青べか日記
──吾が生活 し・さ
山本周五郎
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しっかりしろ三十六、貴様は挫けるのか、世間の奴等に万歳を叫ばし度いのか、元気を出せ、貴様は選ばれた男だぞ、そして確りとその両の足で立上って困苦や窮乏を迎えろ、貴様にはその力があるんだぞ、忘れるな、自分を尚べ大事にしろ。そして、さあ、笑え。
今日は堀の薬師さまの縁日であった。高梨夫妻が誘いに来たので出掛けた。あの留さんも一緒だった。縁日は大変に賑やかだった、娘達が大胆である、驚いて了った。十五位の身重の少女を見た。弟と「きく」とに手紙を書いた。石井に「彼等は踊る」に就いて烈しい非難の手紙を書きかけたが止めた。どうなるものではない。神の御心のままに任せよう。此の間に「津」の母親の死があった。遂に空しい望みを抱いたまま、哀れな母は死んだ。「津」は正に詐欺である。今は十時過ぎである、盆踊りの唄を歌って通る若者や娘達が絶えない。彼等の一年に一度の「解放」されたチャンスに祝福あれ。よき眠りがあるだろう、静子よ、末子と余を守ってお呉れ。(二五八八・八・一二)
二日間日記を休んだ。一昨日は末子の家を訪ねた。彼女はもう知っているらしい。非常に懐かし気な眸で余を見守っていた。殆んどもう婚約は出来た。しっかりやろうぞ。「秋風記」プランを立てているがうまくゆかぬ。少し今日は憂鬱である。今夜は夜明かしで土地の盆踊りをみる積り。をも来る筈、今は夕刻である。
盆踊りを見て来た。踊りには一定の「振」はない。ただ男と女とが密接して環をなし、躰を揉み合うようにして廻り乍ら唄うのである。唄には独特なものはなく、然も三種位の節があって、「環」毎に節が異なっている。殊に面白いのは娘共が大変に元気で、音頭取りをやっていることである。非常にワイルドで、また極めて肉感的である、情欲そのままである。月はない、娘達も若者達も全く何のこだわりもない、解放されている。露深い草地に営まれるであろう彼等の愛に祝福があるように。さて寝よう。末子よ卿によき夢があるだろう。(八、一五)
「を」の文字わが日記より消え去る。唯それのみのこと。昨日彼女の兄と「を」とが会った。殆んど話は決った。昨夜は独り晩く帰って来て、当代島で最後の盆踊りを見た。今は朝である。早朝雨を冒して堀の浜辺へ出かけて行った。途中あまり雨が激しくなったので養魚場の土堤で、ポプラの並木の下で佇んだ。養魚場の広い池に、鵜が水にもぐっては魚を喰べているのを見た。浜辺へ出たら、海水小舎の蔭で、強い風を避けて漁舟がもやっていた。余は小舎の中に腰を下ろして風に騒ぐ蘆を見て二刻を過した。家へ帰ったら裏の籠屋の小娘おたま嬢が余を待っていたと云う。さておたま嬢と遊ぼう。
「砕けたタムラン」浄書している。つまらない。併し兎も角も金を稼がねばならぬからな。今日も一日雨だった、少し肌寒い位だ、今は十時である、裏のごったく屋では今まで東京から鱚釣りに来た客共が騒いでいた。併しもう鎮まっている。ばかな奴等だ。末子よ佳き夢が卿の夜を護るように。静子よ余の眠りを護ってお呉れ。(二五八八、八、一九)
今日は木挽町夫人の一周忌であった。何もしなかった。別に何も考えなかった。余の下宿している家の老婆は、娘の事で今日も留守にしている。天候はやや恢復したようだ。併しまた降ることだろう。「を」には兎も角も手紙しよう。その方が宜いだろう。余は独りとなる事を怖れはしない。末子よ卿に佳き夢があるように。静子よ私の眠りを護っておくれ。(二五八八、八、二〇)
何も考えなかった。また何も為なかった。石井信次に「集」の場所に就いて相談する手紙を書いた。夜高梨が訪ねて来た。身上話をして帰った。愛すべき男だ。今日はからりと晴れた一日だった。風がなかったので一日暑かったし、今でも暑い、月が出ていた。今はない。さて寝よう。末子よ卿に佳き夢があるように。静子よ私の眠りを護ってお呉れ。(八、二一)
安藤広太郎博士を訪ねた。親しみ易い人だ。帰途徳田秋声を訪れた、少女が余に羞み乍ら微笑した。氏の末子であると、センチメンタルな娘であると。氏は浦安に心を索かれているようだった。三つの一幕物を置いて来た。分るかしらん。末子のこと。何だか不安である。また余から遠ざかって了うのではないか。或いはその方が本当かも知れぬ、兎も角も「ヒ」から何等か挨拶のあるまでは黙っていることにしよう。余はいま元気なく暮している。小説「動かぬピストン」にかかろうとしている。夜。堀の方を歩いた。さて寝よう。(八、二二)
夕刻から烈しい稲妻と雷鳴が続いた。青白い火柱の立つのを両三度見た。霖雨が続いている。寒い。これで秋口に風が吹いて花をとばしたら、稲は恐らくしいなばかりになろうと案ぜられて居る。昨日石井信次から手紙が来た。今日返辞をして置いた。「ヒ」は余を避けている。話はだめなのか、三十六よ。しっかりしろ。用意はいいか。小説「ゴスタン」能登物の二である。構想が成った、月曜日から書き始めるだろう。末子よ。私によき眠りがあるように。(八、二四)
二日留守にした。一昨日は父を訪ねその家に泊った。昨日は石井信次を訪ねた。「砕けたタムラン」を読んだ。妻君が余を饗応して呉れた。今日は留さんを相手に、末子の田舎の家のことを話した。高梨の家に彼の従妹が来ていた。色の白いしっかりした顔立ちの温和しい娘であった。余は居を移すかもしれない。期待するところがある。少し酔っている。(二五八八、八、二七)
今日は寝呆けた。それで社を休んだ。為事をした。小説「ごすたん」に就いて十五枚書いた。うまく行くだろう。余は今一幕のみ十種選んで単行本を作ろうと計画している。うまく行ったらいいが、昼の内五六回雷鳴がなった。「かんだち」が一日中去来していた。今は宵の八時。澄んだ十四日の月が、静かな、一日の為事を了えてのびのびした町の上に照っている。今夜は不動さまのお縁日で堀の方は賑わっている。今日は素晴しい雲を見た。雨は多分あがるだろう。余の生活は充実するだろう。おお、あいむ・りまあかぶる・ふぇろお。末子よ卿に佳き夢があるように。(二五八八、八、二八)
いま高梨と留さんと伴れだって、堀のお不動さまの境内でやっている盆踊りを見て戻ったところ。佳い月だ。月光の下で最後の踊りの機会を得た若者や娘達が、夢中で踊っていた。「稲つき踊り」もやっていた。余の家の付近では、河岸で若いうぶな、──つまり他の娘達と踊りの仲間に入る勇気のない──娘達が六七人集まって踊っていた、人が来るとすぐ止めては笑った。彼女たちはようやく踊りの拍子を覚えたばかりであった。空は再び曇った。雷光が折々走っている。また夜半には雷雨が来ることだろう。さて寝よう。静子よ、私と末子の眠りを護っておくれ。(二八、夜)
日記を怠けた。二十七日の夜は流星が浦安に落ちた。余はそれを見た。昨日(二十九日)は大東の浜まで独りで月を見に行った(旧暦の十五夜なので)。蘆の洲の上高く初雁の渡る声がしていた、青い海面に赤い漁火が点々として流れていた。今日は八月三十日である。今日は藤田霊斎に会った。人間であった。末子の家から「ヒ」に返辞があった、尚三四年結婚を伸ばしたいとの意向である。余は志を退かぬ積り。結婚は来年の春頃までに行われるだろう。しっかりやろう。今日も朝から白雨の去来が続いた。川は増水している。夕刻から佳い月になった。今は涼しい。末子よ卿に佳き夢があるだろう。静子よ私と末子とを護っておくれ。(二五八八、八、三〇)
三四日留守にした。此の間に胃と腸とを患って木挽町で臥した。今は具合が宜い。昨夜は高梨を訪ねて時間を過した、妻君が鶏卵を呉れた。非常に喉の渇く晩だった。佳い月夜で、雷光雷鳴があった。おかしな年だ、両三日夏らしい好天気だ。川では子供達が泳いでいる。早朝三枚スケッチした。今は午後である。(九、三)
今は夜の十時である。夕景に北西遠く、低い層雲の灰色の断間に稲妻が美しく光るのを見た。今日の夕暮は非常に淋しく然も冷たいものだった、黄昏の色は冷酷に見え、川の面は鈍くいぶした銀のように冷たく光っていた。風が強かったので川下から波が押して来た。漁帰りの舟が音もなく川を溯って行くのが特に侘しかった。夜に入ってからお玉とその母親とを相手に時間を過した。いまは所謂「蒸汽河岸」の土堤へ月見に行って戻ったところ。遠い地平線の彼方に海が見え、漁火が揺れていた。千葉の方の灯かもしれぬ。「蒸汽河岸」では某の老船長が大きな鯉を釣り上げて騒いでいた。うちの老婆は娘を探ねて山梨県まで又出掛けて行って未だ帰らぬ。気の毒なことだ。さて寝よう。末子よ、卿の上に佳き眠りと美しき夢のあるように。(九、三)
池部鈞にデッサンを見せに行った。好評であった。別に何も為ず何も考えなかった。夜は高梨の家で船長とエンジナアとで麦酒を呑み乍ら時間を消した。小名木の番所の話など出た。余は浦安町の小学校の女教師関口を知ることが出来るかもしれぬ。末子よ安らかにおやすみ、佳き夢があるように。(二五八八、九、四)
昨日は何も為なかった。夜は高梨の家で過した、栗と葡萄とを馳走になった、新秋の匂いが余を満足させた。今日も何も為なかった。石井信次から来信。九日に妻君と余を浦安に訪ねるとあった。夜、「燕」を浄書している。ああ大事なことを忘れた。余はいま「田沼意次」のプランに取りかかっている。大部な作になる、今度はどうやら掴めそうである。参考書が一冊不足で、石井から借りねばならぬ。余は彼を下司(余の所謂)として、また資本力の解体者として経理家として描こうとする。要点は左の一言にある。
× × ×
意次。『武家の面目? むむ佳い文字だ、響のある上品な言葉だ、併しそれは食用になるかね』
× × ×
今日は非常に暑かった。胃の具合は全く恢復した。今度は注意しよう。別に其の他の事に就いては考えなかった。これから堀の方を散歩して寝よう。末子よ卿に安らかな眠りと、佳き美しき夢があるように。(二五八八、九、六 九時三十分)
今日は夕景に沙魚を釣った。「み」が東京から来たが、泊らず帰って行った。晩には高梨の家で「手品」をして遊んだ、「麿さん」と云う彼の弟が面白がっていた。善良な人達よ。今日は何も考えず且つ何も為なかった。末子よ卿の上に祝福があるように、静子よ余に佳き夢を呉れ。では寝よう。「末ちゃん、あなたに佳い夢があるように」。(九、七)
今夜は堀のお薬師さまの縁日であった。堀の乙女おこうちゃんが余に声をかけた。余が見たら彼女は人混みの中へ隠れ、──明日行こうか、と云った。多分明日来るだろう。おかしな少女だ。明日は石井夫妻、それから末子が来る筈である。「田沼意次」はプランは遂次進んでいる。今日終日暑かった。夜に入ると風が絶えた。さて早いが寝るとしよう。末子よあなたに佳き夢と安らかな眠りがあるように。(九、八)
今日は風が無くて終日暑かった。午頃石井信次が来た。浜へ行って一時間ばかり遊んで帰った。末子は来なかった。堀のおこうちゃんが来た。赤児が泣いたので帰った。夜シネマを見た。高梨が訪ねて来たが留守なので帰った、と。未だ暑い、寝るとしよう。末子よ佳き夢と安らかな温かい眠りがあなたにあるように。(二五八八、九、九)
昨夜は代々木の「ヒ」の家に泊った。末子がいた。彼女は故郷へ帰る。どうなることだろう。神の御心のままに、今日はまた胃の具合が悪い。田沼意次には直ぐにもかかれるが原稿用紙がない。情けないことだ。これからシネマを見に行く。慰まない夜である。末子よあなたに安らかな眠りがあるようにそして健康で清浄であるように。(九、一〇)
四五日日記を怠けた。此の間に両三日を東京で過した。「黄金の卵を産む鶏でも」一幕の構成る。今日は終日暑かった。昼間堀のお孝達が来た。併し余が声をかけたら逃げて行って了った。夕景になって葛西へ渡り、堤を川に沿って下った。鮒やせいごを釣る人達がいた。スケッチを一枚した。南風が実った稲の上を吹渡っていた。十四軒の方では既に稲を刈って干していた。今は夜である。高梨が訪ねて帰ったところ。彼、退屈であると。さて寝よう、末子よ幸福でおいで。(九、一六)
今週はずっと木挽町で過した。今帰ったところ。一昨日感冒に冒された。軽い鼻加多児で弱っている。少しずつ涼しい。誰からも手紙がない。別に何も考えなかった。何も書かなかった。(九、二二)
随分日記を怠けた。余はいま神経衰弱と感冒とで弱っている。少し寒い。二十四日には佐藤鉄太郎中将と会った。中将の著、「国防史論」に談が及ぶや、中将は明らかに亢奮し、資料などを示して大いに好意を見せて呉れた。帰りには玄関まで送り出し、余の為に傘の心配までしてくれた。──今日は少し具合が宜い。余は居を移す積りである。(二五八八、九、二六)
今日、霖雨を冒して移転。柳の家に棲む。高梨と通船の二船員が熱心に手伝って呉れた。午後から風雨。
新居は川に面し、葛西と妙見島を見晴らす。また川の下流大三角のあたりまでも見える。家婦は稍や粗野な多情らしき女。──これから銭湯に行く。ああ、昨日大島健一中将に会った。一昨日は「ヒ」の家に泊った。此の日、秩父宮の結婚式、提燈行列で赤坂付近は賑わった。余も行列に加わった。(九、三〇)
静かな雨が続いている、新居は大変に居心地が佳い。さて寝るとしよう、末子よ卿に佳き夢と温かな眠りがあるように。(三〇、夜一〇時)
新居もまた余の落着きをぶち壊す。即ち余は建具職の若者と同居せねばならぬ、余は此の家をも早く去る積り。東京へ帰ることにしよう。為事が快く続かない。今日徳田秋声を訪ねたが志を果さなかった。終日頭痛がし、躰が熱っぽくて不快であった。寝るとしよう。(一〇、一)
昨日は婦を買った。嗽は未だ止まぬ。家を変えねばならぬ。東京へ帰ろう。小説「裸婦」にかかるだろう。暫くは又浄書だ、ばかなことだ。末子を嫁に貰おう。ああ昨日東京で、ドラグ・ネットを見た。「伯林」を見た、ドラグ・ネットは佳かった。バンクロフトはうまい、スタンバアグは立派なポエトだ。
静かな雨が降り続いている。階下では「がちゃがちゃ」が鳴いている。うるさいことだ。早く東京へ帰ろう。そして為事をしよう。為事だ、為事だ。末子よ安らかな眠りと甘い静かな夢が貴女の夜を護るように。さて寝よう。静子よ、明日はあなたの命日だね、今夜は僕が一人でお逮野をするよ。神よ静子の魂が安らかに在るように。(一〇、三)
四日の日に静子の三年があった。木挽町の家で、彼女の遺骨と物語った。余は静子の遺骨に対する誓いを守るだろう。二日留守にした。今夜は高梨の家に過した。留さんはまた女に振られた。女は酷い奴である。留さんから色仕掛で二三拾円絞っておき乍ら留さんの見ているところで他の男と寝たのである。留さんは怒って、二度と再び女を見ないと高梨夫妻の前で断言していた。──ところが余が帰路女のいる「江戸川亭」に寄ったらば、彼は女や周囲の誰彼に面と対って軽蔑され乍ら、宜い気になって酒を呑んでいた。気の毒な、寧ろ哀れむ可き男よ。何も考えずまた何も為なかった。早く東京へ帰り度い。
(余は此の間、社の四階に泊った。皮の椅子を八個並べ、その上に座蒲団を敷き、毛布をかけて寝るのである、よき想い出となるだろう、今日内は此の苦行が続く筈、あな恐ろし。)(一〇、六)
終日雨だった。ひどく具合が悪い。扁桃腺が腫れて喉が痛む。午食にてんぷらで酒を呑んだのが悪いらしい。ずっと寝た。午後には暴風雨になった。北風でひどく寒かった。夜に入ると南風になりまた妙に暑苦しい。厭な天候だ。下の家婦が砂糖湯を造って呉れた。狂言「鬼ヶ峠」を書きかけたがだめ。大森のお静と其の周囲をモティヴとした小説「裸婦」も構想が成った。余は肉欲のどん底を描いてみようと思う。その他神戸時代の(殊に中居天声を主とした)小説「城崎まで」も物になりそうだ。為事がしたい、早く東京へ帰ってやろう。躰が良くなって呉れたら。また明日から当分社の四階で寝るのだ、ばかな話だ。静子よ私の眠りを護ってお呉れ。(一〇、七)
終日豪雨であった。帰途船に乗ると同時に暴風、航海は大変に冒険的であった。浦安では海嘯が来ると云って気色ばんでいる。併しもう潮は退き始めたのだから大丈夫らしい。若し来れば此の次の満潮、即ち夜半頃である。嗽は大分よくなった。でも未だ充分気を付けねばならぬ、今夜は玉子酒でも飲んで寝るとしよう。無事な眠りがあるように静子よ私を護ってお呉れ。(一〇、八)
あの男が恋しい。嗽は矢張り良くない。今日は澄んだ秋日和で終日南風が吹き通した。為事がしたい。為事がし度い、ド・キュレルの「獅子の餌食」読んでいる、個人主義と資本力の弁護に就いて見るべきものがあるようだ。併し余の解釈は違う(今は云うまい)。帰船の中で、秋の落日後の、佗しい葦と洲と旧い街並みと川の堤を見た。遠く海の方に赤い一団の雲がいつまでも光っていた。淡い夕星が一つ、かすかに光り出していた。「かわほり」が蚊を喰べて飛び廻っていた。荒川も中川も出水で土色に濁り、かなり流れも速く、然も波が立っていた。夕景に先の家の老婆を訪ねた、老婆は寂しく独りで夕食を採っていた。淋しい秋の一日であった。(一〇、九)
一昨日代々木の「ヒ」の家に泊った、夜半近くに火事があった。それを見る為に冷たい夜気に当って感冒をひき、昨日はひどい熱で悩んだ。正午頃浦安に帰り床に就いたが三十八度を越す高熱で氷枕もなく大変に不自由な苦しさを味わった。幸いに家婦の好意で砂糖湯を飲み、その後でひどい発汗があって熱は下った。家婦はなんでもすぐサトウ湯を呉れる。今日は熱は少しもない。バタ・ブレッドと果物の罐詰と砂糖湯とで一日を暮した。夕食にはカツレツと飯を喰べ林檎を齧った。そして牛乳を飲んだ。一時癒った嗽がまた出はじめた。今年の夏はとうとう微恙の内に暮した、ばかばかしい事だった。さて今夜も早く寝よう。(一〇、一二)
もう良い。嗽は直らない。一日具合が良かった。風呂に入った。一日内牛乳と林檎と麺麭とチョコレートで暮した。夕食は高梨の家で喰べた。鰯の焼いたのと、つみ入れの汁物と、乾物とで茶漬を喰べた。久し振りでうまかった。食後の葡萄もうまかった。今日は三枚ばかりスケッチをした。一枚よく出来たのがある。『貝を買う船』と云うのがそれだ。小説の材料として「灰焼場の男」Xさん、裸の男、無遠慮人を斬った話、仲間の妻君を──、釜の中で死んでいる。その他。別に何も為なかった。
「田沼」二枚書き出した、うまくゆかぬ、東京へ帰ってからだ、早く東京へ帰ろう。そして為事だ、為事だ。ああ、池谷信三郎が借金で生活していると。そして曰く「此処で食えなければ何処へでも行く、己は日本の信三郎だ」と。呵々貧乏をすると誰でもそう云う、信三郎よ、卿も始めて人間となったか。幸あれ、坊っちゃん。君は間もなく真の人生を見るだろう。でなければ教員にでもなるのだ。さあ来い。三十六は却々挫けはしないぞ、見ろ。明日の日に栄えあれ。(二五八八、一〇、一三)
朝のうち海の方へ行った。葦の洲の中では、鴨が飛び廻っていた。鶺鴒が鳴いていた。林檎の朝食を採ったあとで、汽船で行徳へ行った。スケッチをした。行徳の町はこれですっかり見た訳。江戸川放水路の堤で休み、行徳橋を渡って八幡の方へ行ったが、中途で止めた。徳願寺と云うのを見た。「文化四年八月十九日 深川富岡八幡祭礼の日 永代橋が墜ちて溺死した者の碑が建っていた」古風な鐘楼があり、雅味ある松があった。山門の仁王は駄作、見るに足らぬ。今夜も高梨の家で夕食をよばれた。あいなめ、と云う小魚と栗と新しい野菜の漬物で茶漬をうまく喰べた。食後河岸の田川堂で紅茶を三杯飲んだ、野蛮なことである。ああ行徳の船着場にある燈籠は文化九年建造のものである。さて寝よう、明日から当分また東京だ、もう間もなく浦安ともお別れである。
夕景に水番所の方を散歩した。物音一つしない広い川原、半ば枯れた雑草を戦がせて吹く風、淋しい葦の花、静かな日の光を見ていると、人生はまことに侘しく生甲斐なく思われる。全体我々は何を求めるのか、生は我々に何を与えて呉れるのか、おかしな話だ。酒も女も喧騒も名誉も、みなこれを忘れる手段でしかないではないか、おかしな話だ。何度も斯う呟いた。ああ早く東京へ帰ろう、そして為事をしよう。末子よ平和な生活が卿の上にあるように。静子よ私の健康を護っておくれ。さて寝よう、佳き睡りと甘き夢があるように。(二五八八、一〇、一四)
一昨日は木挽町で泊った。昨日は海辺の紅燈家にふ・子と寝た。今日は神嘗祭で休みである。朝浦安に帰り昼寝をした。家婦が「五目飯」を馳走してくれた。食後にひどく喉が渇いたので林檎を二つ喰べた。雨になったのでスケッチが出来なかった、今夜も早く寝る。佳き夢が(どうも昨夜の今夜でこいつは怪しい)あるだろう。末子よおやすみ、甘い楽しい夢があなたの夜を守るように。今は雨は歇んでいる、静かな夜だ。(二五八八、一〇、一七)
亡母の三年忌で弟と郷に帰って来た。帰路石井を訪ねた。妻君がまた寝ていた。其の日、余は勤先からの通知で職を遂われた。大きな打撃で少し参った。山本が激励してくれた。独りで寝ることが辛かったので、海端の紅燈家を訪って婦と寝た。二十二日には「ヒ」と「タ」とが送別の宴を張ってくれた、その夜「ヒ」の家に泊った。また二十二日の昼間徳田秋声先生(今は先生と云わねばならぬ)を訪ね、原稿のこと、勤口のことなど、浅い馴染にも不拘頼んでみた、大変親切にしてくれた。感謝している。昨夜(二十三日)も川端の紅燈家に婦と寝た。名を「小林光」綺麗な可憐な乙女だった。余は挫けはしない、何者と雖も余を挫くことは出来ない。愈々背水の陣か? 呵々。(二五八八、一〇、二四)
昨日は新国劇を訪ねた、青木と武田君とに会った。親切に迎えてくれた。「光」の家で泊った。今日は一日寝た。(二五)
昨夜はすてきな月夜だった。夜中軒に滴る夜露の音がしていた、青白く明るい空を見乍ら寝た。高梨の家で朝食を喰べた。「田沼」書きかけたが失敗した。今日は朝から曇り、微雨があった。東京から釣りに来た客達が寒そうに舟の中で慄え乍ら沖へ沖へと出て行った。「田沼」を三度書き直した。今度はどうやらうまく緒口をみつけたらしい。別に何も重大なことは考えなかった、金が入ったら東北の方を旅行しようと思う。ああ昨夜演伎館で「科学的奇術」というのを見た。二十年も前の「種」を繰返していた、哀れな旅人たちよ。さて寝よう、余は最近また居を移す筈である、佳き夢があるように。(二五八八、一〇、二八)
予は居を移した。舟宿の二階である。今度は全く独りだ、落着いて為事が出来るだろうと思う。今は大変に疲れている、併し、浴後の暢んびりした、甘い倦怠が快く全身を擽っている。さあ為事だ為事だ。(二五八八、一一、一)
「田沼意次父子の悲劇」全六幕、カアテン明く。(一一、二、午前九時)
今日は東京へ行ってシトロウハイムの「ウェッディング・マアチ」を観た。純粋の自然主義シネマ。シトロウハイムも老いた、林檎の花の散る下の恋などは甘いも甘いも論にならぬ。ただ幕明きの老公爵夫婦のベッド・ルウムの描写は素晴しかった。午後から雨になった。「田沼」数枚書いた、いよいよ此方のものらしい。万歳。夜に入ってから、新しく髪を結った、家の娘「お清」と家婢「お貞」とが盆踊唄を見せて呉れと云って予の部屋を訪ねて来た。お貞は亢奮してどぎまぎしていた。「ウェッディング・マアチ」の一場面、少女がニッキイと関係した後で幻覚を見て、「オ・アイアン・マン」と叫ぶ、あの場面を予に思わせた。今は暴風雨である。隣座敷には魚釣りに来た東京の客が騒いでいる。家主が酒の勢いで能弁にまくし立てている。予は始めて漁師の生活に触れることが出来るかもしれぬ。今夜も未だ疲れが抜けぬ。早く寝るとしよう。末子よ又東京へ来るのだそうだね、早く会おうなあ、静かな夢があなたの夜を守るように、予の明日の日に栄えあれ、三十六は挫けはしないぞ、あいむ・りまあかぶる・ふぇろう。(一一、二)
今朝 早朝零時半頃 堀江に火事が起こった。暴風雨の中で物凄く燃えた、一時間余り燃えておちた、演伎館という演芸場が火元である。丁度出演していた「安来節」の女達は雨に濡れしょぼれ乍ら、川岸の土堤伝いに逃げて行った、館の主人は焼死、家婦は発狂した。「田沼」十枚まで書いた。池部鈞から手紙が来た。土堤の方まで歩いた、秋日和であったが強い北風が吹いていた。今は夜である、風は未だ吹き続いている。「彼」にステエトメントをしようと思う。嗽はどうやら止ったらしい。ダ・カポのお蔭かもしれぬ。(二五八八、一一、三)
ああ大事なことを忘れていた。去月「日昇亭の女 ふじ」が山形県まで愛人であった同家のコックを訪ねて、共に最上川に投じて情死を果した。肥ったどっちかと云うと醜い顔だちの女だったが、どこか諦めたところのあるような、そして妙に好意を持たせられるところがあった。予が最後に会ったのは十月二十二日の夜である。その時予は「ヒ」と「タ」との催して呉れた貧しい送別の宴を終って帰ろうとしていた。そして我々が表へ出ると、丁度そこでお君と話している彼女に会ったのだ。私達は彼女が、思う男と世帯を持ったと云う話を信じ、心から悦んで、「おい、余り亭主を可愛がり過ぎるのじゃないぞ」だとか「知らせてくれたらお祝いをしたのに」とか、心ない祝辞を述べたのである。いずくんぞ知らん、その時彼女は死を覚悟して別れに来ていたのである。心もとなげに微笑し、幾度も慇懃に頭を下げた彼女の俤は、今も予の眼前を去らぬ。此の悲劇の発端に就いては簡単に意を尽すことが出来ぬ。その内に何か書いてみたいと思う。(彼女、良人、良人の入牢、出産、子との別離、カフェ勤め、貧しき養育、若きコック、情交、懐胎、若きコックの病気帰郷。良人の出獄、情死)
今日は「田沼」に就いて八枚書いた。比較的良い出来であった。えらいぞ三十六。昨夜は高梨の家で泊った、今夜は当代島でお祭りがあり、「お芝居」や「お神楽」がある、家の娘お清坊と家婢「おさだ坊」はお化粧を凝らして出て行った。夜更にならなければ帰って来ないだろう。静かな一日だった、遠く当代島の方から、囃や唄の声が聞えて来る。若人達の上に佳き夢があるように。末子よ。(二五八八、一一、四)「田沼」第一幕第一場の幕が下りた。(一一、四、夜十二時)
明日から第二場どうぞうまくゆくように。
今日は東京へ行った。シネマを観た。帰って来てから「田沼」の第二景の幕を明けた、多分うまくゆくだろう。夕景、食事の後に当代島の祭りへ行き宮芝居を観て来た。所謂「若連」が今宵を晴れと右往左往していた。もっと為事をしなければいけない 三十六よ、しっかりやれ。(一一、五)
「田沼」四枚書いた。午後から釣りをしたが一尾も釣れなかった。怠ける罰だろう。憂鬱である。しっかりしろ三十六、貴様は挫けるのか、世間の奴等に万歳を叫ばし度いのか、大きな嘘吐きとして嘲笑されたいのか、元気を出せ、貴様は選ばれた男だぞ、忘れるな、いいか、起て、起てそして確りとその両の足で立上って困苦や窮乏を迎えろ、貴様にはその力があるぞ。あるんだぞ、忘れるな、自分を尚べ大事にしろ。そして、さあ、笑え、腹の中から声を出して笑え。(二五八八、一一、六、夜十一時)
「田沼」六枚書いた。「武蔵逃亡」五枚書いた。今日は正午頃土堤に沿って川を下り、枯草の路を伝って田甫や葦の中を海端の方まで歩いた。静かな枯野の平明な風景は予慰めるところがあった。遠く所々の蓮田で農夫が蓮根を掘っていた。途上小雨が来たが、途を進めた。とある干田の畔の枯葦の茂みで、ささきりが鳴いていた。雌の肥えた奴は遙かに下の方で、垂れ下った葦の実に囓りつき、産卵器を重たそうに下げ乍ら熟れた実を喰べていた。雄のささきりは上の方の青い葉と茎の間に、逆さになってとまり、翅を顫慄させ乍ら雌を呼んでいた。風のない、静かな曇日の小さなラブ・シイン。土堤まで、背を没する高さの枯葦の中を行ってみたら、その先にも未だ白茶けた枯葦の洲が二十丁ばかりも予から海を遠ざけているのが見えた。四匹の犬が枯葦の中を跳び廻っていた。結婚を早めようと思った。末子よ早く来て呉れ。(一一、七)
今日は大変に調子が良かった。八枚書いた。「田沼」第一幕了る。(二五八八、一一、八、夜八時)
「武蔵」を五枚書いた。終日霖雨。確りやれ三十六、負けるな、負けるな、元気でやれ、元気でやれ、貴様は選ばれた男だぞ忘れるな。静子よ、私の眠りを守っておくれ。(一一、八)
「田沼」第二幕が明いた。うまくゆかなかった。今日は割に具合が悪かった。夕景に「舟」で鯊網をやった。何も考えなかった。今日は怠けた。この馬鹿め。(一一、九)
「田沼」一枚書いたのみ。「武蔵」四枚書いた。結婚を急ごうと思った。午後から大東の海へ行って、白茶けた葦の洲と厳しい海の色とを見て四半刻を過した。洲一面に葦の灰色の穂花が風に揺れていた。今日は天皇の即位式が京都で挙行された。浦安町では夕景提灯行列があった。今日は釣りをする人で非常な賑わいだった。予のいる船宿の客三人連れの男が、舟で沖へ出て行って、北風の強い曇天の寒い海の中へ堕ちて顫え乍ら帰って来た。酒を呑んで釣っている内に、小便をしようとした。一人が、舟のあおりを喰って堕ちた、そこで別の一人がそれを救けあげようとして相手の頸筋を掴んだが、後者も強かに酔っていたので、前者と共に海中の客となった。他の一人は、舟に酔っていたので手出しも出来ずに呻吟していたのだ相である。
今日は怠けた、怪しからんことである、ドゥイング・ナッシング・イズ・ドゥイング・アイルだ確りしろ。(一一、一〇)
今日も怠けた。昼に酒を呑んだ、「田沼」一枚書いた、いけないいけない。夜になって家の娘が「M」と云う蒸気乗りに辱しめられようとした為、家主が怒って騒ぎがあった。右の騒ぎには、通船会社の船長が三人謝罪の為にやって来て、問題は屡々国体観念に及ぶし、遂には哀れにも、「伊邪那岐、伊邪那美」両尊までが引合いに出されると云う結果を見るに至った。その結果二十六号の船長は始め「大馬鹿のおべしゃんこ」と呼ばれたが、調定した上、彼が帰った後には、彼は「大変な利口者で、あれあるが為に通船が保っている」と云う断案を与えられた。かくして予は一夜の快きフマースを観るの光栄を担ったのである。(此の事はもっと精しく書こうと思う。)(一一、一一、夜十二時半)
「田沼」行詰った。午後からは堀江の川端の土堤へ行き、枯草の上に寝ころんで秋日をうけて時間を消した。夜高梨の家で乾物で酒を呑んだ。帰ってから「秋風記」の幕を明けた。明日は東京へ行く、末子が来ているだろうと思う。ああ神よ、今宵の我が眠りを護らせ給え、末子よ卿の夢が円かであるように。(二五八八、一一、一二、夜十一時半)
戦は始まった。さあ。進め。三十六よ。(二五八八、一一、一三)
昨日から町は祭礼である。余は砂のように倦怠だ。明日は「松戸町」の方へ船で行こうと思う。一日雨だったが、夜になって晴れた。いまは強い南風が吹いて、なま温かい。余は扁桃腺を苦しめられている。昨夜の埃臭い霧が咽喉を冒したのである。今は十二時。(一一、一五)
ばか、ばか、ばか、耻を知れ。(一六)
遊べ、三十六、急ぐな。いくらでも遊ぶが宜い。
昨夜は夕景から、松戸の方へ出掛けた。「一軒家」から乗った船は北風の吹く薄暮の川面を遅々として川上の方へと進んだ。三日月が、暫く西の空に光っていたが、船が行徳を過ぎる頃に落ちて了った。(中絶)
随分日記をつけなかった。此の間に四日ばかり南房州のほうを廻って来た。今日は二五八八、一一、二八、である。いま月夜の北風を冒して、浦安亭へ浪花節(おお神さま)をききに行った帰りである。さあ、仕事をしよう。静子よ。私はお前の眼を見るぞ。風の音が淋しくつづいている。(一一、二八)
昨日山本で貸出しを拒絶された。博文館へ少女小説を持って行った。井口は大変に親切にして呉れた。今日はスケッチを二枚した。「牛」浄書三十四枚した。レコオドである。静かな夜だ。昨夜三日月で月蝕があった。高梨と仲直りした。彼の妹(子供が三人ある)が死にかかっている。二人の娘が可哀相である。凡てのものの上に神の恵みのあるように。静子よ。(二五八八、一一、三〇)
「浦島」に就いて五景十一枚書いた。今日は一日寒い北風が吹き通した。家の「長太郎」と十万坪の方へスケッチに行った。「長」は面白い奴である。生涯の佳きメモリアムとなるだろう。今日は酒を呑みてんぷらを喰べた。「こう断わる」。さて寝よう。佳き月夜である。(二五八八、一二、一)
「浦島」一景四枚書いた。昼間たも網を買って堀江の方へ雑魚をすくいに行った。朝鮮鮒と金こと云う和鮒と鯊と、川蝦をとった。それらをスケッチした。高梨の家に不幸があった。妹が亡くなったのである。十の長男と、八つと六つの娘がある。気の毒である。静かな雨だ。寝よう。(一二、三)
「浦島」一景五枚書いた。午後から網で雑魚を掬いに行った。やなぎ、おかめ、ごま鮒、鮒、金こ、などが捕れた、それらのスケッチをした。今日は観艦式があった。軍艦の波の為に漁舟が沈んだ、飛行船が二機純白の空を泳いでいた。夜になって強い西北風である。ひどく寒い、ゴルズオオジイ、決して凡庸作家でない。英国詩人中では看過し難い位置だ。(一二、四)
終日寒い西風が吹き通した。「浦島」二景八枚書いた。夕景に雑魚掬いに行った。三十匹ばかりの鮒とやなぎを獲た。晩には倉なあこの像を描いた。未だひどく寒い。寝よう。佳き夢があるように。(一二、五)
「浦島」第二幕にかかる、一景十四枚書いた。気に入らなかった。今日は大変に良い凪で温かかった。夕景に高梨を訪ねた。晩に「久なあこ」のポオトレエトを描いた。
「秋風記」三枚書いた。うまくゆくかもしれぬ。今は十二時である。(一二、六)
「浦島」第三幕にかかる。今は正午である。曇日で寒い、手が凍えるので、うち合せたり、こすったりし乍らペンを運んでいる。二食にしているので腹がへって耐らぬ、でも幾らか慣れて来た。昨夜は天ぷらで酒を呑んだ。具合が悪かった。(一二、一三)
「浦島」三幕五景まで来たが渋って了った、何だか変な調子になった。秋声の「黴」を読んだ。佳い。明日は東京へ行く。博文館で金を呉れるだろうか、若しそれがだめなら、愈々何とかしなくてはならぬ。小説を書こうと思う。何も別に考えなかった。夕景に沖の方へ行ってスケッチした。「長」は予の生活の唯一の慰みになって了った、愛す可き子供よ。(一二、一四)
朝来雨。非常に寒く、ペンが何度も凍えた。手から落ちた。午後は「長」と遊んだ。夜高梨を訪い、柱時計の修繕を手伝った。「うらしま」三枚書いたのみ。家娘、婢、卑劣の極、うとましく、触るるも嫌悪を催す。昼飯の時に焼いた干物を食膳の上へじかに抛り出されたには驚いた。未だ寒い。えびになって寝るとしよう。(一二、一五)
雨が降りひどく寒いので今日は東京へ行かなかった。
一昨日博文館を訪ねた。井口が親切を尽して呉れた。感謝している。昨日は「ヒ」と「タ」とに会った、酒を呑んだ。今日は「浦島」の幕を下ろした。祝いに一人で盃をあげた。夕景に沖の方を散歩し、養魚場の長い突堤を一周した、スケッチを一枚した、荒涼とした枯野に、黄昏の北風が走っていた。沖の弁天には、茶屋女らしいのが三人、参詣していた。十万坪の蘆の中では、「浜猫」がにゃあにゃあと鳴いては飛んでいた、厭な感のする鳥である。鷺も飛んでいた。(一二、二〇)
胃弱が起った。運動不足と酒と脂肪分が祟ったものだろう。当分精進。「浦島」推敲にかかった。新しい為事も始めようと思う。明日は父を訪ね石井信次を訪ねる積り。博文館から何と返辞があるだろう、うまく行ってくれると宜いが、あれが売れなかったら当面に困るから。何も考えなかった。己は参っては了わないだろう。末子の件は段々怪しくなって来た。神の御心のままに。(二五八八、一二、二三)
一昨日父を訪ね、晩食を共にした、後「や」を伊勢町の家に訪ねた。その母親が大変に悦んで種々饗応して呉れた。姉妹達も大変に歓迎していた。昨日は石井信次を訪ねた。妻君が喇叭管破裂から腹膜炎を起こして臥床していた。「浦島」を読んだ。読まなければ宜かったと思う。彼は些しも参っていなかった。帰後、高梨の家で不味く酒を呑んだ。今日も然り「てんてつ」で呑んだ。今寝るところ、博文館からは何とも云って来ず。(二五八八、一二、二六)
今日は「うらしま」推敲十枚、「狐」同じく十一枚、やった。寒かった。今はもう十二時である、「批評家と痛風」一幕書いている。是から演繹して「まゝし翁」を描くことが出来るかも知れぬ。書くとすれば喜劇が出来るだろう。静かな凪だ、冷えはするが天地は静まりきっている。地の上に恵みあれ。(二五八八、一二、二八)
北の強い寒風が吹き通した。今は良い月明である、「うらしま」第一幕推敲が終った。「狐」第二場が終ろうとしている、疲れた。未だ風は止まぬ、明日は博文館へ行く、うまく行ってくれ。何も考えなかった、為事だ、為事だ、参りはしないぞ。(二九)
だが川向うの家に反響する自分の咆哮に怯えて、いつまでも鳴きつづけていた。木挽町ではこうちぇが寝ていた。
父を訪ね、金を借りた。八木を訪ねた。(二五八八、一二、三〇)
二五八八年の除夜の鐘が鳴っている。今年は大変に多端であった。併し充分に第一歩を踏み出した。為事も殆んど充分にした、殊に後半期の「浦安」移住は予の生涯の好転期となるだろう。除夜の鐘が……五つの寺の、五色の鐘が、(それは丁度二五八三年の須磨の夜の如く)今予の独りなる貧しき書斎に訪れて来る。人達は寝た。先刻予を怒らしめた汚れたる娘よ・きも今は夢に埋められている。二五八四年の除夜は神戸千秋屋旅館に。二五八五年も同じく神戸に、而して二五八六年は鳥取市に、二五八七年は品川のを宅に、今二五八八年は千葉県浦安町に送っている。東京から来る蒸気船ももう終った。今対岸葛西の村を廻る火の番の拍子木が冴えて聞えて来る。門に立てた笹の葉が静かに風に揺れて音を立てている、サ……、サ……。
今年は「下司」を書き、「人と生活」を書き「砕けたタムラン」を書き「麦藁帽子」を書き「浦島」を書き、更に三幕未完成一作、一幕未完成二作、史劇六幕未完成一作を為た。春静子を識り、直ぐ喪った。初夏の頃末子を識り婚約が殆んど成った。夏浦安に移り。をと絶った。秋職を失い浦安に籠城した。初冬南房地方を旅行した。
後半期に於て始めた予の素描画は大いに予を慰め、且つ育てて呉れた。今年もストリンドヴェリイに感謝しよう。さてよく疲れずにやったな、三十六よ。では佳き年があるように。末子の事も良くなるだろう。左様なら二五八八年。(一二、三一、零時十分)
除夜の鐘の最後の一つが鳴り終った、二五八九年一月一日午前一時である。おめでとう三十六よ。今年もしっかりおやりよ。今は一時ジャストである。寝よう。
昨夕は高梨の家で「かるた」をした。麿さんに勝った。留さんが黝い面を振り振り「大漁踊り」と「馬鹿踊り」とを踊った。
今朝は大川に氷が終日流れていた。非常に寒い、北陸地方は例の通り風雪で、親不知あたりはまた鉄道が不通だ。今日は「うらしま」第二幕(改作)十六枚書いた。宵の中高梨を訪ねてまた麿さんとかるたした。今は午前二時半である、大川は一面に氷が張りつめた。氷の凍み割れる音がしている。時々発動機船が、ぴしぴしと氷を割り乍ら緩く通って行く。一番鶏が鳴いている、少し風が出た。明日も寒いことだろう。おやすみ、三十六よ、御苦労様だった。佳き夢があるだろう。(午前二時三十五分。二五八九、一、四)
今日は温かだった。「うらしま」六枚書いた。大分難渋している、「秋風記」を多場面に書き直そうかと思った。今は午前二時半である。大川は少し氷った。冷える、「高館」一幕の構に就いた。(一、五)
七日の日に博文館を訪ねたが井口も横溝もいなかった。金がないので、本を四冊売って帰った。今日は九日である、今日は「浦島」三幕にかかって二十五枚書いた。割に順調に行っている。今は午前三時である。先刻高梨を訪ねたら、二十六号の船長「我孫子君」が来て、二つの縁談に挾まって困っている苦情を述べに来た。一人はお銀と云う二十八になる行徳の女、一人は故里の娘、君はお銀と関係してある上に、お銀が大分彼を愛していると云うので、周囲の誰彼が忠告するのを、骨折ってお銀と一緒になろうとしているのである。「浦島」が書き上ったら改造へ行く積り。「を」をも訪ねたく思う、い・何の便りもなし、さて御苦労様だった三十六よ、緩りおやすみ、よき眠りがあるだろう。地の上に恵みあれ。(二五八九、一、九)
今は朝の四時である。「浦島」終りに近づいて難渋を極めた、が多分良く行くだろう。今日は十五枚書いた。何も思うことなし。若き過ちが予の躰を罰し始めたかもしれぬ。だが予は平気で此の強敵を迎えるだろう。予は屈しはしない。「田沼」と「森下」とを同様な「多景物」に纒めあげたいと思う。昼間堀の方を歩いてスケッチを二枚した。晩には高梨を訪れて本を一冊売った。今は四時半である、さて寝よう。よき夢があるだろう。昨夜は静子の夢を見たが。地の上に恵みあれ。(二五八九、一、一〇)
「浦島」推敲全部脱稿。(二五八九、一、一一、午後四時)
予は明日から「田沼」にかかる。しっかりやれ。今夜は「ジカタ」に出来た仮設劇場で「正美劇」なる劇団を見物した。予は此の見聞記を書くだろう。さて今夜は是で寝る、今は九時である。よき凪だ。良い夢があるだろう。(二五八九、一、一二)
徳田秋声を訪ね、預けてある原稿の返戻を求めた。予は既に此の為に五回、空しく氏の家を訪れたのである。氏は予に斯う云った。「あんな物を持ち廻ったところで、売れやしないぜ。」そして遂に原稿はみつからなかった。予は「では家にコッピイがとってある筈ですから宜しゅうございます」と辞して来た。予は帰後責任を問う手紙をしようと思ったが止める。上智と下愚は移らず。彼如きに大事な原稿を預けたのが予の過失であった。予は有らゆるものに信を喪った。予は全くの一人だ。家婦は予に爪を切る鋏を貸すことを断わった。剃刃を貸すことを断わった。世の中は如何に冷酷な無味乾燥な、埃まみれな場所だろう。今予はストリンドベリイの「青巻」を読んでいる。ストリンドベリイは毎度予にとっては最も大きく且つ尊く良き師であり友である。予は涙をもって彼の名を口にする。博文館に井口を訪ねた。望みは果されず、今日も数冊の書を売って金を得て来た。(一、一五)
予は反古紙の裏へ、確りと原稿を書き始めている。(原稿紙が無い為)「巨勢教授の実験」と云う長篇である。同時に「基督」のプランを立てる為、今「ルナン」「基督伝」を読んでいる。今日は非常に寒かった。今は未だ九時である。ストリンドベリイの「青巻」は大変に予を力づけ、励まして呉れる。
「巨勢教授」十枚書いた。風はやんだ。今は十一時である。今夜はこれで寝る。(二五八九、一、一六)
「巨勢教授」十三枚書いた。今日も終日北風で寒かった。夜堀の方を歩いた。高梨の家で、「すじ子」と「海苔」で夜食を馳走になった。よき眠りがあるだろう。地の上に恵みあれ。今は午前一時である、是から「基督伝」を読んで寝る。又少し風が出た。静子よ卿に佳き永遠の眠りあれ。(一、一七)
二日怠けて酒で暮した。明日は東京へ行く。我が運命の分岐点が明日の日に賭けてある。さらば、吉か凶か。凶ならば蔵書を叩き売って北海道へでも亡命する積り。オウ・ゴッド・アズ・ユウ・ライク・イット。静子よ。八百万の神々よ。(二五八九、一、一九)
我が、「前夜」としては落着いた凪である。少し底冷えがする、雪かもしれぬ。酔っているから文字の乱れは赦して貰い度いものだ。へん。もう一度。(二五八九、一、一九)
今日は色々の人に逢った。田村の光子に会った。おとなしい美しい娘になった。穏やかな、春日のような頬笑みで、頬を染め乍ら話す。帰る時、予をじっと見送っていた。色々の思い出が胸に溢れたのであろう。弟に会った。神奈川の静子に会った。文子の友の「田村さん」「松沢さん」と云う二少女は、丁度あの人の友、「八木さん」「赤松さん」のように予の眼を楽しませ、その故に悲しませた。博文館へ行ったが誰にも会えなかった。帰途どじょうで酒をのんだ。帰ってからは高梨を訪ねた。「巨勢教授」十一枚書いた。今は午前三時である、ひどく冷える。此の頃東京市では強盗が頻々と出没する。悪い世態だ。さて寝よう。(二五八九、一、二〇)
「けい子」の病気は未だいけないと。
一日ひどく寒かった。「巨勢教授」七枚書いた。夜になって高梨の為に「吝嗇坊と鬼」と云う童話を書いた、「巨勢」浄書八枚した。今は午前三時半である、四時になったら原稿を高梨に届けに行く、それから帰って寝る。今日博文館の横溝に手紙を出した。歎願の手紙を。恥じよ。(二五八九、一、二一)
今日も一層寒かった。「巨勢教授」十五枚書いた。その他に何も為なかった。午後から堀江の正福寺で女相撲を見た、それ丈。今は一時である。疲れたからもう寝る。(一、二二)
寒さは益々ひどい。「巨勢」十七枚書いた。夕飯を高梨の妻君が「馬鈴薯と豚肉と玉葱」で馳走してくれた。うまかった。何も考えなかった。今は午前三時である。寝る。(一、二三)
今日は良い凪だった。「巨勢教授」十六枚書いた。天ぷらで酒を呑んだ。よい月夜である。午後から当代島へ行ってスケッチした。明日もよい凪だろう、直ぐ寝る。地の上に恵みあれ。(一、二四)
今日は終日強風、寒かった。「巨勢教授」二十枚書いた。明日是を博文館へ持って行く、幸運があるように。静子よ我が運命は明日で定まるだろう。何も考えなかった。金という奴は実に人生を愚劣にするものだ。高梨は大変に親切にして呉れる、恩人の一人だ。此の四五日程、真剣な「生」に面接したことはない。明日の運が予に幸いするにまれせぬにまれ此の一月間の貧乏は、全く予にとって新しい境地の開拓であった。予は人生のどん底の貧を嘗めた。予は今は本当に大地に根を下ろしている。予は今程自身を無力に、然も最大の強さに見ることはないだろう。予は何ものをも歓んで迎えよう、予には最も大きな「恁の為事」がある、何だって予を挫くことは出来はしない。さらば、賽は投げられた。(二五)
賽は予の運命を窮まらしめた。従って予の運命は新しき土地に鍬を下ろさざるを得ざらしめている、予は北海道へ落つべきか、平凡に東京で落着くべきか未だ決定していない。
予は真に人生の底にいる。今は全くの孤立だ、予は人生にあっては自分より外には何ものも之を頼むべからずと云う事を切実に知った。友達とは何か? 若し人に友達が必要である時、──その時こそ友達ならではと云う時、友達が背を見せて去ったら、──何の為の友ぞと云うであろう、然り、友達とは何か。現代にあって「友達」と云う関係の有つ意味は、「利害相一致せる倶楽部員」と云う以外の何ものでもない。若しAとの友達関係に於て、Bが多少なりとも損害を被ると杞憂せられんか、最早AとBとの「友達」はおしまいである。
よし、予は現代の「友達」を見棄てた。
今日は府の美術館に「西洋美術回顧展」を見た。槐大の画三枚、関根正二の画二枚、黒田清輝の画数枚、それから高橋由一の画を見た。関根と黒田が大きかった。特に黒田は偉大である。矢張り人は長生きをして為事を完成しなくてはだめだ。若い内は作品は唯衒気ばかりだ、天才があってもそれは唯閃きをみせている丈だ。五十にならなくては本当じゃない。今日、ストリンドベリイの「青巻」を読み了えた。最後の言葉「苦しみ働け、常に苦しみつつ常に希望を抱け、永久の定住を望むな、此の世は巡礼である」──がひどく予を鞭撻しまた慰めて呉れた。ああストリンドベリイ、吾が友、吾が師、吾が主。予は貴方を礼拝しつつ巡礼を続けよう。(二五八九、一、二八)
男子は一生の為事が楽に出来ると思っているか、馬鹿め。武者小路
三十六よ此の一言の前に頭を下げろ。(二五八九、一、二九)
予は今日更に開眼された、宜し、七を七十倍した丈倒れよ、予は飽くまで起上るぞ。今日の大収獲。今は午前二時だ。眠れ三十六よ、新しい日があるだろう。(一、二九)
予の浦安町の生活は終りをつげる。両三日内に予は此の懐かしい町を去る。今日博文館を訪ねた、予の原稿は退けられた。予の父は神経痛症で悩んでいる。予は職を失って四月、愈々金に窮し、蔵書を売却して、新しく踏み出さねばならぬ。然も唯一の友は予を棄て、約婚の少女は遂に予の手を飛去った。予の唯一人の後援者である木挽町家でも最早予の為には金銭的補助は拒んでいる。
今こそ、予に残っているものは、唯一つ〝創作の歓び〟是丈だ。予は最後の宝玉を、(然も自分の血液に等しく、死を以っても手放すことは出来ぬ宝玉を)抱いて、明日の道へと踏み出す。
師よ、(弟子が訊ねた)人は如何なる時に歇む可きか。信なく望なく金なく友なく愛人なく飢えし時にか。
否、(師が答えて曰った)汝の脈の最後の三つが打ち切るまで歇む可からず。汝を全くせむには、それらの困難艱苦は必要なるが故なり。いと尊き玉はいと勁き金剛砂もて飽くまで磨かざるべからざる也。汝はいと貴き玉なれば也。
師よ、人は奴何なる時に怒る可きか、侮辱せられし時にか。
師答えて曰いけるは、否、汝自ら汝を涜せし時にせよ。他人は絶えて何を侮辱する事能わず、何となれば汝は玉にして彼等は砂なれば、彼等五十万を十万倍する程集いて貶るとも汝を亡ぼす事を得ざる故なり。(二五八九、一、三一)
昨日は東京から本屋を招いて蔵書を売払った。八拾円の金が手に入った。借金を支払えば残りは僅かである。これで当分東京で暮す。勤め口があったら勤めても宜し、でなかったら四国へ行っても宜い。
今日は「長」を連れて東京に遊んだ。シネマを見せ、地下鉄に乗せ、動物園に「おっとせい」と「白熊」と「獅子」と「猿」にて興じていた。予の幼時の亢奮が、長の亢奮につれて予の胸に湧上って来た。幸福な思い出多き一日であった。これから湯に入り高梨家で「まろさん」、「秋葉君」、「高梨夫妻」、「留さん」等が予を送る為の酒宴に臨む。いよいよ別れの日が近づいた。今夜はひとつ大いに歌うつもり。(二五八九、二、二、午後七時)
予は浦安町に居着くことになった。
藁葺屋根の古い朽ちかかった茫屋である。二坪の広い土間と四坪半一間の家である。予は炊事道具を揃え玄米を買った。自ら炊ぐ積りである。夕景玉とその母とが訪ね新香漬を予に贈ると約した。予の隣家は炭屋の貧しい家族である。主は顎骨化膿で二日来病臥し、その最中に妻が出産した。子供は十五の男を頭に五人。正に人生の悲劇である。いま、壁の彼方では、夫妻が金の相談を続けている声がしている。(二五八九、二、七、夜)
子供達が大勢来る。話をしてやる。未だ為事には取りかからない、予の全精神を傾倒してかかるような「モティヴ」がみつからないのだ、従って予はいま大変に淋しい。早く為事をしたい。為事を。石井信次が十日に来るそうだ。その時「女と自動車」八景を読む、と通信があった、予はそれを期待している。今夜は堀の薬師様の縁日であった。堀は賑わっていた。ああ、宵の内お玉の母が予に漬物を持って来てくれた。今日は川を越して葛西村の方まで散歩した。別に何も考えなかった。ああ、中外商業新報から僅かな稿料が入った。それで酒を呑んだ。今は十時である。(二五八九、二、八)
昼にコンテ画を一枚書いた。子供達は盛んに遊びに来る。「巨勢弘高」二部曲のプランに着手。ス・ベの「ルッテル」に負うところが多い。蔵書を沽売したので頗る不便だ。その代り、却ってそれだけ真剣になれるのは有難い、早く為事に手をつけなければならない。この貧しさ、この淋しさから逃れる為にも。明日は石井が来るだろう、たのしみである。今は十一時。もう寝る。(二五八九、二、九)
悲劇「画師弘高」十五場幕明く。(二、一三)
いよいよ本物が書けそうだ。金が段々窮乏して来た。当分は玄米と薯で過す積り。今日は寒かった。夕食にうどんを煮て少年「助」に馳走し自分も喰べた、贅沢の空なることを知った。助と喰べた自炊のうどんはうまかった。こんなことを若し母が生きていて聞いたら泣くだろう。重大なことは何も考えなかった。弟に手紙を出した。「を」とは再び和解することはないだろう。神の御心のままに。明日は早く起きるぞ。(二、一三)
「土用風景」小説書いている。今は午後十二時。(二、一三)
「弘高」書いている。金が全く無くなった。「浦島」改造へ送った、どうなることやら。悪くたって己は決して気を落しはしないが、なるべくなら金になってくれ。何も考えなかった。江川でコンテを一枚画いた。今朝は非常に寒く新聞は零下七度を報じていた。今は十二時半である。本を読んで寝る。(二、一四)
「弘高」書いている。第一場が終り、第二場が終りかかっている。高梨の妻君が夕食の菜を持って来て呉れた。昼堀の方で画を一枚描いた。今日は充分に為事をした、今は十二時半である。明朝は早く起きる。(二、一五)
「弘高」書いている、今日は随分した。十三枚書いた。今は午前四時である。中外商業新報から僅かな稿料が入って二三日のしのぎがついた。高梨に感謝している。何も考えなかった。酒を十銭買って来て飲み、そして寝る。今日(十七日
日曜)は子供がポオトレイトを描かれにやって来る、予の話をも楽しみにしていることだろう。平安我が上にあれ。(一六)
今日は一日子供達と遊んで了った。夕食には「長」の釣った鮒を味噌煮にして喰べた。うまかった。今は十一時、これでねる、平安吾が上にあれ。(一七)
「弘高」第四景は骨が折れた。今日は為事をした。第四場を書き上げ、第五場を書き上げた。久し振りに天ぷらで酒を呑んだ。今は十二時である、これから夜食のうどんを執って第六場法隆寺金堂の場面にかかる。雨後の明月で佳き静夜だ、静かな西風が吹いている、葛西村の灯は月明で瑠璃色に輝く川の上にちらちらと揺れていた。さあ、元気を出してかかるぞ。労れるまで。労れるまで。──そして又書く。二五八九、二、一八、午後十二時。うどんを煮る鮒の汁の煮沸る音をききつつ。(月は三時ちょっと前に落ちた)。
「弘高」第六場が終った、骨が折れた。五枚ばかり破いて書き直さねばならなかった。今は午前五時過ぎである、風が出てひどく冷える。今度は「第七場」金堂の場だが寝るとしよう。
今日は三場三十数枚を書いた。これから高梨を訪ね、酒をのんでねる。平安我が上にあれよ。二五八九、二、一九、午前五時十分。
いま東の空は暁の光に染められている。五時三十分。味醂干で酒をうまく呑んだ、今は六時半である。さて寝よう。静子よよき夢を私に送っておくれ。二五八九、二、一九。午前六時十五分。今は全く明けている。
今日は何もしなかった。高梨で金を借りた。写真を二枚撮ってくれた。(まろさん)。あしたは弟と省児が来る。今は十二時半である、寝よう。平安我が上にあれ。(二、一九)
随分日記をつけなかった。二十日には弟と省児とが来た。二十六日には予が東京を訪れた。二十七日には久しく滞渋していた「弘高」第八場を書き上げた、昨日は雨、今日も雨、今は午前二時である。今日昼「長」をのせて青べか舟で大川を漕いだ。妙見島へ上って枯草の上に仰臥て微風の温かい陽を身に浴びた。よき運動だった、「弘高」第九場を書き上げた。骨が折れる。もう寝る、平和吾が上にあれ。(二五八九、三、一)
弘高第十場を書きあげた。(三、三)
高梨の家で雛の節句の祝盃をあげた。
今日沢田正二郎が死んだ。彼は暴風の如く来り暴風の如く去った、予は独り渠の為に一夜の弔宴を張ってやる。渠も又予の為に役立ってくれた一人である。平安あれ沢田の魂の上に平安あれ。(三、四)
今日午後からべか舟を漕いで新川口の方まで行った。妙見島でコンテを一枚書いた。第四幕の幕を明けた、骨が折れる。(三、四)
高梨の手で稼がせて貰う童話「時計と蛸」書いた。始めての創作童話。別にシナリオ「春はまた丘へ」を書き始めた。今は午前四時である。
今日は寒かったが、矢張りべか舟を漕いだ、今井橋まで行った、午後からは海苔取りに行くべか舟が川の面を黒くしていた。いま芥川龍之介集を読んでいる、矢張り胸に来るものは考証物よりも現代物である。「鼻」「羅生門」「芋粥」などよりも、一短篇「蜜柑」の方がどれ丈貴いかしれない。現代に生き現代を生かさねばならぬ、それが全部でないまでもそれが基本でなければならぬ。など考えた。「蛙」は傑作だろう。併しどうせパラドクスなら、もっとずっと突込んでやる余地があった筈だ、ひと皮は切ったがふた皮目み皮目には刃が届きかねた形だ、況や骨にをやだ。是は明らかに荷が勝ち過ぎたのと、彼の体力の不足から来たものだろう。予は彼の為に、後者を其の原因に採る。
芥川は真面目に生きた、特に後半生に於て然りだ。彼に若し充分の体力と、勁健不抜な精神力とがあったなら、日本はどんなに大きな収獲をえたことぞ。彼は今人類の最大の苦役から解放された、(彼自身がそう望んだ如く)果して彼は今解放されたか。(二五八九、三、五)
自分はいま、をと自分との関係を書き始めた。「をと自分」と云う題である、何かに役立ちそうだ、出来上ったら石井を通じて見せても宜いと思う。今は午前五時半である。(二五八九、三、五──否既に六日である──)
芥川集読んでいる。「歯車」良い。今日は何もしなかった。今日は淋しく憂鬱だった。元気がなかった。夕方に沖の弁天社の方まで散歩した。舟には乗らなかった。酒を買って来て独りで飲んだ。高梨で白い飯を呉れた。(六)
今日はべか舟で川を下り大三角の右を海へ出た、海には風がなく、波は瑠璃色に輝き、空には石竹色の美しい雲が流れていた、ずっと沖にはごぜえきの走るのが見え、其の向うには上総の山が霞んでいた、予はべか舟を沖へと進め三番の澪木まで出た、海苔を拾った。そこでクリイムパンを喰べあんこ玉を喰べ、シャツ一枚になって、大三角を廻り東の川口から川を溯って帰った。石井信次に手紙を書いた。大吾船長、(あの色っぽい妻君)夫妻はひどく喧嘩をした、妻君が賭事をする。亭主は嫉妬深い。だが無事に納まるらしい。夫婦喧嘩と云えば「慶さん夫妻」のは更に面白い(なすびの下った妻君)是は予の「TELL'S OF 浦安」は好題目である。今日も何も為なかった。明日は東京へ行く積り。また本を売る。今は一時である。井口からは何の返事もない。(七)
慶さん夫妻の喧嘩では、いま商売〔小さな飲食店〕をしている店は妻君の金で買ったものだが、料理場である軒先の張出しは慶さんが自分で造作したのである、従って慶さんは、その張出し丈を剥がして舟に積んで持って行くと云う。
予の窮乏のどん底に於て井口の情ある通知があった、予はまた三十円足らずの金ではあるが井口の手で稼がせて貰える訳である。井口の手紙を受取ったのは、十円足らずの金を手にする為に、幾許かの書物を包んで東京へ立とうとしている時だった。予は思わず涙を覚え、井口の手紙を犇と握った。井口も予の恩人の一人である、予の日記は大きく彼の名を書くだろう。今日は何も為なかった。だが明日からは、明日からは。今は十二時である。静かな温かな夜だ。(二五八九、三、八)
今日はべか舟で沖へ行った。「ヴェルテル」を読んだ、少し風があった。夜は浦安亭に浪花節を聞いた。帰ってから少女小説を書いた、十二時頃に驟雨があり、霰が降った。雷が鳴った。初雷である、かなりひどかった。雨後はからりと晴れしきりに雁の渡る声がした。今は午前四時半である、もう寝る。(九)
昨日は「あちや」原稿を持って博文館を訪ね、帰路木挽町に寄った、主人は元気にしていた。夕景「ヒ」と会った、酒を呑み天ぷらを喰べた。なつかしく且つ心温かい歓会だった。帰りは船がなくなって電車で今井まで来て、そこから歩いて帰った。ひどい風が終夜吹き通した。今日は何もしなかった、頭を悪くしている。シナリオ苦しんでいる。昨日石井信次から来信。康子さん小康との報。明日東京へ行く。(一二)
今日は博文館へ行って金を貰った。省児と高梨との借金を済した。牛肉とすじ子で酒を呑んだ。何もしなかった。ああ、木挽町で文子と会った。懐かしそうにしていた。色々話した。彼女はめがねをかけて勉強している。信春と会った。ゆかいな男だ。のーちゃんも二十になった。風は未だ続いている。「ヴェルテルの悩み」一昨日読み了えた。今日のものではない、退屈なものだ。感心しなかった。彼は些しも自殺する必要はない。と思った。今は酔っている。(二五八九、三、一三)
つまらない原稿を一日がかりで約五十枚書いた。今は午前三時である。夜が明けたら東京へ行く。(一五)
沙魚と鮎並を買って、それで酒を飲んだ。うまかった。沙魚は丁度懐卵期で、卵も凡ぼ熟しかかっていたが、それでもうまかった。晩に高梨を訪ねた。今は午前二時、明日から「弘高」を一気に為上げる積り、うまくいって呉れるように。それから小説も書く。今日石井信次から通信があった。直ぐに返信して置いた。康子夫人は昼だけ床を離れている。と。(一六)
吾が第一と第二の母上は忌日。
最後の晩餐。(二五八九、三、二〇)
昨日から頓に春暖が増した。昨日は長と久と三人で堰へ雑魚を掬いに行った。鮒とやなぎとおかめを取った。今日それを煮ている。「裸婦」書き始めた。(三、二二)
子供達と雑魚を掬い、また蓮田でどじょうのめ掘りなどをした。どじょうは味噌汁にして喰った。「裸婦」書いている。今日まで三年の間余は為事を援け余と苦心を分って来たペンが紛失した。余はがっかりした。今日は書きにくい真鍮のペンで「裸婦」十五枚程書いた。昨日はばかに暖かくて、日中は汗を覚える程だったが、今日はまた寒い。炭が無くなった。今日は炊事が出来ないので食パンを買ってそれで済ました。また貧乏が来る。厭なことだ、どこからも通信なし。頻りに旅を想っている、奥羽の方へ行ってみたい。金が欲しい。今夜は温かい静かな夢があるような気がする。もう寝る。平安吾が上にあれ。(二五八九、三、二五)
昨夜から降りだした雨が続いている、静かな雨だ、今日は為事をした、「裸婦」十二まで書いた。石井信次から便りがあった。二十九日に来ると云う。高梨の家へ「ひで」と云う娘が来ている、浅草育ちのはすはな娘だ、平気で恋のことなどを明らさまな好奇心を以て話し興じていた。門歯の下が二本、所謂味噌っ歯という奴、うすい唇で鼻のつまった声、黝いつぶらな眼でじっと人を見る。高梨の妻君に云わせると「色気のついた眼」である。炭を買った。今は十二時である。(二五八九、三、二七)
今日石井信次が来た。妻君は殆んど全快。されど未だ家事にも就けぬ由。家庭内の紛擾をもらしていた。渠も苦しんでいる。一緒に今井から葛西の方を三時間ほど歩いた。余が挫けていると思って見舞って呉れたのだ。ああ、妻君の心尽しとかで水餅を持って来て呉れた。「裸婦」十五を書きはじめたが止めた。あしたからやる。今夜も早く寝る。吉野から鯉の煮付を届けて来た。うまいだろう。(二五八九、三、三一)
今日は為事をした、「裸婦」四回分書いた、未だ書けるが自重して寝る、鏡花の「婦系図」読んで泣いた、そして泣かせる小説なら造作なく書けることに気付いた。鏡花は三時代前の人間だ、そう思ってみれば良いところもある。予は「裸婦」の中の一番のいんだら女お園をその愛読者に選んで置いた。併し無論ユニクな点では一点地を占めることは疑いを容れなかろう。幸に健在なれ。その他別に何も考えなかった。今は午前三時半である。よき夢があるだろう。(二五八九、四、一)
「裸婦」書いている、今日は幾分苦しかった、房総の旅は失敗だったかもしれない。三回十枚書いた。余り香しくない。がうまく行くだろう。小酒井不木が死んだ。惜しいことだ。日本のポウだと思っていたのに。横山有策も亡くなったと。躰を大事にしよう。金が欲しい。
今は午前四時半だ。よき夢があるように。(四、二)
「裸婦」書いている。益々分らなくなって来た。今日も三回十枚ばかり書いたが思わしくない、或いは昨日と今日の分を裂くが宜いかもしれない。房総の旅は失敗であった。今日は珍しく高梨が訪ねて来た。「江戸川亭」の肥えた女が、蒸汽のエンジナ大久保君と世帯を持った。別に何も考えなかった。父に手紙を出した。昼間川沿いの土堤を歩いた。土堤はもうすっかり春だ。空も明るい。雲も軽い。風は末だ冷たいが、でももう直温かくなるだろう。しっかりやろうぞ。是から酒をのんで寝る。元気をつけるのだ。今は午前三時半である。(四、三)
行き詰った。今日は何も為なかった。心は塞がれている。昼間べか舟で「長」と妙見島へ渡り、土筆んぼを摘んだ。柳も折って来た。慰まない。寝よう。(四、四)
土筆を灰水に一夜漬けてあくを抜き、塩一つまみの熱湯で茹で、砂糖味噌にまぶして喰べた。〔うすき芳香あり。〕今日は「長」とのびるをとりに行った。小さい奴をしこたま採って来た。あした喰べる。今日は何もしなかった。「裸婦」十八回より二十四回まで七回分約二十五枚を抹殺した。あしたから書き直しにかかる。うまく行ってくれるように。石井信次から手紙、「通天閣」を教示して来たもの。午後からべか舟を漕いだ。春暖、風やや寒く、蘆芽をいだし初む。鏡花を読み了えた〔改造社版日本文学全集ノ内〕。益するところがあった。是も他山の石。今夜ももう寝る。(四、五)
私は今自身ある八篇の劇と四篇は中篇小説とを頭とインク壺の中に持っている。是が凡て形に表われるのは今年中のことだろう。私は急がず、迷わず、じりじりと生んで行くだろう。(五)
挫かれている。弟が病んで帰郷したと。五日から何も書かない。今日は東京へ行って本を売った。木挽町で五円借りた。ひどく参っている。真暗だ、併し立直れるだろう。どうにかやり抜けるだろう。今は労れている。気持が甦ったら又起つ。ゆっくりやろう。心を大切に。感情をいたわってやろう。「多情仏心」里見弴作を読んだ。佳作。己もやる。得るところありだ。静かな雨が降り出した。桜も咲き始めた。(四、八)
今日は為事をした。「裸婦」五回分十七枚書いた。今は午前四時である。天ぷらで酒を飲んだ。酔いの醒めたあとは成績が良い。おかしな事だ。今日は比較的暖かだった。今は暖かい。未だ書けそうだが矯めて寝る。少し歩いて来て寝る。今夜は佳き夢があるだろう。(四、九)
急ぐな、
急ぐな、
為る丈の事を為たら
あとは神に
任せろ、
良い時が来れば
神は
「良し」と
仰せられるに違いない、
さて寝よう。(二五八九、四、九)
「裸婦」書いている。今日は七枚書いた。もう終ろうとしている。今日は大変に暖かだった。単物に着換えた。午後から沖の方を歩いた。柳はすっかり若葉だ。草萩や角力取草が咲いていた。蘆の芽も出た。沖の弁天にも桜が咲いていた。高梨の前のも咲いた。潮干客があった。夕景から驟雨になり夜はずっと雨だった。今はあがっている。弟から来信。夕方高梨で「精進あげ」を馳走してくれた。今は午前三時、もう寝る。佳い夢があるだろう。(四、一〇)
「裸婦」書いている。今日は十二枚書いた、もう終りかかっている。割によく行った。昼間、横川の橋の袂で朝鮮の学生と話した、遊びに来るように勧めておいた、何か刺戟になるだろう。今日は土筆を煮て喰った。うまかった。夕飯には「嫁菜」を飯に焚き込んで喰べた。今日は潮干狩の客で賑わった、併し度々驟雨があり遂に正午些っと廻った時分から本降りになって客は散々の体だった。通船の五十五号にいる火夫弘保君が女をこしらえた。蒸汽に一緒に乗せて航海している。一緒になれなければ死んで了うと云う。真面目である。古風な恋である。女は少し低能らしい。〔よくは分らない〕土堤の桜は満開だ。材木屋のふく良い娘である。ひるま子供達の中の悪たれとけんかした。ばかな事だった。今は午前三時である。横浜へ行こうと思う。「裸婦」が終ったら行こうと思う。今日は良い為事をした。いい夢があるに違いない、静子よ。(二五八九、四、一二)
しっかりと坐って
腹に力があって
頭がすっきりとして
さあ来いと云う
気持になった時に
急がずに書く。(四、一二)
「裸婦」十五枚書いて全部了った。相当な出来だと思う。高梨から金を借りた。風がひどい。比較的温かかった。昼間沖の方から養魚場の突堤の先まで行った。汀に下りたら蟹が大騒ぎで遁げまどって面白かった。海蟹もいた。今は大潮で海は見渡す限り干潟になっていた。歩いて千葉へ渡れそうだった。今は風が強い、一時頃にひどい驟雨があった。今はやんでいる。今日秋葉君は本所の「釜屋の川」で腐敗した水の中にもぐって、船の推進器に絡みついた針金を断ったと。全身が溝泥で染まってひどく臭かったと。何しろ、あの黒い、メタン瓦斯を吐いている水の中へ頭までもぐって為事をするのだから些っと耐える。今は午前四時である。横浜へは行くまいと思う、何しろ金がないのだから。──先日来の為事の片がついたので軽い快い亢奮で寝られない。酒でも呑もうと思う。そして寝よう。御苦労さまでした三十六よ、今夜こそ佳い夢があるだろう。今は二五八九、四、一三である。
すっかり夜が明けて了った、強い南風が吹いている。今は微酔している。快く寝ようと思う。隣から朝餉の炊事の煙が舞込んでけぶい、併し市が栄えているのだから、是も悦んでいいだろう。今は午前六時である。(一四)
ふとすれば涙が出る。小説を読んでいて、別にそう感傷めいた条でもないところでふいと涙が出る。神経が大変に繊弱になった、怒り易いことも近来ひどい。何でもない他人の言葉がぴりぴりと癇癪に触る。かっとなる。孤独に蚕蝕されたのだ。
今日は潮干客で大変だった。夕景、「通船」と「葛西」の扱所でお互いに客を奪い合って大騒ぎだった。しまいには喧嘩になった、が事件にはならずに済んだ。溢れる程人をのせた伝馬船が何艘も何十艘も川を上ったり下ったりしていた。
父を京見物に連れて行き度く思う。金が出来たら実行するだろう。誰からも便りなし。「能登の旅」書いている。今は十時。
「己は自分の命を、此の為事に打込む外には疲らせはしない」
「寿命は、大きな為事を為上げる迄待って呉れはしない」
弘高読み返している。良い。もう寝る。今は二五八九、四、一四。
今日東京へ行った。本を売った。上野で「名宝展」を見た、「俵屋宗達」の「雷」「風」の双屏は佳い。「李広」と云う外国人の巻物「山水図」は大作で真に神韻縹渺と云う気が全幅に溢れていた。鳥羽僧正作と伝えられる高山寺本「鳥獣戯画」は愛す可き大芸術だ、日本が有っている有数の宝の一だろう。光琳の画は予には向かない。定評ある「太公望ノ図」などは厭だ。「怗」「残缺文」「歌合懐紙」など如何にも数が多くてどうにも見る気がしない。唯、三位藤原某、義経等が反古紙の裏へ物を書いているのを見て打たれた。現代の人は此の点では敬虔さを全く欠いていると云えよう。宗達は芸術家だ。立派な画師だ。日本のでも西洋のでも由来、古典を回顧するには骨が折れる。予は場内を一巡しただけで殆んどがっかりした、頭が疲れて、砂一斗も填められたような気持である。古典を観賞するには、兎にも角にも我々の頭を某の時代、〔と云うのが悪ければ其の時代精神〕にまで戻さねばならない。此の無形の努力が一作毎に繰返されるから、作品が良ければ良い丈に頭は疲れる。悪かったらそれこそ災難ものだ。それに反して現代の物は、兎に角自分の気持で卒直に味わえるから、良い作であれば、直ぐ其の場で亢奮出来るし、悪作なら直ちに棄て去ることが出来る。よしや疲れるにしても画と観賞的努力間の燃焼に因るのみの疲労でそれは一種怪い亢奮である。
「名宝展」などの催しは、なるべく数を尠なく。交代に。低廉な観覧料で展観すべきだ。それでなければ蔽れた「名品」を一般に弘めると云う主旨は徹底しない。ああ後藤新平伯爵が二日ばかり前に死んだ。
「弘高」全部読み返した、四景程全部書き改めねばならない。だがどうにかやれるだろう。「ヒ」に電話かけた。久し振りで麦酒をのんだ。今夜も早く寝る。二五八九、四、一五。
明日から「裸婦」推敲にかかる。平安吾が上にあれ。
忘れていた、昨日東京へ行く時、今井から北浦の末子と、麻布の清子とによく似た少女に逢った。豊かなデリケエトな唇は、不思議に末子でもあり清でもある、小さな、細い〔時にきらきらと潤んで光る〕柔しい眼は清にその儘であった。そっと時折ひそめる表情の多い眉毛は末子である、顔全体は全く吃驚する程二人に似ていた。何方かと云えば末子により多く似ていただろう。背は低かった。髪は少し茶っぽかった。姉さんらしい余り綺麗でない人と手荷物を持って、盛装していた。何処かへ旅に出るらしい容子だった。今井で電車に乗合せて、自動車も市内電車もひとつに乗った。五度ばかり、じっと、末子に似た眸で、清に似た注視を予に与えた。何処の人で、何処へ行くのだろうかと、予は温かい気持で、〔久しく触れなかった愛の感じで〕姉妹を考えた。
今日は高梨夫妻に誘われて篠崎堤の桜を見に行った。桜は十二分に咲いていた。人は余り出ていなかった。土堤下の草地で醜く酔い痴れた数組の男女が、涸れた声を振絞っていた。厭なことだ。今日は何も為ずに寝る、明日は早く起きて推敲を急ぐだろう。六日の月夜だ、川は静夜の色に淀んでいる、風は南風だ。暖かい。酔漢の声が時折土堤の方でしている。平安吾が上にあれ。(四、一六)
ピエエル・ロティの「氷島の漁人」を読んだ。是は両三年前、シネマで見たことがある。全篇青色く冷たい霧に包まれた中で、つつましいヤンとゴオドとのロマンスが、さあさあと絶えず流れる風に吹かれて営まれた。大きくパン・ポルの湾を見下ろす断崖の斜面の草地、そこで行き会うヤンとゴオド。その時二人は唯目礼して、風に揺れる草の中で別れて了う。その一景はいつまでも私の頭を去らなかった。私が漁夫の生活に心を惹かれたのは実に此の作品が一つの起因をなしていたと云っても宜いだろう。
今度原作を読んでみて、その優れていることを更に強く感じた。「氷島の漁人」は良い芸術である。私は金が出来たら是非北海道の北端地方へ出掛けたいと思う。ああ、よき一日だった。ロティの霊の上に平安あれ。
今日も何もしなかった。静かな暖かい一日だった。幸保と云う水夫の病気で医者へ行ってやったりした。ボスを連れて「沖」を歩いた。土堤は全く春で、草萩は花盛りである。晩景に汽船の上で水夫が二人激しい喧嘩をした。片方の芳公と云うのが「ハッカ」と称える長い棹の先に鳶口のついたので片方を「叩き殺」しそこなった、大変に殺気立ったものだった。今夜は七日の上弦月、朧夜である。静かに、つつましく寝よう。今まで高梨夫妻と旅の話に興じていた。風もない静夜だ。佳き夢があるように、神よ御心の儘にならしめ給え。(二五八九、四、一七)
な・つが「近代生活」誌の同人として
新しい作品をどしどし発表している
を・きは菊池寛経営の雑誌に
認められ初めた、
い・しは「創作月刊」誌に
月々作品を公にしている、
そして私は、今十三銭の銭を懐ろに
玄米飯を日に一度喰べ、
野草を煮て食べ乍ら、
不相変の独りで、偉がって
金にならぬ原稿を書いている
父は慢性神経痛
弟は重症の脚気だ
私には已に売る可き本もない、
木挽町では無論金を貸さない、
そして私自身は
金にならぬ原稿を書いている、
自分の為事の価値を
疑ってみるには
私は余りに真剣な為事をしている、
金が欲しい
食える丈の金欲しい、(二五八九、四、一七)
心が重い。元気がない。雨が降っている。一日寒かった。
十三銭ある中から八銭で揚物を買って五銭で銭湯へ入った。今は無一文だ。腹が減って耐らぬから雨の中を高梨の家へ金を借りに行ったら、もう寝ていた。まるで紙のように圧し拉がれた頼りない気持だ。特にこのさあさあと静かな、肌寒い雨の音はいけない。希望も何もない。病んでいる弟からの手紙に返事を出す金もない。寝よう。それより外にはどうすることも出来はしない。「裸婦」推敲を始めてみたが、まるでブリキ細工でもするようで、些しも心に触れない。唯騒々しく、浮ついた、厭な気持しかない。やめる。寝よう。(二五八九、四、一八)
腹へつて寝る春の夜の雨に冷え
春寒や腹へつて寝る足の冷え〔一八〕
童話「僕と雨蛙」書いた。中外商業に寄せた。今日もうすら寒く終日曇って味気ない一日だった。高梨で金を借りて天ぷらで酒を呑んだ。一晩中高梨で話した。とめさんが例の潮来から来た女に籠絡されて世帯を持った。未だ例の金になる筈の原稿の通知が来ない。多分だめだろう。どうにでもなるが宜い。何方したって己は負けやしないから。幾分ずつか元気を取戻している。今は午前一時だ、寝る。良い夢があるだろう、明日は為事をする。炭がなくなった。(一九)
今日も終日雨だった。昼間雨を冒して「沖」の方へ土筆を摘みに行った。桜も柳もポプラも若葉になろうとしていた。
今日も何も為なかった。でも元気は取戻しつつある。どうにか為事にかかれるだろう。今晩も高梨の家で話し更かした。寝る。(四、二〇)
米乏し春寒き灯に粥を炊く
米桶の底掻く音や春の雨
淋雨や今日も嫁菜を摘む男〔二〇〕
今日は非常な暴風だった。昼の内は汽船の航海が止った。水が増して葛西村では堤をひたした所がある。堀でも床下についた場所がある。川にはひどい波が立った。此方の岸へもざぶりざぶりと打ちあげた。夕景から鎮まった。月が出て、微風もなく。川は鏡のように平らになって、全くの嵐の後の静けさだった。夜、稼ぎ原稿書いた。明日博文館へ持って行ってみる。うまく金になればよいが。今日は炭がないのでパンを喰べてすごした。少し寒い。今は十二時だ。高梨が今しがた訪ねてくれた。もう寝る。不平はない。酒が飲みたい。只それ丈だ。寝る。良い夢があるだろうか。(四、二一)
春荒れぬ貧の男の炊く菜粥〔二一〕
今日は東京へ行った。博文館では原稿を拒まれた。でも井口は親切にしてくれた。木挽町へも寄った。皆よくして呉れた。良い人達ばかりだ。「ヒ」と会った。「妻君の妹の良人の弟が亡くなって」と笑っていた。天ぷらで酒を馳走になって別れた。帰ってから高梨を訪ねた。本当に皆良い人達ばかりだ、予も生活を革めるだろう。また風が出た。良い月夜だ。(四、二二)
今日は推敲十五枚した。石井信次から手紙が来た。大船の妻君の家への招待である。断りの手紙を出した。金がないから行けないのだ。金さえあれば、今度の招待程近頃の私を悦ばすものはないのだ。晩に高梨が来て喜劇を見に誘った。高梨の贅りでそれを見た。風がない。良い月夜だ。(四、二三)
高梨から金を借りた。感謝している。妻君にも高梨にも感謝している。今日は飢えた一日だった。飢えてはだめだ。為事も何も出来ない。矢張り大きな為事をするには食・衣・住が相当に充実していなくてはだめだ。
為事をしなかった。酒を呑んだ。ずいぶん矛盾する話だ。弟から手紙があった。幸いに壮丁検査に第二乙で免れたと。明日からする。為事をする。(二四)
水を流そうと思うなら
流そうと思う方を
水の在る場所より低く
掘らねばならぬ。
「流れよ!」
と云った丈では
水は流れはしない。〔二四〕
凝乎と、絶えず
深く、鋭く見究めろ
一から二、二から三──と
繭をほごすように
じりじりと繰って行け。──若し
それでも書けなかったら
ねてしまえ。〔二四〕
此の仕事をする者には
富貴も、安逸も、名声も
恋も無い。
絶えざる貧窮と
飽く無き創造欲とが、唯
あるばかりだ。
知っているか?〔二五〕
高梨の家で語り更かした。江戸川亭で酒を馳走になった。十枚程推敲した。今は午前二時半だ。寝る。本当の生活をしようと思う。働こうと思う。(二五八九、四、二五)
高梨の妻君が蓄膿症で鼻を切開せねばならぬと、鯖の味噌漬を馳走して呉れた。推敲十枚した。今日は終日暴風だった。夜に入ってからは激しい驟雨がそれに加わった。十時頃高梨が訪ねて来た。電燈が消えて浦安は暴風雨の下に闇である。予は蝋燭の明りで書いていた。もう寝よう。高梨の妻君の病気が軽くて済むように。まだひどい風だ。今は午前一時だ。(二六)
今日は推敲二十五枚した。昼間海へ出て行って貝を拾った。何の気もつかず掘ると、手に従って赤貝や潮吹や馬鹿貝や蛤がぞくぞく取れるので、大いに悦に入って漁っていると、そこへ俄然豆腐屋の喇叭のようなものを吹き立てて、偉大なる壮漢が現われた。予の場所より一丁も沖の海中で「ころがし」と云う一種の機械で小魚を漁っていた男達がいた。件の壮漢は例の豆腐屋の喇叭の如き物を吹き立てては「野郎そんな所でやってると舟で行ってぶったくって呉れるぞお、──外へ出ろ、西へ行け」と蛮声を張上げて呶鳴りつけている。予も些か辟易したから謹んで傍へ行って、「此処で貝を拾っても宜いか」と訊ねた。壮漢は逞しい赫ら顔をはたと予に向けて「どんな貝を取っているんだ」と居丈高に呶鳴る。「色色な貝だ」と云ったら、「見せろ」とばかり、予の収穫場へやって来て、赤貝や潮吹を見せるとむずと引掴んでそこら一面に解放し始めた。正に「貝殻追放」である。「此処でこんな物をとると大変だ〔どう大変なのかは遂に彼は説明しなかった、残念である〕。このおでかい貝(大野貝、こいつは一番うまくなく、そこらにべたべた居る野卑な貝だ)なら取って行くが宜い、容子で見ると本当に何も知らないらしいから今日は黙っていてあげる」壮漢は斯様におどかしといてさて言葉を幾分柔らげて、その大野貝は今うまいから沢山拾って行くがよいと煽てて行って了った。為方がないからそのおでかい奴を、どしこと拾って帰った。明日喰べる積りである。人の話によると不味い相である、するめを喰べるようだ相である。
高梨で晩飯に招待してくれた。馬鈴著の煮つけを馳走になった。今は午前四時半である。少し歩いて来て寝る。弟から便りがあった。(二五八九、四、二七)
幸運を望む男よ、
お前が三つしか事を為さないのに
十の結果を望んでいる間は
幸運は来はしない
幸運を望む男よ
お前が二つの結果を得る為に
十の事を為たら必ず
幸運は来るぞ〔二七〕
貧乏しても
出世して行く友に後れても
本当の為事を
こつこつとやっている
此の力強さ。
白蟻が大黒柱を如何にして
がらん洞にするか
己は知っている。〔二八〕
大野貝を煮て喰べた。推敲十八枚した。今日は潮干客で賑わった。下らないことで予は大変に亢奮している。予は自らひどく蔑んでいる、二五八九・四・二八の清水三十六は愚かな貪欲家である。人々は渠の面に唾をかけて通るがよい。今は午前二時だ。麦酒を呑んで寝る。明日は又良き日があるだろう。生活を革めよう。本当の為事をしよう。今は何が来ても恐れない。予は挫けはしない。石が予を圧し拉いだら、その石をも予は養分に摂取するだろう。清水三十六はそう云う植物の一種だ。よき眠りがあるように。静夜。いい凪だ。地の上に恵みあれ。(四、二八)
推敲終った。石井信次から来信、十二日に来ると、それまで浦安にいるかどうか分らない。高梨へ行って晩飯を馳走になった、「筍飯」であった。一日寒かった。今日は天長節であった。(二九)
春冷ゆる雨に玄米洗ひけり
飢えて寝る五尺男や春寒く〔二九〕
五百円ばかり入った。今日昼間高梨家の本家へ行って所蔵の書画を見た。之は別に精しく記すだろう。心は平安である。僅かな金が入った為に、こうも心持が違うかと思うと笑止になる。寝よう。(三〇)
東京へ行った。木挽町主人が悦しそうに「三十六、もう玄米を喰べなくとも宜いとさ」と云われた。本当に悦しそうだった。皆喜んで呉れていた。彦山に電話して京橋の交叉点で約束の時間に一時間ばかり待っていたが遂に会わなかった。帰って来てから天てつで酒をのみ、又高梨で皆と麦酒をのんだ。今は十二時だ、疲れている。寝よう。(五、一)
金が入った為に予の足は地から浮いた。馬鹿なことだ。貧乏は貴いと思った。葉山嘉樹の「海に生くる人々」を読んでいる。良い。是は考えなければならない。予自身の境地は渝らぬが。「夜とぼし」と云うものが始まった。石油の明りで、田甫の間を泥鰌を刺して歩くのである。点々として赤い燈の揺れて行くのはロマンティクである。明日東京へ金を取りに行く。昨日から今日へかけて十五円を費消した。ばかめ。こんな奴はいつまでも貧乏の底へ叩き込んで置くが宜いのだ。(五、二)
昨日も酒を飲んだ、今日も飲んだ。中・商新報へ「こうちェ」を書いた。「弘高」には未だかからない。頻りに旅を思っている。雨が続く。両三日前英国からグロスタア公がガアタア勲章捧呈の為に来朝している。今日、日比谷公園では日英交歓の音楽会が開かれた。C・S社の足立と云う男が予を文学青年だと号した、予は是に怒った。予は若い、本当にこんなでは文学青年かもしれぬ。為事をしたい。今は十一時半だ。寝る。冷える。(五、四)
一昨日は「ヒ」と会った。「今朝」で酒を呑んだ。別れてから松戸へ行った。「セキ」の家を訪ねた。昨日は松戸から徒歩で市川へ下り、それから八幡まで来て、自動車で帰った。今日はひるまで寝た、労れはすっかり抜けていない。何も為なかった。画を描いた。〔予は今度水墨をはじめた〕今は十二時である。寝る。明日は為事にかかる積りである。今は寝る。(二五八九、五、八)
初の蚊の痩脛に来るは叩かれず〔五、一一〕
十日に木挽町へ行って泊った。十一日には青江を訪ねて泊った。十二日には石井信次を訪ねた。妻君は病後でたいへんに美しくたおやかであった。それから父を訪ねて泊った。
昨日土堤の家へ引移った。明るくて風通しの良い家だ。心は未だ落着かない。雨が降りつづいている。(五、一六)
今日東京へ行った。国展を見た。良い画があった。河野通勢とその弟子達の悪趣味の画には困った。悪いものが流行する。梅原龍三郎も余り感心しない。武者小路が三点描いている。千家の肖像がよかった。裸婦と三島日奮の像とは悪い。なっていない。失敬ながらみっともない画だ。河野通勢一派の画は非常に悪い。木挽町に寄った。神田の夫人が来ていた。声が大変に木挽町夫人に似ているので懐しかった。予は明日東京を立って北海道へ旅に出る。何か得るところがあるだろう。根室から網走の方へ行く積りである。静かな夜だ。神よ。今日のパンと平安の為に感謝す、卿は頌むべきかな。よき夢があるように。(二五八九、五、一七)
今日旅から帰った。二旬に渉る長い紀行が終った、今は大変に疲れている、根室のお文さんがなつかしくて耐らぬ、丁度初めて須磨を訪れ、須子の温かい懐ろでなずんだ後、帰京して暫くは馬鹿のように気が脱けて、淋しくて耐えられなかった、あの時の気持だ、お文さんは良い乙女だ、旅のことは別に書く積りである。(六、六)
為事に戻った。随分遊んだ。今は落着いて机に坐ることが出来る。此の間に内閣が変った。田中は遂に投げ出して、浜口が之に代った。石井信次とも暫く会わない。月の始めに感冒に患わされて浦安の石井と云う医院へ入院した。今は全快している、喇が少し出る。今夜は早く寝る。是からは早く寝て早く起きるだろう。何も読まない、ナンセンスばかり読んでいる。秋風記、弘高、にかかるだろう。(二五八九、七、一〇)
「秋風記」書いている。又貧乏が戻って来た。毎日泳いでいる。肺をやられたらしい。それで日光浴をやっている。滋養分が採れない。金が無いから。人との交渉は依然として無い。淋しい。心はふさぎ勝ちだ。石井通信なし。健康を取返そう。金を取って旅がしたい。(二五八九、七、二四)
二五八九、八、三、読売新聞社に小野金次郎を訪う。僕は泣いてしまった。金次郎は「よかった、よかった」と云って僕の握った手を放さなかった。僕達はもう生涯喧嘩はしないだろう。僕の辛かった孤独の生活は終った。今夜からは気が楽になるだろう、愈々為事だ。(八、四)
「驢・記」書いている、今日は夕景から稀にみる大雷雨であった、未だ雷が荒れ廻っている、美しい稲妻が大空を縦横に疾走している。石井に手紙した。金が無くなった。躰は健康を恢復した。書き疲れるとギタアを弾いて頭を休めている。多分為事は順調に行くだろう。(二五八九、八、一三)
「驢・記」書いている、うまく行くらしい。今日は昨日の荒天の名残りで肌寒い風が吹き続いている。浦安はお盆である、堀の方では盆踊りが始まっているらしい。唄のどよめきが田甫の上を流れて来る、土堤の上を踊りに行くらしい若者や娘達が唄い唄い行く。蛙の声も佳い。若者達はめぐまれてあれ。井口からは何の通信もなし。をも石井も何をしているか。河には真沙魚が登って来た、秋が近い。「秋風記」書き継ごうと思う。「弘高」も早くやり度い。(八、一三)
瓜盗む人の噂や風冷ゆる
鯊登る川に燈籠流しけり
茄子はぜぬ病怠る嫁の眉
酒親し燈に来て鳴かぬ螽蟖
本売って酒ととのへぬ秋の風〔一三〕
四十円ばかり入ったので小野と笹子峠を越えた。初鹿野から猿橋までを歩いた。初狩では余の大伯父みどうの小笠原を見た。(一七─一八)
独逸からツェッペリン伯号が来た。(一九)
金がない。(二〇)
金がない。金が無い。弘高推敲はかどっている。昨日、本を売った、此の代金一円八十銭也、情けなし。今日村の小さな悪党共が鮒を売りに来た、二十銭絞りとられた。家賃が払えない。小さくなっている、笑止。(三一)
「弘高」書いている、今日は推敲六・七・八・九、四場をやり十場を書きかけた、もう終りかかったところだ。今日は朝から静かな雨だった、蟹の大漁で浦安は賑わっている、父から手紙があった、父も金に困っている、どうしたらいいのだろう。今日は七銭余っている、七日には東京へ歩いて行く積り。いよいよせっぱつまった。(九、五)
「弘高」五幕脱稿、九・六・午後四時。曇。
河は土色に濁っている、水が溢れている、いつ洪水になるかもしれぬ。葛西村は水のついているところもある。今は酔っている、寝る。(九、一二)
凡ての計画は破れた。余は浦安を獺のように逃げる、多くの嘲笑が余の背中に投げられるだろう。
午後から雨催いの空を気遣い乍ら土堤に沿って下り、沖の弁天社から堀、江川、猫実と歩き廻った、川や堀では子供達が鮒を掬っていた、河では沙魚を釣る人が並んでいた、稲は熟れ、田畝には海苔乾架が造られつつある、心愉しくひと廻りして来た、お名残りである。
小野金次郎の妻君は胸を病んでいる。余は横浜へ帰る、そして新しく始めるだろう。(九、二〇)
底本:「青べか日記 ─わが人生観28─」大和書房
1971(昭和46)年11月10日初版発行
底本の親本:「波 第四巻 第二号~第六号(通巻第一四号~第一八号)」新潮社
1970(昭和45)年3月1日~11月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「鯊」と「沙魚」の混在は、底本通りです。
※波誌の編者による注記は省略しました。
入力:富田晶子
校正:雪森
2018年7月27日作成
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