探偵小説と犯罪事件
海野十三
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探偵小説と犯罪事件との関連性についてはいつの世にも論じられるものであるが、最近の世相はまた事新しくこのトピックを取上げる機会を孕んでいるようだ。そこで稍先廻りをしてここに簡単なメモを書きつけておきたいと思う。
具体的な例話から入って行くのが便宜であると思う。この夏、東京の芝公園内で若い婦人の裸死体が発見され、それが絞殺によって落命したものであり、暴行を受けていることも確認された。なおそこからさほど遠からぬところにもう一つの白骨化した絞殺婦人死体があることも序に発見された。これは裸体ではなく着衣のものだった。
この事件は、読者も既に知って居られるとおり、数日後その犯人小平某なる者が検挙されて解決した。
その犯人就縛前、東京ではこの残虐事件について大反響を惹起し、都民の不安は大きくなったのであるが、そのとき都下の新聞は事件現場附近の地理や拾得せる遺棄物件について詳細に報道した。こういう詳しい報道は、かのおさだ事件以後には見られなかったものである。この報道は、都民たちに犯人推定を流行らせた。
私の許へも某紙から問合わせがあった。そこで報道された材料だけによって次の三点を答えた。(一)犯人と被害者とは知合いの間柄である。裸体にしたのは着衣などで被害者の身許が知れるのを防ぐためで、身許が分れば、すなわち被害者と知合いの犯人が分ってしまうからだ。(二)被害者の履物が発見されるなら、その所在や状況によって、致死の過程や犯行が推定できるであろう。(三)別の白骨屍体の方も、同一犯人の仕業である。そのわけは、手口が同じと思われること、及び同一場所を利用するのは犯人の常道であること(その自信は犯罪淫楽性による)、別の犯人による犯罪現場の暗合は殆んど生ぜざるものであることによる。
右の予想の(二)は別として、(一)(三)とは後に小平某の告白によって事実であることが証明された。
「さすがに探偵小説家だけあって、ちゃんと当るんだね。こわいなあ」と一友人はいった。
「探偵小説を読んでいれば、こんなことは朝飯前だよ」と私は、ふざけて言った。
「しかしその小平某は、へまなことをやったものさ。始めからその犯行がばれることは分っている」
「どうして、どこがへまなんだ」
「それは言うのを遠慮しよう」私は答えるのを拒んだ。
その友人は、私の考えが何処に在るかを多少推量したらしく「じゃあ日頃探偵小説を読んでいれば、あんなにすぐ判るようなへまをやらなかったろうというんだね」といった。
「それも違う。探偵小説を愛好するほどのインテリは、そんな下等な犯罪をやらないのだ」
そうはいったものの、この言葉に関連していろいろと説明を加えるべきことがあるんだが、それについては喋らなかった。
その友人は、私が探偵小説家の実力によって右の二項をいいあてたように思っているが、実はそういうものではなく、本当はあたり前の犯罪捜査法によるものだ。つまり手口による犯罪捜査術のABCを知っている者なら、誰でもそう答えられるのだ。私がそう答えたのは、私がずっと前にその「手口による犯罪捜査術」を勉強して覚えていたのをちょいと活用しただけのことである。そしてこういう勉強は、探偵小説家としては当然しておくべきことの一つなのである。
探偵小説は、防犯の目的のみに書かれるものではないといわれる。又或る人によると、防犯の目的をいささかでも含んで書いた探偵小説は、歪められた探偵小説であって、探偵小説の神聖を汚すものだ、と。また別の人は(極めて少数派であるが)、探偵小説は防犯の目的のみによって書くべしという。
私はそのどれが正しいのか、よくは知らない。知っているのは、そんなことはどうでもよいことだということである。好むと好まざるとに拘らず、探偵小説は犯罪事件に反映し、また犯罪事件は探偵小説に反映する。しかしAはBを気にかけ、或いはBはAを気にかけることはない。〝雁、長空ヲ過グ。影寒水ニ沈ム。雁ニ蹤ヲ遺スノ意港シ。水ニ影ヲ沈ムノ心無シ〟のとおりなのである。そしてそれでよろしいのである。
ついでに次のメモを書きつけておきたい。
犯人が悪の道に入ったその動機は、探偵小説を愛読したからである──は大嘘であること。
探偵小説に出て来る名探偵がとっている犯罪捜査法や推理術は全く実用の価値無し──というのは大嘘であること。
迷宮入り事件というのは完全犯罪より──というのは大嘘であること。これは実は、理化学的捜査法の活用が不振であるために起る結果であること。
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「ぷろふぃる」
1947(昭和22)年4月号
入力:フクポー
校正:高瀬竜一
2018年11月24日作成
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