芥川賞の人々
佐藤春夫
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僕は第一回以来の芥川賞詮考委員である。あれはいつからであつたらうか。何しろ二十年もむかしの話で、おほかたは忘れてしまつてゐる。
さすがに第一回だけに、石川達三の当選の時のことだけは、おぼろげながらにも記憶にある。
会場は両国へんのどこかに、大川を見ながら詮考が進められたのは初夏か晩夏であつたのであらう。菊池と久米とが積極的に意見を交換してゐるほかは、誰もあまり活㔇な発言はなかつたやうに思ふ。だから第一回の決定は菊池と久米とでしたやうなものであつた。特に菊池は石川の作品に対してだいぶん乗気であつたのを忘れない。僕は候補作品も全部は目をとほしてゐない不熱心であつたかも知れない。
正直なところ、僕ははじめ文芸春秋を文学的な結社といふよりも党を結んで文壇的ヘゲモニーを把握しようための文壇政治的団結のやうに思へて反感を持つてゐたのが、先方にも反映して互に相容れないものがあつて芥川賞の設定にも素直にばかりは考へてゐなかつた。
しかし亡友を紀念するために文学賞を設けこれによつて新人を発見する利他のついでに自分も少々利益を得たいと考へることは決して非難すべきことではないと思つて委員の委嘱を受けた時には、生きてゐる間からその意嚮を見せてゐた芥川が死して僕と菊池との間を結んだやうな気がして委員となつたものである。さうしてこの任に当る以上は、文壇的結社のためではなく、文学のために新人の発見に微力を尽さうと自ら誓ふところが無いではなかつた。それ故会合へも病気でただ一度欠席しただけである。
だから第一回にあまり熱心でなかつたといふのも他意があつたわけではなく、ただ事に慣れなかつたためであつた。
だから、僕は回を重ねて慣れるに従ひ、だんだん熱心な委員になつたつもりである。候補作品は、いつもすつかり心ゆくまで読破して、はつきり評価して置く。僕は割合ひに融通の利く頭で、いろいろな作者がそれぞれに趣向を凝らし、さまざまに意図したところを汲み取る能力があるつもりである。或は自分に固守するほどの信念がないのかも知れない。
僕は自分で支持する作品のある場合は、詮考の場に臨むのが楽しみなほどである。僕が自分のところへ出入する作家に対して、まるで卒業生の就職口を世話するやうに芥川賞を推せんするなどといふのは、僕を誣ひる事甚しいとともに、他の委員を侮辱するものであらう。僕はさういふゴシップは軽べつして自分の所信は今後も貫くつもりである。
僕はなまけ者のうへ時間も読書力もなくて、平素不本意にも新進作家の作品を十分に読む機会がないから、年に二回、新進作家の目星しい作品をまとめて読む必要のある芥川賞の詮考は僕にとつていい勉強になつてゐる。委員中の古狸になつて他の委員から邪魔者あつかひされてゐるやうな気のする場合にも、菊池芥川二人の亡友に対する義務と自分の勉強とのつもりで、我慢していつまでも委員の席に列なつてゐる。
さて芥川賞の諸作品だが、それに就てはその都度それぞれに感想なり批評なりを書いて来たが、それもおほかた忘れてしまつた。
当選作品をふりかへつて見ると、一種の会場作品とでも云ふのか展覧会向きのやうな人目につきやすい作品が多く択ばれてゐるやうな気がする。予選の場合にもそれが必ずあるところへ、最後の選定も多数決みたいな結果になるために、結局、会場作品的なものが挙げられるわけなので、これも自然なことかも知れない。それでも時には「城外」のやうな地味な作品が択ばれる事もあつた。高木卓の「遣唐船」や石塚友二の「松風」はたしか候補作品でだいぶん支持する人もあつたのを僕は賛成しなかつた作品ではなかつたかと思ふ。最近では有吉佐和子の「地唄」がそれである。なほ僕が支持しながら遂に当選しなかつた作家としては太宰治、檀一雄の名を数へることができる。これをみると、芥川賞に当選と否とを問はず世に出るべき人は世に出ると云へると同時に、芥川賞はひろく有望な作家に着目して候補を選んでゐると云ふこともできるであらう。
井上靖のやうにめづらしいほどの満場一致で当選した人もあれば、また五味康祐のやうに坂口安吾君と僕とが支持して辛うじて賞を得た人もある。それでゐてこの二人が同じやうに一代のブーム作家になつてゐるのもおもしろい。
五味康祐と云へばすぐ聯想される柴田錬三郎も全く埋れさうになつてゐたのが、これは芥川賞で落選して次回の直木賞で世に出た人である。
芥川賞は不思議と石の字のつく作家に幸してゐるやうで、第一回の石川達三をはじめとして石川淳、それから石原慎太郎、みな芥川賞のなかでも花々しく世にときめいてゐる人ばかりである。石の字がついて当選しなかつたのはただひとり石塚友二であらうか。その「松風」は会場向き作品としてはあまり渋すぎたし、僕には全然波長の合はないやうなものがあつた。この集によつて改めて読み直してみたいと思つてゐる。
火野葦平も亦、芥川賞が発見した手柄を吹聴する作家に相違ない。あの選の時は、あまり異論も出ないでもめなかつたが、それでゐて妙に会場に活気があつたやうな気がした。
時には同時に二人、選ばれた事があつて、例へば石川淳と僕や小島政二郎が支持した富沢有為男などは同期の当選者であつたが、そのうち石川は時を得てジャアナリズムの潮流にうまく乗つてゐるのに対して、富沢は全然埋もれたわけではないが、あまりパツとしない存在になつたのは運が悪いので、決して富沢の才情が石川の俊秀に劣るものとは僕には思へない。或は富沢が僕のやうな人物に親しいために損をしてゐるのではないかと気の毒である。
戦後疎開流れになつて東京のジャアナリズムに遠ざかつたうへに病気を得てクサつてゐた富沢が、近来往年の意気を盛り返して「白い壁画」のやうな大作を完成したから、たとひジャアナリズムに迎へられなくとも後世の正当な評価を期待してよからう。
戦後第三の新人と呼ばれた当選者たち(その作品もここには洩れてゐるが)も今や将に伸びんとして縮む時期に遭つてゐる。この期に一奮発して大成を待つべきであらうと思はれる。願はくば紛紛たる世評の如きに煩はされること勿れ。風雪を能く凌いでこそ亭亭たる大樹ともなるのである。至嘱々々。
底本:「定本 佐藤春夫全集 第25巻」臨川書店
2000(平成12)年6月10日初版発行
底本の親本:「現代日本文学全集 第87巻月報86」筑摩書房
1958(昭和33)年3月25日
初出:「現代日本文学全集 第87巻月報86」筑摩書房
1958(昭和33)年3月25日
入力:えんどう豆
校正:夏生ぐみ
2017年12月26日作成
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