中央亭騷動事件(實録)
萩原朔太郎
|
先月、中央亭で催された日本詩集の記念會で、僕がつまらぬことから腹を立て、會場をお騷がせしたことを謝罪する。もとより酒席の出來事であり、根も葉もないその場限りの一些事で、とりたてて言ふほどのことでもないが、とかくかういふことはゴシツプ的に誤傳されて、意想外な風聞を立てられたりするので、逆にこつちから手𢌞しをして、ありのままの事實を報告しておかうと思ふ。
事の起りは野口米次郎氏に始まつてゐる。丁度宴會の半ば頃、指名のテーブル・スピーチが始まつた時であつた。私の隣席に居た野口米次郎氏が、立つて一場の所感を演説された。その演説の意味はかうであつた。雜誌「日本詩人」が自分のために評傳號を出してくれたことを感謝する。しかしあの雜誌をよんで甚だ不滿に耐へなかつた。何となれば執筆者の米次郎論が、すべて皆退屈らしく、いかにも義務的の態度で書いてあつたからと。それから氏は言葉をつづけて、若山牧水氏の雜誌に書いた私の野口米次郎論にも、大に不滿の點があることを述べられた。
野口氏のこの演説は、私を非常に感動させた。野口氏が孤獨な人であり、世に理解されない心情の所有者であることを、私は前から深い興味と愛敬とで眺めてゐた。野口氏の本質的心境たる熱情を、世間の人は殆んど知らず、皮相なる氏の表皮からして、いたづらに氏をクラシツクの詩匠として所謂「世界的詩人」の無意味な神殿に祭りあげてる。日本の詩壇一般、及び淺薄なる世間の俗見が見る野口米次郎氏は、正に世界的詩人の無意味な空語で「神殿に奉られてゐる道化者」の觀がある。
詩人的敏感性の著しい野口氏がいかにしてこの孤獨を感じないことがあるだらう。思ふに故國における野口氏の不滿と寂しさが此所にある。他のことはともあれ、野口氏の性格にみるこの不可解の孤獨性、それから生ずる人生的熱情を氏に感ずるとき、僕はこの先輩に對して純一の愛慕を感ぜずに居られない。雜誌「日本詩人」に掲載された多くの人の評傳が、この意味でたしかにまた野口氏を寂しくさせてる。前に私もその雜誌をよみ、朧げながら感じてゐたが、今野口氏自身の口からして、この悲痛なる訴をきき何とも言へない無限の感激にうたれてしまつた。のみならず私自身すらが、他の雜誌の評傳で野口氏の外形を皮相に書きすぎた。その評傳は無造作にすぎ、言ふべき本質のものに觸れて居なかつた。そこで野口氏が之れに不平し、最後に「萩原君の見る所にも不服である」といふ意味を述べられた時私は先輩に對する愛と自責で、自ら激動した感情を押へることが出來なくなつた。尤も可成に酒が𢌞つて居たので、一層氣分が誇張されて居たことも事實である。
私は興奮して立ちあがつた。そして幹事の指名も待たずに勝手の演説を始めてしまつた。その意志では野口氏の世間的に孤獨の人たる事實を述べ、いかにこの先輩の心境にまで、詩人としての深き愛慕を感ずるかといふことを言はうとした。しかし私は、元來公衆の前で演説することに慣れて居ずそれに酒の醉もあつて殆んど意味の徹底しない支離滅裂の言辭を竝べてしまつた。私は皆に哄笑され、赤面して座にもどつたが、しかし自分としては、とにかく一部の意志と感情とを、いくぶん會衆に代辯したやうに思つて滿足した。何となれば野口氏の悲壯な演説は、單に私一人でなく、座にある會衆の多數の胸にも、何かしらの強い刺激と暗示とをあたへたやうに思つたから。この場合、だれもがその「感情」を表白しようと思つてゐる。思想を論ずべき席ではないから演説の意味や筋道はどうでも好いのだ。私は支離滅裂のことを言つたけれども、それでも會衆の感情だけは代辯したと思つて滿足した。
然るに、丁度私がしやべつてゐる最中であつた。だれかが席の一隅から野次を飛ばした。「先生とは何だ!」「先生といふ必要がない!」といふ聲が耳に這入つた。それはこの演説中、私が「野口先生」といふ敬稱を、特に高調して使つた爲に、或る若い人たちに、それが何か耳障りになつたらしく思はれる。元來私は、私自身の言葉で言語を使用することを好んでゐる。「先生」といふ言葉も、普通には弟子が教師に對して言ふのであらうが、私としては、師であると否とを問はず、すべて人格的に謙遜を感ずる年長者には、必然に「先生」の稱呼を用ゐるが至當であると考へてる。人間の自由平等といふことは、社會的や制度的には眞理であるか知らないが、人格上には決して有り得ない。人格が人格に對する禮儀の上で階級意識を立てるのは當然である。尤もそれも場合によるので、私のは特に感情の間投詞として、心に深き謙遜を感じ人格への先輩的愛慕を感ずる場合にのみ之れを用ゐる。(だから僕は同じ人に對しても、時に先生と呼び、時に君と呼び、主觀の氣もちで色々に變る。)この場合は事情が事情であり、感情の高調を表白してゐる際だから、自然と私の口からそれが語勢を帶びて出て來たらしい。つまり言へばその先生なる言葉の語韻中に、私の正に語らうとしてゐる情操のすべてが表象されてゐたわけだ。
それ故にこの場合に、「先生とは何だ!」「先生といふ必要がない」といふ聲を聽くのは、僕等の正に感動してゐる野口氏への愛慕を、實に根柢から拒絶するものであり、この場合の事情からしても、詩人にあるまじき純一性の缺乏で、もし鈍感からならば賤しむべく、故意に惡意からするならば許しがたき奴だと思つた。もつとも之れは僕の早合點で、後に思へば發言者の眞意はそこになく、單に「この席上で先生といふ如き堅苦しい言語を止めにしよう」といふ如き無邪氣の發議であつたらしい。或はもつと單にさうした「聽き慣れない言葉」が、何か不自然の耳障りを感じた爲であつたか知れぬ。しかし場合が場合であり、會衆の氣分が感傷的に緊張してゐた際なので、私は直覺的に野口氏への許しがたき侮辱を感じた。野口氏も明らかに間の惡い思ひを感じたらしく、直ちに私にあいさつして會場を退席された。
これから暫らくの間、何となく不安な空氣が沈潛してゐた。私は自分の演説からして、野口氏に二重の惡い思ひをさせたことを氣の毒にも心苦しくも考へた。折角宴會に出席して、周圍の空氣と容れられず寂しく歸つて行く老詩人のことを考へ、言ひやうもなく寂しく口惜しい思ひを感じた。私はしだいに鬱積して酒を飮んだ。社會と、人と、運命とに對する、あてもなく漠然たる憤怒が醉つた心の隅で煮えかへつてきた。
その時である。私の前席に向き合つてゐた尾崎喜八君が、突然何かのことで憤慨し始めた。だれかの座談中で、自分が侮辱されたと言ふのである。急に彼は卓を叩いて立ちあがつた。尾崎君の怒つた原因は、多分つまらないことのやうであつた。しかし彼は今やこの空氣の壓縮から破裂したのだ。私はその少し前からして、彼が例の詩人らしい敏感性で、しだいに濃度を増してくる周圍の壓力を感じて居り、神經質の苦悶に耐へてることを氣付いてゐたが、果せるかな偶然の機會を捉へて爆發した。私は彼の憤怒について、その潛在意識の眞原因を知つてゐたので、理由もなく痛快に感じられた。それによつて、急に壓縮した氣分が破られた。鬱積から爆發へ、もはや口火を點ずるばかりだ。
あだかもよし。丁度この時前の同じ發言者が、その同じ言葉を繰り返した。「先生とは何だ! 先生といふ必要はない。」再びその聲が聽えた時、私はもはや忍耐のできない憤怒を感じた。しかもその發言者は、既に空席となつてる野口氏の椅子を指して言つた。これがまた二重に私を口惜しくさせた。私は一時に逆上して立上り、怒りにふるへる聲で「默れ!」と怒鳴りつけた。
この時私が意外に思つたのは、その發言者が岡本潤君であることを知つたからだ。岡本君の人物評は、前に萩原恭次郎君等に好評を聞いてゐたので、この場合彼が私の敵に立つとは思はなかつた。彼は遠い西國から、わざわざこの會に出て來て、始めて私たちに逢つたのである。しかもそれだけに、私の裏切られた憤怒は烈しかつた。私はカツとして岡本君の無禮を叱罵した。
私が席に腰を落すとやがて岡本君がつかつかとソバにやつて來た。「暴行でもする氣かな?」と私は思つた。どうせやるなら怪我をするまでもやつてしまへと決心した。しかし對手はおとなしく靜かに二三の應答をした。この時何を問答したか、全きり記憶に殘つてゐない。發作のために醉がボツパツして、意識が朦朧となつてしまつてゐた。すると急に室生犀星君が、凄まじい見幕で椅子を振り𢌞しながら飛んで來た。殆んど一瞬時の出來事だつた。この意外なる不時の現象で、皆が呆氣にとられて驚いてしまつた。私もさすがに呆然として、何事が起つたのかと怪んだ。あの謹嚴の室生君が、こんなに暴れ出した光景を見ようとは、私にとつても皆にとつても、荒唐無稽に近い意表外の出來事だつた。それほど實に凄まじい見幕だつた。彼は野猪のやうに椅子を振りまはして、一直線に岡本潤へ打ちかかつてきた。
思ふにこの事件は、室生君が卓の遠く離れた地位に居た爲に、私と岡本君との問答してゐる光景を見て、何か私が不當の暴行でも受けてゐるやうに見誤り、友人の一大事として決死的に突進して來たのである。昔の室生犀星を知つてる僕には、かうした犀星をみても自然であり、深く驚くこともなかつたが、彼の純一な人間的本質を知らない多數の會衆には、いかにそれが晴天の霹靂のやうに感じられたかと思ふと、ひそかに可笑しさをこらへることができなかつた。既にもうその時には、私の鬱憤はすつかり消散してしまつた。丁度、落雷によつて雷雨の晴れた後のやうに、一度感情が破裂してしまつた後だから、胸には何のわだかまりも殘つて居なかつた。そして私が呆然として突つたつてるまに、人々が早くも室生君を抱き止めてしまつて居た。
これで一切のことがすんでしまつた。驟雨に洗はれた後のやうに、何もかもさつぱりとなり、寫眞師の殘したマグネシユームの煙と一所に、すべての鬱積した空氣が窓から消散してしまつたのである。最後の室生君の一場は、昔の粗野な書生的友情が囘想されて、取りわけ私にはなつかしかつた。その上にも犀星らしき自然のユーモアが感じられ、ふしぎに人々の結ばれた心を解きほごした。それ故に散會する時、だれもが親しい微笑を交してあいさつした。私もさつぱりとした氣持ちになつて、岡本君とも愉快な微笑を交換しながら、輕い歩調で戸外へ出た。戸外には初夏のしつとりした空氣が流れてゐた。無邪氣な詩人の會合にふさはしい夜であつた。
(附記。)事實をそのまま、誇張もなく削除もなく、ありのままに書くといふのは、思つたよりも仲々むづかしい仕事である。これを書いてみて、始めて歴史編纂者の文學的苦心を知つた。
底本:「萩原朔太郎全集 第八卷」筑摩書房
1976(昭和51)年7月25日初版発行
底本の親本:「日本詩人 第六卷第六號」
1926(大正15)年6月号
初出:「日本詩人 第六卷第六號」
1926(大正15)年6月号
入力:きりんの手紙
校正:岡村和彦
2020年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。