三人兄弟
菊池寛
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まだ天子様の都が、京都にあった頃で、今から千年も昔のお話です。
都から二十里ばかり北に離れた丹波の国のある村に、三人の兄弟がありました。一番上の兄を一郎次と言いました。真中を二郎次と言い、末の弟を三郎次と言いました。兄弟と申しましても、十八、十七、十六という一つ違いで脊の高さも同じ位で、顔の様子や物の言いぶりまで、どれが一郎次でどれが二郎次だか、他人には見分けの付かないほどよく似ていました。
不幸なことに、この兄弟は少い時に、両親に別れたため、少しばかりあった田や畑も、いつの間にか他人に取られてしまい、今では誰もかまってくれるものもなく、他人の仕事などを手伝って、漸くその日その日を暮しておりました。が、貧乏ではありましたが、三人とも大の仲よしでありました。
ある夜のことでありました。一郎次は、何かヒドク考え込んでいましたが、ふと顔を上げて、
「こんなにして、毎日末の見込もなしに、ブラブラ暮しているよりも、いっそのこと都へ行って見ようかしら。都には、面白いことや賑かなことが沢山あるそうだが。」と、言いました。それを聞くと、二郎次も三郎次も声を揃えて、
「それがいい、それがいい。都へ行けば、きっといいことがあるに違いない。」と、申しました。一郎次は、
「それなら善は急げというから、明日にも出立しよう。」と、言いました。そしてその晩は、みんなで色々出立の用意を致しました。
あくる日は、秋の空が気持よく晴れ渡って、太陽までが三人の出立を祝うているようでありました。三人は元気よく村を出まして、南へ南へと都の方を指して急ぎました。
途中で、一晩泊りました。村を立って、二日目の朝、大きな峠を登りますと、その峠の頂上から遥か彼方に、朝靄の中に、数限りもない人家が地面一ぱいに並んでいるのが微かに見えました。
「ああ、都だ。」と、三郎次が、大喜びの声を出しました。それから兄弟三人は、前よりも一層足を早めて、峠を馳け下りました。が、峠を下りましてから、都まではよほどあると見え、歩いても歩いても、黄色い稲田が道の両側にいくらでも続いていました。
大きい公孫樹が、道傍に一本立っていました。と今まで一筋道であった道が、その公孫樹の木の所から、三筋に別れているのに気が付きました。兄弟はちょっと困りました。
「どの道が一番近いのだろう。」と、一郎次が言いました。
「真中の道が一番近そうだ。」と、二郎次が言いました。
「いや、左の道が一番近そうだ。」と、末の弟が言いました。
すると、一郎次は、何やら考えた後で、
「私は、一番右の道が近いように思うのだ。が、どの道を行っても、都へ行き着けるのは確だ。兄弟が一緒に揃っていては、奉公口を見つけるにも都合が悪くはなかろうか。それよりも、皆別れ別れに、自分の近いと思う道を歩いて、銘々の運を試して見ようか。」と、言いました。
「それは、よい思付だ。」と、二郎次はすぐ賛成しました。三郎次は、兄たちに別れるのはちょっと悲しうございましたが、根が元気のよい若者ですから、
「それなら、そうする事にしよう。」と言いました。
それで、一郎次は、右の道を、二郎次は真中の道を、三郎次は左の道を進むことになりました。別れる時に、二郎次は兄と弟を振り返りながら、
「たとい、ここで別れても、兄弟が、めいめい都で出世すれば、必ずどこかで逢えるに違ない。」と、元気よく言いました。
先ず、初めに右の道を進んだ一郎次のお話をいたしましょう。
一郎次は、弟二人と別れて、足を早めて、歩きましたが、その道は大層景色のよい道で、両側には美しい秋草が咲き乱れていました。二里も歩きました時、黄色い稲田の向うに、青空に聳えている五重の塔が見えました。
「ああ、もう都もすぐだぞ。」と、一郎次は小躍りして喜びました。
ところが、丁度そのとたんでした。道の行手に、砂けむりが立ったかと思うと、その砂けむりの中から、一頭の白い牡牛が太い鉄のような角を左右に振り立てながら、飛ぶように走って来ました。きっと、この牛は何かに驚いて、気が狂ったのでしょう。両の目は、炎のように真赤で、眼の前にあるものは何でもその角で突きかけようとするような勢です。
一郎次は、その怖しい勢を見て、体を道傍へ除けようとしましたが、牡牛はかえって一郎次の方へ真直ぐに突き進んで来て、アット思う間もなく、一郎次を二つの角で引っかけたかと思うと、一間あまりも投げ飛ばしたまま、また砂けむりを蹴立てて走って行きました。
投げ飛ばされた一郎次は、右の腋の下に刀で刳るような痛みを感じました。彼は、もう死ぬような気がしました。
「ああ、俺は一番損な道を来たものだ。右の道を来たために、都の入口で死ななければならぬか。」と、心の中で思いました。が、その中に傷の痛みが強くなって、いつの間にか気が遠くなってしまいました。
何時間経ったのか、何日経ったのか、一郎次には分りませんでした。ふと、目を覚すと、自分は、立派な御殿の中に寝ていました。自分の体の上には生れて一度も見たことのないほどの美しい絹の蒲団がかけてありました。枕元には、銀の碗にお薬が入っておりました。その上に、ふと気が付くと、美しい女の人が、部屋の中に一人坐っていました。余りに容子が変っているので一郎次は驚いて起き上ろうとしましたところ、右の腋の下が、また急に痛んで来ました。一郎次が、目を覚したのを見て、その女の人は、
「やっと、お気が付きましたか、別に御心配なさらないでもよろしうございます。ここは、左大臣藤原道世様のお邸でございます。実は、昨日道世様が、鞍馬のお寺へ御参詣の途中、お車を引く牛が、暴れ出して、あなたにそんな大傷を負わせたのでした。
道世様は、それを大層気の毒に思召されて、お寺へ参る途中で人を殺しては、仏様に済まない、出来るだけ手厚い介抱をして、あの若者を癒してやれと仰せになりましたので、あなたを御殿へ連れて来て、都で第一番のお医者を呼んで介抱しているのです。」と、言いました。
一郎次は、夢ではないかと驚きました。
左大臣藤原道世と言えば、天子様の第一番の家来で、丹波国の田舎までも聞えている、名高い人でありました。
その女の人は、しばらくすると、こう言いました。
「道世様が、こう仰っしゃいました。この若者は、遠い田舎から都へ出て来て、親類もない者に違いない。傷が癒れば、家来にして使うてやろうと、仰っしゃいました。」
それを聞くと、一郎次は、傷の痛みも忘れるほど喜びました。左大臣道世様の家来になることは、田舎の百姓の子である一郎次に取っては、この上もない出世でありました。
一郎次の傷は、ほどなく癒りました。そして、約束の通り、左大臣の家来になりました。
正直で、利口な一郎次の事ですから、グングン出世しまして、十年経つか経たないうちに、検非違使という役になりました。そして名も左衛門尉清経と改めました。
検非違使というのは、丁度警察署長と裁判所長とを兼ねたような、大層勢の強いえらい役で、盗賊や悪者を捕えて裁判するのが仕事でありました。
一郎次はこんなに出世しましたが、真中の道を進んだ二郎次と左の道を進んだ三郎次とはどうなりましたでしょう。
真中の道を進んだ二郎次は、兄と弟とに別れてからは、駆け出さんばかりに、足を早めて急ぎました。が、真中の道が一番近いと思ったのは、とんだ思違いであったと見え、二里歩いても三里歩いても道の両側には竹藪ばかりが続いていて、淋しい田舎道がどこまで来ても絶えません。そのうちに、暮れやすい秋の日が、いつの間にか、トップリと暮れて、人通りのない街道は、大層淋しうございました。
三人兄弟の中では、一番気の強い二郎次も、とんと当惑してしまいました。
「この様子では今宵のうちには、とても都に着けそうにはない。どこかで一晩宿ることにしよう。」と思いました。そのうちに道傍に地蔵様のお堂がありましたからその縁外に上って、そこで一夜を明すことにしました。ところが真夜中頃でした。寐入っている二郎次の肩を揺すぶって、
「おいおい。」と、揺り起す人がありました。
二郎次は、気がついて起きて見ると、見知らない人が自分の肩に手をかけていました。折から空高くさし昇っているお月様の光でその男を見ますと、それは武士らしいいかにも強そうな男でした。その男は、二郎次が目を覚したのを見ると、
「おい、お前は一体どこの者だ。なぜこんな所で寐ているのか。」と聞きました。二郎次は、おずおずしながら、丹波の国から都へ行く訳を話しました。すると、その武士は親切らしい笑顔をして、
「それはよい都合じゃ。わしの仕えている殿様は、お前のような若者なら幾人でもお召し抱えになるのじゃ。わしの殿様に奉公する気はないか。」と言いました。それを聞くと、二郎次は小躍りして喜びまして、早速奉公したいと申しました。
やがて、二郎次は武士に連れられて、その殿様のお館へ行くことになりました。武士は不思議なことに、都の方へは行かずに、道から左に折れて、小川に添うた細い道を、ドンドン進んで行くのでした。二郎次は、ちょっと不思議に思って、
「そのお殿様というのは、都にお住いではないのですか。」と聞きました。すると、武士は何気ない顔をして、
「都にもお館はあるが、今は、みぞろが池の傍に住んでいられるのじゃ。お前が、都見物に行きたいのなら、明日にも連れて行こうぞ。」と言いました。
そのうちに、道の行く手に、月の光に照されて鏡のように光る大きな池が見えましたが、その池の水際には、蘆やよしが沢山生え茂っている上に、池のぐるりには大木が生い茂って、大蛇でも住みそうな気味の悪い大池でありました。
二郎次は、こんな淋しいところに殿様のお館があるのかと不思議に思っていますと、武士は、
「私に離れぬようにせよ。」と言いながら、大木の森の中の細い道を歩いて行くのです。と、二、三丁も来た頃です、急に今までの森がなくなったかと思うと、池に添うて広い平地があって、その平地の真中に、それはそれは立派な御殿がありました。二郎次には生れて初めて見るほどの美しい大きな御殿でありました。先に立ってゆく武士は、
「さあ、お前も遠慮なく這入るがよい。」と言いながら、その御殿の中へつかつか這入って行きました。
玄関から幾間も幾間も通ったと思う頃、一つの大広間に来ました。その大広間は、銀の皿に、灯が幾十となく輝いて、昼のように明るうございました。
見ると、その広間の中には、どれもこれも強そうな男が三十人ばかりお酒宴をしていました。そして一番高い所に、身の丈が六尺もある位な大男が、胡座をかいて坐っておりました。それはそれは強そうな、獅子でも虎でも一掴みにしそうな男でした。
二郎次を連れて来た武士は、その大男の前へ二郎次を連れて行って、
「この若者が奉公をしたいと申しますから、引き連れてまいりました。」と申しますと、その大男は、
「よしよし。」と破鐘のような声を出して肯きました。それからは、二郎次も皆と一緒にお酒を飲んだり、物を食べたりしました。それは生れて初めて食べるような御馳走を、腹一ぱい食べました。二郎次は心のうちで、
「その日のうちに奉公口が定まって、その上にこんな御馳走が食べられるとは、こんなうまい話はない。己が進んで来た真中の道は一番幸な道だったな。」と思いました。
その翌晩でした。昨日二郎次を案内して来た武士が来まして、
「今晩は、お殿様が都へおいでになるのじゃ。お前もお伴をさせてやる。」と言いました。暫くすると、いよいよ出発ということになりました。お殿様という六尺に近い大男は、立派な白い馬にひらりと乗りました。その後から、上の方の家来が六、七人ばかり馬に乗って続きました。残った者は、めいめいお殿様の馬を囲んで行列を作って歩きました。不思議なことに、どの男もどの男も、弓や長刀やを持っていました。二郎次にも、お前にはこれを貸してやると言って、一本の太刀を貸してくれました。
二郎次は、こんなに夜遅くお殿様はどこへ行くのだろうかと疑いながらも、黙って付いて行きました。やがて、大きな川にかかっている橋を渡ると、そこはもう都の中だと見え、立派な家が沢山並んでいました。その中に、皆は中でも一番立派な家の前に止りました。そして何か相談を始めました。
二郎次はお殿様の都のお館というのは、この家のことかしらんと思っていますと、五、六人の男がバラバラと仲間の列から離れたかと思うと、この立派な家の塀をスルスルと登りました。オヤオヤと驚いていますと、塀を登って這入った男が内から門をギイッと明ますと、仲間の者は皆、長刀や太刀を抜き放して、ドヤドヤと門の中へ押し入りました。
二郎次は余りの怖しさにブルブル顫えていますと、昨日二郎次を案内した武士が傍へ来ました。
「何と驚いただろう。己がお殿様と言ったのは、この頃都でも名の高い鬼童丸という大盗坊じゃ。お前は一たん奉公すると言ったからには、逃げる訳には行かないぞ。さあ、己と一緒にここで見張り番をするのじゃ。」と言いました。
二郎次はこれを聞くと腰を抜かすばかりに驚きました。鬼童丸というのは、その頃日本中で、誰知らぬ者もない大盗坊でありました。二郎次は、知らぬ間に、盗坊の手下になっていたことを心から悲みました。すぐ逃げようと思いましたが、案内をした男は、手に弓を持っていて、二郎次が逃げ出せば、一矢で射殺そうという様子が見えました。
そのうちに、家の中では人の叫ぶ声や、斬り合いをする音がしたかと思いますと、盗坊どもはめいめい金銀の這入った袋を重そうに担いで出てまいりました。
皆はその家の前で勢揃いをすると、もと来た道を帰りました。二郎次も、逃げようとすれば直にも殺されそうなので、恐る恐る後から附いて帰りました。
やがて、みぞろが池の御殿へ帰って来ますと、鬼童丸は手下を大広間へ集めて、盗んで来た金銀を山のように積んで、それを一掴みずつ手下にやりました。二郎次が片隅にブルブルと顫えていますと、鬼童丸は破鐘のような声で、
「おい、小僧、遠慮をせいでもよいぞ。お前にも一掴みやるぞ。」と言いました。貰わなければ掴み殺されそうなので、二郎次はビクビクしながら、受け取りました。
が、受け取って見ると、それは金や銀のお金で、二郎次などが夢にも見たことのない大金でありました。根が三人兄弟の中では慾の一番深い二郎次でしたから、そんな大金を見ると、フラフラと悪い心が起りました。お金がこんなに儲かるのなら、盗坊の仲間になってもいいと思いました。そしてとうとう心から鬼童丸の手下になりました。元来利口で勇気のある男でしたから、盗坊の仲間では、だんだん出世をしまして、鬼童丸が源頼光様に殺された後には、自分が仲間の大将になって、名を改めて、みぞろが池の多能丸と言って、都近くの家を荒しておりました。
右の道を進んだ一郎次と、真中の道を進んだ二郎次のことはこれで分りましたが、さて左の道を進んだ三郎次はどうなりましたでしょう。
左の道を進んだ三郎次は、兄弟の中では一番年も若く、気も優しかったので、二人の兄と別れて、淋しくて泣き出しそうになりました。が、これではならぬと思い返して、元気よく進んで行きました。この道は、広い川に添うておりました。が、都まではよほど遠いと見え、日の暮れかかる頃に、漸く都の町はずれに着きました。もう足が草臥れて、一足も歩けないほどに疲れていました。どこかに宿屋はないかと、キョロキョロ見廻しながらやって来ますと、
「もしもし。」と三郎次を呼びとめる女の人がありました。
「はいはい、私をお呼びになりましたか。」と立ち止りますと、女の人は三郎次の顔を見ながら、
「あなたは旅のお人でございますか。」と聞きました。
「はい、私は丹波の国から都へまいるものです。」と言いました。すると、女の人は喜んで、
「それでは、お気の毒でございますが、私の主人の家までちょっとお出で下さい。決して悪いことではありませんから。」と申しました。
三郎次は喜びまして、誰一人知辺のない都の中で、こんな親切な人に逢うのは、地獄で仏に逢うようなものだと思いました。
女の人は三郎次を連れて半町ばかりも歩いたかと思うと、立派な家の中に這入りました。三郎次も後から続いて這入りました。その家は、周囲が六、七町もある広い邸で、邸の中には大きなお蔵が十五、六もずらりと建ち並んでおりました。
女の人は、三郎次を連れて、長い廊下を通ったかと思いますと奥の一間へ案内しました。見ると、その部屋は、目も眩むような美しい部屋で、床の間には金や銀の道具が沢山置いてありました。三郎次があまりの美しさにぼんやり立っておりますと、女の人は、
「あすこに寝ていられるのが御主人様でございます。」と言いました。
いかにもその美しい部屋の真中に、一人の年寄の病人が、苦しい息をしながら、床の上に寝ていました。
三郎次は、おずおずそこへ坐りました。すると病人は女の人に、
「それでは、娘を呼んで来い。」と言いました。
女の人は、
「はい。」と答えて、静かに立って行きました。
三郎次がおずおずと年寄の側に坐って待っておりますと、そこへ間もなく十五、六の美しい女の子が這入って来ました。年寄は三郎次に向って、
「お前さんは旅の方ですか。」と、苦しそうに尋ねました。
「はい、さようでございます。」と三郎次は優しく答えました。すると、年寄は寝床の上で半分体を起しかけながら、
「私はあなたにお願があるのじゃ。なんと聞いてはくれまいか。今にも死にそうなこの病人の一生の願を、どうか聞き届けてはくれまいか。」と、手を合わさんばかりに言いました。
三郎次は、苦しそうな病人の様子を見ると、気の毒になりましたので、
「私の出来ることなら、何でも聞いてあげます。」と言いました。すると、病人はホッと安心したように、
「お願というのは別のことではないのだ。この娘をお前さんのお嫁にして、この家を継いではくれまいか。」と言いました。
これを聞いた時の三郎次の驚きと喜びとは、どんなであったでしょう。が、よく考えると、自分のような乞食同様な百姓を、こんな長者の内の婿にするはずはない、これはきっとこの年寄の気が狂っているのか、それでなければ笑談に言っているのだと思いましたから、正直な三郎次は少しムッとして、
「子供だと思って私をなぶるのはよして下さい。私は百姓の悴で、こんな長者の内の婿になるような者ではありません。」と言いました。すると、その病人は悲しそうな顔をして、
「訳を話さなかったのは私が悪かった。訳を話さなければ合点の行かぬのも尤じゃ。私の恥を話すことにしましょう。」と、病人は苦しそうにコンコン咳をしながら話しつづけました。
「一体、私は一代のうちに、十万貫(昔のお金の名です)という身代を作ったもので、都でも加茂の長者と言えば、誰知らぬ者もありません。が、私がお金を蓄めたのは、正直な正しい遣り方ではなかったのです。私はお金を蓄めるのに、いろいろ悪いことをしました。貧乏人にお金を貸して、高い高い利子を取ったり、百姓から重い年貢を取ったり、時々は贋の証文を書いて、他人の家や、田畑を騙して取ったりしたこともあります。その上、出すことと言ったら、一文も出しません。どんなに困っているものがあっても、米一合、お金一文も恵んだこともありません。そのお蔭で、お金は面白いようにどんどん溜りました。
その代り世間の人からは、全く、鬼か蛇のように憎まれて来ました。私はついこの頃まで、お金さえあれば、どんなに憎まれてもかまうものかと思っていました。
ところが、今年の春、私の妻が死にました。その上、秋の初から、私も重い病気になりました。私には、子供と言ってはこの娘がたった一人なのです。私は私がこの病気で死んだら、娘が一人ぼっちになって、さぞ困るだろうと思いましたので、私の生きているうちに、是非よい婿を取ってやろうと思って、都の内を探しにかかりました。
すると、どうでしょう。年頃の若者のある家では、どの家でも、幾らお金があっても、加茂の長者の家へは婿にはやれない。鬼の家へ婿にはやれないと、誰一人婿に来ようという人はないのです。私は、お金があれば何でも出来ると思っていましたが、それは、私の大きな誤でした。私は、たった一人の娘に婿を取ってやることさえ出来ないのでした。娘はそれを知ると、毎日泣きました。私も娘が可愛そうで泣きました。十万貫という大金も、今では何の役にも立たないのです。
その内、私の病が重ってもう今日死ぬか明日死ぬか分らない命なのです。私が死んだら、娘はたった一人世の中に取り残されて、憎まれ者の子として、世間からどんなにいじめられるだろうかと思いますと、私は死ぬにも死なれないのです。
私は、とうとうこう考えました。都の人はみんな加茂の長者を憎んでいるから、とても婿に来手はあるまいが、旅の人なら私を憎む訳はないのだから、来てくれるかも知れないと、思いましたから、私は召使いの者を街道へ出して、旅の方に来ていただくことにしたのです。運よく、あなたのような立派な方に来ていただくことが出来て、こんな嬉しいことはありません。親子二人を助けると思って、どうか私のお願いを聞いて下さいませんか。」と言うかと思うと、病人はさもさも疲れたように、グッタリと俯伏してしまいました。
三郎次は、初めて年寄の願の訳が分りました。が、どんなにお金があっても、都中の人から鬼のように憎まれておる家の婿になっては、どんなひどい目に逢うかも知れぬと思いましたので、一度は断ろうと思いました。
が、よく見ると、病人も可愛そうな娘も、シクシク泣いていてもし三郎次が断ったら、病人は悲しみの余り、そのまま息が絶えはせぬかと思われましたから、根が気の優しい三郎次は、
「そんなに、お頼みなら、いかにもこの家の婿になりましょう。」と申しました。すると、病人は手を合わして、三郎次の方を拝むように見えましたが、それで安心して気が緩んだと見え、そのまま息が絶えました。
三郎次は悲しみに暮れている娘を慰めて、お葬いを出した後で、その娘をお嫁にしまして、二代目の加茂の長者になりました。そして、身代の十万貫の半分の五万貫を、都中の貧乏人に分けてやりました。すると、世間は正直なもので、都の人々は寄ると触ると、
「前の加茂の長者は鬼であったが、今度の長者は仏様じゃ。仏の長者じゃ。仏長者じゃ。」と、噂しました。
こうして、三郎次は夫婦仲よく、貧乏人を恵んで、幸福に暮しました。花子という可愛いい女の子が生れて、いつの間にか十年ばかり経ちました。
さて、一郎次と二郎次と三郎次のめいめいの話はこれで済みましたが、一体三人は何処で出会うでしょうか。
三人の兄弟が、都へ出る途中で、三筋の道に別れてから、十年も経ちました頃のことです。その頃検非違使(今の警察署長と裁判所長とを兼ねている役であることは前にいいました)というエライ役を勤めている一郎次の左衛門尉清経の下へ、その頃都で名高い加茂の長者から訴がありました。
それは、その前の晩、加茂の長者の家へ三十人ばかりの盗賊の一隊が押し入ってお金を沢山盗んで行ったばかりでなく、娘の花子を攫って行ったというのです。左衛門尉清経は、前から盗賊のあばれ廻ることを怒っておりましたが、こんなに都の中へと這入って来るようでは、もう一刻も、そのままには、捨てて置けないと思いました。それで、家来の者を二百人ばかり集めまして、
「噂にきくと、加茂川の水上のみぞろが池には、鬼女が住むという噂があって、人の近よらないのをよいことにして、多能丸という大盗棒が立派な邸を作って住んでおるということじゃ。加茂の長者の家に押入った盗賊も、この多能丸に違いない、早速かけ向うて、必ず生け取りにして来い。」と、申し付けました。
その翌日のことでした。みぞろが池に行った家来の一人が走って帰りました。
「殿様、およろこび下さいまし。多能丸を見事に生捕りました。長者の娘の花子も、無事に取り返しました。」と申しました。
左衛門尉は大喜びで、別の家来に、
「直ぐ加茂の長者の家へ行って、花子を受け取りに来いと言え。」と、申しました。
やがて、検非違使のお役所へ、高手小手に縛られた多能丸が、連れられて来ました。そして、庭の白い砂の上に、坐らされました。丁度、そこへ加茂の長者が娘を受取りに自分でやって来ました。これは縁側の上に坐っておりました。
間もなく、シイッ、シイッと、声がしたかと思うと、烏帽子をつけて立派な服を着た左衛門尉が、しずしずと現れました。左衛門尉は、一番高い上座に坐ると、加茂の長者の方を見て、
「お前が、加茂の長者か。」と、言いました。今まで俯いていた長者は、顔を上げて、
「はいさようでございます。」と、言いました。その顔を一郎次の左衛門尉がよく見ますと、それは紛れもない弟の三郎次ではありませんか。一郎次の左衛門尉は、思わず大きな声を出して、
「おう三郎次ではないか。」と、申しますと、三郎次も、検非違使のお役所だということも忘れて、
「おう、兄さんですか。」と、言いました。二人は、両方から抱き付くようにしてオイオイ泣きました。
が、泣いているのは、二人ばかりではありませんでした。
砂の上に坐っている、盗賊の多能丸も、やっぱり、縛られた身を悶えながら、歯を喰いしばって泣いていました。大粒の涙がポロポロと、砂の上に落ちました。
多能丸の泣いているのに、ふと気が付いた一郎次と三郎次とはこれはまたどうしたわけかと不思議に思って、この盗賊の顔を見ました。それは、一郎次には弟、三郎次には兄に当る二郎次に違いありませんでした。
三人兄弟が、そのときの驚き喜び悲しみは、どんなでしたろう。それは、皆さん自分で考えて見て下さい。
三人兄弟が、三筋の道に別れた時は、たった一足の違いでありました。それがおしまいには、こんなひどい違いになりました。
底本:「日本児童文学名作集(下)」岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年3月16日第1刷発行
底本の親本:「赤い鳥の本 第四冊 三人兄弟」赤い鳥社
1921(大正10)年3月28日発行
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
1919(大正8)年4月~6月
※「盗坊」と「盗棒」の混在は、底本通りです。
※初出時の表題は「一郎次、二郎次、三郎次」です。
入力:えにしだ
校正:noriko saito
2019年11月24日作成
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