへはいっていって様子を見て来い。なにぶん、おまえらは盗人になったばかりだから、へまをしないように気をつけるんだぞ。金のありそうな家を見たら、そこの家のどの窓がやぶれそうか、そこの家に犬がいるかどうか、よっくしらべるのだぞ。いいか釜右ヱ門。」
「へえ。」
と釜右ヱ門が答えました。これは昨日まで旅あるきの釜師で、釜や茶釜をつくっていたのでありました。
「いいか、海老之丞。」
「へえ。」
と海老之丞が答えました。これは昨日まで錠前屋で、家々の倉や長持などの錠をつくっていたのでありました。
「いいか角兵ヱ。」
「へえ。」
とまだ少年の角兵ヱが答えました。これは越後から来た角兵ヱ獅子で、昨日までは、家々の閾の外で、逆立ちしたり、とんぼがえりをうったりして、一文二文の銭を貰っていたのでありました。
「いいか鉋太郎。」
「へえ。」
と鉋太郎が答えました。これは、江戸から来た大工の息子で、昨日までは諸国のお寺や神社の門などのつくりを見て廻り、大工の修業していたのでありました。
「さあ、みんな、いけ。わしは親方だから、ここで一服すいながらまっている。」
そこで盗人の弟子たちが、釜右ヱ門は釜師のふりをし、海老之丞は錠前屋のふりをし、角兵ヱは獅子まいのように笛をヒャラヒャラ鳴らし、鉋太郎は大工のふりをして、花のき村にはいりこんでいきました。
かしらは弟子どもがいってしまうと、どっかと川ばたの草の上に腰をおろし、弟子どもに話したとおり、たばこをスッパ、スッパとすいながら、盗人のような顔つきをしていました。これは、ずっとまえから火つけや盗人をして来たほんとうの盗人でありました。
「わしも昨日までは、ひとりぼっちの盗人であったが、今日は、はじめて盗人の親方というものになってしまった。だが、親方になって見ると、これはなかなかいいもんだわい。仕事は弟子どもがして来てくれるから、こうして寝ころんで待っておればいいわけである。」
とかしらは、することがないので、そんなつまらないひとりごとをいってみたりしていました。
やがて弟子の釜右ヱ門が戻って来ました。
「おかしら、おかしら。」
かしらは、ぴょこんとあざみの花のそばから体を起こしました。
「えいくそッ、びっくりした。おかしらなどと呼ぶんじゃねえ、魚の頭のように聞こえるじゃねえか。ただかしらといえ。」
盗人になりたての弟子は、
「まことに相すみません。」
とあやまりました。
「どうだ、村の中の様子は。」
とかしらがききました。
「へえ、すばらしいですよ、かしら。ありました、ありました。」
「何が。」
「大きい家がありましてね、そこの飯炊き釜は、まず三斗ぐらいは炊ける大釜でした。あれはえらい銭になります。それから、お寺に吊ってあった鐘も、なかなか大きなもので、あれをつぶせば、まず茶釜が五十はできます。なあに、あっしの眼に狂いはありません。嘘だと思うなら、あっしが造って見せましょう。」
「馬鹿馬鹿しいことに威張るのはやめろ。」
とかしらは弟子を叱りつけました。
「きさまは、まだ釜師根性がぬけんからだめだ。そんな飯炊き釜や吊り鐘などばかり見てくるやつがあるか。それに何だ、その手に持っている、穴のあいた鍋は。」
「へえ、これは、その、或る家の前を通りますと、槙の木の生け垣にこれがかけて干してありました。見るとこの、尻に穴があいていたのです。それを見たら、じぶんが盗人であることをつい忘れてしまって、この鍋、二十文でなおしましょう、とそこのおかみさんにいってしまったのです。」
「何というまぬけだ。じぶんのしょうばいは盗人だということをしっかり肚にいれておらんから、そんなことだ。」
と、かしらはかしららしく、弟子に教えました。そして、
「もういっぺん、村にもぐりこんで、しっかり見なおして来い。」
と命じました。釜右ヱ門は、穴のあいた鍋をぶらんぶらんとふりながら、また村にはいっていきました。
こんどは海老之丞がもどって来ました。
「かしら、ここの村はこりゃだめですね。」
と海老之丞は力なくいいました。
「どうして。」
「どの倉にも、錠らしい錠は、ついておりません。子供でもねじきれそうな錠が、ついておるだけです。あれじゃ、こっちのしょうばいにゃなりません。」
「こっちのしょうばいというのは何だ。」
「へえ、……錠前……屋。」
「きさまもまだ根性がかわっておらんッ。」
とかしらはどなりつけました。
「へえ、相すみません。」
「そういう村こそ、こっちのしょうばいになるじゃないかッ。倉があって、子供でもねじきれそうな錠しかついておらんというほど、こっちのしょうばいに都合のよいことがあるか。まぬけめが。もういっぺん、見なおして来い。」
「なるほどね。こういう村こそしょうばいになるのですね。」
と海老之丞は、感心しながら、また村にはいっていきました。
次にかえって来たのは、少年の角兵ヱでありました。角兵ヱは、笛を吹きながら来たので、まだ藪の向こうで姿の見えないうちから、わかりました。
「いつまで、ヒャラヒャラと鳴らしておるのか。盗人はなるべく音をたてぬようにしておるものだ。」
とかしらは叱りました。角兵ヱは吹くのをやめました。
「それで、きさまは何を見て来たのか。」
「川についてどんどん行きましたら、花菖蒲を庭いちめんに咲かせた小さい家がありました。」
「うん、それから?」
「その家の軒下に、頭の毛も眉毛もあごひげもまっしろな爺さんがいました。」
「うん、その爺さんが、小判のはいった壺でも縁の下に隠していそうな様子だったか。」
「そのお爺さんが竹笛を吹いておりました。ちょっとした、つまらない竹笛だが、とてもええ音がしておりました。あんな、不思議に美しい音ははじめてききました。おれがききとれていたら、爺さんはにこにこしながら、三つ長い曲をきかしてくれました。おれは、お礼に、とんぼがえりを七へん、つづけざまにやって見せました。」
「やれやれだ。それから?」
「おれが、その笛はいい笛だといったら、笛竹の生えている竹藪を教えてくれました。そこの竹で作った笛だそうです。それで、お爺さんの教えてくれた竹藪へいって見ました。ほんとうにええ笛竹が、何百すじも、すいすいと生えておりました。」
「昔、竹の中から、金の光がさしたという話があるが、どうだ、小判でも落ちていたか。」
「それから、また川をどんどんくだっていくと小さい尼寺がありました。そこで花の撓がありました。お庭にいっぱい人がいて、おれの笛くらいの大きさのお釈迦さまに、あま茶の湯をかけておりました。おれもいっぱいかけて、それからいっぱい飲ましてもらって来ました。茶わんがあるならかしらにも持って来てあげましたのに。」
「やれやれ、何という罪のねえ盗人だ。そういう人ごみの中では、人のふところや袂に気をつけるものだ。とんまめが、もういっぺんきさまもやりなおして来い。その笛はここへ置いていけ。」
角兵ヱは叱られて、笛を草の中へおき、また村にはいっていきました。
おしまいに帰って来たのは鉋太郎でした。
「きさまも、ろくなものは見て来なかったろう。」
と、きかないさきから、かしらがいいました。
「いや、金持ちがありました、金持ちが。」
と鉋太郎は声をはずませていいました。金持ちときいて、かしらはにこにことしました。
「おお、金持ちか。」
「金持ちです、金持ちです。すばらしいりっぱな家でした。」
「うむ。」
「その座敷の天井と来たら、さつま杉の一枚板なんで、こんなのを見たら、うちの親父はどんなに喜ぶかも知れない、と思って、あっしは見とれていました。」
「へっ、面白くもねえ。それで、その天井をはずしてでも来る気かい。」
鉋太郎は、じぶんが盗人の弟子であったことを思い出しました。盗人の弟子としては、あまり気が利かなかったことがわかり、鉋太郎はバツのわるい顔をしてうつむいてしまいました。
そこで鉋太郎も、もういちどやりなおしに村にはいっていきました。
「やれやれだ。」
と、ひとりになったかしらは、草の中へ仰向けにひっくりかえっていいました。
「盗人のかしらというのもあんがい楽なしょうばいではないて。」
とつぜん、
「ぬすとだッ。」
「ぬすとだッ。」
「そら、やっちまえッ。」
という、おおぜいの子供の声がしました。子供の声でも、こういうことを聞いては、盗人としてびっくりしないわけにはいかないので、かしらはひょこんと跳びあがりました。そして、川にとびこんで向こう岸へ逃げようか、藪の中にもぐりこんで、姿をくらまそうか、と、とっさのあいだに考えたのであります。
しかし子供達は、縄切れや、おもちゃの十手をふりまわしながら、あちらへ走っていきました。子供達は盗人ごっこをしていたのでした。
「なんだ、子供達の遊びごとか。」
とかしらは張り合いがぬけていいました。
「遊びごとにしても、盗人ごっことはよくない遊びだ。いまどきの子供はろくなことをしなくなった。あれじゃ、さきが思いやられる。」
じぶんが盗人のくせに、かしらはそんなひとりごとをいいながら、また草の中にねころがろうとしたのでありました。そのときうしろから、
「おじさん。」
と声をかけられました。ふりかえって見ると、七歳くらいの、かわいらしい男の子が牛の仔をつれて立っていました。顔だちの品のいいところや、手足の白いところを見ると、百姓の子供とは思われません。旦那衆の坊っちゃんが、下男について野あそびに来て、下男にせがんで仔牛を持たせてもらったのかも知れません。だがおかしいのは、遠くへでもいく人のように、白い小さい足に、小さい草鞋をはいていることでした。
「この牛、持っていてね。」
かしらが何もいわないさきに、子供はそういって、ついとそばに来て、赤い手綱をかしらの手にあずけました。
かしらはそこで、何かいおうとして口をもぐもぐやりましたが、まだいい出さないうちに子供は、あちらの子供たちのあとを追って走っていってしまいました。あの子供たちの仲間になるために、この草鞋をはいた子供はあとをも見ずにいってしまいました。
ぼけんとしているあいだに牛の仔を持たされてしまったかしらは、くッくッと笑いながら牛の仔を見ました。
たいてい牛の仔というものは、そこらをぴょんぴょんはねまわって、持っているのがやっかいなものですが、この牛の仔はまたたいそうおとなしく、ぬれたうるんだ大きな眼をしばたたきながら、かしらのそばに無心に立っているのでした。
「くッくッくッ。」
とかしらは、笑いが腹の中からこみあげてくるのが、とまりませんでした。
「これで弟子たちに自慢ができるて。きさまたちが馬鹿づらさげて、村の中をあるいているあいだに、わしはもう牛の仔をいっぴき盗んだ、といって。」
そしてまた、くッくッくッと笑いました。あんまり笑ったので、こんどは涙が出て来ました。
「ああ、おかしい。あんまり笑ったんで涙が出て来やがった。」
ところが、その涙が、流れて流れてとまらないのでありました。
「いや、はや、これはどうしたことだい、わしが涙を流すなんて、これじゃ、まるで泣いてるのと同じじゃないか。」
そうです。ほんとうに、盗人のかしらは泣いていたのであります。──かしらは嬉しかったのです。じぶんは今まで、人から冷たい眼でばかり見られて来ました。じぶんが通ると、人々はそら変なやつが来たといわんばかりに、窓をしめたり、すだれをおろしたりしました。じぶんが声をかけると、笑いながら話しあっていた人たちも、きゅうに仕事のことを思い出したように向こうをむいてしまうのでありました。池の面にうかんでいる鯉でさえも、じぶんが岸に立つと、がばッと体をひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき猿廻しの背中に負われている猿に、柿の実をくれてやったら、一口もたべずに地べたにすててしまいました。みんながじぶんを嫌っていたのです。みんながじぶんを信用してはくれなかったのです。ところが、この草鞋をはいた子供は、盗人であるじぶんに牛の仔をあずけてくれました。じぶんをいい人間であると思ってくれたのでした。またこの仔牛も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。じぶんが母牛ででもあるかのように、そばにすりよっています。子供も仔牛も、じぶんを信用しているのです。こんなことは、盗人のじぶんには、はじめてのことであります。人に信用されるというのは、何といううれしいことでありましょう。……
そこで、かしらはいま、美しい心になっているのでありました。子供のころにはそういう心になったことがありましたが、あれから長い間、わるい汚い心でずっといたのです。久しぶりでかしらは美しい心になりました。これはちょうど、垢まみれの汚い着物を、きゅうに晴れ着にきせかえられたように、奇妙なぐあいでありました。
──かしらの眼から涙が流れてとまらないのはそういうわけなのでした。
やがて夕方になりました。松蝉は鳴きやみました。村からは白い夕もやがひっそりと流れだして、野の上にひろがっていきました。子供たちは遠くへいき、「もういいかい。」「まあだだよ。」という声が、ほかのもの音とまじりあって、ききわけにくくなりました。
かしらは、もうあの子供が帰って来るじぶんだと思って待っていました。あの子供が来たら、「おいしょ。」と、盗人と思われぬよう、こころよく仔牛をかえしてやろう、と考えていました。
だが、子供たちの声は、村の中へ消えていってしまいました。草鞋の子供は帰って来ませんでした。村の上にかかっていた月が、かがみ職人の磨いたばかりの鏡のように、ひかりはじめました。あちらの森でふくろうが、二声ずつくぎって鳴きはじめました。
仔牛はお腹がすいて来たのか、からだをかしらにすりよせました。
「だって、しようがねえよ。わしからは乳は出ねえよ。」
そういってかしらは、仔牛のぶちの背中をなでていました。まだ眼から涙が出ていました。
そこへ四人の弟子がいっしょに帰って来ました。
「かしら、ただいま戻りました。おや、この仔牛はどうしたのですか。ははア、やっぱりかしらはただの盗人じゃない。おれたちが村を探りにいっていたあいだに、もうひと仕事しちゃったのだね。」
釜右ヱ門が仔牛を見ていいました。かしらは涙にぬれた顔を見られまいとして横をむいたまま、
「うむ、そういってきさまたちに自慢しようと思っていたんだが、じつはそうじゃねえのだ。これにはわけがあるのだ。」
といいました。
「おや、かしら、涙……じゃございませんか。」
と海老之丞が声を落としてききました。
「この、涙てものは、出はじめると出るもんだな。」
といって、かしらは袖で眼をこすりました。
「かしら、喜んで下せえ、こんどこそは、おれたち四人、しっかり盗人根性になって探って参りました。釜右ヱ門は金の茶釜のある家を五軒見とどけますし、海老之丞は、五つの土蔵の錠をよくしらべて、曲がった釘一本であけられることをたしかめますし、大工のあッしは、この鋸で難なく切れる家尻を五つ見て来ましたし、角兵ヱは角兵ヱでまた、足駄ばきで跳び越えられる塀を五つ見て来ました。かしら、おれたちはほめて頂きとうございます。」
と鉋太郎が意気ごんでいいました。しかしかしらは、それに答えないで、
「わしはこの仔牛をあずけられたのだ。ところが、いまだに、取りに来ないので弱っているところだ。すまねえが、おまえら、手わけして、預けていった子供を探してくれねえか。」
「かしら、あずかった仔牛をかえすのですか。」
と釜右ヱ門が、のみこめないような顔でいいました。
「そうだ。」
「盗人でもそんなことをするのでごぜえますか。」
「それにはわけがあるのだ。これだけはかえすのだ。」
「かしら、もっとしっかり盗人根性になって下せえよ。」
と鉋太郎がいいました。
かしらは苦笑いしながら、弟子たちにわけをこまかく話してきかせました。わけをきいて見れば、みんなにはかしらの心持ちがよくわかりました。
そこで弟子たちは、こんどは子供をさがしにいくことになりました。
「草鞋をはいた、かわいらしい、七つぐれえの男坊主なんですね。」
とねんをおして、四人の弟子は散っていきました。かしらも、もうじっとしておれなくて、仔牛をひきながら、さがしにいきました。
月のあかりに、野茨とうつぎの白い花がほのかに見えている村の夜を、五人の大人の盗人が、一匹の仔牛をひきながら、子供をさがして歩いていくのでありました。
かくれんぼのつづきで、まだあの子供がどこかにかくれているかも知れないというので、盗人たちは、みみずの鳴いている辻堂の縁の下や柿の木の上や、物置の中や、いい匂いのする蜜柑の木のかげを探してみたのでした。人にきいてもみたのでした。
しかし、ついにあの子供は見あたりませんでした。百姓達は提燈に火を入れて来て、仔牛をてらして見たのですが、こんな仔牛はこの辺りでは見たことがないというのでした。
「かしら、こりゃ夜っぴて探してもむだらしい、もう止しましょう。」
と海老之丞がくたびれたように、道ばたの石に腰をおろしていいました。
「いや、どうしても探し出して、あの子供にかえしたいのだ。」
とかしらはききませんでした。
「もう、てだてがありませんよ。ただひとつ残っているてだては、村役人のところへ訴えることだが、かしらもまさかあそこへは行きたくないでしょう。」
と釜右ヱ門がいいました。村役人というのは、いまでいえば駐在巡査のようなものであります。
「うむ、そうか。」
とかしらは考えこみました。そしてしばらく仔牛の頭をなでていましたが、やがて、
「じゃ、そこへ行こう。」
といいました。そしてもう歩きだしました。弟子たちはびっくりしましたが、ついていくよりしかたがありませんでした。
たずねて村役人の家へいくと、あらわれたのは、鼻の先に落ちかかるように眼鏡をかけた老人でしたので、盗人たちはまず安心しました。これなら、いざというときに、つきとばして逃げてしまえばいいと思ったからであります。
かしらが、子供のことを話して、
「わしら、その子供を見失って困っております。」
といいました。
老人は五人の顔を見まわして、
「いっこう、このあたりで見受けぬ人ばかりだが、どちらから参った。」
とききました。
「わしら、江戸から西の方へいくものです。」
「まさか盗人ではあるまいの。」
「いや、とんでもない。わしらはみな旅の職人です。釜師や大工や錠前屋などです。」
とかしらはあわてていいました。
「うむ、いや、変なことをいってすまなかった。お前達は盗人ではない。盗人が物をかえすわけがないでの。盗人なら、物をあずかれば、これさいわいとくすねていってしまうはずだ。いや、せっかくよい心で、そうして届けに来たのを、変なことを申してすまなかった。いや、わしは役目がら、人を疑うくせになっているのじゃ。人を見さえすれば、こいつ、かたりじゃないか、すりじゃないかと思うようなわけさ。ま、わるく思わないでくれ。」
と老人はいいわけをしてあやまりました。そして、仔牛はあずかっておくことにして、下男に物置の方へつれていかせました。
「旅で、みなさんお疲れじゃろ、わしはいまいい酒をひとびん西の館の太郎どんからもらったので、月を見ながら縁側でやろうとしていたのじゃ。いいとこへみなさんこられた。ひとつつきあいなされ。」
ひとの善い老人はそういって、五人の盗人を縁側につれていきました。
そこで酒をのみはじめましたが、五人の盗人と一人の村役人はすっかり、くつろいで、十年もまえからの知り合いのように、ゆかいに笑ったり話したりしたのでありました。
するとまた、盗人のかしらはじぶんの眼が涙をこぼしていることに気がつきました。それを見た老人の役人は、
「おまえさんは泣き上戸と見える。わしは笑い上戸で、泣いている人を見るとよけい笑えて来る。どうか悪く思わんでくだされや、笑うから。」
といって、口をあけて笑うのでした。
「いや、この、涙というやつは、まことにとめどなく出るものだね。」
とかしらは、眼をしばたきながらいいました。
それから五人の盗人は、お礼をいって村役人の家を出ました。
門を出て、柿の木のそばまで来ると、何か思い出したように、かしらが立ちどまりました。
「かしら、何か忘れものでもしましたか。」
と鉋太郎がききました。
「うむ、忘れもんがある。おまえらも、いっしょにもういっぺん来い。」
といって、かしらは弟子をつれて、また役人の家にはいっていきました。
「御老人。」
とかしらは縁側に手をついていいました。
「何だね、しんみりと。泣き上戸のおくの手が出るかな。ははは。」
と老人は笑いました。
「わしらはじつは盗人です。わしがかしらでこれらは弟子です。」
それをきくと老人は眼をまるくしました。
「いや、びっくりなさるのはごもっともです。わしはこんなことを白状するつもりじゃありませんでした。しかし御老人が心のよいお方で、わしらをまっとうな人間のように信じていて下さるのを見ては、わしはもう御老人をあざむいていることができなくなりました。」
そういって盗人のかしらは今までして来たわるいことをみな白状してしまいました。そしておしまいに、
「だが、これらは、昨日わしの弟子になったばかりで、まだ何も悪いことはしておりません。お慈悲で、どうぞ、これらだけは許してやって下さい。」
といいました。
次の朝、花のき村から、釜師と錠前屋と大工と角兵ヱ獅子とが、それぞれべつの方へ出ていきました。四人はうつむきがちに、歩いていきました。かれらはかしらのことを考えていました。よいかしらであったと思っておりました。よいかしらだから、最後にかしらが「盗人にはもうけっしてなるな。」といったことばを、守らなければならないと思っておりました。
角兵ヱは川のふちの草の中から笛を拾ってヒャラヒャラと鳴らしていきました。
こうして五人の盗人は、改心したのでしたが、そのもとになったあの子供はいったい誰だったのでしょう。花のき村の人々は、村を盗人の難から救ってくれた、その子供を探して見たのですが、けっきょくわからなくて、ついには、こういうことにきまりました、──それは、土橋のたもとにむかしからある小さい地蔵さんだろう。草鞋をはいていたというのがしょうこである。なぜなら、どういうわけか、この地蔵さんには村人たちがよく草鞋をあげるので、ちょうどその日も新しい小さい草鞋が地蔵さんの足もとにあげられてあったのである。──というのでした。
地蔵さんが草鞋をはいて歩いたというのは不思議なことですが、世の中にはこれくらいの不思議はあってもよいと思われます。それに、これはもうむかしのことなのですから、どうだって、いいわけです。でもこれがもしほんとうだったとすれば、花のき村の人々がみな心の善い人々だったので、地蔵さんが盗人から救ってくれたのです。そうならば、また、村というものは、心のよい人々が住まねばならぬということにもなるのであります。
底本:「ごんぎつね・夕鶴 少年少女日本文学館第十五巻」講談社
1986(昭和61)年4月18日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第13刷発行
初出:「花のき村と盗人たち」帝国教育会出版部
1943(昭和18)年9月30日
入力:田浦亜矢子
校正:もりみつじゅんじ
1999年10月25日公開
2012年5月8日修正
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