散柳窓夕栄
永井荷風
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天保十三壬寅の年の六月も半を過ぎた。いつもならば江戸御府内を湧立ち返らせる山王大権現の御祭礼さえ今年は諸事御倹約の御触によってまるで火の消えたように淋しく済んでしまうと、それなり世間は一入ひっそり盛夏の炎暑に静まり返った或日の暮近くである。『偐紫田舎源氏』の版元通油町の地本問屋鶴屋の主人喜右衛門は先ほどから汐留の河岸通に行燈を掛ならべた唯ある船宿の二階に柳下亭種員と名乗った種彦門下の若い戯作者と二人ぎり、互に顔を見合わせたまま団扇も使わず幾度となく同じような事のみ繰返していた。
「種員さん、もうやがて六ツだろうが先生はどうなされた事だろうの。」
「別に仔細はなかろうとは思いますがそう申せば大分お帰りがお遅いようだ。事によったらお屋敷で御酒でも召上ってるのでは御ざいますまいか。」
「何さまこれァ大きにそうかも知れぬ。先生と遠山様とは堺町あたりではその昔随分御昵懇であったとかいう事だから、その時分のお話にいろいろ花が咲いているのかも知れませぬ。」
「遠山様という方は思えば不思議な御出世をなすったものさね。ついこの間までは人のいやがる遊人とまで身を持崩していなすったのが暫くの中に御本丸の御勘定方におなりなさるなんて、これまで御番衆の方々からいくらも出世をなすった方はあろうけれど遠山様のような話はありますまい。」
「どうかまア遠山さまの御威光で先生の御身の上に別条のないようにしたいもんさ。万一の事でもあろうものなら、手前なんぞは先生とはちがって虫けら同然の素町人故、事によったら遠島かまず軽いところで欠所は免れまい。」
「もし鶴屋さん、縁起でもねえ。そんな薄気味の悪い話はきつい禁句だ。そんな事をいいなさると何だかいても立ってもいられないような気がします。ぼんやりここで気ばかり揉んでいても始まらぬから私はその辺までちょっと一ッ走り御様子を見て参りましょう。」
種員は桟留の一つ提を腰に下げて席を立ちかけたが、その時女中に案内されて梯子段を上って来たのは、何処ぞ問屋の旦那衆かとも思われるような品の好い四十あまりの男であった。越後上布の帷子の上に重ねた紗の羽織にまで草書に崩した年の字をば丸く宝珠の玉のようにした紋をつけているので言わずと歌川派の浮世絵師五渡亭国貞とは知られた。鶴屋はびっくりして、
「これはこれは亀井戸の師匠。どうして手前共がここにいるのを御存じで御ざりました。」
「実は今日さる処まで暑中見舞に出掛けたところ途中でお店の若衆に行き逢い堀田原の先生が日蔭町のお屋敷へしかじかとのお話を聞き、私も早速先生の御返事が聞きたさに急いでやって来ましたのさ。時に先生はまだ遠山様のお屋敷からはお帰りがないと見えますな。」
国貞は歩いて来た暑さに頻と団扇を使い初める。立ちかけた種員は再び腰なる煙草入を取出しながら、「五渡亭先生も御存じで御座いましょう。手前と相弟子の彼の笠亭仙果がお供を致しまして御屋敷へ上っておりますから、私は今の中一走り御様子を見て参ろうかと思っていた処で御座ります。もう追付お帰りとは存じますが何となく気がかりでなりませぬ。」
「いかにも不断から師匠思いのお前さん故さぞ御心配の事だろうと重々お察し申します。私なぞは申さば柳亭翁とは一身同体。今日此頃では五渡亭国貞といえば世間へも少しは顔の売れた浮世絵師。それというも実を申せば『田舎源氏』の絵をかき出してからの事ゆえ、万が一お咎めの筋でもあるようなら私は所詮逃れぬ処だと、とうから覚悟はきめていますが、お互にどうかまアそんな事にはなりたくないもの。」と国貞は声を沈まして、忘れもせぬ文化三年の春の頃、その師歌川豊国が『絵本太閤記』の挿絵の事よりして喜多川歌麿と同じく入牢に及ぼうとした当時の恐しいはなしをし出した。すると鶴屋の主人もついついその話につり込まれて六、七年前に大酒で身を損ねた先代の親爺から度々聞かされた話だといって、これは寛政御改革のみぎり山東庵京伝が黄表紙御法度の御触を破ったため五十日の手鎖、版元蔦屋は身代半減という憂目を見た事なぞ、やがて談話はそれからそれへと移って遂には英一蝶が八丈島へ流された元禄の昔にまで溯ってしまったが、これは五渡亭国貞が先頃から英一蝶に私淑してその号まで香蝶楼と呼んでいたがためであった。折から耳元近く轟々と響きだす増上寺の鐘の声。門人種員はいよいよ種彦の様子を見に行こうと立上り大分山の痛んでいるらしい帯の結目を後手に引締めながら簾を下した二階の欄干から先ず外を眺めた。日の長い盛りの六月の事とて空はまだ昼間のままに明るく青々と晴渡っていた。いつもならば向河岸の屋根を越して森田座の幟が見えるのであるが、時節がらとて船宿の桟橋には屋根船空しく繋がれ芝居茶屋の二階には三味線の音も絶えて彼方なる御浜御殿の森に群れ騒ぐ烏の声が耳立つばかりである。夕日は丁度汐留橋の半ほどから堀割を越して中津侯のお長屋の壁一面に烈しく照り渡っていたが、しかし夕方の涼風は見えざる海の方から、狭い堀割へと渦巻くように差込んで来る上汐の流れに乗じて、或時は道の砂をも吹上げはせぬかと思うほどつよく欄干の簾を動し始める。
国貞と鶴屋の主人は共々に風通しのいいこの欄干の方へとその席を移しかけた時、外を見ていた種員が突然飛上って、「皆さん、先生がお帰りで御座ります。」
「なに先生がお帰り。」
いう間もおそし、一同はわれ遅れじと梯子段を駈け下りて店先まで走り出ると、差翳す半開きの扇子に夕日をよけつつ静に船宿の店障子へと歩み寄る一人の侍。これぞ当時流行の草双紙『田舎源氏』の作者として誰知らぬものなき柳亭種彦翁であった。細身造りの大小、羽織袴の盛装に、意気な何時もの着流しよりもぐっと丈の高く見える痩立の身体は危いまでに前の方に屈まっていた。早や真白になった鬢の毛と共に細面の長い顔には傷しいまで深い皺がきざまれていたけれど、しかし日頃の綺麗好に身じまいを怠らぬ皮膚の色はいかにも滑かにつやつやして、生来の美しい目鼻立の何処やらにはさすがに若い頃の美貌のほども窺い知られるのであった。
種彦は今日しも老体の身に六月大暑の日中をもいとわず、予てより御目通りを願って置いた芝日蔭町なる遠山左衛門尉様の御屋敷へと人知れず罷り越したのである。仔細というは外でもない。去頃より御老中水野越前守様寛政御改革の御趣意をそのままに天下奢侈の悪弊を矯正すべき有難き思召により遍く江戸町々へ御触があってから、已に葺屋町堺町の両芝居は浅草山の宿の辺鄙へとお取払いになり、また役者市川海老蔵は身分不相応の贅沢を極めたる廉によってこの春より御吟味になった。それやこれやの事から世間では誰いうともなく好色本草双紙類の作者の中でもとりわけ『偐紫田舎源氏』の作者柳亭種彦は光源氏の昔に譬えて畏多くも大御所様大奥の秘事を漏したにより必ず厳しい御咎になるであろうとの噂が頗る喧しいのであった。種彦はわが身の上は勿論もしやそのために罪もない絵師や版元にまで禍を及ぼしてはと一方ならず心配して、こうなるからは誰ぞ公辺の知人を頼り内々事情を聞くに如くはないと兼て芝居町なぞでは殊の外懇意にした遠山金四郎という旗本の放蕩児が、いつか家督をついで左衛門尉景元と名乗り、今では御本丸へ出仕するような身分になっているのを幸い、是非にもと縋付いて極内々に面会を請うた次第であった。
「先生、早速で御座いますが御屋敷の御首尾はいかがで御座りました。」
一同は一先種彦を二階へ案内するや否や、茶を持運ぶ女中の立去るをおそしと、左右から不安な顔を差伸ばすのであった。種彦は脇差を傍に扇を使いながら少し身をくつろがせ、
「いや、もうさして御心配なさるにも及ぶまい。遠山殿の仰せには町方の事とは少々御役向が違う故、あの方の御一存では慥とした事は申されぬが、何につけお上においては御仁恵が第一。それにとりわけこの度の御趣意と申すは上下挙って諸事御倹約を心掛けいという思召故、それぞれ家業に精を出し贅沢なことさえ致さずば、さして厳しい御詮議にも及ぶまいとの仰せ。それだによってこの際はお互によく気をつけ精々間違のないように慎んでおるがよかろう……。」
「さようで御ざりましたか。それでは別に差当って御叱を蒙るような事はなかろうと仰有るんで御座いますな。いや、先生、その御言葉を聞きまして手前はもう生き返ったような心持になりました。」
版元鶴屋は襟元の汗をばそっと手拭で押拭うと、国貞も覚えずほっと大きな吐息を漏して、
「手前も御同様、やっとこれで安堵致しました。何事によらず根もない世上の噂というやつほどいまいましいものは御座りません。初手からこうと知っていればこんなに痩せるほど心配は致しません。」
「全く亀井戸の師匠の仰有る通りさ。手前なんざアそれがためあれからというものは夜もおちおち睡眠りません。」と鶴屋の主人は全く生返ったように元気づき、「先生、それではもうそろそろお船の方へお移りを願いましょうか。お帰りは丁度夕涼の刻限かと存じまして先ほど木挽町の酔月へつまらぬものを命じて置きました。」
「それはそれは。いつもながら鶴屋さんの御心遣には恐縮千万。」
「お言葉ではかえって痛み入ります。実はまだいろいろと御話を承りたいことが御座ります。丁度今日は亀井戸の師匠もおいでで御座りますし、さしずめ唯今板木に取りかかっております『田舎源氏』の三十九篇、あれはいかが致したもので御座りましょうか、いずれ船中で御ゆるり御相談致したいと存じております。」
一同は種彦を先に桟橋につないだ屋根船に乗込んだ。
背中一面に一人は菊慈童、一人は般若の面の刺青をした船頭が纜を解くと共にとんと一突桟橋から舳を突放すと、一同を乗せた屋根船は丁度今が盛の上汐に送られ、滑るがように心持よく三十間堀の堀割をつたわって、夕風の空高く竹問屋の青竹の聳立っている竹河岸を左手に眺め真直な八丁堀の川筋をば永代さして進んで行った。
夏の日は已に沈んで、空一面の夕焼は堀割の両岸に立並んだ土蔵の白壁をも一様に薄赤く染めなしていると、その倒なる家の影は更に美しく満潮の澄渡った川水の中に漂い動いている。幾個と知れぬ町中の橋々には夕涼の人の団扇と共に浴衣一枚の軽い女の裾が、上汐のために殊更水面の高くなった橋の下を潜行く舟の中から見上る時、一入心憎く川風に飜っているのである。
一同は種彦の語った最前の話に百年の憂苦を一朝にして忘れ得た思い。酔月から取寄せた料理の重詰を開き川水に杯を洗いながら、頻に絶景々々と叫んでいたが、肝腎な種彦一人は大暑の日中を歩みつづけた老体につかれを覚えた故か、何となく言葉少く、片肱を舷に背を胴の間の横木に寄せかけたまま、簾越しに唯ぼんやり遠い川筋の景色にのみ目を移していた。
しかし船中の一人がふと種彦の様子を怪しんで、何処ぞ御気分でもと気を揉むものがあれば、種彦は忽ちわざとらしいまでに元気よく、杯を見事に呑干して、「いや、どうも年ばかりは取りたくないものさ。少し遠路でもいたすと直ぐにこの通りの始末で御座る。」といつもに変らぬ軽い調子で、「しかしまアわれらお互の身に取って今日ほど目出たい日はあるまいて。鶴屋さんが折角のお饗応だ。種員も仙果も遠慮なく頂戴致すがよいぞ。」といいながら、しかしどういう訳か一同の如く心の底から陶然と酔を催す様子は更に見えなかった。
種彦は先刻から遠山左衛門尉が事をばいかほど思うまいと力めて見てもどうしても思返さずにはいられなかったのである。顧れば十幾年前芝居町なぞで能く見た折の金四郎と今日の左衛門尉とを思い比べると実に不思議な心持になる。遠山は辞を低うしてその邸に伺候した種彦をば喜び迎え、昔に変らぬ剰談ばなしの中にそれとつかず泰平の世は既に過ぎ恐しい黒船は蝦夷松前あたりを騒がしている折から、世は上下とも積年の余弊に苦しみつかれている様を見ては、われ人共に公禄を食むもの及ばずながらそれぞれ一廉の忠義を尽さねばなるまいと、衷心から湧起る武士の赤誠を仄見せて語ったその態度その風采。種彦はどういう機会かわが身の今日と彼れ遠山の今日とを思比べて、当世の旗本風情にもまだまだあんな立派な考えを持っているものがあるのか知らと思うと、そもそも我から意識して戯作者となりすました現在の身の上がいかにも不安にまた何とも知れず気恥しいような気がしてならなくなった。しかしいかほど深い感慨に沈められても種彦は今更それをば船中のものに向って語り聞かせる訳には行かぬ。よし話すにしてもこの場合思うように打明けて語り得られるものではない。さされた酒杯をばさされるままに呑み干しては返し、話掛けられる話を、心もよそに唯受答えをするばかり。船はいつしか狭い堀割の間から御船手屋敷の石垣下を廻ってひろびろとした佃の河口へ出た。
一同は既に十分の酔心地。覚えず声を揃えてまたもや絶景々々と叫ぶ。夕焼の空は次第に薄らぎ鉄砲洲の岸辺に碇を下した親船の林なす帆柱の上にはちらちらと星が泛び出した。佃島では例年の通り狼烟の稽古の始まる頃とて、夕涼かたがたそれをば見物に出掛ける屋根船猪牙舟は秋の木葉の散る如く河面に漂っていると、夕風と夕汐のこの刻限を計って千石積の大船はまた幾艘となく沖の方から波を蹴ってこの港口へと進んで来る。その大きな高い白帆のかげに折々眺望を遮られる深川の岸辺には、思切って海の方へ突出して建てた大新地小新地の楼閣に早くも燦き初める燈火の光と湧起る絃歌の声。すると櫛の歯のように並連ったそれらの桟橋へと二梃艪いそがしく輻湊する屋根船猪牙舟からは風の工合で、どうかすると手に取るように藤八拳を打つ声が聞えて来る。
国貞は近頃一枚絵にと描いてやった深川の美女が噂をしはじめると鶴屋の主人はまた彼の地を材料にした為永春水が近作の売行を評判する。その間もあらず一同を載せた屋根船は殊更に流れの強い河口の潮に送られて、夕靄の中に横る永代橋を潜るが早いか、三股は高尾稲荷の鳥居を彼方に見捨て、暁方の雲の帯なくかなかずの時鳥と、蜀山人が吟咏のめりやすにそぞろ天明の昔をしのばせる仮宅の繁昌も、今は唯だ蘆のみ茂る中洲を過ぎ、気味悪く人を呼ぶ船饅頭の声を塒定めぬ水禽の鳴音かと怪しみつつ新大橋をも後にすると、さて一同の目の前には天下の浮世絵師が幾人よって幾度丹青を凝しても到底描き尽されぬ両国橋の夜の景色が現われ出るのであった。
去年に比べると今年は御倹約の御触が出てから間もないためか、川一丸とか吉野丸とかいう提灯を下げ連ねた大きな大きな屋形船に美女と美酒とを満載して、吹けよ河風上れよ簾の三下りに呑めや唄えの豪遊を競うものは稀であったが、その代り小舷に繻子の空解も締めぬが無理かと簾下した低唱浅酌の小舟はかえっていつにも増して多いように思われた。両国橋の橋間は勿論料理屋の立並ぶあたり一帯の河面はさすがの大河も込合う舟に蔽尽され、流るる水は舷から玉臂を伸べて杯を洗う美人の酒に湧いて同じく酒となるかと疑われる。
鶴屋の主人は「先生。」とよびかけて、「いつ見ましても御府内の御繁昌は豪勢なもので御座いますな。いかがで御座いましょう。どこぞその辺の桟橋へ着けまして二、三人綺麗なところを呼寄せ久ぶりで先生の美音を拝聴いたしたいもので御座ります。」
「これはとんでもない。こう年を取っては色気よりも喰気と申したいが、この頃ではその喰気さえとんと衰え、いやはや、もうお話にはなりませぬ。折角の御酒も御覧の通り二、三杯いただくと唯うとうとと眠気を催すばかりさ。さすが蜀山先生はうまい事を書いていますよ。先達さる人から『奴師労之』と申す随筆を借りて見ましたがな……。」と種彦は先ほどから舷に肱をつき船のゆれるがままに全く居眠りでもしていたらしく、やや坐住居を直して、今更のように四辺の賑いを打見遣りながら、どうかすると、摺交う舟の唄または岸の上なる見世物小屋の騒ぎにも打消されるほどな静な声で、蜀山人が随筆『奴師労之』の終りに、老病ほど見たくでもなくいまいましきものはなし……酒のみても腹ふくるるのみにて微醺に至らず物事にうみ退屈し面白からず。声色の楽みもなくただ寝るをもて楽みとす。奇書も見るにたらず珍事もきくにあきぬ。若き時酒のみてとろとろ眠りし心地と狎れたる妓のもとに通いし楽は世をへだてたるごとくなりきと書いた文章の事をしみじみと語り出して、その終に添えた狂歌一首、「ながらへば寅卯辰巳やしのばれん、うしとみし年今はこひしき。」それをばあたかも我が身の上を咏じたもののように幾度か繰返して聞かせるのであった。屋根船はその間にいつか両国の賑を漕ぎ過ぎて川面のやや薄暗い御蔵の水門外に差掛っていたのである。燈火の光に代って蒼々とした夏の夜の空には半輪の月。行手の岸には墨絵の如くにじんだ首尾の松。国貞は猪口を手にしたまま、
「唐崎の松は花よりおぼろにて。」と感に堪えたる如く呟いた。
「御府内には随分名高い松の木があるようで御座いますがやはりあの首尾の松に留めを刺しますかな。」と答えたのは鶴屋喜右衛門である。
「さよう、小名木川の五本松は芭蕉翁が川上とこの川しもや月の友、と吟じられたほどの絶景ゆえ先ず兄たりがたく弟たりがたき名木でしょう。それから根岸の御行の松、亀井戸の御腰掛の松、麻布には一本松、八景坂にも鎧掛の松とか申すのがありました。」と国貞は鶴屋の主人と差向って頻に杯を取交していた時、行き交う一艘の屋根船の中から、
「月あかり見ればおぼろの舟の内、あだな二上り爪弾きに忍び逢うたる首尾の松。」と心悪いばかり、目前の実景をそのまま中音の美声に謡い過ぎるものがあった。
先ほどから舳へ出て、やや呑み過ごした酔心地を得もいわれぬ川風に吹払わせていた二人の門人種員と仙果は覚えず羨望の眼を見張って、過ぎ行く舟の奥床しくも垂込めた簾の内をば窺見ようと首を伸したが、かの屋根船は早くも遠く川下の方へと流れて行ってしまった。しかしいよいよ首尾の松が水の上にと長くその枝を伸しているあたりまで来ると、川面の薄暗さを幸に彼方にも此方にも流れのままに漂してある屋根船の数々、その間をば一同を載せた舟が小舷に漣を立てつつ通抜けて行く時、中にはあわてふためいて障子の隙間をば閉切るものさえあった。どの船からという事もなく幽暗なる半月の光に漂い聞ゆる男女が私語の声は、折々向河岸なる椎の木屋敷の塀外から幽かに夜駕籠の掛声を吹送って来る川風に得もいわれぬ匂袋の香を伴わせ、また途切がちな爪弾の小唄は見えざる河心の水底深くざぶりと打込む夜網の音に遮られると、厳重な御蔵の構内に響き渡る夜廻りの拍子木が夏とはいいながら夜も早や初更に近い露の冷さに、何とも知れず人肌恋しき秋の夜の風情を覚えさせるのであった。
余りに艶しい辺りの情景に、若い門人たちは自ら誘い出される淫蕩な空想にもつかれ果てたのか、今は唯遣瀬なげに腕を組んで首を垂れてしまった。国貞が鶴屋の主人を相手に傾ける酒も早や尽きたらしい。御厩河岸の渡を越して彼方に横わる大川橋の橋間からは、遠い水上に散乱する夜釣の船の篝火さえ数えられるほどになると、並木の茶屋の賑と町を歩く新内の流しが聞えて駒形堂の白い壁が月の光に蒼く見え出した。
一同は禁殺碑の立っている御堂の裏手から岸に上った。
国貞は爰から大川橋へ廻って亀井戸の住居まで駕籠を雇い、また鶴屋は両国橋まで船を漕ぎ戻して通油町の店へ帰る事にした。種彦は遠くもあらぬ堀田原の住居まで、是非にもお供せねばという門人たちの深切をも無理に断り、夜涼の茶屋々々賑う並木の大通を横断って、唯一人薄暗い町家つづきの小道をば三島門前の方へとぼとぼ老体の歩を運ばせたのである。
種彦は先ほどから是非にも人を遠ざけ唯一人になって深く己が身の上を考えて見ねばならぬ。この年までいわば何の気もなく暮して来たその長い生涯を回顧して見べき必要に迫められていたのであった。昔は自分なぞよりはもう一層性の悪い無頼漢のようにも思っていた遠山金四郎が今は公儀の重い御役を勤め真実世の有様を嘆き憂いているかと思えば、種彦は床の間に先祖の鎧を飾った遠山が書院に対座して話をしている間から何時となく苦しいような切ないような気恥しいような何ともいえない心持になったのである。一体どうしてそういう妙な心持になったのであろう。まずその原因から考えて見なければならない。武士の家に生れたその身は子供の時から耳に胼胝のできるほどいい聞かされた武士の心得武士の道。しかしそんなものはこの歳月唯「お軽勘平」のような狂言戯作の筋立にのみ必要なものとしていたのではないか。それが今どうして突然意外にも不思議にも心を騒がし始めたのであろう。思返えせば二十歳の頃ふと芝居帰の或夜野暮な屋敷の大小の重きを覚え、御奉公の束縛なき下民の気楽を羨みいつとしもなく身をその群に投じてここに早くも幾十年。今日しも遠山の屋敷の玄関に音ずれるその日までは夢にさえ見ることを忘れていた武家の住居──寒気なほどにも質素に悲しきまでも淋しい中にいうにいわれぬ森厳な気を漲らした玄関先から座敷の有様。またその道すがら横手遥に幸橋の見附を眺めやった御郭外の偉大なる夕暮の光景が、突然の珍らしさにふと少年時代の良心の残骸を呼覚したというより外はあるまい。
しかし種彦は今更にどうとも仕様のないこの煩悶をば強いても狂歌や川柳のように茶化してしまおうと思いながら、歩いて行く町のところどころに床几を出した麦湯の姐さんたちの厭らしい風俗。それに戯れる若者の様子を目撃しては、以前のようにこれも彼の式亭三馬が筆のすさみのそのままだと笑ってばかりはいられないような気になるのであった。我が家に近い桃林寺の裏手では酒買いに行く小坊主の大胆に驚き、大岡殿の塀外の暗さには夜鷹に挑む仲間の群に思わずも眼を外向けつつ、種彦は漸くその家の門にたどりついた。
直様家内のものをも遠ざけ、書ものをするからとて、二階の一間に閉じ籠ったが、見廻せば八畳の座敷狭しと置並べた本箱の中の書籍は勿論、床の飾物から屏風の絵に至るまで、凡て偐紫楼と自ら題したこの住居のありさまは、自分が生れた質素な下谷御徒町の組屋敷に比べてそも何といおうか。身に帯びるそれも極く軽い細身の大小より外には物の役に立つべき武器とては一ツもなく、日頃身に代えてもと秘蔵するのは古今の淫書、稗史、小説、過ぎし世の婦女子の玩具にあらずんば傾城遊女が手道具の類ばかり。ああ思えば唯うらうらと晴渡る春の日のような文化文政の泰平に沈湎して天下の事は更なり、わが髪の白くなるのも打忘れ世にいう悪所場をわが家の如く今日は吉原明日は芝居と身の上知らず遊び歩いていたその頃には、どういう訳か人の道を忘れた放蕩惰弱なものの厭しい身の末が入相の鐘に散る花かとばかり美しく思われて、われとても何時か一度は無常の風にさそわれるものならば、今もなお箕輪心中と世に歌われる藤枝外記、また歌比丘尼と相対死の浮名を流した某家の侍のように、せめて刹那の麗しい夢に身を果してしまった方がと、折節に聞く浄瑠璃の一節にも人事ならぬ暗涙を催す事が度々であった。日ごとに剃る月代もまだその頃には青々として美しく、すらりとして丈高く、長い頤に癖のある細面の優しさは、時の名優坂東三津五郎を生写しと到る処の茶屋々々にいい囃されるが何よりも嬉しく、わが名をさえも三彦と書き、いつかは老の寝覚にも忘れがたない思出の夢を辿って年ごとに書綴りては出す戯作のかずかず。心なき世上の若者淫奔なる娘の心を誘い、なおそれにても飽き足らず、是非にも弟子にと頼まれる勘当の息子たちからは師匠と仰がれ世を毒する艶しい文章の講釈。遊里戯場の益もない故実の詮議。今更にそれを悔んだとて何としよう。自分を育てた時代の空気は余りに軟く余りに他愛がなさ過ぎたのだ。近頃日光の御山が頻に荒出して、何処やらの天領では蛍や蛙の合戦に不吉の兆が見えたとやら。果せるかな恐ろしい異人の黒船は津々浦々を脅かすと聞くけれど、ああこの身は今更に何としようもないではないか……。
種彦は書きかけた『田舎源氏』続篇の草稿の上に片肱をついたまま唯茫然として天井を仰ぐばかりである。物優しい跫音が梯子段に聞えた。そして葭簀越しにも軽く匂わせる仙女香の薫と共に、髪は下り髱の糸巻くずし、銀胸の黄楊の櫛をさし、団十郎縞の中に丁子車を入れた中形の浴衣も涼しげに、小柳の縞の帯しどけなく引掛にしめた女の姿、年の頃はまだ二十ばかりと思われた。
「お園か。」とやさしく種彦は机の上に肱をついたまま此方を顧み、「おッつけもう子刻だろうに階下ではまだ寝ぬのかえ。」
「はい。ただ今御新造様ももうお休みになるからと表の戸閉りをなすっていらっしゃいます。」と女は漆塗の蓋をした大きな湯呑と象牙の箸を添えた菓子皿とを種彦の身近に薦めて、前挿の簪の落掛るのをさし直しながら、「お煙草盆のお火はよろしゅう御ざりますか。」
「いや結構だ。何や彼やとよく気をつけてくれるから家のものも大助りだ。お園やお前さんも一ツ摘みなさい。廓にいて贅沢をした御前方には珍しくもあるまいが、この頃は諸事御倹約の世の中、衣類から食物まで無益な手数をかけたものは一切御禁止というきびしいお触だから、この都鳥の落雁も当分は食納になるかも知れぬ。今の中遠慮なく食べて置くがよいぞ。」
「はい。ありがとう御座ります。先ほど階下で御新造様から沢山頂戴いたしました。時に旦那さま、そう申せばこの頃は何とやら大層世間が騒々しいそうで御座りますが、此方様に私見たようなものがおりまして万一の事でもありましたらと、それがもう心配でなりません。」
「何さ、その事ならちっとも気を揉むには当らぬ。お前の事は初手からいわば私が酔興でこうして隠って上げているの故、余計な気兼をせずと安心していなさるがいい。」と種彦は取上げる銀のべの長煙管に烟を吹きつつしみじみとお園の様子を打眺め、「それにもうその風俗なら誰が見ようと大丈夫だわ。中形の浴衣に糸巻崩し昼夜帯の引掛という様子なり物言いなり仲町の妓と思う人はあるかも知れぬが、ついぞこの間まで廓にいなすった華魁衆とはどうしてどうして気がつくものか。」
「ほんにそうだと、どんなに嬉しいか知れません。どうか一日も早く堅気になりたいものと一生懸命に気をつけているのでありますが、どうかいたすとつい口の先へそうざますのありんすのと、思わず里の訛が出そうになりまして、御新造様とお話をしていましてもそれはそれはもう心配でなりません。」
「大きにそうであろう。まア何にしても当分は世を忍ぶ身体。すっかり先方の話がまとまるまでは大事の上にも大事を取るに越した事はない。もう暫くの辛抱だによって滅多に外なぞへは出なさらぬがいいぜ。」
「はい。それはもう能くわかっております。」と辞儀をしながらお園はなお何やら傍にいて尽きせぬ身の上の話でもしたいような様子であったが、言葉を絶やすと共にそのまま腕を組む種彦の様子に、女は所在なげにその後姿もしょんぼりと再び静かな跫音を梯子段の下に消してしまった。
家中はそれなり寂として物音を絶やした。今までは折々門外の小路に聞えた夜遊の人の鼻唄、遠くの町を流して行く新内の連弾、枝豆白玉の呼声なぞ、いつ深けるとも知らぬ町の夜の物音は忽ち彼方此方に鳴り出す夜廻りの拍子木に打消される折から、浅草寺の巨鐘の声はいかにも厳かにまたいかにも穏に寝静まる大江戸の夜の空から空へと響き渡るのであった。すると毎夜種油の費を惜しまず、三筋も四筋も燈心を投入れた偐紫楼の円行燈は、今こそといわぬばかり独りこの戯作者の庵をわが物顔に、その光はいよいよ鮮かにその影はいよいよ涼しく、唐机の上なる書掛の草稿と多年主人が愛翫の文房具とを照し出す。
孟宗の根竹に梅花を彫った筆筒の中に乱れさす長い孔雀の尾は行燈の火影に金光燦爛として眼を射るばかり。長崎渡りの七宝焼の水入は焼付の絵模様に遠洋未知の国の不思議を思わせ、赤銅色絵の文鎮は象嵌細工の繊巧を誇れば、傍なる茄子形の硯石は紫檀の蓋の面に刻んだ主人が自作の狂歌、
名人になれ〳〵茄子と思へども
とにかく下手は放れざりけり
という走書の文字までをありありと読ませるのであった。
種彦は忽ち今までの恐怖と煩悶に引替えていかなる危険を冒しても、この年月精魂を籠めて書きつづけて来た長い長い物語を、今夜の中にも一気に完成させてしまわなければならぬような心持になるのであった。思返すまでもなく、それは実に寛政の末つ頃、ふと己れがまだ西丸の御小姓を勤めていた頃の若い美しい世界の思出されるまま、その華やかな記憶の夢を物語に作りなして以来、年ごとに売出す合巻の絵草紙の数も重って天保の今日に至るまで早くも十幾年という月日を閲した。その間というものは年ごとに咲く花は年ごとに散って行っても、また年ごとに鬢の毛の白さは年ごとに刻まれる額の皺と共に増って行っても、この偐紫楼の深更を照す円行燈のみは十年一日の如くに夜としいえば、必ず今見る通りの優しい艶しい光をわが机の上に投掛けてくれたのである。種彦は半ば呑掛けた湯呑を下に置くと共に墨摺る暇ももどかし気に筆を把ったがやがて小半時もたたぬ中に忽ち長大息を漏してそのまま筆を投捨ててしまった。そして恐るる如くに机から身を遠ざけ、どっさりと床の柱に背を投掛け眼をつぶり手を拱いたかと思うと、またもや未練らしく首を延して、此方からしげしげと机の上なる草稿を眺めやるのであった。
突然庭の彼方に当って風の音とも思われぬ怪しい物音がした。種彦は慄然としてわが影にさえ恐れを抱く野犬のように耳を聳てたが、すると物音はそれなり聞えず二階の夜は以前の通り柔かな円行燈の光ばかり。けれども種彦が再び草稿の上に眼を注ごうとした時今度は何者か窃に忍寄るような跫音が聞えたので、いよいよ顔の色を失うと共に行燈の火を吹消すが早いか、種彦は一刀を手にして二階の丸窓をば音せぬように押開き庭の方を見下した。半月が斜めに悲し気に丁度隣家の屋根の上に懸っている。晴れた空には早や秋の気が十分に満渡っているせいか銀河を始め諸有る星の光は落ちかかる半輪の月よりもかえって明く、石燈籠の火の消残る小庭のすみずみまで隈なく照しているように思われた。犬の吠える声もない。怪し気な人影なぞは更に見当ろうはずもない。手入を怠らぬ庭の樹木と共に飛石の上に置いた盆栽の植木は涼しい夏の夜の露をばいかにも心地よげに吸っているらしく穏かなその影をば滑らかな苔と土の上に横えていた。軒の風鈴をさえ定かには鳴らし得ぬ微風──河に近い下町の人家の屋根を越して唯緩く大きく流動している夜気のそよぎは、窓から首を差延す種彦が鬢の毛を何ともいえぬほど爽かに軽く吹きなびかせる。種彦はわが身の安危をも一時に忘れ果てたように、暫は唯茫然とこの得もいわれぬ夜の気に打たれていたが、する中、忽然わが家の縁先から、こは如何に、そっと庭の方へと降立つ幽霊のような白い物の影。
再び刀を杖に半身を屋根の方へ突出してよくよく見れば、消えようとして更に明く頻と瞬きする石燈籠の火影にそれは誰あろう、先ほど湯呑に都鳥の菓子を持添えて来たかのお園ではないか。仔細あって我家にかくまうそれまでは新吉原佐野槌屋の抱え喜蝶と名乗ったその女である。おろおろしつつも庭の柴折戸に進寄り音せぬように掻金をはずすと、自ら開く扉の間から物腰のやさし気な男が一人手拭に顔をかくし這わぬばかりに身をかがめて忍び入った。二人は少時立ちすくんだまま互に姿さえ恐るる如く息を凝して見合っていたが、やにわに双方から倒れかかるように寄添いざま、ひしと抱合って、そのまま女は男の胸に、男は女の肩の上に顔を押当て唯ただ声を呑んで泣沈んだらしい様子である。
種彦は最初一目見るが早いか、忍入った彼の男というはほど遠からぬ鳥越に立派な店を構えた紙問屋の若旦那で、一時己れの弟子となった処から柳絮という俳号をも与えたものである事を知っていた。若旦那柳絮はいつぞや仲の町の茶屋に開かれた河東節のお浚いから病付きとなって、三日に上げぬ廓通いの末はお極りの勘当となり、女の仕送りを受けて、小梅の里の知人の家にその日を送っている始末。もしやこのまま打捨てて置いたなら心中もしかねまいと、種彦は知己の多い廓の事とて適当の人を頼んで身請や何かの事は追ての相談に、一先ず女をわが家に引取り男の方へは親許の勘当ゆりるまで少しの間辛抱して身をつつしむようにといい含めて置いたのである。然るをやっと半月たつかたたぬに若い二人はもう辛抱がしきれずに、いつ諜し合したものか互に時刻を計って忍逢おうという。誠に怪しからぬ事だと種彦は心の中に憤ろうと思いながら、自分にも幾度か覚えのある若い昔を思い返せば、何も彼も無理はない事と訳もなく同情してしまわなければならぬ。それと共にいかに恋ゆえとはいいながらかほどまで義理も身も打捨てて構わぬ若い盛りの無分別ほど羨ましいものはないと思うのであった。ああ、あの無分別の半分ほどもあるならば自分は徳川の世の末がいかになり行こうと、あるいは自分の身がいかに処罰されようと、そんな事には頓着せず、自分の書きたいと思うところをどしどし心の行くままに書く事ができたであろう。悲しむべきは何につけても勇気の失せ行く老境である。
通り過ぎる村雲がいつの間にか月を隠してしまった。すると最前から瞬きしていた石燈籠の火も心あり気にはたと消えるを幸い、二人の男女は庭の垣根に身を摺寄せて互の顔さえ見分けぬほどな闇の夜をかえって心安しと、積る思いのありたけを語り尽そうと急れば、一時鳴く音を止めた虫さえも今は二人が睦言を外へは漏さじと庇うがように庭一面に鳴きしきる。やがて男は名残惜し気に幾度か躊躇いつつも漸くに気を取直し地に落ちた手拭に再び顔をかくして立上ると、女も同じく落ちたる櫛に心付ながら乱れた姿を恥らう色もなく少時寄添い、やがて男が出て行く庭木戸を閉めた後までもなかなかその場を立ち去りかねた様子であった。
翌日の朝種彦は独り下座敷なる竹の濡縁に出て顔を洗い食事を済ました後さえ何を考えるともなく折々毛抜で頤鬚を抜きながら、昨夜若い男女の忍び逢ったあたりの庭面に茫然眼を移していた。折から、「おや先生もうお目覚でいらッしゃいますか。」
「大層お早いじゃ御座いませんか。」といいながら愛雀軒という扁額を掛けた庭の柴折戸を遠慮なく明けて入って来たのは柳下亭種員に笠亭仙果と呼ぶ両人の門弟である。全くいつもより朝はまだよほど早かったらしい。二人が押開く柴折戸の裾に触れて垣際に茂った小笹の葉末から昨夜のままなる露の玉が、斜にさし込む朝日の光にきらきらと輝きながら苔の上にこぼれ落ちた。種彦は機嫌よく、
「朝起は老人のくせさ。お前たちこそ今日は珍らしく早起をしたもんだな。それとも昨夜の幕の引っ返しという図かね。」
「てっきり恐縮と申上げたい処ですが近頃はどう致しまして。どこもかしこも火の消えたようでいや早や情ない位で御座います。」
「いずこも同じ秋の夕暮かナ。」と種彦は戯れながらふと植込に吹入る朝風の響に、「いや暑い暑いといっている中もう秋風が吹くと見える。」
「眼にはさやかに見えねどもと古歌にも申す通り、風の音にぞ驚かれぬるで御座います。」といいながら種員は懐中の手拭を出して雪駄ばきの裾を払い濡縁の上に腰を下したが、仙果は丁度己が佇んだ飛石の傍に置いてある松の鉢物に目をつけ、女の髪にでも触るような手付で、盆栽の葉を撫でながら、
「先生これァいつお求めになりました。木の太さといい枝ぶりといい実に見事な盆栽で御座いますな。」
「それはこの中請地村の長兵衛という松師に頼まれて、庭木戸の額を書いてやった返礼に貰ったのだが、売買いにしたらなかなか吾輩の手に這入る品ではあるまい。」
「お屋敷方でも滅多にこんな名木は見られますまい。」と種員も今は銜煙管のまま庭の方へ眼を移したが突然思い出したように、「先生。こういう盆栽なんぞはいかがなものでしょう。当節じゃやはり雛人形や錦絵なんぞと同じように表向には出せない品なんで御座いましょうか。」
「勿論そのはずだろうさ。」と種彦は無造作にいい捨てて銀の長煙管で軽く灰吹を叩いた。
「へーえ。やっぱり不可ないんで御座いますかね。こうなると手前共にゃどうもお上の御趣意が分りかねます。」
「なぜさ、無益なものに贅を尽すなと申すのではないか。」
「それがで御座りますよ。大きな声では申されませぬが私共の考えますには無益なものに手数をかけて楽しんでいられるようなら此様結構な事はないじゃ御座いませんか。天下太平国土安穏なりゃアこそ楽しんでおられるんで御座います。もしこれが明暦の大火事や天明の飢饉のような凶年ばっかり続いた日にゃ、いくら贅沢がいたしたくてもまさかに盆栽や歌俳諧で日を送るわけにも行きますまい。ところが当節の御時勢は下々の町人風情でさえちょいと雪でも降って御覧じろ、すぐに初雪や犬の足跡梅の花位の事は吟咏みます。それと申すも全く以て治まる御世のおかげ、このような目出たい事は御座いますまい。」
「なるほどこれァ種員さんのいいなさる通り。恐れながら手前なぞも今度の御趣意についちゃ随分と腑に落ちない事が御座います。」
盆栽に気を取られていた仙果もいつか縁側に腰をかけ、あたりに聞く人もないと思う安心から種員と一緒になって遠慮なくその思う処を述べようとする。
「下々の手前たちがとやかくと御政事向の事を取沙汰致すわけでは御座いませんが、先生、昔から唐土の世には天下太平の兆には綺麗な鳳凰とかいう鳥が舞下ると申します。しかし当節のようにこう何も彼も一概に綺麗なもの手数のかかったもの無益なものは相ならぬと申してしまった日には、鳳凰なんぞは卵を生む鶏じゃ御座いませんから、いくら出て来たくも出られなかろうじゃ御座いませんか。外のものはとにかくと致して日本一お江戸の名物と唐天竺まで名の響いた錦絵まで御差止めになるなぞは、折角天下太平のお祝いを申しに出て来た鳳凰の頸をしめて毛をむしり取るようなものじゃ御座いますまいか。」
「はははは。幾ほどお前たちが口惜しく存じても詮ない事さ。とかく人の目を引くような綺麗なものは何の彼のと妬まれ難癖を付けられるものさ。下々の人情も天下の御政事も早い話が皆同じ訳合と諦めてしまえばそれで済むこと。あんまり大きな声で滅多な事をいいなさるな。口舌元来禍之基。壁にも耳のある世の中だ。まアまア長いものには巻かれているが一番だよ。」
「それァもう仰有るまでもなく承知いたしております。つまらない饒舌をして掛替のない首でも取られた日にゃ御溜小法師が御座いませんや。こういう時には何か一首巧い落首でもやって内所でそっと笑っているが関の山で御座います。」
「落首といえばそうそう、昨夜先生がお帰りになってから鶴屋の旦那に聞いた話で御座りますが、あの和泉町の一勇斎国芳さんが今度の御政事向の事をばそれとなく「源の頼光御寝所の場」に譬えて百鬼夜行の図を描き三枚続きにして出したとかいう事で御座ります。」
「いや早や、あの男も持って生れた悪い病がまだ直らぬと見える。国芳も国貞も倶に故人豊国翁の高弟だが、二人はまるで気性がちがい国芳は喧嘩の好きな勇みな男いかさまその位の事はしかねまいて。一寸の虫にも五分の魂というが当節はその虫をばじっと殺していねばならぬ世の中。ならぬ堪忍するが堪忍とはまず此処らの事だわ。」
「何に致せいやな恐ろしい世の中になったもので御座います。この分では先生。とても『田舎源氏』の後篇もいつ拝見致される事やら、情ない事で御座いますなア。」
「私も最う追々に取る年だ。世間の取沙汰の静になるのを待っている中には大方眼も見えず筆を持つ手も利かなくなろう……。」
淋しい微笑と共に種彦は言葉を絶やした。二人の門弟も今は言出すべき言葉なく、遣場のない視線をば追々に夏の日のさし込んで来る庭の方へ移したが、すると偶然垣根の外には大方一月寺あたりから来る虚無僧であろう、連管に吹き調べる「虚空鈴慕」の一曲が一座の憂愁をば一層深くさせるようにいとど物淋しく聞え出すのであった。
夏の盛の六月もいつか晦日近くなった。お江戸の町々を呼歩く蚊帳売の声と定斎売の環の音に、日盛の暑さは依然として何の変りもなかったが、とにかく暦の表だけではいよいよ秋という時節が来ると、道行く若いものの口々には早くも吉原の燈籠の噂が伝えられ、町中の家々にも彼方此方と軒端の燈籠が目につき出した。
土用の明けるその日を期して、池上の本門寺を始め諸処の古寺では宝物の虫干かたがた諸人の拝観を許す処が多い。種彦の家でも同じくその頃に毎年蔵書什器の虫払をする。そしてその日の夕刻からは極く親しい友人や門弟が寄集って主人柳亭翁が自慢の古書珍本の間に酒を酌み妓を聘して俳諧または柳風の運座を催すのが例であった。けれども今年ばかりはわざわざそれらの蔵書什器を取り出して厳しい禁令の世の風に曝すという事がいかにも空恐ろしく思われた処から、種彦はわが秘蔵の宝をもよし蠹が喰うならば喰うがままにと打捨てて置く事にした。
実際種彦はもう何をする元気もなくなってしまったのである。老朽ちて行くその身とは反対に、年と共にかえって若く華やかになり行くその名声をば、さしもに広い大江戸は愚か三ヶの津の隅々にまで喧伝せしめた一代の名著も、あたらこのまま完成の期なく打捨ててしまわなければならぬのかと思うと、如何にしても癒しがたい憂憤の情は多年一夜の休みもなく筆を執って来た精魂の疲労を一時に呼起し、あるかぎりの身内の力を根こそぎ奪い去ってしまったような心持をさせるのである。禁令の打撃に長閑な美しい戯作の夢を破られなかった昨日の日と、禁令の打撃に身も心も恐れちぢんだ今日の日との間には、劃然として消す事のできない境界ができた。そして今日という暗澹たる此方の境から花やかな昨日という彼方の境を打眺めて見ると、わが生涯というものは今や全く過去に属して已に業にその終局を告げてしまったものとしか思われない。何一ツ将来に対して予期する力のなくなった心のほどのいたましさは己が書斎の書棚一ぱいに飾ってある幾多の著作さえ、それらは早何となく自分の著作というよりはむしろ既に死んでしまった或親しい友人──その生涯の出来事を自分は尽く知り抜いている或親しい友人の遺書であるような心持がする。
種彦は日ごと教を乞いにと尋ねて来る門弟たちをも次第々々に遠ざけて、唯一人二階の一間に閉籠ったまま、昼となく夜となく、老眼鏡の力をたよりにそもそも自分がまだ柳の風成なぞと名乗って狂歌川柳を口咏んでいた頃の草双紙から最近の随筆『用捨箱』なぞに至るまで、凡て立派な套入にしてある著作の全部をば一冊々々取出して読み返しつつ、あああの双紙を書いた時分には何をしていた。ああこの物語を書いた頃には自分はまだ何歳であったかと徒に耽る追憶の夢の中に、唯うつらうつらとのみその日その夜を送り過した。宛ら山吹の花の実もなき色香を誇るに等しい放蕩の生涯からは空しい痴情の夢の名残はあっても、今にして初めて知る、老年の慰藉となるべき子孫のない身一ツの淋しさ果敢さ。それを堪え忍ぼうとするには全く益もない過去の追憶に万事を忘却する外はない……。
七夕の祭はいつか昨日と過ぎた。小夜更けてから降り出した小雨のまた何時か知ら止んでしまった翌朝、空は初めていかにも秋らしくどんよりと掻曇り、濡れた小庭の植込からは爽な涼風が動いて来るのに、種彦は何という訳もなく瓦焼く烟も哀れに橋場今戸の河岸に立初める秋の風情の尋ねて見たく、臥床を出るや否やいそいで朝飯を準えようと下座敷へ降りかけた時出合頭にあわただしく梯子段を上って来たのは年寄った宿の妻であった。しかも容易ならぬ事件を種彦に伝えたのである。
小雨そぼ降る七夕の昨夜久しく隠まって置いたかのお園は何処へか出奔してしまったものと見え今朝方寝床は藻抜の殻となり、残るは唯男女が二通の手紙ばかりという事である。種彦は机の上の眼鏡取るより早く男女の手紙を読み下した。海山にもかへがたき御恩を仇にいたし候罪科、来世のほどもおそろしく存じまゐらせ候……とあってお園の方の手紙にはただ二世も三世までも契りし御方のお身上に思いがけない不幸の起りしため、とてもこの世では添われぬ縁故、一先ずわが親里の知人をたより其処まで落延びてから心安く未来の冥加を祈り、共々にあの世へ旅立つという事の次第がこまごまと物哀れに書いてあった。覚えず涙に曇る眼を拭い種彦はやがて男の手紙を開くに及んで初めて深い事情を知り得た。先頃から、これも要するにこの度の御政事向御改革の影響といわねばならぬ。若旦那の親元なる紙問屋は江戸中問屋十組の株が突然御廃止になったため、それやこれやの手違いより俄に莫大の損失を引起し家倉を人手に渡すも今日か明日かという悲運に立至った。親の家が潰れてしまえば頼みに思う番頭から詫びを入れて身受の金を才覚してもらおうという望も今は絶えた訳。さらばといってどうして今更お園をば二度と憂き川竹の苦界へ沈られよう。身受する力も望みもなくなって唯いつまでも大金のかかった女を人の家に隠匿って置いたなら、わが身のみかは恩義ある師匠にまでいかなる難儀を掛けるも測られぬ。それ故事の面倒にならぬ中わが身一つに罪を背負って死出の旅路を志し申候。何とぞ後の回向をたのむとあった。
種彦は菱垣船や十組問屋仲間の御停止よりさしもに手堅い江戸中の豪家にして一朝に破産するものの尠くない事を聞知っていた処から、今更ながら目の当りこの度の法令の恐しい上にも恐しい事を思知るばかり。死にに行くという若いもの供の身の上についてはさしずめ如何なる処置を取ってよいのやら全く途方に暮れてしまった。
全くどうにも仕様のないこの場合に立至っては今更のめのめと柳絮が親元の紙問屋へ相談にも行かれず、同時に廓の方面にもいわばそれとなく自分が身受の証人にもなったような関係がらうっかりと顔出しも出来ぬ。といってこのまま知らぬ顔に打捨てても置かれまいと種彦は思案に暮れたあまり、ふらりと家を出で足の向く方へと歩いて行った。歩いて行く中には何とかよい考えが出るかも知れぬとたよりにならぬ事をたよりにするより仕様がなかった。
さまざまな物売の声と共にその辺の欞子窓からは早や稽古の唄三味線が聞え、新道の路地口からは艶かしい女の朝湯に出て行く町家つづきの横町は、物案顔に俯向いて行く種彦をば直様広い並木の大通へと導いた。すると忽ち河岸の方から颯とばかり真正面に吹きつけて来る川風の涼しさ。種彦はさすがに心の憂苦を忘れ果てるというではないが、思えばこの半月あまりは一歩も戸外へ出ず引籠ってのみいた時に比べると、おのずと胸も開くような心持になり、少時は何の気苦労もない人のように目に見える空と町との有様をば訳もなく物珍し気に眺めやるのであった。
両側とも菜飯田楽の行燈を出した二階立の料理屋と、往来を狭むるほどに立連った葭簀張の掛茶屋、またはさまざまなる大道店の日傘の間をば士農工商思い思いの扮装形容をした人々が後から後からと引きも切らずに歩いて行く。それはこの年月幾度と知れず見馴れた上にも見馴れた街の有様ながら、しかしここに住馴れた江戸ッ児の馬鹿々々しいほど物好な心には、一日半日の間も置きさえすれば忽にして十年も見なかった故郷のように訳もなく無限の興味を感じさせるのである。
早や虫売の荷が見える。花売の籠の中にはもう秋の七草が咲き乱れている。しかし其様事には目もくれずお蔵の役人衆らしいお侍は仔細らしい顔付に若党を供につれ道の真中を威張って通ると、摺違いざまに腰を曲めて急がし気に行過ぎるのは札差の店に働く手代にちがいない。頭巾を冠り手に数珠を持ち杖つきながら行く老人は門跡様へでもお参りする有徳な隠居であろう。小猿を背負った猿廻しの後からは包を背負った丁稚小僧が続く。きいた風な若旦那は俳諧師らしい十徳姿の老人と連れ立ち、角隠しに日傘を翳した上つ方の御女中はちょこちょこ走りの虚無僧下駄に小褄を取った芸者と行交えば、三尺帯に手拭を肩にした近所の若衆は稽古本抱えた娘の姿に振向き、菅笠に脚絆掛の田舎者は見返る商家の金看板に驚嘆の眼を睜って行くと、その建続く屋根の海を越えては二、三羽の鳶が頻と環を描いて舞っている空高く、何処からともなく勇ましい棟上げの木遣の声が聞えて来るのであった。やや太く低いけれども極めて力のある音頭取の声と、それにつづいて大勢の中にもとりわけ一人二人思うさま甲高な若い美しい声の打交った木遣の唄は、折からの穏な秋の日に対して、これぞ正しく大江戸の動かぬ富を作り上げた町人の豪奢と弓矢はもう用をなさぬ太平の世の喜びとを、江戸中の町々へ歌い聞かせるような心持がするのである。
種彦は唯どんよりした初秋の薄曇り、この勇しい木遣の声に心を取られながらぞろぞろと歩いている町の人々と相前後して、駒形から並木の通りを雷門の方へと歩いて行く中、何時ともなしに我もまた路行く人と同じように、二百余年の泰平に撫育まれた安楽な逸民であるといわぬばかり、知らず知らずいかにも長閑な心になってしまうのであった。今更ことごとしく時勢の非なるを憂いたとて何になろう。天下の事は微禄な我々風情がとやかく思ったとて何の足にもなろうはずはない。お上にはそれぞれお歴々の方々がおられるではないか。われわれは唯その御支配の下に治る御世の楽しさを歌にも唄い絵にも写していつ暮れるとも知れぬ長き日を、われ人共に夢の如く送り過すのがせめてもの御奉公ではあるまいか。種彦は丁度豊後節全盛の昔に流行した文金風の遊冶郎を見るように両手を懐中に肩を落し何処を風がという見得で、いつのほどにか名高い隅田川という酒問屋の前辺りまで来たが、すると、忽ち向うに見える雷門の新橋と書いた大提灯の下から、大勢の人がわいわいいって駈出して来るのみか女の泣声までを聞付けた。ソラ喧嘩だ人殺だというが早いか路行く人々は右方左方へ逃惑うものもあれば、我遅れじと駈けつけるものもある。その後につづいて町の犬が幾匹ともなく吠えながら走る。
種彦は依然として両手を懐中にこの騒ぎも繁華なお江戸ならでは見られぬものといわぬばかり街の角に立止って眺めていたが、しかし走交う群集に遮られて実は何の事件やら一向に見定める事が出来なかったのである。
「先生。」と突然横合から声をかけたものがある。
「いや。仙果に種員か。あの騒ぎは一体どうしたものだ。」
「先生。大変な騒ぎで御座ります。奥山の姐さんが朝腹お客を引込もうとした処を隠密に見付りお縄を頂戴いたしたので御座ります。」
「ふうむさようか。」と種彦もさすが事件の意外なるに驚いた様子。「奥山の茶見世なぞは昔から好からぬ処ときまったものではないか。今更隠売女の一人や二人召捕えた処で仕様もあるまい。」
「先生それではまだ昨夜からの騒ぎを御存じがないと見えますな。」
「はて、昨夜からの騒ぎというのはそれァ何事だ。お前たちも知っての通り私は先月以来外へ出るのは今日が初めて……。」
「実はこれから二人して御機嫌伺いに上ろうと思っていた処で御座ります。今日はもうどこへ参りましてもその話ばかりで持切っております。昨日の晩花川戸の寄席で娘浄瑠璃が縛られる。それから今朝になって広小路の芸者屋で女髪結が三人まで御用になりました。何でもつい二、三日前御本丸で御役替がありまして、大目付の鳥居様が町奉行におなり遊ばしてから俄に手厳しい御詮議が始まったとやら。手前供の町内などでも名主や家主が今朝はもう五ツ頃から御奉行所へお伺いに出るような始末で御座います。」
「なるほど、それは全く容易ならぬ次第だな。」
「先生、まだそればかりでは御座りません。昨夜ちょっと櫓下の方へ参りましたら、何でも近い中に御府内の岡場所は一ツ残らずお取払いになるとかいう騒ぎで、さすがの辰巳も霜枯れ同様寂れきっておりやした。」
「そうか。世の中は三日見ぬ間の桜ではない。桜を散らすとんだ夜嵐……。」
「先生、とにかく境内を一まわり奥山辺までお供を致そうじゃ御在ませんか。」
「そうさな。人の難儀を見て置くも気の毒ながらまた何ぞ後の世の語草になろうも知れぬ。どれぶらぶら参ろうか。」
三人は歩き出した。雷門前の雑沓はどうやら静まった様子であるが、まだこの辺をばあちこちと不安な顔付して行交う人たちの口々に、町木戸の大番屋で召捕れた売女の窮命されている有様が尾に鰭添えていかにも酷たらしく言伝えられている最中である。種彦を先に種員と仙果は雷門を這入って足早に立並ぶ数珠屋の店先を通過ぎ二十軒茶屋の前を歩いて行ったが、いつも五月蠅ほどに客を呼ぶ女供はやがて仁王門を這入った楊子店も同じ事で、いずれも真蒼な顔をして三人四人と寄合いながら何やらひそひそ話合っていると、土地の顔役らしい男がいかにも事あり気に彼方此方と歩き廻っていた。しかし何と言ってもさすがは広い観音の境内、今方そんな騒ぎのあったとも心附かぬ参詣の群集は相も変らず本堂の階段を上り下りしていると、いつものように、これも念仏堂の横手に陣取った松井源水、またはかの風流志道軒の昔より境内の名物となった辻講釈を始めとして、その辺に同じように葭簀張の小屋を仕つらえた乞食芝居や桶抜け籠抜などの軽業師も追々に見物を呼び集めている処であった。
一同はそれらの小屋をも後にして俗に千本桜といわれた桜の立木の間をくぐり抜け、金竜山境内の裏手へ出るとそぞろ本山開基の昔を思わせるほどの大木が鬱々として生茂っている。その木陰に土弓場と水茶屋の小家は幾軒となく低い鱗葺の屋根を並べているのである。毎夜頬冠して吉原の河岸通をぞめいて歩くその連中と同じような身なりの男が相も変らずその辺をぶらりぶらり歩いていたが、さすがに唯今方世にも恐ろしい騒動のあった後とて女供は一斉に声を潜め姿を隠してしまったので、いつもはそれほどに耳立たない裏田圃の蛙の啼く音と梢に騒ぐ蝉の声とが今日に限って全くこの境内をば寺院らしく幽邃閑雅にさせてしまったように思われた。さながら人なき家の如く堅くも表口の障子を閉めてしまった土弓場の軒端には折々時ならぬ病葉の一片二片と閃き落ちるのが殊更に哀深く、葭簀を立掛けた水茶屋の床几には徒に磨込んだ真鍮の茶釜にばかり梢を漏る初秋の薄日のきらきらと反射するのがいい知れず物淋しく見えた。何処か見えない木立の間から頻と笑うが如き烏の声が聞える。
種彦は何という訳もなく立止って梢を振仰いだ。枯枝の折れたのが乾いた木の皮と共に木葉の間を滑って軽く地上に落ちて来る。大方蝉を啄もうとして烏はその餌を追うて梢から梢にと飛移ったに違いない。仙果は人気のない水茶屋の床几に置き捨ててある煙草盆から勝手に煙草の火をつけようとして、灰ばかりなのにちょッと舌鼓を打ったが、そのまま腰を下し懐中から火打石を捜出しながら、
「先生一服いかがで御座います。いつもなら、のう種員さん、この辺は河岸縁の三日月長屋も同然滅多に素通の出来る処じゃないんだが、今日はこうして安閑と煙草が呑んでいられるたア何だか拍子抜がして狐にでもつままれたようだ。」
「真白なこんこん様は何処の御穴へもぐり込んだのか不思議に姿をくらましたもんさな。何しろ涼しくって閑静でいい。それにいくら涼んでもお茶代いらずというのだからこれがほんに有難山の時鳥さ。」と腰なる一提を取出して種員は仙果の煙管から火をかりて一服した。
なるほど涼しい風は絶えず梢の間から湧き起って軽く人の袂を動かすのに種彦もいつか門人らと並んで、思掛けない水茶屋の床几に腰を下し草臥た歩を休ませた。折から梢の蝉の鳴音をも一時に止めるばかり耳許近く響き出す弁天山の時の鐘。数うれば早や正午の九つを告げている。種彦はどこかこの近辺に閑静で手軽な料理茶屋でもあらば久ぶり門人らと共に中食を準えたいと言出すと、毎日のぞめき歩に至極案内知ったる柳下亭種員心得たりという見得で、雪駄の爪先に煙管をぽんとはたき、
「では先生、早速あの突当りの菜飯茶屋なぞはいかがで御座いましょう。山東翁が『近世奇跡考』に書きました金竜山奈良茶の昔はいかがか存じませんが、近頃は奥山の奈良茶もなかなかこったものを食わせやす。それに先生御案内でも御座いましょうが、お座敷から向う一面に裏田圃を見晴す景色はまた格別で御座いますよ。丁度今頃は田圃に蓮の花が咲いておりましょう。」
一同は早速水茶屋の床几をはなれ、ここにも生茂る老樹のかげに風流な柴垣を結廻らした菜飯茶屋の柴折門をくぐった。なるほど門人種員の話した通り打水清き飛石づたい、日を避ける夕顔棚からは大きな糸瓜の三つ四つもぶら下っている中庭を隔てて、茶がかった離れの小座敷へと通るや否や明放した濡縁の障子から一目に見渡した裏田圃の景色。これは全く格別の趣きである。これは即ち南宗北宗より土佐住吉四条円山の諸派にも顧みられず僅に下品極まる町絵師が版下絵の材料にしかなり得なかった特種の景色である。狂歌川柳の俗気を愛する放蕩背倫の遊民にのみいうべからざる興趣を催させる特種の景色である。即ち左手には田町あたりに立続く編笠茶屋と覚しい低い人家の屋根を限りとし、右手は遥に金杉から谷中飛鳥山の方へとつづく深い木立を境にして、目の届くかぎり浅草の裏田圃は一面に稲葉の海を漲らしている。その正面に当ってあたかも大きな船の浮ぶがように吉原の廓はいずれも用水桶を載せ頂いた鱗葺の屋根を聳しているのであった。
薄く曇った初秋の空から落る柔かな光線は快く延切った稲の葉の青さをば照輝く夏の日よりもかえって一段濃くさせたように思われた。彼方此方に浮んだ蓮田の蓮の花は青田の天鵞絨に紅白の刺繍をなし打戦ぐ稲葉の風につれて得もいわれぬ香気を送って来る。鳴子や案山子の立っている辺から折々ぱっと小鳥の飛立つごとに、稲葉に埋れた畦道から駕籠を急がす往来の人の姿が現れて来る。それは田圃の近道をば田面の風と蓮の花の薫りとに見残した昨夜の夢を託しつつ曲輪からの帰途を急ぐ人たちであろう。
種彦は眺めあかすこの景色と、久ぶりに取上げる杯の味と、埒もない門弟たちの雑談とに、そぞろ今日の外出の無益でなかった事を喜んだ。全く気に入った景色、気に入った酒、気に入った雑談。この三拍子が遺憾なく打揃うという事は人生容易に遇いがたい偶然の機を俟たねばならぬ。偶然の好機は紀文奈良茂の富を以てしてもあながちに買い得るものとは限られぬ。女中が持運ぶ蜆汁と夜蒔の胡瓜の酸の物秋茄子のしぎ焼などを肴にして、種彦はこの年月東都一流の戯作者として凡そ人の羨む場所には飽果てるほど出入した身でありながら、考えて見れば雨や風のさわりなく主客共に能く一日半夜の歓会に逢い得たる事いくばくぞと、さまざまなる物見遊山の懐旧談に時の移るのをも忘れていたが、折から一同は中庭を隔てた向うの小座敷に先ほどから頻と手を鳴らしていたお客が遂に亭主らしい男を呼付けて物荒くいい罵り初めた声を聞付けた。客は誂えた酒肴のあまりに遅い事を憤り、亭主はそれをばひたあやまりに謝罪っていると覚しい。そう心付いて見れば一同の座敷も同じ事、先ほど誂えた初茸の吸物もまたは銚子の代りさえ更に持って来ない始末である。別に大勢の客が一度に立込んで手が足りぬというのでもないらしい。どうした事かと仙果は二、三度続けざまに烈しく手を鳴らしたが、すると、以前の女中が銚子だけを持って来ながら息使いも急しく甚くも狼狽えた様子で、
「どうも申訳が御在ません。どうぞ御勘弁を……。」とばかり前髪から滑り落ちる簪もそのままにひたすら額を畳へ摺付けていた。
「こう、姐さん。どうしたもんだな。そうむやみやたらに謝罪られても始まらねえ。お燗はつけずお肴はなしというのじゃ、どうもこれァお話にならないじゃねえか。」
「唯今帳場からお詫に出ると申しております。どうぞ御勘弁をなすって下さりませ。」
「それじゃ姐さん、酒も肴も出来ねえといいなさるんだね。」
「出来ない何のと申す訳では御座いませんが、旦那。実は大変な事になりましたので御座います。今が今とて、定巡の旦那衆がお出でになりまして、その方どもでは時節ちがいの走物を料理に使ってはいないかと仰有りまして、洗場から帳場の隅々までお改めになってお帰りになるかと思えば、今度は入違に伝法院の御役僧と町方の御役人衆とがお出になり、お茶屋へ奉公する女中たちはこれから三月中に奉公をやめて親元へ戻らなければ隠売女とかいう事にいたして、吉原へ追遣ってお女郎にしてしまうからと、それはそれは厳しいお触で御座います。」
種彦初め一同は一時に酒の酔を醒ましてしまった。女中はもう涙をほろほろ滾しながら相手選ばず事情を訴えようとする。
「お上の旦那衆もあんまりお慈悲がなさすぎるでは御座いませんか。こうして手前供がお茶屋へ奉公いたしておりますのをどうやら好きこのんで猥らな事でもいたすように仰有いますが、まアお聞きなすって下さいまし。こうして私がお茶屋奉公でもいたさなければ、母親や亭主が日干しになってしまうので御座います。亭主は足腰が立ちませんし母親は眼が不自由な因果な身の上で御座ります……。」
先ほど手を鳴らし立てた元気は何処へやら、一同は左右から女中をいい慰め一刻も早くこの場を立去るより仕様がない。わずかにその場の空腹をいやすためもう誂えべき料理とてもない処から一同は香物に茶漬をかき込み、過分の祝儀を置いてほうほうの体で菜飯茶屋の門を出たのである。
「種員さん、いよいよ薄気味の好くねえ世の中になって来たぜ。岡場所は残らずお取払い、お茶屋の姐さんは吉原へ追放、女髪結に女芸人はお召捕り……こうなって来ちゃどうしてもこの次は役者に戯作者という順取だ。」
「こうこう仙果さん。大きな声をしなさんな。その辺に八丁堀の手先が徘徊いていねえとも限らねえ……。」
「鶴亀々々。しかし二本差した先生のお供をしていりゃア与力でも同心でも滅多な事はできやしめえ。」と口にはいったけれど仙果は全く気味悪そうに四辺を見廻さずにはいられなかった。
それなり種彦を初め一同は黙然として一語をも発せず、訳もなく物に追わるるように雷門の方へ急いで歩いた。
久しぶりの散歩に思の外の疲労をおぼえ、種彦はわが家に帰るが否や風通しのいい二階の窓際に肱枕してなおさまざまに今日の騒ぎを噂する門人たちの話を聞いていたが、する中にいつか知らうとうとと坐睡んでしまった。
疲れ果てた戯作者の魂は怪し気なる夢の世界へとさまよい出したのである。
最初に門人らの話声が近くなり遠くなりして、いかにも懶くまた心地よく耳許に残っていたが、いつか知ら風の消ゆるが如く潮の退く如くに聞えなくなってしまうと、戯作者の魂は忽ちいずこからとも知れず響いて来る幽な金棒の音を聞付けた。今時分不思議な事と怪しむ間もなく、かの金棒の響は正しく江戸町々の名主が町奉行所からの御達を家ごとに触れ歩くものと覚しく、彼方からも此方からも互に相呼応しつつさながら嵐の如くに湧起って来るのである。それと共に突然川水の流るる音が訳もなく高まり出した。種彦は屋根船の中に揺られながら眠っているような心持もすれば、また高い青楼の二階の深い積夜具の中にふうわりと埋まっているような心地もする。とにかく驚いて顔を上げると、自分の身体のある処よりも遥に低く、雨気を帯びた雲の間をば一輪の朧月が矢の如くに走っているのを見た。町の木戸が厳重に閉されていて番太郎の半鐘が叩く人もいないのに独で勝手に鳴響いている。種彦は唯ただ不審の思をなすばかり。通過ぎる人でもあらば聞質したいと消えかかる辻番所の燈火をたよりに、頻と四辺を見廻すけれど、犬の声ばかりして人影とては更にない。何となく胸騒ぎがして何処へという当もなく一生懸命に駈出し初めると、忽ち目の前に大きな橋が現われた。種彦は足にまかせて瞬時も早く橋を渡り過ぎようとすると、突然後から両方の袂をしっかりと押えて引止めるものがある。何者かと思って振返ると、心中でも仕損じた駈落者とおぼしく、橋際へ晒者になっている二人の男女があって、その両手は堅く縛められている処から一心に種彦の袂をば歯で啣えていたのであった。あまりの気味悪さに覚えず腰なる一刀を抜手も見せずに切放すと二つの首は脆くも空中に舞飛んで鞠の如くにころころと種彦の足許に転落ちる。その拍子にふと見れば、こはそも如何に男は間違う方なく若旦那柳絮、女はわが家に隠匿ったお園ではないか。しまった事をした。情ない事をした。許してくれと、種彦は地に跪ずいて落ちたる二つの首級を交々に抱上げ活ける人に物いう如く詫びていると、何時の間にやら、お園と思ったその首は幾年か昔己れが西丸のお小姓を勤めていた時、不義の密通をした奥女中なにがしの顔となり、また柳絮と思ったその首は幾年の昔堺町の楽屋新道辺で買馴染んだ男娼となっていた。再び恟りして二つの首級をハタと投出し唯茫然としてその場に佇立んでしまうと、いつの間に寄集って来たものか、菰を抱えた夜鷹の群が雲霞の如くに身のまわりを取巻いていて一斉に手を拍って大声に笑い罵るのである。しかも種彦の眼には数知れぬ夜鷹の顔がどうやら皆一度はどこかで見覚えのある女のように思われた。恐ろしいやら気味悪いやら、種彦は狂気の如く前後左右に切退け切払い、やっとの事で橋の向うへと逃げのびたが、もう呼吸も絶え絶えになるばかり疲れ果て有合う捨石の上に倒るるように腰を落した。
幸い四辺は静で、もう此処までは追掛けて来るものもないらしい。朧月の光が軟に夜の流を照している。種彦は初めてほっと吐息を漏し、息切れのする苦しさに石垣の下なる杭につかまり身を這わせるようにして掌に夜の流を掬上げようとすると、偶然にも木の葉のように漂って来る一箇の杯。今の世に何人の戯れぞ。紀文が杯流しの昔も忍ばるる床しさと思う間もなく、早や二、三艘の屋根船が音もなく流れて来て石垣の下なる乱杭に繋がれているではないか。閉切った障子の中には更に人の気勢もないらしいのに唯だ朗かに河東節「水調子」の一曲が奏られている。種彦は先ほどの恐ろしい光景をも全く忘れてしまい今は何という訳もなく二十歳の若い姿を朧夜の河岸に忍ばせて、ここに尋ね寄る恋人を待構えるような心持になっていた。
果せるかな。忽然川岸づたいに駈け来る一人の女がハタとわが足許に躓いて倒れる。抱き起しながら見遣れば金銀の繍取ある裲襠を着横兵庫に結った黒髪をば鼈甲の櫛笄に飾尽した傾城である。いかなる訳あって夜道を一人何処へといたわりながら聞く間もおそし、後から飛んで来る追手の二、三人、物をもいわず裲襠を剥取ってずたずたに引裂き鼈甲の櫛笄や珊瑚の簪をば惜気もなく粉微塵に踏砕いた後、女を川の中へ投込んだなり、いかにも忙しそうに川岸をどんどん駈けて行く。種彦はあまりの事に少時はその方を見送ったなり呆然として佇立んでいたが、すると今までは人のいる気勢もなかった屋根船の障子が音もなく開いて、
「先生。柳亭先生。お久ぶりで御座ります。」と親し気に呼びかける男の声。見れば濃い眉を青々と剃り眼の大きい口尻の凛々しい面長の美男子が、片手には大きな螺旋の煙管を持ち荒い三升格子の褞袍を着て屋根船の中に胡坐をかいていると、その周囲には御殿女中と町娘と芸者らしい姿した女がいずれ劣らずこの男に魂までも打込んでいるという風にしなだれ掛っていた。種彦驚き、
「これはお珍しい。貴公は木場の白猿子では御座らぬか。」
「いかにも七代目海老蔵に御座います。久しくお目にかかりませぬが先生には相変らず御壮健恐悦至極に存じます。」
「いや、拙者なぞもこの時節がらいつどのような御咎を蒙る事やら落人同様風の音にも耳を欹てています。それやこれやでその後はついぞお尋ねもせなんだがこの間はまたとんだ御災難。とうとうお江戸構いとやら聞きましたが思掛けない今時分どうして此処へはお出でなすった。」
「その不審は御尤も。実は今日まで先祖の菩提所なる下総の在所に隠れておりましたが是非にも先生にお目にかかり、折入ってお願い致したい事が御座りまして、夜中そっと中川の御番所をくぐり抜けわざわざ爰までやって参りました。」
「はて拙者のようなものに折入ってお頼みとは。」
「外の事でも御座りませぬ。あれなる二艘の屋根船に積載せました金銀珠玉の事で御座ります。実は当年四月木挽町の舞台にて家の狂言「景清」牢破りの場を相勤めおりまする節突然御用の身と相なり、遂に六月二十二日北御番所のお白洲にて役者海老蔵事身分を弁えず奢侈僣上の趣不届至極とあって、家財家宝お取壊の上江戸十里四方御追放仰付られましたが、いずれはかようの御咎もあろうかと木場の住居お取壊に相ならぬ中、弟子どもが皆それぞれに押隠しました家の宝、それをば取集め、あれなる船に積載せて参った次第で御座ります。先生へ折入ってお願と申まするは何とぞあれなる宝をばいかようにも致し、後の世まで残しお伝え下さるよう御計らいなされては下さるまいか。諸行無常は浮世のならい某の身の老朽ち行くは、さらさら口惜しいとも存じませぬが、わが国は勿論唐天竺和蘭陀におきましても、滅多に二つとは見られぬ珊瑚玳瑁ぎやまんの類、または古人が一世一代の名作といわれた細工物はいかにお上の御趣意とは申ながらむざむざと取壊されるがいかにも無念で相なりませぬ。人の生命にはまた生れ替る来世とやらも御座いましょうが、金銀珠玉の細工物は一度壊されては再この世には出て参りませぬ。先生。海老蔵が折入って御願いと申まするは斯様の次第で御座ります。」
言う言葉と共に海老蔵を載せた屋根船はおのずと岸を離れ、見る見る狭霧の中に隠れて行く。種彦はまア暫く暫くと声を上げ、岸の上をば行きつ戻りつ、消え行く舟を呼び戻そうとしていると、忽ち生暖かい風がさっと吹き下りて、振乱す幽霊の毛のように打なびく柳の蔭からまたしても怪し気なる女の姿が幾人と知れず彷徨い出で、何ともいえぬ物哀な泣声を立て、糸のように痩せた裸足のまま頻と地上に落ちた何物かを拾い上げては限りもなくさめざめと泣き沈むありさま、何事の起ったのかと種彦はふと心付けばわが佇む地の上は一面に踏砕かれた水晶瑪瑙琥珀鶏血孔雀石珊瑚鼈甲ぎやまんびいどろなぞの破片で埋め尽されている。そして一足でも歩もうとすればこれらの打壊された宝玉の破片は身も戦慄かるるばかり悲惨な響を発し更に無数の破片となって飛散る。その度ごとに女の群はさもさも恨めし気に此方を眺めては、身も世もあられぬように声を立てて泣くのである。種彦も今は覚えず目がくらんでそのまま水中に転び落ちてしまった。彼方に流され此方へ漂いする中に、いつか気も心もつかれ果て、遂に脆くも瞼を閉じ水底深く沈んで行った。かと思うとやがて耳許に聞馴れた声がして、頻と自分を呼びながら身体を揺動かすものがある。ふッと眼を開けば何事ぞ、埒もない一場の夢はここに尽きて老いたる妻がおのれを呼覚しているのであった。
なるほど水の中に沈んだと思ったのも無理はない。秋の夕陽は欄干の上にさし込んでいて、吹き通う風の冷さに蔽うものもなく転寐した身体中は気味悪いほど冷切っているのである。種彦は二度も三度もつづけざまにする嚔と共にどうやら風邪を引込んだような心持になった。
家ごとに焚く盂蘭盆の送火に物淋しい風の立初めてより、道行く人の下駄の音夜廻りの拍子木犬の遠吠また夜蕎麦売の呼声にも俄に物の哀れの誘われる折から、わけても今年は御法度厳しき浮世の秋、朝な夕なの肌寒さも一入深く身に浸む七月の半過ぎ。偐紫楼の燈火は春よりも夏よりも徒にその光の澄み渡る夜もやや深け初めて来た頃であった。主人はいつぞや怪しき昼寐の夢から引込んだ風邪の床に今宵もまだ枕についたまま、相も変らずおのが戯作のあれこれをば彼方を一、二枚此方を二、三枚と読返していた折から、突然愛雀軒と題した彼の風雅な庭木戸を叩いたものがある。茶の間の長火鉢に妙振出しを煎じていた妻何心もなく取次に出て見ると、堀田原の町名主を案内にして仲間に提灯持たせた中年の侍、小普請組組頭よりの使者と名乗って一封の書状を渡して立去る。と間もなく横山町辺の提灯をつけた辻駕籠一梃、飛ぶがように駈来って門口に止るや否や、中から転出る商人風の男、「先生は御在宅でいらっしゃいますか。鶴屋喜右衛門の手代で御座います。」と声もきれぎれに言うのであった。手代は主人の寝所に通って何やら密談に耽った後門外に待たせた辻駕籠に乗って再び何処へか飛び去ってしまったが、それからというもの偐紫楼の家の内は俄に物気立って、咳嗽を交うる主人の声と共にその妻の彼方此方と立働くらしい物音が夜の深け渡るまでも止まなかった。
丁度その刻限、そんな騒ぎのあろうとは露知らぬが仏、門人の柳下亭種員は新吉原の馴染の許に泊っていたのである。竹格子の裏窓を明けると箕輪田圃から続いて小塚原の灯が見える河岸店の二階に、種員は昨日の午過から長き日を短く暮す床の内、引廻した屏風のかげに明六ツならぬ暮の鐘。敵娼の女が店を張りにと下りて行った隙を窺い薄暗い行燈の火影に頻と矢立の筆を噛みながら、折々は気味の悪い思出し笑いを漏しつつ一生懸命に何やら妙な文章を書きつづっていた。種員は草双紙類御法度のこの頃いよいよ小遣銭にも窮してしまったため国貞門下の或絵師と相談して、専ら御殿奉公の御女中衆が貸本屋の手によってのみ窃に購い求めるという秘密の文学の創作を思い立ったのであった。
早や大引とおぼしく、夜廻の金棒の音、降来る夕立のように五丁町を通過ぎる頃、屏風の端をそっと片寄せた敵娼の華魁、
「主ァ、まだ起きていなんしたのかい。おや何を書いていなます。何処ぞのお馴染へ上げる文でありんしょう。見せておくんなんし。」と立膝の長煙管に種員が大事の創作をば無造作に引寄せようとする。種員驚き、
「華魁、文じゃねぇ、悪く気を廻しなさんな。疑るなら今読んで聞かせやしょう。だがの、華魁。あんまり身を入れて聞きなさると、とんだ勤めの邪魔になりやす。」
こんな口説よろしくあって、種員は思いも掛けぬ馬鹿に幸福な一夜を過し翌朝ぼんやり大門を出たのであった。
土手八丁をぶらりぶらりと行尽して、山谷堀の彼方から吹いて来る朝寒の川風に懐手したわが肌の移香に酔いながら山の宿の方へと曲ったが、すると丁度その辺は去年の十月火災に罹った堺町葺屋町の替地になった処とて、ここに新しい芝居町は早くも七分通普請を終えた有様である。中村座と市村座の櫓にはまだ足場がかかっていたけれど、その向側の操人形座は結城座薩摩座の二軒ともに早やその木戸口に彩色の絵具さえ生々しい看板と当八月より興業する旨の口上を掲げていた。されば表通り軒並の茶屋はいずれも普請を終って今が丁度移転の最中と見える家もあった。彼方此方に響く鑿金槌の音につれて新しい材木の脂の匂が鋭く人の鼻をつく中をば、引越の荷車は幾輛となく三升や橘や銀杏の葉などの紋所をつけた葛籠を運んで来る。あちこちと往来する下廻らしい役者の中にはまだ新しい御触が出てから間もない事とて、市中と芝居町との区別を忘れて、後生大事に冠ったままの編笠を取らずに歩いているものもあった。それが見馴れぬ目にはいかにも不思議に思われるのであった。
種員はつい去年の今頃までは待乳山の樹の茂りを向うに見て、崩れかかった土塀の中には昼間でも狐が鳴いているといわれた小出伊勢守様の御下屋敷が、瞬く中に女形の振袖なびく綺羅音楽の巷になったのかと思うと、この辺の土地をばよく知っている身には全く狐につままれたよりもなお更不思議な思がして、用もないのに小路々々の果までを飽きずに見歩いた後、やがて浅草随身門外の裏長屋に呑気な独世帯を張っている笠亭仙果の家へとやって来た。仙果は何処へか慌忙てて出て行こうとする出合頭朝帰りの種員を見るや否や、いきなりその胸倉を取って、「乃公ア今お前を捜しに行こうと思っていた処だ。気をたしかにしな。気をたしかにしな。」
「こう仙果さん。どうしたもんだな。お前こそ気でもちがったんじゃねえか。痛え痛え。まア放してくんな。懐中から大事な書きものがおっこちるぜ。」
「気をたしかにしなせえ。腰でも抜かさぬように用心したがいいぞ。堀田原の師匠がの、今朝おなくなりになったのだ。」
唖然としていう処を知らぬ種員に向って仙果は泣く泣く一伍一什を語り聞かせた。
柳亭種彦先生は昨夜の晩おそく突然北御町奉行所よりお調の筋があるにより今朝五ツ時までに通油町地本問屋鶴屋喜右衛門同道にて常磐橋の御白洲へ罷出よとの御達を受けた。それがためか、あらぬか、先生は今朝方御病中の髪を結直しておられる時突然卒中症に襲われ、
散るものに極る秋の柳かな
という辞世の一句も哀れや六十一歳を一期として溘然この世を去られた。
種員は頬冠りにした手拭のある事さえ打忘れ今は惜気もなく大事な秘密出版の草稿に流るる涙を押拭った。そして仙果諸共堀田原をさして金竜山の境内を飛ぶがごとくに走り行く。
底本:「雨瀟瀟・雪解 他七篇」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年10月16日第1刷発行
1991(平成3)年8月5日第6刷発行
底本の親本:「荷風小説 四」岩波書店
1986(昭和61)年8月8日
初出:「三田文学」
1913(大正2)年1月、3月、4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「散柳窓夕栄」となっています。
※初出時の表題は「戯作者の死」です。
入力:入江幹夫
校正:酒井裕二
2018年5月27日作成
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