胆石
中勘助
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姉の病気のため五月末から外へ出ず、もう大丈夫となってからもやはり気がかりなので余儀ない用事の場合月に二、三度、それも見舞の人に留守を頼んで出たついでに日にあたってくるぐらいが関の山だった。しかし近頃では姉もよほどよくなったし、これからすこし散歩をしようと思ってるうちに今度は自分が病気になってしまった。八月二十九日発病、胆石。そのまえからひとの原稿を見てたのが二、三日ひどく大儀になって机にむかう気になれず、籐の枕をして寝ころんだまま読んだ。それを性来嫌いな暑さのためと思い、また永い間の看護や心労、執筆につづいての読書や詩作、それらの疲労が重なったのだろうとも思っていた。それもあったかもしれないが既に体の調子が悪くなってたのではあるまいか。二十九日の晩飯は食慾が進んでふだんよりよほど多く食べた。食後間もなく兄の碁の相手をして、暫くすると胸がつかえてきた。たべすぎのうえの碁のせいだろうと思って消化薬をのみ書斎へあがって長椅子に横になってたが、過食のためならじきらくになるはずのところ反対にだんだんひどくなる。水おちのへんがはちきれそうだ。私は皆より先に二階で床についた。そして胸をさすったり、寝返りをしたり、起きあがったり、いろいろやってみても一向かわりがない。そのうち下の人たちも寝てしまった。苦痛はますます烈しくなる。横になっても、仰向いても、椅子に腰かけても、どうにもならない。しまいには蚊帳のまわりを歩きまわってまぎらそうとする。そのじぶんにはただのつかえではないと気がついた。が、胃潰瘍の痛みでも、盲腸炎のでもないらしい。診察とは思ってももう遅くもあるし、頭を悪くした姉を夜中におこして心配をさせたくない。どうかして朝までと必死にこらえる。そのうちふと胃にたまってるものを出してしまおうと考えついた。洗面所へおりていって器のなかへ吐く。血液らしいものはみえないけれど食物はほとんど消化していない。胃がからっぽになったらしいまでもどしてもちっともらくにならない。苦痛はまったく別のところからくるらしい。それからまた寝床へもどり転輾としてるうちに疲労の極とろとろとして目をさましたら夜が白んでいた。私はとうとうたまりかねて下へおり姉を起して近処の先生をよんでもらった。その薬で胸の裂けそうな苦痛はよほど和いだものの全体の気分はすこしもよくならない。□□先生に電話をかける。午後来てくださるという返事だった。床を下の次の間へうつす。病気の程度によって看護の都合上そうする習慣になっている。
ひる過ぎ間もなく御来診。苦痛の長びいたのに比べて病名は無造作にすぐきまった。胆石です といって、出てしまえばなんでもない と腹部をあちらこちら ここはどうです とおさえられるのが的にあたって痛い。苦しさにまぎれて見もしなかったが肝臓のへんが脹れてるらしい。絶食、湿布ということになって先生は帰られた。姉が湿布をしてくれる。そういうことは慣れてもいるし上手だけれど病後のことで気の毒でもあり、心配でもある。××が薬をとってくるのをもどかしく待つうちにいつかうとうとしたらしい。横向きになってる背中のほうに人の気はいがしたので首をねじむけてみたら「蝉」だった。来るはずになってたのだが知らないうちに坐ってたとみえる。
「とても苦しいんだよ」
私はめったにない弱音をはいた。その苦しさがゆうべからのとちがってきた。身動きするのも息をするのも苦しい。そんな風で一夜があけた。
先生のお世話で看護婦さんがきてくれた。△△さんという健康の化身みたいな人だった。看護の都合上次の間から座敷へもう一度移ることになり、そちらに別の床がのべられた。こうして私が座敷へ寝るようになったらもうおしまいなのだ。三日や五日で起きられないときに限る。三人がかりで寝てる床をひっぱり新規の床へぴたりとつけた。あとは自分で転がってかわらなければならない。それ以外の方法では一層患部にひびきそうな気がする。で、私は歯をくいしばり体を廻転させてやっとこさとうつぶせの姿勢にまでなったがその拍子に思わず イタイ イタイ イタイ イタイ と悲鳴をあげた。石のつかえてるあたりだろうか、体の動きにつれてまるで体内の錆びついた歯車が無理やり逆に廻されるような痛みを感ずる。私は半廻転して床と床のあいだのへんに下をむいたまま両方に握り拳をこしらえて上体を支えている。しかしいつまでもそんな姿勢はつづけられないのでまたもや悲鳴をあげながら廻転し、仰向けを通りこして右を下に止ったときはヒーヒーいって短い息をはずませた。吸い込むたびに痛むので息が半分しかできない。歯車の歯が折れてしまいそうだ。そのままぐたりとしてあがりかけた魚みたいに喘いでいる。
これから以下は病床日誌を参照しながら書く。朝、昼、晩と水蜜桃の汁をしぼって百グラム乃至百二十グラムくらい吸いのみでのむ。──葛湯の百五十グラムは味がなかった。──水蜜は本場のを貰ったのが冷蔵庫で種まで冷えている。こんよりと底澄みのしたきめの細かいその果汁はさながら崑崙の玉を溶かしたかのようにみえる。それはえならぬ薫りと舌をとろかす甘みをもちながらしかも卑しい人肌の温みのない西王母の乳である。仙女の恵みの露はしんしんとして指の先までもしみわたる。
夕刻副院長さんがきて注射をしてくださる。
夜。よく眠る。
苦痛も熱も呼吸の数もすこしへったが脈搏が九十六にふえた。野菜スープは格別の印象も残らない。林檎の汁は錆色に濁るのが難である。しかしその栄養価にふさわしい?コクのある複雑な味がする。私が水蜜のほうばかり望むのを△△さんはなるべく林檎にしようとする。
朝。たいへん気分がいい。痛みも少くなった。西瓜の汁は色も安っぽく、味も水っぽくて栄養になりそうもない。元来西瓜は好きなのだけれどこうして果汁にしてみると掛け値のないところが出る。
体温、脈搏、呼吸とも普通になり、食慾が非常に進んできた。きょうの果汁は西洋梨子。在来の日本の果物にはない繊細なかおりである。旧い時代の人はこういう匂いを薬臭いといって嫌いもしたであろう。幸い私は一時代遅く生れたためかかる異国の薫りをもめでたく賞美することができる。それは蒼白く、ほろ甘く、いみじきたきものの香につつまれたカトリックの尼僧の恋にも譬えようか。
食慾が進んだせいもあり、ほかに所在がないのであれやこれやとちがった種類の果汁を考えては注文を出す。果物はお見舞いにもらうから人を煩わして買わずとも大抵家で間に合う。だからこそ気楽に註文が出せる。病床日誌によればきょうの食事は
朝 おまじり一〇〇 桃果汁八〇
九時半 ネーブル果汁六〇
十一時五十分 馬鈴薯うらごし小量 トマト汁七〇
二時半 林檎果汁一〇〇
五時 おまじり一椀 大根おろし少々 梨果汁八〇
七時四十分 葡萄果汁五〇 番茶二〇。
摘要の欄に 食慾増進あそばす。今朝はじめておまじりをめしあがってたいへんおいしそうでした とある。おまじりはほんとうにうまかった。否、うまいなぞという生やさしい言葉でいえるものではない。それは舌の感ずるただの味ではなく、その味をとおして命とつながっている。命そのものとさえいえるくらい深刻無味のうまみだ。平生から私はめったにまずさを感じたことがない。米のうまみもよく知ってるつもりだった。ところが半世紀以上も味いつづけたその米の味がこれほど貴いものだとは今はじめて知った。とろとろのおまじりのぬるみ、舌にすべるぬめっこさ、甘み、こく。一匙一匙が不老長生の霊薬の思いである。トマトの汁はさっぱりしてるけれど鋭さがあって果汁のような懐しみがない。ネーブルは食べにくいことを除けば好きな果物のひとつだが果汁には色にも味にも妙にどぎついところがあり、どこか銀座娘を聯想させる。葡萄もはじめての見参だ。琅玕の雫かともみえる青葡萄の汁。
病気のときにはよくあることらしい。仰臥してじっと天井を眺めてると松板の手のこんだ木目がいろいろな生きものの形になってみせる。先方ではおどかすつもりだろう。だがこちらもこの年になっては化けそうに功をへてるのだ。銀の匙の坊ちゃんとは訳がちがう。怖いどころか退屈しのぎになる。顔のま上にはぬえの胴体をとったみたいに猿の頭へいきなり蛇の尻尾をつけた怪物がいる。その隣の板には眼玉ばかり大きくてそのわりに間のぬけた顔の魚が口をとがらしている。それとひとこまおいてつづきの荒波のなかを分厚な唇をもったつわものが鬚を水に靡かせながら泳いでるのはアッシリアの彫刻にでもありそうな図だ。そのむこうには首をのばして疾走する馬の頭、次の間との境の欄間のところには平家蟹みたいな面が二つ、平家蟹より品がなくて妖気を帯びてるのは蜘蛛の精でもあろうか。そのほか雁の横顔や、古生物の化石や。
寝つきがわるいでもなく、眠られないでもないにかかわらず寝るのがつまらなくて 夜がなければ、はやく朝になってくれれば と念じつつ目をとじる。その待ちこがれた朝がくれば雨戸があけられ、蚊帳がはずされて若く輝かしい「きょう」の笑顔が私を見舞う。頭のほうは見るのに苦しいので問題にならない。足のほう、北の二重のガラス障子を△△さんがあけてくれると写真機のシャッターが開かれるように四角にくぎられた外景が現れ、冷たい空気が液体みたいな輪郭をもって流れこんでくる。それが衰弱と睡眠のためにけだるく弛緩した神経を溌剌と生気づける。四角のなかには椎の木と塀外の街路樹、その枝葉のあいだからちらほらと空がみえて、時には雀の声がきこえる。ただそれしきのものがこよなく美しく目ざましい。私がせいせいとして新にかえられた水に游ぶ魚のように呼吸をしてるところへ△△さんが洗面器に湯をもってくる。そして幾たびも手拭をしぼってわたす。それをうけとって丁寧に顔や頸筋、耳のなかなどに残った夜の粘りをとったのち最後に両手を、指を一本ずつ克明にふいて手拭をかえす。と、それをさげた△△さんはかわりに朝の食事をもってくる。
きょうは蜂蜜をたべた。砂糖は配給、葡萄糖はさがしてもなし、蜂蜜はこのあいだ姉にたべさせようと思って方々たずねたがどこにも品切れだったのであきらめてたところほかの買物にいった誰かが思いがけぬ店で見つけてきた。私は元来甘党でないにかかわらず病気のせいかしきりに甘いものがほしい。この文字どおりの天然の甘露は砂糖とちがって胃にもたれることがなく、砂にしみる水みたいに吸収されて五体の養いとなるいみじくも貴いものである。どういう訳か我我日本人は従来ほとんどこれを賞美しなかったけれど、あの横縞の仕事著をきた翅のある採集者たちが四角八面に飛びまわってここの山陰、かしこの野原、花園や果樹林に咲き乱れたいろいろな花からたんねんに汲みとって運びかえったこんじきの甘露、これを甜めて蝗をたべてたとすれば古のユダヤの予言者は決して粗食だったとはいえないであろう。慾をいえば私には紀州から到来の蜜柑の花の蜂蜜がいちばん望ましい。
毎日目にみえて軽くなるとはいえ寝返りするたびに声を出すほど痛かったのがいつか忘れるようによくなった。らくに寝返りができたらなあ これが最初の願いだった。ようやく大願成就したのだ。きょうの病床日誌の摘要欄には 始めて患部の痛みなしに深呼吸が一回できました とある。ちらりと見たお見舞の果物の籠に赤葡萄の房のあったことをおぼえてた私が 今度は赤いほうを と注文しておいたのを、栄養に気をとられた△△さんは娘が反物をよりどるような私の好みを忘れたとみえて青葡萄の果汁がずっとつづいた。で、きょうまた赤いほうを催促した。△△さんは ああそうでございましたね。どうも…… というようなことをいって赤葡萄をしぼってきてくれた。
葡萄の美酒夜光の杯
飲まんと欲して琵琶馬上に催す
酔いて沙場に臥す君笑うことなかれ
古来征戦幾人か回る
これは夜光の杯ならぬギヤマンの吸いのみ、魂をとろかす力もない搾りたての果汁にすぎないけれど、その奥ゆかしくさびた紅は千年をへだてる初唐の色である。なつかしい微妙な薫は駿馬いななく大宛のものである。私は夢想の神薬でものむようにひと口ずつ口にくくみ、舌に味わって、やがてすっかり飲みおわったときにおぼえず あーうまい と讃嘆の声をあげた。
事変後バタも紅茶もやめた。自然パンも牛乳もやめることになってから久しい。そこへこのトーストと牛乳だ。バタも人造バタは先生から禁ぜられたので普通のバタだ。まさに醍醐味である。先日の米の味といい、きょうのこれといい、我々が日頃自分の舌を甘やかしすぎて勿体ないくらいの天恵を忘れさせてることを思わせる。これからみれば昔荒野をさまよって飢え疲れた漂泊の民にとっては食べられるものでさえあればなんでもマナであったであろう。
きょうから特に用便の時だけ起きあがることを許された。寝返りができてからは 起きられたら が次の念願であった。こうしてらくになると爪ののびたのが気になりだした。△△さんにとってはもらったものの普通のとりかたではとったような気がしない。私のこの爪を気にする病いは癇という古く曖昧ではあるが同時に多含で適切である言葉でしかいい現せない。私が仙人になれない第一の理由は雲にのれないことでもなく、霞がくえないことでもなく、実にこの爪を長くすることが辛抱できないところにある。私は用便のあと勝手に時間を延長して爪をきりはじめた。思いきり鋏の刃をくいこませてぎりぎりまではさんでしまう。さばさばした。垢だらけの仙人生活から足を洗った思いだ。
午後。御来診。起床を許された。咲き残った朝顔もおしまいになり、鉢もかたづけられていた。そのためからりとした庭に苔がめずらしく青々として、秋海棠がさいている。睡蓮の葉が浮きながら枯れて、すっかり秋だ。はじめて温度表をみる。これは青赤黒で書きわけられた私の肉体の調子の狂った交響楽である。心臓の打楽、肺の管楽、熱は頭の琴線の絃楽か。序曲は派手に始まってるがやがて頗る単調平板になり、それが「先生」という指揮者の命令によって突然中止されたのだ。が、早晩終曲の演奏はあるにしても、さしあたりこの曲が未完成に終ったのは幸なことであった。
底本:「中勘助随筆集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年6月17日第1刷発行
底本の親本:「中勘助全集 第三巻」角川書店
1961(昭和36)年2月28日
初出:「新風土」
1941年(昭和16)年1月
入力:呑天
校正:noriko saito
2019年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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