ひかげの花
永井荷風
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二人の借りている二階の硝子窓の外はこの家の物干場になっている。その日もやがて正午ちかくであろう。どこからともなく鰯を焼く匂がして物干の上にはさっきから同じ二階の表座敷を借りている女が寐衣の裾をかかげて頻に物を干している影が磨硝子の面に動いている。
「ちょいと、今日は晦日だったわね。後であんた郵便局まで行ってきてくれない。」とまだ夜具の中で新聞を見ている男の方を見返ったのは年のころ三十も大分越したと見える女で、細帯もしめず洗いざらしの浴衣の前も引きはだけたまま、鏡台の前に立膝して寝乱れた髪を束ねている。
「うむ。行って来よう。火種はあるか。この二、三日大分寒くなって来たな。」と男はまだ寐たまま起きようともしない。
「今年も来月一月だもの。」と女は片手に髪を押え、片手に陶器の丸火鉢を引寄せる。その上にはアルミの薬鑵がかけてある。
「うむ。月日のたつのは全く早いな。来年はおれもいよいよ厄年だぜ。」
「そう。全く憂欝になるわよ。男は四十からが盛りだからいいけれど、女はもう上ったりだわ。」と何のはずみだか肩を張って大きな息をしたのが、どうやら男には溜息をついたように思われた。
「誰だって毎年年はとるにきまっているからな。」と男は俄に申訳らしく、「まアいいやな、こうして暮して行けれァ何も愚痴を言う事はない。別に大した望みがあるじゃなし……なアお千代、おれは全くこうして暮していられれば結構だと思っているんだ。」
「それはそうよ。だけどこうして暮して行けるのも永いことはないわよ。もう……。」
「もう。どうして。」
「どうしてッて。わたしとあんたとはいくらも年がちがわないんだもの。わたしの方じゃ稼ぐつもりでもお客の方が……。」と言いながら女は物干台の人影に心づいて急に声をひそめる。男は夜具から這出して、
「そうなれば、おれも男だ。お前にばかり寄ッかかっていやしない。お前はおれの事を意気地なしだ──それァあんまり意気地のある方でもないから何と思われても仕様がないが、おれだって行末の事を考えずにこうしてぶらぶらしているんじゃない。年を取ってから先の事はいつでも考えている。だから、お前の稼ぎは今までだって一厘一銭だって無駄遣いをした事はないだろう。それァお前もよく知っているはずだ。なアお千代。」
囁くような小声ながらも一語一語念を押すように力を入れ、ぴったり後から寄添っていつか手をも握りながら、「お前、もうおれがいやになったのか。」
「そんな事……だしぬけに何を言うのさ。」とびっくりした調子で女は握り合った男の手をそのまま、乳房の上に押当てた。
裏口の引戸を開ける音とともに物干台に出ていた女がどしんと板の間へ降りる物音。つづいて正午のサイレンが鳴り出す。女は思直したように坐り直って、
「もうそんな話、よしましょう。ねえ、あんた。じゃア後で郵便局へ行って来て下さいねえ。」
「うむ。じゃア今の中……飯を食う前にちょっと行って来よう。」男は立上って羽織も一ツに襲ねたまま壁に引掛けてある擬銘仙の綿入を着かけた時、階下から男の声で、
「中島さん。電話。」
「はい。お世話さま。」と返事をしたが、細帯もしめぬ寝衣姿に女の立ちかねる様子を見て、男は襖に手をかけながら、
「おれが出てもいいか。」
「いいわ。懇意な家へは弟がいるといってあるんだから。」
降りて行った男は、すぐさま立戻って来て、「芳沢旅館だとさ。急いで下さいとさ。」
「そう。」と女は落ちている男の細帯を取って締め、鏡台の上の石鹸とタオルとを持って階下へ降りて行くと、男は床の間に据えた茶棚からアルミの小鍋を出し、廊下に置いてある牛乳壜を取ってわかし始めた。夜昼ともに電話がかかって来て、飯を食う暇のない時には女は牛乳か鶏卵で腹をこしらえて出掛けることにしているのである。牛乳がわきかけた時、女は髪を直した上に襟白粉までつけ、鼻唄を唱いながら上って来て鏡台の前に坐り、
「あんた。おあがんなさい。昨夜おそく食べたから、わたし何もいらない。」
「そうか、お前の身体は全く不思議だな。よく食べずにいられるよ。」
「わたし子供の時から三度満足に御飯をたべた事は滅多にないわ。そのくせお酒も好きじゃなしお汁粉はいやだし……経済でいいじゃないの。」
「全くだ。煙草ものまないし……」と言ったまま、男は鏡に映る女の顔が化粧する手先の動くにつれて、忽ち別の人のように若くなるのを眺めていた。眼の縁の小皺と雀斑とが白粉で塗りつぶされ、血色のよくない唇が紅で色どられると、くくり顎の円顔は、眼がぱっちりしているので、一層晴れやかに見えて来るばかりか、どうやら洋装をさせても似合いそうなモダーンらしい顔立にも見られる。それに加えて肉付のしまった小づくりの身体は背後から見ると、撫肩のしなやかに、胴がくびれているだけ腰の下から立膝した腿のあたりの肉付が一層目に立って年増盛りの女の重くるしい誘惑を感じさせる。男はお千代が今年三十六になってなおこのような強い魅惑を持っているのを確めると、まだこの先四、五年稼いで行けない事はないと、何となく心丈夫な気もする。それと共に人間もこうまで卑劣になったらもうおしまいだと、日頃は閑卻している慚愧と絶望の念が動き初めるにつれて、自分は一体どうしてここまで堕落する事ができたものかと、我ながら不思議な心持にもなって来る。自分の事のみならずお千代の心境もまた同じように不思議に思われて、はっきり理解することが出来なくなる。──お千代はどういう心持でこの年月自分のような不甲斐ない男と一緒に暮して来たのであろう。彼女自身も気のつかぬ中いつからという事もなく私娼の生活に馴らされて耻ずべき事をも耻とは思わぬようになったものであろう。折々は反省して他の職業に転じようと思う事もあるにちがいない。しかしもともと小学校を出ただけの学歴では事務員や店員のような就職口さえなかなか見当らず、よしまた見当ったところで、一度秘密の商売を知った身には安い給料がいかにも馬鹿らしく思われ、世間は広くてもその身に適する職業は、やはり馴れた賤業の外にはないような心になるのであろう。それにつれて、女の身の何かにつけて心細い気のする時、いかに不甲斐なくとも、誰か一人亭主と定めた男を持ち、生活の伴侶にして置きたいという心持にもなるのであろう──まずこんなように解釈するより外にその道がない。
牛乳の煮立つのに心づき男は小鍋を卸してコップにうつすと、女は丁度化粧を終り紫地に飛模様の一枚小袖に着換えて縫のある名古屋帯をしめ、梔子色の綾織金紗の羽織を襲ねて白い肩掛に真赤なハンドバックを持ち、もう一度顔を直すつもりで鏡の前に坐った。
お千代の出て行った後、重吉は飲み残りの牛乳と半熟の雞卵に朝昼を兼ねた食事をすませ窓をあけて夜具を畳んでいると、表二階を借りている伊東さんというカフェーの女給が襟垢と白粉とでべたべたになった素袷の寐衣に羽織を引かけ、廊下から内を覗いて、
「中島さん……。あら、奥さんはもうお出掛けなの。」
「何か御用。」と中島は窓へ腰をかける。
「先ほどはすみません。おやすみのところを……。」と出入口の襖に身をよせ掛け、「封筒の上書をかいて下さいな。すみませんけれど、男の手でないといけないんだから。」
「はいはい御安い御用……。彼氏のとこですか。」
「ううむ。」と子供のように首を振り、「パトロンの家よ。来月は十二月でしょう。今から攻め掛けてやらないと間に合わないから。強請るのも容易じゃないわよ。」
「何になっても苦労が入るもんですね。」
「女給生活、つくづくいやだわ。」と女は懐中から封筒を出して中島に渡し宛名番地を書いてもらいながら、「中島さん。わたしも奥さんにお願いして派出婦会に這入りたいわ。ねえ、中島さん。わたしに出来るか知ら。奥さんのやっている接待婦ッていうのは普通の派出婦見たように御飯焚をしないでもいいんだわね。」
中島はお千代の事についてはあまり深く問われたくないので、唯頷付きながら四、五枚の封筒に同じ名宛を書きつづけている。お千代は以前から男と相談して怪しげなその身の上を隠そうがために、或派出婦会の接待婦になっていて、電話で呼ばれる時は何処へでも会の名義で出張するのだといい拵えている。時たま泊って来る時には遠い別荘の宴会か何かへ雇われた事にするのである。
中島は封筒を伊東さんに渡して、「接待婦なんて、あれァ体のいい日雇の女中です。内のやつは年さえ若ければ女給さんになりたいッて、いつでも伊東さんの事を羨しがっているんですよ。」
「じゃア何になってもそう面白いことはないのね。どうもお世話さまでした。」
「お礼は後から頂戴に行きますよ。」
「いらッしゃいよ。ドーナツがあるわ。お茶を入れるから。」
女が立去ると、間もなく中島は郵便局の通帳を懐中にして階下へ降りた。階下は小売商店の立続いた芝桜川町の裏通に面して、間口三間ほど明放ちにした硝子店で、家の半分は板硝子を置いた土間になっている。口髭を生した五十年配の主人に出ッ歯の女房、小僧代りに働いている十四、五の男の子の三人暮らし。梯子段の下の六畳で、丁度昼飯の茶ぶ台を囲んでいる処を、中島は御免なさいと言いながら通りぬけて、台処の側の出入口から路地づたいに、やがて表の通を電車のある方へと歩いて行った。お千代が貯金をしている郵便局は麻布六本木の阪下にある谷町の局である。それはこの春桜川町へ引移るまで一年あまり、その近くの横町に間借をしていたことがあったからで。ところが或日お千代が筋向の格子戸造りの貸家に引越して来た主人らしい男と、横町を隔てて両方の二階から顔を見合せると、その男には既に二、三回、お千代は池の端の待合で出会ったことがあるというので、もし近処のものにでも秘密の身の上をしゃべられでもしたらと、万一の事を心配して、早速現在の貸間を捜して引移ったわけである。貯金した郵便局もその中に近い処へ替えようと思いながら、これはついそのままになっている。
中島は部屋代の十二円に、電話の使用代として、その度の通話料の外に五円の礼金を出す約束なので、それを合せて十七円。女の着物の仕立代やら月末の諸払いを胸算用して五十円ばかり引出した。そしてすぐさま電車の停留場へ引返すと、いつもはあまり人のいない道端に、七、八人も人が立っていて電車はなかなか来そうもない。重吉はこの歳月昼の中はめったに表通へ出たことがないので、冬の日影も忽ち夏のようにまぶしく思われ、二重廻も着ずに出て来た身には吹きすさむ風の寒さ。急に腹が減ったような心持もする。それにまた、むかしの友達や何かには日頃から逢いたくないと思っているので、停留場の人立が次第に多くなるのを見ると共に、こそこそ逃げるがように電信柱と街路樹との間を縫って、次の停留場の方へと歩みを運ぶ。
溜池まで来た時、後からやっと一輛満員の車が走って来た。待ちあぐんだ人たちと、押合いながら降りる人たちとの込合う間を、漸く抜け出した一人の女が、鋪道に立っている中島の側を行過ぎようとして、その顔を見るや、「アラ中島さん。」
「玉ちゃん。どうしたえ。」と中島は男の知人でないところから案外落ちついた調子でその様子を見た。年は二十七、八。既成品らしい紫地のコートにありふれた毛織の肩掛。両ぐりの下駄をはいて日傘を提げている。
「千代子さん。お変もなくって。」
「ええ。無事です。」
「一度お伺いしなくっちゃわるいと思っていたんですけど、ついお処がわからなかったもんで……。」と女はあたりを見廻し停留場にも人影がなく通過る円タクもちょっと途絶えているのを幸い、「この辺にお住いなの。」
「いえ、桜川町……十八番地。太田ッていう硝子屋の二階だ。虎の門からわけはないから、何なら寄っておいでなさい。」
「お邪魔してもよければ……実はわたし貸間をさがしているのよ。今世田ヶ谷にいるんですけど、こっちへ出てくるのが大変だから。」
二人は話をしながらいつか溜池の裏通を歩いている。
「その後まるで影形も見せないから、お玉さんは東京にいないんだろうッて、家のやつもそう言っていたよ。じゃア、すっかり足を洗ったという訳でもないんだね。」
「洗いかけたことは掛けたのよ。まア片足ぐらい洗ったんだわね。ほほほほほ。」
「やっぱり先生と一緒か。」
「いいえ、別れたの。この夏やっと話をつけて別れたのよ。それにはいろいろ訳もあるのよ。去年の暮だったわねえ、高輪倶楽部のおばさんが挙げられたでしょう。わたしもその時一緒にやられたのよ。それから一月ばかりぶらぶらしていたわ。だけれど家の先生は相変らずだし、どうにも仕様がないから、ついこの間まで渋谷の小さいカフェーに働いていたのよ。思ったよりは忙しい店なんだけれど、チップだけじゃ二人暮して行けるはずがないじゃないの。何も彼も承知しているくせに、内の先生ときたら相変らず御存じの通りなんだから。わたしもあんまりだと思って、持っているものは洗いざらい、お金も百円都合して或人を仲に入れてきっぱり話をつけてもらったのよ。だからこれからは一人でかせぐわ。その方がどんなに気楽だか知れやしない。」
「そうか。しかしよく思いきれたな。その中また焼棒杭じゃないのか。」
「よしてよ。なんぼわたしが馬鹿だって、そうそう男の喰いものに……。」と女は言いかけて、中島とお千代との関係を思合せ俄に語調を替え、「ねえ、そうでしょう。男の人が理解と同情を持っていてくれれば……。中島さんのようにわかっていてくれれば、それァ女ですもの、男のためならどんな事でもするわよ。喜んでするわよ。」
「しかし、しまいには愛想が尽きるだろう。あんまり男に意久地がなさすぎると……。ねえ、玉ちゃん。あの時分、あんたが家にいる時分、何かそんな話をした事はなかったかね。内のお千代がさ。内のやつは一体何と思っておれと一緒に暮しているんだろう。考えると、時々不思議な気がするよ。」
「あら。中アさん、何を言っているのよ。今時急にそんな事……。」
「話が出たからそう言うのさ。別に心配しているわけじゃない。しかし女の心持は女に聞かなくッちゃ、男にはわかったようでも分らないところがある……。」
「それァそうかも知れないわ。女の方でも同じよ。男の心持は分ったようで、やっぱり分らないわ。ねえ、中アさん。家の彼氏はどうして中アさんのようにさばけてくれなかったんだろう。」
「もうそろそろ未練ばなしか。」
「いいえ。それは大丈夫。だから今度の彼氏は中アさん見たような趣味の人を見付けるわ。」
「何だ。おれ見たような趣味の人ッて。」
「わたし、先に千代子さんから聞いたわ。中島さんはこういう商売が好きなんだって。千代子さんに勧めてやらせたんだッて。」
「千代子がそんな事を言ってたか。はははは。しかしこればっかりはいくら勧めたって、女の方でも地体自分でやる気がなければ出来るもんじゃアない。まア二人とも同じような人間がうまく一緒になったんだね。それだから無事にやって行けるんだ。それにはいろいろな事情や歴史がある……。」
中島は問われるままに初めは冗談半分口から出まかせな事を言っていたが、する中、いつかしんみりした心持になって来て、平素誰にも話をする事の出来ない過去半生の来歴を心の行くかぎり話して見たくてならないような気がし出した。
「ねえ、玉ちゃん。まだ学生の時分だった。僕がね……。」と言出したが、その時お玉は横町のとある家の出窓に貸間の札の出してあるのを見付けて、
「ちょいと、わたし聞いて見るわ。」と突然立止った。中島は話の腰を折られ、夢から覚めたような眼付をして、お玉が向の家の格子戸をあける後姿をぼんやり眺めていた。
中島はその名を重吉というのである。重吉が私立の或大学を出たのは大正六、七年の頃で、日本の商工界は欧洲戦争のために最も景気の好い時代であった。重吉はわけなく就職口を見付け、或商会から広告代りに発行する雑誌の編輯係になったが、仕事には敏活でないくせに誠実でもなく、出勤時間にもおくれがちというので、一年過ると間もなく解雇となった。しかしその頃には差当り生活には困らない理由があったので、玉突や釣などに退屈な日を送る傍、小説をもかいて見た事があったが、もともと専門の文学者になろうというほどの熱心もまた自信もなかったので、或新聞社の懸賞募集小説に応じて落選したのを名残りに、この道楽も忘れたように止してしまった。そうなると、一時は丁寧に浄書までした原稿の五、六篇もいつとはなく紙屑にしてしまったが、その中で、自叙伝めいた一篇だけは、さすがに捨てがたい心持がしたと見えて、今もって大切に押入の中の古革包にしまってある。重吉はお千代が外へ泊って帰って来ない晩など、折々この旧作を取出しては読返して見るのである。
この小説は重吉が学校を卒業する前後五、六年の間、十以上も年のちがった未亡人と同棲していた時の事を、殆ど事実そのまま書きつらねたものであった。
未亡人は麹町平川町辺に玉突場を開いていた。そして玉突に来る学生四、五人を引きつれ、活動写真を見に行ったり銀座通や浅草公園を歩いたりする。重吉も欠かさずお供にさそわれる学生の中の一人であったが、毎年八月中未亡人が店を休んで鎌倉へ避暑に行く。その後を追いかけて行った時、ここに忽ち情交が結ばれ、涼しくなって東京に立戻ると間もなく女は玉突場を売払う、重吉は下宿を引上げる。そして二人は一軒家を借りた。丁度その頃、重吉は国元からこれまでのように学費を送ることのできなくなった事情を通知せられたが、未亡人と同棲しているために重吉は差閊なく学校を卒業したのみならず、その後職を失っても平気で遊んでいることが出来た。
重吉の家は新潟の旅館で、両親は早く死し兄が家督を取っていたが、経費ばかりかかって借財も年々嵩むばかりなので、いよいよ財産整理をした上家族をつれて朝鮮の京城へ移住し運だめしに一奮発するというのである。重吉は学生の身でも立派に自活して行く道があるから心配するには及ばないと返事をして、未亡人の家の厄介になっていた。
卒業後、商会に通勤していた時分である。いつも重吉の帰りを待っていた未亡人が、或日家を留守にしたまま、夜も十二時近くなって、しかも酒臭い息をして帰って来たことがあった。重吉は口惜しさのあまり涙ぐんだ声で責め詰ると、女は子供をなだめるような調子で、
「重ちゃん。御免なさい。重ちゃんはお酒が飲めないから、わたし今日はお酒飲みのお友達とちょっと御飯をたべに行ったのよ。おそくなったのはわたしが悪かったんだから、ほんとにあやまるわ。重ちゃん、大丈夫よ。決して浮気なんぞしやしないから。」
そして女は重吉がいかに疑ぐろうとしても疑ぐることの出来なくなるような情熱を見せて申訳の代りにした。
半歳ちかくたって、或日の朝重吉はいつものように寐坊な女を二階へ置いたまま、事務所への出がけ、独り上框で靴をはいていると、その鼻先へ郵便脚夫が雑誌のような印刷物二、三冊を投げ込んで行ったので、そのまま手にして電車に乗ってから、重吉は出版物の帯封を破りかけた時、重ねた郵便物の間に封書が一通はさまっていたのに心づいた。宛名は種子という未亡人の名で、差出人も女名前であったが、重吉はその瞬間一種の暗示を感じたまま、事務所へ往き着くが否や、巧みに封じ目の糊をはがして中の手紙を見た。外封の書体とはまるで異った男の手蹟で、一語一句、いずれも重吉の心を煮返らせるような文字ばかり並べてある中に、「ではまたこの次の水曜日を楽しみに。」「あなたもどうかその日をお忘れなさらないように。」「いつもの時間に。」というような語が殊に鋭く男の胸を刺した。
「この次の水曜日」は暦を見れば分るが、「いつもの時間に。」とは何時のことであろう。重吉は一策を思いついた。未亡人種子の行動を探るには、その跡をつけたり何かするよりは、専業の秘密探偵に依頼してその身元から調べ上げてもらうのが一番捷径であろう。そう決心して重吉はその月の給料の遣い残りを傾けて探偵社への報酬に当てた。
種子は未亡人ではなかった。十年ほど前、背任罪で入獄中縊死した実業家某というものの妾で、その前身はかつてその実業家の家に出入りしていた家庭教師であった。現在種子の名義になっている動産並に不動産は犯人が検挙せられる以前合法的に隠匿した私財の一部であるのかも知れない。また種子が現在関係している男の中で、探偵社の調査したものは、筑前琵琶の師匠何某、新派俳優の何某、日本画家何某の三人であるという。
しかしほどなく重吉は会社から解雇されて、一年ちかくたった時、種子自身の口から探偵社の調査報告書よりももっと委しい事情をば、包むところなく打明けられる機会に出遇った。種子はその身の不しだらを永く隠しおおせるものでないと思ったのか、あるいはまた男の心を引いて見るためか、大胆にもこんな事を語った。
「重ちゃん。わたしは十九の時から三十まで十何年、いやでいやでたまらない人の玩弄物になっていたのよ。よく辛抱したでしょう。自分ながら感心だと思う位なのよ。その時分、今に自由な身になったらその時は思う存分な事をして、若い時の取返しをしようとそう思っていたのよ。だから、わたしの事をかわいそうだと思って同情してくれるのなら、少しくらい遊んで歩いてもそれは大目に見て頂戴。何ぼわたしが滅茶だって、今更重ちゃんをそっちのけにして外の男と一緒になろうなんてそんな事は夢にも考えたことはないわ。浮気は浮気で、本心から迷うなんてことは決してないわ。その証拠には彼の人も、それから彼の人も、みんな奥さんのある人じゃないの。どうの、こうのと後が面倒になるような人とは、重ちゃんが家にいるようになってから、一度だって遊び歩いたことはないでしょう。重ちゃんさえ安心してくれれば、わたしはどんな証文でも書いて見せるわ。」
重吉は種子の語ったことを冷静に考えて見た時、始て自分は淫蕩な妾上りの女に金で買われている男妾も同様なものである事に心づいた。女の言う所を言換えて見れば、お前さんは学生上りで悪気がないから、それでわたしは安心して同棲をしている。他の男はお前さんとはちがって世馴れているから、わたしの財産に目をつけないとも限らない。それ故家へは入れずに、距離を置いて、外で逢っているのだ。何も彼も承知でやっているのだから、お前さんは別に心配せずにおとなしくしていればいいのだ。という意味になる。重吉はかつて覚えたことのない侮辱を感じて決然として女の家を出ようと思いながら、また静にその身を省ると、勤先をしくじってから早くも一年ぢかく、怠気癖のついてしまった身には俄に駈け歩いて職を求める気力が薄くなっている。国元の家へ還ろうにもその家はとうに潰れてしまった。重吉は始めて身にしみじみ自活の道を求める事のいかに困難であるかを知ると共に、屈辱を忍んで現在の境遇に廿じてさえいれば、金と女とには不自由せずにいられるのだ、という事をもはっきりと意識した。
重吉はこのまま種子の世話になっていようと思えば、まず何より先に男の持っている廉耻の心を根こそぎ取り棄ててしまわなければならない。
世間には立身栄達の道を求めるために富豪の養子になったり権家の婿になったりするものがいくらもある。現在世に重ぜられている知名の人たちの中にもこの例は珍しくない。それに比較すれば重吉はさほどその身を耻るにも当るまい。女の厄介になって、のらくらしている位の事は役人が賄賂を取って贅沢をするのに比べれば何でもない話である。重吉は人の噂、世間の出来事、日常見聞する事にその例を取って、努めて良心を麻痺させ廉耻の心を押えるような方法を考えた。
重吉が自叙伝めいた小説をかいて見たのは、これらの煩悶を述べて、己の行為に対する弁疏にしたものであった。題をつけるのに苦しんだものと見えて、本文の始に書かれた文字は幾度か塗消されて読めないままに残されている。
種子はその後も相変らず、一ト月の中に二、三回はきまって午後外出すると、そのまま夜もおそくならなければ帰って来ないことがあった。月初めには以前世話になって財産まで分けてもらった檀那のお墓参り、月の終には現金と証券とを預けた銀行への用事、その他は百貨店へ買物に行くというような事で。その頃はちょっとした処へ行くにも賃銀五円を取った自動車を呼寄せ門口から乗って出る。しかし重吉は既に馴れて初めほどにはやきもきしないようになっていた。事実種子の行動はその言う通り黙許して置いても重吉の生涯には何の利害もないことが月日の過ぎるにつれて次第に明瞭になった。それのみならず、重吉は種子が知人からの紹介で、或土地会社の宣伝係に雇われ、僅かばかりでも再び自力で給料を取る身となったので、以前にくらべるとよほど落ちついた心持でいられるようにもなっていた。
二人の生活は、最初家を借りた赤坂から芝公園へ引越した後、更に移って東中野へ落ちついた頃には、何も知らない人の目には羨しいほど平和に幸福に見られるようになっていた。
震災の年、種子は四十五、重吉は丁度三十三になった。年々若づくりになって行く種子と、二十代から白髪のあった色の黒い小男の重吉とは、二人並んでいても年のちがいが以前ほどには目に立たぬようになって来た。女の方は白粉や頬紅で化粧を凝し、髪はその頃流行の耳かくしに結い、飛模様の着物に錦襴のようなでこでこな刺繍の半襟をかけ甲高な調子で笑ったりしている側に、じみな蚊絣の大島紬に同じ羽織を襲ねた重吉が仔細らしく咳嗽払いでもして、そろそろ禿げ上りかけた額でも撫でている様子を見ると、案外真面目な夫婦らしく、十二、三も年のちがう仲だと思われない。
九月の朔日に地震の起った時、重吉は会社の客を案内して下目黒の分譲地を歩き回っていた最中だったので何の事もなかったが、種子は白木屋で買物をしていたので、狼狽えて外へ逃出し、群集に押しもまれながら駈け歩いている中、いつか足袋はだしになったため踏抜きをして、その日の暮れ近く人に扶けられてやっと家へ帰って来た。
足の疵はやがて痊えたが、その年の冬風邪から引きつづいて腹膜炎に罹り、赤十字病院に入ると間もなく危篤に陥った。医者の注意と患者の希望とによって、これまで重吉の一度も会ったことのない親戚が二人、その一人は水戸から、他の一人は仙台から病院へ呼寄せられた。その翌日の夜種子が息を引取ると、親戚二人の間には忽種子の遺産の処分について議論が持出された。水戸から出て来たのは中学校の教員で種子の兄だという。仙台からのはその地の弁護士で叔父だという。家中をさがしても故人の遺書が見当らないので、その遺産は二人の親戚が分配してその残りを重吉に贈ることに議決された。即ち銀行に預けてある現金五千円ばかりと、家具衣類などである。重吉は抗議したが、弁護士の叔父は法律上重吉には異議を言う権利がない事を説き、漢文の教師で柔道は三段だという水戸の兄は重吉が種子の家に入り込んだ来歴を詰問して、その答弁の如何によっては道徳上の制裁をも加えまじき勢を示した。重吉はしぶしぶ二人の為すがままに任すより仕様がなかった。かつて学生のころ、重吉は水戸出身の同級生と争って、白鞘の匕首でおどかされた事があってから、非常に水戸の人を恐れているのである。
葬式が済んで、親戚の二人が何やら意気揚々として立去ると、その後に残された重吉は唯一人、長い長い夢から覚めたような心持で、何をどうしていいのやら、物が手につかない。
「檀那様御飯ができましたが。」と言う声に、びっくりしてあたりを見廻すと、日はいつか暮れかけたと見え、座敷の中は薄暗くなって、風が淋し気に庭の木を動している。立って電燈を点じる足元へ茶ぶ台を持ち運ぶ女の顔を見ると、それは不断使っていた小女ではなくて、通夜の前日手不足のため臨時に雇入れた派出婦であるのに気がついた。
年はちょっと見たところ二十五、六かとも思われる。別にいい女ではないが、円顔の非常に色の白いことと、眼のぱっちりして、目に立つほど睫毛の濃く長いことが、全体の顔立を生々と引立たせている。声柄も十六、七の娘のような、何処となくあど気ない事をも、重吉はこの時始めて心づいた。
「御給仕をしてもらおうかね。」と言って茶碗を出すと、派出婦は別に気まりのわるい様子もせず、「お盆を忘れましたから御免下さい。」と飯をよそいながら、「召上れないかも知れません。何をこしらえていいか分りませんでしたから。」
障子の外では小女が縁側の雨戸を繰りはじめた。
「いや結構だ。うまいよ。」と重吉は落し玉子の吸物を一息に半分ほど飲み干した。葬式の前後三、四日の間ゆっくり飯を食う暇もなかったので、今になってから一時に空腹を覚え初めて、実は物の味もよくは分らないのであった。派出婦は褒められていよいよ嬉しそうに、
「沢山召上って置かないといけません。後で一度にお疲労が出ますから。」
「お千代さんだッけね、名前は。お千代さんも御弔いをした経験があるらしいね。」
「いいえ。自分の家では御在ませんけれど、方々へ出張いたしますから。」
「長くやっているのかね。」
「まだいくらにもなりません。地震前は前からなんで御在ますけれど、姑く休んで、先月からまた出始めましたんです。」
「震災には無事だったのかね。父さんやお母さんは……。」
「ええ。家は市外の……田舎ですから。」
「まだ結婚したことはないのか。どうもありそうに見えるよ。」
「そう見えますか。ほほほほほ。」
「結婚してもうまく行かなかったのかね。」
「ええ、もう懲り懲りしましたわ。それよりか人様のお内に働いている方が気楽で能う御在ます。」
「しかしそういつまで人の家に働いていたって仕様がないじゃないか。まだそう悲観する年でもないし、捜せばいくらでもあるものだよ。」
「そう仰有いますけど、縁というものはあるようでないもんですわ。」
「ないようであるものさ。考えよう一ツだよ。」
「では、いいとこが御在ましたら、御世話を願います。」
「お千代さん、あなた、いくつです。二十五か六くらいかね。」
「そう見て下されば結構です。実はもう八なんで御在ます。」
愛嬌好く笑いながら派出婦は膳を引いた後、すぐ飯櫃を取りに来てまた姑く話をして勝手へと立去った。
重吉は寐るより外に何もする事がない。心の中では、死んだ種子の衣類や貴金属品の仕末をつけると共に、この家も早く畳んで、これから先は自分の給料だけで暮らせるような処置を取らなければならないと、考えながら、何一ツ手をつける気が出ない。火鉢の火の灰になったのもそのままに重吉は懐手してぼんやり壁の上の影法師を眺めている。やがて小女が番茶を入れて持って来た。
「お千代さんはどうした。もう寐てもいいと言っておくれ。」
「はい。」と小女が立って行くと間もなく派出婦のお千代が湯婆子を持って襖を明け、
「あら。お蒲団が引いてあると思ったら。どうも済みません。」
「旦那様が何とも仰有らないんだもの。」と小女は始めて気がつくと共に顔をふくらして行ってしまった。お千代は押入から夜具を取り下し、シーツを敷き延べてから、枕を取出そうとして、二ツとも同じような坊主枕の、いずれが男のものだか分らぬところから、
「旦那様、これはどちらが……。」と言いかけ、重吉が黙っているのを見て、急に気がつき、わるい事を言ったような気の毒な心持になって、すこし顔さえ赤くしながら、お千代は男のだか女のだか判明しない枕を取ってシーツの上に置こうと、両膝を畳の上につく。重吉はそれを待っていたように突然背後から抱きついた。
「いけません、あなた。」と案外低い声で言いながらお千代は重吉の手を振りほどこうと身をもがき、「およし遊ばせ。女中さんが来ます……。」
重吉は小女のことを言われて始めて気がついたらしく抱きすくめた手を緩めてお千代の顔を見た。お千代は怒って何か言うかあるいは畳を蹴って逃げ去るかと思いの外、「いけませんよ。おからかい遊ばしちゃア。こんどなさると大きな声を立てますから。」と言いながら重吉の寝衣らしいものを押入から取出して枕元に置き、夜具の裾へ廻って湯婆子を入れる。この様子をじっと見て、重吉はお千代が派出婦にしてはすこし容貌が好すぎるので、度々こんな事には遇いつけているのだろう。それで案外落ちついているのだろう。ひょっとすると、後で面倒な事を言出さないとも限らぬが、そうなればその時にはその時のしようがあるとますます心が乱れて来る。
「お休み遊ばせ。」畳に手をついて立ちかけるのを、重吉はあわてて呼止めた。
「もう何もしない。もうすこし其処にいてくれよ。なんだか寂しくってしようがないんだ。」
お千代が語る身の上ばなしをきくと、この女は中川の堤に沿うた西船堀在の船宿の娘であった。都会にあこがれて、両親の言うことをきかず、東京市内の知人をたよって家を飛出し、高輪の或屋敷へ女中奉公に住込んだ。それは年号の変る年の春頃であった。その年夏のさかりに毎夜丸の内の芝原へいろいろ異様な風をした人が集って来て、加持祈祷をするのを、市中の者がぞろぞろ見物に出かけた。お千代も度々主家の書生や車夫などと夜がふけてからそっと屋敷を抜出して真暗な丸の内へ出掛けたが、或夜巡査に咎められ、屋敷から親元へ送り返された。その時お千代は既に妊娠していた。生れたのは女の子で、お千代の老母が養育するという事になったので、せめてその費用なりとも稼ぎたいと、お千代は再び東京へ女中奉公に出た。三、四年の後相応の人が媒介をしてくれるがまま或雑貨商の家へ嫁に行くと、ほどなく田舎の母親が病死したので、良人に事情を打明けて子供を引取った。しかし無事に暮したのはわずか一年ばかりで、良人の両親や兄弟までが地方から出て来て同居するようになってから、家内には紛々が絶えず、暮し向も店をしまわなければならぬまでに窮迫して来た。お千代は親の家にいた時から手の汚れるような荒い仕事が嫌いであったのと、また最初からあまり気の進まなかった縁だったので、話合いで夫婦別れをして、子供は幸いと近処の人に懇望せられるまま養女にやり、身一ツになった気まぐれに、またまた屋敷奉公に出歩いた後、派出婦になって見たのだという事であった。
次の日の朝、重吉は小女を使に出した後、死んだ種子の衣類を入れた箪笥の扉や抽斗をお千代にあけさせた。お千代は樟脳の匂を心持よさそうに吸込みながら、抽斗を引きあける度に、まアまアと驚嘆の声を発し、
「あなた。こんな立派なお召物、みんなわたくしのものにしてもいいと仰有るの。エ、あなた。うそでしょう。」
「うそなものか。お前がいらないと言えば、もともと売ろうと思っていたんだから、処分してしまうよ。用箪笥の中に指環や何かがあるんだがね。それは親類のものに頒けてやる事になっているんだ。見るだけなら見てもかまわない。」
「ええ。どうか、拝見さして下さい。ほんとにお召物だけでもゆっくり拝見していたら一日かかりますわねエ。」
お千代はもう逆上せたように顔ばかりか眼の中までを赤くさせ、函の中から取出す指環や腕時計を、はめて見たり、抜いて見たりして、そのたびたびに深い吐息をついている。
「形見分けをするのは急がないでもいいんだからね。まだ二、三日、なくしさえしなければ篏めていてもかまわない。」
「ねえ。あなた。震災前だったらこの指環をはめて、三越の中でも歩いて見たいんだけれど、今はどこも行く処がありません。」
「ははははは。」と重吉は思わず笑ったが、しかしお千代があまりにも嬉しがる様子に、女というものはこんなものか知らと、物哀れなような気の毒なような変な心持がした。
昼飯をすますと直様お千代は派出婦会との契約を断るために出て行く。重吉は種子が生きている時分に雇入れた小女に暇をやる。そして灯のつく頃帰って来たお千代と一緒に、手を引き合わぬばかりにして近処の銭湯に行った。
震災後土地家屋の周旋業は一時非常に成績が好かったので、土地会社へ勤めていた重吉もこれまでにない賞与金を貰ったくらいで、丁度歌舞伎座が新に建直された時、重吉は種子の衣類に身を飾ったお千代を連れて見物に行く。暑中休暇には二人連れで三日ばかり箱根へ出掛ける。郊外の家はその前に畳んで牛込矢来町に移っていたので、毎晩手をひきつれて神楽阪の夜店を見歩く。二人の新婚生活は幸福であった。
しかしこの幸福は世間一般が不景気になるに従って追々に破壊せられるようになった。再び年号が改ったその翌年の春、市中の銀行が殆一軒残らず戸を閉めたことがあった。重吉が種子の遺産として譲受けた五千円の貯金はその時なくなってしまう。つづいて勤先の会社が突然解散せられる。種子が形見の貴金属類は内々でとうの昔売り飛された後である。
重吉は突然この窮境に陥り、内心途法に暮れながらも、お千代に対しては以前の会社がほどなく財産整理をして再興するはずだから暫くの間辛抱してくれるようにと言拵えて空しく日を送っていた。毎月晦日ぢかくなると、お千代は一時自分のものにして喜んでいた種子の衣類を一襲々々質屋に持って行かなくてはならぬようになった。
「あなた。どこか間借りをしたらどうでしょう。家を持っているよりかよッぽど経済だと思います。」と或日お千代の方から相談をしかけた。重吉は内心それを待っていたのであるが、「うむ。そうか。」とは言わずに、「会社の方もその中にはどうかなるだろう。実は昨日も重役の家へ呼ばれて行ったのだが……。」といつものように落ちついた風を見せていた。
「元のようになったら、その時また家を借りればいいじゃありませんか、別に見得を張らないでもいいんですから。それに、あなた。着物ももう時節のものばかりで、外には何にもありません。」
「そうか。それは気がつかなかった。実にすまない事をした。」と重吉は始めて知ったような顔をして「これからは己のものを持って行こう。お前の物はよしたがいい。」
「でも、男は世間の体裁がありますから。こうなればわたしは何を着ていたって構いません。」とお千代は涙声になる。
「実にすまない。」と重吉も眼をぱちぱちさせながらそれとなく女の様子を窺った。重吉は始めから質草の乏しくなった時、お千代が何を言出すか、それによって最後の決心をしなければならないと思っていたのである。最後の決心というのは、お千代が生活のために店員になろうとも、あるいは女給になろうとも、あるいは再び派出婦になろうとも、夫婦関係を絶たずにつきまとっていなければならないという事である。
まだ学生であった頃──今日のようにカフェーやダンス場などの盛にならなかった頃から、重吉は女の歓心を得るためにはどんな屈辱をも忍び得られる男である事を自覚していた。贅沢な玉突場の女主人に取入って、七、八年の間婬蕩な生活をつづけている中、重吉は女から受ける屈辱に対して反動的な快楽をも感じるようになった。そして女というものは、横暴残忍な行動をその欲するがままにさせて置く男を一番よく愛する。女は男を軽じて尻に敷くか、そうでなければ反対に男から撲られなければ満足しない。極端にこのいずれかを望んで止まないものだという事をも、重吉はその経験からこれを確めていた。
お千代はどうするだろう。お千代は四年あまり自分と同棲して年はもう三十を越している。四年の間女の望むもので何一ツ与えられないものはなかった。その恩義もあれば、また未練もあるはずだ。年も三十を越しているから、今更自分を振り捨てて行く気遣はまずない。それは衣類を質入しながら半年あまり離れずにいるのを見ても確である。重吉の胸の中には早くから或計画がなされていた。
重吉は三、四年この方カフェーの女給が尠からぬ収益を得ている事を知って、お千代を女給にしたいと思っていた。しかし自分の口から先にその事を言出すのは、女から薄情だと思われる虞れがある。女の口から言わせるように為向けて、そして自分が止めるのをも聴かず、女が敢てするようになることを望んでいた。
重吉はお千代が家をたたんで間借りをしようと言出したので、計画の半は既に成就したような気がした。飯田町辺の素人屋の二階へ引移った後、重吉は家にばかり一緒にいては、女に思案の余暇を与える時がない。女がどうかいう場合、男にも優った決心とその実行とを敢てすることがあるのは、思慮分別の結果ではなくして、大抵は一時の発作による。この発作は無聊と寂寞とに苦しむ結果による事が多いと考えたので、時を定めず外へ出るようにした。勿論、これは去年破産した土地会社で知合になった人たちをたずね歩いて、就職口をたのむためでもあった。
その後保険会社の勧誘員になっている五十年輩の男を訪問した時、その男は雑談の末にこんな事を言った。
「君は僕なんぞとちがって、まだいいさ。君の細君は若いし美人だからな。まさかの時にはどうかしてくれらアね。」
「こう落ちぶれたら、見得も糸瓜もかまっちゃアいられないからね。実は女給か何かにしたいと思っているんだがね。僕から言出しちゃチトまずいからな。」と重吉は答えた。
「何がまずいものか。世間はいろいろだよ。極端な例をいうと、女房に檀那取りをさせている男さえあるからな。土地会社の時分外交員に野島という丈の高い出歯の男がいたろう。あの男の細君は或株屋の店の事務員になっていたんだが、その店の主人と関係をつけたんだ。それを野島は見て見ない振りをしていたおかげで、とうとう人形町にカフェーを出さしてもらった。」
「そうか。ちっとも知らなかった。よくある話だが、一体そういう事はどうして起るものだろう。最初男が暗に教唆するのか、それとも女が勝手にやり出してから、男の方がそれを黙許するんだろうか。」
「外の事とちがうからな。教ったり勧められたりしたんじゃ、巧く行かねえだろう。女給でも芸者でも人に勧められてなったものは適材適処とはいえないからな。親兄弟の反対するのも聴かずになったような奴でなくっちゃ腕は上るまいて。」
重吉は他の日にまた別の人を訪問すると、その人は重吉に向って、「中島君、安い月給取りの口は別として、金持の未亡人でも捜したら、どうだ。君は女に好かれる性質だから、きっと成功するぜ。」と言った。
角の八百屋で野菜を買って帰ろうとした時、お千代はその名を呼ばれても誰であったか思い出せなかったくらい、久しく見かけない人に出逢った。震災前派出婦として働きに行った先の主人である事だけは忘れなかったがその名前は思い出せない。
「あなた。よくわたしの名を覚えておいででしたね。」
男はあたりの人通りに気をつけながら、「また姑く来てもらいたいんですがね。電話は何番です。」
「ただ今派出婦会の方は休んでおります。親類に病人があるので、手つだいに来ております。」とお千代は言いまぎらした。以前この男の家へ派出婦会から出張した時お千代は無理やりに口説き落されて、一個月ばかりいた事がある。そして規定の日当の外に二、三拾円貰った。
「家は以前の所です。小日向水道町……覚えているでしょう。一日でも二日でも能御ざんす。暇を見てちょっと来て下さい。失礼だが、これはその時の車代に。」と言って、男は無理やりに五拾銭銀貨二、三枚をお千代に握らせ、振返りながら向側の横町へ曲った。
お千代はこの間から、質に入っている衣類の中で、どうしても流してしまいたくないと思うものがあるので、せめて利子の幾分でも入れて置きたいと思案に暮れていた。その矢先、偶然思掛ない人に呼留められて、車賃まで渡されて見ると、訪ねて行きさえすれば少し位の都合はしてもらえないはずはないという事を考えない訳には行かなかった。丁度その日重吉は新聞に出ていた外交員募集の広告を見て外出したまま夕飯時を過ぎても帰って来なかったので、お千代は膳拵えだけをして階下の人に伝言を頼み、ふらふらと小日向水道町へ出かけた。帰って来たのは夜も十時過ぎであったが、重吉の帰りはそれよりなお半時間も遅かったので、この晩のことはそれなり秘密に葬られてしまった。
或日お千代は重吉の出て行った後、二階の窓へ寝衣や何かを干していると、往来から女の声で、「奥さん。中島さんの奥さん。」と呼ぶものがある。この貸間に引移ってから、間もなく銭湯の中で向から話をしかけるまま心安くなった五十前後の未亡人らしい女である。湯の帰り、道づれになると、「お茶でも一つ上っていらッしゃい。」と言う。「何か急場の事で御金の御入用がありましたら、証文も何もなしで、御用立てをしますから。」と言ったこともある。お千代は良人にも話をした上金を借りたいとは思いながら言出しかねてそのままにしていたのである。此方から出掛けた事もなければ、向から尋ねて来たこともない。
この老婆は以前は大塚の坂下町辺、その前は根岸、または高輪あたりで、度々私娼媒介の廉で検挙せられたこの仲間の古狸である。お千代が現在の二階へ越して来た時分、この老婆もまたこのあたりへ引越して来たのである。多年の経験で、この老婆は女を一目見れば、誘惑することが出来るか否かをすぐに判断する眼力を持っている。殊に女湯の中で、着物を脱いだり着たりする様子を一見すれば、その女の過去現在の境遇は勿論のこと、男の気に入る性の女かどうかをも誤なく判断する事ができる。お千代はこの老婆の目にとまった。その年恰好から見ても、遊びあきて悪物食のすきになったお客には持って来いという玉だと睨んだのである。
初めて言葉を交してからもうかれこれ三月ぢかくになるが、今だに着通しに着ているお千代の着物を見ると、品物は金紗の上等物でありながら、袖口や裾まわりの散々にいたんだのを、湯屋へ来る時などは素肌にきて、腰巻などは似もつかぬ粗末なものを取返えもせずに締めている。この様子だけでも、老婆はもうそろそろ話をし出してもいい時分だと考えて、銭湯への行きがけ、内の様子を見がてら、それとはなく尋ねて来たのである。障子も破れ、畳も汚れた貸二階に据えてある箪笥火鉢から、机座布団に至るまで、家具一切はかつて資産のある種子の家にあったものばかりなので、お千代の人品に比較して品物が好過るところから、老婆は最初の想像とは案に相違して、お千代夫婦の境遇を不審に思ったが、しかしとにかくここまで零落していれば、以前豊に暮していただけ、かえって話は早いかも知れないとも考えた。
「檀那様は毎日お出かけですか。」こんな事から話をはじめた。
「いいえ。きまっておりません。唯今遊んでいるもんですから。」
「お一人で、お留守番ばかりしていらしッちゃおさむしいでしょう。わたくしなんぞも、女中はいませんし、そう一日針ばかりも持っていられませんから、時々人様のところへお邪魔に出掛ると、つい長尻をしてしまいます。」
「男とちがって女は一人でぶらぶら散歩もしていられませんし……。」
「奥さん。どこかお遊び半分お勤めにお出なさればいいのに。気がまぎれてきっと能御在ますよ。」
「それには女学校くらい出ていなければ駄目ですわ。わたしなんぞ、もう年もとっていますし、それに今まで大勢の人中で働いた事がありませんからね。新聞の広告なんぞ時々見ますけれど、カフェーの女給さんにもなれまいと思います。」
「奥さんがほんとにその気におなりなら、どこへ行ったって二ツ返事でしょう。しかし……これは此処だけのお話ですけれど、たとえ奥さんがその心持におなりだって、檀那さまが御承知になれァしません。」
「どうにかこうにかやって行ける中は、そうかも知れませんけれど……二ッちもさッちも行かなくなったら外聞なんぞ構っちゃいられなくなりますよ。こんな話は、おばさんだから打明けて言いますけれど、早く内の人が……何しろ今年の夏から遊んでいるんですからね。あるものだってだんだんなくなるばっかりですわ。」
「ほんとにねえ。何事によらず、その中にその中にと思って、待っている心持というものは気がくよくよしていやなもんですよ。一人で御留守番でもしていらっしゃる時は、わたくしの処へでもおいでになって呑気に馬鹿ばなしでもして、気をお晴らしなさる方がよう御ざんすよ。いつかもちょっとお話ししたように、少し位の事ならいつでも構いませんから、ほんとに御遠慮なく仰有って下さい。女は女同士ということもありますから。」
「ええ、有りがとう御在ます。しかし何ぼ何でもまだついこの頃のお交際なのに、そんな御迷惑をかけちゃ済みません。」
「ですから、大した事はお互に後が困りますから、何処のお宅でもちょっと檀那さまにも言えないような事があるもんですよ。そういう時、少し位の御融通なら、どうにでもと言うんですよ。随分いいとこの奥さんで、内々困っておいでの方がありますよ。」
「そうでしょうね。しかし融通のつく中なら、えばって借りられもしますけれど、お返しする当がつかないような時には、どうにもなりゃアしません。」
婆さんは最後の問題を提出する時が来たと考えた。「奥さん。妙な事をお話するようですけれど……何も彼も明けッ放しにお話しをしましょう。」と相手の顔色とあたりの様子とを窺いながら、「これはほんとに内所のお話ですよ。いっそ女給さんになったような心持で……お客様とどこかへ遊びに行ったような心持におなんなすったら。ねえ、奥さん。身を捨ててこそ浮瀬ですからね。檀那様のいらッしゃらない時、内所でお知らせしますから、家へいらっしゃいまし……。」
お千代は婆さんの顔を見詰めながら次第に顔を赤くしたが何も言わずに俯向いた。お千代は昨夜も良人の留守を窺って、またしても小日向水道町の家へ出掛けたので、婆さんが勧誘する事の意味に心付くと共に、昨夜のことまで見透されているような心持がして、それがため我知らず顔を赤くしたのである。
婆さんはお千代が怒りもせず泣きもせず、すこし身を斜にして顔さえ赤くした様子に、此方の言った事は十分通じたものと思った。顔を赤くしたのは「はい」という承諾の言葉よりもかえって意味の深いものと思った。
「では、奥さん。お邪魔いたしました。」と婆さんは静に座を立った。
「お千代、今日からおれは内職を始めるよ。毎日歩き廻っても、靴の踵がへるばっかりで、どうにもならないから、諦めてこれから内職だ。」と洋服の上着だけ抜いで、重吉は机へ背をよせ、頭を後手に抱えて両足を投出した。
「内職ならわたしも一緒に手伝います。」といいながらお千代は茶を入れかけた。
「手伝えるなら手伝ってもらうよ。謄写版で本を写すんだ。」
「字をかくんですか。それじゃ駄目ですわ。むずかしい本でしょう。」
「イヤむずかしくはない。小説見たようなもんだから、後でゆっくり見せてやるよ。」と言って重吉は突然大きな声で笑出した。
「あら、何かわたしの顔についているの。」とお千代は何がおかしいのか分らないので掌で頬を撫でている。
重吉は新聞の職業案内をたよりに諸処方々歩き廻った末、日当壱円五拾銭の筆耕で我慢することにしたのである。雇主のはなしによると、謄写した書物は限定せられた会員だけに配布するので検挙の虞れはない。万一の場合には会の名義人が責任を負うから筆耕やその他のものに迷惑のかかる気遣はないというのである。
一トしきり重吉の膝にもたれて笑っていたお千代は坐り直って、「それさえ大丈夫なら安心だわ。楽しみ半分にいいじゃありませんか。」
「おれもそう思って引受けて来たんだ。しかし日当一円五十銭とは情ないよ。」
「ほんとにねえ。一円五拾銭じゃ、まるで派出婦のようね。」
「そうだったなア。むかしお前の取った給料と同じだぜ。しかし女の方がまだいい。たまには特別の収入があるからな。」
「あら、ひどいわ。何ぼわたしだって、そう誰にもッて言うわけじゃなかったのよ。あの時はあなたが悪いのよ。今になってそんな事を言うのはあんまりだわ。」
「お千代、おれがもし病気にでもなったら……お前、おれのために稼いでくれるか。女給にでもなって……。」
重吉はしなだれ掛るお千代の肩を抱くようにして上からその顔を差覗いた。実はその後お千代の方から何か話をしだすだろうと、重吉は心待ちに待っていたのであるが、さっぱりその様子も見えないので、今夜の機会を逃さず正面から切出して女の心持をきこうと思定めたのである。
「ええ、なってもいいわ。」
「お前、ほんとうか。」
「ええ、あなたがなれといえばなって見ます。」
重吉はお千代の返事が少したよりのないほど明快過るので念を押して見ないわけには行かなかった。しかしお千代の方では初めから重吉の命ずる事なら何でもして見ようと気軽く考えている。別に重吉のためにその身を犠牲にすることを厭わないというような堅い決心からではない。何事に限らずその時々の場合に従って何の思慮もなく盲動するのがつまりこの女の性情である。派出婦をしていた頃男に押えつけられれば拠処なくその意に従った。真面目な人から説き勧められれば嫁にも行った。しかしこの女の辛抱しきれない事は周囲から何の彼のとむずかしいことを言われたり、規則ずくめに規律正しく取り扱われたりすることである。姑や小姑の多勢いた家の妻になりきれなかったのはこの故である。屈辱とも不義とも思わず小日向水道町の男の家へ誘われるがままに二度まで出掛て行ったのもまたこの性情によるのである。女給になる事を二ツ返事で承諾したのもやはりその通りで、別に反対する理由も知らぬがまま承諾したのに過ぎない。それ故女給という職業が自分に適しているか否かは少しも考えていなかった。予め考えてから事に従うのはこの女には出来ない業なのである。
あくる日お千代は重吉に新聞の広告を見てもらって、銀座通の或カッフェーに行って見たが、最初の店では年が少し取り過ぎているからといって断られた。次の店へ行って見ると、志願者が三、四十人も詰めかけているのに気おくれがしたのみならず、待っている間に大勢の女がいそがしそうに往ったり来たりしている店の様子を窺って、始めてカッフェーのどういうものかを知り、とても自分にはやれそうもないと思いはじめた。その中にやっと順番が来て事務所へ呼ばれて行くと、頭髪をてかてかにひからせた二十四、五の男が仔細らしく住処、姓名、年齢、経歴、それからこれまでの職業などを質問した後、採否は追って通知すると言われて、ほっとして外へ出た。
三、四日待っていたが通知は来ない。重吉は店口に募集の貼紙が出してある処を見付け遠慮なく聞いて見るがいいというので、お千代は再び銀座へ出掛けたが表通にはそういう貼紙のしてある店が見当らない。足の向き次第あちらこちらと歩き廻って、大分つかれた時分、京橋の河岸通が向うの方に見渡される裏通り。両側ともカッフェーばかり並んでいる中に、やっと募集の貼出しを見つけた。
狭い店口へ南京玉を繋いだ簾見たようなものがさげてある下から、踵の高い靴をはいた女の足が四本ばかり見えたので、お千代は洋装でなければいけない店だと思って、躊躇していると日本服をきた女が物を頬張りながら、褐色の白粉をつけた大きな顔をぬっと出して、手にしたバナナの皮をお千代の足元へ投げつけた。顔を見合せたのを機会に、お千代は腰をかがめて、
「女給さんを募集しておいでですか。」
「ええ。お這入んなさい。丁度マスターがいますよ。」と女給は頬張ったバナナが物を言うと口からはみ出しそうにするのを指先で中の方へ押込んでいる。
お千代は南京玉の簾を掻分けて這入ると、内は人の顔も見分けられないほど薄暗い土間のままの一室で、植木や卓子のごたごた置いてある向うの片隅に、酒場の電燈が棚の上に並べた洋酒の壜と、白い着物を着た男と、黒い背広を着た男二人の顔を照しているのが見えた。躓きながら歩み寄って、「表に書いてありましたから……。」と腰をかがめると、背広の男が話をやめて早速住所氏名をききはじめた。お千代は此処でもまた追て通知をするというのだろうと思って、
「それでは何分よろしく。」といって手にした肩掛を持ち直すと、背広の男は造作もなく、
「今からでもいいですよ。見習をして行きなさい。」
「それでは、そう致しましょう。」
背広の男は組頭とも見える女給を呼んでお千代を引合せると、その女給はまず酒場の後の三畳ばかりの室にお千代を案内して羽織や肩掛をぬがせ、「わたしたちの組は赤なのよ。今日は二階が赤なんだから、二階へ行きましょう。」
ほどなく日が暮れると、二階中には電燈がつきながら、その薄暗さは階下よりもまた一層甚しいように思われた。蓄音機が絶え間なく鳴響いている中から、やがて「お客様ア」と呼ぶ声につれて、二人連の客が三、四人の女給に取巻かれ、引摺り上げられるように階段を上って来た。酔ってはいないが、客も女給も諸共に酔倒れるように片隅のボックスに腰を落すと、二階にいる六、七人の女が一度に立ってそのまわりを取巻く中に、一人の女が麦酒二、三本を持ち運びながら、「いいのよ。口あけじゃないか。」とお客を叱りつけた。
「飲むよりか早く芸当をしろ。」と客が怒鳴ると、「飲まなくっちゃ気分が出ないんだよ。」とまた叱りつけた。
暫くする中ボックスにはお千代を入れて三人の女給が居残った。一人の客は洋装した一人の女給を膝の上に抱きあげ、和装した他の女給の袖口へ手をいれる。それを見て、連の一人がぐっとお千代を引寄せて同じように手を入れかけたが、「何だ、こいつは。いやに用心していやがる。」と言って傍の方へ突き退けた。
お千代はこの店の女がいずれも着物を素肌に着ている事を知らなかったので、何の事だかわけが分らない。すると洋装の女が、こっちの客の方へ廻って来て、
「この人は今日来たばっかりなのよ。あんまりいじめないでよ。」といいながら、短いスカートをたくし上げて、その男の膝の上に跨った。いつの間にか麦酒がまた二、三本テーブルの上に並べられている。
お千代は十二時になったのを知って、店の内はまだしまわずにいたが電車のなくなるのを虞れて一人先へ外へ出た。家へ帰ると、重吉はまだ寐ずに、机に向って謄写版の写本をつくっていたので、すぐに今日のはなしが始まる。
「そうか。大変な家へ飛込んだものだな。しかしそんな家は幾軒もありゃアしまい。気長に別の家をさがすんだな。」
「ええ。そうするより仕様がありませんねえ。表通のいい家はなかなか入れてくれないし、それに、どの道カッフェー向きの着物が入用ですからね。差当りそれが一番困ります。質から出したところで、あれは種子さんの物でしょう。だから、いくらはでだといっても役に立ちません。」
「うむ。銀座は何かがはでだからな。それじゃ、初め暫くの中、外の町のカッフェーをさがして、それから銀座へ出るようにしたらどうだ。」
「まア、そうでもするより仕様がありません。今更派出婦になるのも、もう怠け癖がついてますから。通勤してお金が取れるのはやはりカッフェーでしょうかねえ。」
お千代はその翌日昨日のようにまた女給の口をさがしに家を出た。しかし今日は場所が限られていないので、どの方面へ行ったものかかえって当がつかない。それのみならず、銀座通の裏表を歩いて、ほんのちょっとではあるがカフェーの内を窺ってから、お千代はもう女給になるのがいやになっている。そうかと言って差当り他に捜すべき職業はなく、また身の振方を相談する人もない。歩きながら、洗湯で心安くなった彼の婆さんの事を思いついて、お千代は電車の停留場まで行き着きながら俄にもとの道へ後戻りをした。
婆さんは事情をきいて、「それでは奥さん、こうなさいよ。」と言った。それは重吉の前だけ、あちこちのカッフェーへ三、四日ずつ見習に行くような振りをして、婆さんの家で時間をつぶすがよいという事である。
婆さんの家には電話が引いてあるが秘密の漏れることを恐れて女中は置いていない。食物は時折電話でてんや物を取寄せ、掃除は月に一、二度派出婦を呼んでさせるので、台処の流しや戸棚の中は家族の多い貧乏世帯よりはかえって奇麗になっている。大概毎日、午後から夜にかけて男の客が来ると、婆さんは電話で女を呼び寄せ二階へ上げるが、二、三人連の客だと、電話で予め女の方へ交渉して、客の方は聯絡のついている待合か旅館かへ行ってもらって家へは上げないようにしている。馴染の客は用心深い家の様子を知って、電話だけで女の周旋を頼み、随意の処へ出掛けてもらうようにしているものもある。それ故人の出入もさほどには目立たない。
お千代はその日午後に立寄って日の暮までいる間に、婆さんのしている事をすっかり見抜いてしまった。婆さんの方ではわざとお千代に家の様子を見せて、無言の中に悟らせるつもりであった。お千代はこんな家へはあまり立寄らない方がいいと帰道には思返しながら、翌る日になると女給の口を捜し歩くのがいやなのと行きどころがないのとでまた立寄って時間をつぶす。一日休んではまた二、三日つづけて来るという具合で、お千代はどうしても婆さんの家へ寄らないわけには行かなくなる。お客が一度に二人かち合うような時には、婆さんの手伝いをして電話をかける事もあれば、留守番をたのまれることもあるようになった。重吉に対してもお千代はそう毎日々々女給の見習ばかりして歩いているとも言えないので、婆さんの知っているバーへ電話をかけてもらって、其処で働いているように体裁をつくると、いよいよ夕方から夜の十二時までは婆さんの家にいなければならないようになる。その日その日のチップも重吉に見せなければならない。或夜婆さんの家で、お客が一人二階に待っているにもかかわらず、来べきはずの女がどういう都合だか、来ずじまいになった時があった。時計を見るともう十一時近くで、今から急に代りの女を呼ぶわけにも行かぬところから、お千代は婆さんの当惑するさまを見兼ねて、拝むようにして頼まれるがまま二階へ上って行った。一度承知すれば後になっていやだとは言切れなくなる。その晩のお客が二、三日たってまた遊びに来る。そして是非この前の女をたのむという事になればなお更断りにくい。お千代は夜ごとに深みへと堕ちて行った。その代り質屋の利息のみならず滞った間代もその月の分だけは奇麗に払えるようになった。
お千代は身の秘密が重吉に知られた時にはどういう事件が起るかということをはっきり考えてはいない。このままいつまでも、秘密が保たれるものか否かをもまたよく考えてはいないのである。唯知れずにいてくれるようにと冀うばかりである。秘密を保つ方法と、また秘密が訐かれた場合の事とは予め考える暇がない。それよりはむしろ考える能力がないのである。知れた暁には撲られた揚句、別ればなしになるかも知れない。しかしそうなった所で、お千代の身にはさして利害はない。重吉と別れたからといって、他に生活する道のつくわけでもなければ、また一緒になっていたからとて、重吉が失職したきりでは、やはり同じことである。重吉が定業にありつく時まで、どうか知れずにいてくれるように……。これが漠然とお千代の冀うところであった。
その年の暮はさほど寒さも烈しくはなく、もう二、三日で大晦日が来ようという比になった。十二時打ってから半時間ばかり、いつもの刻限にお千代はバアから帰った振りで、実は婆さんの家から、その夜は烏森へ廻り、そこから円タクに乗って来た。コートの紐を解きながら二階へ上ると、重吉も今し方帰って来たばかりと見えて、帽子と二重廻とは壁に掛けてあったが、襟巻も取らず蹲踞んで火鉢の消えかかった火を吹いていた。
「銀座は歩けないくらい人が出ていたよ。」
「年の市でしたね。」
「銀座の方じゃ、カフェーは二十五日から毎晩二時までやるんだとさ。神田の方よりも勉強するね。」
「やっぱりね、場所がいいから。」とは言ったものの、お千代は神田辺でもカフェーは二時までやるのかも知れないと始めて気がつき、話をそらすために、片寄せてあった置炬燵を引出し火鉢の炭火を直しはじめると、重吉は懐中から蟇口を出しながら、
「お千代。今夜思切った冒険をやったぜ。勿論偶然なんだがね。」
お千代は心配そうに男の顔を見るばかりである。
「銀座にはステッキガールが出るという話だから、それらしいやつの後をつけて横町へ曲ろうとしたんだ。するとマントオを着た男がもしもしと言って、暗いところで絵葉書を買ってくれというのさ。実はおれも懐中にいいのを持っていたんだ。そら、この間謄写版と一緒に持って来たやつさ。ふいと己もやって見る気になったんだよ。銀座はやっぱり銀座だな。弐円になったぜ。」と銀貨を見せる。
お千代はびっくりするよりも、自分の秘密を思合せて、何といっていいのか返事が出来ない。
「毎晩同じところへ行っちゃ危険だ。ときたま、散歩がてらにやるくらいなら、まア大丈夫だ。」
「でも、あぶないわよ。よッぽど気をつけないと……。」
「だから冒険さ。考えて見ると、こういう事は道楽見たようなもんだ。言わば趣味だね。掏摸だの万引なんぞもやッぱりそうだろう。おれも──まさか掏摸や万引はしないけれど、後暗い事だの、秘密な事には興味がある。何となく妙に面白いもんだなア。いくら困っても真面目な人間にゃなれそうもない。」
お千代は既にその身の秘密を知られているのではないかという気がして、いっそ一思いに打明けてしまおうかとも思いながら、さて言出すべき最初の言葉がわからないので、掛けてある土瓶を卸して起りかけた炭火をまた直し始める。
「この金で何か食おうじゃないか。今夜はふだんと違うからまだ起きているだろう。阪まで行けばおでん屋が起きてるだろう。いやか。くたぶれたか。」
「いいえ。」
「じゃア行こうよ。今年はいやに暖いじゃないか。また地震かも知れないぜ。」
「昨日なんか驟雨が来たわねえ。」
お千代は重吉が何か思うところがあって外へ連れ出すのではないかと、こわごわながらも用心して一緒に外へ出た。
少し風が吹きはじめたが、薄い霧が下りているので、見渡す夜深の街の蒼く静にかすんださまは夏の夜明けのようで、淡くおぼろな星の光も冬とは思われない。起きている家は一軒もないが、まだ杜絶えない人通りは牛込見附の近くなるに従っていよいよ賑になる。二人の歩いて行く先に、同じような二人連があって、その話声の中から早番だの晩番だのという言葉が漏れ聞える。重吉は思出したように、
「お千代。お前の店は正月はどうするんだ。元日は休みか。」
「さア、まだ聞いて見ないから。」
「三ヶ日は骨休みをした方がいいぜ。バアへ行き始めてからもう三月だ。一日も休まないからな。」
お千代はまた返事にこまった。どうして今夜にかぎって、重吉は返事に困るようなことばかり言出すのだろう。知っていながら知らない風をして自分を困らせ、それをせめての腹いせにするのではないかという気もする。
「わたし、一度どうしても家へ行かなければならない事があるんです。明日にでも行こうかと思っているんです。」とお千代は静に言出した。
「家ッて。船堀の家か。」
「ええ。母さんが死んでから一度も行きませんから。」
「お千代、お前、もう帰って来ないつもりだろう。そんならそうとはっきり言ってくれ。」と重吉は声を高めたが、先へ行く二人連に気がついて立ち止る途端、「あら、誰か」という声と共に接吻するらしい音が聞えた。
「だって、わたし……。」とお千代は足を引摺るように歩きながら、殆ど聞えないような声で、「わたし、済まないことをしちゃったから……。」
「それで、お前、別れようというのか。」
「だって、あなた。堪忍しないでしょう。」
「堪忍しなければ、今まで黙っていやしない。お千代、みんな己が……つまり己のためなんだから仕方がない。」
「……。」
「その中には何とか生活の道を立てるから。お前、己に見込まれたと思って、もう姑くの間辛抱してくれ。なア。頼むよ。」と背後から手をまわして静に引寄せると、お千代はそのままぴったり倚りかかって、
「わたし……あなたさえ堪忍してくれれば。でも随分大胆なことをする女だと思ったでしょう。だけれど……。」
「もう、いいよ。わかってるから。打明けてさえくれれば何もわるく思やしない。」
「ほんと。」とお千代は寄りかかった男の肩先に頭を寄せかけ仰向くようにして男の顔を見た。その重みに不意を打たれて重吉はよろめきそうになった足を踏みしめると共にぐっと抱きしめ、
「心さえ変らなければわるく思やしない。己はとうから変だと思っていたんだよ。しかし己の口からはききにくいし、お前も言うまいと思ってさ。それで黙っていたんだ。お前、随分気をつかったろう。」
先へ行く二人が此方の話声に心づいたらしくちょっと離れて振返ったが、同じような二人連と見て安心したらしくまた寄添って歩いて行く。お千代はその後姿を遠く霧の中に眺めながら、
「ええ。それァ心配したわ。だけれど、ねえ、あんた。どうしてわかったの。」
「どうしてッて。それァわかるさ。お前、バアへ稼ぎに行くといっているのに、一遍も酔って来たことがないし、着物にも酒の匂が移っていない。それから足袋がちっとも汚れていない。だからバアやカフェーじゃないと思ったんだ。」
「全くねえ。」
「そればかりじゃない。まだ他にわかるわけがあるんだ。」と重吉は再び女の身をぐっと引寄せながら、二、三歩黙って歩きながら、「それァちょっと言えないよ。こんな処じゃア……。」
「どうして。教えてよ。」
「あんまり侮辱したようになるから。」
「かまわないから、教えてよ。よ。よ。」とお千代はわざと調子だけ冗談らしく甘えるようにしながら、じッと眼を見張って男の顔を見上げる。その表情が街燈の光を斜に受けていかにも艶しくまた愛くるしく、重吉の眼に映じた。
重吉は歩みを止めて、お千代の仰向いて自分の顔を見詰める眼の上に接吻しようとしたが、突然後から照しつける自動車の光に驚いて女をかばいながら片側に立寄った。見れば先へ行く二人連も同じように道をよける。汽車の走過る響がして、蒼茫たる霧の中から堀向の人家の屋根についている広告の電燈が樹の間から見えるようになった。
堀端の屋台店で二人はついぞ飲んだことのないコップ酒を半分ずつ飲み合い、吹きまさる風と共に深夜の寒さの漸く烈しくなるのをも忘れて、ふらふら戯れながら家へ帰って来た。その夜から二人の心と肉体とはいよいよ離れがたく密着するようになった。
重吉はかつて我儘で身の修らない年上の女と同棲した時の経験もあるので、下手に出て女をあやなすことには馴れている。世間一般の男の忍び得られない事をして見るのが、今では改められない性癖のようになっている。重吉には名誉と品格ある人々の生活がわけもなく窮屈に、また何となく偽善らしく思われるのに反して、懶惰卑猥な生活がかえって修飾なき人生の幸福であるようにも考えられている。お千代と同棲してから四、五年を過ぎてその生活はいつか単調に陥りかけていたのが、その夜から俄に異様な活気を帯びて来た。それは自分と同棲している女が折々他の男にも接触するという事実を空想すると、重吉はその事から種々なる妄想を誘起せられ、烈しく情慾を刺戟せられるがためである。
お千代の方では公然夫の許可を得て心に疚しいところがなくなったのみならず、夫のために働くのだということから羞耻の念が薄らいで、心の何処かに誇りをも感じる。それに加えて、お千代は若い時分から誰彼にかぎらず男には好かれていたという単純な自惚を持っている。船堀の家にいた時分には近処の若いものにちやほやされた。屋敷奉公に出れば書生にからかわれ、派出婦になれば行った先々で折々主人に挑まれた。それをお千代は侮辱だとは思わず、自分は男に好かれる何物かを持っているがためだと考えていた。この何物かは年と共に接触する男の数が多くなるに従って、だんだんはっきりと意識せられ、内心ますます得意を感じる。自分は重吉に愛されている。そのように他の男からもまた愛されるに違いないと極めて簡単に考えているので、来年はもう三十三という年齢さえも忘れたように、唯ふわふわと日を送ることが出来るのであった。
重吉が麻布谷町の郵便局から貯金を引出して帰って来たその日、お千代は稼ぎに出たまま夜ふけになっても帰って来なかった。泊ることは珍らしくないので、その夜は別に心配もせず、重吉はいつものように、折々独寐する晩をばかえって不断の疲労を休める時として、あくまで眠りを貪るのであった。しかし翌日、暮れ方近くなってもお千代はまだ帰って来ず、電話もかけて来ない。重吉は何か間違いでもありはしないかと、少し心配をしはじめた。
昼飯の残りを蒸返し、てっか味噌と焼海苔とを菜にして、独り夕飯を食べてしまってから、重吉は昨日の午後お千代を呼んだ芳沢旅館へ電話をかけて問い合わすと、その日の夕方まで其処にいたことは分ったが、それから後の行先がわからない。日頃贔屓にしてくれる待合二、三軒へ問合したがやはり同じことである。重吉はいよいよ気になって、日頃お千代が親しく往来している同業の女のもとへ問合すより道がないと思ったが、これは電話の番号がよくわからない。鏡台の引出しか何処かに何か書いたものでもないかと捜して見たが何も見当らない……。
「中島さん、どなたか見えましたよ。」とその時硝子屋のお上さんの声がしたので、重吉は梯子段を三、四段降りながら下を覗くと、昨日の午後溜池の角で出逢ったかの玉子である。
「お上んなさい。」
「千代子さんは……。」
「今出掛けているんだが、ちょっと話があるから、まアお上んなさい。」
玉子は硝子屋の家族に軽く挨拶して重吉の後について二階へ上る。
「昨日は失礼しましたわ。」
「あれから、家へ寄るかと思って待っていたんだよ。貸間はきまったか。」
「あの、溜池の家ねえ。実はきめたんだけれど、階下の人が新聞社へ出る人だっていうから止したのよ。今日も一日さがし歩いたけれど電話の使える貸間はなかなかないわね。」
「この近処なら、ここの家の電話で呼出しがきくよ。己が迎いに行ってやるから。」
「じゃ、そうしようか知ら。わたし、もうそういう事にきめるわ。千代子さん、まだなかなか帰りそうもないこと?」
「実は昨日の昼出たッきりなんだ。間違いでもあったんじゃないかと心配しているんだよ。電話のある処は大概きいて見たんだが、そこにはいないんだ。以前飯田町にいた荒木の婆さんの家へも電話をかけたが、どうしても通じないんだ。今は四谷にいるんだからね。実はこれから行って見ようかと思っていたところさ。」
玉子は久しく婆さんの家へ出入りをしないから、今度また出先を周旋してもらうために、重吉と一緒に行きたいと言出した。
本村町の堀端から左へ曲って、小さな住宅ばかり立ちつづく薄暗い横町をあちこちと曲って行く中、重吉も一、二度来たことがあるばかりなので、その時目じるしにして置いた郵便箱を見失うと、道をきくべき酒屋も煙草屋もないので、迷い迷って遂に津ノ守阪の中途に出てしまった。驚いてもと来た横町に戻り、薄暗い電燈をたよりに、人家の軒下や潜門の表札に番地を見定めながら、やっとの事で目的の家へ行きついた。
潜門をあけると、付けてある鈴が勢好く鳴ったが、格子戸の内は真暗で、一、二度呼んでも出て来るものはなく、折から電話の鈴が家の内で鳴り出したのが聞えながら、やはり人声はしない。やや姑鳴り通しに鳴っていた電話の鈴がはたと止んだ時、二人は始めて奥の方から人の苦しみ唸るような声のするのを聞きつけて、顔を見合せた。
「おばさん、病気なのよ。誰もいないのか知ら。」
「金持だから殺されたんじゃないか。」
「あら、いや。おどかしちゃア。」と玉子は重吉に抱きついた。
「まア上って見よう。」と言ったが、重吉も何やら気味がわるくなって、土間に立ちすくみながら、そっと手を伸して障子を少し明けて見ると、家の内の電燈は一ツもついていないらしく、一際はっきり聞える唸き声は勝手に近い方から起るものらしく思われた。
「何だか、おれ一人じゃ上れないな。玉ちゃん、台処の方へ廻って見よう。ふだん女中を置けばいいんだのに。」
「お隣の家へそう言って、誰か来てもらったら。わたしほんとにいやだわ。」と言った時、唸声がまた一層烈しくなったので、玉子は思わず格子戸の外へ逃げ出すと、重吉もつづいて外へ出ながら、
「隣り近処も、不断つき合いをしていないだろうからな。まア病気だか何だか、様子を見てからにしよう。」
勝手口へ廻って恐る恐る硝子戸を明けると、家の内のどこかについている電燈の光で、台処の板の間と茶の間らしい部屋との境に立っている障子際に、白髪を振乱して俯伏しになった老婆の姿が見えた。重吉は半身を外に、顔だけを硝子戸の内に突出して、
「おばさん、荒木さんのおばさん。病気か。」
老婆は唸るばかりで、殆ど人事不詳の重態であるらしい。しかしきちんと片付いている台処の様子を始め、そのあたりにも血の流れている様子は見えないので、重吉はやや安心して流口へ進入り揚板の上に半身を伸して、再び、
「おばさん、荒木さんのおばさん。」と大声に呼びつづけたのがやっと耳に入ったらしく、老婆は障子につかまって身を起そうとした。その顔を見て、重吉は思わず、「あ」と叫ぶと、外に立っていた玉子は何やら物に躓きながら潜門の外まで逃げ出した。老婆の顔は平生の二倍ほどにも見えたくらい一面に腫れ上って、目も鼻もなくなったようになり、口ばかりが片方に歪み寄っていた。この形相を障子越しに後から照す電燈の光にちらと見た瞬間、重吉は化物かと思ったのである。
外へ逃げ出した玉子が隣の人をつれて来た。やがて近処の医者が呼ばれて来たが、その診察によると老婆の病は歯根骨膜炎といって、口腔外科の医者に手術をしてもらわなければならないという事であった。仕方がないので重吉は玉子と共に四谷の大通へ出て、やっと歯医者をさがし、再び診察してもらうと、今度はいよいよ重症ということで、歯科医が附添って慶応義塾の病院へ患者を送った。
医者のはなしでは顎骨を腐蝕した病毒が脳を冒せば治療の道がないとのことである。重吉が玉子と共に病院を出たのはその夜も十時を過ぎた頃である。
「玉ちゃん、今夜は実に変な晩だな。荒木の婆さんはきっと助かるまいよ。」
「そうかも知れないわね、あの様子じゃア……。」
「内のやつもどうかしたかも知れない。」
途中で乗った円タクを硝子屋の店先へつけさせ、裏口から二階へ駈上って、貸間の襖を明けかけると、中にはいつの間にか夜具が敷いてあって、後向きに寐ているお千代の髪が見えた。重吉も玉子も、自動車か何かで怪我をしたものと思込んで、覚えず大きな声で、
「お千代、どうした。」
この声にお千代は睡から目をさまし、「お帰んなさい。」
「どうかしたのか。」と重吉は立ったままである。
「千代子さん。しばらく……。」と重吉の後に玉子も立っている。
「あら、玉ちゃん。一緒……。」とお千代の方でも不思議そうな顔をしながら起きかける。
「どうもしたんじゃないのか。」
「どうもしないッて、どうしたの。」とお千代は重吉の様子にいよいよ不審そうに眼を見張った。
「でも、まア、よかったわ。御無事で……。」と玉子は初て気がついたらしくコートをぬぎかける。
「あら。おかしいわね。」
「おかしいどころか。心配したぜ。昨日の昼間出たっきり電話もかけないからさ。」
「あら、電話は女中さんに頼んだのよ。じゃア忘れてかけてくれなかったのよ。すみません。」
「荒木の婆さんが死にそうなんだ。」
「わたし、あの時は実に怖かったわ。顔がこんなよ。」と手真似をして、玉子が一伍一什を委しく話した。
「今夜ほど、妙な晩はない。お前は怪我でもしたんだろうと心配するし、尋ねて行った先は大病で唸っているし……。」と重吉は疲れたようにごろりと横になった。
「ほんとに妙なことがあるものね。わたしの方も昨夜は実に困ったことがあったのよ。滑稽な事なのよ。だけどあんな可笑しなことは、しようたって出来ないわ。」
「何だ。独りで笑っていたって、わからない。」
「だって、考え出すと、あんまり滑稽で、話ができないわ。お客をまちがえてしまったのさ。わたしも随分そそッかしいと思って自分ながら呆れてしまったわ。」
「いやだわ。千代子さん。」
「それが時のはずみだから仕様がないのよ。昨日芳沢旅館の帰道だわ。新橋のガードの下であるお客様に逢ったのよ。御飯にさそわれて、銀座の裏通のおでん屋へ行ったから、帰りにデパートへ連込んで何か買ってもらおうと思ってさ。二人でぶらぶら銀座を歩いたのよ。丁度人の出さかる時分だから松屋の前なんぞは押されたり、突当ったりされて歩けないくらいだったわ。立止って店飾の人形を見ていると、酔ッ払った学生がわざと突当りそうにしたんで、わたしは少し側へ寄る。その中に男の方が二歩三歩先になって、夜店の前に立留ったから、わたしも立留ったのよ。人が大勢たかっていて、何も見えないから、だんだん押分けて見ていると、後からいやに押す人があるから、何の気なしに振返って見ると、わたしのお客は人を置去りにして向の方へ歩いて行くんじゃないの。急いで追付いて手を引張ったけれど、また押返されて、くッついたり離れたりして四、五間歩いて行ったのよ。少し人のすいた処へ来たから、ぴったりくッついて、あなたと言って横顔を見ると、どうでしょう。違った人じゃないの。帽子も二重廻も背恰好も後から見るとまるで同じなんだけれど、違った人なのさ。わたし、あんまり気まりがわるいんで、失礼とも何とも言えないで、真赤になって唯お辞儀をしたわ。すると、その男の人は笑いながらわたしの手を握って、「もう歩いてもつまらないから、円タクで行きましょう。」と道端にいる円タクを呼んで、まるで自分の女見たようにわたしを載せて行こうとするのよ。運転手は戸をあけて待っているし、人通りの込んでいる中だし、愚図々々言い合うのもかえって見っともないと思って、一緒に円タクに乗ってしまったのさ。浜町まで五拾銭だと言って、それから男の人はわたしの耳に口を寄せて、「あなた、毎晩銀座を歩くのか」ッていうのさ。わたしのことを街娼だと思ったのよ。別に申訳するにも及ばないから、だまって向うの言うようにしていたのさ。」
「お前もなかなか敏捷くなったよ。話はそれから先が聞きものだ。」と重吉は笑う。玉子も傍から、
「どこへ連れられて行ったの。」と水を向けたが、その時階下の時計の鳴る音がしはじめたので、自分の腕時計を見ながら、
「あら、もう十二時。そろそろおいとましなくッちゃ。」
「いいじゃないの。泊っておいでよ。彼氏のおのろけも聞きたいしサ。」
「あれはもう駄目。今日すっかり兄さんにお話したのよ。」
「そう。別れたの。」
「ええ。」と玉子が話をしはじめようとした時、今度は電話の鈴がそれを遮った。お千代は十二時前後になって電話のかかって来るのは、表二階の女給さんと自分のところより外にはないことを知っているので、急いで降りて行き、すぐに立戻って来て、
「玉ちゃん、わたし今夜はもうつかれているから、あなた、出る気があるなら代りに出てくれない? それなら、そういう風に返事をするから。築地のお茶屋で、いい家なのよ。」と指先の暗号で何やら数字を示した。
「ええ。いいわ。」と玉子は頷付いて、「おとまりね。」
「でしょう。だからコレ。」とお千代はまた暗号で念を押した後、電話の返事をしにと下へ降りて行った。
あくる朝お千代はとにかく一度荒木のおばさんの様子を見て来ようと言って、病院へ出掛けて行った。重吉は昼頃まで寐るつもりで再び夜具の中へ這入って、うとうとしたかと思うと、襖の外からお千代の名を呼ぶ女の声を聞きつけた。玉子が昨夜の出先から帰途に立寄ったものと思って、
「お這入り。今病院へ行ったよ。」と言いながら襖のあく方へ寐返りして見ると玉子ではなくて、髪を流行おくれの束髪に結った三十前後の女中らしい女である。見た顔ではあるが重吉は誰だとも思い出せない。女はずかずかと枕元まで歩み寄り、立ったままで、いきなり、
「大変なの。」と言った。この様子と語調とで重吉はすぐに万事を察したらしく、
「そう。わざわざありがとう。」と言いながら飛起きると共に壁にかけた着物を取り、「どちら様でしたね。つい……。」
「芳沢旅館です。唯った今お上さんがつれて行かれたんですよ。それから帳場にもう一人の刑事さんが張込んでおきみさんを外へ出さないようにしているんです。帳場に方々の電話番号の書いた紙があるんですよ。それを見られると、皆さんが迷惑すると思ってね。わたしは丁度憚りに入っていたから、外へ逃げ出したんだけれど、一銭も持っていないから、自働電話をかける事も出来ないんでしょう。お千代さんとこはこの間金毘羅さまの帰りに表まで一緒に来ましたから。それでお知らせしに来ましたの。」
「ここの家の電話じゃまずい。やッぱり自働になさい。一円立替えます。」と重吉は袂から小銭を出す。
「じゃ、暫くお借りします。」
「いずれまた電話で。」と重吉は女中と共に梯子段を降りると、直様慶応義塾病院に電話をかけ、お千代を呼出して、「家へは帰って来てはいけない」と言って暗にその意を含ませ、二階へ上ってから手早く鏡台や何かの引出しをあけて手紙や請取書などの有無を調べ、押入からトランクと行李と手提革包を引ずり出した後、外へ駈出し、円タクを二台呼んで来て、夜具を始めとして積まれるだけの物を積み込ませた。家主の硝子屋へは出放題の事を言って、間代の残りも奇麗に払い、重吉は荷物の半分を新橋駅の手荷物預り処に預け、夜具と手提革包を載せた自動車に乗って浅草千足町一丁目の藤田という荒物屋をたずねた。松竹座の前を真直に南千住へ出る新開の大通りである。この荒物屋はお千代の妹の嫁に行った先で、兼てよりお千代は万一の場合隠れ場所にするつもりで既に重吉をも紹介して置いたのである。
夜具と手提革包を預けてから、重吉はすぐさま貸間をさがしにその辺を歩き廻って、午頃帰って来た時始めてお千代と落合った。
荒木のおばさんはお千代が見舞に行ってから三十分ばかりたって息を引取ったという。しかし二人はこの場合落ちついて死んだ人の話などしている暇がない。天どんを誂えて昼飯をすますが否や、二人は別々に貸間を捜し歩くことにして、その日の夕方荒物屋に帰って来た時、お千代の方は大鳥神社の筋向の横町に米屋の二階をさがし当て、重吉の方は浅草芝崎町の天岳院に日輪寺という大きな寺のあるあたり、重に素人屋のつづいた横町に洗濯屋の二階を捜した。いずれも店に電話があるが、米屋の方は朝鮮人の運転手が二人同居している。洗濯屋の方はお妾さんばかりだというので、二人はこの方へ早速夜具と革包とを運んだ。
「お千代、どうしたもんだな。鏡台に、火鉢に、それから机と茶棚が残してあるんだが、今夜おそくならない中に、様子をききながら取りに行こうかと思っているんだ。」
「そっと電話できいてからにおしなさいよ。警察から人が来たか、どうだか……。」
「今まで来なければまず大丈夫だな。」
「そうとも限らないわよ。去年玉ちゃんのやられた時なんざ二日たってから呼出しが来たんだっていうから。」
「みんな一度はやられているらしいな。土つかずは服部のおしゅんさんとお前くらいなもんだというじゃないか。」
「税金だと思やァ仕方がないけれど、誰しもあんな処へは行きたくないからね。また当分名前を変えましょうよ。」
「何という名前にする。」
「何でもいいじゃないの。一番初め、偽名した時は橘だったわね。」
「うむ、あれは死んだ種子さんの苗字を拝借したのさ。」
「もう四、五年になるわね。荒木のおばさんは死んでしまうし、今じゃ、その時分の名前を知っている人はないはずだわ。」
「じゃ、偽名は橘にしよう。下の家主さんへもそう言って置くぜ。それからちょっと芝の家へ電話をかけて見よう。」重吉は階下の電話を借りて、今朝方までいた硝子屋へ様子を聞合すと、誰も尋ねて来た人はないとの返事に、やや安心して、二人は連立って貸間を出た。
横町の片側は日輪寺のトタンの塀であるが、彼方に輝く燈火を目当に、街の物音の聞える方へと歩いて行くと、じきに松竹座前の大通に出る。田原町の角に新聞売が鈴を鳴しているのを見て、重吉は銅貨をさがし出して、『毎夕新聞』に『国民』の夕刊をまけさせた。
「今朝の事だから、まだ出ていないかも知れない。」と歩きながらまず『毎夕』をひろげて見て、「根津の松岡がやられたんだ。芳沢旅館の事は出ていないが、やッぱりその巻添いだろう。」
「女じゃ誰が挙げられたの。」
「本郷区富坂町、太田てつ。大塚辻町宮原こう。赤坂区氷川町吉岡つゆ……。」
「吉岡さんもやられて。あなた。知ってるでしょう。せいのあんまり高くない、洋装した人……。」
「うむ。谷町にいた時分家へ泊ったあれか……。まだ大分いるぜ。」と重吉は『毎夕』をお千代に渡し、自分は『国民』の方を開いたが、お千代は往来の人目を憚って新聞を畳みながら、
「松岡へ出入するのは安玉ばかりだからね。」
「お前、行ったことがあるのか。」
「二、三年前のことだわ。客種もぐっと落ちるわね。あすこは。」
広小路へ曲ると、夜店が出揃って人通りも繁くなったので、二人はそのまま話をやめて雷門まで来た。
「お前、これからどうする。行く処があるのか。」
「そうね。ちょっと浜町へ行こうかと思ってるのよ。そら、昨夜話をした銀座のお客さ。わたしをストリートだと思って、連れて行ったお客さ。その時今夜来てくれって、約束したから。」
「時節柄大丈夫か。」
「浜町公園の側だし、今までわたしたちの知らない家だから、その心配はないわ。だから、ここのところ、方面を替るにもいいし、十二月早々引越貧乏もしたくないからね……。」
円タクに乗って、重吉が芝桜川町へ行く途中、お千代は明治座の前あたりでおろしてもらった。
広い道を横断って、お千代は竈河岸の方へ曲る細い横町の五、六軒目、深草という灯を出した家の格子戸を明けると、顔を見覚えていた女中が取次に出て、「今し方御電話で、すぐにお見えになりますッて。先へお出でになったら待っていて下さいッて。電話がかかりました。」と言いながら、一昨日の晩通した同じ座敷へお千代を案内した。
女中が茶と共に『報知新聞』の夕刊と『都新聞』とを置いて行った。お千代はまず『都』の方をひろげて松岡と芳沢旅館との記事を捜したが出ていないので、『報知』を見たがこれには錦州と天津の戦報ばかりで、女の読むようなものはない。コートのかくしに『毎夕新聞』のあったことを思出して、一字一句も読みおとさないようにその記事を黙読した後、つかまった女たち十二、三人の住所姓名に眼を移したが、ふとその中に深沢とみ(十九)という名があるのを見て、お千代は小首を傾け、それから瞼を軽く閉じ、指を折って年を数えた。
深沢というのはお千代の苗字と同じである。とみという名は、お千代が十八の時生んだ私生児の名たみに似て、唯一字ちがうだけである。また括弧の中にしるされた十九という年齢を数えて見ると、大正二年の夏に生んだ児の年と同じである。深沢とみ(十九)と紙上にその名を晒されたのは自分の生んだおたみであるのかも知れないと、お千代はいわれなくそう思ったのである。
お千代が娘のおたみを養女にやったのは、今から十四、五年前、雑貨商の妻になると間もなく、別ればなしの起りはじめた頃であった。養女にやった先は女髪結の家であったが、その後は全く音信不通なので、娘が身の成行きは知られようはずがない。お千代は新聞紙上のおとみが、どうやら理由なく娘のおたみであるような気がする。そして自分と同じ日蔭の身だという事を考えると、慚愧の念よりも唯むやみに懐しい心持がし出して、その顔が見たく、そして話がして見たくてならないような心持になった。大通の方から号外売の叫ぶ声が聞え、どこか近くの家からは賑な人声が聞える。茶ぶ台の上に肱をついて、ぼんやり思に沈んでいたお千代はやがて梯子段を上って来る人の跫音と女中の声とを聞きつけ、大切そうに『毎夕新聞』をたたんだ。
「お見えになりました。」という女中の声と共に襖があくと、いきみ出したような声で笑いながら、一昨夜のお客が座敷へ這入るが否や、「大分待ったかね。」といいさま、女中の見る前もかまわず、二重廻の間から毛むくじゃらの太い腕を出してお千代を引寄せて頬摺りをした。年は五十も大分越したらしく、てらてらに禿げた頭には耳の上から後の方に白髪が残っているばかりであるが、肩幅の広い身体はがっしりして、鼻と口との目立って大きな赤ら顔は油ぎって、禿げた頭と同じようにてらてら輝っている。この老人は杉村といって銀座西何丁目に宏大なビルジングを持っている羅紗屋の主人である。いずこの花柳界やカフェーにも必一人や二人女たちの噂に上る好色の老爺があるが、しかしこの羅紗屋の主人ほど一見して能くその典型に嵌ったお客も少ないであろう。二、三十年間あらゆる階級の売女に狎れ親しみ、取る年につれて並大抵の遊び方では満足しなくなって、絶えず変った新しい刺㦸を求めていた。その折から偶然銀座の人中でお千代に袂を引かれ、これが噂に聞く街娼だと思った処から、日頃の渇望を一時に癒し得たような心持になったのである。
「湯はわいているか。」
「はい。」
「それから向の座敷を暖にして置け。ストーブを焚け。頼むぜ。」といいながら早くも座敷の中で帯を解くので、女中はあわてて、
「唯今お寝衣を持って参ります。」と廊下へかけ出る。
「そんなものは入らない。」と毛だらけの胸の上に小柄のお千代を抱き寄せながら、「一緒に這入ろうよ。なア。」
お千代は馴れたことなので、別に驚きもせず言うなり次第に風呂場へ連れられて行った。後から女中が二人の浴衣を持って行き、それから狭い座敷の仕度をして電気煖炉の火をつけ、やや暫くして他の客を案内しようと再び風呂場の戸をあけかけると、今だに二人の話声がしているので、その長湯に驚き跫音を忍ばせて立去った。お千代は日頃自分に対して優しくしてくれるものは家の重吉ばかりでなく、お客の中にもそういう人は珍らしくはない。それ故、たまたま醜悪な男に出会って、常識を脱した行動を受けて見るのも、満更興味のないことではなかった。嫌悪と憤懣の情を忍ぶことから、ここに一種痛烈な快感の生ずる事を経験して、時にはその快感を追求しようというほどにもなっていた。それに加えて、その夜お千代は杉村を金のあるお客と見て、少しまとまった金の無心をしようという下心から、その歓心を得るためには何事を忍んでも差閊はないという心になっていた。お千代は自分の娘らしく思われた女を留置場から貰下げる費用もほしい。また年頃の経験から素人にかかるお客はいかに厚遇しても、三度以上来るものは少く、大抵二度にきまっている事をよく知っていたので、無心をいうなら、いずれにしても今夜あたりが潮時だと思ったのである。
お千代の計画は予想の以上にその功を奏した。杉村はいかほど遊び歩いていても、己の独断には疑を挟まない、極めて粗雑な考えの人なので、お千代がその夜の態度を見て、簡単にこれほどの女は世間をさがしても容易には得られまい。一昨日の晩銀座通で自分の袖を引いたのも商売気ばかりではないらしいと勝手に断定を下すと共に、当分自分の持物にして置きたい気になった。唯恐るるところは付いている男がありはしないか。それも陰にかくれているのなら大した事はないが、進んで脅迫がましい事でもするような男がいないとも限らないという事だけである。名前や商売を知られない中に、まず女の気を引いて見るに如くはないと思って、
「いいさ。それ位のことなら、御歳暮の代りだ。今夜あげるがね。それはそれとして、お前、おれの世話になる気はないか。家を持たせてやるが、承知しないか。野暮なことは言わんよ。そうむやみに自由を束縛するようなことはせんよ。」
「結構ですわ。そうなれば。」お千代の返事はあまり気乗りがしていないように聞えた。
「承知したのか。そんなら事は早い方がいい。おれは思立つと、愚図々々していられない性分だからな。明日にでも早速家をさがさないか。」
「ええ。」
「どこでもいいんだ。京橋か日本橋の中ならおれには一番便利なんだ。ここの家へ電話でそう言ってくれれば、おれの方ではいつでもいい、見付け次第借りてしまうよ。」
「じゃ、早速さがして見ます。」
「お前、おッかさんか誰かいるのか。」
「今のところ、一緒にはいません。」
「兄さんも叔父もなしか。ははははは。そんな事はまアどうでもいい。」
「あら。何もありゃしません。あればこんな事してはいません。」
「おれはお前を信用するよ。身元調べは面白くないからな。」
「こう見えても、わたし案外正直なんですよ。御迷惑になるようなことはしません。」
「だから、初ッから信用しているというんだ。今夜また泊るか。どうする。」
「どっちでも構いませんけれど、明日の朝早く用があるんです。お墓参りに行きますから……。」
お千代は金が手に入ったとなると、一刻も早く娘らしく思われる女の消息が知りたくてならないのであった。幸にも十二時近くになって銀座の方に火事があったので、杉村は急に帰仕度をした。
いつも退屈で困っていた重吉は、その夜お千代から相談をかけられて話をきめると、俄に用事が多くなって、身体が二つあっても足りないような心持になった。用事の第一はお千代の身を禿頭の囲者にするためには、急に家を捜して、今日引越したばかりの貸間を引上げる事、それと共に妾宅の最寄りに自分の身を隠すべき貸間をも同時に捜さねばならぬ事である。また一ツは松岡という老婆と女たちの大勢拘留せられた警察署へ往って、深沢という女が果してお千代の娘であるか否かを確めた後貰下げの手続をする事である。
妾宅の方は新聞の広告で思ったよりはたやすく捜すことが出来たが、他の用事はなかなか面倒で即座には運びがつかない。重吉が警察署へ出頭した時には深沢という女は既に放免せられた後であった。しかしその女の原籍から推察してお千代の私生児である事だけは確められたものの、それと共に不審の生じたのは、養女にやったものの籍が、その後書替えられていないと見えて、今もって出生の時のままお千代の児になっているらしい事であった。重吉は深沢が拘留せられた時の住所を尋ねて、本人に会おうとしたが、放免の後行先を言わずに貸間を引払ったというので、更に松岡という媒介業の老婆の放免せられるのを待ってその家をたずねたが、やはり徒労であった。やむことをえず、最初養女に貰受けた人の所在を尋出そうと試みたが、これさえ今は年月を過ぎて不明になっている。
その年はいつにも増して一層あわただしく暮れたような心持で、お千代は八丁堀の妾宅に、重吉は僅二、三町はなれた新富町の貸間に新年を迎え、間もなく二月ぢかくになったが、尋ねる人の行衛は一向にわからなかった。
重吉は檀那の杉村が来る時刻を見計らって、きわどい時まで妾宅に臥起きをしている。表の格子戸の明く音と共に裏口から姿を消し、夜の十二時頃に戻って来て、二階の裏窓に火影が映っていればこれは杉村が泊るという合図なので、そのまま自分の貸間に帰るのである。明る日表の格子戸を覗いて、下駄箱の上に載せた万年青の鉢が後向にしてあれば、これは誰もいないという合図なので、大びらに這入るが、そうでない時はそっと通り過ぎてしまう。まるでむかしの人情本にでもありそうな密夫の行動が、重吉には久しく馴れた夫婦同棲の生活とは変って、また別種の新しい刺㦸と興味とを催させるのであった。
或夜重吉はもう来ないと思った檀那の杉村が突然格子戸を明ける音に、びっくりして裏口から逃出すと、外は寒い風が吹いている。しかし八丁堀の通には夜店が出ていて人通りも賑かなので、知らず知らず歩いて桜橋まで来ると、堀割の彼方に銀座の火影が遠く空一帯を彩どっている。また知らず知らず京橋まで来ると燃えるような燈火と押返すような人通りの間から、蓄音機の軍歌と号外売の声とが風につれて近くなったり遠くなったりして、雑沓する夜の街の心持を一層きびしくさせている。橋を渡りながら、重吉は上海事変の号外よりも、お千代が初めて銀座通で頭の禿げた杉村の袖を引いた時のことを想像した。つづいて杉村の醜い容貌と、お千代がさしてこれを厭う様子もなく歓遇しているありさまとを思浮べ、女の性情ほど変なものはないと思った。重吉はこの年月仲間の女や媒介業の老婆などの陰口を聞いて、お千代がお客に好かれる訳合いを能く知っていたのであるが、しかしそれは要するに噂に聞くばかりの事で、直接お客の面貌を見知った後お千代のこれに対する様子をはっきり窺い見る事を得たのは今度始めて妾宅へ引移ってからの事であった。しかし重吉はなさけないとも、口惜しいとも、また浅間しいとも思わない。唯そんな事を考えて、沈欝な重くるしい心持になって、ふらりふらりと夜の町をさまよい、暗いカフェーの店口から白粉を塗った女の顔や、洋装した女の足の見えたりするを窺い、あるいは手を引合って歩く男女に尾行してその私語を偸み聞きする事を悦ぶのであった。
薄暗い河岸通から人通の少い裏通へ曲ると、薬屋の窓に並べてあるものが目についたまま立留って見ていた時、重吉は身近に立寄る女があるのに心づいて振返って見ると、それは桜川町の硝子屋の二階にいた頃、表の部屋をかりていた伊東春子という女給である。
「あら、中島さん。お久ぶりねえ。」
「やはりあすこにおいでですか。」
「いいえ。歌舞伎座の裏の方へ越しました。あなたは何処。」
「新富町です。」
「千代子さん。お変りもありません。」
「すこし都合があって、別になっています。」
「あら。ほんと。」
「時たま別になった方がいいんですよ。」
「あの時分は随分聞かされましたからね。」
「お互さまでしたろう。」
「中島さん。お願いがあるのよ。あの、写した本、もうないこと。」
「今、持っていませんが、二、三日中でよければ写して上げます。」
「じゃお願いするわ。こんどの店は服部時計店の裏通りでカルメンというのよ。」
「尾張町の裏ですね。」と重吉は聞き直した。夜も九時頃なのに、尾張町のカフェーにいる女がぶらぶら京橋近くを歩いている理由がわからなかったのである。
「こっちから行けば左側で、小さい店だけれど直ぐわかりますよ。」
「これから、お出掛けなんですか。」
「不景気だから、苦しまぎれにいろいろな事を考えるのよ。店が暇になると、ぶらぶら出掛けてお客を引くのよ。カフェーもこうなっちゃアおしまいだわね。」
「ああ、なるほど……。」重吉は再び去年お千代の為した事を思返し、銀座を徘徊する女にはいろいろ種類があることを知った。「店へ引張って行くんですか。それとも……。」
「中には大胆なのもあるわよ。」
その時向から歩いて来る断髪洋装の女が、春子の友達と見えて、「今あすこの横町でルンペンが仁義をやっていたわ。銀座といっても広う御在ます。はははは。」
「また御機嫌だね。」
「一口に銀座といっても広う御在ます……。」
重吉はその女の顔を見ると、二、三年前麻布谷町に間借りをしていた頃、お千代をたずねて来て一晩泊って行った吉岡つゆという女で、去年十二月の初め『毎夕新聞』にその名を晒された連中の一人である。女の方でもそれと心付いたが春子の前を憚って、何ともいわず、唯それとなく目色で会釈をした。
重吉は去年の一件からこの女が深沢の消息を知っていないとも限らないと思いついて、「お店はカルメンですか。春子さんと御一緒……。」
「ええ。」とつゆ子はもじもじしている。春子は側から、
「この方中島さんと仰有るのよ。去年同じ二階にいたのよ。」
「あら、そう。わたしつゆ子ッていいます。」
歩いて行く中、春子が二、三歩先になった隙を窺って、重吉はつゆ子の側に寄り、「深沢とみ子ッていうのを知りませんか。松岡の一件で……。」
「知ってます。」
「今いる処……。」
「ええ。」
折好く春子が行きちがう三、四人連の酔漢を呼留め、「彼氏、お茶でも飲みに行きません。」
重吉はこの隙にお千代の住所を委しくつゆ子に教えた。
お千代が娘のおたみを京橋区新栄町の女髪結の許にやったのは大正六年の秋、海嘯の余波が深夜築地から木挽町辺まで押寄せた頃で、その時おたみは五ツになっていた。
女髪結の出入先に塚山さんといって、もと柳橋の芸者であったお妾さんがあった。近処の縁日でおたみが髪結に手を引かれているのを見てから、お妾さんはおたみをかわいがって、浅草などへお参りに行く時はきっと連れて行き、いろいろなものを買ってやった。
二、三年の後、久しく寡婦でくらしていた女髪結に若い入夫ができた。この入夫が子供嫌いでややもすればおたみを虐待するようになった。塚山のお妾さんはその家におたみを引取り小学校へ通わせていたが、とかくする中、女髪結は浮気な亭主の跡を追って、夜逃同様にどこへか姿をかくしてしまったので、行きどころのないおたみはそのまま塚山さんの妾宅に養われてその娘のようになってしまった。
小学校もいつか卒業間際になった時、同級の生徒の持っていた蟇口が紛失した。確な証拠はなかったが、おたみの様子が怪しいということになって、学校の注意書が妾宅へ送られた。お妾さんはびっくりしてその処置を檀那に相談すると、檀那は「構わないから家で遊ばして置け。」と言った。
この塚山という人はその父から譲受けた或電気工場の持主であったが、普通選挙の実施せられるより以前、労働問題の日に日に切迫して来るのを予想し、早く工場を売卻して、現代社会の紛擾からその身を遠ざけ、骨董の鑑賞と読書とに独善の生涯を送っていたのである。
震災の年おたみは十一になった。丁度小学校をよして裁縫のけいこに通っていた時である。お妾さんは日比谷公園の避難先から直様渋谷へ家を借りたが、おたみは裁縫をならいに家を出たまま帰って来なかった。月日は四年を過ぎて、昭和二年の春お妾さんが丹毒で死のうという間際に至っても、その生死は依然として不明であった。
然るに次の年の春、塚山が芸者をつれて箱根へ遊びに行った時、同じ旅館の隣室に泊っていた六十あまりの老夫婦が、おたみの稚顔によく似た少女をつれているのを見て、様子をきくと、果してその少女は年十六になったおたみであった。
老夫婦はもと箱崎町にいた金貸で、罹災の当日、逃げ迷った道すがら、おたみを助け、その郷里の桐生に往って年を越し、東京に帰って来てから、引取る人の尋ねて来るのを待つ間、娘も同様におたみを養育していたというのであった。
塚山はおたみをかわいがっていたお妾が病死した後、今では引取る人のない事を告げ、若干の金をも与えた上、この後も身の上の事については相談に与ってやろうといって別れた。
半年あまりを過ぎて、或日塚山は新潟まで行く用事があって、汽車に乗った時、再びおたみと金貸の老人とに邂逅した。老人は箱根から帰った後間もなく老妻を失い、話相手におたみをつれて伊香保の温泉に行くのだという。塚山は老人の話をききながら、何心なくおたみの様子を見ると、わずか半年あまりの間に、殆ど見違えるように、すっかり大人らしくなっているのを怪しまずにはいられなかった。おたみの姿態と容貌とは、そのどこやらに、年を秘している半玉などによく見られるような、早熟な色めいた表情が認められたからである。
塚山は六十歳を越した金貸と、十六、七になったおたみとの関係をいろいろに想像して、その真相を捜りたいと思いながら、その機会がなくてまた半年ばかりを過した時、こん度は突然おたみの手紙に接した。
おたみは某処のダンサーになっていた。そして遠慮なく塚山に金の無心を言って寄越したのである。
その後二年ばかり塚山はおたみの消息を知らなかったが、偶然『毎夕新聞』の記事からその拘留せられた事を知り弁護士を頼んで放免の手続をしてやったのである。
「あの娘は盗癖があるかと思っていたが幸にそうではないらしい。万引や掏摸になられては厄介だが、あのくらいのところで運命が定まればまずいい方だろう。順当に行ったところで半玉から芸者になるべき運命の下に生れた女だから。」
塚山は弁護士と共にこんな事を語合って笑ったのである。
塚山は孤児に等しいおたみの身の上に対して同情はしているが、しかし進んでこれを訓戒したり教導したりする心はなく、むしろ冷静な興味を以てその変化に富んだ生涯を傍観するだけである。塚山はその性情と、またその哲学観とから、人生に対して極端な絶望を感じているので、おたみが正しい職業について、あるいは貧苦に陥り、あるいはまた成功して虚栄の念に齷齪するよりも、溝川を流れる芥のような、無知放埒な生活を送っている方が、かえってその人には幸福であるのかも知れない。道徳的干渉をなすよりも、唯些少の金銭を与えて折々の災難を救ってやるのが最もよくその人を理解した方法であると考えていたのである。
或日塚山はおたみの手紙を受取った。小説のような長い手紙である。
わたくしは一生逢うことができないだろうと思っていたわたくしのほんとうの母に会いました。わたくしはこの事をあなた様に申上げなければならない義務があると思ってこの手紙を差上げます。どうして、どういう事から、ほんとうの母に逢ったかということは、まるで、わたくしばかりでなく、母とそれからその愛人との秘密を暴露することになるのですから、あなた様の外には誰にも言うことができません。わたくしの母は久しい以前からわたくしと同じような生活をしていたのです。ある時にはわたくしと母とは同じ家に泊った事さえあったはずなのですが、わたくしたちはお互にそれを知らずにいたのです。わたくしは母とは知らずに仲間のものから年増の橘千代子さんという女の噂を幾度も聞いたことさえありました。(橘千代子というのは母の偽名なのです。)またわたくしの友達のつゆ子という女が二、三年前、母が麻布の谷町にいた時分、雨にふられて一晩その家に泊ったことさえあったのです。それだのにわたくしたちはお互に出会う機会もなく、またお互に知り合う機会もなかったのです。東京は実にひろいところだと思いました。
二、三日前につゆ子さんが突然たずねて来て、是非わたくしに逢いたいという人があるが逢ってくれるかどうかというのです。つゆ子さんは去年の暮わたくしたちと一緒に罰金を取られてから、今では銀座四丁目裏のカルメンというバアに働いています。わたくしはつゆ子さんのはなしを聞いてびっくりしました。ほんとうの母がわたくしと同じようなことをしている女だと知った時、わたくしは悲しいと思うよりも、嬉しいといっては変ですが、何だか親しみのあるような心持がしたのです。そのためか、わたくしは母がわたくしを人の家へ養女にやってから、今日まで永い年月の間わたくしを尋ねずにいた事を思い出しても、その時には母の無情を怨むような気が起って来なかったのです。母がもし立派な家の奥さんにでもなっていたなら、わたくしはかえって母を怨みもしたでしょう。また身の上を恥じて、どれほどに逢いたくても顔を見せる気にはならなかったろうと思います。母の方でもやはりそういう心持がしていたようです。お互に恥かしいと思う心持がその場合遠慮なくわたくしたち二人を引き寄せてくれたのです。
わたくしは急いで八丁堀の母の家へ出かけて行きました。母のことは大体友達のつゆ子から聞いていましたから、午後がよかろうと思って、三時頃にたずねたのです。十二、三の小女が取次に出て、二階へ上って行きました。すると、母は寐ていたものと見えて、浴衣の寝衣の前を合せながら降りて来て、
「さア、お上んなさい。よく尋ねて来てくれたねえ。」
わたくしは何と言っていいのか、胸が一ぱいになってそのままだまって下座敷の茶の間らしい処へ通りました。母は羽織をきてくるからといって二階へ上って行ったまま暫くしても降りて来ませんから、お客でも来ているのかと気がついて、また出直して来ようかと思っていると、梯子段に跫音がします。一人ではなく二人の跫音らしいと耳をすます間もなく、唐紙があいて、
「あら布団もしかないで。さア。」と母は長火鉢の向に坐りすぐ茶を入れようとします。わたしは「お久ぶり」とも言えず、何といって挨拶していいのかちょっと言う言葉に困って、
「おいそがしいの。」といいました。よく仲間同士で挨拶のかわりに使う言葉です。ここでこんな事をいうのは、後で考えると実に滑稽です。母はそれを何と聞いたのか、別に気まりのわるい顔もせず、
「お客じゃないの。紹介しなければならない人だから。」
「母さんの彼氏……。」
その時四十前後の男の人が唐紙の間から顔を出して、
「いらッしゃい。去年の暮から随分方々をたずねたんですよ。知れない時はいくら尋ねても知れないもんです。」と言いながら母のそばに坐りました。わたくしは友達のつゆ子から聞いて名前まで知っていましたから、改めて挨拶もせず、
「つい近処にいながら、不思議ですねえ。」といって笑いました。
「つゆ子さんとは始終一緒でしたか。」と彼氏がききます。わたくしは初め新宿のホールでつゆ子と友達になり同じ貸間にいた事や、それから同じ時につかまってダンサアの許可証を取り上げられて、市内ではどこのホールにも出られなくなったので、五反田の円宿のマスターに紹介してもらって、この方面へ転じたはなしをしました。
母はわたくしに名前を変るとか、何とか方法を考えて、もう一度ダンサアになるか。それともつゆ子さんのように女給さんになった方が安全ではないかと言います。わたくしはダンサアも初めの中は面白いけれど、それが商売になって、すこし飽きてくると、労働が激しい上に、時間で身体を縛られるのがいやだから、二度なる気はない。また女給さんもつゆ子の通っているような店は、往来へ出て見ず知らずの人を引張るのだから、万一の事を思えば、危険なことは同じだと言って、その事情をくわしく説明しました。
母はわたくしに貸間の代を倹約するために母の家に同居したらばといい、それから、もう暫くここの家にいて、貯金ができたら、将来はどこか家賃の安い処で連込茶屋でもはじめるつもりだといいます。すると彼氏が、貯金はもう二千円以上になったと側から言い添えました。
わたくしは今まで行末のことなんか一度も考えたことがありませんから、弐千円貯金があると言われた時、実によくかせいだものだと、覚えず母の顔を見ました。母は十八でわたくしを生んだのですからもう三十七になります。それだのに髪も濃いし、肉づきもいいし、だらしなく着物をきている様子は二十七、八の年増ざかりのように見えます。外へ出る時はもっと若くなると思います。わたしがホールにいた時分にも、やはりお金をためて貸家をたてたダンサアがいましたが、その人よりも母の方がなお若く見えます。ダンサアで貸家をたてた人は、みんなの噂では少し低能で、男のいうことは何でもOKで、そして道楽はお金をためるより外に何もない人だと言うはなしでした。母もやはりそういう種類の女ではないかと思われます。一目見ても決してわるい人でない事がわかります。若く見えてきれいですが、どこか締りのないところがあります。人の噂もせず世間話も何もない人のようです。こういう人が一心になってお金をためると、おそろしいものです。
わたくしは母がわたくしの父になる人を今でも知っているのかどうか尋ねて見たいと、心の中では思っていたのですが、その日は話の糸口がなかったのと、またわたくしも初めから父というもののあることを知らずに育って、一度もそういう話を聞いた事がないので、さほどに父を恋しいとしたう心がありません。それ故その時は初めて逢った母に対して強いて父の事をきいて見ようという気にもならずにいたのです。わたくしが懐しいと思うのは見たことのない男親よりも、わたくしを育ててくれた船堀のおばアさんです。おばアさんが死んだのはわたくしが三ツか四ツの時分でしたから、その顔もおぼえてはいません。しかし夜たった一人で真暗なところにいて、一つ処をじいっと見詰めていたり、また眠られない晩など、つかれて、うつらうつらとしている時などには、どうかすると、おばアさんの姿と、川のある田舎の景色がぼんやり見えるような心持のする事が時々あります。それは幻とでもいうのでしょう。懐しいといえばそれは震災前新栄町にいらしったおばさんとそしてあなた様の事です。わたくしの一生涯で一番幸福だったのはこの前も手紙で申上げましたように、それは新栄町のお家にいた時です。おばさんに手をひかれて明石町の河岸をあるいて蟹を取って遊んだことは一生忘れません。わたくしの一番幸福な思出は二ツとも水の流れているところです。そして懐しいと思う人はお二人ともおなくなりになりました。
わたくしは暫く母のところに同居することにいたしました。また変ったことがありましたら、お知らせをいたします。ではさようなら。
底本:「雨瀟瀟・雪解 他七篇」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年10月16日第1刷発行
1991(平成3)年8月5日第6刷発行
底本の親本:「荷風小説 六」岩波書店
1986(昭和61)年10月9日
初出:「中央公論」
1934(昭和9)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「バア」と「バー」の混在は、底本通りです。
入力:入江幹夫
校正:酒井裕二
2017年12月26日作成
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