探偵会話 下駄を探せ
──芝公園 女の殺人事件──
海野十三
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「──観音さまの?」
「──ええ、芝公園増上寺の境内に若い女の絞殺体が二つ、放り捨てられていたというんです。ちょっと新聞の記事を読んでみましょうか──
『十七日(昭和二十一年八月)午前九時半ごろ東京都大森区大森五の一〇三樵夫吉沢新三さん(四
一)が芝公園増上寺境内西向観音裏山で伐材中、付近の笹やぶの北側の大欅の根もとに全裸体俯向けの二十歳ぐらい、死後十日を経過した女の腐らん死体を発見した。愛宕署から捜査主任以下が急行死体の検証を行ったところ現場から約十間上ったところにまたも別に死後二十日ぐらいを経過した、肩切れ白ブラウスに井桁格子のスカートをはいた二十歳ぐらいの女の腐らん死体を発見。東京地検局から伊尾検事以下も急行したが、最初の死体はネクタイか手拭で絞殺したものと見られ、ネズミが食い散らしてあり、後に発見された死体もトビが喰い散らした形跡があって人相その他は全然判らないが、いずれも両足を開いている……』
「──ちょっと! 西向観音裏山とか笹やぶとか、ざっとでいいから現場付近の様子を教えておいてくれたまえ」
「──現場は、高さ三十メートル、周囲三百メートル余りの雑木山で深い笹藪におおわれていて、二すじの小径が通っている。死体は頂上に近い小径のすぐ傍、十間ほどの笹藪のなかで発見されたんです。この付近はご存知でしょうが昭和五年以来、芸者、人妻、などの殺人事件があったという因縁の場所。ちかごろは、毎晩十二時、一時まで闇の女たちの、舞台になっていたという、昼間でも合意のうえでなければちょっと立寄れぬようなところなんです」
「──で、いまのところ捜査本部の見通しは?」
「現場からちょうど二十メートルばかりはなれたところで引き裂かれた木綿の腹巻がひとつ発見され、これが裸体の女の絞殺に用いた細紐とほぼ同じらしいんですが、これも極くありふれたものなので有力な手がかりというまでには至っていないんです。同一犯人か、或は偶然ぶつかり合った別個の事件か──捜査本部では同一犯人説と同一犯人でない説と、さらに犯罪の動機が痴情関係からか、物とりからか、に対立しているようですが白骨体のほうは着物を着ているし、小径からすぐ発見されるような場所にあったところから密会したと考えられる点。もう一つのほうは全裸であることと死体も発見されにくい場所に捨てられてあったこと、絞殺した細紐の結び目が違っていたという点などから推して僕は、別個の事件じゃないかと考えるんですが……?」
「──或はそうかもしれぬ。が、僕は犯人はひとりだと思うね。
──紐の結び方もひとつの鍵にはなり得るが、この場合そう問題になるとは思わない。……ある男、犯人が、偶然そのへんで知りあった闇の女と連れだって雑木山をさまよい、れいの笹藪のところで交渉を果す。場所といい、狼藉格闘などの跡の見られぬ点といい、明かに暴行ではないと思う。
──交渉を果した後の発作的な殺意が考えられるのだ。女と真夜中の雑木山をさまよううちにふっと抱いた殺意かもしれない。犯罪者によくある心理なのだ。一週間、二週間、犯罪の発覚したような様子がない。何かホッとすると同時に〝これなら大丈夫〟という気持が〝もう一ぺんくらい〟へ飛躍する。痴情でも何でもないんだ。この恐ろしい殺意の底にはこの犯罪者特有の心理──犯罪を行った場所へとそれとなく近寄って、何か確かめてみたい制止きれぬ心理衝動……発見されてはいない、という安全感の裡に潜む奇妙な楽しさ、現場へのなつかしさ、犯罪への郷愁とでもいった変態心理なのだが、この心理から生れる一種の気強さから再び第二の「裸体の女」を殺すようなことになったのだと思う。
こんどは計画的にこっちから女を誘い、最後に絞殺してしまう。こんどは大分大胆になっているから絞殺した上に悠々と着衣持物などを剥ぎとり、これはどこかへ売り飛ばしてでもしまったのだろう。白骨の女が着物を着ているのは、最初のことで犯人に持物まで奪いとる余裕がなかったと思う」
「──では、まだこの二つの死体が発見されなかったとしたら、続いて第三、第四の事件が予想されるわけですね」
「──と思うね。行きあたりばったりの殺人だから、被害者の身許がわかっても犯人との関係を手繰ってゆくわけにはゆかない。この点ちょっとむずかしいと思う。犯人の心理に入って考えればありふれた事件でしかないのだ。ただ僕がふしぎに思っているのは裸体の女の履き物、下駄がないということなんだ。着物などは売り飛ばすのに手頃だが、下駄みたいなものはどうにもならぬだろうし、犯人にしたって履き古した女の下駄まで大事に持ってゆくとは考えられない。草藪のどこかに裸体女の下駄がころがっているのではないだろうか。でなければこの女はどこから来た。或いは死体がはこばれて来た、というのだ? 身許を洗うにしてもこの行方不明の下駄に何か大きな手がかりが潜んでいるのではないかね……?(八月十八日記)
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【付記】以上は十八日、探偵小説家海野十三氏によって書かれた芝公園事件への見透しであるが、裸体女の殺害犯人は二十日検挙された──品川駅で知り合った被害者を就職を世話すると甘言をもって芝公園に誘い出し、暴行を加えたうえ、俄かに殺意を抱き絞殺、犯行をくらますために履物などを散らし隠していたのである。
──計画的に誘惑した女への突発的な殺意、前科に覚えのある大胆さ、履物の行方など……事件の経緯は海野氏の見透したとおりであった──(八月二十一日記)
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「読売ウィークリー」
1946(昭和21)年8月24日号
入力:フクポー
校正:高瀬竜一
2018年4月26日作成
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