瀬戸内の小魚たち
壺井栄
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この一月の末に、足かけ四年ぶりに郷里の小豆島へ帰った。大して目的はなく、もしかしたら持病になりつつあるぜんそくが癒るかもしれないと聞かされての、急な思いつきだったのだが、帰ってみると顔を合せるほどの人がみんな聞く。
「どんなご用で。どうしに? いつまで?」
実はぜんそく云々ともいえず、墓参りに戻ってきたのですといっても、これまでがなにか用事にかこつけてしか帰っていないものだから、そんな信心者とも信じられない顔をされる。そこで思いつきを言ってみた。
「今生の思い出に、おいしい小魚をたべに帰ってきました」
宿屋さんはさっそく魚の鍋をととのえてくれた。メバル、チヌ、タナゴなど二つか三つ切りにした季節の小魚を、両手を廻したほどの大皿に山盛りしてある。もちろん野菜と一しょにぽん酢でたべる。身のはぜかえるほど新しい魚はいくら食べても飽きず、一座五人ともとうとうその夕食はご飯ぬきになった。おまけにさしみも煮魚もついているのだから、米つぶの入る余地があろうはずがない。たんのうして床についたものだが、横になってからも、まるで友だちの噂をするように魚の思い出話がつきない。
「この前きた時の鰯のおつくりもうまかったわね」
と私がいうと、
「そうそう。鯛のおさしみよりもあれのほうがうまかった」
と姉が応じる。その時はちょっとした席がもうけられていて、型どおりの料理が運ばれたのであったが、その料理以外に私のそばへそっと、舟型のかなり大きな皿が運ばれてきて、宿の女中さんは笑いながら、
「こんなの、なつかしいでしょう。よろしかったら」
と姉との間に置いてくれた。みると鰯のつくりが山と盛られている。しょうが醤油でたべるのだ。うれしかった。私だけは小さい時から、これで育った。まず男の子なら鰯網を曳きにいく。その労働の代償にもらってきたのを、おつくりにしたり、煮つけたり、無塩の味噌汁に仕立てたり、大漁の時は煎り納屋でいってもらって(ざるにいれたまま熱湯をくぐらせる)煮干にする。小豆島の煮干は主にだしをとる種類のものだが、ぐっと小ぶりなのは煮干にしたのを下ろし大根と一しょに食べたりもする。私のうちではこれをフライパンで軽く煎って熱いうちに少量の醤油をかけてたべるのを好む。ビールのつまみに出すと、大ていのお客さまがほめて下さり、なかにはお代りを催促したりする。夏場など軽井沢の山の中でこれはひどく重宝でわが家の自慢料理の一つになっている。大きいほうはこれまたソーメンのだしのもとになり、欠かすことができない存在である。
大体瀬戸内の小魚は味がこまかくてうまいというのは定評だが、どうも小さいほどそれがはなはだしいように思う。小鰺だの、𩼳だの、「おせんころし」という鯛のような形をした、せいぜい五、六センチほどの小魚などは、いちいち料理する手間が惜しまれるほどのチビ魚だが、うまいという点では鯛にもまさると思うほどだ。そりゃあ鯛や鱸には大らかなうまさはあるが、頭から尻尾まで全部たべられるような親身な味ではない。そこへいくと、今はどうだか知らぬが、昔ならバケツ一杯五銭ほどの小鰺やおせんころしを、焼きながらかたわらの酢醤油の丼の中にじゅんじゅんなげこみ、それを骨ごと片っぱしからたべる時のうまさは、海辺の村の住人の仕合せの一つであろう。なお、おせんころしというへんな名は、昔、おせんさんという女がこれを食べすぎて死んだとか、その骨がささって死んだとかでつけられた名前だそうであるが、ほんとの名前は知らない。村のだれに聞いても知っている人はいない。とにかくまあ、こんな小魚が大衆魚というところだろうか。みんな春から夏がしゅんの魚たちである。
夏といえば、チヌ(黒鯛)や太刀魚の夜釣りも忘れられない。チヌは糠団子で、桟橋の上からでも釣れるが、太刀魚のほうは少々めんどうである。両方とも闇夜がよい。今夜釣りにいこうということになると、まず朝から磯みみずを掘りにいく。そのみみずをえさにして昼間のうちにベラを釣りにいく。ベラという魚は五色のうろこで身をかざっているような美しい小魚だが、これはまずい。しかし、太刀魚のえさには欠くことができない。そのベラを生簀にいれて出かけるのだ。それを料りながら、生き身を釣針につける。生き身でないと太刀魚は食わない。その餌をつけた釣竿を五本も八本も舟べりへもたせかけておいてゆっくりと闇の海をこいでゆく。釣り竿の先きには鈴がついていて、えものがかかるとチャラチャラと鳴る。手ぐすねひいて待っている漁人は、それっとばかりぐいっ! と糸をひく。手ごたえあって糸を繰ると、まったくその名のとおり太刀のようなのが闇にひらめいて大あばれにあばれる。調子のよいときはあっちの鈴も鳴り出す、こっちの鈴も鳴り出すで、大忙しだ。何度かこの夜釣りに誘われながら何度いっても私は釣り上げるたびに悲鳴をあげた。まったくすごい力なのだ。
こうして釣った太刀魚は翌朝まで生簀に入れておいて開いて干物にする。その生ま干しをあぶって食べるのもうまいが、生まを煮たり焼いたりしてももちろんうまい。小ぶりなのは背越しに庖丁をいれて酢にして食べることもある。
こんな魚たちに養われて育ったせいか、私は六十をすぎた今日でもまだ義歯がない。なにしろ、ぐっと貧しかった頃に幼年時代を過し、おやつに煮干をたべていたのが、もしかしたら私の歯を丈夫にしたかもしれない、などと考えることもある。
底本:「「あまカラ」抄1」冨山房百科文庫、冨山房
1995(平成7)年11月13日第1刷発行
底本の親本:「あまカラ 3月号 第一五一号」甘辛社
1964(昭和39)年3月5日発行
初出:「あまカラ 3月号 第一五一号」甘辛社
1964(昭和39)年3月5日発行
入力:砂場清隆
校正:芝裕久
2019年7月30日作成
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