根岸庵訪問の記
伊藤左千夫
|
近来不良勝なる先生の病情片時も心にかからぬ事はない。日本新聞に墨汁一滴が出る様になってから猶一層である。或は喜び或は悲み日毎に心を労している いくらか文章に勢が見えて元気なことなどの出た日には。これ位ならばなどと心細い中にも少しく胸が休まるような感じがするものの実際は先生の病情少しも文章の上では推測が出来ないのが普通であるのだ。
歌の会俳句の会すべてを止めて余り人にこられては困ると云うようになってよりは。たずねてよいやら悪いやら殆どわからないけれども。愈ゆくまいと云う気にはどうしてもなられない。つまり余りゆくもわるい余りゆかぬも悪るいだろうと思うた。時々の先生の話振からでもたまには行く方がよいように感じたから。人は兎に角自分は時々は是非訪問することと極めたのである。余りま近くゆくこと余り長居することだけは固く謹もうと思うた
今月はきょう迄に三回たずねた 月始りは三日の日に一度たずね。それから七日の日にはわざわざでない上野辺に聊か用事があったので。きょうはと思い午後の四時じぶんに先生の門前迄往ったが。ふと考えてみるとまだ三日しか間がない 余りま近く重なるはよくあるまいかしらんと気がついたので。門前に躊躇しながら内をのぞいてみると。女の下駄が三足あるけれどちゃんと内へ向いて並んでいる よその人のらしくない 客もないなとは思うたがまずまず今日はよるまいと決心した。
決心はしたもののさればと云って未だなかなか帰ると云う方に足はむかない。暫くたたずんで内の様子を見ると云うでもなく考えて居ると云うでもなく只ぼんやりしていたのである。おっかさんの声もしない 妹さんの声もしない 先生のせきの声もきこえない。帰ろうと云う決心極めて薄弱であるので未だ吾からだを動して帰路に向わしむる程の力がないのだ。何とはなしに陸さんの門前の方へ廻り何とか云う人の門につきあたり左の方を注視したけれども先生の庭の方へ出でる道はない 仕方はないから又もとへ戻って先生の前へ来た。ふたたび内をのぞいた 下駄もさきに見た通りでかわらない 愈ほんとうの決心がでて門前を東へ過ぎて吾躰を運転した。例の通りつき当って右へまがり又右へまがりいつも先生の庭の方へゆく門の所までくると又ふらふらと気が動いて此門へはいった。直ちに例の杉屏の前までやった 裏からはいろうと云う心でもなくまあ……のぞき込みにきたのだ。枝折戸をあけるわけにもゆかないでしきりにそこ此所からのぞいたけれども屏の内はよくも見えない 無論どなたの声もきこえない。漸くあきらめがついて帰ってしまった 先生の許へ往くようになってからこんな事はきょうが始めてである
十三日の午後から急に訪問を思い立って出掛けた。二三日前に百花園からつるの手をつけてある目籠に長命菊つくし石竹の苗其他数種の青草を植込にしたやつを買って来て置いたのを持って往ったのである
きょうは暖炉の掃除をやったとの事で先生は八畳の座敷に石油暖炉をたき東向になってねていられた。何か雑誌を見ていられ手の下には原稿紙に少し何か書掛けてある。
別にかわったことはないがだんだん躰が疲れてゆく 腰の痛背のいたみ少しでもさわるとたまらなく痛む。それだから此頃は殆ど寝がえりと云うことができぬ。従て夜もおちついてはねむれない 眠てもすぐさめる 疲れるから眠ることはねむるが一時間もたつともう目がさめる。などと話さるるうちにも枕に頭をつけて居り又は僅に右りの片ひじで躰をささげつつ一つ啖をださるるにもうめぎの声をもらすなど苦痛の様子は見るに忍びない。如斯ことはきょう始めてと云うではないが見る度に胸がふさがるべくおぼえ何と云うて慰さめんようもなく身も世もあらぬ思である。
八日に香取がきて十日に岡がきた。長塚へ梅の歌を詠めと云うてやったら三月上旬に出京して実際を見てから作ると云うてきた。岡田には梅がなかろうか……此草花は面白い 殊につくしがふるっている なかなか趣向もある 日本画家などにはこれほどの趣向あるものもないなどと笑われた。それから先生の次々話されたあらますはこうである。
君との交際は僕が最後の交際だ。此頃のようではよしあたらしい交際ができても交際らしい交際をすることができぬ。もう飲食会すら気がすすまぬ 勿論今でも飲食が一番のたのしみではあるけれども以前の様ではない。君が去年来はじめた時ぶんはまだ小用の時は唐紙の外へ出てしたのだが。まもなくそれができなくなって寝ているままで便器へやったけれど猶まさかに客の方へ向いていてはやらなかった。夫を此頃では寝返りができぬ故客の方へ向てでもなんでもやるより仕方がなくなった。
湯にはいらないことがちょうど五年になる 足を洗わぬのが半年顔を洗わぬのが二月になる。もう今日ではどうしても顔を洗うことができぬ 顔を洗うだけは迚ても手が動かせないのだ。手だけは毎日石鹸で洗っている こう云う調子に衰えてきた 此割合で推してゆけば結局の事もちゃんとわかる。(呼嗚如斯談話を聞ける吾苦さは迚ても云いあらわすことができぬ)
平賀元義の事を是から毎日かく。是れも実は堂々と書きたかったのだけれどそんなこと云うている間にかけなくなってしまうからできるだけかけるだけかこうと思う。元義のことは世間の歌よみなどが何とも云うていないから是非少しでも書いて置きたい。
猶いろいろの話があったけれどもしるして置くほどでもない。始のほどは只々苦しそうにのみ見えたが談稍興に入りては時々元気な笑ももらされた。承知しながらもとうとう長居になって夕飯をもてなされ七時頃にいとまもうした
底本:「左千夫全集 第二卷」岩波書店
1976(昭和51)年11月25日発行
底本の親本:「俳星 第二卷第一號」俳星発行所
1901(明治34)年3月12日発行
初出:「俳星 第二卷第一號」俳星発行所
1901(明治34)年3月12日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※「うめぎ」は「うめき」の、「あらます」は「あらまし」の訛音です。
※作中の「先生」は正岡子規、「根岸庵」は正岡子規の居宅です。
入力:高瀬竜一
校正:きりんの手紙
2018年9月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。