紅葉
伊藤左千夫
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秀麗世にならひなき二荒の山に紅葉かりせはやと思ひたち木の芽の箱をは旅路の友と頼みつゝ丙申の秋神無月廿日の午の後二時半と云ふに上野の山のふもとより滊車にこそうち乘りけれ
赤羽さわらひ浦和大宮なと夢の間に打過て上野の國宇都宮にそ日は暮にける
しはしやすろふ暇もなく烏羽玉の夜路をは馳りつゝ滊車は直に日光山にこそ向ひにけれ はや近しなと乘合の人々のゝしりけれは
日光山脚下の小西てふ旅やかたに夜の八時過と云ふ頃旅の行李はおろしにけり
廿一日の朝しらせさりける都の友かりにかくなんいひやりたる
あなひ一人ひき具しつゝつとめて山にわけいれはふもとのあたりは紅葉なほあさし
わけゆくまゝに秋の色はいとゝ深くなりまさりつゝ
よとめるは藍のこと躍れるは雪をちらす大谷の流巖にくたけ石に轟きつゝ溪谷を奔下するさま筆には及ひかたし
溪流にかけわたしたる橋のあなたに茶をあきのふ庵ありけるほとりより横道にわけいりて木の根岩かとはらはひつゝ深くたとりゆけは
また右なる方にいとさゝやかなを白糸の瀧となん云と聞て
元なる道に歸りてしはしゆくほとに馬かへしと云ふ所につきぬ 昔は此山に詣てつる人はかならす茲より馬をはかへしたりとなん 開けゆく御代の惠に此深山路も今は馬の通はぬ岨路もなくなりにけり 此の夏はあやにかしこき日つきの皇子も行啓遊はされこゝなる旅舘つた屋となんいへるに御やとりましませしとかや うへに家居もいとすか〳〵し おのれもしはし茲に腰うちかけて例の木の芽に都の手ふり忍ひつゝ旅のつかれも忘れにけり 賤か草屋のさまさへいとゝあはれに目とめらるゝものから
山はやう〳〵深くなりにけり
あるは峯の端あるは谷間にくたりいつくよりなかめてもあたりの山〳〵をはうち拔きつゝいともたかきは二荒の山
やゝ昇る程に其名さへいと高き屏風巖のふもとにこそ出たりけれ なへての世のならひ實の名に通るは少きを此屏風巖はかり諺の外なるこそあやしけれ 眞すくに砌りたてる幾万尺の巨巖頂き高く天漢を摩しうちみたるふりこそ屏風にも似たるらめ そか偉大豪宕なるにしきまもなく紅葉のにしきおりかけたるけしきなか〳〵に物のたとふへきなし 加之大谷の流そのふもとを掠め霧を吹き雪をけりつゝ雷の鳴り渡るさまのひゝきして奔る勢筆にも言葉にも及ふへきにあらす 見る者誰かは氣あかり神おとりておほへす掌をうたさるへき
次に劒か峯と云ふ所にいてぬ こゝに茶をあきのふ賤かやあり 谷をへたてゝ乾の方に瀧二つみゆ 右なるを方等左なるを盤若と云ふ 屏風巖東をふさき北はあからけ山西は黒髮山雲井遙にうちそひへたるゑもいはれぬけしきなり
山ます〳〵高くして紅葉いよ〳〵ふかし
七八丁も昇りしと思ふ程に又賣茶の宿ありて其庭の眞中の大なる石を磁針石となん云ふとそ あなひかことわけなとさへつりたれとくた〳〵しけれはかゝす 右なる方を望めは谷のあなたに阿巖となんいへるいとさゝやかなる瀧のかすかに木のまにみゆるけしきまたなか〳〵なり
なほも岨路をゆくほとにやう〳〵平にひろやかなる楢の林にいてにけり 中宮祠も遠からす音にもきゝし例の華巖の瀧もほと近しなとあなひかうちかたるにいさまれつゝ二三丁走りゆけはあなたの山きわに轟々として遠つ雷のことく響のきこゆるはそれなんめりと今はたえかねて小走にはしりつきやう〳〵みゆるあたりに近けはいとも大なる谷を隔てゝ打渡したるけしき兼て繪巧か畫けるも見且は人の物語にも聞て心におもひやりつゝ居たる類にあらで其勢のさかんにしていさましき有樣なか〳〵見ぬ人なとの想像に及ふへきにあらす
小野湖山大人のものせられたる唐哥の石ふみ程近に建られたり 夫かうたへるやう日光山の勝れたる氣色は天か下にならひなし華巖のさかんなるは日光山にたくひなしと實にあたれるの言葉といふへからん 高さ七十五丈幅十丈に余るとたゝへらる 立つ水煙は不斷の霧をなしとゝろきの音は百雷のやまさるに似たり くしゝくも巨なる巖に例の紅葉の鮮なる色とりしたる偉麗森巖のけしきをみれは人皆魂おとり神舞ふ
あかぬなかめに時を過しけるを心なきあなひか日は短し歸路は長しなとゝ催すものから顧みかちにて茲をは立いてたり
やかて湖畔の和泉舍と云ふに晝けたふへぬ こゝにて木の芽の箱はひらかれけり
此湖は日光の街より三里余のおく山にありて御國第一の大河利根の水源とかや 縱三里横一里水の清きけしきの妙なるは世の人のしる所なり 十六七年の前まては魚と云ふもの少したも住まさりしを開けゆく御代の如くにさま〳〵のことして今は鱒岩魚鯉ふなゝと漁夫か獲物も多しとかや 中宮祠の㕝湖畔の名ある濱みさきなとの㕝はくさ〳〵の摺物にみゆれは詳らにはかゝす 秋の日のやう〳〵かたふくまゝに梓弓ひきかへしつゝ山をは降りにけり 一里はかりは夜にいりぬ 道すからよめる
廿二日つとめて霧降の瀧訪はやとあなひ引具しつゝ東照宮の東うら手より谿を渉り岡を越へつゝゆくほとにいとおもしろき山にさしかゝりぬ 峯の上のなかめいとめつらしきよしあなひかいひぬ 此春より御用地となりてたゝ人の昇覽をは止められたりとなん 東おもては山ひらけて大原を見渡ししろふ遙にみゆる絹川の流雲煙の間にかすかなる常陸の山〳〵うしろにあからけ二荒太郎山南の鳴虫の山脈遠く天涯に馳せうちなかめたるけしきいひしらすおかし
峯の端の東屋には梨堂相國か詠歌をかゝけありとなんあなひか語をきけは
さはいへ紅葉はこゝに少したもみえす春夏のころにやよみたまひけむ しはしわけいる程にいと忍ひたる音に鶯の鳴きけれはおのれあやしみて
春はさらなり夏より秋にかけて鶯いとゝ多しとそあなひは云ひき とある岡の上に昇れは五丁許谷を隔てゝ北なる山際の紅葉色濃きほとりに二段にかゝれる大瀧のうちみゆるを是なん霧降なりと鼻うこめかしつゝあなひはさゐつりけり 上なるは百十五尺下なるは百五尺幅拾五間ありとかや こと山なる瀧の多くはあたりのせまれるに似て地曠く天ひらけ景色すくれてうるはし 岡の上に十七文字の石ふみあり
なとはいとおもしろし
日光より霧降まて一里半許なれと岨路なれはいたくつかれにけり 例の木の芽はあなひにもめくみぬ 午前のうちに宿には歸りけり 此日東照宮に詣せんとの心かまへなりしを思へは今宵は月の暦の長月十六夜なり 空に雲なけれは月やよからん紅葉も今一度なとゝ思ひて俄にいそきつゝ此度はあなひか具せし唯ひとり山路にこそ向ひにけれ きのふは日暮てよふみさりし含滿かふちと云ふ所にて
此哥はこゝのさましる人にみせはや 是よりはおふかたきのふの道なれは哥はかりをなんしるしぬ
きのふひるけしたる湖畔にやかたにやとかりぬ やかてあるしを呼出てけふしもかさねておとつれたるは此うみの上に今宵の月みんとてなり 我ためにをふねのあなひしてよと云ひしを主かいと安くうけひきたるうれしさに
いつしか湖上はるかに漕きいてぬ 風寒くして水あくまて澄めり 星きらつきていやか上にも空冱えたり さなきたに物さひしきは深山のならひなるをかゝる堺にたゝひとりうちいてゝ誰かは物を思はさるへき 朝つゆにひとしてふはかなき命をたもつ身のかやうの遊再せんはいとおほつかなき業になん おもひめくらせは樂と悲との中空に心も澄みまさりつゝ
まつほともなく二荒と細谷の山のかひよりさしのほりたる十六夜の月みるまに湖のおもて鏡とこそなりにけれ 浪のまに〳〵紅葉の流れもさやかに見えわたりつゝ四方の山〳〵あるはたちあるは匍匐ひたる皆おのか姿をあらはしぬるけしき千早振神世もきかすと歌ひけん遠つ世の美やひ男か遊も吾今宵にはよも過きしと思ふるもいとゝかなしき わか言葉の道に拙きにみるまゝを恨みなふうつす㕝のかたきになん
風いたくつよふなりて浪やう〳〵高けれはふねの輕きこと木の葉にこそにたりけれ
楫取風におちて歸らんことを求むれとも未々といひつゝ
樂を歌はむまへに極めんはまた早しとの媛神の御心にや風いよ〳〵烈しけれはなく〳〵楫取か心に舟をは任にけり 此夜宿に歸りて寐心持よきは云はん方なし 身にそはさりし魂はなほも眞夜中にひとりあくかれ出にけん 白雲のうち棚ひき紅葉も照まさりつゝいとも神さひたる天地の界にて白妙なる光につゝまれ給ひ尊もうるはしふまします立田の媛の御神にまみえたてまつり敷島の道しるへつはらにものせられたる神の教てふ一卷たまはりあなかしこあなうれしとおしいたゝけは曉の夢ははかなくさめにけり 起いてゝ窓の戸おしあくれは月はとく西山にかたふきて湖面氷をしきたらむことし
廿三日は朝またきよりあなひ雇ひて晝けのわりこなと負せつゝ玉くしけ二荒山のさしてそたちいてたる ゆく〳〵
めつらしき紅葉の枝をおることに都の人そおもひいてぬる
二荒山峯の紅葉の木の間よりさやかに見ゆる冨士の白雪
ふたらの山の 峯たかみ
ふもとのうみを みおろせは
小島に匂ふ もみち葉の
梢にふねそ かよふなる
此山は中程より上常盤木のみ生ひしけりて一つ色なる深緑實に黒髮の名にたかはさりけり 三里の嶮路昇りはてゝ
峯をこゑて北の方四里はかりくたれはいて湯に名ある湯元の里にいてにけり こゝよりあなひはかへして山田屋と云ふにやとりぬ
此里の前にそひへたるは白根山と云へりけり峯にははや雪ましろにふりつもれり
白根のあたり夜な〳〵男鹿の鳴く聲いとあはれなりと宿の人々云ひけり
此夜鹿の鳴を聞かんとて一夜まちあかしけれともいかゝなりけんかひなかりけり
廿四日なほも深山にわけいりて
なほ殘る紅葉もありけれは
やかて山田屋に歸りてひるのけたふへていよ〳〵歸さに向にけり 湯の湖の流の末は湯の瀧となり高四十五丈幅拾丈はかりありとなん 華巖のつきなるは是なんめり 總して瀧のあたりは何所も紅葉のさはなりけるを茲にもあるはあたりにちりしきあるは木の間岩かけに色の殘れる瀧のけしきにうちそへていと〳〵おかし
戰塲か原と云ふをうち過きて中宮祠を去るまた一里はかりの濱へに出てぬ いつくを見ても此うみのけしきの妙なるは實に神世なからのものにこそあれ 浦つたひうちなかむれは紅葉にてりそふ夕日のかけなきさにうちよする白浪のおと山の遠きは走るかことく巖の近きはおとるに似たり 鮮なる湖の上に種々なるけしきをあつめたるはそもいかなる神の仕業そや
道すからよしと思ふ紅葉心のまゝに手折つゝ
名殘をしきにはてしはなけれとも廿五日は朝きりふみわけていつしか緑の色こき湖のみなれしかけもかくろひけり 路に雨に逢ひて
日光近くおりくれは大谷をへたてたる鳴虫山に雲かゝりぬ
午后より東照宮にまふてゝ四時半と云ふに都ゆきてふ滊車にかへる吾身をうちのせたり 家つとには色こき紅葉七十ひらこそ携へけれ
底本:「左千夫全集 第二卷」岩波書店
1976(昭和51)年11月25日発行
※底本のテキストは、著者自筆草稿によります。
※誤植を疑った箇所を、著者自筆草稿(複製)で確認しました。底本通りでしたのでママ注記をつけております。
入力:高瀬竜一
校正:きりんの手紙
2019年8月30日作成
2019年9月18日修正
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