新しくもならぬ人生
正宗白鳥
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暦の上で何度新しき年を迎へても、心が新たになるのではない。私は、二十代の昔も七十代の今日も、根底においては、自分の考へ方は同じやうに思はれる。經驗を積み知識も豐かになつたにしても、すべて皮相な經驗、皮相な知識の積み重ねであつたのに過ぎないやうに思はれる。そして、大抵の人間が究極の所、さうではないかと私に思はれてゐる。
私は何も知らない嬰兒として、偶然この世に生れて以來、生きるための知識を、獲ようとして、あくせく努めて來たのであつたが、それだけでは足りない、大切なものを何時も忘れて來たやうに、いつも思はれ通しであつた。神を知らぬためとか、佛に仕へないためとか、あるひは人間愛に徹しないためとか、我を棄てないためとか、古來東西の物知り顏の人間が、言語により、文字により、うるさく説き立てるのを、一々御もつともには思ひながら、御もつともに思はれたままで、私の身につかないでいづれも通り過ぎるのである。
「たたけよ、さらば開かれん。」といふ、頼もしい、尊げな言葉は昔々聞かされてゐるが、私のこぶしが生れながら弱いせゐか、たたいてもたたいてもとびらは開かれないのである。
私は長い生涯を顧みて、自分相應にいろいろな經驗をして來たことを考へると、それがいいことをしたとか、惡いことをしたとか、その經驗に意味があるとかいつたやうなことはあまり感じられない。もつたい振つた言葉でいふと、宿命といつたやうな感じがする。宿命觀はふるい考へであり陳腐な思想であり、低級な人生態度であると、現代では思はれてゐるらしく、卑俗な新興宗教の教旨にも通ずるところがあるらしく思はれさうであるが、それなら、そのふるさ、陳腐さ、低級さ、卑俗さを脱却した、新しい、清鮮な、高調賢明な宿命觀を立てて見ればいいのであらうか。
年少のころ、いつからともなく懷疑の思ひにとらはれてから、意識的にも無意識的にも、この宿命を破らんと努めたものの、それは小ざかしき人力の及ぶところでないことが分つたのである。つまりは、ギリシヤ劇などに現れてゐるやうな素樸な運命觀に舞ひもどるやうな氣持がしないでもない。現代の新聞や雜誌に續々と現れてゐる、各方面における小ざかしき論爭も、つまりは宿命の穴に落ちるまでの、もがきであるやうにも思はれる。
私などが今まで生きてゐた間の世界は、波瀾はなはだしかつた世であつて、恐しい世であつたのだが、めくらヘビに怖ぢずといつたやうな有樣で、恐しとも感ぜずに過して來た。私など、回顧すると、恐しい所をくぐり拔けくぐり拔けして、どうにか長い命を保つて來た譯である。私は他人に比して、くぐり拔け方がいくらか上手であつたためでもあらうが、前後左右の情勢が我に幸ひしてゐたためでもあらうか。
自分だけではない。既に故人となつてゐるいろいろな知人の生存振りを回顧してゐると、正邪賢愚などはどうでもいいやうに心に殘つてゐる。みんながみんな、運命の犧牲になつて浮沈して、つまりは亡ぶべくして亡んだのである。ギリシヤの悲劇作者以來、古今の文學者は、かくして亡んだ人間どもの弔辭を述べて來たやうなものである。
我々は絶えず新を求めてゐる。「新すなはち眞なり。」と信じて、舊をさげすんで新をたたへんとしてゐる。暦の上ででも年が改まると、新たな希望の風でも吹いて來さうに心が豐かになるらしい。しかし、日の下に新しき者なしとの聲もつよく心に響くのである。──そして、これに續けて、氣の利いた新年のあいさつをいはうとすると、のどがつまつて言葉が出ないやうな氣持に、私はなるのである。
底本:「正宗白鳥全集第二十九卷」福武書店
1984(昭和59)年3月31日発行
底本の親本:「朝日新聞」
1954(昭和29)年1月8日
初出:「朝日新聞」
1954(昭和29)年1月8日
入力:山村信一郎
校正:フクポー
2019年2月22日作成
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