水海道古称
柳田國男



 地名の呼び方は、時とともに変って行くのが普通で、現代はことにその例が多くなった。たいていは外から来た人たちが、文字だけを見て自分の思った通りに読んでしまうからである。著明な例としては、相撲甚句すもうじんくにも出て来る「出羽で荘内鶴ヶ岡」そのツルガオカを今ではツルオカ、木曾の福島はフクジマであるのに、旅人は皆フクシマというのみか、土地の住民までがそれを訂正しようとはしない。東京市中の駅名のアキハバラなども、鉄道でそういうから誰も争わないが、明治初年に始めてこの地名のできたときは、アキバガハラだった。地名の呼び方の正しいか正しくないかのごときはそう簡単にはきめられない。大勢の向うところ、これからだって何と変るか知れたものでなく、ちがっているから返事をせずにいるというわけにも行くまい。

 ただこの二つの称え方の、どちらが古いか、またはどちらに由緒があるかまでは誰にでも言える。地名の二通りの呼び方が、二つ一ぺんに始まった気づかいはないからである。その上に、人がこの地名を口で付けたかあるいはまた文字で付けたかも、少し考えてみればわかることである。ある一つの土地の名の起りが、古ければ古いほど、そこには文字を知っている人は少なかったろう。そうしてそこに住む者の全部が承知しなければ、地名などは行われるものでない。どんな気のきいた字で書いておこうとも、多数が読んでくれなければ、地名として通用するはずがない。

 つまりは地名が生まれたのと、それが文字となって世に出たのとは、その間に大分の時の開きがあったのである。水海道はいつの頃、誰が書き始めたものか私は知らないが、ずいぶんと変った字を当てたものと、かねてから思っていた。今からもう六十何年も前に、私はこの下流の布川ふかわという町に住んで、毎度この地名の起源について人が評定するのを聴いていたことがある。ここが水路の要津ようしんであるゆえに、すなわち水の海道とつけたのだろうという一説を、あるいはそうかとも思ったことがあるが、今考えると町の名に街道は少しおかしい上に、蚕養こかい川の水運がどんなに古く始まっていようとも、それまで地名がなくてすんだということは解しがたい。多分はミツカイドウの名は、久しく後にこういうややもっともらしい漢字を当てるようになったのが新しいのかと、おおよその見当をつけていた。

 ところが今度富村氏の注意によって、いつの時代かの報国寺朱印状に、御津海道みつかいどう村とあるというので、一つの手掛りが得られたわけである。御津のミツはいたって古くまた弘く、日本に行われていた地名であり、同時にまた一つの敬語でもあった。どこかこの附近にあった官公署または地頭などのために、貨財を積み卸しする舟着場が、つとにこの土地にあったところから、御津という地名がここにも生まれていたのである。海道という方はちょうど今、民俗学研究所でも手を掛けている問題なので、この一文を書いてみる気にもなったのだが、これはやはり一種の当字であって、しかも関八州の農村に、ずいぶんと例の多い地名の一つなのである。

 今日カイドウと長母音を用いるのは、おそらくは海道の文字に引かれたので、本来はカイド、カイト、またカキウチ、カキツ等々という地方も多く、垣内と書くのが最初の漢字であったらしい。今風の言葉で解説すれば指定開墾地、公けの許可を受けて一定の地域を囲い、そこに稲田を耕して住む者のある場処といってよかろう。荘園という漢語が普及するまでは、大小を通じてすべて垣内といったらしいが、後々小規模の各家族に属するものだけに限ることになり、一つの荘園の中にもそれを設けるようになって、合同農場のような形を具え、同時に今日のあざまたは部落というものの多くを、この中から成長せしめたのである。その詳しいことはここでは述べきれないが、ともかくも江戸期に入るまでの旧新開地は、ほとんと全部がこの垣内であり、従ってまたこの地名は全国の隅々に及んでいる。

 関東各県の実例を見ると、当初の慣行の多くは埋没し去って、ただそこがかつて垣内の地であったことを示すに過ぎず、従って耳で記憶せられていたカイトの地名には、垣外、開戸、替戸、街道など、さまざまの文字が宛てられ、また海渡とも海道とも書いている例も少々ではない。水海道というのがただ一つしかなかったならば、どんな想像でも描かれようが、よその地方の多種の類型を比べて行くと、この地がもと重要な舟着場を持った新しい集落であるがために、古く御津垣内と呼ばれていた地であることが、おおよそ誤りなく推定し得られるかと思う。

 水をこの地方の人たちが、今でもミツと発音していることは、この歴史的なる宛字を、一般と自然なものにしたかとも思われ、今さらその復原を主張しようとはしない。信州アルプスのいわゆる上高地などは、これを神河内と改めるがよいという説があり、またその方が実地に近く、かつ実行者もすでに現われているのだが、あんな閑人の物好きばかりが行く土地でさえも、なかなか容易には最初の当字はなくならない。まして外部の交渉の複雑な水海道町が、今頃御津垣内と書こうと言い出したところで、うんよかろうという者の少ないのは知れ切っている。この意味において、あるいはミズカイドウが正しく、ミツカイドウは正しくないと言えるかも知れない。ただ私は土地の住人が昔から、みんなミツカイドウと呼んでおりながら、よその人たちから、水だからミズじゃないかと言われて、なるほどそうだと思って古いしきたりを捨てようとするのは、あまりにも字を重んじ耳を軽んじ、かつ父祖代々の選択を省みない、いささか気の弱い話ではないかと思う。再建日本の前途のために、ここでもよそから来る人たちに向って、どうか貴君もこれからはミツカイドウと呼んで下さいと、要求するような元気をもってもらいたいものだと思う。

(「民間伝承」昭和二十六年三月)

底本:「柳田國男全集20」ちくま文庫、筑摩書房

   1990(平成2)年731日第1刷発行

底本の親本:「定本柳田國男集 第二十巻」筑摩書房

   1962(昭和37)年825日発行

初出:「民間傳承十五卷三號」日本民俗學會

   1951(昭和26)年35

入力:フクポー

校正:木下聡

2020年428日作成

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