眠りの精
ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen
矢崎源九郎訳
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世界じゅうで、眠りの精のオーレ・ルゲイエぐらい、お話をたくさん知っている人はありません!──オーレ・ルゲイエは、ほんとうに、いくらでもお話ができるのですからね。
夜になって、子供たちがまだお行儀よくテーブルにむかっていたり、低い椅子に腰かけたりしているころ、オーレ・ルゲイエがやってきます。オーレ・ルゲイエは、静かに静かに階段を上ってきます。なぜって、靴下しかはいていないのですからね。オーレ・ルゲイエは、そっとドアをあけて、子供たちの目の中に、シュッと、あまいミルクをつぎこみます。でも、ほんの、ほんのちょっぴりですよ。けれど、それだけでも、子供たちは、もう目をあけてはいられなくなるのです。ですから、子供たちには、オーレ・ルゲイエの姿が見えません。
オーレ・ルゲイエは、子供たちのうしろにしのびよって、首のところをそっと吹きます。すると、子供たちの頭が、だんだん重くなってきます。ほんとですよ。でも、べつに害をくわえたわけではありません。だって、オーレ・ルゲイエは、子供たちが大好きなんですから。ただ、子供たちに静かにしていてもらいたい、と思っているだけなのです。それには、子供たちを寝床へ連れていくのがいちばんいいのです。オーレ・ルゲイエは、これからお話を聞かせようと思っているので、子供たちに静かにしていてもらいたいのです。──
さて、子供たちが眠ってしまうと、オーレ・ルゲイエは寝床の上にすわります。見れば、たいへんりっぱな身なりをしています。上着は絹でできています。でも、それがどんな色かは、お話しすることができません。というのも、オーレ・ルゲイエがからだを動かすと、それにつれて、緑にも、赤にも、青にも、キラキラ光るのですから。両腕には、こうもりがさを一本ずつ、かかえています。一本のかさには、絵がかいてあります。それをよい子供たちの上にひろげると、その子供たちは、一晩じゅう、それはそれは楽しいお話を夢に見るのです。もう一本のかさには、なんにもかいてありません。これをお行儀のわるい子供たちの上にひろげると、その子たちは、ばかみたいに眠りこんでしまって、あくる朝目がさめても、なんにも夢を見ていないのです。
ではこれから、オーレ・ルゲイエがヤルマールという小さな男の子のところへ、一週間じゅう毎晩、出かけていって、どんなお話をして聞かせたか、わたしたちもそれを聞くことにしましょう。お話はみんなで七つあります。一週間は、七日ですからね。
「さあ、お聞き」オーレ・ルゲイエは、晩になると、ヤルマールを寝床へ連れていって、こう言いました。「今夜は、きれいにかざろうね」
そうすると、植木ばちの中の、花という花が、みんな大きな木になりました。そして、長い枝を、天井の下や、かべの上にのばしました。ですから、部屋全体が、たとえようもないほど美しい、あずまやのようになりました。どの枝にもどの枝にも、花がいっぱい咲いています。しかも、その花の一つ一つが、バラの花よりもきれいで、たいそうよいにおいをはなっているのです。おまけに、それを食べれば、ジャムよりも甘いのです。実は、金のようにキラキラ光っています。そればかりか、ほしブドウではちきれそうな菓子パンまでも、ぶらさがっているのです。ほんとうに、なんてすばらしいのでしょう!
ところがそのとき、ヤルマールの教科書のはいっている机の引出しの中で、なにかがはげしく泣きだしました。
「おや、なんだろう?」と、オーレ・ルゲイエは言いながら、机のところへ行って、引出しをあけてみました。すると、石盤の上で、なにやらさかんに、押し合いへし合いしているではありませんか。それは、こういうわけです。算数の計算のときにまちがった数が、いつのまにか、そこへはいりこんできたため、それを押し出そうとして、数たちが、今にも散らばろうとしているところだったのです。石筆が、ひもにゆわえられたまま、まるで小イヌのように、とんだりはねたりしていました。石筆は、なんとかして計算を助けようとしていたのですが、ちっともうまくいきません。──
と、今度は、ヤルマールの習字帳の中から、とても聞いてはいられないほど、泣きわめく声が聞えてきました。そこで習字帳をあけてみると、どのページにも、全部の大文字が、縦に一列にならんでいました。その大文字のとなりには、小文字が一つずつ、ならんでいました。これはお手本の字です。けれども、またそのそばに、二つ三つ字が書いてありました。これらの字は、自分では、お手本の字に似ているつもりでいました。なにしろ、ヤルマールがお手本の字を見て書いたものだったのですから。ところが、これらの字は、鉛筆で引いた線の上に立っていなければいけないのに、ころんだように、横だおれになっていました。
「ほら、いいかい。こんなふうに、からだを起すんだよ」と、お手本の字が言いました。「ほうら。こんなふうに、いくぶんななめにして、それから、ぐうんとはねるんだぜ」
「ぼくたちだって、そうしたいんだよ」と、ヤルマールの書いた字が言いました。「だけど、できないのさ。ぼくたち、気分がわるいんだもの」
「じゃ、おまえたちは、げざいを飲まなきゃいけないね」と、オーレ・ルゲイエが言いました。
「いやだよ、いやだよ!」と、みんなはさけぶといっしょに、さっと起き上がりました。そのありさまは、見ていておかしいほどでした。
「今夜は、お話はしてあげられないよ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「これから、訓練をしなければならないんだよ! 一、二! 一、二!」それから、みんなは訓練をうけました。そうすると、お手本の字のように、元気よく、まっすぐに立ちました。けれども、オーレ・ルゲイエが行ってしまって、つぎの朝、ヤルマールが目をさましたときには、みんなは、やっぱりきのうと同じように、なさけないかっこうをしていました。
ヤルマールが寝床にはいったとたん、オーレ・ルゲイエは、小さな魔法の注射器で、部屋の中の、ありとあらゆる家具にさわりはじめました。すると、さわられた家具は、つぎつぎとしゃべりだしました。しかも、みんながみんな、自分のことばかりしゃべりたてました。なかにただひとり、痰壺だけは、だまりこくって立っていました。けれども、心の中では、みんながあんまりうぬぼれが強く、自分のことばかりを考え、自分のことばかりをじまんしていて、おとなしくすみっこに立って、つばをはきかけられているもののことなどは、ちっとも考えてくれないのを、ふんがいしていました。
たんすの上には、一枚の大きな絵が、金ぶちの額に入れられてかかっていました。その絵は風景画でした。大きな年とった木々や、草原に咲いている花や、大きな湖が、かいてありました。湖からは、ひとすじの川が流れでて、森のうしろをめぐり、たくさんのお城のそばを通って、遠くの大海にそそいでいました。
オーレ・ルゲイエは、魔法の注射器でその絵にさわりました。と、たちまち、絵の中の鳥は、歌をうたいはじめ、木々の枝は風にそよぎ、雲は空を流れてゆきました。そして、雲の影が、野原の上にうつってゆくのさえ、見えました。
さて、オーレ・ルゲイエは、小さなヤルマールを、額ぶちのところまで持ちあげてやりました。そこで、ヤルマールは、絵の中の深い草の中に足をふみいれて、そこに立ちました。お日さまが、木々の枝のあいだからヤルマールの頭の上にさしてきました。ヤルマールは湖のほうへかけていって、ちょうどそこにあった、小さなボートに乗りました。ボートは、赤と白とにぬってありました。帆は、銀のように、キラキラ光っていました。ボートは、六羽のハクチョウに引かれていきました。ハクチョウたちは、みんな首のところに黄金の輪をつけ、頭にはきらめく青い星をいただいていました。ボートが緑の森のそばを通ると、森の木々は、盗賊や魔女の話をしてくれました。森の花は、かわいらしい、小さな妖精のことや、チョウから聞いた話をしてくれました。
見るも美しいさかなが、金や銀のうろこをきらめかせながら、ボートのうしろからおよいできました。ときどき、水の上にはね上がっては、ピチャッ、ピチャッと、音をたてました。赤い鳥や青い鳥が、大きいのも小さいのも、長く二列にならんで、ボートのあとから飛んできました。ブヨはダンスをし、コガネムシはぶんぶん歌をうたいました。そして、みんながみんな、ヤルマールのあとについてこようとしました。しかも、みんな、めいめい一つずつのお話を持っててです!
なんというすばらしい船あそびではありませんか! やがて、森が深くなって、うす暗くなりました。と、思うまもなく、すぐまた、お日さまのキラキラ照っている、世にも美しい花園に出ました。花園には、ガラスと大理石でできた、大きな御殿が、いくつも立っていました。そして、御殿の露台には、お姫さまたちが立っていました。しかし、どのお姫さまも、ヤルマールが前にあそんだことのある、よく知っている、小さな女の子たちばかりでした。みんなは、手をさし出しました。見れば、菓子屋のおばさんのところでもめったに売っていないような、すてきにおいしい、小ブタのさとう菓子を持っていました。ヤルマールは通りすぎるときに、その小ブタのさとう菓子のはしをつかみました。けれども、お姫さまがそれをしっかりとにぎっていたので、さとう菓子は二つに割れてしまいました。そして、お姫さまの手には小さいほうが残り、ヤルマールの手には大きいほうが残りました。どの御殿の前にも、小さな王子が番兵に立っていました。みんな、金のサーベルで敬礼しながら、ほしブドウと、すずの兵隊さんを、雨のように降らせてくれました。だからこそ、ほんとの王子というものです!
まもなく、ヤルマールのボートは森の中をぬけました。それから大きな広間のようなところを通ったり、町の中を通りすぎたりしました。そのうちに、ヤルマールがごく小さかったころ、おもりをして、たいそうかわいがってくれた、子もり娘の住んでいる町へ、やってきました。娘はうなずいて手をふりながら、かわいらしい歌をうたいました。その歌は、まえに自分で作って、ヤルマールに送ってくれたものでした。
いとしいわたしのヤルマール、
思うはあなたのことばかり!
かわいい唇、赤い頬、
キスしたことも、忘られぬ。
あなたのさいしょのかたことを
耳にしたのは、このわたし。
だのに、いまは会えないの。
わたしの天使のしあわせを
ひとりわたしは祈りましょう!
すると、鳥も、みんないっしょにうたいだしました。花はくきの上でダンスをし、年とった木々はうなずきました。まるで、オーレ・ルゲイエのお話を、みんなが聞いているようでした。
まあまあ、外は、なんというひどい雨でしょう! 眠っていても、ヤルマールには雨の音がよく聞えました。オーレ・ルゲイエが窓をあけると、水が窓わくのところまで届いていました。外には、大きな湖ができています。ところが、りっぱな船が一そう、家の前にきていました。
「ヤルマールや! 船に乗って、旅に出かけよう」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「今夜のうちに、よその国へ行って、あしたの朝は、ここへもどってこられるからね」
そこで、ヤルマールは、さっそく晴着を着て、そのりっぱな船のまんなかに乗りこみました。すると、すぐにお天気がよくなりました。そして、船は通りを走りだしました。教会をぐるっとまわると、大きな広い海に出ました。船は、それから長いあいだ走りつづけました。もう、陸地は、かげも形も見えなくなりました。
コウノトリが、むれをつくって飛んでゆくのが見えました。コウノトリたちは、いま、ふるさとを去って、暖かい国へゆこうというのです。一羽また一羽と、一列になって飛んでいました。みんなは、今までに、とてもとても長いこと飛んできました。ですから、そのうちの一羽は、つかれきって、もうこれ以上つばさを動かして、飛んでいくことができなくなりました。その鳥は、列のいちばんおしまいを飛んでいましたが、そのうちに、みんなからずっと離れてしまいました。そして、とうとうしまいには、つばさをひろげたまま、下へ下へと落ちていきました。二度、三度、つばさをバタバタやりましたが、もう、どうしようもありません。足が、船の帆綱にさわりました。帆の上をすべり落ちて、バタッと、甲板の上に落ちました。
船のボーイがこのコウノトリをつかまえて、ニワトリや、アヒルや、シチメンチョウのはいっている、トリ小屋の中に入れました。あわれなコウノトリは、しょんぼりして、みんなの中に立っていました。
「みなさん、ごらんなさいな!」と、メンドリたちが、いっせいに言いました。
すると、シチメンチョウは、思いきり、ぷうっとふくらんで、おまえはだれだい、とたずねました。アヒルたちはあとずさりして、たがいに押しあいながら、「早く言いな。早く言いな」と、ガアガアさわぎたてました。
そこで、コウノトリは、暖かいアフリカのこと、ピラミッドのこと、砂漠を野ウマのように走るダチョウのこと、などを話しました。しかし、アヒルたちには、コウノトリの言うことがわかりません。それで、たがいに押しあいながら、言いました。「どうだい、みんな、こいつばかだと思うだろう!」
「うん、たしかに、こいつはばかだよ!」シチメンチョウはこう言って、のどをコロコロ鳴らしました。コウノトリは何も言わずに、ただアフリカのことばかりを心に思っていました。
「おまえさんは、きれいな細い足をしているね」と、シチメンチョウは言いました。「五十センチでいくらするんだい?」
すると、アヒルたちは、「ガア、ガア、ガア!」と、ばかにしたように、笑いました。けれども、コウノトリは、なんにも聞えないような顔をしていました。
「いっしょに笑ったらどうだい」と、シチメンチョウは言いました。「ずいぶん、しゃれたつもりなんだからな。それとも、おまえさんには低級すぎたかい。おや、おや! こいつはちっと足りないや! おれたちは、おれたちだけで、ゆかいにやろうぜ!」こう言って、クッ、クッと鳴きました。すると、アヒルたちは、「ガア、ガア、ガア!」とさわぎたてました。こうして、みんながおもしろがっているありさまは、おそろしいほどでした。
けれども、ヤルマールはトリ小屋へ行って、戸をあけて、コウノトリを呼びました。コウノトリは、ヤルマールのあとから甲板にとび出てきました。いまでは、からだも、じゅうぶんに休まりました。コウノトリは、ヤルマールにお礼を言いたそうに、うなずいているみたいでした。それから、つばさをひろげて、暖かい国へむかって飛んでいきました。ニワトリたちはクッ、クッと鳴き、アヒルたちはガアガアおしゃべりをし、シチメンチョウは顔をまっかにしました。
「あした、おまえたちをスープにしてやるぞ」と、ヤルマールは言いました。けれども、やがて目がさめたときには、いつもの小さな寝床の中に寝ていました。それにしても、オーレ・ルゲイエが、ゆうべさせてくれた旅は、ほんとうにふしぎな旅でした!
「いいかね」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「こわがっちゃいけないよ。ごらん。ここに、小さなハツカネズミがいるね」こう言いながら、かわいい、ちっちゃなハツカネズミを持った手を、ヤルマールのほうへ差しだしました。「このハツカネズミは、おまえを結婚式に招待しにきたんだよ。ここで、二ひきのハツカネズミが、今夜、結婚することになっているのさ。そのふたりは、おまえのおかあさんの食物部屋の床下に住んでいるんだよ。あそこは、とても住みごこちのいいところなんだって!」
「でもね、ちっちゃなネズミの穴から、どうして床下へはいっていけるの?」と、ヤルマールは聞きました。
「わたしにまかせておけば、大丈夫!」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「いま、おまえを小さくしてあげるよ」それから、オーレ・ルゲイエが、あの魔法の注射器でヤルマールのからだにさわると、ヤルマールのからだは、たちまち、どんどん小さくなって、とうとう、指ぐらいの大きさになってしまいました。「もう、すずの兵隊さんの服が、かりられるよ。きっと、似合うだろう! 宴会のときは、軍服を着ていたほうが、スマートに見えるからね」
「うん、そうだね」と、ヤルマールが言ったとたん、もう、このうえなくかわいらしいすずの兵隊さんのように、ちゃんと軍服を着ていました。
「どうか、おかあさまの指ぬきの中に、おすわりくださいませ」と、小さなハツカネズミが言いました。「そうすれば、あたくしが引っぱってまいりますから」
「おや、お嬢さんに、そんなお骨折りをしていただいては、申しわけありません」と、ヤルマールは言いました。こうして、みんなは、ハツカネズミの結婚式へ出かけていきました。
はじめに、みんなは、床下の長い廊下にはいりました。そこは、指ぬきに乗って、やっと通れるくらいの高さでした。くさった木の切れはしのあかりが置いてあるので、廊下じゅうが明るくなっていました。
「ここは、いいにおいが、しやしません?」と、ヤルマールを引っぱっているハツカネズミが言いました。「廊下じゅうに、ベーコンの皮がしいてあるんですのよ。こんなにすてきなことってありませんわ!」
まもなく、みんなは式場へ来ました。右側には、小さなハツカネズミの婦人たちが、ひとりのこらず立っていて、ひそひそ声で話しては、ふざけあっていました。左側にはハツカネズミの紳士たちが立ちならんでいて、前足でひげをなでていました。部屋のまんなかに、花嫁、花婿の姿が見えました。ふたりは、中身をくりぬいたチーズの皮の中に立っていて、みんなの見ている前で、何度も何度もキスをしていました。むりもありません。ふたりはもう婚約しているのですし、それに、いまにも結婚式をあげようというのですからね。
それから、お客さまが、ますますふえてきました。とうとうしまいには、おたがいが、もうすこしで、踏み殺されそうなくらいになりました。そのうえ、花嫁と花婿が戸口に立っていたものですから、だれひとり出ることも、はいることもできません。部屋の中にも、廊下と同じように、ベーコンの皮がしきつめてありました。これが、ご馳走の全部だったのです。デザートには、エンドウマメが一つぶでました。このエンドウマメには、家族の中のひとりが、花嫁と花婿の名前を歯でかみつけておきました。といっても、頭文字だけですがね。こんなところは、ふつうの結婚式とは、まったくかわっていました。
ハツカネズミたちは、口々に、りっぱな結婚式だった、それに、話もなかなかおもしろかった、と言いあいました。
そこで、ヤルマールも家へ帰りました。こうして、ほんとうにじょうひんな宴会に行ってきたのです。ただ、からだをちぢこめて、小さくなって、すずの兵隊さんの軍服を着ていかなければなりませんでしたが。
「ちょっと信じられないことだが、おとなの中にも、わたしにそばにいてもらいたい人が、大ぜいいるんだよ」と、オーレ・ルゲイエが言いました。「わけても、なにかわるいことをした人が、そうなんだよ。『やさしい、小さなオーレさん』と、その人たちは、わたしに言う。『ああ、どうしても眠れません。一晩じゅう、こうして横になっていると、今までにやったわるい行いが、みんな目に見えてくるんですよ。ちっぽけな、みにくい魔物の姿になって、寝床のはしにすわり、熱い湯をおれたちにひっかけるんです。どうか、きて、そいつらを追っぱらってください。ぐっすり寝られるように!』こう言って、深いため息をつくんだよ。そしてまた、『お礼はよろこんでしますとも。それじゃ、おやすみなさい、オーレさん! お金は窓のところにありますよ』と、言うのさ。でも、わたしは、お金がほしくて、そんなことをするんじゃないんだよ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。
「今夜は、どんなことをするの?」と、ヤルマールはききました。
「そう、どうだね、今夜も、もう一度、結婚式へ行く気があるかい? きのうのとは、もちろんちがうけどね。おまえのねえさんは、ヘルマンという、男のような顔をした大きな人形を持っているだろう。あれがベルタという人形と結婚することになっているんだよ。それに、きょうは、この人形の誕生日だしするから、贈り物も、きっと、うんとたくさんくるよ」
「うん、それなら、ぼくもよく知ってるよ」と、ヤルマールは言いました。「人形たちに新しい着物がいるようになると、いつもねえさんは、誕生日のお祝いか、結婚式をやらせるんだよ。きっと、もう百回ぐらいになるよ」
「そうだよ。今夜が、百一回めの結婚式なんだよ。でも、この百一回がすめば、それで、みんな、おわってしまうのさ。だから、今夜のは、とくべつすばらしいだろうよ。まあ、見てごらん」
そう言われて、ヤルマールがテーブルの上を見ると、そこには、小さな紙の家が立っていて、どの窓にも明りがついていました。そして、家の前には、すずの兵隊さんが、みんな、捧銃をしていました。花嫁と花婿は、床にすわって、テーブルの足によりかかり、なにか物思いにふけっていました。もちろん、それには、それだけのわけがあったのです。オーレ・ルゲイエは、おばあさんの黒いスカートをつけて、坊さんのかわりに、式を行いました。式がすむと、部屋じゅうの家具という家具が、みんなで声をそろえて、鉛筆の作った、美しい歌をうたいました。その歌は、兵隊さんが兵舎に帰るときのラッパの節でした。
歌えや、歌え! この喜び、
われら歌わん、ふたりのために!
見よや、見よ! 顔こわばらせ、楽しげに、
中に立つは、われらの革人形!
ばんざい! ばんざい! 革人形!
われら歌わん、声高らかに!
それから、ふたりは贈り物をもらいました。しかし、食べ物は、みんなことわりました。だって、ふたりは愛情だけで、もういっぱいだったのですから。
「ところで、ぼくたちは、いなかに住むことにしようか、それとも、外国へでも旅行しようか?」と、花婿がたずねました。そして、たくさん旅行をしているツバメと、五度もひなをかえしたことのある、年よりのメンドリに相談してみました。すると、ツバメは、美しい、暖かい国のことを話しました。そこには、大きなブドウの房が、おもたそうにたれさがっていて、気候はじつにおだやかで、山々は、ここではとうてい見られないような、すばらしい色をしていると。
「でも、そこには、わたしたちのところにあるような、青キャベツはないでしょう」と、メンドリが言いました。「わたしは、子供たちといっしょに、いなかで、一夏をすごしたことがあるんですがね。そこには、砂利取り場があって、わたしたちは、その中を歩きまわって、土をかきまわしたものですよ。それから、青キャベツの畑にはいることも、ゆるしてもらいましたよ。ああ、ほんとに青々としていましたっけ。あそこよりいいところなんて、わたしにはとても考えられませんわ!」
「だけど、キャベツなんて、どこのだっておんなじですよ」と、ツバメは言いました。「それに、ここは、ときどき、とてもひどい天気になるじゃありませんか!」
「そうですね、でもそんなことには、みんな、なれてしまっていますよ」と、メンドリは言いました。
「でも、ここは寒くって、氷もはりますよ!」
「そのほうが、キャベツにはいいんですよ」と、メンドリは言いました。「それに、ここも暖かになることだってありますわ。四年前のことですがね、夏が五週間もつづいたんですよ。あのときは、暑くて暑くて、それこそ、息をするのもやっとでしたわ! それからここには、暑い国にいるような、毒をもった動物がいませんよ。どろぼうの心配もありません。この国をどこよりも美しい国だと思わないような人は、わるい人です! そんな人は、この国にいる、ねうちがありません!」こう言うと、メンドリは泣きだしました。「わたしだって、旅行をしたことはありますよ。かごにはいって、十二マイル以上も旅をしてきたんですからね。でも旅行なんて、ちっとも楽しいものじゃありませんわ!」
「そうだわ。ニワトリの奥さんのおっしゃるとおりよ」と、人形のベルタは言いました。「あたし、山の旅行なんていやだわ! だって、登ったり、下りたりするだけなんですもの。ねえ、あたしたちも、砂利取り場の近くへ行きましょうよ。そうして、キャベツ畑を散歩しましょうね」
そして、そのとおりになりました。
「さあ、お話してね」ヤルマールは、オーレ・ルゲイエに寝床へ連れていってもらうと、すぐに、こう言いました。
「今夜は、お話しているひまがないんだよ」オーレはこう言って、見るも美しいこうもりがさを、ヤルマールの上にひろげました。
「まあ、この中国人をごらん」
見ると、こうもりがさは、全体が大きな中国のお皿のようで、それには青い木々や、とがった橋の絵が、かいてありました。その橋の上に、小さな中国人が立っていて、こちらにむかってうなずいていました。
「わたしたちは、あしたの朝までに、世界じゅうをきれいにしておかなければならないんだよ」と、オーレは言いました。「あしたは日曜日で、神聖な日だからね。わたしは、これから教会の塔へ行って、教会のこびとの妖精が鐘をみがいて、いい音がでるようにしておいたかどうかを見なければならないし、畑へも行って、風が草や木の葉から、ほこりを吹きはらってくれたかどうかも見なければならないんだよ。でも、いちばん大事な仕事は、空の星をみんな下ろして、みがくことだよ。わたしは、それを前掛けに入れて、持ってくるんだがね、その前に、一つ一つの星に、番号をつけておかなければならないのさ。そして、取り出したあとの穴にも、同じ番号をつけなければならないんだよ。星が帰ってきたときに、ちゃんと、もとの場所へもどれるようにね。もしちがった穴へでもはいってしまうと、ちゃんとすわっていられないから、あとからあとからころがり落ちて、流れ星があんまりたくさんできてしまうからね」
「もしもし、ルゲイエさん!」と、そのとき、ヤルマールの寝ている、上のかべにかかっている、古い肖像画が言いました。「わしはヤルマールの曾祖父です。子供にいろいろ話を聞かせてくださって、あつくお礼を申します。しかし、子供の考えを迷わさないように願いますぞ。空の星は、取り下ろしたり、みがいたりできるものではありませんからな。星というものは、われわれの地球と同じく、天体なのですぞ。そしてまた、それがいいところなんですからな」
「ありがとう、お年よりのひいおじいさま!」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「ありがとう! あなたは、一家のお頭です。あなたは『古い』お頭です。しかし、わたしは、あなたよりももっと古いのです。わたしは、むかしの異教徒なのです。ローマ人やギリシャ人は、わたしのことを、『眠りの精』と呼んだものですよ。わたしは、いちばんとうとい家の中へもはいっていきましたし、今でもはいっていきます。わたしは、小さい人とも大きい人とも、おつきあいができるのです! それでは、今夜は、あなたが話をしてやってください!」──
こう言うと、オーレ・ルゲイエは、こうもりがさを持って、行ってしまいました。
「今では、自分の考えを言うこともできんのか!」と、古い肖像画が言いました。
そのときヤルマールは目がさめました。
「今晩は!」と、オーレ・ルゲイエは言いました。すると、ヤルマールはうなずきました。けれども、すぐさまとんで行って、ひいおじいさんの肖像画を、かべのほうへ向けてしまいました。こうしておかないと、またゆうべのように、口を出されて、お話が聞けなくなってしまいますからね。
「さあ、お話を聞かせて。『一つのさやに住んでいる、五つぶの青いエンドウマメの話』や、『メンドリの足に愛をささやいた、オンドリの足の話』や、『あんまり細いので、ぬい針だとうぬぼれている、かがり針の話』なんかをね」
「お話のほかにも、ためになることはたくさんあるよ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「ところで、今夜は、ぜひともおまえに見せたいものがあるんだよ。わたしの弟なんだがね、名前は、やっぱりオーレ・ルゲイエだよ。もっとも、弟は、どんな人のところへも、一度しかこないがね。くれば、すぐに、その人をウマに乗せて、お話を聞かせてやる。ところが、そのお話というのは、二つっきり。一つは、だれも思いおよばないような、すばらしく美しいお話、もう一つは、ぞっとするような、恐ろしい、──とても書くことができないような、お話なんだよ」
そこで、オーレ・ルゲイエは、小さなヤルマールを窓のところへだき上げて、言いました。「ほら、あそこに見えるのが、わたしの弟で、もうひとりのオーレ・ルゲイエだよ。人間は、弟のことを、死神とも言っている。だけど、ごらん。絵本だと、骸骨ばかりの、恐ろしい姿にかかれているけれども、そんなふうじゃないね。それどころか、銀のししゅうをした、上着を着ている。まるで、美しい軽騎兵の軍服のようじゃないか! 黒いビロードのマントが、ウマの上でひらひら、ひるがえっている! あれあれ、あんなに速くウマを走らせているよ!」
言われて、ヤルマールがながめると、そのオーレ・ルゲイエがウマを走らせていました。そして、若い者や、年とった者を、ウマに乗せていました。ある者は前に、また、ある者はうしろに乗せました。けれども乗せる前に、オーレ・ルゲイエは、いつもこうたずねました。
「成績表はどんなだね?」
「いい成績です」と、だれもかれもが、言いました。
「よろしい、ちょっと見せたまえ」と、オーレ・ルゲイエは言いました。
そこで、みんなは、成績表を見せなければなりません。その結果、「秀」と「優」とをもらっていた者は、ウマの前のほうに乗って、楽しいお話を聞かせてもらいます。ところが、「良」と「可」とをもらっていた者は、ウマのうしろのほうにすわって、ぞっとするようなお話を聞かなければならないのです。その人たちは、ふるえながら、泣いていました。ウマからとび下りようとしても、だめなのです。なぜって、みんなはウマに乗せられたとたん、たちまち、根が生えたように、動けなくなってしまうからです。
「だけど、死神って、とってもりっぱなオーレ・ルゲイエだねえ!」と、ヤルマールは言いました。「ぼく、ちっともこわくないよ」
「そう、こわがることなんかないね」と、オーレ・ルゲイエは言いました。「いい成績表を、もらえるようにしさえすればいいんだよ」
「さよう、これはためになる!」と、ひいおじいさんの肖像画が、つぶやきました。「やっぱり、自分の考えを言えば、役にたつのじゃな!」こう言って、肖像画は満足しました。
みなさん! これが眠りの精のオーレ・ルゲイエのお話です。今夜は、オーレ・ルゲイエが、みなさんに、もっといろいろのお話をしてくれるかもしれませんよ!
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集Ⅰ」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
※表題は底本では、「眠りの精」となっています。
入力:チエコ
校正:木下聡
2019年7月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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