エリセーフ氏
中谷宇吉郎



 ハーバード大学の極東美術の主任教授に、エリセーフ氏という人がある。東大の文学部卒業、国文学を専攻したという変った学者で、その頃漱石のお弟子の一人であった。

 若い頃は、小宮(豊隆)さんなどの悪友仲間だったそうで、小宮さんからもぜひ訪ねるようにすすめられた。私も二十年前に、パリのサツマ会館の管理者としてのエリセーフ氏を知っていたので、今度の渡米には、久しぶりの邂逅を楽しみにしていた一人である。

 事実、アラスカ、アメリカの西部、カナダと、忙しい旅行をした挙句、落着いたボストンの街に着いた時は、一寸ほっとした。そしてエリセーフ氏を真っ先に訪ねた。

 エリセーフ氏も非常に喜んで、有名なボストンの美術館を案内したり、オルコット夫人の家の近くにある料理店で、劒魚ソード フィッシュを御馳走してくれたり、大いに歓待してくれた。そして映画に出てくるようなアパートの一室で、二晩ばかり、おそくまでいろいろな話をした。

 エリセーフ氏は、東大の卒業論文に『芭蕉の研究』を書き、菊五郎について踊りも習ったことがあるという先生である。青年エリセーフ君が、振袖を着、かつらをかぶった舞台姿の写真が、壁にかかっているのだから、フジヤマや日光の話をしたわけではない。

 話は皆面白かったが、そのうちでも一番面白かったのは、日本へ憧憬に近い感情を吐露された点である。新しいオーズモビルをドライブし、宮殿のようなアパートに住んでいて、日本の貧乏生活を讃美するのだから、話が一寸かわっている。

 もっともハーバードの主任教授であるから、これくらいの生活をするのは当然であり、また『三四郎』時代の漱石の弟子として、当時の日本にあこがれを持つのも、うなずけないことではない。しかしエリセーフ氏の真意は、『三四郎』時代の日本だけにあるのではなさそうであった。

「中谷さん、アメリカの生活といっても、みな良いことばかりじゃありませんよ。もっとも生活には困りませんが。アメリカという国は、どういいますかね。いわば面白くない国ですよ。人間同志が、いつも競争状態にあるんですから。男と女との関係までも、その気味がありますね。僕は暮しが出来たら、日本へ行きたいと思っているくらいですよ」という話であった。

「たとえば、お風呂でもそうですね。日本の銭湯で、冷たい手拭をひたいにのせて、ゆっくりお湯にひたっていると、都都逸どどいつの一つも出て来るでしょう。アメリカのバスルームの、窓も一つも無い狭苦しいところで、熱いお湯にはいったら、汗だくになって、大急ぎで洗ってとび出すだけのことでしょう」という。都都逸を習っていないので、すぐ合槌は打てなかったが、何だかそういう気分はわかるような気がした。

 アメリカ人は、一生の間に、日本人の千年分くらいの能率をあげるといわれる。しかしその裏にいくばくの嘆きを感じている人もある。人生に万全ということは無いので、如何に秀れた文明にも、必ずかげがある。

 同様にわれわれの非能率と原始的に近い生活の中にも、或る種のいこいはある。アメリカ文化の模倣が、この美点を失うことだけに終っては、元も子も無くなるおそれがある。

(昭和二十五年三月)

底本:「中谷宇吉郎随筆選集第二巻」朝日新聞社

   1966(昭和41)年820日第1刷発行

   1966(昭和41)年930日第2刷発行

底本の親本:「花水木」文藝春秋新社

   1950(昭和25)年715日初版発行

入力:砂場清隆

校正:岡村和彦

2019年1227日作成

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