初めて鏡花先生に御目にかゝつた時
小村雪岱



 明治三十六年の秋であつたと思ひますが、東京美術学校の教室で、古画の模写の時間に机を並べて居たのは、小林波之輔君といふ珍らしい秀才でありました。其時小林君は雪舟筆四季山水を写してゐた事を記憶して居ますが、自分は何を写してゐたか覚えて居りません。如何したはずみか話が小説の事になりまして、同君は、鏡花の小説ほど好きなものはないと言つて、暗記してゐる様に話して呉れましたのが龍潭譚でありました。成る程何とも言へない程面白い。私はそれまで小説を少しも読みませんので、泉先生の御名前も知らずに居りましたが、それから古本屋あさりを初めました。丁度其頃は薬草取、白羽箭などを御書きになつた時分でありますから、さかのぼつて古雑誌など探し初めた訳であります。随分夢中で集めまして大体皆読んで仕舞ました。其頃私は日本橋の檜物町に住つて居りましたので、私の家へ来る女髪結が春陽堂の御出入でありましたため、いろ〳〵先生の御様子を聞かせて呉れました。五六年の間、此様にして居ります内に、それは明治四十二年の夏でありましたか、誠に〳〵思ひがけもなく、先生に御目にかゝつたのであります。それは福岡医科大学の久保博士が令夫人と御一所に上京され、駿河台の旅宿に御いでの時でありました、博士の御知合に、日本で初めて鼻茸の手術をした医者の肖像、豊国の筆になるのを御持の方がありまして、その模写を私の先輩笹島秀彌氏へ御依頼になりましたが同氏に差支があり、私がかはつて其模写に御宿へ数日間通ひました。博士は御用で毎日御出かけになりますので、令夫人といろ〳〵御話をして居りますうち、鏡花先生の小説の御話になりました。夫人は余程前から非常なる鏡花先生の愛読者でおありでした、私などの少しも知らぬ御作の話を沢山に伺ひました。

 或日の事でした、矢張り御宿へ伺つて模写をして居ますと宿の女中が夫人に、泉さんの奥さんが御見えになりましたが御通し申上げませうか、と伺ひました時、その背後で通つてゐますよと言はれましたのが、思もかけぬ泉先生の奥さんでありました。色の白い二十台の奥さんは、国貞ゑがく岩井粂三郎の白糸によく似ておいでの御方だと思ひました。

 その翌日、今度は先生が御見えになりました。夫人に御願ひして初めて御挨拶を申上げました、真にそれは〳〵色の白い小柄な、丁度勝気な美人が男装をした様な方で、私は全く驚いて仕舞ました。足袋は八文半といふ事をあとで伺ひました。暫くの間誠に丁寧な御言葉で、様々の御話が御座いましたが、有頂天の私は何も覚えて居りません。ただ怪談の怪は水の流れる様なもので二度とかへりません、と言はれました事と、遊びにおいでなさい、と言はれました事を記憶して居ります。あとで考へますと、丁度白鷺の御仕度中であつたと思はれます。御年は三十五六でありました。それから間もなく私は嬉しさのあまり、生来の引込思案にも似ず、大和の法華寺で授けられました、木彫の地蔵菩薩を持つて、御宅へ伺ひました。三十年以前の事であります。

底本:「小村雪岱随筆集」幻戯書房

   2018(平成30)年215日第1刷発行

初出:「図書 第5年第50号 泉鏡花号」

   1940(昭和15)年35

入力:きゅうり

校正:石波峻一

2019年1028日作成

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