鴎外全集を讀む
永井荷風



一文學美術の理論に關して疑問の起つた時にはまづ審美綱領と審美新説の二書を讀む。

一批評の文など書く時專門の用語がわからない時には以上二書の外に洋畫手引草を參照してゐます。

一小説をかく時、觀察の態度をきめやうと思ふ時は雁と灰燼とを讀返す。既に二十囘くらゐは反復してゐるでせう。

一大正五年初て澀江抽齋の傳を讀むまでわたくしは江戸時代の儒家の詩文集にはあまり注意してゐなかつたのであるが、其後は先生の著作中に見えてゐる書卷は一通り讀んで置かうと思立つて、寫本の手に入らぬものは別として、刊本は今日でも見つかり次第よんで居ります。

一文學志望の青年で、わたくしの意見をきゝに來る人がゐると、わたくしは自分の説など聞くよりもまづ鴎外全集を一通りよんだ方がよい。その中で疑義があつたら、それについて説明しやうと、わたくしはいつも答へてをります。

一文學者にならうと思つたら大學などに入る必要はない。鴎外全集と辭書の言海とを毎日時間をきめて三四年繰返して讀めばいゝと思つて居ります。

一翻譯をする時適當な日本語が考へ出せない時には先生の翻譯と原書とを參照します。上田先生のものも見ます。それでも好い字が無い時には英華辭典で支那語の翻譯を見ます。

一ほんのちよつと心づいたことだけを書いて置きます。

底本:「荷風全集 第十五卷」岩波書店

   1963(昭和38)年1112日発行

底本の親本:「荷風全集 第十八卷」中央公論社

   1953(昭和28)年425日発行

初出:「新輯定版 鴎外全集 著作篇内容見本小刷册子」岩波書店

   1936(昭和11)年6

※初出時の表題は「鴎外全集をよむ」です。

入力:菜夏

校正:津村田悟

2018年627日作成

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