モミの木
ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen
矢崎源九郎訳
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町はずれの森の中に、かわいいモミの木が一本、立っていました。そこはとてもすてきな場所で、お日さまもよくあたり、空気もじゅうぶんにありました。まわりには、もっと大きな仲間の、モミの木やマツの木が、たくさん立っていました。
けれども、小さなモミの木は、ただもう、大きくなりたい、大きくなりたいと思って、じりじりしていました。そんなわけで、暖かなお日さまのことや、すがすがしい空気のことなんか、考えてもみなかったのです。農家の子供たちが、野イチゴやキイチゴをつみにきて、そのへんを歩きまわっては、おしゃべりをしても、そんなことは気にもとめませんでした。子供たちは、イチゴをかごにいっぱいつんだり、野イチゴをわらにさしたりすると、よく、小さなモミの木のそばにすわって、言いました。
「ねえ、なんてちっちゃくて、かわいいんだろう!」
ところが、モミの木にしてみれば、そんなことは聞きたくもなかったのです。
つぎの年になると、モミの木は、長い芽だけ、一つ大きくなりました。またそのつぎの年になると、もっと長い芽だけ、また一つ大きくなりました。モミの木からは、毎年毎年新しい芽がでて、のびていきますから、その節の数をかぞえれば、その木が幾つになったかわかるのです。
「ああ、ぼくも、ほかの木とおんなじように、大きかったらなあ!」と、小さなモミの木はため息をつきました。「そうだったら、ぼくは、枝をうんとまわりにひろげて、てっぺんから広い世界をながめることができるんだ! 鳥も、ぼくの枝のあいだに巣をつくるだろうなあ! 風が吹いてくりゃ、ぼくだって、ほかの木とおんなじように、じょうひんにうなずくこともできるんだがなあ!」
明るいお日さまの光も、鳥も、頭の上を朝に晩に流れてゆく赤い雲も、モミの木の心を、すこしもよろこばせてはくれませんでした。
そのうちに、冬になりました。あたりいちめんに、キラキラかがやくまっ白な雪が降りつもりました。すると、ウサギが何度もとび出してきて、この小さな木の上をとびこえて行きました。──ああ、まったくいやになっちまう!──
でも、冬が二度すぎて、三度めの冬になると、この木もずいぶん大きくなりました。ですから、ウサギは、そのまわりを、まわって行かなければならなくなりました。ああ、大きくなる! 大きくなって、年をとるんだ! 世の中に、これほどすてきなことはありゃあしない、と、モミの木は思いました。
秋には、いつもきこりがやってきて、いちばん大きな木を二、三本、切り倒しました。これは、毎年毎年くり返されることです。いまではすっかり大きくなった、この若いモミの木は、それを見ると、ぶるぶるっとふるえました。なにしろ、大きいりっぱな木が、メリメリポキッと、恐ろしい音をたてて、地べたにたおれるんですからね。それから、枝が切り落されると、まるはだかになってしまって、ひょろ長く見えました。こうなれば、もうもとの形なんか、ほとんどわからないくらいです。やがて、車にのせられて、それから、ウマにひかれて、森の外へ運ばれていってしまいました。
いったい、どこへ行くのでしょう? そして、これからどうなるのでしょう?
春になって、ツバメやコウノトリが飛んでくると、モミの木はたずねてみました。「あの木がみんな、どこへ連れていかれたか、あなたがた、知りませんか? 途中で会いませんでしたか?」
ツバメは、なにも知りませんでした。しかし、コウノトリは、なにか考えこんでいるようでした。そして、やがてうなずきながら、こう言いました。「そうだ。きっと、こうだろうよ。ぼくがエジプトから飛んできたとき、新しい船にたくさん出会ったんだよ。船には、りっぱな帆柱があったけど、きっと、それがそうだよ。モミのにおいもしていたしね。みんな、高く高くそびえていたよ! これが、きみに教えられることさ!」
「ああ、海をこえていけるくらい、ぼくも大きかったらなあ! その海ってのは、いったいどんなものですか? どんなものに似ているんですか?」
「そいつを説明しだしたら、とっても長くなっちまうよ」コウノトリはこう言うと、むこうへ行ってしまいました。
「おまえの若さを楽しみなさい」と、お日さまがキラキラかがやきながら言いました。「おまえの若々しい成長を、しあわせに思いなさい。おまえの中にある若い命を楽しみなさい」
すると、風はモミの木にキスをして、露はその上に涙をこぼしました。けれども、モミの木には、なんのことかさっぱりわかりませんでした。
クリスマスのころになると、ずいぶん若い木が、幾本も切りたおされました。その中には、ほんとに小さな若い木もあって、このモミの木ほど大きくもなければ、年もそんなにちがわないものもありました。ところで、モミの木は、ちっとも落着いてはいられません。やっぱり、どこかへ行きたくて、行きたくてならなかったのです。切られた若い木々は、どれもこれも、よりによって、美しい木ばかりでした。そして、いつも枝をつけられたまま、車にのせられました。そして、馬にひかれて、森の外へ運ばれていってしまうのです。
「みんなどこへ行くんだろう?」と、モミの木はたずねました。「ぼくより大きくもないのになあ。それに、ぼくよりずっと小さいのだってあった。どうして、みんな枝をつけたままなんだろう? どこへ行くんだろう?」
「ぼくたちは知ってるよ。ぼくたちは知ってるよ」と、スズメたちがさえずりました。「ぼくたちはね、むこうの町で、窓からのぞいたんだよ。みんなどこへ連れていかれたか、ぼくたちは知ってるよ! とってもとってもりっぱに、きれいになっていたよ。ぼくたち、窓からのぞいてみたんだもの。あったかい部屋のまんなかに植えられて、そりゃあ、きれいなものでかざられていてね、金色にぬったリンゴや、ハチ蜜のはいったお菓子や、おもちゃや、それから、何百っていうろうそくで、きれいにかざられていたよ!」
「で、それから──?」と、モミの木は、枝という枝をふるわせて、聞きました。「それから? ねえ、それからどうなったの?」
「それから先は、ぼくたち見なかったよ。だけど、くらべるものもないくらい、とってもすてきだったよ!」
「ぼくも、そういうすばらしい道を進んでいくようになるだろうか?」と、モミの木は、うれしそうにさけびました。「海の上を行くよりも、このほうがずっといい! ああ、たまらないや! クリスマスだったらいいのになあ! もうぼくだって、こんなに大きくなって、去年連れて行かれた木ぐらいになっているんだもの!──ああ、早く車の上にのりたいなあ! あったかい部屋の中で、きれいに、りっぱになれたらなあ!
だけど、それから──? うん、それからは、もっといいことが、もっときれいなものがくるんだ。そうでなきゃ、ぼくを、そんなにきれいにかざってなんかくれやしないだろう。そうだ、もっと大きなことが、もっとすばらしいことがくるにちがいない──! だけど、何だろう? ああ、苦しい! とてもたまらない! この気持、自分でもよくわからないや」
「こうしてわたしがいるのを、よろこびなさい!」と、空気とお日さまが言いました。「この広い広いところで、おまえの若さを楽しみなさい!」
しかし、モミの木は、すこしもよろこびませんでした。でも、ずんずん大きくなっていきました。冬も夏も、みどりの色をしていました。こいみどりの色をして、立っていたのです。人々はモミの木を見ると、「こりゃあ、きれいな木だ!」と、言いました。
クリスマスのころになると、どの木よりもまっさきに切りたおされました。おのが、からだのしんまで、深くくいいりました。モミの木は、うめき声をあげて、地べたにたおれました。からだがいたくていたくて、気が遠くなりそうでした。とても、しあわせなどとは思えません。かえって、生れ故郷をはなれ、大きくなったこの場所からわかれてゆくのが、悲しくなりました。もうこれっきり、大好きな、なつかしいお友だちや、まわりの小さなやぶや、花にも会うことができないんだ、そればかりか、きっともう鳥にも会えないんだろう、と、モミの木は思いました。こうして、旅に出かけるということは、楽しいものではありませんでした。
モミの木は、どこかの中庭について、ほかの木といっしょに車から下ろされたとき、はじめて、われにかえりました。ちょうどそのとき、そばで人の声がしました。「これがりっぱだ! ほかのは、いらないよ」
そこへ制服を着た召使が、ふたりやってきて、モミの木を、大きな美しい広間の中へ運びこみました。まわりのかべには、肖像画がかかっていました。タイル張りの、大きなストーブのそばには、ライオンのふたのついている、大きな中国の花瓶がありました。それから、ゆり椅子や、絹張りのソファや、大きなテーブルもありました。テーブルの上には、絵本やおもちゃがいっぱいありました。それは、百ターレルの百倍ぐらいもするものでした。──すくなくとも、子供たちは、そう言っていました。
モミの木は、砂のつまった、大きなたるの中に立てられました。でも、それがたるであるとは、だれの目にも見えませんでした。というのは、そのたるのまわりには、みどり色の布がかけられていましたし、おまけに、色とりどりの、大きなじゅうたんの上に置かれていましたから。
ああ、モミの木は、うれしくて、どんなにふるえたことでしょう! それにしても、これから、いったい、どうなるのでしょう?
召使とお嬢さんがきて、モミの木をきれいにかざってくれました。枝の上には、色紙を切りぬいてこしらえた、小さな網の袋がかけられました。見れば、どの袋にも、あまいお菓子がつまっています。それから、金色にぬったリンゴや、クルミがさげられましたが、それらは、まるで、そこになっているようでした。そして、赤や青や白の小さなろうそくが、百以上も、枝のあいだにしっかりとつけられました。ほんとの人間にそっくりのお人形が──モミの木は、いままでに、こんなものを見たことがありませんでした──みどりの枝のあいだでゆれていました。木のいちばんてっぺんには、金箔をつけた、大きな星が一つ、かざられました。それはほんとうに美しく、まったくくらべものもないくらいりっぱなものでした。
「今夜ね」と、みんなは言いました。「今夜は、光りかがやくよ!」
「ああ!」と、モミの木は思いました。「早く、夜になればいいなあ! 早く、ろうそくに火がつけばいいなあ! でも、それから、どうなるんだろう? 森から、ほかの木がここへやってきて、ぼくを見てくれるだろうか? スズメが、窓ガラスのところへとんでくるだろうか? ぼくは、しっかりとここに生えていて、冬も夏も、きれいにかざられているんだろうか?」
まったく、モミの木が、こんなふうに思うのも、むりはありません。しかし、あんまりいろいろなことを、あこがれて考えるものですから、木の皮が、ひどく痛みはじめました。木の皮が痛むというのは、わたしたち人間にとって頭がずきずきするのと同じことです。木にしてみれば、じつにつらいことなのです。
やがて、ろうそくに火がともされました。なんというかがやきでしょう! なんという美しさでしょう! モミの木は、うれしくてうれしくて、枝という枝をふるわせました。すると、ろうそくの一本にみどりの葉がさわって、火がついてしまいました。そのため、すっかりこげてしまいました。
「あら、たいへん!」と、お嬢さんたちはさけんで、いそいで火を消しました。
モミの木は、もう二度とからだをふるわせたりはしませんでした。ああ、まったくおそろしいことでした! それに、自分のからだのおかざりが、なにかなくなりはしないかと、それはそれは心配でした。そして、あたりがあんまり明るいので、すっかりぼんやりしてしまいました。──
と、そのとき、入り口のドアが、さっと両側に開かれました。それといっしょに、子供たちのむれが、モミの木をひっくりかえそうとするような勢いで、どっと、部屋の中へとびこんできました。おとなたちは、そのあとからゆっくりとはいってきました。小さな子供たちは、じっとだまりこんで、立っていました。──しかし、それもほんのちょっとの間で、すぐまた、あたりに鳴りひびくほど、うれしそうな声を出して、はしゃぎました。そして、木のまわりを踊りながら、贈り物を一つ、また一つと、つかみとりました。
「この子たちは、何をしようっていうんだろう?」と、モミの木は考えました。「どんなことが起るんだろう?」やがて、ろうそくは小さくなって、枝のところまで燃えてきました。こうして、だんだん小さくなってくると、順々に火が消されました。それから、子供たちは、木についているものを何でももぎ取っていいという、おゆるしをもらいました。うわあ、子供たちは、モミの木めがけて突進してくるではありませんか。さあ、たいへん。どの枝もどの枝も、みしみしなります。もしも木のてっぺんと金の星とが、天井にしっかりと結びつけられてなかったなら、モミの木は、きっと、たおされてしまったことでしょう。
子供たちは、きれいなおもちゃを持って、踊りまわりました。もうだれひとり、木のほうなどを見るものはありません。ただ、年とったばあやがきて、枝のあいだをのぞきこんでいました。でもそれは、イチジクかリンゴの一つぐらい、忘れて、のこっていやしないかと、ながめていたのです。
「お話! お話!」と、子供たちは大声に言いながら、ふとった、小がらの人を、モミの木のほうへ引っぱってきました。その人は、木のま下に腰をおろして、「こりゃあ、緑の森の中にいるようだね」と、言いました。「これじゃ、この木が、いちばんとくをするというものだ。だが、わたしは一つしかお話をしてあげないよ。おまえたちは、イヴェデ・アヴェデのお話が聞きたいかね? それとも、階段からころがり落ちたのに、王さまになって、お姫さまをもらった、クルンベ・ドゥンベのお話が聞きたいかね?」
「イヴェデ・アヴェデ!」と、さけぶ者もあれば、「クルンベ・ドゥンベ!」と、さけびたてる者もありました。がやがやとさわぎたてて、いやもう、まったくたいへんでした。ただ、モミの木だけは、だまりこんでいました。心の中では、「ぼくは仲間じゃないんだろうか? 何かすることはないんだろうか?」と、考えていました。もちろん、モミの木は仲間でした。しかも、自分のしなければならないことは、もう、すましてしまっていたのです。
ところで、あの小がらの人は、階段からころがり落ちたのに、王さまになって、お姫さまをもらった、クルンベ・ドゥンベのお話をしました。すると、子供たちは、大よろこびで手をたたいて、「もっと話して! もっと話して!」と、さけびました。子供たちは、イヴェデ・アヴェデのお話も聞きたかったのです。でも、このときは、クルンベ・ドゥンベのお話しか聞かせてもらえませんでした。
モミの木は、じっと黙りこんだまま、考えていました。森の中の鳥たちは、いままで一度だって、こんなお話をしてくれたことはありません。「クルンベ・ドゥンベは、階段からころがり落ちたのに、お姫さまをもらったんだ。うん、うん、世の中って、そういうものなんだ」と、モミの木は考えて、このお話をした人は、あんなにいい人なんだから、きっと、これはほんとうのことなんだ、と思いこんでしまいました。「そうだ、そうだ。ぼくだって、もしかしたら、階段からころがり落ちて、お姫さまをもらうようになるかもしれないんだ!」こうして、モミの木は、つぎの日も、ろうそくや、おもちゃや、金の紙や、果物などで、かざってもらえるものと思って、楽しみにしていました。
「あしたは、ぼくはふるえないぞ!」と、モミの木は心に思いました。「ぼくがきれいになったところを見て、うんと楽しもう。あしたもまた、クルンベ・ドゥンベのお話を聞くんだ。それから、イヴェデ・アヴェデのお話も、きっと聞けるだろう」こうして、モミの木は、一晩じゅう、じっと考えこんで立っていました。
あくる朝になると、下男と下女がはいってきました。
「さあ、またかざりつけてくれるんだ!」と、モミの木は思いました。ところが、みんなは、モミの木を部屋の外へ引っぱり出して、階段を上り、とうとう、屋根裏部屋に持っていってしまいました。そして、お日さまの光もさしてこない、うすぐらいすみっこに置いていきました。「こりゃあ、いったい、どういうことなんだ?」と、モミの木は考えました。「いったい、こんなとこで、何をさせようっていうんだろう? それに、こんなとこで、何が聞かせてもらえるんだろう?」
こうして、モミの木は、かべに寄りかかって立ったまま、いつまでもいつまでも考えつづけました。──時間はいくらでもありました。だって、そうしたまま、幾日も幾晩もすぎていったのですもの。だれも、上ってきませんでした。しかし、とうとう、だれかが上ってきました。でも、それは、大きな箱を二つ三つ、すみっこに置くためだったのです。おかげで、モミの木は、すっかりかくれてしまいました。このようすでは、モミの木のことなんか、みんなは忘れてしまったのでしょう。
「外は、いま冬なんだ」と、モミの木は考えました。「地面はかたくて、雪がつもっているもんだから、ぼくを植えることができないんだ。だから、春になるまで、ぼくをここへ置いて、守っていてくれるんだ! それにしても、なんて考え深いんだろう! なんて、みんな親切なんだろう!──だけど、ここがこんなに暗くて、こんなにさびしくなけりゃいいんだけど。──なにしろ、小ウサギ一ぴき、いないんだからなあ!──あの森の中は、楽しかったなあ! 雪がつもると、ウサギがとび出してきたっけ。うん、そう、そう、そしてぼくの頭の上を、とびこえていったっけ。でもあのときは、そんなことは、ちっともうれしくなかったんだ。そりゃあそうと、この屋根裏部屋はおっそろしいほどさびしいなあ!」
そのとき、小さなハツカネズミが一ぴき、チュウ、チュウ、鳴きながら、ちょろちょろ出てきました。そのあとから、小さいのがまた一ぴき、出てきました。二ひきのハツカネズミは、モミの木のそばへよって、においをかいでいましたが、やがて枝のあいだへはいりこみました。
「とっても寒いわ!」と、小さなハツカネズミたちは言いました。「でも、ここは、ほんとにいいとこね。ねえ、お年よりのモミの木さん!」
「ぼくは年よりじゃない!」と、モミの木は言いました。「ぼくなんかより、ずっと年とったのがたくさんいるんだよ」
「あなたは、どこからきたの?」と、ハツカネズミたちがたずねました。「あなたは、どんなことを知っているの?」このハツカネズミたちは、ほんとに聞きたがりやでした。「ねえ、世の中でいちばんきれいなところのお話をしてちょうだい。あなた、そういうところへ行ったことがあるの? こんなすてきな食べ物のあるお部屋へ行ったことはない? チーズがたなにあって、ハムが天井からさがっていて、あぶらろうそくの上で踊りがおどれて、おまけに、はいっていくときはやせていても、出てくるときはふとっている、ねえ、こんなすてきなお部屋はない?」
「そんなとこは知らないね」と、モミの木は言いました。「だけど、森は知ってるよ。お日さまがキラキラかがやいて、鳥が歌をうたっている森のことならね」そして、小さい時のことを、のこらず話してきかせました。小さなハツカネズミたちは、いままでにそんな話を聞いたことがなかったので、夢中になって聞いていました。そして、「まあ、あなたは、ずいぶんいろんなことをごらんになったのね! あなたは、なんてしあわせなんでしょう!」と、言いました。
「ぼくが?」と、モミの木は言って、自分の話したことを考えてみました。「そうだ。あのころが、まったくのところ、ほんとに楽しい時だったんだ!」──それから、お菓子やろうそくでかざってもらった、クリスマス前夜のことを話しました。
「まあ!」と、小さなハツカネズミたちは言いました。「あなたは、なんてしあわせなんでしょう、お年よりのモミの木さん!」
「ぼくは、年よりじゃないったら!」と、モミの木は言いました。「やっとこの冬、森から来たばっかりなんだよ。ぼくは、いま、いちばん元気のいい年ごろなのさ。ただ、すこし大きくなりすぎたけどね」
「ほんとに、お話がお上手だこと!」と、ハツカネズミたちは言いました。つぎの晩には、ハツカネズミたちは、ほかに四ひきの仲間を連れて、モミの木の話を聞きにやってきました。モミの木は話をすればするほど、だんだん、なにもかも、はっきりと思い出してくるのでした。そして、心の中でこう思いました。「それにしても、あのころは、まったく楽しい時だった。だけど、ああいう時が、また来るかもしれない。また来るかもしれないんだ! クルンベ・ドゥンベは、階段からころがり落ちたって、お姫さまをもらったじゃないか。ぼくだって、もしかしたら、お姫さまをもらえるかもしれないんだ」
そうして、モミの木は、あの森の中に生えていた、小さな、かわいらしいシラカバの木を思い出すのでした。モミの木にとっては、そのシラカバの木は、ほんとうに美しいお姫さまのようだったのです。
「クルンベ・ドゥンベっていうのは、だれ?」と、小さなハツカネズミたちがたずねました。そこで、モミの木は、その話をすっかり聞かせてやりました。モミの木は、一つ一つの言葉まで思い出すことができたのです。それを聞くと、小さなハツカネズミたちは、うれしくてたまらなくなって、もうすこしで、モミの木のてっぺんまでとび上がるところでした。
そのつぎの晩になると、もっともっとたくさんのハツカネズミたちがきました。そして日曜日には、二ひきのドブネズミまでもやってきました。ところが、そんな話はおもしろくなんかありゃしない、と、ドブネズミたちは言うのです。そうすると、小さなハツカネズミたちも悲しくなりました。もう、前のようにおもしろいとは、思われなくなったのです。
「おまえさんは、その話がたった一つしかできないのかね?」と、ドブネズミたちがたずねました。
「これ一つだけ!」と、モミの木は答えました。「その話は、ぼくがいちばんしあわせだった晩に聞いたんだよ。でもそのころは、ぼくがどんなにしあわせかってことを、思ってもみなかったんだ」
「じつにばかばかしい話だ! おまえさんは、ベーコンとか、あぶらろうそくとかいうようなものの話は、なんにも知らないのかね? 食物部屋の話なんかも知らないのかい?」
「知らない」と、モミの木は言いました。
「ふん、じゃあ、ごめんよ」ドブネズミたちは、こう言うと、さっさと、自分たちの仲間のところへ帰ってしまいました。
そのうちに、小さなハツカネズミたちも、行ってしまったまま、とうとう、こなくなってしまいました。モミの木はため息をついて、言いました。
「あのすばしっこい小さなハツカネズミたちが、ぼくのまわりにすわって、ぼくの話を聞いてくれたときは、ほんとに楽しかったなあ! でも、それも、もうおしまいさ。──だけど、今度、ここから連れていってもらったら、忘れないで、楽しくなるようにしよう」
しかし、いつ、そうなったでしょうか?──そうです。ある朝のことでした。人々が上ってきて、屋根裏部屋の中をかきまわしはじめました。とうとう箱が動かされて、モミの木が引っぱり出されました。モミの木は、ちょっと荒っぽく床に投げだされましたが、すぐに下男が、お日さまの照っている、階段の方へ引きずっていきました。
「さあ、またぼくの人生がはじまるんだ!」と、モミの木は思いました。モミの木は、すがすがしい空気と、お日さまの光をからだに感じました。──このときは、もう、おもての中庭にいたのです。なにもかも、すっかり変っていました。モミの木は、自分自身をながめることを、まるで忘れてしまって、思わず、まわりのいろいろなものに見とれてしまいました。
この中庭は花園のとなりにありましたが、見れば花園では、いろいろな花が今をさかりと、咲きみだれていました。バラの花は低い垣の上にたれ下がって、すがすがしい、よいにおいを放っていました。ボダイジュの花も、いま、まっさかりでした。ツバメがあたりを飛びまわって、「ピイチク! ピイチク! あたしの夫がきましたわ!」と、うたっていました。けれども、それは、モミの木のことではありませんでした。
「さあ、これから生きるんだ!」と、モミの木は、うれしそうに大きな声を出しました。そして、枝をうんとひろげてみました。ところが、なんということでしょう。枝はみんな、かれてしまって、黄色くなっているのです。モミの木は、雑草やイラクサの生えている、すみっこのほうに横になっていました。金の紙でつくった星が、まだてっぺんについていて、明るいお日さまの光を受けて、キラキラかがやいていました。
中庭では、元気そうな子供たちが二、三人、あそんでいました。それは、クリスマスのときに、モミの木のまわりを踊って、あんなによろこんでいた、子供たちだったのです。その中のいちばん小さな子が走ってきて、金の星をむしり取ってしまいました。
「ねえ、こんなきたない、古ぼけたクリスマスツリーに、まだこんなものがついてたよ!」こう言いながら、その子は、枝をふみつけました。靴の下で、枝がポキポキ鳴りました。
モミの木は、花園に咲きみだれている美しい花、いきいきとした花をながめました。それから、自分自身の姿を振りかえってみて、いっそのこと、あの屋根裏部屋の、うす暗いすみっこにいたほうがましだった、と思いました。そして、森の中ですごした若かったころのこと、楽しかったクリスマス前夜のこと、クルンベ・ドゥンベのお話を、あんなによろこんで聞いていた、小さなハツカネズミたちのことなどを、つぎつぎに思い出すのでした。
「おしまいだ、おしまいだ!」と、かわいそうなモミの木は、言いました。「楽しめるときに、楽しんでおけばよかったなあ! おしまいだ、おしまいだ!」
そのとき、下男がやってきて、モミの木を、小さく切りわってしまいました。こうして、まきのたばができあがりました。やがて、モミの木は、お酒をつくる大きなおかまの下で、まっかに燃え上がりました。モミの木は、深く深くため息をつきました。そして、ため息をつくたびに、なにか、パン、パン、と、小さくはじけるような音がしました。それを聞きつけると、あそんでいた子供たちがかけこんできて、火の前にすわりました。そして、中をのぞいて、「ピッフ! パッフ!」と、大声にさけびました。
モミの木は、深いため息をついてパチパチ音をたてるたびに、森の中の夏の日のことや、キラキラとお星さまのかがやく冬の夜のことを、思い出すのでした。それから、クリスマス前夜のことを、また人から聞かせてもらって、自分も話すことのできた、たった一つのお話、クルンベ・ドゥンベのことを、思い浮べるのでした。──こうしているうちに、とうとう、モミの木は、燃えきってしまいました。
それからまた、男の子たちは、中庭であそびました。見ると、いちばん小さな男の子は、胸に金の星をつけていました。それは、モミの木がいちばんしあわせだった晩に、つけてもらったものです。でも、今は、それもおしまいです。そして、モミの木も、おしまいになりました。それから、このお話もおしまいです。みんなおしまい、おしまい。お話というものは、みんな、こんなふうにおしまいになるものですよ。
底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集Ⅰ」新潮文庫、新潮社
1967(昭和42)年12月10日発行
1989(平成元)年11月15日34刷改版
2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2019年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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