雨の玉川心中
遺書
太宰治・山崎富栄
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私ばかりしあわせな死に方をしてすみません。奥名とすこし長い生活ができて、愛情でもふえてきましたらこんな結果ともならずにすんだかもわかりません。山崎の姓に返ってから死にたいと願っていましたが……、骨は本当は太宰さんのお隣りにでも入れて頂ければ本望なのですけれど、それは余りにも虫のよい願いだと知っております。太宰さんと初めてお目もじしたとき他に二、三人のお友達と御一緒でいらっしゃいましたが、お話を伺っておりますときに私の心にピンピン触れるものがありました。奥名以上の愛情を感じてしまいました。御家庭を持っていらっしゃるお方で私も考えましたけれど、女として生き女として死にとうございます。あの世へ行ったら太宰さんの御両親様にも御あいさつしてきっと信じて頂くつもりです。愛して愛して治さんを幸せにしてみせます。
せめてもう一、二年生きていようと思ったのですが、妻は夫と共にどこ迄も歩みとうございますもの。ただ御両親のお悲しみと今後が気掛りです。
(注・この遺書は昭和二十二年八月二十九日付となっている)
永いあいだ、いろいろと身近く親切にして下さいました。忘れません。おやじにも世話になった。おまえたち夫婦は、商売をはなれて僕たちにつくして下さった。お金のことは石井に
泣いたり笑ったり、みんな御存知のこと、末までおふたりとも御身大切に、あとのこと御ねがいいたします。誰もおねがい申し上げるかたがございません。あちらこちらから、いろいろなおひとが、みえると思いますが、いつものように、おとりなし下さいまし。
このあいだ、拝借しました着物、まだ水洗いもしてございませんの。おゆるし下さいまし、着物と共にありますお薬は、胸の病いによいもので、石井さんから太宰さんがお求めになりましたもの、御使用下さいませ。田舎から父母が上京いたしましたら、どうぞ、よろしくおはなし下さいませ。勝手な願いごと、おゆるし下さいませ。
お部屋に重要なもの、置いてございます。おじさま、奥様、お開けになって、野川さんと御相談下さいまして、暫くのあいだおあずかり下さいまし。それから、父と、姉に、それから、お友達に(ウナ電)お知らせ下さいまし。
姉 神奈川県鎌倉市長谷通り二五六
マ・ソアール美容院友達
本郷区森川町九〇
底本:「雨の玉川心中」真善美研究所
1977(昭和52)年6月13日初版発行
※表題、副題は、底本編集時に与えられたものです。
※底本巻末の編者による注記は省略しました。
※(注・)ではじまる注記は編集部によるものです。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:江村秀之
校正:酒井和郎
2017年4月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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