みにくいアヒルの子
ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen
矢崎源九郎訳



 いなかは、ほんとうにすてきでした。夏のことです。コムギは黄色くみのっていますし、カラスムギは青々とのびて、緑の草地には、ほし草が高くつみ上げられていました。そこを、コウノトリが、長い赤い足で歩きまわっては、エジプト語でぺちゃくちゃと、おしゃべりをしていました。コウノトリは、おかあさんから、エジプト語をおそわっていたのでした。

 畑と草地のまわりには、大きな森がひろがっていて、その森のまんなかに、深い池がありました。ああ、いなかは、なんてすばらしいのでしょう! そこに、暖かなお日さまの光をあびて、一けんの古いお屋敷がありました。まわりを、深い掘割ほりわりにかこまれていて、へいから水ぎわまで、大きな大きなスカンポが、いっぱいしげっていました。スカンポは、とても高くのびていましたから、いちばん大きいスカンポの下では、小さな子供なら、まっすぐ立つこともできるくらいでした。そこは、まるで、森のおく深くみたいに、ぼうぼうとしていました。

 ここに、アヒルの巣がありました。巣の中には、一羽のおかあさんのアヒルがすわって、今ちょうど、卵をかえそうとしていました。けれども、かわいい子供は、なかなか生れてきませんし、それに、お友だちもめったに、あそびにきてくれないものですから、今では、もうすっかり、あきあきしていました。ほかのアヒルたちにしてみれば、わざわざ、このおかあさんのところへ上っていって、スカンポの下におとなしくすわって、おしゃべりなんかするよりも、掘割りの中を、かってに泳ぎまわっているほうが、おもしろかったのです。

 とうとう、卵が一つ、また一つと、つぎつぎに割れはじめました。ピー、ピー、と、鳴きながら、卵のきみが、むくむくと動き出して、かわいい頭をつき出しました。

「ガー、ガー。おいそぎ、おいそぎ」と、おかあさんアヒルは、言いました。すると、子供たちは、大いそぎで出てきて、緑の葉っぱの下から、四方八方を、きょろきょろ見まわしました。そのようすを見て、おかあさんは、みんなに見たいだけ見せてやりました。なぜって、緑の色は、目のためにいいですからね。

「世の中って、すごく大きいんだなあ!」と、子供たちは、口をそろえて言いました。もちろん、卵の中にいたときとは、まるでちがうのですから、こう言うのも、むりはありません。

「おまえたちは、これが、世の中のぜんぶだとでも思っているのかい?」と、おかあさんアヒルは言いました。「世の中っていうのはね、このお庭のむこうのはしをこえて、まだまだずうっと遠くの、牧師ぼくしさんの畑のほうまで、ひろがっているんだよ。おかあさんだって、まだ行ったことがないくらいなのさ! ──ええと、これで、みんななんだね」

 こう言って、おかあさんアヒルは、立ちあがりました。

「おや、まだみんなじゃないわ。いちばん大きい卵が、まだのこっているね。この卵は、なんて長くかかるんだろう! ほんとに、いやになっちゃうわ」こう言いながら、おかあさんアヒルは、しかたなく、またすわりこみました。

「ちょいと、どんなぐあいかね?」と、そのとき、おばあさんのアヒルが、お見舞いにきて、こうたずねました。

「この卵が、一つだけ、ずいぶんかかりましてねえ!」と、卵をかえしていた、おかあさんアヒルが、言いました。「いつまでたっても、穴があきそうもありませんの。でも、まあ、ほかの子たちを見てやってくださいな。みんな、見たこともないほど、きれいなアヒルの子供たちですわ! おとうさんにそっくりなんですのよ。それだのに、あのしょうのない人ったら、お見舞いにもきてくれないんですの」

「どれ、どれ、その割れないという卵を、わたしに見せてごらん!」と、おばあさんアヒルは、言いました。「こりゃあね、おまえさん、シチメンチョウの卵だよ。わたしも、いつか、だまされたことがあってね。そりゃあ、ひどい目にあったもんさ。生れた子供には、さんざん苦労させられてね。だって、おまえさん、その子ったら、水をこわがるんだからね。いくら、水の中へ入れてやろうと思ったって、だめだったよ。どんなに、わたしががみがみ言って、つっつこうと、食いつこうと、そりゃあ、どうしたって、だめなのさ! ──その卵を見せてごらん。ああ、やっぱり、シチメンチョウの卵だよ! こりゃあ、このままにしておいて、ほかの子供たちに、泳ぎでも教えてやるほうがいいね」

「でも、もうすこし、すわっていてみますわ」と、おかあさんアヒルは、言いました。「せっかく、長いあいだ、こうやってすわっていたんですもの。もうすこし、がまんしてみます」

「まあ、お好きなように」おばあさんアヒルは、こう言って、行ってしまいました。

 とうとう、その大きな卵が割れました。ピー、ピー、と、ひよこが鳴きながら、ころがり出てきました。ところが、その子ったら、ずいぶん大きくて、ひどくみっともないかっこうをしています。おかあさんアヒルは、その子をじいっとながめて、言いました。「まあ、とんでもなく大きい子だこと! ほかの子には、似てもいやしない! こりゃあ、ほんとうに、シチメンチョウの子かもしれないよ。まあ、いいわ。すぐわかるんだもの。ひとつ、水のところへ連れてって、つきとばしてやりましょう」

 あくる日は、すっかり晴れわたって、とても気持のよいお天気でした。お日さまは、キラキラとかがやいて、緑のスカンポの上を照らしています。おかあさんアヒルは、子供たちをみんな連れて、掘割りにやってきました。パチャーン! と、おかあさんは、まっさきに水の中へとびこんで、「ガー、ガー。さあ、おいそぎ!」と、みんなに言いました。すると、アヒルの子供たちは、一羽ずつ、あとからあとからとびこみました。水が頭の上までかぶさりましたが、みんなは、すぐに浮び上がって、じょうずに泳ぎ出しました。足は、ひとりでに動きました。こうやって、みんなは水の上に浮んでいました。見れば、あのみにくい灰色の子も、いっしょに泳いでいます。

「あら、あの子はシチメンチョウなんかじゃないわ」と、おかあさんアヒルは、言いました。「まあ、まあ、足をとってもじょうずに使っていること! からだも、あんなにまっすぐ起してさ! もう、あたしの子にまちがいないわ。それに、よくよく見れば、やっぱりかわいいもの。ガー、ガー、──さあ、みんな、おかあさんについておいで。おまえたちを、世の中へ連れてってあげるからね。鳥小屋のみなさんにも、ひきあわせてあげるよ。だけど、おかあさんのそばから離れちゃいけないよ。ふまれたりすると、たいへんだからね。それから、ネコに気をおつけ!」

 そのうちに、みんなは、鳥小屋につきました。ところが、そこでは、おそろしいさわぎの起っている、まっさいちゅうでした。二けんの家のものが、一つのウナギの頭を取りっこして、けんかをしていたのです。ところが、そのあいだに、ネコが、横から取っていってしまいました。

「いいかい、世の中って、こんなものなんだよ」と、アヒルの子供たちのおかあさんは、言いながら、自分も、くちばしをピチャピチャやりました。ほんとうは、おかあさんも、ウナギの頭がほしかったのです。

「さあ、今度は、足を使うようにしましょうね」と、おかあさんアヒルは、言いました。「みんな、いそいで行けるかしらねえ。いいこと、あそこにいる、アヒルのおばあさんの前へ行ったら、おじぎをするんですよ。あの方は、ここにいるひとたちの中で、いちばん身分の高いひとなんだからね。スペインで生れたひとなんだよ。だから、あんなにふとっていらっしゃるのさ! それから、ほら、足に赤い布をつけているでしょう。きれいで、すてきじゃないの。あれはね、わたしたちアヒルがもらうことのできる、いちばんりっぱな勲章くんしょうなんだよ! あれをつけているのはね、あのひとがいなくならないようにというためと、動物からも、人間からも、すぐわかるようにというためなんだよ。──

 さあ、さあ、いそいで! ──足を内側へ向けるんじゃありませんよ。おぎょうぎのいいアヒルの子は、足をぐっと、外側へ開くんですよ。そら、おとうさんや、おかあさんを見てごらん。いいかい、こんなふうにするのよ。さあ、今度は首をまげて、ガー、と、言ってごらん」

 そこで、子供たちはみんな、言われたとおりにしました。ほかのアヒルたちが、まわりに集まってきて、みんなをじろじろながめながら、大きな声で言いました。「おい、見ろよ。また、チビが、うんとこさやってきたぞ! おれたちだけじゃ、まだ足りないっていうみたいだ。チェッ、あのアヒルの子は、ありゃあ、なんてやつだ。あんなのはごめんだぜ」──そして、すぐに、一羽のアヒルがとんできて、その子の首すじにかみつきました。

「ほっといてちょうだい」と、おかあさんアヒルは、言いました。「この子は、なんにもしないじゃないの」

「うん。だけど、こいつ、あんまり大きくて、へんてこだもの」と、いま、かみついたアヒルが、言いました。「だから、追っぱらっちゃうんだ」

「かわいい子供さんたちだねえ、おかあさん!」と、足に布をつけている、おばあさんのアヒルが、言いました。「みんな、かわいい子供たちだよ。でも、一羽だけは、べつだがね。かわいそうに。作りかえることができたら、いいのにねえ!」

「そうはまいりませんわ、奥さま!」と、おかあさんアヒルは、言いました。「この子は、かわいらしくは見えませんが、でも気だては、たいへんよいのでございます。それに、泳ぐことも、ほかの子供たちと同じようにできます。いいえ、かえって、すこしじょうずなくらいでございますわ。大きくなれば、もうすこしきれいにもなりましょうし、時がたてば、小さくもなりますでしょう。きっと、卵の中に長くいすぎたものですから、こんなへんな形になってしまいましたのでしょう」こう言って、その子の首すじをつついて、羽をきれいになおしてやりました。

「それに、この子は男の子なんでございますもの」と、おかあさんアヒルは言いました。「ですから、かっこうのわるいなんてことは、どうでもいいことだと思いますわ。きっと、りっぱな強いものになって、生きていってくれるだろうと、思います」

「ほかの子たちは、ほんとうにかわいいね」と、おばあさんアヒルは、言いました。「さあ、さあ、みんな。自分のうちにいるようなつもりで、らくにしておいで。それから、おまえさんたち、ウナギの頭を見つけたら、わたしのところへ持ってきておくれよ。いいかね」──

 こう言われたものですから、みんなは、うちにいるように、らくな気持になりました。

 けれども、いちばんおしまいに卵から出てきた、みにくいかっこうのアヒルの子だけは、かわいそうに、アヒルの仲間たちばかりか、ニワトリたちからも、かみつかれたり、つつかれたり、ばかにされたりしました。

「こいつ、でかすぎるぞ!」と、みんながみんな、こう言うのです。なかでも、シチメンチョウは、生れつきけづめを持っていたので、皇帝のようなつもりでいたのですが、それだけに、このアヒルの子を見ると、帆に風をいっぱい受けた船のように、からだをぷうっとふくらませて、つかつかと近よってきました。そして、のどをゴロゴロ鳴らしながら、顔をまっかにしました。これを見ると、かわいそうなアヒルの子は、もうどうしたらよいのか、わかりません。自分の姿が、たいそうみにくいために、みんなから、こんなにまでもばかにされるのが、なんともいえないほど悲しくなりました。

 さいしょの日は、こんなふうにしてすぎましたが、それからは、だんだんわるくなるばかりです。かわいそうに、アヒルの子は、みんなに追いかけられました。にいさんや、ねえさんたちさえも、やさしくしてくれるどころか、かえっていじわるをして、いつも言うのでした。

「おい、みっともないやつ。おまえなんか、ネコにでもつかまっちまえばいいんだ!」

 おかあさんも、

「おまえさえ、どこか遠いところへ行ってくれたらねえ!」と、言いました。ほかのアヒルたちには、かみつかれ、ニワトリたちには、つつきまわされました。鳥にえさをやりにくる娘からは、足でけとばされました。

 とうとう、アヒルの子は逃げだして、生垣いけがきをとびこえました。すると、やぶの中にいた小鳥たちが、びっくりして、ぱっと舞いあがりました。

「ああ、これも、ぼくがみっともないからなんだなあ!」と、アヒルの子は思って、目をつぶりました。けれども、どんどんさきへ走っていきました。やがて、野ガモの住んでいる、大きな沼地に出ました。アヒルの子は、ここで、一晩ねることにしました。だって、ここまできたら、もうすっかりくたびれていましたし、それに、悲しくってたまらなかったのですもの。

 朝になると、野ガモたちはとびたって、あたらしい仲間を見つけました。「きみは、いったい何者だい?」と、みんなは、たずねました。アヒルの子は、あっちへもこっちへも、できるだけていねいにおじぎをしました。

「きみはまた、おっそろしく、みっともないかっこうをしているな」と、野ガモたちは、言いました。「でも、そんなことは、どうだっていいや。ぼくたちの家族のものと結婚しなけりゃ、いいんだ」

 かわいそうなアヒルの子は、結婚なんて、夢にも思ってみたことがありません! それどころか、ただ、アシのあいだに休ませてもらって、沼の水をほんのすこし飲ませてもらえば、それだけでよかったのです。

 アヒルの子は、そこに二日のあいだ、いました。すると、そこへ、おすのガンが二羽、とんできました。このガンは、卵から出て、まだ、いくらもたっていませんでしたから、すこしむてっぽうすぎました。

「おい、きみ!」と、ガンは言いました。「きみは、なんて、みっともないかっこうをしているんだ! だけど、ぼくは、そのみっともないところが気にいった。どうだい、いっしょに行って、渡り鳥にならないかい? じつは、この近くのもう一つの沼にな、きれいな、かわいい女のガンが二、三羽、住んでいるんだ。むろん、みんなお嬢さんさ。ガー、ガー、って、じょうずにおしゃべりすることもできるんだ。きみが、いくらみっともないかっこうでも、そこへ行けば、幸福をつかむことができるんだぞ」──

「ダーン、ダーン!」と、そのとき、空で鉄砲の音がしました。とたんに、二羽のガンは、アシの中へ、まっさかさまに落ちて、死にました。水が、血の色でまっかにそまりました。

「ダーン、ダーン!」と、また鉄砲の音がしました。すると、ガンのむれが、アシの中から、ぱっととびたちました。つづいて、また鉄砲の音がしました。大じかけのりょうが、はじまったのです。かりゅうどたちは、沼のまわりを、ぐるりと取りまいていました。いや、中には、もっと近くまできて、アシの上にのび出ている木の枝に、腰をおろしている者さえ、二、三人ありました。青い煙が、まるで雲のように、うす暗い木々の間をぬけて、遠く水のおもてにたなびいていました。

 沼の中へ、猟犬が、ピシャッ、ピシャッと、とびこんできました。アシは、あっちへもこっちへも、なびきました。かわいそうに、アヒルの子にとっては、なんというおそろしい出来事だったでしょう! アヒルの子は、びっくりぎょうてんしました。思わず、頭をちぢこめて、羽の下にかくしました。

 と、ちょうどその瞬間、おそろしく大きなイヌが、すぐ目の前にとび出してきました。したはだらりと長くたらして、目はぞっとするほど、ギラギラ光っていました。鼻づらを、アヒルの子のほうへぐっと近づけて、するどい歯をむきだしました。──

 ところが、どうしたというのでしょう。アヒルの子にはかみつきもしないで、また、ピシャッ、ピシャッと、むこうへもどっていってしまいました。

「ああ、ありがたい!」と、アヒルの子は、ほっとして、言いました。「ぼくが、あんまりみっともないものだから、イヌまでかみつかないんだな」

 アヒルの子は、そのまま、じっとしていました。けれど、そのあいだも、ひっきりなしに、鉄砲のたまが、アシの中へとんできて、ザワザワと音をたてました。

 お昼すぎになってから、やっと、あたりが静かになりました。けれども、かわいそうなアヒルの子は、すぐには、起きあがる元気もありませんでした。それから、また、だいぶ時間がたってから、やっと、あたりを見まわしました。そして、大いそぎで、沼から逃げ出しました。畑をこえ、草原をこえて、どんどん走っていきました。そのうちに、はげしい風が吹いてきました。そのため、今度は、とっても走りにくくなりました。

 夕方ごろ、とあるみすぼらしい、小さな百姓家ひゃくしょうやにたどりつきました。その家は、見るもあわれなありさまで、自分でも、どっちへたおれようとしているのか、わからないようなようすでした。それでも、まだ、とにかく、こうして、立っているのでした。そうしているうちにも、風が、ピューピュー吹きつけてきました。アヒルの子は、たおれないようにするために、風のほうへしっぽを向けて、からだをささえなければなりません。けれども、風は、ますますひどくなるばかりです。そのとき、ふと見ると、入り口の戸のちょうつがいが一つはずれていて、戸が、いくぶん開いています。どうやら、そのすきまから、部屋へやの中へ、はいっていくことができそうです。そこで、アヒルの子は、さっそく、そこからはいっていきました。

 この家には、ひとりのおばあさんが、一ぴきのネコと、一羽のニワトリといっしょに、住んでいました。おばあさんは、このネコのことを、「坊やちゃん」と呼んでいました。「坊やちゃん」は背中をまるくしたり、のどをゴロゴロ鳴らしたりすることができました。そのうえ、火花を散らすこともできました。もっとも、火花を散らすためには、だれかに、毛をさかさにこすってもらわなければなりません。ニワトリは、たいへんかわいらしい、短い足をしているので、おばあさんは、「短い足のコッコちゃん」と、呼んでいました。「短い足のコッコちゃん」は、とってもよい卵を生むので、おばあさんは、まるで、自分の子供みたいに、かわいがっていました。

 あくる朝になると、ネコも、ニワトリも、すぐに、いままで見たことのない、アヒルの子がいるのに気がつきました。ネコは、のどをゴロゴロ鳴らし、ニワトリは、コッコと鳴きだしました。

「どうしたんだね?」と、おばあさんは言って、あたりを見まわしました。けれども、おばあさんは、目があんまりよくなかったものですから、このアヒルの子を、どこからか迷いこんできた、ふとったアヒルだと、かんちがいしてしまいました。

「こりゃあ、いいものがはいってきてくれた」と、おばあさんは言いました。「これからは、アヒルの卵も食べられるってわけだもの。だけど、おすのアヒルでなけりゃいいがねえ。まあ、ためしに飼ってみるとしよう」

 こういうわけで、アヒルの子は、三週間のあいだ、ためしに飼われることになりました。でも、もちろん、卵は生みませんでした。ところで、この家では、ネコがご主人で、ニワトリが奥さんでした。そして、いつもふたりは、「われわれと世界は!」と、言っていました。なぜって、ふたりは、おたがいが世界のよいはんぶんで、それも、いちばんよいはんぶんだと、思っていたからです。アヒルの子は、これとはちがったふうに考えることもできるような気がしました。でも、ニワトリは、それをみとめてくれませんでした。

「あんたは、卵を生むことができるの?」と、ニワトリはたずねました。

「いいえ」

「じゃあ、だまっていたらどう!」

 すると、今度は、ネコが口を出しました。

「おまえは、背中をまるくすることができるかい? のどをゴロゴロ鳴らすことができるかい? それから、火花を散らすことができるかい?」

「いいえ」

「じゃあ、りこうな人たちが話しているときは、だまっているものだよ」

 こうして、アヒルの子は、すみっこにひっこんでいましたが、ちっともおもしろくはありません。そうしているうちに、すがすがしい、気持のよい空気と、お日さまの光が、なつかしく思い出されてきて、たまらないほど、水の上を泳ぎたくなってきました。アヒルの子は、とうとう、がまんができなくなって、そのことを、ニワトリの奥さんにうちあけました。

「あんた、何を言うのよ」と、ニワトリの奥さんは、言いました。「なんにもすることがないもんだから、そんなとんでもない気まぐれを起すんだよ。卵でも生むとか、のどでも鳴らすとかしてごらん。そんなばかげた気まぐれは、どっかへとんでっちゃうから」

「でも、水の上を泳ぐのは、すばらしいんですよ」と、アヒルの子は言いました。「頭から水をかぶったり、水の底のほうまでもぐっていったりするのは、とっても楽しいんですもの」

「ふん、さぞかし、楽しいでしょうよ」と、ニワトリの奥さんは、言いました。「あんたは、気でもちがったんだよ。じゃあ、ネコのだんなさんに聞いてごらん。あのひとは、あたしの知っている人の中で、いちばんりこうな方だがね、あのひとに、水の上を泳いだり、もぐったりするのは、お好きですかって、さ! あたしは、自分のことはなんにも言いたかないわ。──あたしたちのご主人のおばあさんにも、聞いてごらん。あのおばあさんよりりこうな人は、世の中にはいないんだよ。あんた、いったい、あのおばあさんが、泳いだり、水を頭からかぶったりするのが好きだとでも、思うの?」

「ぼくの言うことが、あなたがたには、おわかりにならないんです!」と、アヒルの子は、言いました。

「ふん、あたしたちにおまえさんの言うことがわからなければ、いったい、だれにならわかるっていうの? あんた、まさか、ネコのだんなさんや、あのおばあさんよりも、自分のほうがりこうだなんて、言うんじゃないだろうね。まあ、あたしは、別にしたところでさ! あんまり、なまいきなことを言うんじゃないよ! 子供のくせに! そんなことばかり言ってないで、まあ、まあ、ひとが親切にしてくれたことでも、ありがたく思うんだね。

 あんたは、こうして暖かい部屋に入れてもらって、あたしたちの仲間に入れてもらったんじゃないか。おまけに、いろんなことまで、教えてもらったんじゃないの! それだのに、あんたはまぬけよ! あたし、あんたなんかとつき合ってると、おもしろかないわ。だけど、さ、ね! あたしはあんたのことを思うからこそ、こんないやなことまで言ってしまうのよ。だから、ほんとのお友だちというものさ。さあ、さあ、これからは、いっしょうけんめいに、卵を生むとか、のどをゴロゴロ鳴らして、火花でも散らすようにするといいわ!」

「でも、ぼくは、外の広い世の中へ、出ていきたいんです!」と、アヒルの子は、言いました。

「それなら、かってにおし!」と、ニワトリの奥さんは、言いました。

 そこで、アヒルの子は出ていきました。そして、楽しそうに水の上を泳いだり、水の中にもぐったりしました。けれども、姿がみにくいために、どの動物からも相手にされませんでした。

 やがて、秋になりました。森の木の葉は、黄色や茶色になりました。強い風が吹いてくると、木の葉は、くるくると舞いあがりました。高い空のほうは、寒々としていました。雲は、あられや雪をふくんで、どんよりと、たれさがっていました。生垣の上には、カラスがとまって、いかにも寒そうに、カー、カーと、鳴いていました。考えてみただけでも、ぶるぶるっとしそうな寒さです。こんなとき、あのアヒルの子はどうしていたでしょうか。かわいそうに、すっかり弱っていました。

 ある夕方、お日さまが、キラキラと美しくかがやいて、しずみました。そのとき、アヒルの子がまだ見たこともないような、美しい大きな鳥のむれが、茂みの中からとびたちました。みんな、からだじゅうが、かがやくようにまっ白で、長い、しなやかな首をしています。それは、ハクチョウたちだったのです。ハクチョウのむれは、ふしぎな声をあげながら、美しい大きなつばさをひろげて、寒いところから暖かい国へいこうと、広い広い海をめがけて、とんでいくところでした。ハクチョウたちは、高く高くのぼって行きました。

 それを見ているうちに、みにくいアヒルの子は、なんともいえない、ふしぎな気持になりました。それで、水の中で、車の輪のように、ぐるぐるまわると、首をハクチョウたちのほうへ高くのばして、自分でもびっくりするほどの、大きな、ふしぎな声をあげて、さけびました。ああ、なんという美しい鳥でしょう! あの美しい鳥、幸福な鳥を、アヒルの子は、けっして忘れることができませんでした。

 ハクチョウたちの姿が見えなくなると、みにくいアヒルの子は、水の底までもぐっていきました。けれども、もう一度浮びあがったときには、まるで、むがむちゅうになっていました。アヒルの子は、あの美しい鳥がなんという名前なのか知りません。そして、どこへとんでいったのかも知りません。けれども、いままでのどんなものよりも、いちばんなつかしく思われるのです。なんだか、好きで好きでたまらないのです。でも、うらやましいなどとは、すこしも思いませんでした。アヒルの子にしてみれば、あんな美しい姿になろうなんて、どうして願うことができましょう。ただ、ほかのアヒルたちが、自分を仲間に入れてくれさえすれば、それだけで、どんなにうれしいかしれないのです。──ああ、なんてかわいそうな、みにくいアヒルの子でしょう!

 いよいよ、冬になりました。ひどい、ひどい寒さです。アヒルの子は、水のおもてがすっかりこおってしまわないように、ひっきりなしに、泳ぎまわっていなければなりませんでした。けれども、一晩、一晩とたつうちに、泳ぎまわる場所が、だんだんせまくなり、小さくなりました。あたりは、まもなく、ミシミシと音をたてるほど、こおりついてきました。アヒルの子は、氷のために、泳ぐ場所をみんなふさがれてしまわないように、しょっちゅう、足を動かしていなければなりませんでした。でも、とうとうしまいには、くたびれきって、動くこともできなくなり、氷の中にとじこめられてしまいました。

 つぎの朝早く、ひとりのお百姓さんが通りかかって、あわれなアヒルの子を見つけました。お百姓さんは、すぐさま、そばへやってきて、木靴きぐつで氷をくだいて、家のおかみさんのところへ持って帰りました。こうして、アヒルの子は生きかえりました。

 お百姓さんの子どもたちは、大よろこびで、アヒルの子とあそぼうとしました。ところが、アヒルの子のほうは、またいじめられるにちがいないと思って、こわくてこわくてたまりません。で、あんまりびくびくしていたものですから、ミルクつぼの中へとびこんでしまいました。おかげで、ミルクが、部屋じゅうにとび散りました。おかみさんは大声でわめきたてて、両手を高く上げて、打ちあわせました。それで、アヒルの子は、またびっくりしてしまい、今度は、バターの入れてある、たるの中にとびこみました。それから、ムギ粉のおけの中へとびこんで、そのあげく、やっとのことで、とび出してきました。いやはや、たいへんなさわぎです! おかみさんは、きんきんした声でさけびながら、火ばしで、アヒルの子をぶとうとしました。いっぽう、子供たちは子供たちで、アヒルの子をつかまえようとして、ぶつかりっこをしては、笑ったり、わめいたり。いやもう、たいへんなことになりました! ──

 ところが、ありがたいことに、戸があけはなしになっていました。それを見るが早いか、アヒルの子は、いま降ったばかりの雪の中の、茂みの中へ、とびこみました。──そして、まるで冬眠でもしているように、そこに、じっとしていました。

 さて、このあわれなアヒルの子が、きびしい冬のあいだに、たえしのばなければならなかった、苦しみや、悲しみを、みんなお話ししていれば、あまりにも悲しくなってしまいます。── ──やがて、いつのまにか、お日さまが、暖かくかがやきはじめました。そのころ、アヒルの子は、まだやっぱり、沼のアシのあいだに、じっとしていました。もう、ヒバリが歌をうたいはじめました。──いよいよ、すてきな春になったのです。

 そのとき、アヒルの子は、きゅうに、つばさを羽ばたきました。すると、つばさは前よりも強く空気をうって、からだが、すうっと持ちあがり、らくらくととぶことができました。そして、なにがなんだか、よくわからないうちに、とある大きな庭の中に来ていました。庭には、リンゴの木が美しく花を開き、ニワトコはよいにおいをはなって、長い緑の枝を、静かにうねっている掘割りのほうへ、のばしていました。ああ、ここは、なんて美しいのでしょう! なんて、あたらしい春のかおりに、みちみちているのでしょう!

 そのとき、目の前の茂みの中から、三羽の美しい、まっ白なハクチョウが出てきました。ハクチョウたちは羽ばたきながら、水の上をかろやかに、すべるように、泳いできました。アヒルの子は、この美しいハクチョウたちを知っていました。そして、いまその姿を見ると、なんともいえない、ふしぎな、悲しい気持になりました。

「ぼくは、あの美しい、りっぱなハクチョウたちのところへとんでいこう。けれど、ぼくはこんなにみにくいんだから、近よっていったりすれば、きっと殺されてしまうだろう。でも、いいや。どうせ、ぼくなんかは、ほかのアヒルからはいじめられ、ニワトリからはつっつかれ、えさをくれる娘からは、けとばされるんだもの。それに、冬になれば、いろんな悲しいことや、苦しいことを、がまんしなければならないんだもの。それを思えば、ハクチョウたちに殺されるほうが、どんなにいいかしれやしない」こう思って、アヒルの子は水の上にとびおりて、美しいハクチョウたちのほうへ、泳いでいきました。これを見ると、ハクチョウたちは、美しく羽をなびかせながら、近づいてきました。

「さあ、ぼくを殺してください」と、かわいそうなアヒルの子は、言いながら、頭を水の上にたれて、殺されるのを待ちました。──ところが、すみきった水のおもてには、いったい、何が見えたでしょうか? そこには、自分の姿がうつっていました。けれども、それはみにくくて、みんなにいやがられた、かっこうのわるい、あの灰色の鳥の姿ではありません。それは、美しい一羽のハクチョウではありませんか。

 そうです。ハクチョウの卵からかえったものならば、たとえ鳥小屋で生れたにしても、やっぱり、りっぱなハクチョウにちがいないのです。

 アヒルの子は、いままでに受けてきた、さまざまの苦しみや、悲しみのことを思うにつけて、いまの幸福を心からうれしく思いました。そして、いまの自分に与えられている幸福や、すばらしさが、いまはじめてわかりました。ほんとうに、なんてしあわせなことでしょう! ──大きなハクチョウたちは、このあたらしいハクチョウのまわりを泳ぎながら、くちばしで羽をなでてくれました。

 そのとき、小さな子供たちが二、三人、お庭の中へはいってきました。みんなは、パンくずや、ムギのつぶを、水の中へ投げてくれました。そのうちに、いちばん小さい子が、大声でさけびました。

「あっ、あそこに、あたらしいハクチョウがいるよ!」

 すると、ほかの子供たちも、いっしょに、うれしそうな声をあげました。

「ほんとだ。あたらしいハクチョウがきた!」

 みんなは、手をたたいて、踊りまわると、おとうさんとおかあさんのところへけていきました。それから、またパンやお菓子を投げこんでくれました。そして、だれもかれもが、言いました。

「あたらしいハクチョウが、いちばんきれいだね。とても若くて、美しいね」

 すると、年上のハクチョウたちが、若いハクチョウのまえに頭をさげました。

 若いハクチョウは、はずかしさでいっぱいになり、どうしてよいかわからなくなって、頭をつばさの下にかくしました。ハクチョウは、とてもとても幸福でした。でも、すこしも、いばったりはしませんでした。心のすなおなものは、けっして、いばったりはしないものなのです。ハクチョウは、いままで、どんなにみんなから追いかけられたり、ばかにされたりしたかを、思い出しました。けれども、いまは、みんなが、自分のことを、美しい鳥の中でもいちばん美しい、と、言ってくれているのです。ニワトコは、水の上のハクチョウのほうへ枝をさしのべて、頭をさげました。お日さまは、それはそれは暖かく、やさしく照っていました。ハクチョウは、羽を美しくなびかせて、ほっそりとした首をまっすぐに起しました。そして、心の底からよろこんで言いました。

「ぼくがみにくいアヒルの子だったときには、こんなに幸福になれようとは、夢にも思わなかった!」

底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集)」新潮文庫、新潮社

   1967(昭和42)年1210日発行

   1981(昭和56)年53021

入力:チエコ

校正:木下聡

2019年1124日作成

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